最終更新:
mikaiketsujiken 2016年07月27日(水) 21:52:25履歴
★新刊案内★
【ワラビ採り殺人事件(長岡京殺人事件)】 昭和54(1979)年5月 京都/長岡京
2014.8 宇治市マラソン主婦行方不明事件追加
昭和54(1979)年5月23日、長岡天神駅前のスーパー「イズミヤ」のパート仲間で、
長岡京市に住んでいた水野恵子さん(当時32歳)と明石英子さん(当時43歳)はスーパーの仕事を終え、
そのまま自転車で午前10時、同市奥海印寺の通称「野山」
(美竹台住宅地の裏山河陽が丘内の竹林)へワラビ採りに出掛けた。
野山は近所の人が山菜やタケノコ狩りをピクニックがてら家族で楽しむような場所で遭難などの危険はない。
しかし何度もワラビ採りに出かけていたはずの明石さん、
3時半には子供を保育所に迎えに行く予定だった水野さんは戻ることなく消息をたった。
心配した家族の通報を受けた向日町署が野山を捜索したところ、
25日午前10時半ごろ、山頂近くで2人の遺体が発見された。
水野さんは左胸を包丁で刺され、明石さんは首を絞められて死んでいた。
現金や腕時計など2人の所持品は奪われていなかった。持ち歩いていたリュックの中には、
所持金、空の弁当、ワラビの束がそのまま入っていたことと、
検死の結果から、二人は昼食の弁当を食べた正午過ぎから午後2時半の間に殺害されたと考えられた。
明石さんの履いていたジーパンの右ポケットから、
「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」
![](https://image02.seesaawiki.jp/m/n/mikaiketsujiken/1c9da60ece220e23-s.jpg)
と裏に鉛筆で走り書きされた、勤め先のスーパー「イズミヤ」のしわくちゃのレシートが見つかった。
警察は現場の山道の表層土砂を全部ふるいにかけ、
メモを書いたのに使用されたと思われる鉛筆の芯(先の部分)を、
遺体から約17メートル離れた土砂の中から発見しているが、鉛筆自体は見つからなかった。
2人の遺体にはそれぞれ数十カ所殴られた跡があることから、
犯人は空手などの武術の心得がある者ではないかと思われた。
警察庁科学警察研究所の鑑定の結果、犯人の血液型が1つだけ検出され、O型と判明。
だが、白昼に主婦2人を一度に襲い、多数の殴打の跡があることなどから複数犯の可能性もある。
遺留品は凶器の包丁だけ。包丁から指紋は検出されなかった。
包丁は岐阜県関市で作られた約7万本の中の1本とみられているが、販売ルートは解明されなかった。
犯行当日は山菜取りシーズンだったこともあり、15・6人が野山に入山しており車両も5・6台駐車していた。
また付近には宅地造成地があり、多数の作業員が工事に携わっていたので人の出入りは多かったが、
怪しい人物を目撃した人は現れなかった。
明石さんは全身約30箇所の皮下出血、手拳や蹴り上げられたような跡があった。
左右計9本の肋骨が折れ、肝臓が破裂していた。
シャツに乱れはあったがきちんとジーパンを履いていた。
しかし、体液が検出されたことから強姦されたものと思われる。
死因は首を両手で絞められたことによる窒息死。
水野さんは約50箇所の皮下出血、手拳や蹴り上げられたような跡があった。
0型の血液型と特定された体毛が付着していた。死因は胸を刺された事による失血死。
胸には肋骨を切断して、心臓から肺にまで達する包丁が突き刺さったままだった。
発見当時、下半身の下着が引き裂かれて、ジーパンや靴が遺体近くに散乱しており、
性的暴行を受けた可能性も示唆していたが、体液は検出されなかった。
府警捜査本部は捜査員延べ約二万五千人を投入して捜査を続けたが捜査は難航し、
犯人は逮捕されることなく時効を迎えている。
◎宇治マラソン主婦行方不明事件※殺人・死体遺棄で捜査 ←2014.8追加
ワラビ採り事件が起きる半年前の1978(昭和53)年11月23日夜、
現場から15キロほど離れた京都府宇治市槙島で、
マラソン(ランニング)中の主婦、前田昭子さん(当時38歳)が行方不明になった。
警察が付近を捜索すると自宅近くの農道で血痕が見つかり、
そこから200メートル離れた田んぼまであぜ道に血痕が点々と続き、
人を引きずったような跡と複数の足跡も残されていた。
流れ出た血液は1リットルあまりにものぼっていた。
しかし前田さんの姿はそこにはなく、何者かに連れ去られたものと思われた。
付近で交通事故の痕跡がないことから、警察は殺人・死体遺棄事件として捜査。
しかし未解決のままとなっており、ワラビ採り殺人事件との関連が取り沙汰されている。
※参考資料:京都新聞 1978年11月25日
◎事件をめぐる都市伝説〜長岡京主婦放火殺人事件
『事件から5年後の昭和59(1984)年5月、同じ長岡京市で主婦が
自宅で首や背中を刺され殺害され、遺体に衣類や布団をかぶせられた上、
放火された事件(未解決のまま時効)の被害者木下京子さん(当時48歳)は、
ワラビ採り殺人事件で殺害された2人の主婦と同じスーパーでパートをしており、
事件当日も一緒にワラビ採りをしていたが、先に帰ったことで難を逃れていた。
しかし5年後に、ワラビ事件の犯人によって殺されてしまった』
これがネットで噂されている内容である。。
しかしワラビ採り殺人事件とこの事件共に、
時効時の新聞記事には互いを関連づける記述は無く、
同一犯の可能性は無いものと思われる。
(2つの事件で判明している共通点は犯人の血液型がO型であることのみ)
★長岡京事件が時効を迎えることを知らせる報道★
「長岡京市の放火殺人事件 時効まで1週間15年…情報もゼロに 捜査本部、犯人検挙へ全力」
1999.05.08 京都新聞朝刊 洛西版より引用 *…管理者
十五年前に、長岡京市***丁目の住宅街で主婦木下京子さん=当時四十八歳=が刺殺され家を放火される事件が起こったが、
八日、公訴時効まであと一週間を残すのみとなった。向日町署に捜査本部を設置し懸命の捜査を続けてきたが、有力な手がかりが得られないまま。
捜査員らは「最後まで犯人検挙に全力を挙げる」と地道な捜査を続けている。
事件は一九八四(昭和五十九)年五月十五日の白昼に起こった。午後二時五十分ごろ、長岡京市***丁目の木下さん方一階居間付近から出火。
火はすぐに消し止められたが、焼け跡から京子さんが刃物で首や背中を刺され、衣類や布団をかぶせられ亡くなっているのが見つかった。
府警では事件発生当日、向日町署に捜査本部を設置。捜査員約八十人体制で捜査を開始したが、家を空けがちな昼下がりの、
しかも屋内での事件だったことなどから有力な目撃情報が少なく捜査は難航。現場に残された血痕や足跡などから、
犯人は右手に傷を負っている▽血液型はO型▽右足の第二指が突出している−などが分かったが、
いずれも犯人を特定するだけの有力な証拠となっていない。
府警はこれまでに延べ二万九千人の捜査員を投入。寄せられた約三百五十件の情報や七千人以上に行った聞き込みなどを基に、
捜査対象者約千四百五十人を調べたが、アリバイがあるなどで捜査線上から消えていった。
事件から十五年がたち、寄せられる情報もここ数年はゼロと、捜査はますます困難になっているが、捜査本部では現在も、
捜査資料の再点検▽当時の聞き込み先を再訪問▽手口の類似した犯人を中心に身体的特徴を照合−などを行い
「署員全員に犯人像の周知を徹底し、最後の最後まで犯人検挙に全力を挙げる」(谷口清向日町署長)としている。
(引用ここまで)
【ワラビ採り殺人事件(長岡京殺人事件)】 昭和54(1979)年5月 京都/長岡京
2014.8 宇治市マラソン主婦行方不明事件追加
昭和54(1979)年5月23日、長岡天神駅前のスーパー「イズミヤ」のパート仲間で、
長岡京市に住んでいた水野恵子さん(当時32歳)と明石英子さん(当時43歳)はスーパーの仕事を終え、
そのまま自転車で午前10時、同市奥海印寺の通称「野山」
(美竹台住宅地の裏山河陽が丘内の竹林)へワラビ採りに出掛けた。
野山は近所の人が山菜やタケノコ狩りをピクニックがてら家族で楽しむような場所で遭難などの危険はない。
しかし何度もワラビ採りに出かけていたはずの明石さん、
3時半には子供を保育所に迎えに行く予定だった水野さんは戻ることなく消息をたった。
心配した家族の通報を受けた向日町署が野山を捜索したところ、
25日午前10時半ごろ、山頂近くで2人の遺体が発見された。
水野さんは左胸を包丁で刺され、明石さんは首を絞められて死んでいた。
現金や腕時計など2人の所持品は奪われていなかった。持ち歩いていたリュックの中には、
所持金、空の弁当、ワラビの束がそのまま入っていたことと、
検死の結果から、二人は昼食の弁当を食べた正午過ぎから午後2時半の間に殺害されたと考えられた。
明石さんの履いていたジーパンの右ポケットから、
「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」
![](https://image02.seesaawiki.jp/m/n/mikaiketsujiken/1c9da60ece220e23-s.jpg)
と裏に鉛筆で走り書きされた、勤め先のスーパー「イズミヤ」のしわくちゃのレシートが見つかった。
警察は現場の山道の表層土砂を全部ふるいにかけ、
メモを書いたのに使用されたと思われる鉛筆の芯(先の部分)を、
遺体から約17メートル離れた土砂の中から発見しているが、鉛筆自体は見つからなかった。
2人の遺体にはそれぞれ数十カ所殴られた跡があることから、
犯人は空手などの武術の心得がある者ではないかと思われた。
警察庁科学警察研究所の鑑定の結果、犯人の血液型が1つだけ検出され、O型と判明。
だが、白昼に主婦2人を一度に襲い、多数の殴打の跡があることなどから複数犯の可能性もある。
遺留品は凶器の包丁だけ。包丁から指紋は検出されなかった。
包丁は岐阜県関市で作られた約7万本の中の1本とみられているが、販売ルートは解明されなかった。
犯行当日は山菜取りシーズンだったこともあり、15・6人が野山に入山しており車両も5・6台駐車していた。
また付近には宅地造成地があり、多数の作業員が工事に携わっていたので人の出入りは多かったが、
怪しい人物を目撃した人は現れなかった。
明石さんは全身約30箇所の皮下出血、手拳や蹴り上げられたような跡があった。
左右計9本の肋骨が折れ、肝臓が破裂していた。
シャツに乱れはあったがきちんとジーパンを履いていた。
しかし、体液が検出されたことから強姦されたものと思われる。
死因は首を両手で絞められたことによる窒息死。
水野さんは約50箇所の皮下出血、手拳や蹴り上げられたような跡があった。
0型の血液型と特定された体毛が付着していた。死因は胸を刺された事による失血死。
胸には肋骨を切断して、心臓から肺にまで達する包丁が突き刺さったままだった。
発見当時、下半身の下着が引き裂かれて、ジーパンや靴が遺体近くに散乱しており、
性的暴行を受けた可能性も示唆していたが、体液は検出されなかった。
府警捜査本部は捜査員延べ約二万五千人を投入して捜査を続けたが捜査は難航し、
犯人は逮捕されることなく時効を迎えている。
◎宇治マラソン主婦行方不明事件※殺人・死体遺棄で捜査 ←2014.8追加
ワラビ採り事件が起きる半年前の1978(昭和53)年11月23日夜、
現場から15キロほど離れた京都府宇治市槙島で、
マラソン(ランニング)中の主婦、前田昭子さん(当時38歳)が行方不明になった。
警察が付近を捜索すると自宅近くの農道で血痕が見つかり、
そこから200メートル離れた田んぼまであぜ道に血痕が点々と続き、
人を引きずったような跡と複数の足跡も残されていた。
流れ出た血液は1リットルあまりにものぼっていた。
しかし前田さんの姿はそこにはなく、何者かに連れ去られたものと思われた。
付近で交通事故の痕跡がないことから、警察は殺人・死体遺棄事件として捜査。
しかし未解決のままとなっており、ワラビ採り殺人事件との関連が取り沙汰されている。
※参考資料:京都新聞 1978年11月25日
◎事件をめぐる都市伝説〜長岡京主婦放火殺人事件
『事件から5年後の昭和59(1984)年5月、同じ長岡京市で主婦が
自宅で首や背中を刺され殺害され、遺体に衣類や布団をかぶせられた上、
放火された事件(未解決のまま時効)の被害者木下京子さん(当時48歳)は、
ワラビ採り殺人事件で殺害された2人の主婦と同じスーパーでパートをしており、
事件当日も一緒にワラビ採りをしていたが、先に帰ったことで難を逃れていた。
しかし5年後に、ワラビ事件の犯人によって殺されてしまった』
これがネットで噂されている内容である。。
しかしワラビ採り殺人事件とこの事件共に、
時効時の新聞記事には互いを関連づける記述は無く、
同一犯の可能性は無いものと思われる。
(2つの事件で判明している共通点は犯人の血液型がO型であることのみ)
★長岡京事件が時効を迎えることを知らせる報道★
「長岡京市の放火殺人事件 時効まで1週間15年…情報もゼロに 捜査本部、犯人検挙へ全力」
1999.05.08 京都新聞朝刊 洛西版より引用 *…管理者
十五年前に、長岡京市***丁目の住宅街で主婦木下京子さん=当時四十八歳=が刺殺され家を放火される事件が起こったが、
八日、公訴時効まであと一週間を残すのみとなった。向日町署に捜査本部を設置し懸命の捜査を続けてきたが、有力な手がかりが得られないまま。
捜査員らは「最後まで犯人検挙に全力を挙げる」と地道な捜査を続けている。
事件は一九八四(昭和五十九)年五月十五日の白昼に起こった。午後二時五十分ごろ、長岡京市***丁目の木下さん方一階居間付近から出火。
火はすぐに消し止められたが、焼け跡から京子さんが刃物で首や背中を刺され、衣類や布団をかぶせられ亡くなっているのが見つかった。
府警では事件発生当日、向日町署に捜査本部を設置。捜査員約八十人体制で捜査を開始したが、家を空けがちな昼下がりの、
しかも屋内での事件だったことなどから有力な目撃情報が少なく捜査は難航。現場に残された血痕や足跡などから、
犯人は右手に傷を負っている▽血液型はO型▽右足の第二指が突出している−などが分かったが、
いずれも犯人を特定するだけの有力な証拠となっていない。
府警はこれまでに延べ二万九千人の捜査員を投入。寄せられた約三百五十件の情報や七千人以上に行った聞き込みなどを基に、
捜査対象者約千四百五十人を調べたが、アリバイがあるなどで捜査線上から消えていった。
事件から十五年がたち、寄せられる情報もここ数年はゼロと、捜査はますます困難になっているが、捜査本部では現在も、
捜査資料の再点検▽当時の聞き込み先を再訪問▽手口の類似した犯人を中心に身体的特徴を照合−などを行い
「署員全員に犯人像の周知を徹底し、最後の最後まで犯人検挙に全力を挙げる」(谷口清向日町署長)としている。
(引用ここまで)
- カテゴリ:
- ニュース
- 未解決事件・失踪/行方不明事件
このページへのコメント
水野さんと明石さんは別の場所で山菜採りをしていたのかも。1人で山菜採りをする明石さんに目を付けて、襲撃。山中だから悲鳴は気にしなかっただろう。逃げられないように明石さんを徹底的に殴り尽くす。犯人の本番はここから。ぐったりした明石さんの衣服や下着を引き裂いてレイプ三昧。露わになった胸やアソコをたっぷりと弄び、首を絞めて抹殺。場を離れようとしたら様子を見に来た水野さんと鉢合わせ。変わり果てた明石さんを見て水野さんは逃げた。犯人に追い回されながらも物陰に隠れた。例の文章はこの時に書いたのかも。犯人を出し抜いたと思い、物陰から出てきたが犯人に見つかってしまう。明石さんと同じくレイプ三昧。衣服や下着を引き裂かれてレイプ三昧。口封じに抹殺。
30代と40代の女をレイプする。犯人は年増好きだったのか?それとも女なら誰でも良かったのか?
論理的というか、理論上ね。
遺体は既に火葬されているし、時効になった事件の体液サンプルがまだ鑑定可能な状態で保管されているとは考えにくい。しかも当時はDNA鑑定を前提に採取していないから、汚染が酷い筈。当時の捜査関係者全員のDNAを採取して外堀を埋めればどうかな?って所。しかも犯人のDNAが確保出来ていなければ何の役にも立たないから…
論理的には、体液のサンプルがあれば今からでもDNAで特定可能
ジーパンは頻繁に洗濯しないだろうから、古いレシートが入っていても不思議ではないけれど、山菜採りで都合良く鉛筆を持っているものなのか、山中で身の危険を感じながら書いたにしてはテンパった感じがそれほど無く書き足しまで出来る余裕があったり、その場での有効な使い方が考えられない文面だったりで、書かれたのは事件現場じゃない説もそれなりに根強かったと思う。
何でもないレシートを今
ポケットに入れていたせいで
洗濯物が大変なことになっている。