当wikiは、高橋維新がこれまでに書いた/描いたものを格納する場です。

 2018年4月1日(3月31日深夜25時から)放映の「オールスター後夜祭」を見た。


 TBSの有名番組であるオールスター感謝祭のスタジオとフォーマットをそのまま借り受けた番組である。やっていることも、普通のクイズと番組中のミニコーナー(リアクション芸と相撲)をもとにしたクイズであり、本家とほとんど変わりがなかった。

 筆者がこの番組を敢えて見たのは藤井健太郎氏が演出を手掛けていたからであるが、「藤井らしさ」はクイズの意地の悪さ(問題の題材になっている人やものをとことんこき下ろす感じの意地の悪さ)と氏の番組でよく罰ゲームの仕掛け人に起用されるライガー・カブキの両レスラーぐらいにしか現れていなかった。藤井氏が手掛けるクイズ番組ということで「検索ワード連想クイズ」で展開されるようなアドリブ大喜利が見られるかと期待したが、肩透かしを食らった形である。

 本家のスタジオとフォーマットをそのまま借りてしまったせいで、本家へのダメ出しがそのまま通用する。箇条書きで列挙しておく。
・生放送なので間の悪さやグダグダ感がそのまま伝わってしまう。
・テロップやBGMや効果音や映像効果を入れて芸人のギャグやボケを助けるといったことも生放送なのでほとんどできない。結果、どんどんグダグダする。
・演者が多すぎるので一人一人が頑張っても埋没してしまい、うるさいだけである。ガヤの王様のフジモンですら有効打がほとんど打てていなかった。
・芸人たちがスベったことにツッコミを入れられればまだ救われるのだが、うるさいので有効なツッコミが入れられない(入れられていてもよく聞こえない)ことがほとんどである。生放送であるがゆえに、編集で違うタイミングのツッコミを引っ張ってきて切り貼りするというようなこともできない。

 結局、辛いゲーム企画でたまに出るリアクションと、問題の意地の悪さでしか笑いがとれない。あまりに意地の悪い問題に対しては時間をとって演者たちが抗議をするという笑いの作り方もあると思うが、タイムスケジュールがキチキチなのでそういうこともほとんどない。

 やっぱり生放送は、視聴者にはデメリットしかない手法なのである。テレビ屋さんたちにはどことなく「生放送至上主義」「編集は悪」というような価値観(「編集」は生でできなかったことをあとで糊塗するための邪道な手法であり、テレビに関わる人間は生でおもしろいものを作れてこそ一流、というような考え方)が蔓延っている気がするが、それは端的に言えば間違いである。例えば、テレビと同じ映像作品である映画は、ほとんどのものがガッツリと編集をしている。編集をした方がおもしろくなるからである。テレビも一つの映像作品である以上、その映像作品をおもしろくするための努力の一つである「編集」を忌み嫌うのは筆者には理解ができない。確かに、全然違うタイミングで言われた発言を切り貼りするのは「嘘」の時系列を作る作業ではあるが、テレビ屋に求められているのはカメラの前で起こったことをそのまま報道することではなくて、あくまでいかにしておもしろい映像作品を作るか、であろう。映画も、フィクションなのである。テレビも(報道を除けば)あくまでフィクションも含めておもしろいものが詰まった映像作品なのであり、そこは映画と寸分違いはないのであるから、今更嘘を忌避することもなかろう。
 バラエティは、「生放送じゃなければ作れないおもしろさがある」ということが説得的に説明できない限りは、生放送でやってはダメである。生放送に一つはっきりとあるメリットは、「編集をしなくていいので作るのがその分ラク」ということであるが、これは作り手がサボれるというだけの話に過ぎない。

 感謝祭も、もっと演者の数をしぼって、生放送をやめた方が絶対におもしろくなる。それをいつまでたってもしないのは、編集をサボりたいからだとしか筆者には思えない。

<追伸>
 番組中に毒霧を食らい、顔を洗ってメイクを落としたガンバレルーヤよしこの肌がかなり汚かったので、司会の有吉にイジって欲しかった。これができなかったのも、生放送だからだろうか。

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