2019年2月14日放映のアメトーークを見た。今回のテーマは「高校中退芸人」であった。
その名の通り高校を中退した芸人を雛壇に集めていたが、一番聞きたい「なぜ中退したのか」の部分が徹底的にボカされてよく分からなくされていた印象だった。
中退の理由にも色々と種類がある。勉強についていけなくなった人もいるだろうし、素行が悪かった人もいるだろう。いじめにあった等の人間関係の問題が根っこにあることもあるだろうし、経済的な理由で働きに出ざるを得ず、出席日数が足りなくなったというようなこともあるだろう。ただいずれにせよ、一つ二つの事件では退学というドラスティックな結論に至らないはずなので、成績不良にしても素行不良にしてもある程度中長期的な蓄積があるはずなのである。そういった「歴史的」な部分が中退芸人の口から出てこず、中退の理由もフンワリとしか語られないので、とにかく消化不良であった。一口に中退と言ってもその理由は前述の通り様々であり、その理由が何かによって中退芸人たちが抱えている「問題」(「問題」という言葉に込められるネガティブな印象を避けるのであれば、芸人、あるいは人としてのキャラクターと言ってもよい)の毛色も全然変わってくる。そのため雛壇の面々には本当に「高校を中退した」以上の共通点がなく、今回のオンエアも個々のエピソードトークが単純な足し算で積み上げられていくだけでそれ以上のシナジーが生まれていなかった。いつも言っていることだが、これでは全員を同じスタジオに集める意味がない。全員が別撮りのVTR出演という形でもできることである。
そもそもなんで中退の理由がフンワリとしか語られなかったのであろうか。
編集でカットされたとはあまり思いたくない。中退芸人本人も理由がよく分かっていない(だからこそ、もっと手前の段階で問題を改善することができず、最終的に中退という結論を迎えてしまったのである)か、学力やコミュニケーション力といった彼らのプライドの根幹に関わる部分なので自虐して語ることすら嫌がったかのどちらかではないかと筆者は考えている。
個人的に一番おもしろかったのは尾形に連続で無茶ブリをしていくクダリであった。今回のオンエアで出てきた言葉を借りれば、あの尾形は完全に「ゾーン」に入っていた。なぜポンコツで鳴らしている尾形をMC横の位置に置いたのかはよく分からないが、結果は出たので何でもいいだろう。
※2019.4.19追記
2019.4.18OAのアメトーークの最後で、この回に「西成について事実と異なる発言や差別的表現があった」ことを理由に謝罪をしていました。
具体的にどういった内容が問題になったかは番組の公式サイトに出ているのでそっちを見てください。
→https://www.tv-asahi.co.jp/ametalk/news/0068/
本当に事実ではないことが言われていたのであれば、発言者である芸人本人が話をおもしろくするために盛った(か、単純に大した裏とりをしていなかった)ということでしょう。
まず確認しておきたいですが、笑いをとるために嘘をつくこと自体が悪い、というわけではないはずです。上沼恵美子は「大坂城に住んでいる」というホラを吹きますし、エピソードトークの内容を盛ることは普通に行われていることです。嘘をつくという行為はそれ自体が笑いの素である「ズレ」を生み出すものであるため、笑いの世界ではむしろ武器として利用していくべきものです。そもそもコントでお芝居をするときは、自分の本心ではないことをさも本心であるかのように言うではありませんか。演技は、全てが嘘なのです。
問題は、嘘をついたことそれ自体ではありません。その嘘が、他人が大きく傷つけるような内容だったことが問題なのです。
ただ、他人が大きく傷つけるような嘘もそれ自体が禁止されるわけではありません。松本はよく「浜田はヤクザだ」と言って笑いをとっています。通常この手の嘘を放映する場合、「この人が言っていることは嘘ですよ」と視聴者にもはっきりと分かってもらえるような演出をします。この演出は嘘つき(=ボケ)へのツッコミであると共に、嘘をついた人をおかしいと糾弾することで傷つけられた人をフォローする役割を果たします。
例えば、以下のようなものですね。
・「嘘をつくな!」というツッコミを入れる
・「※そんな事実はありません」というテロップを入れる
ただもちろんこういった演出も丁寧にやりすぎるとゴテゴテして「笑い」という主題がボケてくるので、スッキリと済ませたいものではあります。そのため、嘘の内容そのものが荒唐無稽で視聴者もそれを聞くだけですぐに嘘だと分かる、というようなものの場合、こういった演出を一切入れないこともあります。「浜田はゴリラと人間のハーフ」というような松本の発言は、一例です。
今回の場合、スタッフ側としては話の内容そのものが荒唐無稽であるがゆえに視聴者にも「嘘だ」と分かってもらえると思って敢えて大した演出をしなかったのかもしれません。ただ、特に何も考えずに無配慮なOAをした可能性もあり、OAを見ただけでは断定ができません。いずれにせよ、「(事実誤認とされた問題の発言が)嘘であると分かってもらえない」と考えた視聴者がいたからこそ、謝罪にまで発展してしまったのでしょう。確かに、視聴者はOAを見て嘘だと断じてくれるような分かりのいいひとばかりではないので、作り手と視聴者のこの認識のズレが今回のような問題の根本にあるのは間違いありません。
ただ本稿で勧奨している「『この人が言っていることは嘘ですよ』と視聴者にもはっきりと分かってもらえるような演出」というのは、あくまで今回のような問題の発生をできる限り事前に予防するための対策であって、笑いたい人と傷つきたくない人との利害対立を緩和する調整弁のようなものでしかありません。私個人は他人を傷つけるような形で笑いをとることが(現時点では)いいとも悪いとも言うつもりもありませんし、言いたくはありません。笑いというのは本質的に対象を蹴落とすことで自分がいい気持ちになる感情・現象なので、その感情の発露によって傷つく他人が出てくることは(とても根源的な部分で)不可避であります。少人数での会話や陰口で笑いが起こる時は傷つくであろう他人への配慮は通常為されません。ただ、テレビのような大多数の目に触れるメディアでは、同じようにはできません。笑われることによって傷つく人もそのメディアに触れる(そして、実際に傷つく)可能性が大いにあるので、何らかの配慮が必要です。笑いのコンテンツとしてテレビを含めたメディアに表出しているのは、笑いたい人と傷つく人との間で何とかかんとか調整の利くごく一部の内容だけなのです。だから、テレビで笑いを扱うという営為はどこまでいっても綱渡りになってしまうのです。作り手が攻め過ぎた結果、受け手(視聴者)から反発を食らうというのは日常茶飯事です。今回は、この調整がうまくいかずに摩擦が生じたということでしょう。テレビが笑いを取り扱う以上は、この「調整」のプロセスとそれを適切に行うためのバランス感覚は不可欠なものです。
だからメディアとしても芸能事務所としても、実際に「事実誤認」とされる発言をした芸人の未来をこの問題だけで閉ざすような対応はしないでいただきたいです。今回の問題は笑いをメディアで取り扱う以上不可避的に生じるとても根深いもので、今後も笑いのコンテンツを提供し続ける以上コンスタントに発生する問題です。前述のとおり、コンテンツの作り手であるテレビ局は、この問題に今後も向き合い続けなければいけません。発言者の芸人だけに責任を負わせるトカゲのしっぽ切り的な対応で解決できる問題ではないのです。何より、最終的な責任は確実にあの発言を容認して(カットせずに)放映したテレビ局の側にあるので、一芸人のせいにして逃げ回るのはとてもカッコ悪いです。そういう対応をしたら演者たちも「今後テレビ局は何かがあっても守ってくれないんだ」と思って萎縮してしまうので、ますますテレビがつまらなくなってしまいます。少なくとも私個人は、これ以上テレビにつまらなくなって欲しくありません。
その名の通り高校を中退した芸人を雛壇に集めていたが、一番聞きたい「なぜ中退したのか」の部分が徹底的にボカされてよく分からなくされていた印象だった。
中退の理由にも色々と種類がある。勉強についていけなくなった人もいるだろうし、素行が悪かった人もいるだろう。いじめにあった等の人間関係の問題が根っこにあることもあるだろうし、経済的な理由で働きに出ざるを得ず、出席日数が足りなくなったというようなこともあるだろう。ただいずれにせよ、一つ二つの事件では退学というドラスティックな結論に至らないはずなので、成績不良にしても素行不良にしてもある程度中長期的な蓄積があるはずなのである。そういった「歴史的」な部分が中退芸人の口から出てこず、中退の理由もフンワリとしか語られないので、とにかく消化不良であった。一口に中退と言ってもその理由は前述の通り様々であり、その理由が何かによって中退芸人たちが抱えている「問題」(「問題」という言葉に込められるネガティブな印象を避けるのであれば、芸人、あるいは人としてのキャラクターと言ってもよい)の毛色も全然変わってくる。そのため雛壇の面々には本当に「高校を中退した」以上の共通点がなく、今回のオンエアも個々のエピソードトークが単純な足し算で積み上げられていくだけでそれ以上のシナジーが生まれていなかった。いつも言っていることだが、これでは全員を同じスタジオに集める意味がない。全員が別撮りのVTR出演という形でもできることである。
そもそもなんで中退の理由がフンワリとしか語られなかったのであろうか。
編集でカットされたとはあまり思いたくない。中退芸人本人も理由がよく分かっていない(だからこそ、もっと手前の段階で問題を改善することができず、最終的に中退という結論を迎えてしまったのである)か、学力やコミュニケーション力といった彼らのプライドの根幹に関わる部分なので自虐して語ることすら嫌がったかのどちらかではないかと筆者は考えている。
個人的に一番おもしろかったのは尾形に連続で無茶ブリをしていくクダリであった。今回のオンエアで出てきた言葉を借りれば、あの尾形は完全に「ゾーン」に入っていた。なぜポンコツで鳴らしている尾形をMC横の位置に置いたのかはよく分からないが、結果は出たので何でもいいだろう。
※2019.4.19追記
2019.4.18OAのアメトーークの最後で、この回に「西成について事実と異なる発言や差別的表現があった」ことを理由に謝罪をしていました。
具体的にどういった内容が問題になったかは番組の公式サイトに出ているのでそっちを見てください。
→https://www.tv-asahi.co.jp/ametalk/news/0068/
本当に事実ではないことが言われていたのであれば、発言者である芸人本人が話をおもしろくするために盛った(か、単純に大した裏とりをしていなかった)ということでしょう。
まず確認しておきたいですが、笑いをとるために嘘をつくこと自体が悪い、というわけではないはずです。上沼恵美子は「大坂城に住んでいる」というホラを吹きますし、エピソードトークの内容を盛ることは普通に行われていることです。嘘をつくという行為はそれ自体が笑いの素である「ズレ」を生み出すものであるため、笑いの世界ではむしろ武器として利用していくべきものです。そもそもコントでお芝居をするときは、自分の本心ではないことをさも本心であるかのように言うではありませんか。演技は、全てが嘘なのです。
問題は、嘘をついたことそれ自体ではありません。その嘘が、他人が大きく傷つけるような内容だったことが問題なのです。
ただ、他人が大きく傷つけるような嘘もそれ自体が禁止されるわけではありません。松本はよく「浜田はヤクザだ」と言って笑いをとっています。通常この手の嘘を放映する場合、「この人が言っていることは嘘ですよ」と視聴者にもはっきりと分かってもらえるような演出をします。この演出は嘘つき(=ボケ)へのツッコミであると共に、嘘をついた人をおかしいと糾弾することで傷つけられた人をフォローする役割を果たします。
例えば、以下のようなものですね。
・「嘘をつくな!」というツッコミを入れる
・「※そんな事実はありません」というテロップを入れる
ただもちろんこういった演出も丁寧にやりすぎるとゴテゴテして「笑い」という主題がボケてくるので、スッキリと済ませたいものではあります。そのため、嘘の内容そのものが荒唐無稽で視聴者もそれを聞くだけですぐに嘘だと分かる、というようなものの場合、こういった演出を一切入れないこともあります。「浜田はゴリラと人間のハーフ」というような松本の発言は、一例です。
今回の場合、スタッフ側としては話の内容そのものが荒唐無稽であるがゆえに視聴者にも「嘘だ」と分かってもらえると思って敢えて大した演出をしなかったのかもしれません。ただ、特に何も考えずに無配慮なOAをした可能性もあり、OAを見ただけでは断定ができません。いずれにせよ、「(事実誤認とされた問題の発言が)嘘であると分かってもらえない」と考えた視聴者がいたからこそ、謝罪にまで発展してしまったのでしょう。確かに、視聴者はOAを見て嘘だと断じてくれるような分かりのいいひとばかりではないので、作り手と視聴者のこの認識のズレが今回のような問題の根本にあるのは間違いありません。
ただ本稿で勧奨している「『この人が言っていることは嘘ですよ』と視聴者にもはっきりと分かってもらえるような演出」というのは、あくまで今回のような問題の発生をできる限り事前に予防するための対策であって、笑いたい人と傷つきたくない人との利害対立を緩和する調整弁のようなものでしかありません。私個人は他人を傷つけるような形で笑いをとることが(現時点では)いいとも悪いとも言うつもりもありませんし、言いたくはありません。笑いというのは本質的に対象を蹴落とすことで自分がいい気持ちになる感情・現象なので、その感情の発露によって傷つく他人が出てくることは(とても根源的な部分で)不可避であります。少人数での会話や陰口で笑いが起こる時は傷つくであろう他人への配慮は通常為されません。ただ、テレビのような大多数の目に触れるメディアでは、同じようにはできません。笑われることによって傷つく人もそのメディアに触れる(そして、実際に傷つく)可能性が大いにあるので、何らかの配慮が必要です。笑いのコンテンツとしてテレビを含めたメディアに表出しているのは、笑いたい人と傷つく人との間で何とかかんとか調整の利くごく一部の内容だけなのです。だから、テレビで笑いを扱うという営為はどこまでいっても綱渡りになってしまうのです。作り手が攻め過ぎた結果、受け手(視聴者)から反発を食らうというのは日常茶飯事です。今回は、この調整がうまくいかずに摩擦が生じたということでしょう。テレビが笑いを取り扱う以上は、この「調整」のプロセスとそれを適切に行うためのバランス感覚は不可欠なものです。
だからメディアとしても芸能事務所としても、実際に「事実誤認」とされる発言をした芸人の未来をこの問題だけで閉ざすような対応はしないでいただきたいです。今回の問題は笑いをメディアで取り扱う以上不可避的に生じるとても根深いもので、今後も笑いのコンテンツを提供し続ける以上コンスタントに発生する問題です。前述のとおり、コンテンツの作り手であるテレビ局は、この問題に今後も向き合い続けなければいけません。発言者の芸人だけに責任を負わせるトカゲのしっぽ切り的な対応で解決できる問題ではないのです。何より、最終的な責任は確実にあの発言を容認して(カットせずに)放映したテレビ局の側にあるので、一芸人のせいにして逃げ回るのはとてもカッコ悪いです。そういう対応をしたら演者たちも「今後テレビ局は何かがあっても守ってくれないんだ」と思って萎縮してしまうので、ますますテレビがつまらなくなってしまいます。少なくとも私個人は、これ以上テレビにつまらなくなって欲しくありません。
最新コメント