れいなは頭を悩ませ、ひとり唸っていた。
眉間にしわを寄せ、壁にもたれかかって考え込むその姿はヤンキーそのもので、
同僚のスタッフも遠慮してれいなに話しかけようとはしなかった。
たったひとり、さゆみだけは彼女に臆することなくひょいと横に立ち、れいなを下から覗き込んだ。

「悩みー?」

れいなはその質問に答えようとはせず、唸り声を上げながら首の後ろをかく。
これは機嫌悪いなあと思いながら、さゆみは窓から外をのぞき、「あ、絵里だぁ」と呟いた。
瞬間、れいなはバッと顔を上げ、さゆみの視線の先を追うが、そこには果たしてだれもおらず、じろっとさゆみを睨んだ。

「怒んないのー。れいながそうやってると、全体の雰囲気が悪くなるんだから」

さゆみの発言はもっともなものだった。
いま自分がこうして悩んでいるのは個人的なことであるし、そのせいで周囲に迷惑をかけていることも自覚していた。
だが、そうはいっても、どうしても思考を止めたくなかった。れいなは「ふう」と息を吐いて言葉を発した。

「さゆはさぁ」
「うん?」
「誕生日なにもらったら嬉しい?」

れいなの質問に、さゆみは思わず「はぁ?」と返した。
そんな声出さなくても良いじゃないかと言わんばかりの視線を向けるが、さゆみはそんなことに構わずに「なんで?」と聞いてくる。

「さゆみの誕生日7月なんですけど」
「知っとぉわ。そうやなくて、プレゼントの話」
「言ったら来年くれるの?」

なんだか話がかみ合わないなあと思いながらも、れいなは黙っていた。
さゆみは「んー」と考えながらスタジオの天井を見る。照明器具のぶら下がった天井は実にいかついと思う。

「まあ普通はアクセサリーとかだけど、お花とかもらっても嬉しいよね。あとはグラスとかもオシャレだし」

さゆみの答えにれいなは「んむぅ…」と難しい声を上げる。
いったい何処から出てきたんだその声はと聞きたくなったが、さゆみは苦笑しただけにしておいた。

「だれが誕生日なの?スタッフさん?」

さゆみの至極まっとうな質問にれいなは、消えそうな声で「……絵里」と呟いた。
その返答にさゆみは「え?」とこちらに目を向ける。れいなの瞳は天上にある照明を映していて、さゆみとその視線が交差することはない。
もしかしたらその瞳は、その先にある、広がった青空を映したいのかもしれないとさゆみは思う。
ああ、もう、この人は何処までも自分に正直だけど、そのことをいつまでも自覚していないんだなとさゆみは溜め息をついた。

「そういうの、物じゃなくて想いだからね、結局は」
「貰ったらなんでも嬉しい、ってやつ?」
「微妙に違うの。ちゃんと想いが込められていたらって話」

さゆみはそれだけ言うとさっと立ち上がり、「絵里におめでとうって真っ直ぐに伝えればいいの」と微笑んだ。
その笑顔は、何処までも透明だったから、れいなは思わずドキッとした。
ああ、カメラ構えていればよかったと痛恨のミスを悔やんだ。



「絵里ぃ」
「あ、れーなぁ」

仕事を終えたれいなは朝陽盲学校の絵里の部屋を訪問した。
絵里はイヤホンを入れて音楽を聴いていたが、れいなの存在を感じ取ると、イヤホンを外し、れいなに両手を伸ばす。

「なん聴いてたと?」
「んー、お父さんの好きだった洋楽。絵里は英語分かんないけどね」

その言葉にれいなはなにも言えなくなり、ただひと言「そっか」と呟き、絵里の頭を撫でた。
自分がこんなに不甲斐ないと思ったことはない。
絵里と出逢ってからというもの、自分の無力さを痛感する。
なにもしてやれない、なにもあげられない自分が嫌いになりそうだった。
れいなは弱い自分を奮い立たせるように頭を振り、絵里の頬へと手を滑らせた。
急に触れられて絵里は一瞬ピクッと反応するが、決して抵抗はしない。

「絵里…」
「うん?」

れいなはそっと絵里の耳元に唇を近付け、「誕生日、おめでとう」と囁いた。
絵里はその吐息に胸が一瞬高鳴るが、今日が12月23日だと知らなかったのか、寂しそうに「…今日だったんだ」と呟く。

「この間はれなが祝ってもらったけん、今日は絵里を祝いたいっちゃん」

そうれいなは話すが、絵里はなにも言わない。
光りを失ってから曜日や日にちがあまり分からなくなってしまった絵里は、自分の誕生日を知ることができなかった。
おめでとうと言ってもらって初めて23日だと理解し、そこで唐突に目が見えない事実を再認識した。
それは仕方のないこととは分かっていても、その事実だけで絵里の心は暗くなってしまう。

「…ちょっと、れなと歩こ」

そう言うとれいなは絵里の手をそっと握った。
不意にやって来た温もりに、絵里はドキッとするが、れいなに促されるままに立ち上がり、ゆっくりと部屋を後にする。
れいなの介助もあり、壁伝いに絵里は寮内を歩いていく。
そのままふたりはエレベーターに乗り、れいなは階数ボタンのRを押す。

「どこ、行くの?」
「ん、そのうち分かるっちゃん」

れいなが笑っているのがなんとなく分かり、不思議に思いながらも絵里はれいなとともに歩く。
ふたりを乗せた箱は目的地へ到達し、れいなに促され、絵里は一歩踏み出した。


ふたりは盲学校の屋上へ来ていた。

「着いたっちゃん」

扉を開けて、れいなはそう言った。
目の前には、いままさに沈まんとする太陽があった。
オレンジ色の光りが世界を綺麗に染めるその様は圧巻であったが、当然ながら絵里には分からない。

「絵里、いま、屋上におると」
「屋上…?」
「そ。ちょうどいま、日が沈む所っちゃん」

れいなにそう言われても、絵里はそれを理解できない。
ただ「そっか」としか言えないのだが、その前にれいなは言葉を繋ぐ。

「風が吹いとぉな」

れいなの声は何処までも透き通っていた。絵里は「え?」と聞くが、れいなは答えない。
れいながなにをしているのか、分からない。どうして此処に来たのかも分からない。
ふたりはただ黙って屋上に立っている。
そのとき、一陣の風が吹いた。冷たい冬の風はれいなと絵里の間を通り過ぎていく。
だが、それが素直に、心地良かった。

「あ……」

絵里はその瞬間、感じた―――
夕陽を見ることは叶わなかったが、ふいに吹き抜けた風の色を、感じた。
絵里がなにかを言おうとしたときに、れいなは「れなには」と声を出す。

「…れなには、見えない絵里の世界っていうのは分からん……でも、でもさ、絵里」

れいなは目を閉じて両手を広げる。
冷たい空気を肺に入れると、ピリッと針が刺さったような痛みが広がった。

「感じてほしいっちゃん。この世界を」

残酷なことを言っているのかもしれないと分かっていたが、それでもれいなは、その言葉を紡いだ。
夕陽は世界をオレンジ色に染め、真っ暗な夜を連れてくる。
それでも、それでも必ず朝は来る。光りに満ちた綺麗な朝を連れてくる。
だから絵里も、なんて安直なことは言わないけれど。

絵里の生きている世界。
光りのない世界は真っ暗で怖くて歩けないかもしれないけれど、
確かに風は真っ直ぐに吹いていて、森は静かに囁いていて、れいなは必ず此処に居る。
絵里がその世界を否定したとしても、世界は絵里を否定しない。
れいなは絵里を否定しない。

「……生まれてきてくれて、ありがとう」

涙で震えたその言葉は、風にふわりと舞ってオレンジ色の街へと走っていった。
絵里は、その言葉の奥にあった、れいなの心の声を聞いた気がした。
光りのある世界で生きているれいなが、光りのない世界で生きている絵里に向けて渡した言葉。
見えないことを否定しない、ただ感じてほしいという純粋な願い。
生きていくことを、生まれてきたことを、そこにあるたったひとつの“いのち”を、どうか否定しないでという想い。

「れーな……」

掬いあげた想いは、絵里の心の湖にぽんと投げ込まれ、静かな波紋となって広がっていく。
同心円上に浸透していくその想いは、確かな温もりを伴い、すべてを包み込もうとしていた。

「……ありがとう…」

絵里はそう言うと、れいなの胸にそっと寄りかかった。
れいなは抵抗することなく絵里を受け入れ、ゆっくりと両腕を腰に回し、抱きしめた。
絵里の鼓動を感じた。絵里の涙を見た。そして、絵里の精一杯の笑顔を見た。

「……生きてくよ、れーな」

光りのない闇だけの世界は絶望だ。
恐怖と孤独の支配する世界は終末だ。
生きていくことも、生まれてきた意味も、此処にあるいのちすらも否定しまうほどの力を持っている。

だけど、それでも生きていたいと思った。
この世界で、見えなくても、感じることのできるこの世界で、れいなの鼓動が聞こえるこの世界で、絵里は生きたいと思った。
れいなに絵里の孤独は分からない。だけど、絵里の孤独には寄り添えるはずだから。

「絵里……」
「うん?」
「……おめでとう」

何処までも透明で綺麗な雫は、頬を濡らし、地面へとぽたりと落ちた。
夕陽が沈み、世界は夜を連れてきた。ふたりはそうして、抱き合っていた。


ノノ*´ー`) <れーな…

从*´ ヮ`) <うん?

ノノ*´ー`) <今度は海、行きたい…かも

从*´ ヮ`) <行くっちゃよ、絶対



Happy Birthday ERI!

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