荒野を旅する人間。
目の前に山のようにうずくまったままの龍に、旅人が声を掛ける。
他愛もない話は、いつしか旅人が信ずる神の問いかけに変わる。


「では聞くが、お前はどんな神を崇めているのだ?」
眠ったように目も開けず、龍がそう聞いた。
「私にはこれといって崇める神はいない。」
「ほう、全ての道は己が切り開いてきたとでも?」
龍がそう聞くと、人間は肩をすくめた。
「いや、そうはいっていない。
私にとっての真実とは、万物に神は宿るということだ。
そう、例えば、この石ころひとつにだって、神は潜んでいる。」
人間は、足元に転がっていた石を拾い上げて見せた。
「ふふ、それはそれは…。面白い考えだな。」
龍は静かに笑った。
「では聞くが、お前の足元にある枯葉にも神は宿っているのか?」
「もちろん。」
人間は深く頷いた。
「では聞こう。お前の足元にある何千と言う砂粒にも、それぞれに神がいるというのか?
お前の手に持っている石ころを、私が握りつぶして砂にしてしまったとしよう。
それにも、神が宿るというのか?」
「ああ、そういうことになる。」
「お前の神は、ずいぶんな存在なのだな。」
「ああ。あまりにも馬鹿げた考えかもしれない。
しかし、物には神が宿っている、だから大切にする。
生き物にも神が宿っている、だから無駄な殺生はしない。
お前や私など、社会を持つもの一つ一つにだって神が宿っている、だから礼儀をわきまえ、
徳のある行動を見せる。
こんなにも、人の行動を矯正できる真理はあるだろうか?」
「確かに、そうかもしれんな。」
龍は眼を開いた。

「私もかつて、崇められたことがある。
なに、古い古い昔のことだ。
この辺りに住んでいた種族が、私を龍だからと言うそれだけの理由で崇めたのだ。
彼らの種族にとって龍は神の使いであり、
私を崇めることは遠かれ近かれ神を崇めることだったらしい。」
龍は、小さなため息を吐いた。
「なあ、人間。私が神の遣いに見えるか?」
「はっきり言おう。お前はただの龍だ。違うか?」
「はっはっはっ。言ってくれるな。いや、しかしそれが正解だ。
私は、生まれてこの方、誰かに使えた覚えは無い。
いまでも、私は自分が生まれた瞬間を覚えている。」
「生まれた瞬間?」
人間が興味深げに聞いた。
龍は、頷くと答えた。
「そう、気付いたらそこにいた。」

人間は、その後の言葉を待っていた。
しかし、龍の話はどうやら終わってしまったことに気付いたようだ。
「ずいぶんだな。」
「ああ、生まれたときからこの体だった。人間のように成長もせず、歳もとらない。
深い傷も時が立てば痕なく治る。」
「しかし、それではお前が生まれた瞬間の記憶かどうか分からないではないか?」
「どういうことだ?」
龍が聞いた。
「もしかすると、その瞬間まで気絶していて、お前は記憶喪失なのかもしれない。」
「はっはっ。そう言った考えは、思っても見なかったな。
そうすると、私はこれまでずっと記憶の一部分を失ったまま生きてきたことになる。」
「ああ、もしかするとそうかもしれない。」
「面白い考えだ。」
龍は顔をほころばせた。

「なあ、人間よ。」
「なんだ?」
「神はいると思うか?」
「さあな。」
「いるか、いないか?」
「悪いが、その答えは控えさせてもらう。」
「何故控える?先程お前は、万物に神は宿るといったはずだ。」
「ああ言った。それが私にとってのこの世の真実だ。
しかし、それを信じているとは言っていない。
私は、その真実を私の行動を矯正するための道具として使っているだけだ。
結局、死んで目の前に神が現れるまで真実など分かりっこない。
いないと思って生きていたら、実はいた。
いると思って生きていたら、実はいなかった。
どちらも、馬鹿馬鹿しい結末だ。
なら、いるかいないか、うやむやに生きてきたほうがいいと思わないか?
大体、お前はどう思うんだ、いるのか、いないのか。」
「私自身思うこと、どちらでも良いと思っていたのだ。
なあ、人間。お前と私は気が合うかも知れぬな。」
「神の存在についての一致だけでそう思うのは、早合点というものだろう。
これからいくらでも、私とお前の相違点など見つけ出すことができる。」
「そう言うな。龍を見て、恐れず話をする人間などそうはいない。」


龍と人間は、それから夕方まで語り合った。
互いがどんな質問をしても、結局は二人とも同じ意見だったということに気付き、
二人はいつの間にか、自分たちが長い間一緒に過ごして来た様な気になっていた。
「すっかり日が暮れてしまったようだな。
人間、今夜はどうするつもりだ?」
「このあたりで野宿する予定だったのだ。
丁度いい。ここで野宿しよう。
何かあったとき、お前がいると心強い。」
龍は、近くにあった枯れ木を拾い、それに火をつけながら言った。
「ふふ。いつ私がお前を守るといった?」
少々おどけたように言う。
「それはひどい。気の会う友人を見殺しにしてしまうのか?」
「ああそうか。お前と私は友人なのか。うれしいことを言う。
それでは守らなくてはいけないな。」
乾いた枯れ木は煙もなく燃え、日が落ちた暗闇に、
小さな夕暮れの明かりを人間と龍の顔に映した。

枯れ木が、音を立てて燃えている。
ここ一番の大きな音を口火に、
「人間、しばらくここで暮らさないか?」
「龍よ、私と一緒に来て見ないか?」
二人がほぼ同時にそう言った。
初めての意見の相違だった。
「悪いがそれはできない。」
「悪いがそれはできない。」
そして、互いの意見は一致する。
「そうか。」
「そうか。」
二人はそれ以上何も話さず、どちらともなく眠りに付いた。

龍が、日が天高く上った頃に目を醒ました。
人間はいない。
焚き火の跡がそのままになっている、その近くに何か置かれている。
透明な水晶のような石だった。
人間の掌に乗るくらいの大きさなのだが、
中に無数のクラックが生じた状態の悪いものだった。
表面にも、比較的新しい無数の傷が掘り込まれている。
しかし、龍はそれが人間からの素晴らしい贈り物であることが分かった。
光を当てると、そのクラックから生じる乱反射で、地面にきらびやかな七色の光を作り出すのだ。
その七色の光は、龍を形作っているように見える。

「人間よ、名前も告げずに立ち去ってしまったな。
私から何も受け取らずに立ち去ってしまった…。」
龍は、そう呟くと翼を広げた。
まだ間に合う。この荒野で人間を見つけ出せないはずなど無い。
案の定、人間はまだそう遠くない所を歩いていた。
龍に気付くと、人間は両手を振った。
「人間、別れも言わずに立ち去るのが、お前の礼儀なのか?」
龍は、半分怒りの感情でそう言った。
「気持ちよく眠りに付いた者を起こさないのも礼儀だ。
土産は受け取ってくれたかな。」
人間は、龍が手に持っている水晶を指さした。
「ふむ。私がこのようなもので満足するとでも?」
「ああ。お前なら満足するだろうと思った。」
「ほう、知った口を聞く…。」

「そうだ、昨日は変な申し出をしたことを詫びていなかった、すまない。」
人間は、そういって頭を下げた。
「申し出?」
龍は、意味が分からず聞きなおした。
「ああ、一緒に来ないかと言うことだ。
龍は、土地を守る生き物だと聞く。無理な相談だった。」
「そんなことなど気にしていない。それでは、私もお前を誘ったことを謝らねばなるまい。」
「いや、私はいつでもここに留まれる。
しかし、今はそれ以上に何処にも留まりたくないのだ。
このまま、私は私自身がいやになるまで動き続けると思う。」
「そうか。なら、仕方の無いことだ…。」
龍は頷いた。
「それに思ったのだ。一期一会だからこそ素晴らしい関係が気付けるのではないかとな。
一緒にいれば、そのうちきっと互いが嫌になるだろう。
私は、お前のことを嫌になりたくないと思ったのだ。」
「しかたのないことだ。」
龍は眼を閉じて、人間に背を向けた。
「また、ここを通ることはあるのか、人間よ。」
「たぶん、ないだろう。」

「そうか。では、最後に名を聞こう。
私の記憶にその名を刻んでおきたい。」
「なに、名乗るほどのものでは無い。」
人間はおどけた。
「この期に及んでまだ言うか。」
龍は、振り返って言った。
表情こそ笑ってはいたが、その眼には涙がにじんでいた。
「そんな顔見せるな。こっちまでしんみりした気持ちになってしまう。」
龍は、眼を瞬かせて涙を飛ばした。
「では、な。人間。いい旅を。」
「ああ、お前もいい旅を。」
「私は旅などしておらん。」
龍は口の端で笑いながら、旅人の冗談を返したつもりだった。

旅人は笑った。
「ふふ。いや、しかしお前も旅はしている。
移動すること、それだけが旅では無いだろう?」
「ああ…生きているだけでも旅なのかも知れんな。」
「そう、だから、いい旅を。」
旅人は手を差し出した。
龍がその手をがっちりと掴む。

旅人は振り返り、自分の行く先へ徒歩を進めた。
龍は、旅人と贈り物を交互に見やりながら、自分が何も渡していないことに気付いた。
「人間!」
龍の呼び声に、人間が振り返る。
龍は、自分の手の甲の鱗を一枚むしると、人間に投げてよこした。
「旅の守りだ。」
光に薄く透けるその鱗は、艶やかに光を放つ。
「ありがとう。宝物だ。」

龍は、人間が砂丘の果てに見えなくなるまで見送っていた。
そして、いるかいないかどっちでもいいと言っていた神に向かって、
人間の無事を無心に祈っている自分に気付いた。


END
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