……来てしまった。
 
 とうとうここまで来てしまった。

 後ろ足だけで歩いたせいか疲れがひどい。人間に化けず本来の姿で来た方がよかっただろうか、と思うものの、竜の姿では見つかる危険の方が大きいから仕方がない。
とにかくここが森の、人間の住処との境目だ。この橋を渡ればもう引き返せない。何度も練習を重ねて覚悟を決めた筈なのに、胸の高鳴りが苦しくて動けなくなる。

 『でも、もうすぐあえへ、あっ、あ――会える』

 多少もつれはしたが、人間の言葉もちゃんと話せる。大丈夫。大丈夫だと私は自分を励ました。私にはおばあさまもついている。それに何より自分の気持ちを――今更抑える事などできない。

 ――あの人に会いたい。そして……。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『はっくしゅん!』

 ヴィストは突如襲われたくしゃみに苦笑いをこぼした。子供の頃患った花粉症がぶり返しでもしたのだろうか。念の為後で薬を処方しよう。頭の片隅に書き留めながら割り終わった薪を小屋の竈へと放り込む。

 『……春か』

 森では幻獣達の恋唄がやかましくなる頃だ。巡回の際は野暮な真似に注意しなくてはならない。場合によってはいつぞやの様にこちらの命にも関わるだろう。彼は改めて気を引き締めると結界の点検を始めた。この後は夕食まで休憩にでもしよう。

 (そういえばあの竜はどうなっただろうか? あの時は本当に……どうかしていたな)

 ヴィストの顔が珍しく素直にほころぶ。それはほんの数分の出来事だというのに季節が巡る度に思い出してしまう。

 そう、あれは永遠に忘れる事が無いであろう朱鷺色の記憶――数年前の――。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 数年前の春。私は初めてあの人に出会った。

 グォオオオオーン!グクウウウゥ……!

 アオッ!……アグオオオーン!

 辺りをはばからず響き渡る愛の唄。当時私は狩を終え、洞窟へ帰る途中だった。
春は私達竜族にとっては貴重な繁殖の季節。滅多に仔が生まれる事が無いとはいえ、多くの番が誕生するこの時期は、どんな年経た竜も気取るのを止めて異性を口説くのに躍起になる。
 いつかはその中に加わる。そう思うと恥ずかしながら胸が期待に踊るのを感じてしまう。
"お前もそろそろだね"とおばあさまも言っていたし、次の年は私の傍に雄が寄り添っている事だろう。

 なんとなく首を巡らして鬣の毛並みを整え、自慢の朱鷺色の肌に曇りが無いか確かめる。
水溜りに顔を映すと横に張り出した角と共に赤と黄色、左右色違いの眼が私を見つめ返して来た。

 (お父様とお母様の形見……気に入ってはいるのだけれど)

 雷を司る角と左目、滑らかな肌は雷竜である父から。右目と熱を操る力は火竜の母から受け継いだ。二頭はもうこの世にいないけど、その血はいつも私の中を巡っている。


 (なんでこんな力まで持ってしまったのだろう)

 私は胸の内でため息をついた。ある魔力を備えたこの色違いの眼のおかげで、私は同族以外はまともに相手の顔を見る事ができない。石化や致死等剣呑なものでは無いのが救いではあるのだが。

 (よそう。おばあさまが言っていた。ため息を付くと幸せが逃げるって)

 私を一匹で育ててくれた偉大なるおばあさま。竜族としてはまだ数百年と若いけど、御歳数万の古老達からも『藍の賢毛』と呼ばれ一目置かれる知恵者だ。その恩に報いる為にも私は幸せにならなくてはならない。

 ――ガサッ!

 物思いに耽っていた私は、突然背後の茂みを押し分けた気配に現実に引き戻された。

 【……あなたは、地の血族の】

 振り返ったそこには、土気色の若い雄の地竜がいた。普段は付き合いの無い者だ、と思う。元々顔までまで強固な装甲に覆われているせいで誰が誰だが分かり辛いのだ。

 【オマエハ……狂乱の炎雷ノ落トシ仔、名高キ賢毛ノ孫……スーフィリューン?】


 地竜らしい抑揚の無い問いに私は頷く。両親が人間との間に起こした惨劇のせいで私の血族をよく思わない同族も少なくないが、おばあさまを敬称で呼んでいるので悪意や敵意は持っていないだろう。

 【私に何か御用ですか?地を従える同族よ】

 【……】

 名前が分からない事もありとりあえず格式ばったさぐりを入れてみる。彼の琥珀色の瞳はまるで本物の宝石のように揺らぐ事が無く、眼を合わせても何を考えているかは全く読めない。
 
 突如、私の本能が警告を発した。

 グオオオオオッ!

 あり得ないほどの俊敏な動き。雄たけびと共に地竜が覆いかぶさって来る。
 避けられなかった。体勢が悪いせいもあり、重く力強いその体躯を跳ね除ける事ができない。
私を押さえつけたまま彼はじりじりと体の向きを変えて行く。

 【ぶ、無礼な!あ、貴方は何をっ】

 私の声など耳に入らない様子で背中に跨ってくる地竜。その息は尋常で無い程荒く、ぐいぐいと腰を私の尻に押し付けている。そこに感じる硬い肉の棒に私は愕然とした。

 (発情してる!なんて事……私の、私のせいなの?)

 私の魔眼の力。それはおばあさまによると『相手を激しい喜びで満たす』ものらしい。
一見無害に思われるかもしれないが、度が過ぎるのが問題だった。我を失うほどの喜悦は、精神を雷に打たれた様に砕き、炎の如く焼き尽くす。人間の様に抵抗力の無い生き物は狂乱し、下手をすればその心は二度と戻ってこない。
 この力を使えば、獲物は苦痛では無く喜びに呑まれたまま息絶える。普通に殺すよりかえって残酷な忌まわしい力。
 
 とにかく理由は分からないが、私を犯そうとする地竜には確かにその狂喜が宿っていた。
理不尽に雌を屈服させ侵略する、獰猛な性の喜びに。

 (でも。でも同族には利かない筈なのに。どうして?)

 必死に雄の侵入を拒もうとするが無駄だった。最後の守りである私の尾は地竜のごつごつした太い尾に空しく絡め取られてしまう。そして……まだ誰にも触らせた事の無い、大事な、大事な場所に雄の熱が――。

 【いや! いやぁああああっ】

 恥も外聞も無く私は咆哮した。いつかは雌として雄と結ばれたいとは思っている。でも、でもこんなのは嫌だ。しかもよりによって、あの力のせいなんて!

 グアァオオオオオオ!ギュイオオオオオーン!

 ……もう、駄目だ。助けを求めてもそれは空しく森の喧騒に飲み込まれ……。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 森の喧騒に飲み込まれそうではあったが、その悲鳴には無視できない何かがあったのだとヴィストは思う。当時レンジャーとして森に逃げ込んだ密猟者を追っていた彼は、いつもなら春の風物詩と流すその声に、ほんの気まぐれを起こして足を向けたのだった。

 『まったく獲物を逃がすは腹減るはでもう帰りたいのに、なんでだか……うぉっと!』

 自分でもワケが分からんと面倒くさげにぼやきながら、ヴィストは護身用の戦杖で茂みをかき分け進んでいく。悲鳴の大本とおぼしき藪を突き抜けたその先で見たものは――。

『んなっ……!』

 グオ!グル!グオルルルル!

 ――地に押し付けられ、泥にまみれる鮮やかな朱鷺色の肌。

 グアァオウ!オウウウゥゥン……。

 ――仰け反る赤と黄色のオッドアイ。艶やかな藍色の鬣は陵辱の唾に汚されてもなお美しい。

 ヴィストの前には、地竜に手篭めにされようとする美しい雌竜、その虚ろな絶望が横たわっていた。

 『す……凄い……い、いや! こりゃ失礼しましたっと!』

 人、もとい竜の恋路を邪魔したと思われると命が危うい。硬直が解けたヴィストは即座に身を翻すと、一目散に逃げ――られなかった。

 オウウッ!オウウウウゥン……。

 この時は本当にどうかしていたと彼は思う。強引な求愛など幻獣には珍しくない。そこに人間の勝手な道徳観を振りかざすなど愚の骨頂だ。異種族間の境界を守るレンジャーとしては不介入を貫くべきなのは理解していたし、理性は少なくともそう結論していた。


 ……その筈だったのだが。

 悲しげな雌竜の叫びと、刹那交錯したその瞳をヴィストはどうしても振り切れなかったのだ。

 『あーもう訳わかんねぇ! とにかく止めろコンチクショォオオオ!』

 振り向きざまに跳躍、着地と同時に竜達の背後に踏み込み。上体を右上に捻り手にした戦杖に彼は力を溜める。とはいえ本来なら最強の幻獣に人間の生半可な攻撃なぞ通じない。
だがこの得物なら話は別だった。

 "sow key mid set――"

 呪言詠唱>>魔力起動。杖が歪んだ輝きを放つ。それを迷うことなく右上段より袈裟懸けに。まさに雌を侵略せんとする地竜の……隆々たる逸物に叩き付けた。
 
 『その魂を、乱せぇえええっ!』

 ――炸裂。

 アギャグァオオオオェアアアアアア!!

 急所と魂を掻き乱す激しい苦通に雄が仰け反り悶え狂う。雌竜は秘所を暴かれるまさに紙一重で解放された。転げつつも離れる彼女を確認し、ヴィストの顔に安堵がよぎる。
 
 しかし一方。周囲をなぎ払う暴威は実に容赦なく、油断した加害者に報復した。

 ――炸裂。

 『ぐぎゃ! やっぱヤルん、じゃなかったぐはっ! おぐっ! ぐぇええええーッ!』

 地竜の尾に跳ねられ、木々をへし折りながら飛ばされていく闖入者の末路。かろうじて巻き添えを逃れた雌竜はひたすらそれを見送っていた。
 人間とは異なるが、明らかに間の抜けた……唖然とした表情で。

 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
【……というワケで、あの人間がどうなったかはわからないんですけど】

 【なるほどねぇ。そりゃお節介な人間もいたもんだ】

 おばあさまの頷きにあわせその藍色の鬣が優雅に波打つ。齢に従って美しく伸
びるそれは、体半分を覆う薄青い体毛と合わせて『賢毛』と称される由縁だ。

 地竜の暴行から逃れた後、消えない不安に駆られた私は一目散に彼女の洞窟へ逃げ込んだ。事情を説明した後、あの人間の安否ぐらいは確かめるべきだったのだろうか、となんとなく尋ねると、私の倍以上ある体を揺らして大笑いされてしまった。

 【あっはっはっは。ウチのかわいい孫がオンナになるのを邪魔してくれた変態なんてほっとけばいいのさ? おかしな事を気にする仔だねぇ】

 【お、おばあさまっ! それはいくらなんでも言い過ぎですっ!】

 私はらしくなくカッとしてしまった。自身の好みはともかく地竜の求愛は間違いでないのは理解している。あのまま仔を孕んでいれば、良き父親であり伴侶になってくれたかもしれないのだ。でもなぜかあの人間の悪口を言われるのが気に入らない……。
 困惑する私をおばあさまの黒瞳がやさしく、それでいて心の底まで射抜くように見つめて来る。

 【フフフ。そんな気になるかい?】

 【え? あ、いえ! すみません。……まだ落ち着いていないんです。きっと】


 【ムッフッフッフ。落ち着かないねぇ。まあそりゃそうだろうさ】

 おばあさまの意地の悪い笑みがますます大きくなる。何か間違った事でも言ってしまったのだろうか。ますます狼狽する私にとんでもない一言が放たれた。

 【欲しいのかい? あの人間が】

 瞬間。全身が朱に染まるのを感じる。

 【そ、そんなはしたない事! お、思ってないです! その……確かにお節介かもしれませんけど、善意でしてくれた事ですしお礼をしたいというか】

 考えが、言葉が繋がらない。もう完全におばあさまの術中だ。

 【どうしてなんでしょう? なんでこんなに気になるのか……あ! お、雄として見てる訳じゃないんです! そんなの変態ですよね。でも……】

 【あー、はいはい。そこまでにしときな。もう十分わかったからさ】

 呆れかえった様子でおばあさまが私を遮った。

 【全く……ここまで素直だと将来が心配だねぇ。よりによって異種族に惚れるなんて、頭の固いエルダーの連中が聞いたら一騒動だよ】

 しょうのない仔だ、といいながらも彼女は翼で包み込む様に抱きしめてくれた。
不安に震える私を首を擦り付けてあやしてくれる。


 一族の古老達で、おばあさまをよく思わない者がいるのは知っている。今の私は間違いなく攻撃の材料にされるだろう。でも今のやりとりで自分の気持ちがはっきりしてしまった。もう隠す事はできない。

 【申し訳ありません。私はあの人間の事が、まだ顔も名前も知らないのに……】

 【玩具にしてみたい、と。悪趣味だけどまあ竜としては問題ないさね。そういう事にしておきな】

 穏やかで、それでいて有無を言わさぬ圧力がこもった囁きに反論は封じられてしまう。
隠し事の下手な私に対する心遣いだろう。素直に頷く事にした。

 【さてと。話を纏めるとお前はたまたま目にした人間を、慰みモノにしたいと思って
るんだね?】

 声色は真剣だが、その瞳は悪戯っぽい輝きに満ちている。おばあさまの問いに何故か
私は浮き浮きしながら答えた。

 【はいっ! 私はあの哀れな人間を捕らえていろいろ弄んでみたいで、すぅッ……】

 迂闊にも言葉通りの自分を想像してしまい、ものすごく恥ずかしくなってしまった。
 よ、よりによって、まだ見た事の無いあの人の――を指と舌で――! 
 
 ……本当にどうかしている。今ならお母様の様に火が吹けそうだと思った。

【ほらほら、地面が焦げてるよスーフィ】

 実際体温はそれぐらい上がっていたらしい。足元から立ち上る焦げ臭さに私は現実に引き戻された。慌てて胸の中で何度も繰り返す。私は人間を玩具としか思っていない、思っていない……よし。もう大丈夫だ。



 【では、かわいい孫の為にこのおばあさまが秘伝を教えるとするかね。いいかい? まず人間てのは捕まえる分には意外と手強い。力押しで行っても逃げられるか、死んでしまうさね。そこでこれだ】

 前触れも無くおばあさまの巨体が収束。人間の雌へと変化する。
 見事な変身……頭以外体毛の無い肌色の表皮と、竜と比べ豊かな乳房を備えたたおやかな肢体が印象的だ。

 【す、凄い……】

 【人間の雄ってのはバカだからね。コレを見せてやるだけですぐ呆けちまうのさ。そうなったらもう無防備だ】

 人間は体に布を纏っている者が多いが、そんな理由があったのかと感心してしまう。確かに相手を見る度に発情していては、社会的にいろいろと問題が出るだろう。

 【簡単に捕まえられる、と言いたい所だけど、その前にいろいろとやる事があったりしてね】

 指を一振りするとおばあさまの体を衣服が覆う。野性的な悪戯っぽい笑みは本来の姿
と変わらず、同性の私から見ても魅力的だ。

 【露骨に交尾を迫ると警戒される事があるから気を付けるんだ。まずは信頼させて、向こうから求めて来るようにするんだよ。それには……】

 この日から数年間にわたる、私とおばあさまの秘密の修行が始まったのだった。

 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『はーっくしゅん!』

 日課を終え、小屋の中でくつろいでいたヴィストは、久方ぶりにぶり返したくしゃみに少々悩まされていた。念の為にと処方した薬茶も半刻前に飲んだばかりだというのに。

 『んーこりゃアレだ。噂をすればなんとやらってヤツか?』

 と己が言葉に苦笑いする。噂をされるくしゃみをするという迷信を思い出したワケだが、そもそも自分を気にかけてくれる者などこの世にそうはいない。
 一応貴族のはしくれ、ケスキー家の次男ではあるものの、両親は他界し長男が順当にその跡をついだ。従って望めるのはお家の為にどこぞのいきおくれにでも婿に出される、せいぜいそのぐらいが関の山。

 (冗談じゃないぜ、全く。まあかといって跡を継ぐのも面倒なんだが)

 世間一般には幸運に、いくつか縁談はあった。しかしヴィストには不運な事に、貴族独特のしきたりに満ちた生活は、うっとうしい以外の何物でもなかったのだ。
 話を断る理由として騎士修行の道を選んだものの、そこでも彼は形骸化した騎士道のしがらみに馴染めなかった。八百長当たり前の御前試合に、歯がむずがゆくなる様な貴婦人への奉仕の数々。


 致命的な軋轢が生じる前にとヴィストは自ら出世の道を外れた。実質閑職の任務、幻獣の森との境界線に詰めるレンジャーへと志願したのだ。
 表向きはかつての敵対者、幻想種の侵攻を監視する名誉ある職だが、今は停戦協定が結ばれてから既に数百年の太平の世。赴任してから数年、当たり前ではあるが事も無く務めている。

 (まあ、暇な仕事ってだけじゃここには来なかったけどな)

 大抵の事に無関心なヴィストの執心する数少ないモノが、この森には満ち溢れていた。
仕事にかこつけて幻想種を間近に見れるのはここしかない。
 別に世の中に出す気は無いが、いまだ知られざる彼らの生態を書き連ねた書物は物置の3分の1を占めるまでになっていた。
 そのせいで時折物好きな学者連中の護衛と案内をさせられる以外は、概ね満足できる生活だ。これ以上何を望むのというのだろうか。

 (――だが、足りない)

 異性としてのそれも含め付き合いをうざったく感じるのは間違いない。一人の方が気楽でいい。いい筈だ。何度も繰り返した確認をヴィストは反芻する。

 (――欠けている)


 なのに。この胸に穴が開いたような物悲しい感情は何なのだ。

 『いや、分かっているんだけどな。……認めたくねぇが』

 一人は、寂しい。

 ごくごく当たり前の、覚悟していた事だ。無論不能ではないからそれなりにもよおす事も多いが、自力で処理できるので問題は無いと思っていた。

 『……ちくしょう。しょうがないか。俺も男だしな』

 ため息をつきながら、彼は一服しようとベッドの下にあるものに手を伸ばし――。

 (――!)

 突如、強烈な違和感に襲われた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 その違和感は、僅かとは言え見逃せないものだった。

 (――!)

 脱力感にも似た戦慄にわたしは一瞬緊張した。が竜独特の感覚がその正体をすぐに悟る。

 (侵入者用の、結界)

 私達とは違い、人間は日常生活など驚くほど細かい所まで魔法を常用する。身体的な弱さをそれで補っているのだとおばあさまは言っていた。余り思い出したくは無いが、私の両親を殺したのも魔法の力だと聞いている。

 (存在を悟られた? でも)

 元よりこの程度は承知の上だ。今の私は人間にとって年頃の娘に見える様にしてある。
道に迷ったなど適当に理由をつけてごまかせばいい。結界には簡単な探査の効果もあるが、未熟な私の変身はともかく強大なおばあさまの幻術はこの程度で破れはしない。
 確信はしていても、なんとなしに足が鈍ってしまうのは私の気の弱さのせいだろう。

 (数年間……あれだけ、あれだけ我慢したのに。ここで引き返してどうするの)

 あの出会いから数年。春を迎える度襲われる情欲の飢えを必死に耐えてきた。同族の雄の匂いを嗅いだだけで、飛び出していきそうになったのも一度や二度では無い。おばあさまに自分で凌ぐ術を教えてもらっていなかったら……どうなっていた事か。

 (全ては、全てはあの人に会う為に!)

 私は自分を叱りつけると、目前の橋、その先に見える小屋目指して足を進めていった。

 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ――橋を渡った。

 魔術により拡大された擬似知覚が、ヴィストに警鐘を鳴らしてくる。有事など滅多に無いとはいえ、人間を超えた能力を持つ異形の巣窟を相手にするのだ。当然住処にもそれなりの備えはしてあった。
 
 人間の世界と幻想種の森を繋ぐ、数少ないルートである彼の詰め所。その周辺には侵入者を感知する結界が張り巡らせてある。それが伝えてきた侵入者の概要は心底震え上がるものだった。

 (り、竜だって? オイオイオイオイ! 何かの冗談だろう?)

 そうだと言ってくれと祈るような気持ちで、再度情報を要求したが結果は同じ。よりによってこのタイミングでとんだお客様だ。

 (いや、ナニしてる最中でなくてよかったか)

 少なくとも痴態を晒したまま死ぬ事は無い。と緊急時に似合わぬ下世話な発想ができるのはまだ余裕がある証拠だった。ヴィストは苦笑いしながらも唯一の得物――戦杖を握り締める。

 (生半可な魔術では止められない。備え付けの防御でちまちまやるだけ無駄か)


 怒らせて強制的に戦闘になってはたまらない。内心の恐慌を理性で押さえつけると、彼は敷地内の魔術防御を全て眠らせた。こちらに敵意が無い事を暗示する為だが、十分引き付けて同時に発動、いざとしての目くらましとする算段も含んでいる。

 ザシュッ……ズリズリ……。

 (来たか。だが妙だな)

 研ぎ澄まされたヴィストの聴覚が小屋の中からでも侵入者の足音、いやこの場合は尻尾も引きずる音をも捕らえた。奇妙な事にブレスの射程内にも関わらず止まる様子もなく接近を続けている。普通ならここで具体的な動きがある筈なのだが。

 (まさか! 律儀に玄関からこんにちわじゃないだろうな?)

 一瞬浮かんだありえない光景を楽観的過ぎると振り払う。しかし竜は知恵と理性も備えた生き物だ。ここまで来て攻撃が無いのは、話し合いの余地がある用向きかもしれない。
 そう思っても扉を開ける決心はなかなかつかなかった。その内強大な気配が扉のすぐ向こうに肉薄するのが感じ取れる。

 ――コンコン。

 『あ、あー。あのぉー。こ、こんにちわぁ? いらっしゃいますよね?』


 (ぬ! ぬわんだってぇええええ!)

 扉を叩く音と、うわずってはいたが挨拶の声にヴィストは内心の驚愕を必死に抑える。
響きが歳若い娘のソレだったのにも拍子抜けした。死をも覚悟して盛り上がっていた自分がとてつもなく間抜けに思えて来る。
 がすぐに気を引き締めた。まだ騙し討ちの可能性が消えたわけではない。わけではないのだが……。

(どんなヤツか、確かめて見るのも悪くないか?)

 気配を殺して扉の覗き窓を覗くと同時に、彼はふたたび心の中で絶叫した。

(り、竜だって? オイオイオイオイ! 何かの冗談だろう?)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『あ、ああ、あのぉ。道に迷ってしまったのでお尋ねしたいんですけど?』

 緊張のせいか上手く舌が回ってくれないのが恨めしい。いくら可愛い娘の姿でも、これでは挙動不審で警戒心を抱いてしまうだろう。実際小屋内の気配は扉の向こうで動かないままだ。
 
 こんな最初からしくじってしまうなんて。竜としてはいささか躊躇われる行為だがこうなったら仕方が無い。あの方法でいくとしよう。


★★★★★★★★★★★★★★【おばあさま口伝】★★★★★★★★★★★★★★★★★
 
       "人間の雄は弱い雌が大好き。弱みを見せて頼れば食い付く"

           ※発情させない様やり過ぎに注意する事。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


 私は教わったとおり、地面に腰を落とすとしおらしく顔を覆う。そして――。

  『お願いです。助けて下さい。さっき竜がうろついているのを見たんです。私怖くって怖くって……もう、もうどうしたら……』

 と半分本気で声に泣きの成分を混ぜてみる。案の定効果はあっ……。

 『だぁあああーっ! そういうオマエは何だぁああああーっ!』

 勢い良く扉を蹴り飛ばして一人の人間が食い付いてきた! 
 あの時と同じ、後ろに束ねた黒髪とやや痩身ではあるが筋肉のついた体。間違いなく
あの人だ。策が効き過ぎたのかかなり興奮気味にまくしたてて……何かがおかしい。


 『り、竜が怖いだと? そんなたわけた事言うのはこの口ですか? 角ですか?、尻尾ですかぁああああ!』

(え? あががが。そこはそんなにさわっちゃ……駄目ですっ! あああああ)

 何が何だか分からないが、とても興奮し、少し安堵し、そしてものすごく怒っている。
そんな彼に圧倒され、私はされるがままに体をこねくりまわされていた。

 『第一何か? どこの世界にエプロン付けてリボンを飾った竜がいるっつーんだ! 
あーダメダメもう禁止! イメージが壊れるから竜はエプロン禁止!』

 『 よ、よく分かりませんが、申し訳ありませんすみませんごめんなさいっ! とにかくお、おち、落ち着いて……』

 我を失いかけている人間の血走った眼。それに向かって私は必死に懇願する。その前に決定的な何かをしでかしてしまった気もするのだが、今となってはどうでも良い事だった。

 『さんざん脅かされた挙句がこれで落ち着いていられるか!……ってアレ? な、何だが気持ちい、イ……イク。ぽけっ……』

 今までの勢いはどこへやら。急に幸せそうに呆けてしまった彼に私は己が失態を悟った。

 (わ、私とした事がなんという……! お、おばあさまどうしましょう?)

 魔眼の力に放心状態に陥った人間を抱えて、私はおろおろするばかりだった。

 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『う……げぼぇっ……ぐっ』

 心地良い意識の混濁が醒めていく。それは悪酔いした時の目覚めを何百倍にも濃縮したかの如く強烈だった。
 中のものが胃ごと吐き出せそうな激痛。のたうつヴィストの体を柔らかい感触が支えてくれている。

 『あ! あのぉ……しっかり』

 つるつるとした感触と沈み込むような柔らかさが額を撫でる。貴族時代の豪勢な寝具より上質な感触に彼の苦痛は癒されていった。

 (俺は、いったい……たしか夕食前に)

 ナニをしようとしたか、と緩慢な追憶が一気に急加速、時の流れに追いつく。

 『うぐはっ……! り、竜がっ!』

 『きゃああっ!』

 臨戦態勢を取る体が拘束を振りほどくと同時にかわいらしい声。どすん、という音――
軽いか重いかはあえて考えない方がいい気がする――がヴィストの耳朶を打つ。

 『!……俺は』

 体に遅れて意識が現状を把握する。小屋の玄関。意識を取り戻した自分と、突き飛ばされて倒れている、朱鷺色の竜。
 

 横に張り出した一対の角と藍色の鬣。俯いている為顔は見えないが恐らく若い雌だ。が彼の知識と何か違和感がある。

 (二足歩行種にしては妙な体型だな)

 警戒しつつも持ち前の探究心が観察と分析を始める。まるで無理矢理人間の体型に合わせた様に見えるのは、人間の衣服を身に着ける為だろうか。

 (しかしエプロンってのは……人間に化けるにしたってどうかと思うがな)

 さきほど愚かにも取り乱してしまった原因、竜の身につけているエプロンとリボンにヴィストは苦笑する。この格好で乙女の様に振舞われるのは非常にシュールな光景だ。
 おそらく自分でなくてもツッコミを入れたくなるだろう。

 『あ、あの、そんなに見ないで下さい……恥ずかしいです』

 羞恥に困りきった声とちらちらと向けられる視線。まるで下着を隠そうとするかの如くエプロンの裾を引っ張る雌竜に、彼はとうとう我慢ができなくなった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『あの、な。見えてるんだが』

 (え? えっと)

 唐突な人間の指摘。下着が見えてると言いたいらしい。ある筈のそれを私は必死で隠すフリをした。


 『すみません。はしたない真似をしてしまって……』

 と詫びるが、彼の表情はますます険しくなる。まさか……まさかふしだらな娘だと軽蔑されてしまったのだろうか。

 『すす、すみませんっ』

 『いや、だからもう見えてるんだって』

 ますます苛立ちを帯びる声。私は跳ねる様に立ち上がり姿勢を正した。眼を伏せながらも人間の様子を伺う。ここは何とか彼の不興を宥めねばならない。

 『失礼しました。あ、あの……』

 『ヴィスト=ケスキー、ヴィストでいい。ここの管理人みたいな仕事をしている……って知っているか。それよりだ』

 空気が鳴りそうな勢いで彼が私を指差す。

 『その人間の格好は何のつもりだ?』

 (え? えええええええええ!)

 指摘の意味する所に私は驚愕した。ウソだうそだ嘘だありえない。
おばあさまの幻術が人間如きの結界に破られたという事実。そして何よりそれに気が付かず醜態を演じ続けた自分に頭の中が真っ白になる。


 『み、見えてるんですか? その……』

 『角も、かわいい尻尾も全部だ。盛り上がっているトコ申し訳ないんだが……どうみても人間以外の何かにしか見えん』

 心底あきれ返った声に私の頭の中が一転真っ暗になる。

 (お、終わりだ……おばあさまあああああっ)

 最悪の展開。絶望に竜としての矜持すら崩れていく。恥も外聞も無く私は荒れ狂う感情に身を委ねていった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『うっ……ウウッ……』

 (ま、まずいっ! 怒らせたかっ)

 感情の赴くままに失態を犯した自分にヴィストは愕然とした。よりによって竜族相手の交渉にあるまじき粗相だ。卑屈になる必要は無いとはいえ、それなりに敬意を持って接するべきだったのだがもう遅い。

 完膚なきまでにプライドを叩き潰され身を震わせる竜。その荒れ狂う感情が咆哮と共に彼に向かって吹き出した。


 グァオオオオオ! オウウウゥーン!……。

 (お、終わりだ! 避けられな……あれ?)

 予想していた痛撃の無さに構えを解いたその先には。

 グウウウ……オウウ……オウウウン……。

 地面に崩れ落ちまるで人間の様に泣きじゃくる、竜の姿が。

 (これが竜だって? オイオイオイオイ! 何かの冗談だろう?)

 本日三回目となる心中の叫びをよそに、なんとなく罪悪感がこみ上げてくる。その、何かとてつもなく気まずい雰囲気だ。とにかくよくない。よろしくない。
 コイツは竜だ。人間とは違うが、でも。

 (まてよ……この雌竜は)

 頭の中をよぎった強烈なデジャヴ。ヴィストの中で一つの記憶が再生される。それに後押しされる様に自然に体が動いていた。

 ――あの時と同じ様に。あの声が、涙が振り切れなくて。

 『す、すまん。悪かった……その、泣かないでくれ』

 身の危険を顧みず、彼は雌竜をやさしく抱き起こしていた。

 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

――数分後。

 『……というワケで、ただお礼をしたかっただけなんです。お騒がせして申し訳ありませんでした』

 『あ、あ……そうなのか、そうだったのか。いやこちらも取り乱してすまなかった』

 日も沈みかけ、いつまでも玄関口にいるワケにもいかないとヴィストは泣きじゃくる雌竜をなんとか宥め、小屋の中に招き入れた。
そしてとりあえずテーブルを挟んで事情を聞いていたりするのだが。

 (しかし、外見はともかく振る舞いは人間の女の子そのものだな……)

 純情で世間知らずなお嬢様タイプか。仮に人間の姿にして見ると……うん、かわいい。
分析が妄想に変わりつつある事に気づき、彼は内心苦笑しながら思考を修正する。
 とにかくこれは尊大で近寄りがたいとされる竜族像に、紛れも無い変革をもたらす貴重な一例、その観察だ。邪険に扱って竜族から恨みを買うのを防ぐという計算もある。それ以上の意味は、無い。無いのだが。

 (思ったよりすべすべして、柔らかい体だった)

 彼女(?)を抱き起こした際の感触をヴィストは手の平で追認する。全身で抱きついたらさぞかし心地良い……いかん。そもそもこれは学術的な……。


 『あの……手を傷めてしまわれたのですか? それとも私の力がまだ抜けて……! ど、どうしましょう!……ウウッ』

 心底彼を案ずる雌竜の声。思考の循環に入りかけた彼は慌てて意識を目前に戻した。

 『い、いやいやいや! 違うんだ。これは、その薪割りで疲れたんだろう』

 魔眼の弊害を避ける為か、顔を背けている雌竜の目尻に光るものを見つけたヴィストは、ふたたび彼女を宥めるのに必死になった。

 (本当に傷つきやすい性格だ。見てられないぜ……とはいっても)

 頭を撫でるなど馴れ馴れしくするのは命取りになりかねない。年若くても性格が人間の娘でも、竜は竜、最強の幻獣なのだから。
 その判断はどこまでも理性的で正しい。だが感情的には彼女に触れたくて仕方が無いのもまた、間違いでは無かった。
 場と自分を誤魔化す為にヴィストは会話を継ぎ足していく。

 『そういえば失礼にも名前を聞いていなかったな。ええと……』
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『スーフィリューン、です。親しい方々はスーフィと呼んでくださいます』

 あなたにはむしろそちらで呼んで欲しいんです。と言葉の裏に想いを込めて私は目の前の人間――ヴィストさんに名前を告げた。

 (やっと……やっと言えた。予定とは違いますが上手く行きましたよ!)


 心の中でおばあさまに語りかける。正体がばれた時は地竜に犯されかけた時以上に絶望したけれど、また彼が助けてくれた。言葉使いは乱暴でも、その振る舞いはとても優しくて……その差がまたたまらなく魅力的に思えてくる。

 (それに思ったよりもたくましくて……いい匂いの体だった)

 取り乱した私を抱き起こしてくれた時は、別の意味で我を失うところだった。
このまま彼を押し倒して無理矢理に……! 迂闊にもその光景を想像してしまい、全身がカッと熱くなる。

(――いけない!)

 木造の椅子を焦がしたら一大事。私は慌てて立ち上がると被害が無いかどうかを確かめる。どうやら粗相をせずに済んだようだ。

 『おっ、すまない。その椅子は人間用にしか作っていないんでな』

 『いえ! 私が未熟なので上手く体型を作れなくて……申し訳ありません』

 ありがたい事に、ヴィストさんは椅子が合わなかったと誤解してくれた。
 それにしても体型はともかく、おばあさまみたいに完全に人間へ化けられれば、自然に視線を交わす事ぐらいはできる筈なのに。いけない事とはわかっていても両親から受け継いだ己の魔力が恨めしかった。

 『え、えっとそれでですね。お礼の事なんですけど』


 来訪の目的は、数年前の暴行から助けてくれた件、そのお礼という事にしてある。私は後ろ向きになりかけた自分を押しのけて思考を切り替えた。そろそろ次の策を実行に移すとしよう。


★★★★★★★★★★★★★★【おばあさま口伝】★★★★★★★★★★★★★★★★★
 
      "人間の雄は家庭的な雌が大好き。エプロン一つで相手はイチコロ"

           ※まだ発情させない様やり過ぎに注意する事。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


 『――ふつつかものではありますが、身の回りのお世話をさせて頂きたく思います』

 なんとなく身に着けていたエプロンの紐をぎゅっと締めなおし――少しキツイけど我慢して周囲を見渡す。……あった。

 『お食事、まだですか? 台所をお借りしますね』

 『あ、いやそのちょっと……し、食材取ってくるから待っててくれ』

 気迫に押されたのか、逃げる様に床の貯蔵庫を探り始めたヴィストさんを尻目に私は浮き浮きと準備を始めた。半ば強引な始め方が少々不安ではあるものの、作戦が成功すれば帳消しになる筈。それぐらい絶大な効果が期待できるとおばあさまのお墨付きなのだ。

 ――はじめての手料理は。


 『っと。すまん。自作の畑と保存食ばかりでロクなモンがないんだが……』

 彼の言葉とは裏腹に見事な色艶の野菜と、薬草の類が運ばれてきた。塩付け肉や干し魚もあるし、これなら滋養のあるモノが作れそうだ。
 私は数年間必死に覚えた知識を総ざらいして献立を組み立てた……これならいける。確信に満ちた高揚感に包まれ、ますます楽しい気分になってくる。

 『ありがとうございます! おいしいモノ作りますからそこで待っててくださいね!』

 息荒くヴィストさんをテーブルへと追い立て、私は鼻歌交じりに調理を始めた。

 グルルルッ〜キュンキュン♪グルルルキュ〜ン♪

 何故か異様なまでに楽しげに。強引に料理を作り始めた雌竜――スーフィリューンの奇妙だが可愛らしい鳴き声が響く。

 (俺は、今凄い体験をしているのか?)

 ヴィストは夢を見ているのではないかと何度も頬をつねった。が目前の珍事は消えてくれない。竜というより亜人に近い朱鷺色の体躯に、無理矢理まとった感のあるエプロン。
藍色の鬣と尻尾がリズムを持って左右に揺れている。

 (今まで苦労して集めた竜族の資料が……これじゃ大幅修正だな)

 いやむしろ一から書き直したほうが手っ取り早いかもしれない。その、目の前の好例が許してくれれば、是非色々と研究を。
 何せ家事をこなし、唄って踊る竜など、人類は未だ出会ったためしは無いのだから。

 (知識は学習によるものだとしても。人間的すぎるふるまいは変身の影響か?)

 彼は胸躍らせながらあれこれと推測を楽しむ。そういえば雌竜の格好はどこかで見たような気がしなくもない。どうでもいい事のはずだが何か引っ掛かる。

 瞬間、ある単語が脳裏に閃いた。

 (マジかよ! い、いやそんなふしだらな……だが確かに)


 条件は、当て嵌まる。

 ――それは貴族時代、何度か下町の悪友に見せてもらった艶本にある、古き良き風習。

 (確かに、それ以外は何も着ていない)

 ――つまるところの、裸エプロン。

 (うわわわ! ナニ、いや何考えてるんだ!)

 健全な男子としてはその、分からなくも無いが分別ある大人いや人間としては倫理的にというより異種族に欲情する方が精神的に大問題というかその。

 (俺の大馬鹿野郎! 下手したら今度こそ殺されるぞ!)

 ヴィストは背筋に無理矢理理性の冷水を流し込み、何とか混乱から立ち直る事ができた。
気の迷いとは言え、今の考えを少しでも悟られたら……いたたまれない気分だったが、それがかえって有難かった。

 ……だがしかし。一度覚えた感情はそう簡単に忘れる事はできない。そして偶然の悪戯は時として連鎖するもの。

 ゴクッ!

 唾と共に飲み込んだ、危うい緊張がヴィストの全身に広がっていく。特に体の一部に集中するコレはかなり。


 (や、ヤバイ。みみみ見えた。見てしまった)

 エプロンの紐がキツイのか、尻尾で押し上げた瞬間はっきりと。思ったよりこじんまりとしておくゆかしい奥さんタイプというか。あ、いやもとい。

 (俺はいったい……どうしてしまったんだぁ!)

 ヴィストは己の下半身を呪いながら、とり急ぎ顔を背け緊急避難。しかし彼の眼球は大胆にも主人に異を唱えた。くねくねと大胆に踊る雌竜の尻尾。その下にある秘密の場所に視線を送り込もうと反抗を続ける。

 (ウソだうそだろ嘘だって! 俺は人間以外に欲情したりしねぇええええ)

 また、見えた。踏ん張ったせいか今度はよりしっかりと――御開帳。

 自身の唾を呑む音が、やけに大きく聞こえた。
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ――ゴクッ!

 また聞こえた。ヴィストさんが唾を飲み込む音。いい匂いが辺りに立ち込めているせいだろう。人間と竜の好みの違いが少し心配だったけどこれならもう安心だ。

 (すごくイイ感じ。もう少しだけ待っててくださいね♪)

 嬉しくて手元が狂いそうな自分を抑えつつも、腰から下は喜びが素直に出てしまっている。エプロンの紐を押し上げた尻尾がうねって辺りに粗相をしないか少し心配だ。


 ――ゴクッ!

 またまた聞こえた。今度は抑えてはいるものの荒い息遣いまではっきりと聞こえてくる。
私は内心苦笑した。

 (もう、そんなに待ちきれないんですね。食いしんぼさんなんだから♪)

 しょうがない人だと、私は彼の様子を横目で伺った――

 (え? ええええええ! こ、これって!)

 私から眼を逸らしては、戻すのを何度も繰り返しているヴィストさん。視線の先にあるモノを理解して……私は愕然としてしまった。

 (わ、私の雌の部分を……見られてる? )

 そういえば人間が異性の前で裸になる時は、交尾に関わりがある事が多いとも聞いていた。変身の不完全な私はよく考えたらいつもの通り裸なのだ。でも私を異種族として見ているからなんともないと……。

 ――もしかしたらこのエプロンがいけなかったのかも知れない。

 (まさか……これが"裸エプロン"?なのかしら)

 性的な所のみをぎりぎり隠す(?)事で全裸よりも魅力が高まる事もあるそうだ。"バカっぽい手だけどね"とおばあさまが苦笑交じりに語ってくれたのを思い出す。


(もうっ! 私って何てはしたないんだろう……人間の雌でも最初からこんな事しない)

 でも今更隠すのも変に思われそうだし……それになんだムズムズして気持がいい。見られているのが――気持いい。

(嘘っ? ああっ……ヤダ)

 体の芯に火がついたような感覚。その熱にあぶられ溶けるかの様に雌の奥が潤ってくるのが判る。もし垂れてきてそれが見られたら……どう言い訳したらいいんだろう?

(はやくっ、早く火を止めなく、ちゃ……)

 焦げそうな肉を間一髪で救い出し、お皿に野菜を盛り付けて。後ろ向きの窮地を脱するべく、私は今まで以上に調理に躍起になった。

 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ガチャガチャとやや荒っぽく食器の触れ合う音がする。

 (ややや、やばいっ!)

 料理の盛り付けに入ったスーフィに、煩悩より本能が勝りヴィストは平静を取り戻した。
命あっての物種とはよくいったものだ。

 『は、はぁーい……お待たせしました』

 『お、おう。そんな事はないさ』

 動揺で声にビブラートが掛かってはいたが、そんな彼を訝しむ様子も無く雌竜は次々と料理をテーブルに並べていく。どことなく気疲れしている様に見えるのは気のせいなのか。

 『なぁ、その、大丈夫か? 慣れない事をさせてしまって、すまん』

 『い、いえ! すみません。私ったら……』

 人間の道具はやはり扱いにくかったのかとヴィストが気遣うと、とたんに雌竜の声が跳ねあがると、急に沈み込む。まるでミスをしたのを隠しているかの様に。
 なんとなしに場の雰囲気が落ち込むのをヴィストは慌ててフォローする。

『さてと! さっそく頂くとするか……お!』


 ほう、と献立を一瞥した彼は思わず感嘆のため息をついた。

 ◆塩付け肉のステーキ、レモンソース添え。

 ◆干し魚と野菜のマリネ。

 ◆山菜の天麩羅、ニンニクすり身ソース付きetc。

 なかなかどうして、まるで人間が作ったのと変わらないような見事な出来栄えだ。

 (後は味、か)

 少々不安ではあるが、食欲を刺激するこの香りは本物だ。ヴィストは唾を飲み込みながら料理に手を付け――。

 『おおっと失礼。いただきます』

 貴族時代のテーブルマナーを思い出し苦笑いする。こうして他者と食事をするなど数年ぶりだ。暖かい気持ちが彼の胸に沸き上がる。

 (雌……いや、女の子なんだよな)

 相変わらず魔眼を合わせない様うつむき加減ながら、期待と緊張を交互に送ってくる
スーフィの視線が照れくさい。これまた例の艶本に似たような状況があった気がする。

 (バカっぽいが、これはいわゆるその……)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 (新婚さん、というモノなんでしょうか?)

 返事が返ってこないのは承知で、胸のうちでおばあさまに尋ねてみた。たしか契りを結んだばかりのつがいに多い光景だと聞いている。交尾が主体の私達と違い、人間は食事においても愛を確かめ合う事ができるのだ。聞いた当初は奇妙な風習だと思ったが、今はその喜びが理解できる気がする。

 (もし口に合わなかったら、どうしよう)

 胸をよぎる不安もそうでなかった時の喜びを増してくれる調味料だ。わたしは怖くてはずかしくてうれしくて、もうどうにかなりそうだった。

 『あむ。んっ……ふんふん……』

 ヴィストさんが真剣な顔つきで私の料理を味わってくれている。吐き出したりしない所を見ると極端に外れた出来では無さそうだが、私が一番欲しいものがその表情には無い。

 『あ、あの!』

 『ふんがぶへ?』

 不安が言葉になってしまった私に、怪訝そうに彼が反応する。やや不機嫌そうなその視線にますます緊張してしまうが、もう黙ってはいられなかった。

 『そ、そのどうでしょうか? お、お口に合わなければべ、べ別に残しても……』


 『ぶがな。むぐむぐむぐ』

 彼は慌てた様子で口中のモノを飲み込むと、真剣な顔つきで私を睨み付けた。正直長老たちの前に召還された時よりも恐ろしい。彼の言葉を聞くのが怖い。

 『ばかな。まずいなんて言えるわけないじゃないか』

 『え? ……あ、そう、ですよね?』

 私は少々がっくりとした。きっと私に気を使ってくれているのだろう。その優しさが嬉しくて……でも少々胸に痛い。

 『マズイというヤツは、……味覚がどうかしている』

 『え?、えええええ?』

 そっぽを向きながらぶっきらぼうに答えるヴィストさん。その横顔がなんとなく照れている気がして、喜びが私の全身を朱に染める。もしかしたら、少しは好意を持ってくれたのかもしれない!

 (お、おばあさま! 作戦第2段階もせ、せ性交じゃなくって成功です!)

 溢れんばかりの嬉しさに思考がやや乱れてはいたが、私は心の中で快哉を叫んだ。調子に乗って少々意地悪な気分になってくる。


 『申し訳ありません。人の言葉に不勉強なので味覚がどうかしている、という意味がよくわからないのですが』

 『は? いやすまないう、ううえお、その、お……』

 素直でない物言いをするのも、なかなか言葉を返せないのも照れている証拠だ。私に特別な感情を持ってくれていないならためらう必要なんてない筈。私は無言の期待で彼にさらなる圧力を掛けてみる。

 『お、おいしい、かな』

 『え? すみませーん。も う 一 度 お願いします♪』

 しっかり聞こえてはいたが、そんな中途半端な言い方では満足できない。自分でも意地悪な笑みを浮かべている事に気が付いてはいたが、嫌われるかもしれないとは思っても自分の中の欲望を抑えられなかった。

 『……おいしい。美味しかった』

 『あ、ありががとうございます!』

 雄に受け入れてもらったと頭の中で本能的な喜びが爆発し、またもや私の理性が吹き飛びそうに駄目だ欲シイそれはそうだけどナラ襲ッテシマエばまだはやいですっておばあさまが!

 (まだよ。まだよスーフィ。まだ肝心の作戦が残っているでしょう?)

 私は息を荒くしながら自分を必死に説き伏せた。そう。ここからが正念場なのだ。

 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『――ごちそうさま。いやぁ美味かった』

 照れを通り越して開き直った感で、ヴィストは食後の挨拶をした。

 『はい。おそまつさまでした。……と言うのが礼儀なんでしょうか?』

 良い感想を聞けたのがよほど嬉しかったのか、浮き浮きしながらスーフィが尋ねて来る。
相変わらず視線を下げてはいるが、その純粋な喜びは溢れるほど伝わってくる気がして、彼は先程抱いてしまった己が邪念に罪悪感を禁じえなかった。

 『え? あーいや別にそこまで謙遜しなくてもいいと思うが。それにしても料理の腕前といい、よく勉強しているんだな』

 気持ちを誤魔化すように話題を振ると、スーフィは嬉しそうに胸を張る。

 『おばあさまのお知恵のおかげです。ここだけの話ですけどまだ1500年と若いのに、万年単位のエルダーの方々をやり込めるほど凄いんですよ』

 『まあエルダー級になると長期休眠する場合も多いらしいからな。世間ズレするって事もあるだろうが。にしても相当のやり手なのは間違いない』

 敵には回したくないなとヴィストが締めると、雌竜はさらに嬉しそうな顔をした。

 (そんなに張っても胸は無いんだなって当たり前、かっ! ……また俺は!)

 再三の邪念にヴィストは胸の内で己を叱咤した。


 『で、お次は何でしょうか? 何かお望みのモノ、したい事はありますか?』

 彼の苦悩を吹き飛ばすかのような無邪気なスーフィの催促。褒められたのが嬉しいのだろうか。主人に喜んでもらいたがる犬を想起させるその様子が、彼の妄想の火を焚き付けていく。

 (お前が欲しい、とかよくある展開だよな……ヤバイヤバイヤバイ!)

 もはや理性とは関係なく硬直を始める身体の先端を意識し、ついにヴィストは観念した。自身の劣情はもはや認めざるを得ないが、こうなったら緊急避難で押さえ込むしかない。

 (溜まってるせいで異常に敏感になっているだけだ……ガス抜きすれば)

 そうと決まればする事は一つだ。彼はテーブルを盾にしつつ、不自然に勃ちあがった腰から下を見せないように自然に立ち上がった。

 『さてと。ウマイ飯も済んだし次は風呂だな』

 『? お ふ ろ、お風呂……あ、湯浴みですね? でしたら』

 『待った。ここから先は人間のその……神性な領域だから遠慮してくれ』

 ヴィストは浮き足立つスーフィの鼻先を言葉で遮った。いささか仰々しすぎるが嘘は言っていない。案の定きょとんとする彼女にあくまで真面目に説明する。


 『風呂に入る時は人間は最も無防備な状態になる。その……これは本能的な問題もあってなるべく身の安全を確保しようとするんだ』

 野生動物の習性程度に捉えてくれればいいと願いつつ、彼は言葉を続ける。

 『別にあんたが竜族だからじゃない。同族同士でも余程のことが無い限り共に入る事は無いんだ。習慣、文化なんだよ』

 と強弁しつつも頭の片隅で某国にあるという共同浴場の噂を思い出しヒヤリとする。彼女はともかく"おばあさま"は相当博識らしいので一種の賭けになるが……。

 『あ! その……よくわかりました。出すぎた真似をして申し訳ありません』

 途端にしょげかえるスーフィの様子に彼の胸が痛む。純真なお嬢様を騙している様でいたたまれない気分だ。それに突き動かされたのか、またもや身体が勝手に反応した。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

――さわり。

 『ぁ……く』

 一瞬、何が起きたのか判らなくなった。思った以上に逞しく、それでいて繊細な温かみが暗く沈みこんだ私の思考を愛撫する。

 (ヴィストさんに頭を、撫でられている……!)

 何という心地良さだろう。ゆっくりと離れていく彼の指が名残惜しい。

 『そうじゃない。そうじゃないんだ。とてもよくしてくれてるのはわかっている。でもこれはその……そう簡単にはいかない事なんだ』

 どこか自分をはかりかねている様なヴィストさん。でもそこに含む気持ちは伝わってくる様な気がしてならない。ここはこれ以上求めるのは酷というものだろう。

 『わかって、ます。私はここで待っていますから、ごゆっくりとなさってください』

 眼をあわせられない代わりに努めて明るく返事を返す。先程のお返しというわけではないけれど、礼をするついでに伸ばしたままの彼の手に軽く鼻先をこすりつけると、なんともいえない雄の香りがした。

 (焦る事は無い。確かに私を意識してくれている)


 部屋の奥へと立ち去るヴィストさんを見送りながら、場合によっては策の実行を伸ばしてもいいかもしれない、と私は思った。本能の苛立ちを感じはするが、そのもどかしさが今は奇妙に心地良い。
 人間の愛とはなんと回りくどいのだろう。でもその過程をも楽しむのが彼らなのだ。短い時間を生きている筈なのに、私たちの方が刹那的な感じがしてしまう程に濃密に。

 (それを今共有できているのだから……ゆっくり近づいていけばいい)

 久々に冷静になった途端、私の思考に彼の舌打ちが紛れ込んできた。

 『くそっ……しまった』

 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ヴィストは己の手際の悪さを今更ながら恨めしく思った。

 (休憩せずに先に風呂を沸かしておくべきだった、か)

 といっても雌竜の来訪から既に数時間経過している。先に準備しても結局はぬるま湯につかる事になるのだが。

 『どうしたんですか? お困りですか大丈夫ですかお手伝いしましょうか?』

 ここぞとばかりにスーフィがすっ飛んでくるのを彼は背中で感じ取った。振り向くとどこか嬉しそうなその声色の後ろで振られている尻尾があったりして。その様がますます忠犬を連想させる。

 『い、いやなんでもない、いやなんでもあるんだが……前にもいったと思うがここは神聖な場所なんで、な?』

 既に臨戦態勢にある下半身を見られないよう慌ててかばいながら、ヴィストは雌竜を追い返そうとする。予想はしていたもののキツイ反応が返ってきた。

 『私ったらなんて事を……でも、でも誤解しないで下さい。別に困らせようとしてるんじゃないんですっ! どうしても、どうしてもお役に立ちたくて……』

 (オイオイオイ……反則だろこりゃ)


 俯いているスーフィの瞳が潤んでいるのは確信できた。それにしてもさっきから女性を泣かせてばかりいる気がする……既に彼はこの雌竜を異性として否定はしなくなっていた。
となるとこれまた男性として非常に宜しくない気がする。

 (だったら、これを舐めて気持ちよくしてもらおうか……ってヤバイヤバイ!)

 その男性が別の意味で宜しくない誘惑を囁いてくるからたまらない。この場はなんとしても去ってもらわなければと思うのだが、またスーフィを泣かせる様な事は避けたい所。
しかし彼の自制は上も下も限界点に近づきつつあった。

 なにせ

 ・欲求不満の男(裸同然)

 ・その妄想を刺激するいい女(元々裸)

 ・狭い場所で二人(?)っきり。

 二人っきりなのだから。

 (と、とにかく彼女に満足して帰ってもらわなければ……せめて30分は持たせないとって違うだろオイ!)

 もはや考える傍から欲望に染まっていく思考にヴィストは泣きそうになった。もう頭のどこかで、なりゆきまかせでいいじゃないのケダモノだものとか、都合よく歪曲されたどこかの詩人の格言が浮かんできたりしてとにかくもう駄目な気がする。

 (風邪を引いても止む無し、か)


 戦死覚悟で水風呂に突撃しようとした彼の前に、ふいに桃色の背中が立ちふさがった。

 『これが人間の湯浴みする所、"お風呂"なんですね? あれ?お湯が沸いてませんね』

 『あーその沸かすの忘れてたんだ。裏に竈があるし薪もあるから気にしないでくれ』

 好奇心からか風呂をのぞきに行ったスーフィの感嘆と疑問の声。それに少し毒気を抜かれたヴィストは半ば放心状態で答えを返していた。だから予測できなかったし止め様が無かったのだが。

 『それじゃ風邪を引いてしまいますっ。……ここは私に任せてくださいね』

 『はへ? ……っておい待ってくれ!』

 ざぶんっ。

 意外な素早さで石の浴槽に浸かった雌竜の巨体。冷水を苦にする様子も無く目を閉じた彼女は、頬を赤らめながら目を閉じた。

 『あの、それじゃ……失礼しますっ……』
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 心を読まれてはいないとはいえ躊躇いは拭えない。私はものすごくはしたなくて恥ずかしい事をしようとしているのだから…・・・でもこれしか方法が思いつかなかった。

 (んっ……はぁっ)

 心中に欲望を開放し、待ち望んだヴィストさんとの交尾を想像する。やり過ぎるとお風呂を汚してしまうけれど……。

 (あっ……硬くて、素敵です……)

 先程見た彼の裸、脱いだ衣服で隠された雄の器官を思い描く。大きさはこの際どうでもいい。余すとこなく包み込む為の訓練は十分に積んである。それを呑み込み味わう瞬間、その喜びが熱となって全身に広がっていく。燃え盛っていく。

 ジュワッ……。

 火竜の性、熱を操る能力が水温を急激に上げていく。暴走に近いそれは数分と立たず室内を湯気で白く煙らせて――。

 『ま、待った。もういい! もう十分熱くなったからってアチチチッ!』

 (――いけないっ!)

 冷水を浴びせかけられた気分で幸せな妄想が醒めていく。気が付くと浴槽は沸騰する熱湯が吹き出し、人間にとっては火傷を負いかねない危険地帯と化していた。


 『つ、掴まってくださいっ!』

 私を止めようと駆け寄ったヴィストさんが、悲鳴を上げて跳ね回っているのをおぼろげに確認し、慌てて彼を抱えて安全な場所まで脱出する。こんな時でも股間を隠す姿勢を止めないので、途中で滑り落としそうになったけれども。

 『だ、だだ大丈夫ですかっ! おケガはないですか?』

 『ハァ、ハアッ。……ありがとう。火傷は……していないみたいだ』

 それにしても凄い力だとあきれた風に呟く彼を尻目に、私は決定的な過ちをしてかした事に愕然としていた。

 (もしかしたら、彼は死んでいたかもしれないのに!)

 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 煮立ったお風呂がなんとか入れるぐらいまで。私達は居間に戻って冷めていく時間を過ごしていた。
 時間は真夜中に近い。本来ならヴィストさんは日々の汗を流し、くつろいだ時間を過ごしている筈なのに。

 ――私が、私がそれを台無しにしてしまった。

 『あ……いや、むう』

 『あの……いえ』

 さっきからずっとこの調子で机をはさんで向かい合うだけ。会話すらままならない沈黙に蝕まれていくのはもう耐えられない。私だ。私のせいなのだ。だから――。

 ゴトン!
 
 平静を装い立ち上がった私の内心を暴くかの様に、家具の立てる音は大きかった。

 『ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。今夜は……おいとまさせて頂きます』

 『あ、おい! そのちょっと待てよ』

 期待通り引き止めてくれるのが嬉しい。そしてそんな自分が浅ましくてしょうがなかった。私はせめてもの気持ちを込めて最大限の笑顔を作ると別れを告げる。

 『人間の風習に不慣れとは言え……分別に欠けた行為の数々、平にご容赦下さい』


 比較的冷静なつもりでいたけれど、きっと私は慢心していたのだ。たかが人間を手玉に取る等たやすいと――おばあさまの知恵を得て相手を弄ぶつもりだった私は、自分の心に翻弄されて失敗したのに違いない。
 所詮私はゆきずりの地竜に手篭めにされているのがお似合いの、その程度の存在だったのかもしれない。ヴィストさんには不釣合いな存在だ。

 『それでは、失礼いたします』

 せめて去り際は綺麗にと、尻尾などが周辺にぶつからないよう踵を返して玄関へと。

 ガタゴトッ! ドガッ。

 『痛ッ……がっ。こんな、時に、蹴躓くかよ……って待て、よオイ!……くうーっ』

 背後で上がる彼の怒声、いや悲鳴が私を鷲掴みにした。向う脛を家具にぶつけただけでなく、正面から床に倒れた額を押さえ、苦痛をこらえる姿が胸に突き刺さる。

 (――!)

 恥も外聞も無く体が勝手に動いていた。ヴィストさんを素早く抱き寄せて、とりあえず脚を枕に頭を寝かせ様子を確認する。よかった。怪我は無い。

 『あ、あのっ! ……だ大丈夫ですかっ?』

 『ああ……怪我はしてないみたいだ……』


 風呂場での失態の再演に私はますます暗澹とした気持ちに包まれる。それにしてもどうすればよいのだろう。ここにいるのも去るのも迷惑を掛ける気がする。

 それなのに。

 『私の、私のせいでこんな……』

 もはや詫びの言葉も思いつかないほど困惑しきっているのに。どうして私の手は彼の頭を撫で続けているのだろうか。

 ――ふと、迷う指先が暖かい感触と言葉に絡め取られた。

 『あのさ、これって』

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『人間の言葉で、膝枕って状況なんだがな』

 予想通り動きを止めたスーフィの反応を内心楽しみながら、ヴィストは言葉を続ける。大胆に相手に絡めた指には竜族特有の滑らかな肌ざわりが、おずおずと力を込めてくるのが確認できた。

 『余程相手に気を許してないと受け入れられないんだ。この意味がわかるか?』

 案の定かぶりを振る雌竜を確認してから、彼は勝負に出る。

 『何を気に病んでるかは知らないが、俺はあんたに帰って欲しいといった覚えはない
ぞ?例え竜族だってご機嫌取りや遠慮は、しない』

 最後の部分は半分嘘だ。いよいよ命が危ういとなれば全力で抵抗(逃げるのだが)する覚悟はできているが、なるべく機嫌を損ねたくない相手である事に代わりは無い。だがそれはもはや事なかれ主義からのものでは無くなりつつあった。

 『でも、私ったらあつかましく押掛けた挙句……失神させたりお風呂でもここでも大怪我をさせる所だでしたのにわふっ?』


 情けなく自責を続けるスーフィの口をヴィストは手で塞ぐ。雌竜がその気になれば手が飛んでいる所だが、そうはならないという確信があった。

 『竜族ってのは無駄にプライドが高すぎる。失敗の一つや二つで全てが終わったわけじゃないだろう? 実際料理は美味かった。一緒に食事に付き合ってくれるのも嬉しかった』
 
 ごくり、と喉を鳴らすスーフィ。ヴイストはその気持ちが手に取る様に判る気がした。

 (ここで、まず一つ確かめておかないとな)

 我ながらどうかしていると内心苦笑しつつも、偽りの無い本音を優しく叩きつける。

 『それにこうして撫でられてると、とても気持ちがいいし――安らぐんだ』


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『え……』

 (えええええええええええええ!)

 驚愕の叫びは辛うじて心に押さえ込めたけれど、後一押しで精神のバランスが一気に崩れてしまいそうな危うい予感がする。

 『ヴィストさん、あの……それって』

 しょげ返っていた私の何かが期待感と共にむっくりと鎌首をもたげ始めていた。彼の次の言葉しだいでは嬉々として獲物に襲い掛かりそうな……。

 (だ、駄目です! 駄目なんです! さっきみたいな事になったらどうするの?)

 理性を総動員して必死に本能を説き伏せる。しかし今まで散々おあずけを喰わせているソレは性懲りも無く我慢の限界を訴え暴れまわっていた。そこに彼の返事が――。

 『だからさ、あんたさえ良ければ、まだここにいてほしいんだ』

 『は、はいぃいい! わ、私でよろしかったらこ、ここにいさせて頂きます!』

 あからさまにうわずった返事を返すのが精一杯。私は全身に広がる興奮を押し止めようと必死になっていた。今発熱したら今度こそ大惨事は避けられない。背筋の凍るような未来図でなんとか乗り切れたものの、全身はうっすらと冷や汗をかいていた。

 
『おっと……汗かいてるみたいだな。頃合だし――入ろうか?』

 内心の葛藤で気が付かなかったけれど、私から離れたヴィストさんがにこやかに誘ってくる――さ そ い? どこへ?

 『はい? るんですか?』

 『お風呂だよ。何の為にここで待っていたと思ってるんだ?』

 どこか面白がっているような彼の声色に私はますますワケが分からなくなっていた。いや判ってはいたけれど、それが何を意味しているのかを認識したくなかったのかもしれない。

 『じゃあ行くぞ。ぬるま湯にならない内に入りたいしな』

 『あ、はい! ただいま参ります!』

 (――彼と――入る――お風呂に――は……だ……の)

 思考の順序を一部ずらして自分を誤魔化すと、私は尻尾をバタバタさせながら彼の後に従った。

 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 するりと衣服が床に落ち、外気に触れた肌が引き締まるのを感じる。後ろの視線がひどく気になってはいたが、躊躇いと共に下着まで一気に脱ぎ捨てヴィストは全裸を晒した。

 ――ただし後ろだけ。

 『あの…先程も疑問に思ったのですが。どうして前を隠していらっしゃるんですか?』

 振り返った矢先。スーフィから不思議そうな、それでいてどこか悪戯っぽい響きの問いが投げつけられる。

 『あ? ああああーその、これはだな。人間の体の造り上性、じゃなくてその急所が前面に出てしまうので本能的に隠そうとしてしまうんだ、という説があるらしい』

 ヴィストはあくまで冷静に、平静を装う。まだだ、まだ――

 (確定じゃない。これはあくまでその――裸の付き合い、親善交流だ)

 『そう、なんですか? 人間っていろいろと大変なんですね』

 首をかしげながらもやや残念そうに頷くスーフィの物欲しげな視線に、彼の隠し所がびくりと反応するが、粗相をする事無く大人しくしているのはどうした事か。

 (さっきまではあんなに元気だったのにな。我ながら情けない愚息だぜ)


 いざ雄として自分を意識すると、堂々と晒すにはお粗末な(竜の視点から見ると)事に気が付いた己がムスコはすっかり自信を喪失。いまや親の陰に縮こまっている有様にヴィストは苦笑したが、それを奥歯で噛み潰すと何食わぬ顔で風呂場に相手を誘う。

 『滑らないように注意してくれよ。まずはその、体を洗って汚れを落とす所から始めようか?』

 『はいっ! なんか水浴びに似ていますけど色々面白そうですね。ワクワクします……あっ! コレはどうやって使うんでしょうか?』

 石鹸や湯桶、ヘチマたわし等浴場の小道具にスーフィは興味深々といった様子で手にとっては感嘆の声を上げる。その無邪気な様に思わず目尻を下げながら、ヴィストはその使い方を実演して見せるのだった。

 『これは石鹸といってな。目に見えない汚れを落としてくれるんだ。濡れて溶け出した部分をこう、たわしに付けて……腕を出してくれ。そしてこすって汚れをおっとおお!』

 『アッ!アハハハハハハ、な、なんですかこれくすっ、くすぐったいですぅ! アハ、ハハハハ』


 初めての刺激に身を捩る雌竜の巨体に押し潰されそうになりながら、意外と感じやすいんだな、とヴィストはにやつきと悪戯心を抑えられなかった。

 (腕でこの反応だと……他の部分だとどうなるんだ?)

 『慣れるまでしばらく我慢だ。まず背中から洗うから後ろを向いてくれ』

 良識が止めろと異を唱えるのを研究の為だと丸め込み。彼は健気に震えながら耐える雌竜の性感……もとい生体調査を開始した。

 ゴシュゴシュ。

 『あー。背中……気持ちいいです……その肩の辺りを強くされると』

 『そこは筋肉が集まっていそうだからな。疲れていると気持ちがいいんだ』

 『ほ、本来なら翼が生える筈の所なんです……私は成長が遅くて付け根しかできてないんですけど。同種からは貧翼ってからかわれて……あッ、そこ、そこですっ……』

 竜の世界で意外な所が魅力の対象になるらしかった。ヴィストは感心しながらスーフィの肩を叩いて励ます。

 『人でも似たような悩みはあるな。でも気にしない方がいいぞ。雌の魅力はそこだけで決まるものじゃない』


 『はぁー、はい……そう、ですよね。おばあさまは尻尾を一振りするだけで若い雄が言い寄ってくると……自慢されていましたし。私もそっちは自信……あるんですぅ……』

 ゴシュゴシュゴシュ。

 (お次は少し大胆に、だ)

 心地良さにうっとりとしている背中を徐々にこすり落としながら臀部へ……は本意ながら手が滑ってしまった際障りがありそうなので、その途中の尻尾へとヴィストは攻撃を開始する。先程の筋肉云々で言い訳しておいたのでなんとか受け入れてもらえるだろう。

 『しなやかな割に結構筋肉付いてるな……付け根から洗っていくからなぁばぶへっ!』
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ドグシッ!

 『ハ! ――ぁ!』

 オウゥウウン! ク……ァうう……ウゥ……

 初めて味わう得体の知れない快感。咆哮と共に私の尻尾が、弾ける。同時に何かも弾き飛ばしてしまった気がするが、暫くの間恍惚の波に身を委ねて漂うばかりだった。

 (あ、こんな、気持ち、いいの……一匹でシテた時だってない……おばあさまにも教わってなかった)

 雄を誘惑する為のしぐさや台詞は山ほど学んだけれど、変身がばれた時点で無意味になってしまっている。肝心要の交尾の作法については『人間の感覚を身に付けないと分からないから』という理由で変身が未熟な私は余り手を付けられなかった。

 "なぁに、ちゃんとした殿方なら身を任せててもいいんだよ"

 それに知らないほうが新鮮で楽しいとおばあさまは私の不安を笑い飛ばしてくれたけれど、こういう事なのだろうか。

 (でも、今は)

 今は私は……ストさんと、交尾、じゃなくてただ、湯浴みに。体を擦ってもらってだんだん変に、気持ちよく。それから尻尾……尻尾が弾けて、弾いて。

 (尻尾! じゃあ私が、弾いたのは)


 まだ途切れがちな思考をちぐはぐに繋ぎ合わせて、私は恐ろしい推測に愕然となる。
振り向きたいけど振り向きたくない、それでも見てしまった。

 『ヴィストさんっ!』

 背後の壁に延びている彼を助け起こす……これで何度目だろう。外傷は無いけれど、打ち所が悪いと命に関わるかもしれない。嫌な想像を振り払いながら私はその場で介抱を続けるしかなかった。

 『お願いですっ。起きて、起きて下さい……!』

 懸命に呼びかける私の声が浴室に空しく響く。

 『うっ……は、あっ……』

 苦しいのかヴィストさんの眉がしかめられ、はぁっと吐息が漏れる。その目は閉じられたまま一向に起きる気配は……。

――あった。

 『ぁ……ヴィスト、さん?』

 ピクリ。

 私の呼びかけに反応したわけではない、と思うそれは確実に身を起こしかけていて。

 ムクッ……。


 (あ、ああああ? あ――)

 ヴィストさんの下半身に辛うじて引っ掛けられた、いや引っ掛かった布を押し上げつつあるモノ。私は唖然として見つめるしかなかった。

 ――これは。

 ――彼の。

 ――だ。

 (ミテ、見たイ)

 止められない。私の中のナニかが蠢き始めて――!

 (なんて事を! ダメっ! 見ては、駄目……)

 駄目なのに。あろう事か私の手は布をゆっくりと引き剥がそうとしていた。

 ヌチャッ……
 
 思っていたより重たく、粘ついた音と共に邪魔な布が取り除かれる。

 『――あッ!』

 ゴクン。とこれは私の唾を呑む音。生まれたままになった……ヴィストさんの股間から眼が離せない。

 ――これが。

 ――彼の。

 ――雄なんだ。

 そそり立つそれの大きさは、私達に比べれば小さいけれど。先端が矢じりの様に張り出し、肉棒に浮き出した血管が絡み付いているそれは十分猛々しさを感じさせた。

 (こ、これを受け入れるんですね)

 雌の肉を押し分けては掻き出す為のカタチ。私の中で締め付けた時の感触がより淫らな期待に変わる。

 (アァ……早ク欲シい……だ、駄目そんな寝込みを襲うような事! でも……)

 ――デモ。触るぐらいなら。

 (いい、よね。本当に、触るだけだから……)


 理性が少しずつ本能に侵食されているのが自覚できた。それでも私は半ば操られるように、ヴィストさんの股間に手を伸ばしていく。

 『では……失礼、します』

 ピクンッ。

 頷いたわけではない、と思う彼の雄が勃起の脈動を魅せ――私の手が、触れる。

 (ああっ。熱い――)

 ビクビクンッ。

 私の肌が、いや掌中の欲望がアツく猛り、さらに充実していくのが感じ取れた。これはまだ大きくなるのかもしれない。

 (駄目ですっ……そんなに擦っちゃ……ああ、でもまだ硬くなるんですね)

 感触を確かめるだけの筈の自分の手は、いつの間にかたどたどしい愛撫に変わっていた。
おばあさまにおそわったとおり上下に緩やかに扱き、時折やさしく締め付けてあげる。その度に芯に硬いものができあがり、ビクビクと脈動するのがたまらなく愛しかった。

 ハァハァ……グルル……ハァハァ……。

 息が荒い。野性の唸りが私の喉から漏れている。もうどうなってもいい、のかも知れない。視界と思考が情欲の赤に染まっていって。


 ――その時、彼が声を上げた。

 『ううっ! や、止めろ。止めてくれぇ……』

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ヴィストはおそらく人生で一番情けない悲鳴を上げていた。何故こうなったのか正直ワケがわからないのだが、とにかくナニが、いや何か大変な事になっているらしい。

 『うふふ。今更ナニを言ってるんですか? ここはこんなに立派になっているのに?』

 床に横たわった自分(何故か体が動かない)の上に跨ったスーフィが、勝ち誇った笑みを浮かべながら愛撫を激しくする。周囲は湯煙のせいかぼんやりとしてよく判らなかった。

 (落ち着け。状況を生理、整理するんだ)

 確かスーフィと膝枕からイイ雰囲気になって。それから一緒にお風呂へと……途中でなんだか妙な気分になってイケナイ悪戯をしたら手痛いしっぺ返しを受けた。ここまでは順当だ。

 (だが何でこうなってるんだうぁッイクっ)

 追憶で気をそらしたつもりが自制が疎かになり、気をヤッてしまいそうになる。ヴィストは必死に肛門を引き締めながら、雌竜を制止しようと懸命になった。

 『と、とにかくどういうつもりでこんな……いくらなんでも失礼じゃないの、かな?』

 彼女の理性に賭けた一言はあっさりと一蹴された。

 『裸のお付き合いは無礼講ですよね?』


 こうなる事を期待していたクセに、と張り詰めた亀頭をつるつるした極上の掌で責められ、続く言葉を封じられてしまう。

 『はぁーっ。先っぽがなんだかヌルヌルしてきましたよ。これは何ですか?』

 明らかにわかっているスーフィの意地の悪い双眸が、ヴィストの苦悶の表情を嘗め回す。
この状態で魔眼に捉えられたら最後だと、必死に視線をそらしながら彼は叫んだ。この状況下でも律儀に答えてしまう自分に少し呆れたが。

 『せっ、単なる性、生理現象だっ! ううっ、だから俺は今のあんたとそういう事をする気はな、くっ!くわぇるなあああああっ』

 『はむっ、ちゅっ……この期に及んで往生際の悪い雄だねぇ。じゃなくて、ですね』

 お仕置きです、とヴィストのイチモツを一瞬大胆にくわえ込んで吐き出したスーフィは、少し呆れている様だった。逸らしたままの彼の耳元に、彼女の熱い囁きが染み込んでいく。

 『本当に体だけなら、我慢しないでお出しになればいいのに……本当は入れたいんでしょう? 一緒に楽しみたいんですよ――』

 ――私の、ココと。


 ヴィストは見えるはずの無い鮮紅色の淫らな肉襞が見えた気がした。スーフィの言葉に妄想が喚起されただけだと思いつつも、余りに真に迫った印象に思考が塗りつぶされそうになる。

 『ち、違う、ちがう、違う……』

 『……違うんですか? 本当に私の事をそう考えてくれないんですか?』

 急に悲しげに落ち込んだ雌竜の声音に少しだけ彼の意識が冴える。、自分と彼女に罪悪感を感じはしたものの、逃れる機会は今しかないとヴィストは心を鬼にして断言した。

 『俺達は種族が違うんだ……当たり前だろう?』

 沈黙。恐る恐る見上げたスーフィの顔は悲しげに逸らされていた。決定的な何かを失った気がしたが、結局はよかったのだと彼は内心の抗議を説き伏せる。

 (そうだ、これでいいんだ。自然な事なんだ)

 『さ、さあわかったらどいてくれ。お互いこの事は忘れよう。俺はあんた自体は嫌いじゃない。こんな事で嫌いになったりはしないから』

 禁断の行為から逃れて安堵する一方、消え残る悲しさを振り払うようにヴィストは努めて明るい声を張り上げた。その内容に多少は救われたのか雌竜の返事にも笑みが含まれる。


 『そう、ですね。私も忘れます――だから』

 (だから?)

 不自然に途切れたスーフィの声に彼は薄ら寒いものを、いやこれは一種の期待か――を感じ取った瞬間、振り返った彼女の燃え盛る双眸に戦慄した。

 (し、しまった! あ、ああああ……)

 魔眼の力がヴィストの意識を陵辱する。前回のように意識を失う事は無かったが……たった一つの欲望に魂が組み替えられていく様な錯覚に彼は恐怖し狂喜した。
 荒い息と共に彼女が自分を犯す体位を取りつつあるのが感じ取れる。そしてソレを待ち侘びてそそり立つ己が欲棒と、切なげに振られる腰の動きも――。

 『これから起きる事は、無かったんです。だからナニをしても……イイんですっ!』

 『はぁ……はぁ……ハヤく、はや、めろ。入れさ、せて、イレるナっ……!』

 欲望の氾濫と理性の残滓にもつれる舌。彼の意志に反応するのはもはやそこだけになっていた。

――その時、彼が声を上げた。

 『ううっ! や、止めろ。止めてくれぇ……』

 (!!!!!!)

 『と、とにかくどういうつもりでこんな……いくらなんでも……』

 いつの間に気が付いていたのだろうか? 手篭めにされようしていたヴィストさんが
私の下で呻いている!

 『きゃあああああ! ご、ごめんなさいすみません嫌いにならないでお願いします!!』

 この状況ではもはやごまかしようがなかった。私は混乱しながら謝罪の言葉を必死に並び立てる。でも手はしっかりと彼のイチモツに吸い付いて離れない……。

 『……単なる性、生理現象だっ……俺は……あんたと……する気は……くわぇるなあああああっ』

 (え? 咥える? ナニを?)

 本格的な叱責を覚悟した私の耳に届いたのは、全く脈絡の無い叫びだった。

 『えーと、ヴィストさん? 起きて……ません?』

 空いた手でゆさゆさと彼を揺さぶって見るがうーんと唸り声を上げるだけで、その眼は硬く閉じられたままだ。どうやら夢を見ているらしい。


 (可哀想に、どんなひどい目にあっているんだろう)

 と心底心配しているのに、私の手は不謹慎にも愛撫を止めようとはしなかった。それにしても勃起へ刺激を与える度に、彼の苦悶がひどくなる気がする。

 いや、これは。ひょっとして。

 (気持ちいいのかも?)

 『はぁ……はぁ……ハヤく……入れさ、せて、イレ……』

 私の推測を裏付けるようにヴィストさんの官能の呻きが応え――。
 
 ――瞬間。私の中にとんでもない推測が閃いた。

 (入れる……挿れる――まさか!)

 今彼が見ている夢は――罪悪感が一気に焼き尽くされる。
これは、嫉妬だ。私がこんなに、こんなにも悩んでいるのに……彼は手の届かない所で誰かとよろしくやっているなんて!

 (私と、私というものがありながらっ!!)

 頭の芯がカッと熱くなる。身勝手なのは百も承知で、私はヴィストさんに覆いかぶさっていた。

 (じゃあ……私もこちらのヴィストさんと、シテしまってもいいですよね!)


 猛る情欲のままに口を大きく開いて獲物に狙いを定める。一思いに楽にはさせてあげない。ゆっくりと、思いのままに楽しんで味わってから……。

 バクッ!……ジュブジュブジュブ!

 あつかましくいきりたつ彼の勃起に舌を絡めてしゃぶり上げる。途端に生臭くも芳しい……雄の性臭が私の脳髄を痺れさせた。

 (コレが、これが欲しかった……)

 ニチュッ、ニチュルルッ。


 頬張った肉棒に舌を巻き付けながら口腔内に擦り付ける。先走るほろ苦い性汁を味わう度に強まる背徳感がたまらない。

 (あぁ…私はこんな淫らじゃないのに…… スーフィ、でも今貴方はこんないやらしい息遣いで……大好きな雄の精を求めてるのよ)

 自分自身に語りかけて羞恥と興奮をさらに強める。もう、貞節なんてどうでもいい。私はメス、淫らに発情しきったメスなのだ。そして、ヴィストさ、いやこの組み敷いているオスは――私だけのモノ。

 ブチュルッ……ピチャッ。

 私の股間が熱く濡れ爛れて、滴っていた。その奥が飢えて疼いて蠢いて我慢ができな
い! あぁ……早く。はやくハヤク!


 (でも、その前に上のお口で……ね?)

 舌をしっかりとオスのイチモツに巻き付け直し、緩急を付けて締め付けを繰り返しては、力強く扱き上げて射精を促していく。

 ギチュルッ! ギチュギチュ……。

 『うぅぅっ! がっ……まだ……だ。こんな……』

 往生際の悪い事に彼は必死に耐えている。我慢しなくていいんですよ……その節操の無い肉棒から出したかったんでしょう?

 『こんな……は嫌だっ。だって俺には……』

 『グルウゥ……嫌? なんデ? 雌なら誰でモいいンじゃなかったんですカッ?』

 なかなか陥落しない雄に私は苛立ってしまう。問いなど聞こえてない筈なのに、またもや的確な返事が返ってきた。

 『俺はぁっ……本当は……が好きなんだっ! だからこんなカタチでしたくな……』

 (ァッ!……あっ。あああああああ?)

 超特大の雷が私の全身を直撃した気がした。

 (ヴィ……さんの好きな、好きなヒト?)

 じゃあ彼は。

 
 誰かと交尾を楽しんでいるわけではなくて。

 誰かに犯されかかっている……のだろうか。

 誰だろう。

 (まさか私?……いや。そんな筈は)

 全身から欲望のほてりが一気に引いた。勘でしかないけれど、私の責めに耐えるかの様なヴィストさんを思い返すと意外と当たっている気がする。でもそんな事よりも……もし彼に心に決めた異性がいたとしたら。

 (これまでの修行の日々は何だったのだろう?……私ってバカだ)

 その可能性は十分予測できたのに。おばあさまいわく恋は盲目だとはいうけれど、いくらなんでも間抜けすぎる。

 (イヤ……せっかくココまで辿り着いたのに。いやだ嫌だ嫌だ嫌だ!)

 世界が自分中心に回っていると勘違いして踊り続けた……哀れな私。泣き叫びそうになるのをかろうじて押さえ込んだ私はどうにもならない絶望に煩悶した。

 『ヴィストさんっ……! 好きな人って誰ですか? 誰なんですかっ?』

 乱暴に彼の体を揺すって見ても反応は無かった。正直聞いてどうするのか自分でも分からない。潔くあきらめるのか、嫉妬に狂って相手や……彼を傷つけるのか。それとも。


 (せめて体だけは……私のモノに)

 危険な考えに戦慄するが、すぐに心地良い誘惑に変わる。目の前に格好の獲物がいるのにわざわざ逃す道理なんて、ない。ないのだ。ないのだけれど……

 ニュチュパッ……。

 私の雌の器官がパックリと開いた。答えなんて待たなくても本能のまま貪りつくせばいいと粘っこく訴えてくる。

 (私は、私はヴィストさんが欲しい……でもこれは、きっとこんなのじゃない)

 心に欲望を止める力はもはや無く、ゆっくりと体勢を変え彼の腰に跨った。

 (それならば。彼の何が……何が欲しかったのだろう?)

 倒錯した喜びと悲しみに流されるままに。私は虚しい交わりに身を委ねようとしていた。
 
 ――ああ、腰が……堕ちて、イク。

 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ニュプ……ギュプププ……。

 淫らな音に己がペニスを飲み込まれた瞬間。ヴィストは圧倒的な快楽に押しつぶされた。

 『は! あ! やめっ……』

 『うふふふ。どうですか? 私のココ……ずっと欲しかったんでしょう?』

 嘲る様なスーフィの囁きと共に、ジュルジュルと彼女の雌肉がまるで舌の様に彼の肉棒を舐め回す。

 『お い し い ですよ。ヴィストさんのお ち ん ち ん。でもわたしはもっと美味しいものが飲みたいです……』

 『うぅぅっ! がっ……まだ、嫌だ。こんな、カタチなんて……』

 肉と共にしゃぶられ蕩けていく自我の残りをヴィストは必死に言葉にして繋ぎ合わせる。
自分でも何を言っているか理解はしていないが、それが辛うじてただのオスに堕ちる事を防いでくれていた。

 『嫌?……まだ言うかねぇ。じゃなくてまだそんな事をおっしゃるんですか?』

 スーフィの声に剣呑な響きが混ざる。今までと異なる伝法な口ぶりに違和感を感じる余裕はヴィストにはなかったが、それでも必死に想いを紡ぎ続けた。

 『こんなカタチでスルのは嫌だっ。だって俺には……』


 『んー? 俺には何だって言うんだい。まさかこの仔、もとい私以外に好きなヒトでもいるんですか?』

 その割にはアタシに色気を出していたじゃないか、とさらに股間の責めを激しくする
雌竜にヴィストは声も無く仰け反った。いつ達してもおかしくない状況ではあったが不思議と持ちこたえていられるのは、手加減されているからだなとぼんやりと思う。

 『グルウゥ……嫌? なんデ? 雌なら誰でモいいンじゃなかったんですカッ?』

 何故か清風の如き感じの問いかけと共に、突如快楽地獄が止んだ。

 『う……? いッ!、イクぁああっ!』

 気の緩みにより自制が崩壊し精が腰の奥から激しく湧き上がる。敗北と絶望に抗う様にヴィストは全身全霊を込めて叫び返した。

 『俺はぁっ……本当にスーフィ、オマエが好きなんだっ! だからこんなカタチでしたくないんだぁああああ!』

 ギュチュッ!

 『……フゥーッ』

 『うぐ! ぁああああっ!』

 彼女のため息と共に突如彼の根元が急激に締め付けられ、甘美な苦痛と共に絶頂が一時押し止まる。

 ニチャリッ……ヌボボッ。


 『う!……くはっ……』

 引き抜かれた。と感じると同時に意識が遠ざかっていく。さらに不明瞭になった視界に腰を上げてこちらを見下ろす紺色の巨影が見てとれた。その巨大な翼がばさりと羽ばたき囁きを残していく。

 『……やれやれ、手間をかけさせるオトコだねぇ。さっきの言葉、忘れるんじゃないよ。あの仔はアンタに任せるから……しっかりと受け止めてやっとくれ』

 (な、んだ……スーフィ? いや……う! ああああああっ!)

 明瞭になりかけた違和感を味わう暇も無く、ヴィストの意識は今度こそ解放された射精に押し流されていった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ドビュルッ! ドビュルルルルッ!

 『ガ? アァ……ああああ?』

 欲望に麻痺した私の嗅覚に染み渡る強烈な匂い。何より求めていた熱い証が下半身に染み渡っていく。

 ビュルル……ビュクッ……ビュクビュクッ!!

 幾分か理性を取り戻した私――組み敷いた彼の股間、雄の部分から吹き出した性の泉。
性……精液。その奔流が飢えた私の淫らな肉腔を……かすめて下腹部に粘り付く。

 ――私は。

 (私は、ナニを?)

 何をしようと、いや。してしまったのだろうか?

 (私は……ヴィストさんを、オ、おおお、おかっ!)

 ――犯ソウトシテ……イタ。

 『ガ、きゃ、ぁあ、っぐ……ガァッ』

 理性が弾劾する現実を感情が拒否。言葉とも唸りともつかない音に舌が引き攣る。涙が目尻を伝うのどこか他人事に感じながら、全身全霊で自分の体を彼から引き剥した。
ぼやける視界を拭う気力すら失い、そのまま床にへたり込んでしまう。

 (私最低な事をケダモノじみたワタシじゃない誘ったのは彼だし違うワタシが悪いもう終わりいやだそんな)

 知恵を持つ事がこれほど恨めしく思えた事はなかった。自責と言い訳のせめぎ合いに耐え切れず再びただのケダモノへと堕ちようと……。

 『うっ……す、スーフィっ。嫌だ……すまないっ……』


 (すまないって! それは私のっ……!)

 うなされ続けているヴィストさんの苦しそうな呻きが私に喝を入れてくれた。自分を責めるのは後回しでいイッ! 今は彼を介抱しなくては。

 『すぐ居間までお連れしますから……失礼しますっ!』

 ぐったりとしたヴィストさんの身体を優しく抱き起こす。壁を支えに座らせると、私は後始末に執心したのだった。

 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『ううっ……うーん』

 まず感じたのは柔らかい枕。僅かな収縮からヴィストは自分の居場所をおぼろげに把
握した。

 (つくづく俺は……介抱されるのが好きなんだな)

 緩慢な覚醒に任せて眼を開くと、そこには見知った安らぎがあった。

 『あっ……ヴィスト……さんっ』

 ずっと膝枕で彼を看護し続けたスーフィの歓喜の声。は何故か尻すぼみに終息した。

 『居間まで着いて来てくれたのか……大変だったろうに』

 『あ、いえ。たった1、2時間ぐらいです』

 場所と時間を勘違いしたらしい彼女の微笑ましい返答も、どこか元気が無い。まるで失態を隠す子供の様に落ち込んでいるような感じがする。いぶかるヴィストの記憶がようやく現実に追いつき――。

 (お、俺はたしか風呂場で!!!!)

 何だかアレでナニで恐ろしい目にあったような、かなりの部分が忘却の霧に包まれていたが、とにかく気絶したままここまで運ばれてきたのは確かなようだった。――つまりその、さらけだしたままであったりするのだが。


 (み、みみみ見られた……よな。やっぱり)

 しかも、まあ生理現象というか、その元気溌剌とした健全きわまりないトコロをかもしれない。ヴィストは顔に朱が上るのを誤魔化す為、勢いを付けて起き上がると何故か柔軟運動を始めた。

 『オイチニッ!サンシっと! ……おし。おかげでなんともないみたいだしな。まー気にするな、な?』

 『……』

 (頼むっ。何とか言ってくれよ……)

 突然の奇行にも変わらず沈黙を貫くスーフィに、ヴィストは内心泣きそうになった。さすがにアレは年頃にはショックな見モノだったに違いない。

 (それとも、まさかとは思うが……期待はずれで失望された、か?)

 種族や体格の違いを理解はしていても、感情や本能は容赦なく判定を下すだろう。それはそれである意味キツイ。どちらに転んでも地獄の状態にヴィストは頭を抱えるしかなかった。

 『うーむ。もうこんな時間か。色々あったけどまぁお疲れ様ってコトでそろそろ』

 それでも彼は健気に奮戦した。声はうわずってもう救いようの無いぐらいの悪あがきであったが……


 『ヴィストさんっ!!! 私……わたしぃッ!!!』

 ムギュッ。

 『むぐぶっ……』

 効果はあった。劇的に。

 ムギュギュギュ。

 突如朱鷺色の体躯に抱き潰され、もとい抱きすくめられてヴィストは悶絶した。容赦なく加わる圧力に息が意識が途切れそうになる。

 『よかったっ……わたし取り返しの付かないヒドイ事してしまってっ!もうお詫びの言葉も見つからないけど……それでも生きててよかったですっ……』

 (……今のほうが死にそうなんだが)

 嗚咽交じりのスーフィの述懐に意識の片隅でツッコミを入れつつも、ヴィストは両腕を彼女の背中に回して愛撫――というより断末魔の痙攣に近かったが――して気持ちを伝える。抗議一つしないのは彼なりのオトコの甲斐性(?)のつもりではあった。

 『あ……!ご、ごめんなさいすみません嫌いにならないでお願いします!!』

 彼の窮地を察したのか、どこかで聞いたような叫びと共に束縛が止んだものの、今度は意識が頭から飛びだしそうなぐらい強烈な揺さぶりに襲われる。が何故か彼の口元は幸せそうに緩んでいた。


 (とりあえず嫌われてはいないようだし、後はタイミングと――)

 自分のタフさ加減の問題だとヴィストは結論した。同時に自然に彼女への求愛を考えている己に軽く驚くが、"あの時に覚悟はできている"ので今更思い悩む事ではない。

 (ん? あの時?)

 『あ、私……また』

 振って沸いた強烈な違和感に戸惑うが、今にも崩れそうなスーフィの嘆きに彼は追憶を放り出した。さっきのお返しというわけではないが、優しく大胆に抱きしめて――体格の違いから抱きつくというのが正確だが――愛撫を加える。それは出会った時とは違う、ある種の気持ちが伝わるほどあからさまなモノだった。

 『あ……駄目、ですっ』
 
 雌竜が喘ぎに近い形で羞恥を訴えてくる。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『ナニが……駄目なんだい?』

 意地悪な調子が混ざった(様に聞こえる)ヴィストさんの囁きが私の耳から意識を甘くくすぐる(と感じるのは私の気のせい)。きっと取り乱す私を落ち着かせるために身体を張ってくれているだけだ。

 『あ、いえなんでもない、です。すみません……もう落ち着きましたから』

 私の背中を優しくさする手。もっとこうしていたい……いたいけれども。

 『あの、熱いですから』

 『おっと。そう、そうだよな』

 やや不興を帯びた声と共に彼の身体が離れていく。それはまるで私達の未来を象徴する様で、のた打ち回りたいほどの喪失感に必死に耐えた。

 (これで、これでいいんだ。だって私は最低の求愛をしたんだもの)

 自分勝手に恋をして、押掛けて迷惑をかけた挙句、理不尽な嫉妬を言い訳にして自分の肉欲だけを満たそうとしたなんて。

 (彼は何度も、何度もチャンスをくれたのに)

 きちんとした手続きを踏めば、もしかしたら成功していたかもしれない……失敗してもきっと良い関係になれた、そんな気がする。でももう遅い。全ては終わったのだ。


 (例え彼が許しても、私は私自身を許せない)

 『さてと……また風呂に入るのもめんどくさいし。このまま寝ようか?』

 手痛い仕打ちなどどこ吹く風といった調子のヴィストさん。その笑顔は心の痛みを確実に和らげてくれた。でもそれを自覚した瞬間、罪悪感をあおる風となって理性を吹き荒らすのだ。

 (どうして! そんなに優しく誘ってくるんですか?)

 ――彼は知らないから。私の犯した過ちを。打ち明けるしかない。でないと、でないと私は……。

 (また、甘えたくなってしまう)

 『私は……その……泊まっても』

 『む。寝るところがない、よな。コイツはまいった。うーむ』

 大仰なそぶりで真剣に悩むヴィストさんの瞳が怪しげに輝いた、気がした。

 『じゃあ、その、だ。俺のベットで……ってのはどうかな?』

 『え……ええええええええ?』

 今度こそ、私ははっきりと絶叫した。
 
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 自身の悲鳴の大きさにしまった、と思ったが余りの衝撃に内心の吐露が抑えられない。

 『わ、わたっ、わた……一緒に寝、ねねねね……い、嫌じゃないんです!そんなせ、狭いですし』

 嫌がられていると取られたら最悪だ。私は真っ赤になりながら、おろおろとヴィストさんの顔を伺った。

 『あ……そうか。いや単に俺のベットを使ってもらおうかと思っただけなんだがな。俺はソファーでも床でも問題ないし』

 さすがに合点がいったのか、少し呆れたような、同時にばつの悪そうな調子で彼が誤解を解いてくれた。

 『すみません。あ、あああの、私……とんだ勘違いを』

 『いいっていいって。配慮が足りなかった俺がいけないんだ。さぁいつまでもしょげてないで休んでくれ』

 ヴィストさんが自分のベットを空けてくれているのを見ながら、私はそっと足元を確認した。今回も床は焦がさずに済んだらしい。

 (……なんなんだろう。私)


 溜息と共に内心ひとりごちる。今の私は自身の心が分からなくなっていた。あれだけ、あれだけ自分の愚かさを痛感したはずなのに。

 (やっぱり、駄目だ。我慢できない)

 『あの……お気持ちは嬉しいんですが、やっぱり家の主を寝床から追い出すなんて私にはできません』

 おずおずと切り出した私の言葉にヴィストさんはやっぱりなという顔をした。

 『俺も客人を床に寝かせるような無礼な真似はできないんだ。ここは家の主に従うという事で一つ頼む』

 きっぱりと言い返されたが私は引かなかった。だってもう抑えが利かなかったから。

 (今夜一晩だけでも、彼を)

 『じゃあ……一緒に寝る、というのは……どう、でしょう?』

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ――来たか。

 戦いに赴く前に近い緊張感がヴィストの背中を走り抜ける。しかしそれは本来とは異なる快感すら感じさせるものだった。

 (ここからが最初にして最大の――)

 そして最後のチャンスだと彼は気を引き締めつつ、あくまで通常の反応、驚きと戸惑いを適度に含ませて探りを入れる。

 『え、えと……その狭いし汗臭いしさすがに何だかマズイ気が……あ、いやアンタじゃなくて俺がだ。とにかく不快な思いをさせるかもしれないし』

 『人間の体臭ぐらい気になりません。私は寝具の一部ぐらいに思って頂いて結構です』

 ですから何とぞ、といつに無く押しの強いスーフィにヴィストは驚きを隠せなかった。
彼女の尻尾は獲物を狙う猫の如く左右にゆっくりと振られ、鎌首と言うほどではないが人間より長い首をやや曲げた前傾気味の姿勢は中々の迫力。逆らえば襲われるのではないかと危惧を抱かせるほどだ。
 
 まあそれはともかく彼女から言い出すとは予想外であり、それが嬉しくもあったのだが。

 『俺は……寝相悪いぞ?』

 『私は頑丈ですから』

 最後の一押しを確認し、ヴィストは自ら折れた体を繕った。

 『確かにこのままだと夜が明けそうだしな……じゃあ今夜一晩……宜しく頼む』

 『こちらこそ……宜しくお願いいたします』


 互いにぎこちなく礼を交わすと、まずはヴィストから慎重にベットに横たわる。彼は
スーフィに配慮して背中を向ける姿勢を取り、彼女を待ち受けた。

 『そ、それでは……失礼します……』

 ギシッ……。

 雌竜の質量が寝具を軋ませながら背後の空間に納まっていくのをヴィストは感じ取った。
彼の居場所を確保しようと健気に身体を縮める気配が伝わってくるのが微笑ましい。

 『そんなに端によると落ちるぞ。もっと、もっと近くによって』

 『……え! でも身体が触れたら』

 『膝枕して風呂に入った仲だ。今更どうってことは無いだろう?』

 スーフィの沈黙。風呂場での一件を思い出させたのはまずかったかとヴィストが後悔しかけた時、背後から確かな存在感が柔らかく擦り寄ってきた。互いの体温が身体を繋ぐぎりぎりの距離。ここまでが彼女の限界なのだろう。

 『……』

 ヴィストは無言で僅かに、身じろぎする範囲で身体を雌竜に密着させた。心地良い肌触りがぴくりと反応する。

 『ぁ……』


 スーフィが微かに喘ぐが、離れる事無くそのまま彼を受け入れる。こうしていわゆる添い寝の形に両者落ち着いた。

 (――今夜は永くなりそうだな)

 床に付くのにここまでとはと、ヴィストは苦笑しつつもこれまでにない安らぎを楽しむのだった。
 
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 それから一時間程たっただろうか。

 『…………ぅ』

 『…………ぁん』

 ときどきみじろぎしてしまうけれど、私達は互いに寄り添ったまま沈黙の時を過ごしていた。もちろん眠れるわけが無い。この安らぎを味わえなくなってしまうから。

 (ヴィストさん。ご迷惑をかけてすみません。でも)

 背中を向けているので確かではないけれど、きっと彼も起きていると思う。

 (もう交尾なんて贅沢は言いません。せめて一晩、あなたを感じさせてください)

 実を言うと今の状況は、おばあさま最終口伝『添い寝から誘えば雄はイチコロ(略)』
に当て嵌まる。その前(偶然にも実行した形になっただけ)の『裸の付き合いは雄の守りを突き崩す(略)』は大失敗に終わったが、結果がこの好機に繋がったのはおかしな話だ。
 
 でも私は策を実行に移すつもりはなかった。これで十分。これで幸せなのだ……。

 (だってほら……まるで長年連れ添ったつがいみたい)

 もし私達が同じ種族だったら。ふと湧き上がった妄想が拡大していく。

 (なんとなくだけど、ヴィストさんは青鋼(あおはがね)の装甲竜かな。一見ぶっきらぼうでものぐさそうで、でも実はすごく気が利くの)


 そして夜は巣穴の入り口から私を守る様に眠ってくれる。私はその城砦のように堅固な背中に寄り添って甘い時を過ごすのだ。

 (でも気を使いすぎて、交尾の時も絶対に襲ったりしないのがちょっと不満。しょうがないから私の方から誘ってあげるんです)

 そっと尻尾を彼の下半身に絡める。前足をさりげなくずらして。ここに、こう。

『うっ! ……クウッ』

 (うふふふ。だいぶ硬くなってきたじゃないですか。駄目ですよ我慢しちゃ)

 私がヴィストさんの股間を優しく撫でさすると、欲望を抑えた呻きと共に雄の欲棒が……出てこない。割れ目の周囲はこんなに盛り上がっているのに。きっと大きすぎて引っ掛かっているのだろう。

 (かわいそうに。すぐに出してあげますからね)

 私は大胆に、雄の裂け目に指を入れ……。

 (あれ? 入らない)

 薄くかさかさした皮膜のような感触が邪魔をしている。その下で確かに湿った昂ぶりは増し続けているのに。違和感に戸惑いながら懸命にまさぐり続ける私の耳に、気まずそうな声が掛けられた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『あの、な。そろそろ起きウッ! く、くれないか?』

 出そうだ、とまでは流石に言えなかったが。突如始まったスーフィの極めて情熱的な悪戯に、ヴィストは逃れる間もなく、というより尻尾で下半身を拘束されて動くに動けず、チャックの隙間から下着越しにまさぐられて……早くも陥落寸前まで追い詰められていた。

 『んもぉ、アナタも早くおっきしてくださぁい。そんなマクで隠しちゃ嫌ですぅ……』

 『イッ、いや。下着が』

 雌竜の寝ぼけた応答にも、間抜けな返し方が精一杯の状況。

 『んふぅん。下着って人間じゃないんですから……ぁ』

 『ぅ……』

 再びの沈黙。そして。

 『と、とりあえず、手、手をどけ』

 『だ、だメでですぅぅうごきませぇ、んん』

 動けないのか動きたくないのか、ヴィストはゼンマイの切れた仕掛け人形の如くカタカタと震えながら懸命に身体を引き離そうと試みて……放棄した。それはスーフィも同じ様子だったが、その動きがさらに刺激となって彼の股間を追い詰める。

『くっ……うぁ』

 
(マズイ。このままでは)

 ヴィストは焦っていた。このままでは自身の欲望か欲棒のどちらかが制御を失って噴き出しかねない。

(ならば、その前に――)

 『こ、こんな格好で何なんだが……話しておきたい事があるんだ』

 スーフィの唾を飲む音。多少予定が早まっただけだと自らを奮起させると、ナニかの時間を稼ぐようにゆっくりと話を切り出した。

 『……俺は……あんたに謝らなくちゃいけない』

 『え? いえ!私の方こそ今まで色々とご迷惑を……』

 『悪い。少し黙って聞いてくれ』

 機を得たかのように取り乱しかけた雌竜を無理矢理黙らせ、彼は自身の中にあるどろどろとした、しかし決して不快ではない想いを吐き出し続けた。

 『思えば出会った時からおかしかった。けど気が付いた時にはどうしようもなかった』

 『…………』

 『確かに人恋しくなっていたさ。でもだ。いくらなんでもこれだけ違う相手に。正直自分が狂ったかと思ったよ』

 再びスーフィの唾を飲む音。彼女もわかっているとヴィストは確信する。でも言葉にしなけれ最後の壁を破る事はできないのだ。


 『俺は……あんたを女性……メスとして欲しくなってしまった』

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 (あぁ、やっぱり)

 想像していたほどの喜びはなかった。この一言、この瞬間。これほどまでに恋焦がれ、あれほどまでに夢に見たというのに。

 『失礼な話だが、女性の代わりを探していただけだと思い込もうともしたんだ。でも無駄だった。俺の心はあんたの気持ちをどんどん知りたくなって、色々やってしまった。きっと悩ませてしまったと思う。その辺はすまなかった』

 ヴィストさんの述懐が続く。私は納得した。感慨が薄いのも当然だ。

 『で、うぬぼれかもしれないが受け入れてくれるとわかった。でも人間はややこしい生き物でな。こういった……確認が必要なんだ』

 私も同じ。彼の言葉の通りもうとっくにわかっていた。これは確認の行為に過ぎない。
でも、それでも一番欲しかったもの。

 『俺をオスとして、受け入れて欲しい。これが本気の証だ……』

 皆まで言わずとも。私も口を開こうとした時だった。

 『"眼を逸らさずに"俺を見てくれ』

 瞬間。何の前触れも無く振り向いたヴィストさんの瞳が、私の魔眼を"真正面から見つめていた"。

 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
 『い、いやぁああ! ダメ! 駄目です見ないで下さい!』

 『ナ、にが……駄目、ナンダい?……』

 案の定私の魔眼に侵食されていくヴィストさん。その瞳が破滅の喜悦と共に歪んでいく。
最初の時は幸運にも生還できたけど、さすがに二度目など無い。このままでは、このま
までは……。

 『どうして……どうしてなんです!』

 半分は自身への問いかけ。今すぐにでも眼を閉じるか顔を背ければいいものを、彼の瞳から目が離せない。私もまた魅入られていたのだ。

 『ひぐっ! 嫌ですっ。ヴィストさぁん……お願いですから私を見ないで……』

 もはやどうしようもなく泣きじゃくるしかできない私の頬に、優しい指先が絡みつく。

 『オれ、は。オレハ……』

 『ひっ……』

 消える前の蝋燭の火にも似た、ヴィストさんの瞳が私に迫る。恐怖の余り悲鳴を上げてしまった。彼を失うという恐怖に。

 『俺は……お前になら、犯されても侵されてもいい、ダから』

 『い、ヤ……あ。あああああああっ』

 ――チュムッ。


 気が付くと、私は必死にヴィストさんと舌を絡めあっていた。ファーストキス? どうでもいい。消えて行く彼をなんとしてでも繋ぎとめたくて。

 (いかないで! 私を置いて行かないで!)

 チュパッ……ジュムジュム……。

 私の魂でも何でも注ぎ込む想いで情熱を重ねる。身体だけじゃ駄目だ。私は……ヴィストさんの心も欲しい。だから、だから!

 『ケホッ……だから、そんなに自分を嫌わなくてもいいんだぞ』

 『え……』

 涎が糸の橋を紡いで、途切れる。私から顔を離したヴィストさんは……。

 『お前は俺が受け止めてやるから。もう自分から眼を逸らさなくてもいいんだ』

 瞳の焦点はまだ怪しかったけれど、はっきりとした意志の元で彼は言った。

 『自分の中のイヤなものってのは……遠ざけたらどんどん手に負えなくなる。暴れ馬は手綱を放したら……もっと暴れるもんだ』

 確かに私は、相手の精神を破壊する眼の力を本当の意味で"使おう"とはしなかった。被害を撒き散らすのを恐れる余り、見ないフリをして御する事を放棄していた。
短い触れ合いの中でそこまで、そこまで私を理解してくれていたのだ……この人は。


 『でも……いきなりそんな事を言われても』

 『そりゃそうだ。最初から完璧にできるわけなんかない。だからこそだ』

 完全に私の視線を受け止めて。彼は笑った。この上も無く自信たっぷりに。

 『俺ならいいパートナーになれると思うぜ? どうかな?』

 ……ああ。

 何かが、吹っ切れた気がした。

 私は、初めて、初めて自分の意志を込めて――相手を見据える。

 『私は……』

 (ヴィストさん、いいえ……ヴィスト。あなたが)

 眼に想いを集中させるイメージ。大丈夫だきっと。

 『ぐっ……』

 ヴィストの瞳が魔力によって喚起された情欲に歪む。息も荒く……今にもケダモノ
の如くはじけそうな勢い。けれど決して、彼は自身の手綱を放さなかった。

 『あなたが……欲しいですっ!』

 はじけたのは、ワタシ。もう一度、彼の顔を引き寄せて強引に唇を奪う。舌を絡ませて、涎を送り込み貪り……それでも。


 『ぷはぁっ!……ず、随分荒っぽい、ぷ、プロポーズだよな』

 『あ……アナタっ、が悪いんです。私をその気にさせるなんて……』

 ヴィストさ、ヴィストはあくまで自分を崩さずに。小憎たらしいまでに堅固に私を受け止めてくれた。正直あのまま抱いてくれなかったのが少し悔しくて、責めるように問いただしてしまう。

 『でも……どうしてなんです。人間に耐えられる筈が無いのに』

 悔しさを隠し切れない私に、ややばつの悪そうに彼は呟く。

 『んー。いや俺にもよくわからんのだが……"慣れ"かな?』

 『そんな……いい加減なコトがあるわけないですっ!』

 いくらなんでも馬鹿らしい……竜族のプライドとか以前に、常識的にありえない。

 『いやー、でも実際、"風呂場"での強烈なヤツに比べればマシだったからな……?』

 『『風呂場!?』』

 私たちの声は同じ疑問を唱和した。

 『え? でもそこは……私の尾に撥ねられてずっと気絶してたじゃないですか……ぁ』

 無抵抗のヴィストを犯そうとしたあの狂乱の痴態が脳裏に蘇り、羞恥で言葉が詰まってしまう。そんな私を気にする風も無く、彼は追憶に没頭していた。


 『ありゃ? でも確かに……あれは風呂場で。それになんか……頼まれたような?』

 わからんわからんと首を捻る彼になんだかイライラして、私は怒鳴るように流れを打ち切った。せっかくのイイ雰囲気が台無しだ。

 『もういいですっ! とにかくアナタと私は"つがい"になれたんですから』

 『あぁ……そうだな。だったら』

 突然、ヴィストは私にくるりと背中を向けた。

 『さっきの……続きをしようか?』

 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
 背後で息を呑む雌竜の気配が変容する。戸惑い――理解――興奮へ。それを確信し確認しながらヴィストは自身の股間を用意した。

『……』

 さっきと同じくしゅるり、とスーフィの尾が優しく彼の下半身に巻き付き……艶かしく
さすり上げてくる。同時に彼女の手が、腰から下に降りてきて――。

『うっ……』

 あらかじめ悪戯しやすい様に下着の前を開けておいたおかげで、つるりとした滑らかな指先が衣服の下に侵入。既にそそり勃ったヴィストの男性をふわふわと包み、揉み始める。
思ったよりも限界点が近い事に若干焦りを覚えながら、彼はうわずった問いを発した。

 『なっ、なぁあ、さっきは、こんな事をしながら何をゥッ! 考えていたんだい?』

 同じく興奮が爆発寸前なのだろう。息も荒くスーフィが喘ぐように、熱く囁く。

 『はぁっ……ハァッ。知りたいです、か? うふふっ。それはですねっ』

 整えられた勃起が下着の割れ目から引き出される。

 『もし私達が……同じ種族だったら、ですよ……』

 意識が真っ赤に染まりそうな錯覚。かろうじてこらえながらヴィストは続きを促す。
最期の堰を、切る為に。

 『じゃあ……この後俺はっ、どう、するのかな?』

 合わせる様に。彼女の声が欲望の槌となる。

 『ふふっ。唸りながら、我慢しきれずに私を組み敷いて……あ、アアアッ!』

 『ぐる、オおおおおっ!』

 演技なのか本気なのか自身でもわからないまま、ヴィストは雄叫びと共に決壊した。緩められた束縛を振りほどき、雌竜を押さえ込ませてもらう。身体を包む邪魔な布切れを荒々しく取り払い、獲物をじっくりと視姦して――舌なめずりするとその股間に喰らい付いた。

 ジュルルル!グチュッグチャッ!

 『そんなぁ、あ!アぐるぅ! アガッ、あああっ』

 アグオオオオオオゥウウウウウ!

 スーフィの断末魔に似た嬌声が響く。驚くほど感じやすい雌の肉をヴィストに執拗にしゃぶられて、彼女はあっけなく絶頂に達した。歓喜の痙攣に寝台が嫌な音を立てて軋む。

 『グガ、ァはあっ、はぁ、ハァ……ハ――あ、す、凄い、すごイイッ』

 『凄い、感じようだな。そ、そんなに溜まってた、のか?』

 軽く飢えを癒したヴィストが意地悪く問いかけると、目の前の肉孔が答えるようにぐわっと開く。

 『もうっ、ずっと前からぁ……なのに、なのにぃ……』

 おあずけなんてひどいです。とスーフィの恨みがましい睦言も心地良い。ヴィストの雄も同様の非難を浴びせてくるが、彼はあえて無視して拷問を再開した。

 『そうか、そんなにコレが欲しかったんだな。そりゃあ悪かった』

 グチュリッ。

 『あうっ! ま、またぁ……もう、ううんっ!』

 期待外れの陵辱――雌竜の肉洞に差し込まれたヴィストの指に、それでも嬉しそうな締め付けが応える。食いちぎられそうな勢いに若干肝を冷やしながらも、彼は倒錯的な欲望を滾らせて指を引き抜いた。そのまま彼女に身体を重ねる。

 『こんなに凶暴なのに入れたら、本当に喰われてしまいそうだ……』

 そう言いつつもヴィストは逞しく漲る自身の得物を握り締め、淫らな涎をたらす肉の牙口に差し出す。後戻りはさせませんよとばかりにスーフィの尾が彼に巻きついた。

 『グルル。ハァ、全部、食べちゃいます。アナタの大事なトコ……くださいな』

 『ああ。……うんっ……ウウウウッ!』

 ジュブリッ! ズズズズッ……ギチュッ!

 『あ、ハァ、グルっ、ガァあっ、やっと、やっと……』

 ようやく繋がった事に感極まったのか、スーフィの声が途切れた。挿入と言うより引きずり込まれたヴィストの肉棒は容赦なく咀嚼され、呑み込まれて行く――。

 キジュルッ!ジュルジュル……ギチュチュ!

 『そ、そんなにがっつくな、ぁっ。で、出る――』

 『ガッ……アオッ! オ、お、オウルルルッ』

 責めるよりそこから逃れるつもりで必死に腰を振るヴィストだが、雌竜の前にはそれすらオードブルにしかならず、欲望を掻き立てるばかり。

 『グルォ……お、おいしいですよ。アナタのおちんチん、んんっ! で、でも』

 ――もっと、美味しいものが、呑みたいです。

 記憶の奥から響いてきた気もするその声に、ヴィストは被虐的な喜びと共に己を差し出し、屈服した。

 『ウグっ! あっ! あおおおおおおおおッ!』

 ドグッ!ドグググッ!ドグッ!……。

 身体の奥から噴き出す精が、溢れんばかりにスーフィの深奥に注ぎ込まれる。

 『あ! 熱いッ……いぐっ。グルルル……』

 ビュグッ。……ギジュルルル。

 最期の一滴まで搾り出そうと、残酷にも雌の締め付けがヴィストを責め立てる。が彼は主人に仕えるのを喜ぶ奴隷、あるいは神に身を捧げる狂信者にも似た奉仕の快楽に身を震わせ、渾身の力を込めて搾取に応えた。

 ビチュッ……。

 『は、あはっ、はぁ。はぁ……どう、かな?』

 『はう、はぁ、はい……よかった。ですぅ……』

 (これで、これで俺は……)

 月並みながら欠かせない男女のやり取りをしながら、壁を越えることができたのだと感慨に浸るヴィスト。きっとこれからも彼女がいれば越えられないモノなどないだろう。その、越えてはいけないものまでも、かもしれないが。

 (さてと。このまま終わるってもいいが……雄の沽券に、いや股間に関わるぜ)

 これで一勝一敗。まだまだ戦いは始まったばかりなのだと自らを奮起させると、彼はできるだけ凶悪な笑みを浮かべてスーフィを押さえ込む。

 『まさかこの程度で恩返しができたなんて思ってないよな? 今夜は朝まで――』

 『眠らせませんよっ。うふふふ……』

 見透かしたような雌竜の笑みが返ってくる。本当に――心の通じ合ったつがいの様だとヴィストは苦笑した。いや、そうでありたい。そうならなくてはならないのだと強く確信する。その決意を込めて己を突きたて、掻き回していった――。

 ――そして空が白み始めてもなお。

 『はぁっ。すー、スーフィいい。イイッ』

 ギシッ。ギチュッ、ギシギシ……

 『グルっ、あ、アアッあなたっ、ア、アグおおオオオッ』

 グシッ! グジュッ! グシィイイイッ!

 交わりに耐え切れず、崩れ落ちた寝台に合わせる様に失墜した二匹のケダモノは、数分と待たず互いを貪りあう。

 『『ぐあぉッ! おおおおおウウウウ、ぐるるルルウウウッ』』

 朝日がまるで祝福するかのように……彼らの愛の巣に光を投げかけていた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【……さてと、何とか上手くいったみたいだねぇ】

 孫娘の"嫁ぎ先"から遥か離れた山頂の洞窟。そこに身を潜めていた巨体が安堵と共に集中を解いた。賢毛の二つ名にふさわしい豊かな藍色の鬣を一振りして流れを整えると、知恵ある古竜はひとりごちる。

 【全く竜らしくさっさと襲ってモノにしてしまえばいいのにさ。人間の小娘みたいに惚れただの、はれただの気持ちが先に立って足踏みするんじゃ世話ないね。……まぁアタシの血筋じゃ無理も無いか】

 明らかに苦笑と呼べる表情を浮かべて、彼女は長時間の魔術行使で凝り固まった筋肉をゆっくりとほぐしていく。結局色々と手の込んだ介入をしてしまったし、孫の魔力が安定するまで定期的に面倒は見なくてはならないだろうと言う事はわかっていた。

 【ま……その内あの人間にもこちら側に来てもらうとしようか。かわいい孫娘に釣り合う雄に仕込んでやらないと。ウフフフ……】

 いかなる内容を想起したのかは分からないが、竜の瞳に一瞬欲情にも似た色が奔る。軽く眼を閉じた後には再び知性をたたえたソレに戻ってはいたが。

 ……クチュッ。

 【んん?……おやおや、まぁアタシとした事が】


 "催して"しまったらしい己が股間に眼をやると、彼女はゆっくりと洞窟の入り口へと歩を進めた。朝焼けの光と共に山間部特有の強い風が吹き付けてくる。

 【スーフィや、最後は随分見せ付けてくれたじゃないかい? おかげでアタシも欲しくなっちまったよ。アハハハハ】

 笑い声――小さい咆哮。藍色の翼が雄雄しく広がり風を受ける。

 【さぁ、ウチの寝ぼすけ旦那から久々に搾り取ってくるとしようかねぇ】

力強く足場を蹴ると、雌竜は自らの夫――長年眠りを貪る火竜の巣へと疾る藍の風となった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ちなみにこの後、とある休火山からこの世のものとも思えぬ悲鳴が三日三晩響き渡り、付近の住民を色々な意味で悩ましくしたらしいが、それはまた別の話である。

【押掛女房朱鷺色恋記 終】

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