道重さゆみとの出会いは、高校1年生の夏のことだった。


れいなはいつものように授業をサボって屋上の扉の上、貯水タンクの影から青空を見上げていた。
天にいちばん近い場所に立ったところで、空の青にはちっとも手が届かないんだなと、我ながら苦笑しながらカメラのシャッターを押した。
いつからこんなにカメラ好きになったんだっけ?とふと思い返すも、れいなはどうしてもその答えにはいきつかない。
小さい頃から親の持っていたデジカメをいじって遊び、気づけばカメラ片手に休日に外出することが多くなっていた。
授業もサボって学校をズル休みして不良みたいなことをしているくせに、カメラが好きなんて、全然似合ってないなと自分で苦笑する。

そんなれいながこの学校にいられるのは、名ばかりの写真部に入部した直後に撮影した写真が、コンクールで入選してしまったおかげである。
もともと感性が良いのか筋が良いのか、れいなの写真は1年生ながらに高く評価され、そのおかげで教師陣も仕方なく文句も言わずにれいなを学校に置いているのだ。
幸か不幸か、れいなは写真を撮ることで学校に居座れることを知り、授業をサボっては撮影を繰り返した。


今日もまた、れいなは青空の写真を撮る。
一瞬の空気や、刹那の風を切り取る瞬間が大好きだったのに、いまはもうそんな感覚も忘れてしまったなと考えていると、屋上の扉が開いた。
うん?と思って顔を向けると、思わずドキッとしてしまうような女の子がそこにいた。
真っ黒に伸びた髪は何処までもサラサラで風に綺麗に靡いている。
その髪の向こうに見える頬は白くて、だけど少しだけ赤く染まっていて、一瞬だけ見えた瞳は黒くて大きく輝いている。
夏の制服から見える腕と脚は長くて真っ白であった。

「バリ綺麗っちゃん…」

れいなは思わずそう呟くと、ほぼ無意識のうちにカメラを構えた。
ファインダー越しに見える彼女は、さらに美しさを増している。
こんな完璧な女性、他にいるのかというくらいに、れいなの胸は高まっていた。
シャッターを押そうとしたその瞬間、彼女はふいにこちらを振り返った。

「あ…」

開かれた大きな瞳、整った顔立ち、真っ白な肌、潤んだ唇と、口許にある控えめなほくろ。
すべてが、完璧だと思った―――
そう思ったのも束の間、れいなは現状に気づいた。
カメラを片手に、恐らく鼻息を荒くしてシャッターを押そうとしているこの状況、だれがどう見ても変態だった。
通報されても文句の言えないこの状況にれいなは狼狽し、「いや、これは!」なんて言い訳を始めた。
その状況こそが余計に変態だろうと思っていると、彼女はニコッと微笑んで声を出した。

「あなたもサボりなの?」
「へ?」
「さゆみもそうなんだー」

そうして彼女は髪を靡かせながられいなに近づいてきた。
変態呼ばわりされなかったことはありがたかったが、カメラ片手に授業をサボっている生徒を見て不審に思わない彼女もどうなのだろう。
そんな疑問を持っていると、彼女はいつの間にか梯子を上り、れいなの隣に腰を下ろしていた。

―やばー…

れいなは心の中で思わずそう呟いた。
遠くから見ても綺麗だった彼女は、近くで見るとさらに綺麗だった。
ひと言じゃ表し切れないほどのなにかが此処に在った。
何処かで見たことあるようなその顔をれいなは思い出せないでいると、言葉をかけられた。

「カメラ、好きなんだ?」
「え、あ、あー…うん。写真部やけん」
「あぁ、田中れいなさん?」

急に名前を呼ばれたことにれいなは驚いて彼女を見た。気づくと彼女の顔はれいなの目の前に来ていた。
その距離は僅かであり、なにか間違えてしまえばキスをしてしまいそうなくらいだったので、れいなは反射的に顔を反らす。

「な、なんで知っとーと?」
「写真部でサボりの常習犯って言ったらひとりしかいないから。結構、有名じゃん?」

彼女のズケズケとした物言いにれいなは思わず肩を竦めた。
しかもそれが見事に的を射ていて、全く反論しようがなかったのでれいなはすねた子どものようにカメラのファインダーを覗きこんだ。
彼女は不思議そうな顔をしながら、レンズの前に顔を出す。
一気にアップになった顔にれいなは再びドキッとするが、ほぼ反射的にシャッターを押した。

「撮ったの?」
「え、あ!ごめん!」

さすがに調子に乗りすぎたとれいなは慌ててフィルムを取り出そうとするが、その手を彼女は遮った。

「いいよ、さゆみ優しいから」

そうして笑う彼女はやっぱり綺麗で、なんだか無性に胸が高鳴った。
そんなとき、授業の終了を告げるチャイムが校内に響き渡り、彼女はグッと伸びをして立ち上がった。
れいなは反射的にその腕を取ると、彼女は不思議そうな顔をこちらに向けた。

「な、名前、なんてゆーと?」
「道重さゆみ。よろしくね」

そうして笑顔で自己紹介をした彼女をれいなは漸く思い出した。
同じ写真部の先輩たちが、今年の新入生で滅茶苦茶可愛い女の子がいるからモデルになってほしいと騒いでいたっけ。
しかもその子、雑誌の専属モデルをやってるって話だから余計に先輩たちも手を出したがっていたような…

「なんで、道重さん、授業サボっとーと?」

このまま行ってしまうのが寂しくて、なにか時間稼ぎをしたくて出てきた言葉にさゆみは瞬時考えるような仕草をするが、すぐに笑顔で返した。

「だって、田中さんもじゃん。同じだよ」

その答えにれいなは怪訝な顔をした。
「だって」って、全然「だって」やなかよ。
れなと道重さんは、全然違うやん。同じなんて、同じなんてそんな訳なかやろ―――
その言葉は音にされて外に出ることはなかったが、さゆみはその声に気づいたのか、再び笑顔で返す。

「また明日ね、田中さん」

そうしてさゆみはれいなの腕からするりと抜けて梯子を降りていった。

「その写真、プレミアだよー」

彼女の声が響いたかと思うと、屋上の重い鉄扉が開き、再び閉じる音がした。
れいなはまた、ひとりになった。
呆気にとられたような、肩透かしを食らったような、そんな気分だった。
自分から仕掛けておきながら、アッサリとかわされたような、バカバカしくも情けない不思議な感じがした。
自分のこの腕に残った微かな感触と、いまのいままでこの場に在った温もりが、妙に恋しくて、れいなは思いっ切り息を吸い込んだ。
からだ全体にさゆみの残り香が広がった気がして、それもまた、変態っぽいなと思いながら、れいなは梯子を降りた。
一刻も早く写真部の部室に行って、いまの写真を現像したかった。


それから、れいなとさゆみはよく屋上で話すようになった。
会う時間は決まっていなかったものの、れいなが屋上でサボっていると、必ずと言って良いほど、さゆみも現れた。
最初こそ、ぎこちない他人行儀な会話だったものの、お互いに時間を共有するうちに自然と会話が進行するようになった。

そのうち、さゆみがサボっている理由もなんとなく分かった。
居心地が悪いらしい。
有名雑誌の専属モデルをやり、芸能界という場所にいる彼女は、普通の高校生ではなかった。
さゆみとしては、普通の高校生を満喫したいらしく、仕事がある日にわざわざ新幹線で東京に行き、終わればこうして地方の高校に戻ってきていた。
だが、いくらさゆみが普通の高校生を望んでも、周囲はそれを認めない。
クラスメートたちも若干の距離を置き、さゆみは常に特別扱いだった。
それは仕方のないことだったとしても、さゆみにはそれが耐えきれず、結局は、時々こうして屋上でサボっているらしい。

「その割に、よくれなに話しかけたな」
「え?」
「最初の日。カメラ片手の女なんて変人やろ」

そうしてれいなが苦笑しながら話すと、さゆみは暫し考えながらも、「そうかなぁ」と言った。

「なんかれいなはそう感じなかったんだよね。カメラ向けられる機会多いからなんとなく分かるのかも」
「なにが?」
「その人に下心があるかどうか」

ああ、自分には相当あの日下心があったような気がしますけど、と言おうものならまた話しがこじゃれそうなのでれいなは黙っていた。

「その人たちに比べたら、れいなは真っ直ぐだったから」

カメラのレンズを拭く手を止めて、れいなはさゆみを見た。
彼女はぼんやりと青空を眺めていたが、その表情はどこか憂いでいて、やっぱり綺麗だと思った。
自分が真っ直ぐかどうかは抜きにして、れいなはさゆみに聞いた。

「モデル、大変やない?」
「そりゃあね。変なカメラマンとふたりっきりになることもあるし」

雑誌のモデルとはいえ、時々そういった変なカメラマンに当たることもあるらしい。
マネージャーも抜きにして、ふたりっきりで部屋で撮影会になることもよくあるのだとさゆみは話す。

「まあキスされそうになったら逃げますけど」
「最低やん、そいつ…」
「結構多いみたいよ、そういう人。勢いでそのままヤッちゃう人もいるし」

さゆみの言葉にれいなは大袈裟に肩を竦めた。
華やかに見えて相変わらずドロドロしている世界だなとあの場所はと、れいなは再びカメラのレンズを拭いた。

「れいなはさ、将来カメラマンになるの?」
「なれたらいーけんね。あの世界も一握りやし、才能あるか分からんし…」

実際、このままずるずると授業をサボり続けることに意味があるのかと聞かれれば、れいなは悩む。
カメラマンになりたいという漠然とした夢があっても、才能という大きな壁が越えられるかは分からない。
高校のコンクールで入選したといっても、それは大した才能ではないのだから。

「じゃあさ、さゆみをモデルに写真撮らない?」

思ってもみなかった言葉にれいなは「は?」と返した。
そこには相変わらず柔らかく微笑むさゆみがいる。

「さゆみとれいなで組めばばっちりなの!」
「ば、ばっちりって…」

いまどき言うか、ばっちりとか?なんてツッコミはさておき、れいなはさゆみに荒々しく腕を取られ、立ち上がらせられた。
「うぉ」と声に出したのも束の間、強引に腕を引かれ、れいなはさゆみとともに屋上をあとにした。


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