エポケー

 エポケーとは何かといえば、「私」における判断を停止です。

 では、ちょっと、エポケーをエポケー的なアプローチで説明して
みましょう。

 ”「私」における判断を停止”とは何かといえば、目の前の現象
がアプリオリ的に決めてかかることはしないことです。
 ”目の前の現象がアプリオリ的に決めてかかることはしないこと”
とは何かといえば、目の前に現われている現象を感じることです。
 ”目の前に現われている現象を感じること”とは何かといえば、
過去の経験ではなく、今現在の現象を純粋経験することです。
 ”過去の経験ではなく、今現在の現象を純粋経験すること”とは
なにかといえば、エポケーって何だろう?という純粋な疑問(この
とき、エポケーとはフッサールの現象学用語であるなどの前提はあ
りません)です。
 ”エポケーって何だろう?という純粋な疑問”とはなにかといえ
ば、そこには疑問を感じているという現象がありありと現われてい
るわけです。

 もちろん、ここで終わりではありません。エポケーを行っている人
しだいでは、この現象が哲学であるなど、さらにたまねぎの皮を剥く
ように進められます。
 もし、現象学が批判されるなら、この、人によって導き出される答
えがことなる。という回答の形の非普遍性なのでしょうが、先に話し
たように、現象学的アプローチは、いかに現象を厳密に観察し、考察
するかであり、たまねぎの皮をいくら剥こうが、たまねぎであるとい
普遍性はかわりありません。
 現象学では、この普遍性を本質と呼び、その本質を超越論的に知覚
することを本質直観と呼んでいます。

現象学

現象学的アプローチ

純粋経験

超越論的

本質直観

普遍性

WRITER:呟き尾形
(注:呟き尾形の解釈です)
2005年08月03日(水) 20:23:55 Modified by tubuyaki1




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