トーストを食べる。スクーターで大学に行く。つまらない講義を聴く。友達と駄弁る。
時々バイト。 そして家に帰る。 夕飯を食べる。 ネットを見る。 寝る。
二行で終わってしまうほど単調な毎日。 大学生なんてそんなもんだろ。
その日もそう思っていた。

 日課を友人と駄弁る所までこなした俺は、カラオケの誘いを断って帰った。 
バイトの日だからな、今日は。
 駐輪場に停めてあるスクーターにまたがってバイト先のコンビニに向かう。
夜の9時までそつなく仕事をこなし、家に向かう。 後は適当にネットを巡回して布団に入る。
素晴らしく平凡な一日が終わる。
 ぼんやりと考え事をしながらスクーターを走らせていた俺は次の瞬間、横から来た車に
スクーターごと吹っ飛ばされた。 アスファルトに叩き付けられた俺に、止まりきれない
その車が迫る。 こういう時って本当にスローモーションに見えるんだな。
最後の瞬間は見ないでおくことにした。


 二度寝を繰り返したようなぼんやり感、とでも言うのだろうか。 意識と無意識の間を
行ったり来たりするような感覚。 長いことそんな状態だった気がする。
 だんだん意識がはっきりしてくる。 記憶もセットで。 死ななかったのか俺は。
するとここは病院か。 真っ暗で何もわからない。 

とりあえず手で辺りを探ってみる。…動かない。 
いや感覚はあるのだが体と壁のような物に挟まれていて、動かせる余裕がないのだ。
足も折りたたまれた状態で壁に当たっていて、やはり動かせる余裕が無い。 
 どうやら狭いケースの中で体育座りをしているような体勢にされている様子だ。 
こういうのが最近の緊急治療の流行なんだろうか。 病院には縁がないからよく判らない。

 ぬるま湯に浸りながら体育座り…俺は小学生の頃を思い出していた。
入浴時に狭い風呂桶の中によくこうやって潜って苦しくなるまでじっとして遊んだのだ。 
長く息を止めるコツは…………ぬるま湯?
なんてこった、俺は「狭い容器の中」の「水中」に居る!

 パニックになりかけた俺は手足に力を入れて藻掻いた。 後ろは?背中も壁に当たっている。
横は? 上は? クソッタレ、このままじゃ溺れちまう。 どこのヤブ医者の仕業だ。
と、突然目の前で横方向に光が漏れた。 どうやら頭が当たってこの入れ物にヒビが入ったようだ。
俺はもう一度このクソッタレな容器に頭突きをかませる。 ヒビは大きくなり、容器はそこで折れた。
ぬるま湯があふれ出す。 俺は口と鼻の中の水をはき出し、大きく息を吸い込んだ。

 急に明るくなったのに目がついて行かず、開けることができない。
何かガサガサとした物の上に俯せになって、俺は薄目を開けたり閉じたりして目を慣らしていた。
明るさにだんだん慣れてきた目をそっと開けると俺はどうやら落ち葉の上に俯せになっているようだった。
状況が全くつかめない。 てっきり病院だと思ったら腐葉土の上に放置プレイとは。

 遠くの穴から光が差し込んでいる。 目がまだ本調子では無いのか、ごく近くの物しか
はっきりと見る事が出来ない。
 理解できない状況に置かれるのはとても不安だ。 俺は意を決して光の方へと向かった。
体に力が入らないので這うように進む。 いや、実際這ってるんだが。
 腐葉土の上を過ぎるとごつごつとした岩肌の上に出た。
岩穴の中に光が差し込んでいる…ここは洞窟の中なのか? ますます理解できない状況だ。 

 どれほどそうしていたかわからないが、突然光を何かが遮った。 洞窟の中を誰かがこちらに向かってきているようだ。
そちらを見るがやっぱりよく見えない。 ヤブ医者か。 看護師か。文句を言ってやる。こんな目に遭わせやがって。
しかしそのどちらでも無いようだ。 その誰かはドサッと何かを床に置くと、ゴソゴソと何かをしている。
…見舞いに来た母さんかもしれない。
きっとそうだ。 俺はすぐ側まで来たその誰か(多分母さん)に言った。 「ゴメン、母さん」 事故で心配をかけて。

 誰かさんは声を聞くと一瞬動きを止め、そして大きな声で笑った。 聞いたことがない声だ。
そして

「生まれてきてごめんなさい、って? こんなおかしな事言う子は初めてだよ!」

と言い、まだクスクスと笑ってる。
誰だよ。 ってか「生まれ」? どういう事だよ。

「あの、今俺、何がどうなってるか分かんないんで、できたら色々教えてもらいたいんですけど」

その誰かは俺の質問には答えずに、ひょいと俺をつまみ上げた。 なんだ!? こいつめちゃくちゃでかい!?
ジタバタと藻掻く俺をそいつは腐葉土の中に置いて、さらに上から腐葉土を被せた。

「しばらくそこで眠ってな。 いいかい、色々知るのは10年早いよ」

 腐葉土の中はとても暖かかった。 そうだな、今は体力を回復するのがまず第一だろう。
このでっかい何かは俺に敵意は無さそうだし、とりあえず素直に言う事を聞いておこう。
そう思うと、安心感からか急に意識が朦朧となった。 そしてそのまま俺の意識は睡魔に飲み込まれていった。

 どこからか鳥の鳴き声が聞こえる。 もう朝だ。 起きて学校に行かないと。 今日の一限目の先生はカードで出席をとる。
3回休んだらアウトだ。 俺はもう2回ストライクを取られてる。

 …… 一瞬自分がどこにいるのか理解できない。 友達の家に泊まって、起きた時に自分の居場所がわからないあの状態だ。
しかしすぐに昨日の出来事が思い出される。 目覚めた俺は腐葉土の山の中にいた。 
覆い被さる土を掻き分けて頭を外に出す。 昨日とは違い、目ははっきり見える。 

 長い時間をかけて水に溶かされたであろう岩肌が有機的な模様の壁を作り出している。 床は大きな岩や石が踏み固められて
平らになっていた。 あの大きなヤツの仕業だろうか。 だとするとここはあいつの住処なのか。
視線を壁から床、そして反対側の壁へと移した時、その『大きなヤツ』の姿が目に飛び込んだ。

 とにかく大きい。 そしてその体はどちらかと言えば青に近い灰色、そんな色の鱗に覆われている。
背中にはきちんと畳まれているが明らかに翼と判るものが生えている。 頭は…犬のような形だが当然毛ではなく鱗に覆われている。
そして長い角と短い角が二本ずつ後ろ向きに生えている。
  ドラゴン。 ゲームやマンガじゃ定番の、そのドラゴンが目の前で…こちらをじっと見ている。

あまりの事にあっけにとられている俺に、そのドラゴンは外見とは裏腹に優しい口調で言った。

「お目覚めかい、おちびさん」 

…どうリアクションしたらいいのか、まるで見当がつかない。 呆然とする俺にそのドラゴンは眉をひそめながら、
(当然眉毛なんか無いけどそういう表情をしたのだ)

「…普通はお腹が空いたとか泣きわめくもんなんだけどねぇ。」

 言われてみれば確かに空腹だ。 それも半端じゃなく。 
考えてみれば昨日も何も食べてない。 俺は無意識に、痛いほど空腹を訴えるお腹に手をあて……は? なんじゃこりゃ。

 視線を下に落とす。 白っぽい鱗に覆われたお腹を…あのドラゴンと同じ色の手が押さえている。
お腹から手を離し、じっと手を見る。 小さいけれど鋭い爪が生えている。 
握って、開いて、おお、ちゃんと動く…これが俺の手…?
 振り返るように後ろを見る。 背中からは小さな翼が力なく垂れ下がり、そして…尻尾が「うわあぁぁ!!」
思わず叫んでしまった俺にあのドラゴンが素早く顔を近づけた。

「どうかしたのかい? どこか痛いの? それとも何かムシにでも噛まれたのかい?」

「あの、おれ、ドラゴンになってる!」

とたんにその大きなドラゴンはプーっと吹き出し、笑い出した。 そして笑いをこらえながら

「当たり前じゃないか。 ドラゴンの子供はドラゴンと昔から決まってるもんだよ!
 それとも何かい? あんたまさか自分が別の何かだとか思ってるのかい?」

 ええ、まぁ、そのまさかなんだけど…説明したって分からないだろうな。
それに多分、今ここでは俺が一番状況を理解できてない。

 夢だ。 夢に違いない。 他に考えようが無いじゃないか。
それにしてもリアルな夢だ。 カラーだし臭いがあるし感触がある。
その上、目の前では大きなドラゴンが食いちぎった鹿の頭をバキボキと音を立てて反芻している。
 飲み込むのかと思ったがそのドラゴンは口の内容物を床に吐き出した。
…えーと、コレはもしかして…

「何してるんだい、早く食べな」
 
正解。
 床の上にはグロ画像。 かみ砕かれた肉と骨が血と唾液まみれになっている。 うわ、あれ歯だよ。
俺はこみ上げる吐き気を堪えることが出来なかった。

「なにやってんだい 吐き出すのを真似してどうするんだい 食べるんだよ、ホラ」

ドラゴンは俺の頭をぐいぐいとグロ画像に押しつける。
俺は覚悟を決めた。


 数日がたった。 まだ悪夢からは覚めてない。 
毎日続くグロ画像。 だがそれにもだんだん慣れてきた。 
俺の体はどんどん大きくなっている。 まるで食べたもの分だけそのまま大きくなっているじゃないかと思うほどだ。
 最初の鹿は昨日で終了した。 今あのドラゴンは(母親呼ばわりするのはどうしても抵抗がある)次なる犠牲者を
探しに出かけている。 鬼の居ぬ間に何とやら、俺は洞窟の出口まで歩いき、そこから辺りを見回した。

 強い風が吹き抜ける山の斜面一面に広がる草原。 その中にぽっかりと口を開けた洞窟に俺はいた。 
山が低い方は森なのだろう、濃い緑が遙か彼方まで続いている。 その森の上をあのドラゴンがゆっくりと旋回している。
 突然ドラゴンが急降下をすると同時に炎の塊を森にぶつける。 体が木に触るその瞬間、大きく翼を打ち下ろし、
くるりと体の向きを変えると足から森の中に消える。
鳥たちが逃げ惑っているのだろう、森から沢山の黒い粒が沸き上がった。

 かなりの時間が過ぎ、空が夕焼けに染まり出す頃になってようやくドラゴンは洞窟に戻ってきた。
大きなイノシシの首をくわえ、両手で体を抱きかかえるようにしている。 炎をまともに浴びたのだろう、イノシシの皮膚は
焼け焦げていた。 もう少し火を通してくれるとありがたいのだが。

 何年過ぎたのか、もう判らない。 人間だった頃の記憶は自分というドラゴンの妄想なのではないか、そう思うときが時々ある。
だが自分の当たり前だと思う発言や行為が、時々母さんを戸惑わせるという事実。 こういう時、やはり自分はこの世界の住人では
なかったのだと実感させらる。

 俺は母さんほどではないにせよ、立派なドラゴンに成長していた。
飛び方、獲物の捉え方、火の吐き方(初めての時、着火に失敗して火だるまになったが誰もが通る道なのだだそうだ)
洞窟の探し方、暖かな巣の作り方(腐葉土の発酵熱を利用する!)、などドラゴンとしての生き方も日々学んでいた。

 長い夜、母さんはいろいろな話をしてくれた。 そのほとんどがドラゴン達に伝わるという昔話だった。 話のパターンが少なく
同じ話を何度も繰り返し聞かされるのには閉口したが、絵や文字という概念を持たず、(提案してみたが全く理解できないようだった)
口伝でのみ語り伝えて行くには何度も聞かせる必要があるのだろうと思えば、その行為は当然だった。
 また、話を聞かせるのは卵にとっても大切なことなのだそうだ。 話を沢山聞いて生まれた赤ん坊はすぐに喋ることが出来るから
育てるのがとても楽になるのだと言う。 

 一度父親の事(もちろんドラゴンとしての父親だ)の事を聞いてみた事がある。 母さんは少し何かを考えてから、

「オスなんてのは卵が出来たと判るとすぐどっかに行っちまうんだよ 気楽なもんだね、全く」

と言った。 どうやらオスは子育てに関与しないらしい。 よしラッキー。


 そして何回目かの春がやってきた。

 最初に気づいた変化は、母さんがあまり会話をしたがらなくなった事だった。 何か考え事をしているのか、時々呼んでも
気づかない事もあった。 病気かと聞いたが違うと言う。 そして次の変化が起きた。
 はじめは気のせいだと思っていた。 だが日増しに、そして確実に母さんの体色が鮮やかな青へと変化してきていた。

「…お別れの時期だよ…」 母さんは俺にぽつりと言った。

 また卵を産む準備が整った事、その臭いを嗅ぎつけたオスがいずれやって来る事、そしてその時に俺がいると俺がオスに殺されて
しまうかもしれないと言う事。 だからもう、お前はここから出て行かなくちゃいけないよ。

 どこの世界も子供が巣立つタイミングは変わらないらしい。 巣立ち。 漠然とだが、いつかはそんな日が来るのだろうとは思っていた。
だがそれが今日だとは思いもしなかった。 母さんと別れれなければならない。 そして、多分二度と会う事はないのだろう。
この世界にはお盆も正月もない。 そう思うと様々な感情が湧き上がってきた。

 俺にはその臭いとやらが判らない。 だからその臭いが母さんからしだすまではここに居てもいい? 俺は涙を滲ませながら聞いた。
母さんは少し困った様なな表情を浮かべ、そして

「そりゃお前…メスが他のメスの卵を産める時期を知ってもしょうがないだろう?」 と言った。


……………………………………………………………はい?

つまりこういう事らしい。
・メスは発情すると特有の臭いを出す
・オスはその臭いを頼りにやってくる
・その時期はオスも臭いを放っており、強いオスほど強く臭う
・臭いは異性同士では感じられるが、同性同士は感じない
・母さんは発情中であるが俺にはその臭いが判らない
・よって俺はメスである 証明終わり

 最初は母さんの言っている事の意味が分からず、聞き返した。 次は母さんが冗談を言っているのだと思い、聞き返した。
最後は、認めたくなくて、聞き返した。
 母さんは俺が巣立つのを嫌がってゴネていると思っていたようだったが、やがて俺が本当に狼狽しているのだと理解した。

「それじゃお前は自分がオスだと、ずっと思ってたってのかい?」

そりゃまあ前世(?)じゃ男やってたわけだし、ドラゴンの体の構造なんて知らないわけだし、ましてや母親とそういう話が
出来るわけがない。
 思い起こせば母さんの話は巣作りだとか卵の世話だとか、そういう話が多かった。 口調からてっきり子育てのストレスから来る
愚痴だと思って聞き流していたが、それはつまり母から娘への知識の引き継ぎだったわけだ。
 
 妙に気まずい空気が洞窟の中を漂っていた。 耐えられずに母さんが口を開いた。

「ほら、アレだよ、お前が卵を産めるようになるにはまだ何年もあるわけだし、それまでにちゃんとすればいいんだよ。
 それに、そういう時期にオスに合ったら変に嫌がらずに尻尾上げて目を瞑ってればすぐ終わるよ。 あたしなんか初めての時は怖くってねぇ、
 逃げようとしたら翼と足の骨をへし折られてねぇ、治るまでの間5日間交尾されっぱなしだったもんだよ。 
 あらやだ、あたしったら。 こんな時期だもんだからついノロケっちまったよ。」

 それはノロケなのか。 俺はただただ俺はただただ唖然として聞いていた

 気まずさは頂点に達しようとしていた。 なんだか目を合わす事すらはばかられる。 俺は大きく深呼吸すると母さんに向き直り、
正座をして深々と頭を垂れた。 

「母さん、今まで育ててくれてありがとうございました。 俺は母さんと一緒に暮らした事、絶対忘れません」

 母さんは大きくため息をついた。 そして、呟くように言った。

「普通は泣いてすがりついて嫌がるのを半殺しにして放り出すもんなんだけど…お前は最後まで変わった子だよ」

森からの風が山を昇り穏やかな上昇気流になる。 わずかな気流も無駄にしないよう俺は上空でゆっくりと旋回を続けながら高度をとる。
一人で飛ぶのは初めてだが、それでも俺には不安はなかった。 眼下には日々の思い出が詰まった森が、草原が広がっている。
だがそれも今日で見納めになる。

 ルートは決めていた。 いや、決まっていたといった方が正しいだろう。 草原と森との境界に沿って飛んでいくのだ。
兄や姉にあたるドラゴン達がおそらく通ったであろう、この空の道を俺は進んでいた。

 意外だったがドラゴンの飛行にはかなり制限がある。 最低でも翼を広げ、ある程度助走できる広さがないと飛び立つ事は出来ない。
つまり森の真上を長距離移動する事は危険、と言う事になる。 降りる事は出来ても木が邪魔で飛び上がる事が出来ないからだ。
 実際に母さんは狩のほとんどを森のごく外側で行っていた。 炎で獲物を仕留めた事を上空から確認し、それから初めて降り立つのだ。
必然的に森から巣穴への帰還は徒歩に頼る事になる。 もちろん森を抜けるまでではあるが。

 飛び立つのに必要な広さと獲物が十分にいる森、これらをいち早く確保する事が巣立ったばかりのドラゴンの最初の試練になる。
メスはさらに洞窟も必要になる。 卵の温度管理に雨水は大敵だからだ。 
おっと最後のは俺には必要なかった。 男に犯されるとか冗談じゃない。 母さんには申し訳ないが、俺の翼の下で俺は自由に生きるのだ。


 金の為に働くのではなく、生きる為に生きる。 そんな生き方も気がつけば数年が過ぎていた。
ここ数日、明らかに俺の体色は鮮やかに青く色付き始めていた。 おそらくオスにとっては我慢できない臭いとやらも出ているに違いない。
恐れていた「物」がついに来たのだ。

 作戦は立ててあった。 臭いは風に乗って風下へと広がっていく。 それなら風と同じ速度で移動すれば移動すればいい。
もちろん風と同じ速度で飛ぶ事は出来ない。 だから風より少し早く飛んで、地上で少し休む。 これを繰り返すのだ。
問題は山積みだった。 どれくらいの間、このクソッタレな時期が続くのかは分からない。 それに飛べない夜の間はどうする?
(オスどもも飛べないだろうが風は夜の間臭いを運び続けるはずだ)
だがやるしかないのだ。 

 飛んで休んで…何セット繰り返しただろうか。 想像以上にこれはキツかった。 考えてみれば一番体力を使うのは離陸後の上昇だ。
一日目にして俺は計画の変更を余儀なくされた。

 考えろ…考えるんだ。 とにかく高度を高くとって遠くへ移動…だめだ、ドラゴンはその重さゆえに限界高度はそれほど高くない。
それに自分も相手もドラゴンなのだから同じ高度で鉢合わせする事になる。

 海辺に出て一番陸から離れた島に…だめだ、この時期は海から風が吹いている。 一番風上に行ってどうする。
それなら山だ、風下でドラゴンが飛び越せないほどの高い山に昇れば…だめだここから一番近いそんな山は巨大な森の向こうだ。
森を迂回するコースは間違いなく数匹のドラゴンが縄張りにしているはずだ。
 …まてよ、そうだ森だ。 その巨大な森の中に隠れていればいいじゃないか。 飛んで迂回するだけで数日はかかる森だ。
そのなるべく奥に隠れるのだ。 

 その晩、うとうとする度に屈強なオスのドラゴンに押し倒される夢を見て、俺はほとんど眠る事が出来なかった。
…実際にそうならなかっただけでもありがたかったが。

 次の朝、東の空がごくわずかに白みだした早朝、俺は森の中心部へと飛びたった。
ほとんど夜と変わらない闇の中を飛ぶのは恐ろしい。 しかも上昇気流が利用できないので自分の力だけで上昇しなければならない。
俺は懸命に羽ばたき続けた。 レイプされるのだけはゴメンだからな。

 辺りがやっと明るくなり出した頃、俺は森の上空をかなり奥に進んでいた。 高度も悪くない。 他のドラゴンの姿も無い。
俺は森の中心部を目指し、まっすぐ飛び続ける。 このまま太陽に暖められた空気に乗って日没まで距離を稼ぐのだ。
 やがて日は西に傾き、遙か地平線の彼方へと飲み込まれていく。 俺は目が見えるギリギリの時間まで粘り、そして
着陸態勢にはいった。 十分に高度を落とした所で翼の角度をかえ、空気をつかんで一気に減速する。
足を木の枝が叩く。 翼を一回大きく打ち下ろし、一瞬空中に静止する。 素早く翼を畳んだ俺は木の枝を何本もへし折りながら
地上に降り立った。 

 やり遂げた安堵感と丸一日飛び続けた疲れから俺に睡魔が襲いかかる。 ねぐらを台無しにされた鳥たちの抗議の声を聞きながら
俺は急速に眠りに落ちていった。

 目が覚めると辺りには霧が立ちこめていた。 どうやら森の奥から霧が流れて来るようだった。 俺はその霧に誘われるように
森の奥へと進んでいった。
 太陽が昇るにつれ、霧は薄らいでいく。 そしてその代わりに不思議な臭いが微かに、そして徐々に強く感じられる。
好奇心と、そして湧き上がるこの奇妙な期待感に急かされるように俺は森の奥へと進んでいった。
 いつしか太陽は高く昇り、霧もその姿を消していた。 そして歩き続ける俺の前から突然森の木々が消え、一気に視界が開けた。

 霧はここから発生していたのだろう。 そしてあの妙に落ち着きを失わせる臭いも。 それは巨大な湖だった。
ふと見ると一カ所だけ水面上に木が密集している所がある。 見渡す限りの水面が広がるこの湖で、それは明らかに不自然だった。
 近づいてみるとそれは明らかに自然の物ではなかった。 大量の木の枝が細かい間隔で水底に突き立てられ、まるで迷路の様な物が
作られていた。 今まで俺はこんな物を見た事がない。 この世界にはこんな物を作る動物や、そして人間も居ないはずだ。
 じゃあ一体これは誰が、何の為に…

「魚を捕まえるための罠よ、それは。」 突然後ろで声がした。
振り返るとそこには…ドラゴンが居た。

 おそらくほぼ同い年なのだろう、体の大きさは俺と大差ない。 木の陰から姿を現したそいつは、理由は分からないが両足のすねに
相当する部分にベルト状の革をぐるぐると巻き付けている。 この時期特有の鮮やかなピンク色の体は、その体から発する臭いと共に
成熟したオスである事を強烈に主張していた。

 ヤバイ。 これはヤバイ。 こうなる事を恐れて駆けずり回っていたというのに、よりによってオスの縄張りのど真ん中に居たとは。
いや、まだチャンスはある。 あいつを倒して逃げるのだ。 …ドラゴン相手に戦った経験なんて無いけど…
 俺はいつでも火を吹けるように(ドラゴン相手ではダメージは期待できないが目くらましにはなる)顎の下の袋に燃料を貯め、
相手を睨みつつ低く身構える。 欲望をむき出しにして俺に襲いかかるであろう、そいつの取った行動はしかし意外な物だった。

「ストップストップ!…じゃなかった、えーっと、ちょっと待って。 そういうつもりは無いから」

 両手を広げて体の前で『待った』のジェスチャーをしながら俺をなだめようとしているのだ。 その妙に懐かしい仕草と言葉に
俺は驚きを隠す事が出来なかった。

「えーっと、あなたにお願いしたい事があって、あっ、その…(交尾させろ)…とかじゃなくて、面倒な事が起こる前にどこか遠くへ
 行ってもらいたいんだけど」

 なんだか妙に小声で聞き取りづらい箇所があったが、それでもこいつの言動は発情期のオスの物とはとうてい思えない。 
いや、ドラゴンらしくない。 俺は燃料を火をつけずに脇の茂みに吐き出すとそいつに話しかけた。

「あのー、『面倒な事』って何です? それにさっき『ストップ』とか言いませんでした? あんたもしかして」

だが俺の質問は途中で遮られた。 別の、明らかに俺たちより巨大なオスのドラゴンが、森の木々を薙ぎ倒しながら
そいつの向こうに着陸したのだ。

「『面倒な事』って言うのは…こういう事よ」そいつは俺の方を振り返ることなく、低く身構えながらそう言った。


 ※ブレスについて設定あれこれ
・「燃料」は通常時は腹部の大きな袋に貯まっている。 組成はほぼガソリンと同じ。
・火を吐く準備として、この大きな袋から使う分を顎の下にある噴射用の袋に移す。
 最大まで貯めた姿はまるでカエルの様である
・厚い筋肉に覆われたこの袋の中で「ゲル化剤」が混ざり、吹き出す際に使いやすい粘度に調整される
・この際、粘度を調整する事によって、炎の塊を飛ばす・炎を吹きつける・火炎で相手の視界を塞ぐ、等が出来る
・噴射は舌の裏側の管を使い、舌先から行われる。 出口の少し手前で顎の両脇から別の管で送られる「着火剤」と混合され、
 化学的に発火する
・噴射用の袋に移したものの使わなかった燃料は、貯蔵用の袋に戻せないため(ゲル化剤の作用で腹部で固まってしまう)
 火をつけずにそのまま捨てられる

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