世界は真っ暗だった。

あの日から、私の中で光は消えた。

だけど

あなたに逢ってから、一筋の光が見えた気がした。



雨が降っていた。
冷たい雨が絵里の心を蝕んでいった。

ただ寒いと絵里は思った。


どうしてこんなことになったのか、絵里は考えた。
考えたところでどうしようもないのだけれど、考える以外、彼女にすべきことはなかった。

どうして?と問われて最初に思い出せる記憶は、両親の事故死だと思う。
絵里を育ててくれた両親は、1年前に事故で死んだ。
それは世間的にはよくある自動車事故だったのだが、絵里にとっては大きな事故だった。
両親は即死したものの、絵里は奇蹟的に右腕の骨折だけで済んだ。

医者が異変に気づいたのは、絵里が目覚めたときだった。

絵里の瞳は、光を感じられなくなっていた。
視神経に異常はなく、網膜剥離の疑いもなかったため、医者たちは頭を抱えた。
両親の死を目の前で見たというショックが、彼女の瞳から光を奪ったのだろうと推測されたが、それ以上の対処法はなかった。

絵里は退院後、叔父の家族に引き取られた。
目が見えない以上、絵里の生活には負担がかかり、それをサポートする必要が彼らにはあった。
だが、叔父一家はその義務を遂行しようとはしなかった。

失明した場合、盲学校に通い、鍼灸などの資格を取って働くことが一般的とされている。
しかし、彼らは学校への入学手続きも行わなかっため、絵里はどうすることもできなかった。

先天的な失明者に比べ、中途失明者は圧倒的に不利だと言われる。
いままで日常的に存在した光を失った絶望ははかり知れず、恐怖心との闘いが始まる。
その恐怖に耐えながらも、闇の中で生きていく決意が必要になる。

その勇気や決意を絵里は持っていなかった。
家族を失った絶望が絵里を支配し、絵里は自分の中に閉じこもるようになった。

どんどん暗くなっていく絵里を見て、彼らはいっそう絵里を疎ましく感じた。


そんなある日、叔父と絵里が家にふたりっきりになる機会があった。
絵里は自分にあてがわれた部屋でなにをするでもなく、ぼんやりとベッドに横になっていた。
そのとき、部屋の扉がノックされ、絵里が体を起こして返事をすると叔父が入ってきた。

「絵里ちゃん、具合はどう?」

猫撫で声が部屋に響き、絵里は鳥肌が立った。
いままでほとんど無関心だった叔父が急に話しかけてきたことに驚きながらも、絵里は曖昧に返事をした。
叔父が「そう」と言うと、彼はベッドに腰掛けた。
絵里は目が見えないが、彼との距離がいつもよりも近いことは感じていた。

「絵里ちゃん、可愛いね。学校でモテたでしょう?」

再び鳥肌が立つ。イヤな予感しかしないが、絵里にはどうすることもできない。

「そんなことは、ありませんよ」
「そうかな。勿体ないね、こんなに可愛いのに」

そう叔父が言うと、彼の手が頬に触れた。
絵里はビクッと体を震わせたがもう遅かった。
そのまま絵里は両手首を掴まれ、叔父に押し倒された。

「いやっ、離してください!」

絵里は必死に抵抗するが、大の男に力で敵うわけがなかった。

「…だれが養ってると思ってるの?」

先ほどまでとは打って変わった低い声が絵里の耳に入った。
絵里は直感的に、逆らってはいけないと思った。
絵里ももう子どもではない。この状況でなにをされるかなどは火を見るより明らかだった。

抵抗すればこの家を追い出されることは間違いなかった。
目の見えない自分が外の世界で生きていけないことも分かっていた。

叔父に犯されるという絶望に支配されながらも、絵里は抵抗をやめた。
そんな彼女に叔父は気を良くしたのか、再び甘い声で絵里の名を呼んだ。
絵里はアッサリとジーパンとショーツを脱がされた。

「大丈夫。優しくするから」

そんな声が聞こえた直後、絵里の下腹部に激痛が走り、絵里は声を上げた。
絵里は両腕で顔を覆い、唇をかみしめ、恥辱に耐え続けた。

事が済んだあと、叔父は優しく囁いた。

「明日もまたしようね」

絵里はどうすることもできず、叔父が部屋を出て行った後、泣くしかなかった。
このまま此処に居ては、確実に犯される日々が続いてしまうと確信した。
絵里は激痛に耐えながらも、シーツをかぶった。


その日の夜中、絵里はサングラスをかけ、息を殺し、壁を伝いながら家を飛び出した。
顔も名前も知らない男に犯され続けるより、外で死んだ方がよっぽどマシだと絵里は思った。
『火事場の馬鹿力』と言う言葉があるが、絵里を突き動かしたのはまさにそれだった。
光のない暗闇の中、絵里は必死に歩き続けた。
雨に打たれたこの姿は、不審者にしか見えないだろうが、目の見えない絵里にとって、人目などはもう気にならなかった。

絵里はがむしゃらに歩き、いつの間にか小さなベンチのある場所へ来ていた。
此処は町はずれの小さなバス停であるのだが、絵里にとっては、そんなことは知る由もない。

これからどうするか、絵里は考えた。
まず濡れた体を乾かさないと風邪をひいてしまうが、行くあてもなければ金もない。

絵里の両親が残した保険金は、『養育費』と言う名の下、アッサリと叔父たちの手に渡り、絵里の手には一銭も入ってこなかった。
その養育費が絵里のために使われたことが一度もないが、絵里はなにも言えなかった。
だが今さらになって、もっと強く抗議しておけばよかったと悔やんだ。
いま、絵里がかけているサングラスだけが、叔父たちが絵里に与えたものだった。

雨足が強くなってきた。風も吹き、絵里の体から体温が失われていく。
それ以上に、絵里は空腹を感じた。
考えてみれば、叔父に犯されてから家を飛び出すまでの半日の間、絵里はなにも口にしていなかった。

―絵里、このまま死んじゃうのかな…

寒さと空腹が絵里にそんな考えをよぎらせた。
叔父とともにいるくらいなら死んだ方が良いと考えて家を飛び出した。
しかし、いざ目前に『死』がちらつくと、絵里は怖くなった。

やっぱり死にたくない。
そう心では思うものの、体が動いてくれない。

絵里の頬に涙が伝う。
雨なのか涙なのか選別がつかないほど、頬は濡れていた。

そのときだった。
不意に雨がやんだ気がした。

「……あの、大丈夫ですか?」

雨の代わりに、頭の上から声が降ってきた。
絵里は目が見えないと分かりつつも条件反射で顔を上げる。
それは優しい声だった。何処の誰かなど分からないが、声から判断するに女性のようだ。

「風邪…引きますよ」

彼女はハンカチを取りだして絵里に差し出した。
だが、当然ながら絵里はそれを取ることができない。

「あの…使いませんか?」

そう言われたが、絵里にはその言葉の意味さえも分からなかった。
彼女はそんな絵里の態度と夜のサングラスにもしやと思ったのか、「目が、悪いんですか?」と聞いた。
絵里が素直に頷くと、彼女はハンカチで絵里の濡れた頬を拭いていく。
叔父に触られたとき絵里は激しい拒絶反応を見せたが、このときは全くそんなことはなかった。
絵里はされるがまま体を拭かれていく。

「家族が、心配しますよ」

一通り体を拭き終わったところで彼女が言った。
そりゃこんな夜中に目の見えない女の子が傘もささずに歩いていたら不審すぎる。
家出という選択肢は必然的に導かれるだろうし、そうなった場合、家族が心配するという回答も当然と言えた。

だが、絵里には家族などいない。あんな家には、もう戻りたくない。
だから絵里は正直に答えた。

「…家族なんていませんから」

「帰る場所も、ないの」

そう言ったところでまた涙が溢れそうになった。
家族も失い、行くあても、お金もなく、このまま寂しく独りでいることが怖かった。
絵里は自分を守るように腕を掴んだ。

「……じゃあ、うちにに来ますか?」

絵里はその言葉に「え?」と返した。

「このままやと風邪引きますし、とりあえず、ね」

そう言って彼女は「ニシシ」と笑った。
笑った顔なんて絵里には見えないが、なんとなく笑ったような気がした。

彼女はそのまま絵里の肩と膝の裏に腕を滑り込ませた。
「え?」と思った瞬間にはもう遅く、絵里は彼女の腕に抱かれていた。
いわゆる『お姫様だっこ』の状態であった。

「あのっ、大丈夫、ですから」
「風邪引きそうな女の子、放ってはおけんと」

そうして彼女はゆっくりと歩き出した。
顔も知らない、名前も知らない女の子に抱かれ怖くないはずがない。
このまま変な場所へ連れて行かれるかもしれないという恐怖は拭えない。

「田中れいなです。よろしくっちゃ」
「…亀井、絵里です」

突然してきた自己紹介に戸惑いながらも、絵里は名を名乗った。
するとれいなは、「絵里かー。可愛い名前やね」と言って、絵里の名前を連呼した。
自分の名を呼ばれる事が妙に心地よくて、絵里は不意に笑みが零れた。

誰かに縋りたかっただけなのかもしれない。
急に不幸を背負わされ、絶望の淵に立たされた自分を助けてほしかったのかもしれない。

ただ絵里は、この温もりを信じたかった。
なにも聞かずに絵里を抱きしめた、彼女―田中れいなのことを信じたかった。


絵里がれいなの家に着いたとき、雨はすっかり上がっていた。



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