さゆみの中から指を引き抜くと、充分すぎる愛液がべっとりとついていた。
それを残さぬように丁寧に舐め上げると、さゆみは恥ずかしそうに顔をそらす。

「なんか…エロい……」

そうしてさゆみはぎゅっとれいなに抱きついてきた。
さゆみの真っ白い肌から優しさと温もりが伝わってきて、れいなは堪らなく切なくなり、その両腕で強く抱きしめ返す。
彼女はれいなの耳朶に舌を伸ばし、そのまま甘噛みしてくる。
れいなは全身が震える感覚に襲われ、そのまま力なくベッドに横たわる。
さゆみが上、れいなが下、見上げるれいな、見下ろすさゆみの構図になったらスタートだった。

「いいの?」
「…此処まできて?」

そうれいなが苦笑すると、さゆみは妖しく微笑み、れいなの首筋にキスを落とし、服の中に手を滑り込ませた。
さゆみの手がれいなの小さな胸に触れると、れいなは「んっ」と甘い声を出した。




れいなはハンドルを右に切り、朝陽盲学校を目指した。
今日は珍しく仕事が早めに終わり、予定より1時間も早く盲学校へ着けそうだった。
絵里の嬉しそうに笑う顔が頭に浮かび、れいなも自然と笑顔になった。

だが、不意にれいなは先日、さゆみに言われた言葉を思い出す。

―さゆみのこと、どう想ってる?

れいなは先の信号が赤になったのを認め、ゆっくりとブレーキを踏んで減速していく。
車が完全に止まると、ハンドルから手を離し、窓の外を見つめた。
さゆみのセリフが頭の中から消えない。
どんな意図があったのかも、れいなには分からない。
それなのに、あの言葉は何処かしらの痛みを持ってれいなに迫ってきていた。


さゆみと別れてからもう1年が経つ。
最初こそ、失恋の痛手は大きかったものの、仕事仲間として時間を共有していくうちに、そんなことを考える余裕もなくなった。
喪失感や虚無感はあったが、それでもれいなは仕事と割り切ってさゆみを撮影し、さゆみもそれに応えた。
だからこそ、いまのふたりの関係が構築されているのだ。

その関係に少しの変化をきたすようなさゆみの言葉を投げかけられた。

「なんで…いまさらやっちゃ……」

そのとき信号が青に変わり、れいなはハンドルを持ち直し、ブレーキから足を外した。


付き合おうと言ったのはさゆみで、それに応えたのはれいな。
だが、別れようと言ったのもさゆみだった。
れいなは、別れようというさゆみを引き留めたが、さゆみは聞き入れず、そのまま彼女は心から出て行ってしまった。

あの日、別れようとさゆみが言った日、れいなはなんと言われたんだっけ?と思いだす。

別に喧嘩別れではなかった。
だけど、さゆみは哀しそうな表情のまま、れいなを見つめていた。


―れいな…別れよっか、さゆみたち


急にそんなことを言われて、れいなはどうして?と理由を聞いた。
嫌いになったのか、好きな人が出来たのかと聞くと、さゆみは首を振った。


―だって、れいなは……


そのあとのセリフが思いだせない。
嫌いになったのではない。他に好きな人が出来たわけでもない。
ただ、れいなは……

あのあと、彼女はなんと言った?

思いだせないのは、なぜだろう。

記憶を掘り起こしても、あの日の彼女の表情は分かるのに、その口許の動きが分からない。
そんなに傷つくようなセリフをれいなは吐かれたのか、それとも、そのセリフはさゆみ自身を傷つけたのか?
頭に引っ掛かる感覚はあったが、どうしても答えには辿り着けなかった。
記憶の迷路で迷っていると、いつの間にか盲学校の前を通り過ぎてしまい、れいなは顔をしかめて、学校の周りを1周することとなった。




「絵里ぃー、入るっちゃん」

ノックの後に聞こえてきた絵里の声に続き、れいなは絵里の部屋へと入った。
絵里は相変わらず嬉しそうに両腕をこちらに伸ばして笑い「れーなぁ」と言った。本当に彼女は犬のようだ。

「今日は仕事早く終わったっちゃん。ちょっと長くおれるよ」
「そっかぁ。だから今日のれーなは明るい色なんだね」

“明るい色”というその言葉に、なにかしらの違和感を覚えたものの、れいなは近くの椅子に座って絵里の頭を撫でた。
絵里は良い匂いがする。それがシャンプーの匂いなのかは分からないけれども、この香りを感じるとれいなは自然に笑顔になれた。

「絵里ね、れーなが来るの分かってたんだよ」
「んー?どうして?」
「れーなはね、水色なの」

絵里は笑顔を崩さずにそう言った。
だが、その言葉の真意を測りかねて、れいなは思わず眉を顰め「ん?」と聞き返した。

「れーなは水色なの。それがちょっと黄色っぽくなって入って来たの」

絵里の言葉を噛み砕こうとするが、れいなには不可能だった。
水色?黄色?いったいなんのことだろう?
今日の服は紺のジーパンに白いシャツ、その上からチェックのシャツを羽織っただけのラフな格好だが、何処にも水色や黄色は入っていない。
そもそも彼女は目が見えないはずなのに、なぜ急に色の話をするのだろう。
数々の疑問が浮かぶ中、れいなが絵里になにか聞こうとすると、部屋の扉がノックされ、顔馴染みの職員がれいなに話しかけた。
やれやれ、この人はタイミングが良いのか悪いのか、と、れいなは「ちょっと行くけん」と絵里に声をかけて立ち上がった。

「いってらっしゃ〜い」

そうして笑う絵里は、なんだか本当に、何処にでもいるような歳相応の女の子で、それが無性に愛しかった。



職員と話すときは、基本的に食堂が多い。
今日もれいなは食堂で彼女、新垣里沙と向き合った。
れいなと同い年くらいの彼女は、面倒見が良く、同じ職員の間では「ガキさん」と呼ばれ慕われていた。
確か絵里も、そう呼んでいたはずだった。

「珈琲、奢りますよ」
「え、いや、れなは大丈夫です」
「良いですよ」

そうして里沙はトレーに珈琲をふたつ乗せて運んできた。
そのうちのひとつをれいなは受け取ると、すみませんと頭を下げた。

「今日は仕事早かったんですね」
「ああ、はい。たまたま運が良くて」

珈琲はホットであり、猫舌のれいなはまだ手をつけられず黙ってカップを見つめた。
冷めるのを待つ間、れいなはさっき部屋で気になった絵里のことを聞いてみた。

「あの、絵里のことなんですけど」
「はい。なんですか?」
「あ…えーっと……」

しかし、どう説明すれば良いのだろう?
「色の話をされたんです」なんてストレートに聞いて良いものだろうか…というか、本当にあれはなんなのだろう?
そもそも、それを里沙は知っているのだろうか。なんだか自分の勘違いだったらバカバカしい…
れいながなんと言うか思考を巡らせていると、里沙はカップをテーブルに置き「もしかして、色のことですか?」と訊ねた。
急に心を見透かされたような気がして、れいなが顔を上げると、里沙はやっぱりねというように笑い、カバンの中からノートを取り出した。

「色聴感覚ってご存知ですか?」
「は?」
「色聴感覚です。色を聴く感覚って書くんですけど」

そうして里沙は大学ノートを開くと、そこには、“色聴感覚”と“共感覚”という文字が並んでいた。
れいなは興味深いその文字を追っていく。

「私も前に大学の授業で聞いたことがあったので、ちょっと覚えていたんですけどね」

そうして照れくさそうに里沙はノートをめくる。
そこでひとつの文字を指でなぞった。

「共感覚っていうのは、ある感覚刺激を本来の感覚以外に別の感覚としても知覚できる能力のことなんです。
 文字に色がついて見えたり、触覚を味覚として知覚したりするとかあるんですけど、
 いちばん発生率が高いと言われているのが色聴感覚なんです」

里沙の説明を聞き、ノートの文字を追っていても、れいなはただポカンとするだけだった。
まずい。高卒でろくに勉強もしていなかったために、此処でバカが露呈するとれいなは思ったが、
そんなれいなを見て里沙も察したのか説明を変えた。

「つまりですね、色聴感覚っていうのは、音に色がついて見える感覚のことなんです。
 たとえば、ドの音が赤、レの音が黄色、といった具合に」
「え、そ、それって、絶対音感とは違うんですか?」
「ちょっと違うみたいですけど、往々にして、色聴感覚を持っている人は絶対音感の持ち主だったと言われています」

里沙はそれから噛み砕いてれいなに説明した。
色聴感覚保持者として有名なのは、ロシアの作曲家スクリャービンとコルサコフといわれている。
彼らは音名や調に色がついて見えていた人物であり、自らも共感覚について研究していたようだ。

「で、その色聴感覚とちょっと似たようなものを、カメは持ってるのかもしれないですね」
「……カメ?」

里沙の発したその言葉に引っかかったれいなはなんの意図もなく聞き返した。
すると里沙は慌てて謝り「亀井さんです、すいません」と笑った。
別に怒ったつもりはなかったれいなも慌てて謝る。

「彼女の話によると、人の纏う色を感じるそうです。たとえて言うならオーラのようなものだそうです。
 色聴感覚保持者たちも、音と色を頭で理解するのではなく、なんとなく心で感じていたそうなので、
 そういう意味で近いものはあるのかもしれないですね」

絵里の持つ、特殊な感覚。
それは、里沙の話によると、最近になって発揮されてきたようだ。
目が見えないことにより、残りの感覚、聴覚や触覚が発達したために、そのような感覚を身につけたのかもしれないと里沙は話す。

「まあ、いまのところ問題はないですし、温かく見守っていこうかなとは思っていますよ」

そうして里沙は大学ノートをカバンに仕舞った。
れいなの友人にも絶対音感の持ち主はいたが、なんだかそれ以上に凄い人物もいるものだとれいなは感心した。
純粋になんだか、凄いと思った。
れいなは里沙に奢ってもらった珈琲に手を伸ばすが、すっかり冷えていて苦味が増していた。

「ちなみに…新垣さんは、なんて?」
「色?私は緑が基本って言われたよー。イメージカラーとは微妙に違うみたいですけどね」

里沙は笑いながら珈琲を飲み干した。
れいなが水色、そして今日はそれに黄色、里沙が緑なんて言われても、正直、れいなにはピンとこなかった。
だが、目が見えないことによって、そうした感覚が研ぎ澄まされたのなら、それはそれで良いのかもなとれいなは思った。



絵里の部屋に戻ってから、れいなは絵里にその“色聴感覚”に似た感覚の話を聞いた。
絵里は嬉しそうに、色の話をした。

れいなは基本的に水色で、嬉しいときは黄色、怒っているときは灰色を纏っているらしい。
ガキさんこと里沙は緑色がベースで、さゆみは薄いピンク色だとか。

話を聞きながられいなは絵里の頭を撫でた。
この不思議な力が、今後どこかで使うことがあるにしろないにしろ、視覚の代償として授かったものなら、大事にしていくべきだと思う。
別にこの力を伸ばそうとか、訓練していくべきだとは思わないが、この感覚があるなら、外を歩くときも少しは安全かもしれないと思った。
まあ、実際、安全かどうかは、彼女自身にしか分からないことであるが。

「れーな…?」
「ん?」
「なんか、考え事?」

絵里は真っ直ぐにれいなを見つめる。
もしかして彼女は、その感覚があるからこそ、先日の喧嘩の件も分かったのかもしれないなとれいなは思う。
やっぱり、隠し事は出来そうにないなとれいなは絵里の頭を撫でた。

「…あのさ、絵里」
「うん?」

れいなはそこで聞くべきか、聞かざるべきか、悩んだ。
この頭に浮かんだ素朴な疑問を彼女にぶつけて良いものかと考えた。
だが、進んでみようとも思った。見えないながらも、この未知なる路を、歩もうと思った。
れいなはふうと息を吐き、部屋の窓から見える四角い空を睨む。


「……絵里は、なに色?」

その言葉に、絵里は一瞬だけ顔を曇らせた。
やはり聞くべきではなかったかとれいなは自分を責めたが、絵里は寂しそうに笑って返した。

「絵里はわかんないの」
「え?」
「人のはなんとなく感じるけど、自分のはわかんない」

そうして絵里は「なんでかなー」と首を傾げた。
寂しそうに笑うその姿が、やっぱり切なくて、どうすれば良いのか、れいなには分からなかった。

だが、立ち止まることを嫌うれいなは、そっと絵里の手を取り、そのまま自分の指と絡めた。
れいなは目を閉じ、その手から伝わる温もりを感じる。神経を集中させ、なにかを感じ取りたかった。
絵里の世界、光を失ってしまった絵里の世界を、ひとつでも良いから分かりたかった。

だけど、結局、理解することはできなかった。
彼女のいう“色”も分からないし、絵里の見ている世界も、闇の恐怖も、れいなには分からず、ただ目を開くしかなかった。

絵里は優しく微笑み、「うん?」とれいなを見つめていた。
その頬笑みが美しくて、だけどあまりにも切なくて、れいなは泣きそうになる。


だれか、どうか、彼女を―――


れいなは絵里を想った。純粋に、何処までも真っ直ぐに想った。
こんな子どもみたいな想いを、人は祈りと呼ぶのかもしれないと、その笑顔を見ながら考えた。




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