当wikiは、高橋維新がこれまでに書いた/描いたものを格納する場です。

 この番組でとんねるずの新作コントを久しぶりに放映していたので、箇条書きで特徴をまとめておく。

・そもそもコントということを喧伝したうえで行うコント(顕在コント)は、視聴者が「これからおもしろいものを見られる」と期待してハードルを上げてしまううえに裏切りもやりにくくなるので、テレビではあまりやらない方がいい手法である(演者とお客さんが同じ空気を共有している舞台では、また別)。
・アドリブをどんどん取り入れていくと顕在コントでも視聴者を裏切れる可能性が上がっていくが、とんねるずのアドリブは暴力とイタズラとセクハラにしか出てこない。話芸や動きでのアドリブは松本や岡村や山本にかなわない。
・暴力とイタズラとセクハラ(と、それを受けた「被害者」のリアクションを見て楽しむ)というのはドリフの昔からやっている古臭い笑いの取り方なので、とんねるずのコントを見ると全員集合を見た時のような悪い意味での黴臭さが漂う。今回のコントに出演した宮沢りえや渡辺満里奈みたいな女性タレントにも物怖じせずに暴力やセクハラを仕掛けられるのはとんねるずの強みの一つであるが、「度胸」さえあればできることなのでアイディアが要らなくなってしまう。これに慣れてしまうと、アイディアなしで笑いをとる手法が体に染みついてしまい、笑いを考える力が筋トレをやめた人の筋肉のように萎んでいってしまうだろう。
・暴力とイタズラとセクハラという被害者のリアクションで笑いをとる以外の部分では、とんねるずは基本的に台本どおりにしか動けない。

・この状態で落ちるところまで落ちると作り手がビッグネームのキャスティングと暴力やセクハラの過激さだけを追求してそこで思考停止してしまい、アイディアがとことん削ぎ落されてしまうので、大物へのギャラと大掛かりなギミックに金がかかって肝腎の内容は古臭いばかりの、行政のハコモノのようなバラエティができ上がってしまう。最終的に行き着くところは、番組の終焉である。

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