高橋維新のページ - お笑い論 5.展開(5)天然ボケ
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(5)天然ボケ

特質

 天然ボケとは、作り手がそのズレを作出することを意図しているわけではないのにもかかわらず、結果的にズレが作出されてしまっているようなボケのことです。これとは逆に、作り手が故意に意図して作ったズレを、人工ボケと呼ぶことにしましょう。
 天然ボケをこのように定義すると、日常的な用語法としての「天然ボケ」とは言い難いような事例も天然ボケに含まれてきます。日常的な「天然ボケ」とは、勘違い・言い間違いなどを指すのが通例でしょうが、本書の定義による「天然ボケ」はこれらに限られません。作り手は真面目にやってるつもりだけど下手糞なミュージカルとか、面白いゲームを作ろうとしたけど時間が足りなくてバグだらけのクソゲーになってしまったとかも天然ボケに含まれます。作り手が、ズレを作り出して、受け手を笑わせるためにこのようなものを作り上げたわけではないからです。空耳も、天然ボケです。英語やスペイン語の歌や台詞が日本語に聞こえておもしろいという場合、その歌や台詞の作り手は確実に日本人に向けてズレを作り出すことを意図してはいません。無名なのにタレント気取りでふざけているYoutuberを嘲笑うのも、天然ボケを楽しむ一つの例です。
 ここまでで挙げた例はいずれも作り手がズレを作り出すことを全く意図していないものだといえますが、作り手が意図せずに作出されてしまった全てのボケが天然ボケなので、作り手自身は別のボケを意図して作出しているという場合もあります。すべり芸はその例です。本人は「普通のボケ」というズレを作出しているつもりでも、実際には「すべっている」というボケが作出されるのです。
 「空耳」「クソゲー」「下手糞なミュージカル」「Youtuber」という例からピンときた人はピンときたでしょうが、2chやニコニコ動画をはじめとするインターネットのコミュニティは、この天然ボケを笑う文化が非常に発達しています。作り手が笑わせるつもりで作っていない物を見つけてきて、笑うという文化です。
 この天然ボケを楽しむ際に大事になるのが、ツッコミです。天然ボケは、作り手がズレを作出していることを意図しているわけではないため、受け手もズレを見つけ出すことについてアンテナを張っていない場合が多く、ともすれば見過ごされてしまいます。そこで、ツッコミを入れることで受け手にズレの存在を気付かせるということが肝要になってくるのです。ニコニコ動画のコメント機能などは、天然ボケに対してリアルタイムでツッコミを入れることを可能にするものであって、天然ボケを笑う文化に実にマッチしたものであったといえるでしょう。ツッコミ以外の方法として、「このミュージカルがヤバイ」「○○という歌の空耳がおもしろい」などと事前に告知して、受け手にズレへのアンテナを張らせておくというものもありますが、これはまさに基準状態をせり上げるマイナスのフリであるため、よほどおもしろいものでない限りこの方法はとらないのが無難です。ニコニコ動画における動画のタイトルや、2chのスレタイでも「おもしろい」というようなハードルの上がる形容詞を正面から使っているものは少ないのではないでしょうか。
 もう一つ大事なのが、数を集めるということです。天然ボケは、あくまで偶発的に生じるものである以上、一つ一つは単発的で短く、数を集めないと一定の尺を埋められません。地方のおもしろ看板や新聞雑誌のおもしろ誤植を集めた「VOW」という本は、単発的な天然ボケをたくさん集めて一冊の本にしたものです。現在はスマートフォンなどの普及により誰でも見つけた天然ボケをその場で保存・発信できるようになっているため、ネットの世界に数が集まるようになってきました。そういう意味でも、インターネットという媒体と天然ボケとの相性はいいのです。
 このように天然ボケは、受け手が「ズレが作り出される」と意識していない、すなわち基準状態が低い状態で不意に繰り出されるものであるため、「これから人工ボケが行われる」と受け手が身構えている場合よりも、簡単に笑いをとることができるということです。この「奇襲」が天然ボケの妙味であります。受け手が身構えていないためにボケの存在に気が付きにくいという問題はありますが、それは前述の通りツッコミで対処できます。
 だから、天然ボケは人工ボケより絶対的におもしろいのです。今はテレビの人工ボケが、インターネット上に集められた天然ボケに相当押されています。テレビの世界では、インターネットに集められた天然ボケをそのままなぞって転載したような番組や企画も散見されますが、嘆かわしいことだと思います。別に天然を扱うことが悪いと言いたいわけではなく、インターネットの見つけたものにそのまま乗っかっているのが悪いと言いたいだけです。テレビというコンテンツを扱う立場にあるのですから、自分の目と耳で天然を見つける努力が必要でしょう
 2chやニコニコ動画以外にある天然ボケの例としては、「おバカタレント」と「めちゃイケ」を挙げておきましょう。
 「おバカタレント」は、その名の通りタレントのおバカっぷりを笑うものですが、事前にそのタレントが「おバカ」だと告知するのはまさに先述したハードル上げに当たると考えられるので、奇襲の妙味を捨て去る下策だと言わざるを得ません。こういうのは、もっと水面下でひっそりと準備を進めるものではないでしょうか。まあ、そのようなやり方だと「おバカ」というコンテンツを十分に広告することができなくなりますが、内容さえ伴っていればきちんと口コミ等で広がっていくと思います。
 めちゃイケも、天然ボケあるいは天然ボケ風のボケを笑う文化がある番組です。代表的な企画である「テスト」や「歌へた」、また超能力をやると言っておきながら失敗ばかりで、天然の発言ばかりに目が行くエスパー伊藤さん(エスパーさんに関しては、本人もわざとやっている可能性があるため、あくまで「天然ボケ風のボケ」です)、暴走キャラを売りにしておきながら実際にはあまり暴走することができず、番組内で嘲笑われてばかりのエガちゃんなど、例には事欠きません。 めちゃイケについては、もう一つ付け加えて述べたいことがあります。
 よくお笑いでは、「わざとはマジに勝てない」ということが言われます。人工ボケでわざとすっころんだり、言い間違えたりした場合よりも、天然ボケでマジにすっ転んだり言い間違えたりした方が、より笑いを喚起しやすいということです。
 これも、筆者の理論体系から説明ができます。天然ボケは、突発的に飛び出すものであるため、受け手は、ボケがくることを予測していません。他方人工ボケの場合は、ボケがくることがある程度予測できるため、受け手が身構えます。基準状態がせりあがるのです。
 また、作出されるズレも、天然ボケは、意図せずに作ったものである以上、受け手の予想を裏切るものであることが多いということも指摘できるでしょう。

 だからまあ、昨今のテレビでも天然キャラが幅を利かせていますが、ひとつ言えるのは、天然にも間違い方にパターンがあり、ずっとおなじ人を見ていると飽きるということです。めちゃイケではテスト企画の濱口さん・重盛さんや、エスパー伊藤さんはパターンが見えてしまったため、筆者は飽きています。ガキのジミーちゃんにも筆者は正直食傷気味ですし、新おにぃはいとも簡単にメッキが剝がれてしまいました。天然を扱う限り、飽きられる前に次のおもしろい人を探すという作業が永続的に必要になっていきます。

鉄則とピン芸について

 ここからついでに導き出される鉄則として、「自分のボケに自分でツッコんでもおもしろくない」というものがあります。これをやると、鉄板でスベります。まあ、スベったことがスベリ芸としておもしろいという場合はありますが、それは別の話です。
 自分のボケに自分でツッこんでしまうと、「さっきのボケがボケだと自分でも分かっていた」ということになり、「ということはさっきのボケはボケだと分かったうえでわざとやっていたのだ」ということになって、ズレでもなんでもなくなるからです。客は、こういうところは敏感に察知します。

 この鉄則があるために、ピン芸においては、自分がボケ役をやる場合、ツッコミという手段が使えません。
 ツッコミが使えない以上、ボケを分かってもらうためには、ボケ自体を分かりやすくするか、フリだけでなんとかするかのどちらかで対処する必要があります。2014年のR-1で見せたマツモトクラブさんのネタのように、機械にツッコミをやらせるという方法もあるにはあります。ただこの方法ではツッコミを事前に機会に吹き込んでおくがあるため、どうしても予定調和の世界になってしまいます。アドリブで暴れるということが、できなくなるのです。
 他方で自分でボケるのではなく、世の中に溢れるボケにツッコミを入れていくという方法もあります。これはモノマネだとかあるあるネタだとかいった世界であります。いずれにせよ、この方法ではボケ役のボケを客に想起してもらう必要があります。別の演者に生でボケをやってもらう場合より、分かりやすさや訴求力やインパクトが落ちるのは自明の理でありましょう。「こんな変なおっさんがいた」というのをただ語るだけの場合よりも、実際にそのオッサンを画面上に出してツッコミを入れた方が絶対に分かりやすくて、インパクトもあって、おもしろいはずです。この点は、エピソードトークにも共通する弱点です。

 結局ピン芸の世界では、アキラ100%さん・とにかく明るい安村さんの裸芸のような、分かりやすい下ネタが台頭してしまいます。それが悪いと言いたいわけではありませんし、下ネタが悪いと言いたいわけでもありません。ピン芸というのはどうしても2人や3人でやる芸より制約が多いので、おもしろいことがやりにくいし、おもしろい手法も限られてくる(その一つが、上記のような分かりやすい下ネタ)ということが言いたいのです。

 だからピン芸というのは、多人数で作る笑いより全体的におもしろくないということであります。それならば、そんな「ピン芸」という手法にわざわざ固執する必要はないのではないか、というのが最近筆者が思っていることです。
 プロの芸人であれば、自分で相応しい相方を見つけ、その相方に自分のやりたいことを教え込み、しっかりとネタ合わせをするのもプロとしての仕事でしょう。筆者に言われるのも癪でしょうが、一人で芸人をやっている人の中には、これらの手間を惜しんでいるだけの人も相当数いるのではないでしょうか。
 自分がやりたいネタは、本当に一人でやった方がおもしろいのでしょうか。二人や三人でやった方がおもしろくないでしょうか。自分に言い訳をして相方探しやネタ合わせをサボっているだけではないでしょうか。こういうことは、常に自問自答した方がいいと思います。別に、恒久的な相方を見つけるのが絶対ではありません。ネタごとに適切な共演者を探してその都度ユニットを組むというのも手です。

天然ボケを装うという演出(ドキュメンタリーコント)

 そして天然ボケの優位性を実際に笑いに何とか応用できないかと考えたのがめちゃイケであり、片岡飛鳥氏であります(と父が言っていました)。
 同じコントをやるにしても、(「ごっつ」や「笑う犬」のように)「コントをやる」という触れ込みでコントをやると、視聴者は、眼前に繰り広げられる光景が台本に基づいて作られた人工ボケであるということが分かってしまいます。「受け手が身構えて基準状態がせりあがる」という人工ボケの弊害がまさに生じるのです。
 そこで、めちゃイケではコントと触れ込まずにコントをやるという手法を編み出しました。代表的なのは中居くんとナイナイが絡むやつですが、バラエティの何らかの企画をやるという体で、中居くんがひたすらひどい目に遭うというコントを作り上げたのです。これは、当然コントという触れ込みでやることもできます。「スタッフも出演者もボケボケでタレントがひたすらひどい目に遭い続ける」というコントです。このコントでは、ボケの主役はポカをしまくるスタッフや出演者になるため、ウッチャンや志村けんであれば、自分がこの「ポカを連発するAD」とかを主役として演じることになるでしょう。ところがこのようにやると、前述の通り受け手の基準状態がせり上がるため、めちゃイケはそういう触れ込みをやめたのです。そうすれば、視聴者は、あくまで体に過ぎない企画に従って何らかのおもしろいことが行われると予期するのに、予想に反して中居くんがひどい目に遭うというズレを摂取することになるため、笑いが生じやすくなるのです。
 ただまあ、このパターンはめちゃイケで多用しすぎているので、最近はさすがに視聴者も気付きはじめたという問題はあります。
 また、「マジな企画であると思わせておいて実際にはその企画がうまくいかないという予定調和が台本に基づいて行われる」というのは、やらせに他なりません。ガチンコなんぞは(笑いではありませんが)、まさにそのパターンです。実際にそれで不快な思いをする視聴者がいたとすれば(中居くんがマジにひどい目に遭っていると思って心配していたとか、中居くんがマジにひどい目に遭っていると思っていたからこそ笑っていたのに、実は台本通りだと知ってウンザリしたとか)、それはその視聴者の笑いは呼び起こすことができなかったということで、反省すべき点であります。とはいえ、めちゃイケに関しては、前述の通りこの「企画風のコント」というパターンを多用しすぎているため、視聴者も予定調和だと薄々感づいたうえで楽しんでいるという面はありますが。
 なお、もう一つ別のことを言います。天然ボケについては、ボケがズレを作り出すことを意図していない以上、このズレを笑われることが事前的に許容されているということはあり得ず、事後的にも許容されない場合が結構あります。ゆえに、これを笑うと、笑われた側が嫌がる可能性がある程度高くなってくるため、注意が必要です。

天然ボケを装うために

 前述の通り、ドキュメンタリーコントは天然ボケを装って人工ボケをやるという一つの手法です。そして天然ボケの方がおもしろい以上、人工ボケをやる局面においてはどんな場合でも天然ボケを装うのがひとつ大事になってきます。
 まず、ボケるなら真顔でボケないといけません。笑いながらボケるのは基本的には御法度です(当然、例外はありますが)。真顔でボケれば、マジでボケている人を装うことができるからです。
 そしてただボケるのではなく、ボケの理由も考えておかないといけません。「何で旅行に行くのか?」という質問に「カンプドレア星」とボケて答えた場合、絶対にツッコミ役の相方やMCから理由を聞かれます。「なんでやねん」と言われます。この時、天然でマジに「カンプドレア星」と言っている人は、真面目に考えてそうなったのだから、絶対に理由があります。ボケを考えただけの段階では、単純に「そう答えた方がおもしろいと思ったから」という理由しかあり得ませんが、そのように答えてしまうと途端に「この人は人工ボケを考えていただけなのだな」というのがバレてしまいます。この「理由」を考えておくことが重要なのです。理由を聞かれた時にまたボケられれば最高ですが、それは難しい場合も多いと思うので、せめて何か理不尽な理由をこじつけましょう。「カンプドレア星」と答えて「なんでやねん」と返されたら、例えば「私の守護星なんです」とか「母が命を奪われたんです」とか「私の星座がオリオン座で、ベテルギウスのすぐ隣にある星なので親近感がある」とか言ってみましょう。
 そうすれば「変なことを言っている変な人」というボケキャラを演じられます。「変な人」というのはとりもなおさず天然ボケの人であるため、要はこれを演じ切るのがボケにおいては重要なのです。演じ続けられれば発言全てがボケになるので、ツッコまれ続けることができます。
 このボケとツッコミの応酬こそ、笑いで大事な「喧嘩」です。プロレスとも言います。「カンプドレア星」とボケてきた相手に「なんでやねん」と詰め寄り、それに対してまたキレ気味に理由を言ってやるというのが喧嘩です。この喧嘩は、事前にパターンを考えて引出をいくつもいくつも用意しておくのも重要ですが、全部が全部自分が事前にシミュレーションしていた通りにいくわけではないので、瞬発力も重要です。こうやってツッコんでくる相手に用意した引出と鍛えた瞬発力で食い下がるのが、変な人を演じるという作業です。そういう意味で、バラエティに出ている人たちも骨の髄まで演者なのです。

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