当wikiは、高橋維新がこれまでに書いた/描いたものを格納する場です。

 最新の、M-1フォロワー番組です。芸歴16年以上の芸人、すなわちM-1の出場資格を失った芸人たちによる漫才のコンテストです。

<準々決勝>
1.金属バット
 2人とも、演技力が物足りません。
 ツッコミの友保は、声を張るでもなく、早口でまくし立てるわけでもなく、素に近い感じで訂正をしていく役回りだったので、そこまで演技力は求められません。問題が大きいのはボケの小林の方です。
 改めて言っておきますが、漫才には演技力が必要です。漫才でやることは、演技だからです。ボケの台詞をマジで真実だと信じている漫才師はいません。その台詞を真実だと信じている(いわば天然ボケの人を)演じる(=少なくともお客さんが「この人は天然ボケなんだ」という嘘をすんなり共有できるようにする)のが漫才におけるボケの役割です。小林は、そこがほとんど演じ切れていません。どうにもウケ狙いでヘラヘラふざけている感じが抜けないのです。

 漫才自体は、諺がテーマになっていました。「仏の顔も三度まで」を小林がスルーした時は若干不安になりましたが、終盤で伏線として回収されたので安心できました。とはいえ伏線を張ってから回収するまでのタイムスパンが長いので、あまり効果的ではなかったと思います。もう少しタイムスパンを短くするか、回収時にお客さんの記憶を呼び起こす説明を付け足すか、が必要でしょう。
 あとボケのトップバッターが「灯台デモクラシー」っていうのはどうなんでしょうか。「灯台下暗し」と「大正デモクラシー」の響きが似ているっていうのは結構こすられているネタだと思われますので、これをトップに持ってこられると先行きが不安になります。ネタを書いている人たちの大喜利力が物足りないのではないかという疑義が生ずるのです。もうちょっとネタを練って、こすられ過ぎていないものを見つけていくべきでしょう。

2.マシンガンズ
 あんまり決まったテーマはなく、2人がこれまでの生活や仕事で腹が立ったことにポツポツと五月雨式に毒づいていく漫才でした。
 感想を言うのが難しい(=いい意味でも悪い意味でもさほど印象に残らなかった)のですが、おそらくキャラクターと演技力の問題に帰着するのでしょう。2人とも、声質・風貌等の第一印象から受けるキャラクターが、漫才の毒に合っていない感じがします。「これまで鳴かず飛ばずのおじさん芸人」というキャラクターはあるので、復活してきた時の有吉みたいに世間に色々と強めに毒づくことが許されるはずなのですが、有吉ほど板についていませんでした。2人が漫才中に動きを合わせて決め台詞みたいに毒を吐けば吐くほど見ているこちらは鼻白んでいくのです。
 なぜなのかははっきりとは言えませんが、先ほども述べたように、一つは声質と風貌が有吉ほど毒向きじゃないというのがあると思います。毒を言うときの態度も有吉ほど堂々とはしていません。だから、見ているこっちもなんとなくフワフワして気持ちよく笑えないのです。堂々としきれていないのは、演技力が物足りないからでしょう。
 声質に関して言えば、2人ともなんとなく通りが良くないです。有吉や小籔やウエストランド井口といった毒で売れている人たちの声は、もっと通っていると思います。

3.スピードワゴン
 スピードワゴンの十八番のネタだと思います。ENGEIグランドスラムでも見たことがあるような気がします。小沢の恋の妄想を再現した一人コントに、傍で見ている井戸田がツッコミを入れていく構成です。
 小沢はおそらく素に近い感じで自分の役回りをできているので一人コントも堂に入っているのですが、井戸田の演技力が物足りず、マンキンでツッコめばツッコむほど空々しい響きが増していくのはいつものとおりです。これ以上、伸びないのでしょうかね。
 ただまあ、井戸田の演技力も見てられないほどではないです。漫才の終盤でそれまで距離をとって斜に構えていた井戸田が大きく呼ばわって小沢の妄想の世界に入り込んでしまうクダリとかは、好きです。

4.三四郎
 「占い」という設定でまとめてはいましたが、基本的には「こんな未来はイヤだ」という大喜利の回答を単発で積み重ねていく足し算の漫才でした。M-1で上に行くには、伏線等を張り巡らせたもう少し複雑な台本にした方が良いと思われますが、そういう仕掛けはほとんどありませんでした。占いという設定も、大喜利の問題として見てもこれまで散々こすられてきたものです。そうなると、漫才のおもしろさはネタ中で披露される単発の大喜利のおもしろさにかなりの部分を頼ってしまうことになりますが、大喜利力も物足りなかった感じです。
 それでも何とか見ていられるのは、かすれ声であたふたとツッコむ小宮が愛くるしいからだと思います。あれは、あの風貌と声質がマッチしないとおもしろくないので、小宮という芸人は実に絶妙なバランスで成り立っているとつくづく感じます。「キングオブコメディ」をしつこく確認したところなんか私は好きでした。
 あとこれは全体の評価には関係ないですが、ツッコミ側のカロリー消費が高そうなネタの構造は、ハライチに似ていると思いました。

5.ギャロップ
 ハゲイジリのネタでした。キャラに合っていますし、2人の演技力も堂々たるものでした。ネタの設定も単なるハゲイジリを少し捻っており、「毛量の違う100個のカツラをだんだん付け替えて徐々に髪を増やしていったらどうなるか」という前提のもと色々と想像を膨らませていました。
 あとは好みの問題ですが、私があんまり笑えなかったのは、いくら設定を捻っても大元がハゲイジリだからだと思います。結局、これまでこすられてきたような話からあんまり解脱できていないのです。

6.テンダラー
 いつものテンダラーでした。今回は設定を固定せず、色々とシチュエーションを変えながらボケとツッコミの1ユニットを順番に披露していく、という流れで漫才をやっていました。加えて伏線めいた複雑な展開もなく、三四郎と同じく単発の大喜利の回答を積み重ねていくだけの足し算の漫才になっていました。三四郎との違いは、こちらは毎回大喜利の問題が異なる、というだけです。
 それでも見ていられるのは、ベテラン(特にボケの浜本)の演技力があるからです。

7.超新塾
 超新塾の漫才は初めて見ました。
 5人組ということでどういうバランスのグループなのかが気がかりでしたが、ツッコミが1人いて、あとの4人は基本的に全員ボケというかなり分かりやすい配役になっていました。最初に分かりやすいツカミがあり、その後のボケも割合オーソドックスなものが続いていたので、5人組であるということ以外はかなり普通の漫才でした。
 とはいえ、アイクの見た目は生かされていましたし、5人全員に見せ場があったので、5人じゃなきゃできないことはきちんとできていたと思います。ただやっぱり、いい年のおじさんが横浜銀蝿みたいな恰好で延々とふざけていることはネタ中ずうっと気になるんですね。そこは、軽くでいいので先に処理して欲しいと思いました。あとこの大会で全てを出し切ってしまったのではないかというのも気になります。準決勝には進めず敗退となっていましたが、他に勝負できるネタを本当に用意していたのかは気になるところです。

8.囲碁将棋
 2人とも演技力はかなり高いと思います。それにビックリしました。ただ、若干細かい話にはなりますが、根建は手の動きがちょっとクサいです。特に、ネタ中に乱発していた「手を横に振って否定を示す動き」に顕著でした。もしかしたら素であんな感じなのかもしれませんが、もうちょっと自然に見えるように手を動かせたらいいと思います。
 ネタ自体は、ボケとツッコミをたまに入れ替えながら、「ありそうなモノマネネタのタイトル」を順々に披露していく大喜利形式のネタでした。ただ基本的にはタイトルの響きの大喜利だけで笑いをとろうとしているので、モノマネネタ自体は終盤まで披露されていませんでした。一応終盤に若干モノマネそのものを披露したことや、そこに前半で発表したタイトルの伏線回収を入れ込んでいたことは立派だとは思います。ただ、やっぱりタイトルというものは、本来はモノマネネタそのものを見て初めてオチる種類の言葉なので、タイトルだけで大喜利をされてもずっと腑に落ちない感じが残ってしまう気がしました。

<準決勝>
1.マシンガンズ
 ネタの構成は1本目と同じだったので、「2人とも毒と合っていないなあ」という感想も一緒です。ただ1本目よりは見ていられらので、1本目の6分の漫才だけである程度キャラを植え付けられてしまったということでしょう。

2.三四郎
 三四郎もネタの構成は1本目とほぼ同じでした。今回は「こんな弟子志願者はイヤだ」という大喜利でした。やはり、小宮があたふたしながらツッコんで言葉を足していくことで、単なる足し算の漫才との違いが作れていると思います。

3.囲碁将棋
 「生意気な店」で大喜利をしているのは1本目の「モノマネネタのタイトル」での大喜利と構造は似ていました。ただ1本目よりは他の大喜利も増えていたと思います。
 でも2人の演技力でカバーしている部分が大きく、あんまり他と違う大喜利はできていないと思います。ネタの台本はもっと練れるでしょう。

4.ギャロップ
 ボケとツッコミが1本目から入れ替わっていました。電車に対して色々と理不尽な文句を言うコテコテの関西系の漫才でした。「こういうのが一番好きだ」という人も全然いるタイプの漫才だとは思いますが、やっぱり電車に対する文句というのはかなりこすられているテーマなので、大喜利力の高さを感じることができませんでした。

<決勝>
1.マシンガンズ
 「3本目のネタがない」と本人たちも自虐して言っていましたが、本当になさそうな感じでネタをやってました。握手のクダリは、過去にネタで何度かやっているものでしょうが、それ以外は大会当日の話題がほとんどでした。あれが事前に練習している台本だったとしたらあそこまでアドリブ感を出せるのは腕だと思います。でも、そうは見えなかったんですよね。
 とはいえ、漫才というのはこれくらいのびのびやってこそおもしろいものだと思います。点数は低かったですが、会場にいるお客さんたちはもっとカッチリとした台本の漫才が見たかったんでしょうね。

2.ギャロップ
 2本目と同じでボケは林でした。
 林がしゃべっている時間がとても長く、その間ツッコミも僅かしか入らないので、笑いの絶対量が少ない変化球のネタになっていました。林のしゃべりは流石にとても達者で、対戦相手のマシンガンズと比べてもちゃんとネタっぽい作りではあったのですが、賞レースの決勝に持ってくるネタじゃないなあと思いました。どっちかというと、単独ライブの箸休めみたいな位置付けになってくるものだと思います。
 まあこれを持ってきたからには、これがやりたかったんでしょう。大きな伏線回収はありましたが、私としてはシェフ修行のクダリの方でヒートテックの伏線を回収してほしかったです。

<総評>
 決勝は2組ともあまり「ちゃんとしていない」ネタをやったので、なんとなく盛り下がってしまった感はあります。勝敗を決めるのも逆の意味で難しかったと思います。
 大会全体を通して見ると、「レベルが高い」と評された年のM-1(例えば、ミルクボーイが優勝した2019年)と比べればネタ全体のレベルは低かったと思います。ネタ時間が違うので単純な比較はできませんが、全体的に「M-1だったら、決勝には行けたかもしれないけど最後の3組には残らなかっただろうな」という出来の出場者が多めだったと思います。なんというか、「M-1で勝ちに行くネタ」(=自分たちのことを知らない人にもウケるネタ)よりは、「自分たちのファンに刺さるネタ」(=劇場で普段からやっているような、必要な予備知識が多くて新規勢には刺さりづらいネタ)をやっている出場者が多かった印象です。

 勝敗が会場にいる一般人の採点だけで決められていたことについては、基本的にはいいも悪いも特にないです。ただ、去年のM-1でウエストランドが言っていた「素人(というか、非芸人)はお笑いに口を出すな」という風潮を作り上げてきたのは明らかに松本人志なので、松本が会場にいるこの番組で業界のその傲慢を叩き潰していってくれればいいと思います。

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