天然ボケとは、作り手がそのズレを作出することを意図しているわけではないのにもかかわらず、結果的にズレが作出されてしまっているようなボケのことです。これとは逆に、作り手が故意に意図して作ったズレを、人工ボケと呼ぶことにしましょう。
天然ボケをこのように定義すると、日常的な用語法としての「天然ボケ」とは言い難いような事例も天然ボケに含まれてきます。日常的な「天然ボケ」とは、勘違い・言い間違いなどを指すのが通例でしょうが、本書の定義による「天然ボケ」はこれらに限られません。作り手は真面目にやってるつもりだけど下手糞なミュージカルとか、面白いゲームを作ろうとしたけど時間が足りなくてバグだらけのクソゲーになってしまったとかも天然ボケに含まれます。作り手が、ズレを作り出して、受け手を笑わせるためにこのようなものを作り上げたわけではないからです。空耳も、天然ボケです。英語やスペイン語の歌や台詞が日本語に聞こえておもしろいという場合、その歌や台詞の作り手は確実に日本人に向けてズレを作り出すことを意図してはいません。無名なのにタレント気取りでふざけているYoutuberを嘲笑うのも、天然ボケを楽しむ一つの例です。
ここまでで挙げた例はいずれも作り手がズレを作り出すことを全く意図していないものだといえますが、作り手が意図せずに作出されてしまった全てのボケが天然ボケなので、作り手自身は別のボケを意図して作出しているという場合もあります。すべり芸はその例です。本人は「普通のボケ」というズレを作出しているつもりでも、実際には「すべっている」というボケが作出されるのです。
「空耳」「クソゲー」「下手糞なミュージカル」「Youtuber」という例からピンときた人はピンときたでしょうが、2chやニコニコ動画をはじめとするインターネットのコミュニティは、この天然ボケを笑う文化が非常に発達しています。作り手が笑わせるつもりで作っていない物を見つけてきて、笑うという文化です。
この天然ボケを楽しむ際に大事になるのが、ツッコミです。天然ボケは、作り手がズレを作出していることを意図しているわけではないため、受け手もズレを見つけ出すことについてアンテナを張っていない場合が多く、ともすれば見過ごされてしまいます。そこで、ツッコミを入れることで受け手にズレの存在を気付かせるということが肝要になってくるのです。ニコニコ動画のコメント機能などは、天然ボケに対してリアルタイムでツッコミを入れることを可能にするものであって、天然ボケを笑う文化に実にマッチしたものであったといえるでしょう。ツッコミ以外の方法として、「このミュージカルがヤバイ」「○○という歌の空耳がおもしろい」などと事前に告知して、受け手にズレへのアンテナを張らせておくというものもありますが、これはまさに基準状態をせり上げるマイナスのフリであるため、よほどおもしろいものでない限りこの方法はとらないのが無難です。ニコニコ動画における動画のタイトルや、2chのスレタイでも「おもしろい」というようなハードルの上がる形容詞を正面から使っているものは少ないのではないでしょうか。
もう一つ大事なのが、数を集めるということです。天然ボケは、あくまで偶発的に生じるものである以上、一つ一つは単発的で短く、数を集めないと一定の尺を埋められません。地方のおもしろ看板や新聞雑誌のおもしろ誤植を集めた「VOW」という本は、単発的な天然ボケをたくさん集めて一冊の本にしたものです。現在はスマートフォンなどの普及により誰でも見つけた天然ボケをその場で保存・発信できるようになっているため、ネットの世界に数が集まるようになってきました。そういう意味でも、インターネットという媒体と天然ボケとの相性はいいのです。
このように天然ボケは、受け手が「ズレが作り出される」と意識していない、すなわち基準状態が低い状態で不意に繰り出されるものであるため、「これから人工ボケが行われる」と受け手が身構えている場合よりも、簡単に笑いをとることができるということです。この「奇襲」が天然ボケの妙味であります。受け手が身構えていないためにボケの存在に気が付きにくいという問題はありますが、それは前述の通りツッコミで対処できます。
だから、天然ボケは人工ボケより絶対的におもしろいのです。今はテレビの人工ボケが、インターネット上に集められた天然ボケに相当押されています。テレビの世界では、インターネットに集められた天然ボケをそのままなぞって転載したような番組や企画も散見されますが、嘆かわしいことだと思います。別に天然を扱うことが悪いと言いたいわけではなく、インターネットの見つけたものにそのまま乗っかっているのが悪いと言いたいだけです。テレビというコンテンツを扱う立場にあるのですから、自分の目と耳で天然を見つける努力が必要でしょう
2chやニコニコ動画以外にある天然ボケの例としては、「おバカタレント」と「めちゃイケ」を挙げておきましょう。
「おバカタレント」は、その名の通りタレントのおバカっぷりを笑うものですが、事前にそのタレントが「おバカ」だと告知するのはまさに先述したハードル上げに当たると考えられるので、奇襲の妙味を捨て去る下策だと言わざるを得ません。こういうのは、もっと水面下でひっそりと準備を進めるものではないでしょうか。まあ、そのようなやり方だと「おバカ」というコンテンツを十分に広告することができなくなりますが、内容さえ伴っていればきちんと口コミ等で広がっていくと思います。
めちゃイケも、天然ボケあるいは天然ボケ風のボケを笑う文化がある番組です。代表的な企画である「テスト」や「歌へた」、また超能力をやると言っておきながら失敗ばかりで、天然の発言ばかりに目が行くエスパー伊藤さん(エスパーさんに関しては、本人もわざとやっている可能性があるため、あくまで「天然ボケ風のボケ」です)、暴走キャラを売りにしておきながら実際にはあまり暴走することができず、番組内で嘲笑われてばかりのエガちゃんなど、例には事欠きません。 めちゃイケについては、もう一つ付け加えて述べたいことがあります。
よくお笑いでは、「わざとはマジに勝てない」ということが言われます。人工ボケでわざとすっころんだり、言い間違えたりした場合よりも、天然ボケでマジにすっ転んだり言い間違えたりした方が、より笑いを喚起しやすいということです。
これも、筆者の理論体系から説明ができます。天然ボケは、突発的に飛び出すものであるため、受け手は、ボケがくることを予測していません。他方人工ボケの場合は、ボケがくることがある程度予測できるため、受け手が身構えます。基準状態がせりあがるのです。
また、作出されるズレも、天然ボケは、意図せずに作ったものである以上、受け手の予想を裏切るものであることが多いということも指摘できるでしょう。
だからまあ、昨今のテレビでも天然キャラが幅を利かせていますが、ひとつ言えるのは、天然にも間違い方にパターンがあり、ずっとおなじ人を見ていると飽きるということです。めちゃイケではテスト企画の濱口さん・重盛さんや、エスパー伊藤さんはパターンが見えてしまったため、筆者は飽きています。ガキのジミーちゃんにも筆者は正直食傷気味ですし、新おにぃはいとも簡単にメッキが剝がれてしまいました。天然を扱う限り、飽きられる前に次のおもしろい人を探すという作業が永続的に必要になっていきます。