〜2035年〜
8年振りに再会した幼馴染のトムと悲しい別れを遂げたあの日から半年後、俺はようやくそれまで手掛けていた遺跡の発掘作業が一段落したことを受けて長期の休暇を取ることにした。
もちろんその目的はトムの命を奪ったあの黒水晶を探すことと・・・現代にまで生き残っている本物のドラゴンを探し出すことだ。
あれから仕事の合間に更に多くの歴史書や記録を読み漁ってみたのだが、やはりトムが言った通り記録に残っている例の石の行方は彫刻家であったルイスが持っていたのが最後ということになっているらしい。
ルイスが死去したとされるのは今から約200年程前・・・1830年代のことだから、今からその時失われた1本の樫の杖を探し出すのは相当に至難の業だろう。
だが仮に誰かがその杖を拾ったにしても、それから余り目立った動きを見せてないとするとやはり探し物は今もサルナーク地方にあると考えるのが自然というものだった。

俺はそんな仮説を元に、まずはルイスが生まれ育ったというサルナークの片田舎の町を訪れることにした。
今でこそサルナークと言えば広大な領地を持つ世界でも有数の大都市となっているものの、約900年程前までは大国ルミナスの傍に佇む辺鄙な小国でしかなかったのだという。
しかし森に棲んでいた多くのドラゴン達を竜騎士として味方に付けることにより、1200年代に入る頃には森に住む原住民達を次々と打ち倒してその領地をどんどん拡大していったのだ。
だが歴代のルミナス王は人徳に篤く他国と戦を交えることもほとんど無かったらしく、俄かに成長したサルナークもそんなルミナスに敬意を感じて幾度か献上品を出していたらしい。
そして1274年の献上品の中に、俺がルミナス女王シーラの墓所から発掘しトムの命を奪ったあの石があった。

「ふぅ・・・やっと着いたな」
昨日の朝方に出発してから飛行機を2度乗り継いでようやくサルナークの空港に降り立つと、俺はルイスの生家がある町、ドラグストンへと向かった。
以前は別の名前だったらしいのだが、170年程前に周辺の町を統合して新たな町名を付ける際にあのルイスの遺作を世に発表した、そして当時の町長だったグレッグがそう名付けたのだそうだ。
恐らく彼は友人であったルイスの最期を看取ると同時に・・・
黒水晶の呪いによってドラゴンの石像が命を吹き込まれた神秘の様子を実際に目にしているのだろう。
だが余りにも現実離れした出来事のせいで誰にも真相を告げることが出来ず、ルイスの彫った"主を抱く竜"を町の名物として公開することにしたのだ。

やがて空港からレンタカーを借りて1時間程走ると、道路脇に立てられた大きな看板が目に入ってくる。
そして"石竜の町、ドラグストンへようこそ!"と書かれたその立て看板を通り過ぎてしばらく行くと、観光名所として大きく発達した町の様子が俺の眼前に広がっていた。
「こいつは凄いな・・・」
恐らくここも元々はそれ程大きな町ではなかったのだろうが、統合による拡大と観光地化によって首都にも劣らない豪勢な建物が所狭しと並んでいる。
もちろんその多くはホテルなどの宿泊施設やショッピングモールなどの観光客用の娯楽スポットなのだが、これらが全てほんの200年前に造られた石像の観光需要による経済効果の賜物だというのだから驚きだ。

俺は町の案内板に従ってかつてドラゴンの石像が置かれていたという森に程近い駐車場へ車を停めると、長旅の疲れにも負けずに汗を拭いながら深い森へと足を踏み入れていた。
そして十分に整備された森の中の道を10分程歩くと、しばらくして小さな石碑が見えてくる。
「ここだな」
どうやらここに、ルイスの彫ったドラゴンが置かれていたらしい。
石像自体はサルナークの美術館に移送されてもうここには残っていないのだが、ルイスの墓石代わりに置かれたその石碑には数枚の石像の写真が貼り付けられていた。
あの黒水晶の嵌った樫の杖は、恐らくこの近くに落ちていたはずだ。
だが200年という歳月に加えて無数の人の出入りがあったとすれば、どう考えてももうこの辺りに杖は残っていないことだろう。
とは言え呪いの黒水晶が嵌っていると知らない人々にとっては何の変哲も無いただの木の枝なのだから、この周辺に落ちていた例の杖を拾う可能性があった人物はたったの1人・・・グレッグしかいない。

やはり杖の行方を追うのなら、グレッグのことをもう少し調べてみる必要がある。
それに、恐らくは同時期に誕生したであろう2つの黒水晶がどうして樫の杖に埋め込まれることになったのか、そのルーツも一応は知っておく必要があるかも知れない。
シーラのペンダントはサルナークからの献上品だが、その出所は時期的に考えても竜騎士達の戦利品だ。
ということはつまり、あの黒水晶は当時竜騎士達の敵であった蛮族が持っていた物のはず。
なのにその貴重な石の片割れだけが別ルートで町に出回ったのは、何か特殊な事情があったのだろう。
俺は一頻り頭の中で考えを巡らせると、車に戻ってサルナークの国立図書館へと向かうことにしたのだった。

かつて自身が考古学の道に進む切っ掛けとなったルミナスの歴史・・・その軌跡を辿るこの旅は、俺にとって特別な意味を持っている。
もちろんその中にはあの黒水晶によって命を落としたトムへの弔いという側面もあるのだが、昔から多くの歴史学者が調査してきたはずのルミナスには今以って解かれていない謎が数多く存在するのだ。
生涯にルミナスの歴史を研究した著書を20冊近くも出版したJ.オーガスでさえ、晩年のシーラの行動や彼女とともに暮らしていたドラゴンがどうなったのかという結論は導き出せていない。
その長年の謎を、もし自分の手で解き明かすことが出来たとしたら・・・
俺はそんな期待が図らずも胸の内で膨らんでいくのを、どうしても止めることが出来なかったのだ。

再び1時間程車を走らせて首都に戻ってくると、俺は町の中心部にある国立図書館に辿り着いていた。
ここにはこの国の歴史を紐解く為の、膨大な資料が眠っている。
あの黒水晶に関連した人や出来事についても、もっと詳しく知ることが出来るだろう。
やがて逸る気持ちを抑えながら図書館の中に飛び込むと、俺は歴史書のコーナーをゆっくりと歩き始めていた。
「"町長達の歩み"、"ルミナスとの合邦"・・・それに"最後の女王シーラ"か・・・」
しばらく周辺を探し回って取り敢えず調査の役に立ちそうなタイトルの本を数冊手に取ると、それを持って明るい窓際の席へと腰を落ち着ける。
「まずはグレッグの動向からだな・・・」
そしてそう呟きながら目の前に積み上げた本の中から取り出した"町長達の歩み"と題された本を静かに開くと、俺は目次からグレッグ・レダス町長(1856-1869)と書かれたページを探り当てていた。

この本によるとグレッグ・レダスは1802年生まれで、併合前のまだ小さかった町の中部で育ったらしい。
後に彫刻家となるルイス・アシュトンとは小学生の頃に知り合い、彼の晩年まで行動を共にした為に町の人達にはルイスの数少ない友人として知られていたという。
1833年、享年25歳だったルイスの死後3年が経ってから彼の遺作である"主を抱く竜"を代理人として世に発表。
その後は1856年に町長に立候補するまでひたすら石像の保全に務め、町長に就任後はルイスの功績を讃える為に石像のあった森を観光名所化。
そして1866年に周辺にあった複数の町が併合された際、ドラゴンの石像に因んでドラグストンと町名を改めた。
だが1869年に町長を辞任する直前、石像の保全状況に限界を感じてサルナーク美術館への寄贈を決意する。
石像のあった跡地にはルイスの墓碑が設置され観光の客足も一時的には遠のいたものの、今度はルイスの名が世界に広まったことで町は再興したという。

分からないのは、この時石像の傍にあったはずの杖の行方だ。
グレッグの行動から考えても、やはり杖は彼が拾ったと考えるのが最も自然だろう。
しかし誰にも知られないように持っていたのだとしても、彼の死後もその話が一切持ち上がっていないのは不自然だ。
それに、グレッグは何故突然町長を辞任したのだろうか?
この町の町長の就任周期は5年・・・13年間町長を務めたということは、2度の再選を果たしていることになる。
町の観光名所化に成功して経済を大きく発展させた功績が大勢の人々にも認められていたのは間違い無いし、石像を美術館に寄贈したところでそれが町長を辞任する理由にはならないだろう。
ということはつまり・・・グレッグは何か目的があって町長を辞めたと考えるべきだろう。
残念ながらこの本には町長辞任後のグレッグの足跡は記されていないから、それについてはまた別の角度から迫る必要がありそうだ。

「次は・・・これか」
俺は新たに"ルミナスとの合邦"と題された本を手繰り寄せると、ゆっくりと目次に目を通していった。
そしてその中にあったルミナスへの献上品という項目のページを開くと、年表目録の形式で書かれた内容へと目を走らせる。
歴史上に例の石が初めて姿を現したとされる1274年の欄には、"黒水晶の首飾り"という品名が書かれていた。
この時点で首飾りと表現されているということは、石をペンダントに加工したのはサルナーク国内だろう。
それに大国であったルミナスへの贈り物として使用していることから考えても、このペンダントは国宝とまではいかないにしてもそれなりに大切に扱われていたもののはず。
恐らく、石を加工した記録が公的書類で残されているはずだ。
俺はそう考えて一旦席を立つと、竜騎士時代の記録が保管されている書架へと足を運んでいた。
「"宝飾技師達の功績"か・・・多分これだな」
他の歴史書に比べれば決して厚いとは言えない本だが、当時の記録や手描きされた図解とともにサルナークの宝飾技師達がこれまでに手掛けた宝石や装飾品が紹介されている本だ。

「えーと・・・あった、これだ」
1215年頃に南方平定の戦いで騎手を失った青竜より王に献上された黒水晶の原石。
直径約4センチ、内部に貫通孔あり。
カットの際に貫通孔より亀裂が入り半球部分が粉砕した為、残った半球部分を研磨し首飾りに加工。
加工後は準国宝として宝物庫に保管される。
これは・・・多分俺が知る限り黒水晶の最古の記録だ。
歴史書にこの部分が記されていないのは単にこの加工記録を見逃したか、或いは石の詳細な出所が判明していないからだろう。
それに南方平定の戦いということは、元々この石は南に住む蛮族達が持っていたということだ。
しかしもし何らかの理由で2つの石の内の1つが誰かに持ち去られていたとしたら、黒水晶の埋め込まれた樫の杖は南城壁よりも更に南の方で作り出された公算が高いだろう。
その頃サルナークの南方の森には小さな町が幾つか点在していたし、ルミナスの西側国境とも程近い。
しかも後にルミナスの一部となるその周辺地域には・・・もう1つ興味深いものが存在していた。
それはルミナスの王子アルタスが黒竜に呪いを掛け、そして王女シーラがその呪いを解いたあの城だ。

別の書架で見つけたサルナークとルミナスの城砦記録によれば、その城の主はとある貴族の末裔らしかった。
城が建てられたのは1170年頃で、彼は1199年に19歳の娘アイリーンと結婚。
だがその横に添えられていた当時の様子を描いた絵を目にして、俺はピタリと動きを止めていた。
1204年というサインが添えられたその絵に描かれているのは、40代と思しき紳士と20代前半の若い娘がアンティーク調のテーブルで仲睦まじく紅茶を飲んでいる姿だ。
そしてその娘の左手には、その場の状況に似つかわしくない1本の木の杖が握られていた。
「まさか・・・?」
そう思ってその娘を描いた他の絵にも目を通してみると、夫婦で一緒にいる絵でも1人の絵でも、必ずと言って良い程に木の杖を突いている。
その後1220年代には杖を持った絵は無くなったものの、同時に夫婦で描かれている絵も消えてしまっていた。

どういうことだ?
彼女はまだ若い上にとても足腰が悪いようには見えないし、時期的にも黒水晶の埋め込まれた樫の杖が作られた頃に一致する。
それにもしこの絵の杖が俺の探しているものだとしたら、この娘は1220年頃に杖を手放したということだ。
その後に描かれた夫の絵が1枚も無いことから考えると・・・
もしかして彼は黒水晶の力が原因で命を落としてしまったのではないだろうか?
だが遠い昔の出来事を想像するのにそれだけではどうにも情報が足りず、俺は頭の中にもやもやとしたものを抱えながらも手に取っていた本を元の場所に返したのだった。


〜1188年〜
「はぁ・・・はぁ・・・」
眼前で灰となって消えてしまった心優しい黒いドラゴンとの別れからしばらくして・・・
私は時折周囲で感じられる他のドラゴン達の気配に怯えながらも数時間掛けて森の中を歩き続けると、夕方頃になってようやく名前も知らない小さな町へと辿り着いていた。
長時間森の中を歩き回ったせいか服は泥だらけでボロボロになってしまったものの、右手の中に握り締めた小さな黒い石の感触を確かめると意を決して大勢の人々で賑わう町中へと足を踏み出していく。
「お、どうしたんだいお嬢ちゃん?そんなに服を汚して・・・」
案の定幼い少女がボロボロの格好で出歩いていたことを不審に思ったのか、数人の人々が私の身を案じてそう声を掛けて来てくれる。
「私の住んでた村が・・・ドラゴンに襲われて無くなっちゃったの・・・」
そして精一杯の憐憫を誘う声でそう呟くと、心優しいおばさんがそっと私の手を取ってくれていた。

「それは辛かったねぇ・・・帰る家が無いのなら、うちで働かないかい?パンを焼く仕事を手伝っておくれよ」
「え・・・いいの?」
「正直今は猫の手も借りたいくらいに忙しいからね。その代わり、食事と寝床は用意してあげるから」
それを聞いて、私は満面の笑みを浮かべて大きく頷いていた。
村がドラゴンに滅ぼされたというのは少々大げさな嘘だとしても、帰る家が無いことは確かな私にとっておばさんの提案は正に渡りに舟だったのだ。
それからというもの、私は自分を拾ってくれたおばさんの経営するパン屋で懸命に働き続けた。
あの黒いドラゴンから貰った願いの叶う不思議な石は自分の宝物だと言って近所にいた木彫り細工の職人に樫の木の枝へと埋め込んでもらい、どんな時も肌身離さないよう身に付けている。
そして1年、2年と働いている内に雑用の手伝いだけでなく自分でパンを作る方法も覚えると、おばさんはいよいよもって私を可愛がってくれるようになっていった。

そんな平和な日々が10年余りも続いたある日・・・
もうすぐ19歳の誕生日を迎えようとしていた私は、工場から響いて来たおばさんの声に顔を上げた。
「アイリーン、注文のパンを届けてきてくれないかい?西3丁目のウィルバーさんのところだよ」
「はい!すぐに行きます」
もうすぐ50代も終わりを迎えそうなおばさんに代わって、パンの配達は専ら若い私の仕事になっている。
その日も、私は焼きたてのパンを丁寧に包むと配達へと飛び出していった。
ドン!
「きゃっ!?」
だが後もう少しで目的のお客さんの家に辿り着くというところで、不意に曲がり角から飛び出して来た男とぶつかって持っていたパンを地面に取り落としてしまう。

「ああっ、済まない!これは申し訳無いことをしてしまった・・・怪我は無いかい?」
直後に耳に届いてきたその温厚そうな声に痛みを堪えて顔を上げてみると、40歳くらいの紳士が心配そうな顔で地面にへたり込んでいた私を見詰めていた。
「え、ええ・・・大丈夫です。でもどうしよう・・・ウィルバーさんのパンを落としてしまったわ・・・」
「心配しないで・・・そのパンは私が買い取るとしよう。すぐに新しい物を用意して」
「ありがとう。そうするわ」
私はそう言って彼から差し出された代金を受け取ると、深く礼をしてからパン屋へと取って返したのだった。

そしてその日の夕方頃・・・
チリリンという呼び鈴の音に気付いて閉店の準備をしていた工場から私が顔を出してみると、昼間ぶつかってパンを落としてしまったあの紳士が申し訳無さそうに入口で佇んでいた。
「あなたは・・・」
「やあ、アイリーンかい?昼間は私の不注意でとても済まないことをしたね」
「い、いえ・・・私も余所見をしていましたし・・・」
だが私がそう言うと、彼が少しばかり神妙な面持ちを浮かべながらゆっくりと私の方に近付いて来る。
「町の者達に君のことを訊ねている内に知ったんだが・・・故郷を失ってここで奉公しているそうだね?」
「はい・・・もう10年になります」
「実は君に、罪滅ぼしをしたくてね。いや、率直に言わせて貰えれば・・・君に結婚を申し入れたいのだよ」

それを聞いた瞬間、私は一瞬頭の中が真っ白になるのを感じていた。
閉店間際にやって来た客の存在に気付いて後から出て来たおばさんにも彼の言葉は聞こえたらしく、私と同じようにポカンとした表情を浮かべている。
しかしおばさんはすぐに気を取り直すと、まだ放心気味だった私の肩を両手で強く揺すっていた。
「ア、アイリーン、聞いたかい!?この方は貴族だよ!お前に結婚を申し込みたいって・・・!」
その言葉の意味を何度も何度も頭の中で再生しながら実に十数秒もの沈黙を挟んだ後・・・私は辛うじて擦れた返事を喉から絞り出したのだった。

その翌年、私は短い交際期間を経て無事に彼と結婚を果たしていた。
おばさんは突然私がいなくなることに初めは少し戸惑っていたところもあったのだが、結局は私が幸せになることを素直に喜んで快く彼の許へ送り出してくれたのだ。
彼は森の中に佇む大きな城に住んでいて、その優雅で何一つ不自由の無い暮らしはそれまで私が歩んできた波乱に満ちた人生の中で特別な輝きを放ったものだった。
毎朝彼とともに飲む紅茶の味も、落ち着いた書斎で読み耽る様々な文学や書物から得られる知識も、ありとあらゆる経験が幸福という形になって私の中へと流れ込んでくる。
幼い頃から持ち歩いている黒い石の埋まった樫の杖だけは決して手放さなかったものの、その神秘の力すら今の私には全く必要の無いものに思えたのだった。

だが彼との結婚から20年が経った頃、間も無く40歳を迎えようとしていた私に彼がこんな一言を呟いた。
「アイリーン・・・私達の子供は、やはり出来ないのかい?」
幼い頃に突然両親を失ってしまった精神的なショックからか、或いは目の見えない極限状態で長時間森の中を彷徨った辛い経験故なのか・・・
私は20年もの長い間に夫と幾度と無く体を重ねたにもかかわらず、ついにこの歳になるまで1度も彼の子供を妊娠することが出来なかったのだ。
「ええ・・・ごめんなさい・・・」
幾ら頭の中で思案してみてもそれ以上の謝罪の言葉が喉から出て来ず、重い雰囲気につい押し黙ってしまう。
子供が出来ない体になってしまった正確な理由は私には分からないものの、家系を重んじる貴族の彼にとって私が嫡男を産むことは正に悲願だったのに違いない。

とその時、私は彼が何かを思い付いたようにパッと顔を上げた気配に気が付いていた。
「そう言えば・・・君が普段持ち歩いているあの杖だけど、何でも願い事を叶えることができるんだったね?」
「え、ええ・・・でも・・・」
かつてあの石を私にくれた黒いドラゴンの最期の言葉が、不意に私の脳裏に蘇る。
"決して、自然の摂理に逆らった願いを込めてはならぬ。もしその禁を破れば、必ずや悲劇に見舞われるだろう"
命を操作すること・・・それは、自然の摂理に逆らうことではないのだろうか?
子供が産めない体である私に子を孕ませようとすれば、一体どんな副作用が起こるかなど見当も付かない。
だがそんな私の葛藤をよそに、彼は傍にあった例の杖を手に取るとそれを私へと振り向けていた。
「あ、待って・・・」
咄嗟に漏らしたそんな制止の声も間に合わず、杖の先に嵌め込まれた黒い石が一瞬その身を純白に染め上げる。
それと同時にシュウウ・・・っという水が蒸発するかのような低い音が周囲に鳴り響き、徐々に元の漆黒の色合いを取り戻していく石からは無数の淡い光の粒が私の体に降り注いでいた。

「あ・・・?」
やがて杖から放出される光が全て私の体内に吸い込まれていった次の瞬間、突然体内にそれまで無かった異物の感触が出現する。
これは・・・赤子・・・?
ガシャアアン!
だが念願の子供が出来たという喜びに彼の方へ視線を向けると、彼は盛大にテーブルを引っ繰り返しながら杖を持ったまま唐突に床の上へと倒れ込んでいた。
「あなた!どうしたの・・・ねえ・・・早く目を開けて・・・!」
咄嗟に彼の胸に置いた私の手へ、残酷なまでの静寂が伝わってくる。
そんな・・・心臓が止まってる・・・?
私の中に命を宿したから・・・彼の命が代わりに失われてしまうなんて・・・!
騒ぎを聞いて駆け付けた使用人達も次々と悲鳴を上げてはパニックに陥っている様子で、結局その場にいた誰もが何も出来ないまま、彼は私の目の前で永遠にこの世を去ってしまったのだった。

それから4年後・・・
私は夫から受け継いだ城と莫大な遺産に囲まれながら、広い庭を走り回る息子を静かに見詰めていた。
父親の死という悲劇を伴って産まれウェインと名付けられた息子は幸いにも元気に成長し、私に似たのか今では城の書斎で難しい本も時折読んでいるらしい。
きっと、この子は将来賢い人間・・・ともすれば、学者にでもなるのに違いない。
彼の命と引き換えに宿した命だけにこの子には夫と同じ貴族であるアイザックの血が流れているのかも知れないが、直にこの周辺もルミナスの領地になる運命だ。
そうなれば、貴族の身分などさして価値のあるものではなくなってしまうことだろう。

「ウェイン、そろそろ森へ散歩に行きましょう」
「はーい!」
「アイリーン様、森へお出掛けになられるのでしたらお気を付けくださいませ」
私達の外出の気配を感じ取ったのか、使用人の1人が心配そうにそんな声を掛けてくる。
「何かあったの?」
「近頃、サルナークで竜騎士制度の廃止が囁かれております。それに伴ってドラゴン達が・・・」
その話なら、町に出掛ける度に人々の噂話として私の耳にも入っていた。
周辺の森に住む原住民を弾圧しての領土拡張も一段落し、隣国のルミナスと対立しないよう竜騎士を解体する動きがあるのだという。
それに伴って騎竜候補としてサルナークに集まっていたドラゴン達が大勢解放され、そのほとんどが再び森で暮らすようになっているらしい。
とは言え、元々人間との協調が目的でサルナークに集まっていたドラゴン達であればそもそもが人間に対して敵対的な存在ではないはずだ。
余程腹を空かせてでもいない限り、彼らは仮に森の中で出会ったところでそれ程危険な存在ではないだろう。
「大丈夫、気を付けるわ。ありがとう」
それでも私は一応気を遣ってくれた使用人にそう礼を言うと、ウェインとともに昼下がりの森へと繰り出したのだった。


〜2035年〜
「さてと・・・気を取り直して次に行くとしようか・・・」
ややあってまだ数冊の本が積まれたままになっている自分の席へ戻ってくると、俺は数回深呼吸してから深々と椅子に腰掛けていた。
取り敢えず、調べなければならないことは少しずつ絞れてきたようだ。
市長を辞任した後、グレッグは一体何をしようとしたのか?
1220年代、黒水晶の杖を手にしていたアイリーンの身に一体何が起こったのか?
そしてもう1つ・・・王女シーラの死去によってルミナスの国体が滅んだ時、晩年の彼女がサルナークとどのような取り決めを交わし、そして塔に幽閉されていたはずのドラゴンは一体どうなったのか?
歴史書から得られる断片的な情報だけではその全てを知ることは出来ないものの、シーラの晩年については少なくともかなり詳しい情報が残っているはずだ。
何しろルミナス滅亡後はその広大な領地がそっくりそのままサルナークのものとして合併しているのだから、シーラが事前に当時のサルナーク王と何かしらの契約を結んでいた可能性は十分にある。

だがそんな俺の予想とは裏腹に、公開済みの外交文書の書架を探してもサルナークがルミナス滅亡前に何らかの公約や条約を取り交わしたという記録は1つも見つけることが出来なかった。
今は既に存在しない国とのやり取りであれば、大抵の場合は全ての文書が公開されているはずなのだが・・・
もしかして、サルナークはシーラ亡き後で勝手にルミナスを乗っ取ったとでも言うのだろうか?
それとも・・・取り決めの中に何か一般大衆に公開してはいけない情報でも含んでいるのだろうか?
そんな憶測を脳裏に巡らせながら、俺はテーブルに残っていた"最後の女王シーラ"と題された本を手に取った。
著者はルミナスの歴史について造詣の深いあのJ.オーガスだが、彼の著書の多さが彼自身も超大国とまで呼ばれたルミナスの終焉に隠された謎を解き明かせなかったことを却って証明してしまっている。
とは言え、J.オーガスの著書には俺自身も知らない事実や情報が溢れていることもまた事実だった。

ルミナス最後の女王となったシーラは、1356年に当時の国王だったサイラスの長女として産まれた。
1374年の夏、18歳となったシーラは南方の町を旅行中にサイラスが発作で倒れたとの知らせを受けたものの、帰郷の途中で崖から森に転落して数日間遭難する。
だがその際、かつてのアイリーンの城に住み着いていた黒竜がシーラを発見、保護した。
その件が元でシーラは黒竜と次第に心を通わせるようになり、黒竜もまたシーラが息を引き取った1420年まで片時も離れず彼女に付き添ったという。
シーラの死後このドラゴンがどうなったのかは分からないが、シーラが例のペンダントとともに城の敷地内にある墓所へと埋葬された際、棺の蓋を最後に閉めたのがその黒竜だったという記録が残っていたそうだ。
もしそれが本当だとしたら、ドラゴンはシーラの死によって自由の身を手に入れたのかも知れない。

「待てよ・・・記録か・・・」
シーラの葬儀の記録は、当然ルミナス城の人々の手によって記されたことだろう。
だとしたら、それはしばらくの間ルミナス城に保管されていたはずだ。
それにシーラの没年がそのままサルナークとの併合の年に重なるということは、やはりルミナスは戦で滅んだのではなく事前の密約によって速やかかつ平和裏に併合が行われたのに違いない。
1500年代のサルナーク出身だったJ.オーガスが後に葬儀の記録を見ることが出来たのなら、廃城となったルミナス城に今もまだそれらの資料が残っている可能性は否定出来ない。
クソッ・・・俺は何て馬鹿だったんだ!
当時の貴重な記録がほんの目と鼻の先に残されていたかも知れないってのに、シーラの墓所を掘り起こして黒水晶のペンダントを見つけただけで満足してたなんて考古学者が聞いて呆れるというものだ。

俺は書架から持ち出していた本を全て元の場所に戻すと、あの黒水晶のペンダントを発掘したルミナス城跡へと向かうべく図書館を飛び出していた。
国立図書館にルミナス側の視点で書かれた歴史資料の数が少ないのは、恐らく併合時に文書や記録の統合がされていなかったのだろう。
つまりもし当時のサルナーク王とシーラの間で2国間の併合に関する何らかの取り決めがあった場合、サルナーク側がその内容を開示していなくてもルミナス側には何かの手掛かりが残っている可能性がある。
赤い夕焼けの架かり始めた空の下、俺はそんな微かな期待を胸に東に向かって車を走らせたのだった。


〜1224年〜
森の中に佇む城から近くの町へは、20分程森の中を歩く必要があった。
毎週散歩と称して町へ買い物に出掛けるのをウェインは特に楽しみにしているのだが、私にとって今回の外出の目的はこれまでとは少しばかり異なっている。
ウェインの誕生と引き換えに愛しい夫の命を奪った、あの黒い石の埋め込まれた樫の杖・・・
これまでずっと倉庫の奥に仕舞い込んでいたその忌まわしい杖が、今は私の手に握られていた。
この子に何かあった時の為にとこれまで杖を手放すことがどうしても出来なかったのだが、無事にすくすくと育っている息子の姿を見てようやく私にも過去と決別する勇気が湧いたらしい。
まあ本当にそのつもりならこんなものなど燃やしてしまえば良いのだろうが、自身の命を絶ってまで私の為にこの石を遺してくれたあのドラゴンのことを思うとそれは出来なかったというのが正直なところなのだが。

やがて無事に町へ辿り着くと、私はまずウェインとともに古物商へと杖を売りに行った。
そこに埋まっている黒い石の価値など分からない店主の見立てでは銅貨5枚などという安値を付けられたのは当然なのだろうが、私としてもこの杖を静かに手放せるのであれば別に文句は無い。
「お母さん、あの杖売っちゃうの?」
「ええそうよウェイン・・・何時か役に立つかと思って持っていたけど、私達にはもう必要無いものだからね」
「そっか・・・じゃあ杖を売ったそのお金で、何か本を買ってくれる?」
この子が読書家なのは、やはり私の影響なのだろうか?
森の中では本を読む他に大してすることが無いと言ってしまえばそれまでなのかも知れないが、まだ4歳そこそこのウェインが随分と大人びて見える時があるのはきっとその聡明さ故なのだろう。
「良いわよ。それじゃあ、まずは本屋に行きましょうか」

それから1時間後・・・
私は町での買い物を終えると、ウェインとともに城への帰途に就いていた。
新しく買った本を大事そうに抱えている息子の嬉しそうな姿に何とも心が和んでしまうのは、ウェインが悲しい奇跡から産まれた特別な子供だからなのだろうか?
だがそんなことを考えながら昼下がりの森の中を歩いていたその時、私は唐突に聞こえてきた不穏な獣の唸り声に足を止めていた。
「何?どうしたの?」
「しっ・・・静かに・・・」
「グルルル・・・グル・・・」
そして今度ははっきりと聞こえた声の方向に顔を向けてみると、まだ若いと見える体高1メートルに満たない緑色の鱗を纏った小さな雄のドラゴンが茂みの影からこちらの様子を窺っているのが目に入る。

まずい・・・恐らくはまだ仔竜なのだろうが、私はともかくとしてもウェインにとっては十分に危険な敵だ。
「お、お母さん・・・あれ・・・どうしよう・・・」
「大丈夫・・・大丈夫よ・・・私から離れないでね」
私はウェインを動揺させないように声が震えそうになるのを何とか堪えると、地面に落ちていた長くて太めの木の枝をそっと拾い上げていた。
こんな時あの杖があれば石の力で何とかできるのかも知れないが、間の悪いことに奇跡の力はもう使えない。
ガサ・・・ガササ・・・
そして茂みを掻き分けながらゆっくりと近付いて来る仔竜を睨み付けながら、私は木の枝を大きく構えていた。

「グオウッ!」
その数瞬後、短い唸り声を吐き出しながら仔竜がウェインに向かって一気に飛び掛かって来る。
「うわあっ!」
ガッ!
私は息子を守ろうと仔竜の脳天目掛けて木の枝を思い切り振り下ろしたものの、硬い鱗に覆われたその身には非力な私の一撃など大した効果が無かったのか一瞬動きを止めた仔竜が今度は私に向かって襲い掛かって来た。
「ガウオッ!」
「きゃあっ!」
「お、お母さん!」
幾ら小柄な体格だとは言えその怒りに任せた激しい突進は私にも流石に受け止め切れず、あっと言う間に仔竜に地面の上へと力任せに押し倒されてしまう。
「い・・・や・・・止めてっ・・・!」
そしてその想像以上に重い体重を預けられながら両手を踏み敷かれてしまうと、無数の牙が並んだ仔竜の口が細い唾液の糸を引きながら私の眼前で大きく開けられていった。

「ああ・・・」
最早自分ではどうしようもない絶体絶命の窮地に、圧倒的な死の気配が押し寄せてくる。
だがもう駄目だと思ってきつく両目を瞑った次の瞬間、大きな衝撃が私の全身を激しく揺さ振っていた。
バシッ!
「ギャッ!」
それと同時に私の両手を踏み付けていた重圧が消え去り、一体何が起こったのかという思いが脳裏を駆け巡る。
そして恐る恐る目を開けてみると・・・そこには、まるで想像だにしていなかった意外な救い主がいた。
「う・・・あ、あなたは・・・?」
まず最初に目に入ったのは、美しい光沢のある黒鱗を纏った巨大な体。
背中に生えた1対の翼の間からは、後頭部から伸びる太い乳白色の双角が顔を覗かせている。
そして私を組み敷いていた仔竜を7メートルも向こうの樹木まで撥ね飛ばした太い尻尾に、私は俄かには信じられなかったその者の正体を否応無しに確信させられていた。

「グルゥ・・・アウゥ・・・」
自分よりも遥かに巨大なドラゴンの尾撃を受けて吹き飛んだ仔竜は硬い鱗のお陰か無傷だったようだが、流石にこの黒竜には敵わないと思ったのか何処か情けない声を漏らしながら茂みの奥へと消えていってしまう。
だが・・・取り敢えず窮地を脱したのは良いとしても、私は目の前に現れた仔竜などよりも一層危険な相手に地面から体を起こすのも忘れてただただ固まっていることしか出来なかった。
そして見上げるようなその巨体がゆっくりとこちらに振り向けられる様を半ば絶望的な思いで見詰めていると、険しい表情を浮かべた雄竜が私とその傍らに佇むウェインをジロリと睨み付ける。
「お、お母さん・・・」
「あぁ・・・」
そんな鋭い捕食者の視線に射抜かれて、私達は互いにしっかりと抱き合いながら心中に膨れ上がる死の恐怖を必死に押さえ付けていた。

「お、お願いです・・・どうかウェインは・・・この子の命だけは・・・」
そして黒竜が追い詰めた獲物を値踏みするかのようにゆっくりと私達の前へその長い首を伸ばしてくると、母親として何とか息子だけは護ろうという思いが私の口から擦れた声となって漏れ出していく。
ウェインはというと私が一緒にいることで何とか泣き出すのだけは堪えているらしかったものの、今にもその大きな口で一呑みにされてしまうのではないかという不安にブルブルと震えてしまっていた。
やがて数秒の沈黙を挟んだ末に私の願いを聞き届けてくれたのか、それとも単に私の方が食いでのある獲物だと判断しただけなのか、ドラゴンがその大きな手で私の首を静かに掴み上げる。
「ああ・・・や、止めて・・・お母さんを食べないで・・・僕はどうなってもいいから・・・お願い・・・」
だがいよいよ目の前で食い殺されようとしている私の姿に居ても立ってもいられなくなったのか、さっきまで震えていたはずのウェインが巨大なドラゴンの顔に泣きながら縋り付いていた。

「ウェ、ウェイン・・・」
「ほう・・・まだ幼い小僧だというのに、自分の命を捧げて母親の命乞いとは見上げた度胸だな」
「え・・・?」
何故か余り殺気の感じられないその声に、ウェインがキョトンとした様子で抱き抱えていた巨竜の顔を離す。
「竜騎士を目指して我のところへやって来た連中よりも、どうやらお前の方が遥かに勇気がありそうだ」
竜騎士・・・ということは、このドラゴンはサルナークで募集していた騎竜の候補だったのだろうか?
確かにそう考えれば、彼が先程の仔竜のようにすぐ私達を殺そうとしなかったことにも一応の説明が付く。
「お前は死ぬのが恐ろしくないのか?生きたまま噛み砕かれるのは、想像を絶する程に苦しいのだぞ?」
「ぼ、僕にはお父さんがいないから・・・お母さんが死んじゃう方が嫌だよ」

その言葉を聞くと、ドラゴンはそっと私の身を解放してくれていた。
代わりに今度は小さなウェインの体を掴み上げ、自身の大きな背中へと乗せてくれる。
「ならば、我がお前の父親代わりとなってやろうか?」
「ほ、本当に?」
「退屈凌ぎにでもなればと思って城に行ったまでは良いが、我の気に入る連中は1人もいなかったからな」
私はそんなドラゴンの言葉に一瞬自分の耳を疑ってしまったものの、ドラゴンの背中の上でウェインが嬉しそうにしているのを見て何も言わずに安堵の息を吐いた。
それ以来ドラゴンは学者を目指すウェインが19歳で家を出て行くまで彼の父親代わりを務めると、以後は私の終生の夫としてともに幸せな日々を過ごしたのだった。


〜2035年〜
次の日・・・俺は目的地近くの宿で眠れぬ一夜を過ごすと、早朝から逸る気持ちを抑えて今は廃城となったルミナス城へと向かっていた。
俺があのペンダントを見つけたシーラの墓所も含めて城の敷地内には至る所に発掘の跡が残っているものの、城内の方は至る所に瓦礫が散乱して尋常でない程に荒廃していた為にまだ詳細な調査が行われていないのだ。
やがて発掘調査の為に立入禁止のロープが張られた城のすぐ傍に車を停めると、俺は懐中電灯を手にして薄暗いルミナス城内へと足を踏み入れたのだった。

所々劣化して崩れた天井や剥がれ落ちた外壁の一部が床に積み上がり、亀裂の入った石壁の隙間から白い朝日が静寂に包まれた城内へと降り注いでいる。
600年以上前に誇っていた大国の栄華の残滓は最早見る影も無く、俺はこの奥に未だ手付かずで眠っているのであろう忘れられた歴史を暴くべくそろそろと先へ進んでいった。
目指すのは、歴史書や外交文書などが保管されていたであろう書物室だ。
これまで城跡の発掘作業に関わった経験からすると、大抵の城では万が一洪水などに見舞われた際に書物を護る観点から重要な文書を保存する書物室は地下や1階には作られないことが多かった。
だが最上階には王族の居室が存在し限られた人間しか往来を許可されていなかったはずなので、3階建ての城ならまず探すべきは2階ということになる。
俺は外から差し込む淡い光と懐中電灯の明かりを頼りに上階へと続く階段を見つけ出すと、不安定な足元に注意しながらゆっくりと2階に向かったのだった。

それから10分程が経った頃・・・
「あった・・・ここだ」
俺はようやく立派な書架の立ち並ぶ広い書物室を見つけ出すと、暗闇の中で埃とクモの巣に塗れた無数の本をじっくりと調べ始めた。
「それにしても、凄い本の量だな・・・」
学問の為の本やルミナスの歴史書、それに他国の伝記や町の変遷の様子などを記録した文書などがカテゴリー別に整然と並んでいる様子はさながら小規模の図書館のようだ。
だが20分程掛けてようやく外交文書関連の書物が並んでいる書架を見つけ出したその時、俺はその一帯だけ明らかに他の場所よりも埃の積もっている量が少ないことに気付いていた。
それに、幾つかの書物には背表紙の埃を誰かが手で拭った跡が残っている。

まだ透明なガラスやプラスチックを窓に用いる技術が発達していなかった時代、城の書物室と言えば風雨の影響や湿度の変化を避ける為に窓の無い構造になっているのが普通だった。
ここもその例に従って窓が無い為に非常に暗いのだが、空気の移動が少ない分埃が積もる量は一定に近くなる。
ルミナス城が廃城になった時期を考えれば、ここには本来約600年分の埃が積もっている計算だ。
もしサルナークと併合後した後にJ.オーガスが研究の為にここへ立ち寄ったのだとしても、時期的には遅く見積もっても1500年代後半・・・最低でも400年以上前のことだから、埃の量はそれ程変わらないだろう。
だが現状を見る限り、間違い無くここ150年から200年以内に誰かがこの書架を物色しているはずだ。
一体誰が何の目的で?
取り敢えず書架に詰まった本には隙間が空いていないから、何かが持ち出されているというわけではないらしいのだが・・・

「外交記録・・・サルナーク・・・お、これかな?」
やがて見つけ出した1冊の本。
背表紙が綺麗なことから察するに、恐らくはこれもその誰かによって調べられた物の1つに違いない。
そして最後の方に書かれていたシーラの外交記録に目を通してみると、やはり1418年にルミナスとサルナークとの間で併合についての会談が執り行われたらしかった。
生涯結婚をしなかったというシーラは、自分がルミナス最後の王族となることを既に覚悟していたのだろう。
だが主に執政の委譲について取り纏められているその会談内容の中に、俺は1つだけ奇妙な文言が混じっていることに気が付いていた。

「"併合に当たり、両国間にある森林地帯の一部を国立保護区として立入禁止にすること"だって?」
そう言えば、確かにサルナークの東側にあるかつてルミナスと接していた境界付近の森は今でも何故か開発や人の出入りがサルナークの国内法で厳しく禁じられている。
一見すると何の疑問も感じないまま読み流してしまいかねないような内容だが、これが2国間の協議の末に決まったことだと考えると何か意味があると考えるべきだろう。
他には特に気になる点も見当たらなかったし、サルナーク側がこの外交文書を公開していないのは一般の国民に国立保護区の制定について疑問を抱かれるのを避けたい思惑があると見るのが自然だ。
「行ってみるか・・・」
他にも調べたいことが無いわけではなかったのだが、正直ここになら来ようと思えば何時でも来れるだろう。
それよりも、俺はこの禁じられた地域に何があるのかをどうしても確かめたかったのだ。

ルミナス城から立入禁止となっている目的の国立保護区までは、車で30分と掛からずに辿り着くことができた。
だがサルナークに限らずルミナスも元は広大な国土面積を誇っていた大国であるだけに、森林地帯の一部という軽い言葉の印象とは異なりその適用範囲は実に200平方キロを優に超える。
しかもそんなにも広い土地を立入禁止と定めているというのに、その目的については国民の誰もが知らないというのだから不思議な話もあるものだ。
一応保護区の境界を仕切る高いフェンスは定期的に点検や修繕が行われているようで、それに係わる工事費が現代でも公共事業の一環として国から民間に還元されているのだという。
200平方キロの土地を囲むフェンスと言えば単純に見積もっても60キロ以上にもなる計算だが、それを数年毎に品質管理するとなると確かに一定の経済効果はあるのだろう。

俺はしばらくフェンス沿いの道を走りながら人目に付き難い奥まった場所を見つけると、そこから少し離れたところにある空き地に車を停めることにした。
もし本当に数百年もの長い間全く人間による開発の手が入らずその環境が保全され続けてきたのだとすれば、恐らくあのフェンスの向こうには太古の原生林のような色濃い自然が残されていることだろう。
これから国立保護区に不法侵入することを考えれば行動を起こすのは夜にしたいところだが、流石にジャングル紛いの深い森に夜中に足を踏み入れるのは自殺行為というものだ。
そしてしばらく駐車した車の中で深呼吸しながら覚悟を決めると、俺は懐中電灯と発掘調査に使う小道具を幾つか身に付けてから静かにフェンスへと向かったのだった。

「近くに監視カメラは無し・・・人通りも特に問題無し、と・・・」
俺は注意深く周囲を見回しながら誰にも見られていないことを入念に確かめると、3メートル近い鉄製のフェンスを一気に攀じ登っていた。
確かに俺は考古学者として調査の為に些か無茶をすることはあるが、法律に反した行動を取ったのはこれが初めてだろう・・・多分だけど。
まあ今から半世紀も前にはカウボーイハットを被った考古学者が無茶苦茶やる映画が流行っていたらしいから、歴史の謎を解く為に俺がこれくらいやったところで大した罰は当たるまい。
そしてそんな自己正当化の思考が終わるか終わらないかの内に高いフェンスを乗り越えると、俺はもう1度だけ誰にも見られていないことを確認してから鬱蒼と草木の茂った森の中へと姿を消していた。

「それにしても・・・随分と・・・険しい森だな・・・」
真昼間だというのに木々の厚い梢に遮られてほとんど日光が地面まで届かない暗い森の中を、首の高さまであるような茂みを掻き分けながらそろそろと進む。
大昔の遺跡や地下に潜ったりする職業柄故か俺は虫もミイラも幽霊も平気な部類の人間だが、自然の要塞とも言うべき普通に歩くのも困難なこの森の深さには流石に少しばかり辟易してしまう。
そして10分程もそんな苦行を続けていると、俺はようやく少しばかり木々が疎らになった場所を見つけていた。
しかも都合の良いことに今俺が居る場所は周辺に比べてやや高台になっていたらしく、広大な秘密の森がずっと向こうまで続いている光景に思わず胸が躍ってしまう。

晩年のシーラは、サルナークと密約を交わしてまで一体この森に何を隠そうとしたのだろうか?
だがそんなことを考えながら視界一面を覆った緑の絨毯にじっと目を凝らしてみると、俺はふと木々の切れ間から大きな洞窟の入口らしきものが覗いていることに気が付いていた。
「何だろうあの洞窟・・・行ってみるか」
この辺りの森も、かつてサルナークがその領土を拡大していた時代には蛮族と呼ばれる原住民や野生のドラゴン達が大勢存在していた場所のはずだ。
もしかしたらそんなドラゴンの住み処だったのかも知れないと考えれば、ただの洞窟とは言え無視するわけにもいかないだろう。
何しろ俺がこの旅に出た元々の目的は黒水晶の片割れを探すこと以外に、友人であるトムへ現代に生きるドラゴンの存在を見つけ出して報告することも含まれていたのだから。

「ここか・・・」
やがて手探りで森の中を歩きながら1時間程掛けて先程見た洞窟の前に辿り着くと、俺は懐中電灯を手にその薄暗い穴倉の中へと慎重に足を踏み入れていった。
所々天井に走った亀裂や小さな穴からは薄っすらと明るい陽光が降り注いでいて、何処と無く幻想的な雰囲気が辺りに満ちている。
「あ・・・なっ・・・」
だが足元に注意しながらもしばらく先へ進んでいくと、俺はその最奥にある広場のような場所で信じられない光景を目にしたのだった。

グッタリと地面に蹲ったままの姿勢だと言うのに、2メートル近い高さのある巨大な黒いドラゴン。
傷だらけにもかかわらず僅かながら光沢を保っている大きな鱗と悠久の年月に磨り減った乳白色の双角が、その雄竜の歩んできた永い永い波乱の生涯を雄弁に物語っていた。
そして余りの驚きに俺が息を呑んだ気配を察知したのか、眠っているように見えた黒竜が閉じていたその瞳を薄っすらと開いていく。
「おお・・・そこにいるのは・・・人間・・・か・・・?」
何てことだ・・・まさか本当に・・・生きたドラゴンをこの目で見ることが出来るなんて・・・!
だが確かに生きているとは言え、余りの老齢に最早視力も衰えているのかドラゴンの顔にはぼんやりとした虚ろな表情が貼り付けられていた。
まあこの様子ではいきなり襲われる心配も無いだろうだから、そう怯える必要も無いだろう。

「あ、ああ・・・そうだ」
「では・・・ようやく・・・ようやくこの日が来たのだな・・・」
やがてそんな俺の二つ返事に大きな安堵の息を吐き出すと、ドラゴンがそう呟きながら自身の体の陰からゆっくりと短い木の枝のようなものを取り出してくる。
いや、あれはまさか・・・黒水晶の嵌った杖・・・?
「名も知らぬ人間よ・・・我の・・・頼みを聞いてくれぬか?」
「頼みって?それにその杖、どうしてここにあるんだ?」
「これはその昔・・・ある年老いた人間の男が持ってきた物だ・・・名はもう忘れたが・・・」
年老いた人間の男・・・?
あの杖を最後に手にしたのは、ドラグストンの元町長であるグレッグしかいないはず。
もしそうだとすれば、グレッグは町長を辞任した後にあの杖を持ってこの洞窟にやって来たということになる。

じゃあグレッグが任期半ばで町長を辞めたのは・・・杖に嵌った黒水晶のルーツを探る為だったのだろうか?
確かにそう考えれば、ルミナス城の書物室で外交文書の書架だけが誰かに物色されていた理由も説明が付く。
あれは恐らく・・・グレッグがルミナスの歴史を調べていた跡なのだろう。
そして俺と同じく2国の併合に伴って設けられた国立保護区の存在に疑問を感じて、杖を持ったままここへやって来たというわけだ。
だがグレッグの名前を思い出そうとしているところを見ると、彼はこのドラゴンに殺されてしまったわけでもないのだろう。
「その男の名前って・・・もしかしてグレッグか?」
「あ・・・ああ、そう・・・確かに・・・そんな名前だったはずだ・・・何故、お前が知っているのだ?」
「実は俺・・・今あんたが持ってるその杖を探していたんだ。その過程でちょっとね・・・」
そしてことの経緯を何と説明して良いものか迷っていると、ドラゴンがのそりとその巨体を起こしていた。

「まあ・・・そんなことは今更どうでも良いことだ・・・我の頼みさえ、聞いてくれるのならな・・・」
「俺に、一体何を頼みたいって言うんだ?」
「この石の力で、我の生涯の記憶を受け取って欲しいのだ・・・」
生涯の記憶を受け取って欲しいだって・・・?
このドラゴンが何百年生きているのかなど正直俺には想像も付かないが、その長年の生きた証を俺に受け継がせようとでも言うのだろうか?
「ちょ、ちょっと待ってくれ。せめて、その理由を教えてくれないか?」
「良かろう・・・お前に我の長話を聞くつもりがあるのなら、そこに座るがいい・・・」
「あ、ああ・・・」
そしてドラゴンに言われるがままに平らな地面の上へ腰を下ろすと、彼は洞窟の天井を見上げながらゆっくりと自身の過去を語り始めていた。

「我が初めて人間と深い関わりを持ったのは・・・ある母子を腹を空かせていた仔竜から救った時からだった」
仔竜に襲われていた人間を成竜が救ったというのも奇妙な話だが、人間との邂逅に慣れている様子から察するにこのドラゴンは元々人間に敵対的な性格ではないのだろう。
「まあ救ったと言うよりは・・・我が獲物を横取りしようとしたと言うべきなのだが・・・」
懐かしい思い出に微かな笑みを浮かべながら、ドラゴンが更に先を続ける。
「だが我の手に掛かろうとしていた母親を必死に救おうとする幼い小僧の姿に、我も心を打たれてな・・・」
「名前は覚えてるのか?」
「忘れもせぬ・・・確か小僧の名はウェイン・・・母親はアイリーンと言ったか・・・」
アイリーン・・・黒水晶の杖の元の持ち主である、あのアイリーンのことか?
彼女は、ルミナス領地内の森にある城で暮らしていたはずだ。
そのアイリーンと関係の深い黒竜ってことは・・・まさか・・・
「な、なぁあんた・・・もしかして、シーラっていう女王を知ってるか?」
「もちろんだ・・・この石の呪いから我を救ってくれたあの娘のことは、今も鮮明に覚えておる」

やっぱり・・・この黒竜は、シーラが女王時代にその生涯をともにしたというあのドラゴンなのだ。
彼が歴史の文献に最初に姿を現すのは1274年・・・つまり、800年もの大昔から生きているということになる。
「シーラは・・・自身の死後に我が静かに暮らせるようにと、この森に人間が立ち入ることを固く禁じた」
それじゃあシーラがこの場所を国立保護区に指定したのは、このドラゴンを護ろうとしてのことだったのか。
「そしてそれ以来数百年間・・・我は妻とともにこの森で静かに暮らしていたのだ」
「妻って?あんたの他に、雌のドラゴンもいるのか?」
「もう随分前に死んだのだがな・・・そこに、今もまだ骨が残っているだろう」
そう言われてドラゴンの視線が向けられた方向へ顔を向けてみると、確かに地面の上に大きなドラゴンの骨の残骸が残っていた。

「彼女は美しい雌だった・・・全身に青い長毛を靡かせ、人間の魂をもその身の内に宿していてな・・・」
「人間の魂を宿してたって?」
「この黒い石の力のせいで、そうなったらしい・・・妻も我も、この石に運命を狂わせられたのだな」
太い指先で摘んだ樫の杖を眼前で揺らしながら、ドラゴンがそんな寂しげな声を漏らす。
「だから我は・・・この石を永久に葬り去りたいのだ」
「それは・・・俺も同じつもりで、その杖を探してたんだ」
だがそこまで言ってから、ふと素朴な疑問が脳裏に過ぎる。
「でもそれなら・・・どうしてあんた自身がその石を砕いちまわないんだ?」
「そうする前に、我の記憶を人間の誰かに語り継いで貰いたいのだ・・・その為には、この石が必要だからな」
成る程・・・この呪われた石によって過去にどんな悲劇が起きたのか、石の存在の終焉とともに、彼はそれを人々の世に広めて欲しいのだろう。
グレッグは年老いた自分にはもうそれが出来ないことを自覚していたから、杖をドラゴンに預けて俺のような新たな人間がここを訪れる機会を待つことにしたのだ。

「分かった・・・そういうことなら、あんたの記憶を受け取ることにするよ」
「礼を言うぞ人間よ・・・ならば、こちらに来てくれぬか」
その言葉に従って俺がドラゴンの正面に近付くと、彼は手にした杖を俺の方にそっと振り翳していた。
と同時に杖に嵌め込まれた石が一瞬だけ純白に染まり、彼の頭からキラキラとした光の粒が溢れ出してはそれが俺の頭の中にスーッと吸い込まれていく。
「お・・・おお・・・」
それに伴って彼がこれまでに見てきた長大な歴史が次々と脳裏に蘇り、俺は言葉では言い表せぬ程の感動と衝撃に力無い声を漏らすことしか出来なかった。
後に学者の家系として世にその名を残すアイザック家のルーツが、サイラスの死後シーラとともに過ごした幸せの日々が、そしてこの森で数百年連れ添った愛しい雌竜との思い出が、確かな記憶となって定着していく。
そしてその数十秒後、最後の役目を終えた樫の杖をドラゴンがその石ごと粉々に握り潰したのだった。

グシャッ・・・パラパラ・・・
「これで良い・・・呪われたこの石の歴史は、全て終わったのだ・・・」
「ああ・・・これは凄いな・・・あんたの体験、確かに世の人々に伝えるとするよ」
「では・・・我の役目もこれで終わりだな・・・最期に、お前の名を聞かせてくれぬか?」
ようやく長年の重い肩の荷が降りたとばかりに、ドラゴンが穏やかな表情を浮かべながらそう聞いてくる。
「俺は、ハンスだ」
「ハンスか・・・覚えておくとしよう・・・」
ドラゴンは感慨深げにそう言うと、じっと目を瞑って脳裏で何かを念じたらしかった。
その瞬間、彼の体がまるで白い灰にでもなったかのようにサラサラと崩れ落ちていく。
そして数分後には彼という存在そのものが跡形も無く消えてしまうと、俺は途端に寂しくなった薄暗い洞窟を後にしていた。

もしかしたら彼は・・・この現代で生き残っていた最後のドラゴンだったのかも知れない。
だからこそ、彼はドラゴンが人間と深く関わり出した頃からの記憶を後の世に残しておきたかったのだ。
トム・・・やっぱり、この世界にもドラゴンは存在していたよ。
それに俺は、彼が永い生涯で見てきたこの国の歴史も知ることが出来た。
何時か俺がそっちに行ったら・・・その時はまたお前と2人で楽しい会話に花を咲かせられるだろう。
そして洞窟の外に広がっていた晴れ渡った空を見上げながら今は亡き友にそう呼び掛けると、おれは祖国に帰るべく再び深い森の中へと静かに吸い込まれていったのだった。

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