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可愛げのある子どもの辛さ

可愛げのある子どもは、好きですか?
可愛げのない子どもよりは好き(笑)?

これは私自身の経験でもあるんですが、小さいことから親や親戚にたくさん食べるようにしむけられてきました。今になってわかることなんですが。
子ども心に、そういう好意を断っちゃダメ、と思ってました。
なぜなら、それは親戚のおじさんやおばさんの愛情なんです。親の子を思う気持ちなんです。

子どもはたくさん食べておおきくなれよ。
子どもなんだから遠慮するな。どんどん食べろ。
あの人の料理は食べて私の作った料理は食べてくれないのね(という無言のメッセージ)。

有言無言のプレッシャー、一方的に押しつけられる「愛情」。そして、良い子、可愛げのある子どもの自覚が、子ども自身にもあるからこその受け入れ。

「それは子どもらしくないよ」「可愛げのある子どもだね」という大人のイメージに、なんとか応えようとしてしまう良い子。
親の悲しそうな顔を見たくはない、そうさせた自分に罪悪感を覚える、と無理やりに親の愛に応えようとする可愛げのある子。

はっきりとは自覚できなくても、子どもは息詰まるような苦しさを覚えていたりします。
それが、将来の肥満や拒食に結びついたり、「今まで親の愛に応えてきたじゃないか。これからは俺の言うことを聞け」という子どもを生み出すきっかけにならないとも限りません。

今、私も子育てをしながら、大人の「良い子」であれ、という見方が子どもを歪めてしまう可能性もあるのだなあ、と思ったりしています。

結局は、大人から見た「こうあるべきという大人のための子ども像」と「自然なままのあるがままの子ども像」とが食い違ってるような気がします。

子どもに愛情を注ごうとは思いますが、そこに「べき」を持ち込むと子どもは苦しいみたいですね。

一体、子どもに求められるべき「あるべき子ども像」ってなんなんでしょうか?
2006年09月08日(金) 17:06:01 Modified by mamasanganbare




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