2016年6月17日放映のアメトーーク、テーマは「旧車芸人」である。
モノをテーマにした回であるため、おもしろくない「ホメ回」に堕す可能性があったが、そうはなっていなかった。そこは、単純に賞賛できる。
旧車とは、番組冒頭に紹介された定義に従えば、概ね25年から30年以上前に生産された車のことらしい。当然昔の車なので、新しい車と同様の取り回しはできない。あっちが壊れたとかこっちで変な音が出たとかいったエピソードがジュニアやケンコバの口から語られれば、笑いの種になる。旧車自身の古さをバカにすることで笑いをとるパターンである。
また「旧車が好き」という芸人それ自体の属性も、アメリカかぶれだとか、暴走族的なマインドがまだ残っているとかいった、別のバカにすべき属性につながっていくものである。佐田やじゅんいちダビッドソンはこれらの点をジュニアなどからツッコまれ、笑いが生まれていた。
極めつけはジャルジャル後藤である。後藤は、旧車芸人たちが自分の愛車を順々に紹介していく冒頭のシーンで最後(すなわち、オチの位置)に登場したのであるが、他の旧車芸人たちから「お前のは単なる中古車だ」とバカにされていた。スタジオに移ってからのトークでも後藤のこの位置づけは変わらず、他の旧車芸人が「同じ車はなかなか見ない」と言っているのに後藤一人だけ「信号待ちしてると隣にも同じ車が並ぶことがよくある」というエピソードを披露して、笑いを生んでいた。更に後藤が自分のこのような扱いに対してキレることで、またまた笑いが生まれていた。
要は、後藤が笑いのために生贄に捧げられた恰好である。後藤は登場前のナレーションで「この回への出演を熱望していた」などと説明されていたため、これがフリになり、「熱望していたくせに中身は全然旧車芸人ではない」というズレが生まれていたのである。
これとは違うパターンの笑いがあったのも更なる評価点である。スタジオトークの一番最初のテーマは、各旧車芸人の愛車と、同じ車種の最新モデルを比較するというものだったが、これまで散々他の旧車芸人から「お前は俺たちとは違う」と言われていた後藤も、実際の車の画像が見せられる前に「自分の車も最新モデルとは全然違う」と鼻息荒く語っていた。後藤のこの発言は、フリである。後藤がこのように言っているのに、実際は後藤の車と最新モデルとが大差がないという事態になれば、ズレが生まれ、このフリによって際立たれる。まさにお手本のような笑いの生み出し方なのである。ところが実際には後藤の発言は正しく、最新モデルは後藤車とは全然違う見た目をしていた。そのため後藤はスベリ、宮迫が「全然オモロない」とツッコんで、スベリ笑いになっていたのである。後藤をバカにして生まれる笑いだけでなく、そのパターンが失敗するという逆パターンの笑いもあったのである。この「逆パターン」は、後藤をバカにする流れでくっきー始め他の芸人たちがそれに失敗するという形でも見られた。
まとめると、笑いのパターンも豊富で、良かった回だと言うことである。
旧車芸人たちが仲間内でバカにしあうという内輪揉めを見せていたので、その「醜さ」がおもしろかったのも事実である。事実であるが、全体的にはみな和気藹々としていたので、旧車芸人自身が自分の旧車趣味をバカにされることをある程度は許容しているのだろう。だから、イジメのような嫌らしさもなかったのが良さにつながったのである。
ただ一つだけ気になったのが、後藤が浜本からイジられているシーンで「普段楽しく車の話とかしているのに、なんで今日だけそんな風に言ってくるんですか」と言ってしまったことである。後藤の発言のトーンがマジっぽい感じだったので、「みんなで和気藹々と後藤をバカにする」という雰囲気が崩れ、後藤をイジめている空気ができあがってしまった。
お笑いは「かわいそう」と思われたら終わりである。後藤はこの反論をするんだったら、もっと言い方を工夫しなければならない。笑いながらヘラヘラして言うのは一つの手段であるし、カンニング竹山みたいにマジギレして喧嘩をするというのも一つの手段である。
また後藤のこの発言は、「今回の後藤をバカにする流れは、マジではなくて番組向けにやっている『嘘』なんだ」ということを暴露するにも等しい内容である。そこまでのリスクを背負うなら、ますますウケをとらなければならない。台本で固められた嘘よりも、芸人たちがリラックスした(ように見える)状態で「マジ」に展開されるトークの方がおもしろいもんである。アメトーークはそういう雰囲気をせっかく今まで演出してきたのだから、それを壊してはいけない。
モノをテーマにした回であるため、おもしろくない「ホメ回」に堕す可能性があったが、そうはなっていなかった。そこは、単純に賞賛できる。
旧車とは、番組冒頭に紹介された定義に従えば、概ね25年から30年以上前に生産された車のことらしい。当然昔の車なので、新しい車と同様の取り回しはできない。あっちが壊れたとかこっちで変な音が出たとかいったエピソードがジュニアやケンコバの口から語られれば、笑いの種になる。旧車自身の古さをバカにすることで笑いをとるパターンである。
また「旧車が好き」という芸人それ自体の属性も、アメリカかぶれだとか、暴走族的なマインドがまだ残っているとかいった、別のバカにすべき属性につながっていくものである。佐田やじゅんいちダビッドソンはこれらの点をジュニアなどからツッコまれ、笑いが生まれていた。
極めつけはジャルジャル後藤である。後藤は、旧車芸人たちが自分の愛車を順々に紹介していく冒頭のシーンで最後(すなわち、オチの位置)に登場したのであるが、他の旧車芸人たちから「お前のは単なる中古車だ」とバカにされていた。スタジオに移ってからのトークでも後藤のこの位置づけは変わらず、他の旧車芸人が「同じ車はなかなか見ない」と言っているのに後藤一人だけ「信号待ちしてると隣にも同じ車が並ぶことがよくある」というエピソードを披露して、笑いを生んでいた。更に後藤が自分のこのような扱いに対してキレることで、またまた笑いが生まれていた。
要は、後藤が笑いのために生贄に捧げられた恰好である。後藤は登場前のナレーションで「この回への出演を熱望していた」などと説明されていたため、これがフリになり、「熱望していたくせに中身は全然旧車芸人ではない」というズレが生まれていたのである。
これとは違うパターンの笑いがあったのも更なる評価点である。スタジオトークの一番最初のテーマは、各旧車芸人の愛車と、同じ車種の最新モデルを比較するというものだったが、これまで散々他の旧車芸人から「お前は俺たちとは違う」と言われていた後藤も、実際の車の画像が見せられる前に「自分の車も最新モデルとは全然違う」と鼻息荒く語っていた。後藤のこの発言は、フリである。後藤がこのように言っているのに、実際は後藤の車と最新モデルとが大差がないという事態になれば、ズレが生まれ、このフリによって際立たれる。まさにお手本のような笑いの生み出し方なのである。ところが実際には後藤の発言は正しく、最新モデルは後藤車とは全然違う見た目をしていた。そのため後藤はスベリ、宮迫が「全然オモロない」とツッコんで、スベリ笑いになっていたのである。後藤をバカにして生まれる笑いだけでなく、そのパターンが失敗するという逆パターンの笑いもあったのである。この「逆パターン」は、後藤をバカにする流れでくっきー始め他の芸人たちがそれに失敗するという形でも見られた。
まとめると、笑いのパターンも豊富で、良かった回だと言うことである。
旧車芸人たちが仲間内でバカにしあうという内輪揉めを見せていたので、その「醜さ」がおもしろかったのも事実である。事実であるが、全体的にはみな和気藹々としていたので、旧車芸人自身が自分の旧車趣味をバカにされることをある程度は許容しているのだろう。だから、イジメのような嫌らしさもなかったのが良さにつながったのである。
ただ一つだけ気になったのが、後藤が浜本からイジられているシーンで「普段楽しく車の話とかしているのに、なんで今日だけそんな風に言ってくるんですか」と言ってしまったことである。後藤の発言のトーンがマジっぽい感じだったので、「みんなで和気藹々と後藤をバカにする」という雰囲気が崩れ、後藤をイジめている空気ができあがってしまった。
お笑いは「かわいそう」と思われたら終わりである。後藤はこの反論をするんだったら、もっと言い方を工夫しなければならない。笑いながらヘラヘラして言うのは一つの手段であるし、カンニング竹山みたいにマジギレして喧嘩をするというのも一つの手段である。
また後藤のこの発言は、「今回の後藤をバカにする流れは、マジではなくて番組向けにやっている『嘘』なんだ」ということを暴露するにも等しい内容である。そこまでのリスクを背負うなら、ますますウケをとらなければならない。台本で固められた嘘よりも、芸人たちがリラックスした(ように見える)状態で「マジ」に展開されるトークの方がおもしろいもんである。アメトーークはそういう雰囲気をせっかく今まで演出してきたのだから、それを壊してはいけない。
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