僕は今、絵を描いている。
微かにくすんだ画用紙の上に描き出されていくのは、風に靡く木の葉、辺りを取り巻く黒い鉄柵、狭い花壇を埋め尽くした色取り取りの花、そして誰もいない公園の寂しげに放置された遊具達・・・
画家を目指そうと心に決めてから早いものでもう3年の月日が経とうとしていたが、未だに僕は人間を含めて生き物の姿を絵に描いたことがただの1度も無かった。
別段僕は風景画家になりたかったわけではないし、もちろん色々な動物だって描いてみたいとは思っている。
だがかつて博物館で観たとある1枚の絵の印象が、僕の心の中にある種の一線を引いてしまっていたのだ。

趣味で落書きをするだけならいざ知らず、本気で絵画の世界に足を踏み入れようと志す人間は、誰もが皆その胸の内に記憶に残る絵を、情景を、或いは記憶のようなものを持っている。
そしてそれらを元に描かれた絵は、知らず知らずの内にその元となったイメージに近付いていくという。
模倣は最大の賛辞という言葉がある通り、芸術の世界に限らず入門というものは何事も模倣から始まるのだ。
だが僕が感銘を受けた絵を真似することは、きっと世界中の誰にもできないことだろう。
何故ならその絵に描かれていたのは・・・巨大な体躯を誇る1匹の逞しいドラゴンだったからだ。
ドラゴンは、とても希少な生物だ。
およそ地上で生活する獣とは思えない程の巨躯に、永遠とも語り継がれる程の馬鹿げた長寿。
更には数が多ければ間違いなく人間に代わって地上を支配していたという、人間以上の知謀と狡猾さ。
過去の歴史を仔細に紐解けば、人々の生活を脅かすドラゴンと人間の戦いの記録には枚挙に暇がない。
それ程までに神秘的でかつ危険なドラゴンという生物を、僕の尊敬する画家エルストラは実に100点を超える作品として描き出したのだ。

もちろん、想像でドラゴンを描く画家は幾らでもいる。
だが実物を見たことがない者達にとってドラゴンは宛ら神や悪魔と同列の存在感でも持っているのか、様々な肢体を持つドラゴンの背景は時に空虚で時に破滅的なものが多かった。
天に浮かぶ岩塊や奇妙な空中都市、辺り一面を覆い尽くす暗雲と炎を噴き上げる巨大な火山。
一言に幻想的な絵画と言ってしまえばそれまでの話だが、その点でエルストラの絵は大きく違っていた。
"闇に伏す者"と題された彼の絵に描かれていたのは、暗い洞窟の奥にゆったりと横たわった見上げる程に大きな雌の竜。
起伏の激しい岩の地面もドラゴンの眠っている辺りだけは長い年月の間に擦り減ったのか平らになっていて、黒光りする爪や微かに青みがかった鱗のあちこちには細かい傷までが実にリアルに描き込まれている。
小さく折り畳まれた翼に張られた薄い翼膜には幾つか破れたような跡まであり、まるで本物のドラゴンを前にして描いたかのような有無を言わせぬ迫力が伝わってくるのだ。
とは言え、それが不可能であることは僕にだって容易に想像が付く。
多くのドラゴンにとって、人間は敵対者なのだ。
首尾よく眠っているドラゴンに遭遇してその珍しい寝姿を絵に描くことができたとしても、万が一ドラゴンが途中で目覚めたりした日には残念ながら生きて帰れる見込みはない。

だがそれでも、エルストラの描く絵には不思議な魅力があった。
何よりも彼の絵に説得力があったのは、100点以上もの絵のモデルが全て同じドラゴンだったということだ。
毎回アングルや背景は変わるものの、その大きさや顔つき体つき、あるいは痛んだ鱗の位置までもが全ての絵で正確に表現されている。
エルストラの絵のモデルになったドラゴンがもし実際には存在しないとするならば、彼によって作り出されたこのドラゴンは絵の中で確固たるアイデンティティを確立していたと言えるだろう。
だがそんな僕にとっては遠い雲の上の存在とも言えたエルストラも、あるたった1枚の絵が元でその地位を落とすことになった。
そして正にそれこそが、僕の胸に最も強い印象を植え付けた彼の最後の作品なのだ。

"命尽きる時"と命名されたその絵は、ドラゴンの巨腕で押さえ付けられた挙げ句に眼前で鋭い牙の生え揃う凶悪な顎を開けられた獲物の視点を描いたものだった。
牙の先から滴り落ちるねっとりとした唾液、最後まで獲物を見据えているドラゴンの微かな憐れみを孕んだ眼。
それは正に今ドラゴンに食い殺されてしまうという究極の瞬間を描いた作品だったのだが・・・
同時に実際には決して描くことなどできないはずの光景であるが故に、エルストラの描くドラゴンはやはり他の画家のそれと同様に架空の存在でしかないということが証明されてしまったのだった。

ドラゴン・・・か・・・
僕にとっては幸か不幸かまだ本物にお目に掛かったことは無いのだが、その恐ろしさを差し引いてもドラゴンというものがとても魅力的な生物であろうことはエルストラの絵を観るだけでも確かに伝わってくる。
もちろんそれは、あくまで僕の絵のモデルとしてという意味だ。
それに、僕はエルストラの描いたドラゴンが実在することを信じている数少ない人間の1人だった。
エルストラ自身が例の絵を発表したことを考えれば、実際に彼がドラゴンに襲われたということはないのだろう。
けれどももしそのドラゴンが自ら彼に描かれることを望んでいたのだとすれば、絶体絶命の獲物の視点を描くという凝った"演出"の1つくらいは出来たのに違いない。
自分でも心の何処かではそれを荒唐無稽な話だと思っているのかも知れないが、それでも1人の絵描きとしてこんなに心躍る想像は他になかった。

「さて、と・・・こんなところかな・・・」
やがて現実と同じく誰もいない長閑な公園の風景を一通り描き上げると、僕は長い間芝の上に下ろしていたせいで微かに湿ってしまった腰をゆっくりと持ち上げていた。
生き生きとしたドラゴンを描いたということ以外にも、僕にはもう1つエルストラに憧れた理由がある。
それは、彼の出身地が他でもない僕の住んでいるこの国だったことだ。
既に彼自身は重い病のため15年前に54歳という若さで亡くなってしまっているが、彼がその人生のほとんどをこの国で過ごしたことは子供達が教わる美術の教科書にだって載っている。
それはつまり、彼が生涯を通して描き続けてきたあの美しい雌のドラゴンがもしかしたらこの国の近くに棲んでいるかも知れないということを暗に意味していた。
それにしても・・・僕は一体どうしたらまだ見ぬドラゴンに出逢えるのだろうか・・・?
あのエルストラだって、きっと最初からドラゴンを描こうと思っていたわけではないだろう。
画家として心惹かれるモデルを探し続けていく内に、たまたま行き着いたのがドラゴンだったというだけなのだ。
だが幾ら考えてもどうせ納得のいく結論など出てこないことを認めると、僕は黙って家路についていた。

それから5分程ブラブラと歩き続けた僕の視界に、やがて小さな貸家がその姿を現していく。
僕は画家を目指すと心に決めた時から両親と別居して独り暮らしを始めていたものの、日雇いの仕事をこなしながら静かに絵を描く日々は妙に楽しくもあり何処か寂しくもあった。
大きな町の真ん中に住んでいながら、人との関わりが極端に薄い亡霊のような生活。
しかしそれは、ドラゴンという未知の存在との遭遇を心に思い描いてきたが故に続けてこれたことだった。
そしてようやく家の前に辿り着くと、何時ものように誰もいない部屋の中へ持っていた鞄を放り投げてやる。
やがてドサッという空しい音が辺りに響き渡ると、僕はそれを追うようにして自らも床の上に座り込んでいた。

ドラゴンに会いたい。
ドラゴンに遇いたい。
ドラゴンに遭いたい。
ドラゴンに逢いたい。
どんな形でもいい・・・
その姿を前にして1枚の画用紙にペンを走らせることさえ許してくれるというのなら、たとえ彼らの餌食にされてしまっても僕は一向に構わない。
それ程までに峻烈な思いが、斜陽に照らされた部屋の中で僕の胸の内を満たしていた。
だがそんなことを考えながら辺りを見回す内に、小さな本棚の隅に押し込められていた1冊の本が目に留まる。
"エルストラ画集"
他でもないエルストラ自身が、自らの描いたドラゴンの絵を纏めた今となっては貴重な画集だ。
しかも面白いことにその作品のほとんど全てには長大な物語の一節のような短文が挿入されていて、念入りに描き込まれているはずの美しい絵がまるで挿し絵の1つであるかのように彼の世界へと溶け込んでいる。
そうだ・・・もしかしたら彼の絵を見れば、このドラゴンが本当に実在するのか、そして実在するのなら一体何処に棲んでいるのかがわかるかも知れない。
僕はそんな閃きに従うようにして本棚の中から久しく仕舞い込まれていた画集を引っ張り出すと、ドキドキと高鳴り始めた胸の鼓動を抑えながら最初のページをめくっていった。

やがてパラリという乾いた音とともに、エルストラの描いた最初の作品が僕の眼前に広がっていく。
"青き竜"
至ってシンプルな題名だ。
当時のエルストラにとっては、ドラゴンなど絵に描くのはもちろん姿を見たのもこれが初めてだったのだろう。
細部まで美しく描き込まれた金色の三日月を湛える大きな湖が、畔で体を丸めて眠る青き鱗を纏った巨竜の姿をも微かにその湖面へと映している。
湖の周囲は一面針葉樹の森に囲まれているらしく、ドラゴンの向こう側には更に背の高い数本の樹木がまるで何かの目印ででもあるかのように歪な木々のシルエットから天に向かって突き出していた。
だが何よりも僕の目を引いたのは、肝心の絵の手前側、その右端の方に、真っ黒に塗られた大きな木の幹らしきものが描かれていたことだった。
つまりこの絵は・・・エルストラが湖畔で眠るドラゴンを大木の陰に隠れて覗きながら描いたものなのだろう。
普通ならこんなものを絵の中に描くべきではないはずなのだが、逆に言えば徹底した写実主義でも知られるエルストラならではの趣向の1つだという見方もできる。
でも、この絵だけでは湖の場所を特定することは流石にできそうにない。

やがて画集に収められた絵を3分近くも掛けて隅々まで見回した末に、僕はようやく次のページを繰っていた。
「さて次は、と・・・あれ・・・?」
だが次に開いたページにあったのは、意外にも最初の絵とほとんど変わらぬ湖畔で眠るドラゴンの絵。
背景はそっくりそのままでありながらドラゴンの雄大な寝姿や空に浮かぶ月の場所や形が違うことから察するに、どうやらこの絵は前回と同じ場所で別の日時に描かれたものらしい。
しかも驚くべきことに、次のページにもその次のページにも同じような構図の絵が載せられているのだ。
以前にこの画集を読んだ時にはまるで気にも留めなかったのだが、実に7枚もの絵が同じ場所から同じドラゴンを描いた構図になっていた。

だが8枚目の絵を開いてみると、突然それまで何処となく神秘的だった絵の雰囲気がガラリと変わってしまう。
"闇に伏す者"
こちらは、暗闇に沈んだ洞窟の奥で眠るドラゴンを描いた作品だ。
もしこれがエルストラとドラゴンの合意の上で描かれた絵だったとしたなら、彼らはきっと例の湖でお互いを見知ったのに違いない。
しかもこの絵を境に絵に添えられている短い文章から竜という言葉が消え、その代わりに彼女という単語が使われるようになったのも彼らの立場の変化を如実に表していると言えた。
ということは、このドラゴンを探すにはまずこの絵に描かれている湖を探す方が先決というものだろう。

しかしそうは言っても、こういう深い森の中にある湖などは困ったことにどんな地図にも載っていない。
その上頻繁にドラゴンが訪れるような場所ともなれば尚更のことだ。
仕方ない・・・自分の足で、じっくり探していくしかないのか・・・
まだこのドラゴンが実在するという確たる証拠さえ何も見つかってはいないというのに、何時の間にかそんな空しい不安が僕の脳裏を過ぎっていく。
とにかく明日からは少し絵を描く手を休めて、ドラゴン探しの旅にでも出た方がよさそうだ。
もし運良くこの湖を見つけ出すことが出来れば、僕も夢にまで見たドラゴンを描けるかも知れないのだから。

その翌日、僕はすっかり眠くなるまで読み耽っていたらしい画集を枕にそっと目を覚ましていた。
他にもドラゴンに会うための手掛かりとなりそうな細かな背景の描かれた絵があったことにはあったのだが、それらはどちらかというと何処か遠い所へ出掛けていった際の1シーンらしい構図であることが多い。
色取り取りの花畑を前に自慢げに翼を広げている竜の後姿や少しばかり過激な食事の光景も、残念なことに少しも彼女を探す手掛かりにはなってくれそうもなかった。
まあいい・・・僕には、時間もたっぷりあるのだ。
これまで風景や背景ばかり描いてきた僕の絵の中に収まるべきドラゴンを探して、広大な森を自由気ままに散策してみるのもたまには悪くないだろう。
そして正にこの決断があったからこそ、僕は後に忘れられない幸せな経験を味わうことができたのだった。

その日から、僕は絵描き道具とエルストラの画集を手に森へドラゴンを探しに行く日々を送ることになった。
この国は南北に長く、東は海に、西は雄大な山脈に挟まれているという特殊な立地になっている。
国境は山脈の尾根に沿って設けられていて、無論人々の住居は海に程近い低地に集中していた。
エルストラがもし国内で例の湖を見つけたのだとしたら、当然西の山中に広がる広大な森を調べるのが筋というものだろう。
だがそれが想像以上の難業であるということは、早くも旅に出た初日から思い知らされていた。
一旦森の中に入ってしまえば、目に見えるのはひたすらに何処までも続く樹や茂みばかりなのだ。
ほんの数十メートル先の視界も利かないこんな森の中で湖を探すことに比べれば、遠大な砂漠で小さなオアシスを探す方が遥かに簡単なことのように思えてしまう。
それに冷静になって考えてみれば、ドラゴンというものは元々こういう深い山や森に棲むことが多い。
エルストラの描いたドラゴンが実在するかどうかは別としても、森の中で不意に彼らに出くわす可能性は捨て切れなかった。
そしてもしそうなってしまったら、まず十中八九襲われてしまうであろうことは目に見えている。

「それにしても深い森だな・・・」
足が棒になる程の長距離を歩きながらドラゴンと湖を探す探検も、今日でもう6日目・・・
期待と不安の入り混じったドラゴンとの遭遇もその気配すらないままに、僕は今日も薄暗い木々の帳の中へと足を踏み入れていた。
流石に連日の歩き通しで疲労が溜まっている感じは否めないのだが、あまりの成果の無さにきっと1日でも間を空ければ忽ち気持ちが萎えてしまうに違いない。
こうなったら、それがたとえ本当に存在するかどうかもわからないものであろうと意地でも探し出してやる。
今は道に迷わないように陽が落ちる前には家に帰っているが、その内野宿してでももっと森の奥深くまで探索に行かなければならないこともあるだろう。
だが微かな明かりを求めて少しばかり木々の疎らな場所に出てみると、ずっと遠くの方で数本の樹木が周囲の梢から不自然に高く突き出している様子が僕の目に飛び込んできた。

「・・・?」
何だか、何処かであれと同じものを見たことがあるような気がする。
そして愛用の鞄の中から画集を取り出そうとしたところで、不意に昨夜の記憶が脳裏に呼び起こされていた。
エルストラの絵に描かれていたドラゴンの向こう側に、丁度あんな形の背の高い樹が描かれていたのだ。
平面的な絵からだけでは距離感まで正確に掴むことはできなかったものの、その特徴的な樹のお陰で例の湖が実際に、それも割合近くにありそうだという希望が胸の内に湧いてくる。
時刻は既に午後5時を回って空にも少しばかり夕暮れの気配が漂い始めていたものの、僕は疲れを振り払うように数回深呼吸すると再び深い森の中へと入っていった。

ガサガサ・・・ガサガサ・・・
夕焼けで真っ赤に染まった幻想的な森の中をしばらく歩き続けていると、不意に何処からともなく森の中へと吹き込んできた風に茂みや木の葉が囁くような音を立てて揺れ始める。
風が感じられるということは、この近くに地上へと風を取り込める広場のようなものがあるということだ。
例えばそう・・・大きな湖も恐らくはそれに当て嵌まるだろう。
やがてそんな勝手な予想に従って更に風の吹いてくる方向へ向かってみると、ついに探し求めていた大きな森の切れ間がその先に見えてきていた。

湖だ・・・!
美しく澄んだ水を湛える歪な楕円型の湖が、その湖畔を伴って緑の壁にも見える森にグルリと囲まれている。
更には遠方に見えるあの目印となった樹を探して湖の周囲を歩いてみると、エルストラが初めてドラゴンを描いたのであろう木の陰は思いの外簡単に見つかった。
「ここか・・・ここで彼は・・・」
おもむろに画集を取り出して絵に描かれていた景色をその実物と比べてみると、それだけでもいかにエルストラが緻密な観察眼を持っていたのかがよくわかる。
出掛ける時に持ってきた食料はもう底をついてしまったが、今日はもう少しここに居てみよう・・・
そして密かにそう心に決めると、僕は側にあった木に背中を預けて仮眠を取りながら夜の訪れを待つことにした。

ズシ・・・ズシ・・・
「う・・・ん・・・?」
寄り掛かった大木から断続的に伝わってくる微かだが確かな震動に、意識が浅い眠りから引き上げられていく。
あれから、一体どのくらいの時間が経ったのだろうか・・・?
ゆっくりと目を開けて周囲の状況を窺うと、辺りは既に深夜の静寂に包まれていた。
奇しくもエルストラの処女作に描かれていたのと同じ金色の三日月が、晴れ渡った空とそれを映す静かな湖面の両方から辺りを煌々と照らし出している。
そして先程から聞こえてくる奇妙な音と震動がどうやら何者かの足音らしいことに思い当たると、僕は咄嗟にそれまで背を預けていた大木に、かつてエルストラがしたのと同じようにそっと身を潜めていた。

ズシッ・・・ズシッ・・・
静まり返った森の中に響き渡る足音が、更に近付いてくる。
そしてほんの一瞬その音が途切れたかと思った次の瞬間、ついに森の奥からその主が姿を現していた。
最初に見えたのは、月光に照らされた美しい青鱗を纏った細長の顔。
ドラゴンだ・・・!
ドラゴンの後姿や寝姿を描くことが多かったエルストラが"命尽きる時"で唯一描いた漆黒の竜眼が、まるで外敵の存在を警戒しているかのように辺りを見回している。
だが反対側の森の木陰にいた僕の存在には気が付かなかったのか、ドラゴンはそのまま闇の中に隠していた巨体を淡い光の中に曝け出していた。

「ああ・・・」
やっぱり・・・本当にいたんだ・・・
何度もエルストラの絵の中で見た、巨大な青き雌のドラゴン・・・
それが今、僕の目の前で悠然と歩を進めている。
小さく畳まれたまま背中に収まっている微かに痛んだ翼が、大地を踏み締める屈強そうな長い爪が、そして顎の端から遠慮がちに覗く白くて鋭い牙が、確かな存在感を持って僕の目に映し出されていった。
やがてその巨体が、恐らくは彼女の休息場所となっているのであろう絵の中と同じ場所に深く沈み込む。
ドサッという長く尾を引くような湿った音とともに、いよいよドラゴンが僕の眼前で静かな眠りについたのだ。

ドクン、ドクンという、心臓の鼓動が大きく跳ね上がる。
紛れもなく、僕は緊張していた。
ドラゴンという強大な存在を目の当たりにした本能的な恐怖・・・それももちろんあるだろう。
だが何よりも僕の胸を激しく掻き乱していたのは、いよいよ本物のドラゴンを絵に描けるという歓喜だった。
出来るだけ音を立てないように鞄から愛用の画用紙とペンを取り出し、そっと木の陰から地に伏したドラゴンの様子を覗き込んでみる。
シュッ・・・シュシュッ・・・
自分でも驚く程滑らかにペンが滑り、くすんだ小さなキャンバスの上に走る線の1本1本が徐々に徐々に巨大なドラゴンの姿をはっきりと浮かび上がらせていった。

艶やかな鱗の上で弾ける光の粒が、クルリと丸められた太くて長い尻尾が、大きな寝息とともに上下する白い皮膜に覆われたふくよかで柔らかそうな腹が、見る見るうちに画用紙の中に形作られていく。
凄い・・・これまでに何度も何度も繰り返してきた行為だというのに、僕は絵を描くのがこれ程までに激しい興奮を伴うものだということを初めて知ったのだ。
エルストラがどうしてドラゴンを絵のモデルに選んだのか、どうして生涯をドラゴンの絵に捧げたのか、彼の行動をトレースする内に、僕は少しずつそれを本当の意味で理解し始めていた。
全てを兼ね備えた完璧な生物の姿が、そこにあったのだ。
空を、大地を、海を、山を、自然を支配し、何者にも捕食されず、悠久の時とともに蓄えられていく膨大な叡智。
気が遠くなるような永い永い時間を生きてきた証とも言えるその鱗の綻びや翼膜の傷までもが、堂々としたその寝姿にさえある種の威厳と貫禄を纏わせている。
絵描きとして1度こんなモデルに出逢ってしまったとしたら、もう他の絵など描こうとすら思わないに違いない。
そしてそんな本能的な思考に身を委ねながら、僕は正に無我夢中でドラゴンの姿を描き続けていた。

そのまま、数時間が経った頃だろうか・・・
満天の星々を湛える漆黒の空にはまだ夜が明ける気配は無かったものの、それまで微動だにしていなかったドラゴンが突然何の前触れもなく自らの腕枕から顔を持ち上げる。
まさか、僕の存在に気が付いたのだろうか・・・?
だが絵を描く手を止めて息を呑んだまま静かに木の陰に身を寄せると、ドラゴンはまたしても警戒した様子で辺りを眺め回してからのそりとその体を持ち上げていた。
そしておもむろに細波すら立っていないまるで鏡面のような湖水へその鼻先を突っ込むと、ゴクゴクと僕の所にまで聞こえてくる程に大きく喉を鳴らしながら水を飲み始める。

何だ・・・喉が渇いたのか・・・
それにしても・・・一体何て美しい光景なのだろうか。
鳥の囀りも、虫の鳴き声も、それに微かな風の音さえ聞こえない完全な静寂の中で、金色に輝く月光を浴びた1匹の青き雌竜が夢中で水を飲んでいる。
それはこの森で毎日のように展開されているごくごく日常的な光景ではあったものの、僕の目には正に非の打ち所の無い芸術作品のよう見えた瞬間だった。
ドラゴンの口元から広がる丸い波紋が平らな水面の上を音もなく這い上がり、そこに映している三日月の像をユラユラと歪に歪ませていく。

エルストラは・・・ドラゴンが時折見せるこんな刹那的な美しさを一体どうやって大きなキャンバスに描き上げたのだろうか?
息を呑む程に神秘的なその光景を1秒でも長くこの目に焼き付けようと、僕は木陰に身を隠すのも忘れて嚥下の度に上下するドラゴンの喉をじっと凝視し続けていた。
サバッ
だが次の瞬間、不意に水飲みを中断したドラゴンが真っ直ぐに僕の方へとその大きな竜眼を振り向ける。
「あっ・・・」
そのあまりに予想外の事態に、僕は思わずドラゴンと正面からまともに目を合わせてしまっていた。
そして完全に僕の姿を認めたのか、ドラゴンがズシッ・・・ズシッ・・・という重々しい足音を響かせながらゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる。

ま、まずい・・・見つかった・・・!
やがてそう思った途端に、絶望的な震えが僕の全身をまるで締め付けるように侵していった。
は、早く逃げないと・・・でも・・・か、体が・・・
絵を描くために地面に座っていたことも災いし、僕はその場から1歩も動けぬまま恐怖の金縛りに襲われていた。
「あ・・・あぁ・・・」
ゆっくりと、しかし何時でも飛び掛かってこれるように重心は後ろ脚に残したまま、巨大なドラゴンが動けぬ僕に向かってじわりじわりと迫ってくる。
"命尽きる時"
エルストラが最後に描いたあの絵の光景が、今正に現実のものとなって僕の身に降り掛かろうとしていた。

「・・・?」
水を飲んでいる最中にふと森の方で何かが光ったことに気が付き、私は思わず反射的にそちらへ顔を向けていた。
そしてその先で、明るい月の光を映した人間の目と思わず視線を絡ませ合ってしまう。
確かに私はここへ来た時から何か何時もと違う気配のようなものを感じてはいたのだが、まさかまた人間が湖畔で体を休める私の様子を窺っているとは思わなかったのだ。
それも、あの男と同じあの場所で・・・
まさか・・・彼が・・・?
いや・・・あの男はもう20年以上前から姿を見ていないし、私の視界に入った人間はまだ随分と若かった。
もちろん、私に対して敵意が無いのであれば普段は人間など見掛けても無視しておくに越したことは無い。
だが過去の思い出のせいか不覚にも胸の内に湧いてしまった奇妙な懐かしさに、私は彼の正体を確かめようと恐怖に固まっているらしい人間に向かってゆっくりと近付いていった。

ズッ・・・ズッ・・・
「はぁ・・・はぁ・・・はぁぁ・・・」
僕との距離が近付くにつれて歩みの遅くなるドラゴンのねっとりとした肉薄に、僕はその青鱗に覆われた無表情なドラゴンの顔を見上げながらただただ怯えることしかできなかった。
ドラゴンを描くことができるなら、たとえ彼らの餌食になっても構わない・・・
そういう覚悟でここまでドラゴンを探しにやってきたことは確かなのだが、いざ本物のドラゴンに間近から見下ろされるとどうしたって体が震えてしまう。
もう何度も見慣れた、だが実物を見るのは初めての鋭い爪が、ゆっくりと僕の眼前で持ち上げられていく。
だが涙の滲んだ両目をギュッと瞑って死の予感に身を縮込めた瞬間、その手が僕の胸をそっと踏み付けていた。

ドスッ
「あうっ・・・」
そしてされるがままに片手で地面の上へと組み敷かれると、大きな漆黒の眼が仕留めた獲物を睨め回していく。
そんな僕の目に映った景色は、正に奇妙な既視感さえ感じる程に覚えのある光景だった。
だが・・・僕を踏み付けたドラゴンの手にほとんど体重が掛けられていないのは何故だろう?
この巨大なドラゴンがその気になれば、人間なんて押さえ付けるまでもなく踏み潰すことだってできるだろう。
それに、もう獲物を捕らえたはずのドラゴンがまるで何かを探しているかのように僕の周囲を眺め回している。
やがて先程まで描き掛けだったドラゴンの絵がその視界に入ると、不意に彼女の顔が僕の正面に戻ってきていた。

「ひっ・・・」
身動きも出来ないまま恐ろしい牙の生え揃う顎を目の前に突き付けられて、思わず短い悲鳴を漏らしてしまう。
だが続いて聞こえてきたドラゴンのあまりに涼やかな声に、僕は一瞬にして恐れの感情を吹き飛ばされていた。
「あなたも、私の絵を描いていたのかしら?」
「え・・・?ぼ、僕・・・も・・・?」
そして訳も分からぬままキョトンとしていた僕の視線を、ドラゴンが鼻先でそっと地面に投げ出されていた画用紙の方へと誘導していく。
「なかなか綺麗に描いてくれているじゃないの・・・嬉しいわ」
このドラゴンは、やはり過去にも他の人間に絵を描いてもらったことがあるのだろう。
そう・・・他でもない、あのエルストラに。
「でもあなたには、流石に彼程の情熱はなかったみたいね・・・」
「彼って・・・エ、エルストラのこと・・・?」
僕がそう訊くと、ドラゴンは懐かしい名前を聞いたとばかりに少しだけその目を見開いていた。
「ええ、そうよ・・・50年以上前、私はこの場所で初めて彼と出会ったの」
50年以上前・・・エルストラがまだ10代の時じゃないか。
ということは、彼は僕よりもずっと若い頃からドラゴンを描き始めていたのだろう。
「この湖は昔から私の縄張り・・・だから普段は鳥も獣も近付かないんだけど、あの時はそうじゃなかったわ」

あの時・・・
私は、もう遠い過去の記憶となった若い絵描きとの邂逅を脳裏に思い出していた。
何時ものように涼しい湖畔で体を休めようとしたその時、私はふと何者かがすぐ近くにいる気配を感じたのだ。
嗅ぎ慣れぬ匂い、聞き慣れぬ音、微かな興奮を内包した息遣い、そんなありとあらゆる感覚が私の警戒心を揺さぶり続ける中、1番強烈に感じていたのは正に食い入るようにという表現がピッタリな程の強い視線。
しかし特別敵意や殺意を感じない以上、姿の見えぬ存在に気を遣っていても仕方がない。
そう思って何日かの間は私も素知らぬ振りをして眠りについていたのだが、どうにもその不思議な気配の主は何故か毎晩のように私がここへやってくるのを待っているらしかった。
ここ数日特に何も起きなかったことを考えればあまり気にする必要もないのかも知れないが、それでも寝ているところを正体の判らぬ何者かにじっと見つめられているのはあまり気分のいいものではない。
だがそれから数日が経ったある日、私はついに水を飲んだ瞬間に視界の端へ映った人間の姿を見つけたのだった。
流石に私の姿を認めながら逃げぬ野生の獣がいるとは思っていなかったものの、まさか人間が毎晩私の寝姿を覗いていたとは・・・
そして連日連夜私の安息の時間を掻き乱してくれた礼をしてくれようと、私はその眼に半ば怒りを滲ませて木陰に隠れていた人間に近付いていった。

「う・・・うぅ・・・」
1歩、また1歩と歩を進める度に、腰を抜かしているらしい人間の恐怖の喘ぎが私の耳へと届いてくる。
まさか私に見つかることなどないだろうとでも高を括っていたのか、虚を衝かれたと見える人間は私と目が合ったその場から1歩たりとも動くことが出来ないでいた。
尻餅を着いた姿勢のまま私を見上げているまだあどけなささえ残る若者の顔が、どういう感情を浮かべていいのかわからないといった様子で微かに引き攣っている。
そしてグルルッと軽く喉を鳴らしながら人間の胸を少し強めに踏み付けると、身に余る体重を預けられた彼の口から苦悶の息が吐き出されていた。

ドシャッ
「あぐ・・・うあぁ・・・」
今にも潰れてしまいそうな程に頼りない弾力を返してくる彼の胸骨が、顔を顰めている主に代わってギシギシと鈍い悲鳴を上げていく。
「毎晩私を覗き見していたのは、あなただったのね・・・」
そしてそう言いながら、私は更に彼の上へと体重を掛けてやった。
ズシッ・・・ミシィッ・・・
「う・・・ぐ・・・あはぁっ・・・」
生まれて初めて感じるであろう激しい痛みと恐ろしさと息苦しさに、肺から残った空気が押し出されていく。
「さて・・・私の安眠を邪魔した罪は、どうやって償ってもらおうかしらね・・・」
だが普通の人間なら間違いなく震え上がるであろうその脅し文句に、彼は私の予想していたような命乞いとはまるで懸け離れた言葉を口にしていた。

「ぼ、僕の行動が気に障ったのなら、好きにしてくれて構わない・・・だから・・・1つだけお願いがあるんだ」
お願い・・・?
私に好きにしていいと言っておきながら、この人間はこれ以上何を私に望むというのだろうか?
そして人間が話しやすいように少しだけ胸の圧迫を緩めてやると、回復した呼吸を味わうように大きく息を吸った人間の口からその先の言葉が紡がれていく。
「ほんの数分でいいんだ・・・こ、このままで、いてくれないかな・・・?」
「どうして?」
「最後に・・・描いておきたいんだよ。考えてもみなかった、その・・・構図だからさ・・・」
今にも私の牙に掛かって命を落とそうとしているというのに、この人間は一体何を言っているのだろうか?


「でもそんな私の疑問は、その後の彼の行動ですぐに解消したわ」
「エルストラは・・・今の僕と同じ状況であなたの絵を描き始めたんだね?」
そうか・・・エルストラが最後に発表したあの"命尽きる時"こそが、彼がこのドラゴンと出会ってから最初に描いた作品だったんだ。
それに、そういうことならさっき彼女が言った"彼程の情熱はなかったみたい"という言葉の意味も理解できる。
エルストラは、本当にドラゴンを描くためにその命を懸けていたのだ。
「ええ・・・その時になって初めて、私は彼の周囲にたくさんの絵が散乱していることに気付いたわ」
やがて懐かしい思い出話も終盤を迎えたのか、彼女が僕の上からそっとその大きな手を退けてくれる。
「信じられないかも知れないけど、それらは1つ残らず全部湖畔で眠る私の絵だったのよ」
人間に描かれていたことが余程嬉しかったのだろうか、そう語る彼女の声は心なしか先程より明るくなっていた。

地面に踏み付けられたままおもむろに絵を描き出した人間の様子を半ば呆けながら見守っていると、彼はものの5分足らずでもう私の姿を描き上げてしまったようだった。
そして何処か満足げな笑みを浮かべながら、手に持っていたその大きな紙を私に見えるようにそっと裏返す。
「どう?上手く描けてるかい?」
私の手に押さえ付けられ、今にも食い殺されてしまうであろう獲物の視点・・・
己の姿など湖面に映る鏡像でしか見たことが無かったというのに、彼の描いた絵の中には自分でも想像すらしたことの無い全く別の私が文字通り息衝いていた。
「何ていう・・・題なの?」
「題か・・・そうだな・・・"命尽きる時"・・・そんな感じだろう?」
だが私はとてももうすぐ命の尽きる人間が描いたとは思えないその絵のあまりの迫力に心を打たれ、己の視点を描いた若き画家にその題の通りの運命を辿らせることをついに思い留まっていた。

「それから、どうしたの?」
「それからは私達、毎晩この場所で会うようになったの。私のどんな姿でも、彼は描きたがったのよ」
そしてその脳裏に何かおかしな思い出でも蘇ったのか、彼女が不意にくすりと小さな笑みを漏らす。
「ある時なんか、彼の言う通り湖に顔を突っ込んだままじっとしていて、鼻に入った水に咽たこともあったわね」
成る程・・・話を聞く限り、エルストラと彼女はお互いに随分と良い関係を築き上げることが出来たのだろう。
往々にして食う者と食われる者になりがちな人とドラゴンの奇妙な関係に、彼らは描く者と描かれる者という新たな関わり方を見出したのだ。
「そんな彼との生活は、30年近くも続いたわ。でもある日、彼が突然ぱったりと姿を見せなくなってしまったの」
「それって、何時頃の話?」
「20年程前のことよ」

エルストラが50歳を目前に控えた頃・・・彼が重い病を患ったのも、確か丁度そのくらいの時期だったはずだ。
ということは、彼は病魔に侵されるその寸前までこの湖へと足を運んでいたことになる。
それにもし彼女の言うようにエルストラが30年もの間毎日このドラゴンを描き続けたのだとしたら、彼の描いた絵は発表されている作品の優に100倍以上という膨大な数に上ることだろう。
「今も、彼は生きているの?」
「残念だけど、エルストラはもう15年も前に亡くなったんだ。病に倒れてね・・・」
「15年・・・それじゃあ、あなたはどうして彼のことを?」
どう見てもまだ20歳を迎えて間もない僕がどうして15年前に亡くなった彼のことを知っているのか・・・
ドラゴンである彼女がそんな疑問を抱くのは、まあ無理もない話だろう。
だがそうは言っても理由の説明には何となく骨が折れそうな気がして、僕はドラゴンからは見えない木陰に立て掛けられていたエルストラの画集を彼女の前に開いていた。

「これ、全部エルストラが描いたあなたの絵なんだ」
「え・・・?」
これまではスケッチブックにペンで描かれただけのモノクロの絵しか見たことがなかったのか、初めて目にしたのであろう美しい色を塗られて完成したエルストラの絵に流石の彼女もゴクリと息を呑む。
「彼は、絵を描く人々の間では有名な画家だったんだよ。誰よりも、本物らしいドラゴンを描く画家としてね」
「でもまさか、本当に本物のドラゴンを描いた絵だとは思われなかったのね・・・?」
「まあ・・・大部分の人にはね・・・」
もちろん、僕はその大部分の中には入っていない。
だが、一体誰が巨大で凶暴で恐ろしい生物だと思われているドラゴンと心を通わせてその雄大な姿を絵に描く人がいたことを信じられるのだろうか?
エルストラが描いたドラゴンと実際にこうして出会うことができた僕でさえもが、いまだに心中の驚きと興奮を隠し切れないでいるというのに。

「それでも、僕を含めて彼の絵のドラゴンが本物だと信じる人はそれなりにいたんだよ。だけど・・・」
人間はそう言うと、画集の1番最後に載っている絵を開いて私の目の前に大きく翳していた。
「この絵が、そんな彼らの淡い希望を打ち砕いてしまったんだ」
「これは・・・」
そこに描かれていた絵の題名・・・それは、人間の用いる文字が読めない私にも即座に察しがついていた。
私の手に踏み付けられた憐れな獲物がその生涯の最期に見るのであろう終末の光景が、漆黒に染まる月夜の背景とともに深い藍色を基調にした重厚な色合いで表現されている。
でも・・・あの時は何日も安らかな眠りを乱された不埒者に死の制裁を加えようと怒りに燃えていたはずなのに、どうしてこの絵の私はこんなにも慈悲深そうな眼差しを湛えているのだろうか・・・?
まるで殺意の欠片さえ感じられぬその穏やかな50年前の自分の意外な姿に、私は内心密かに戸惑っていた。
だがその理由はどうであれ、この絵がどうして彼の絵の信憑性を損なってしまったのかは容易に理解できる。
「悲しいわね・・・」
「うん・・・僕も、そう思うよ」
あれ程熱心に私の姿を描いてくれた彼が人間達の間でその熱意を正当に評価されていなかったことに、私は何故か心の底から湧いてくる激しい悔しさを噛み締めていた。

「で、でもさ・・・この絵だって、何も悪いところばかりじゃないんだよ」
「どうして?」
「だって、僕が絵を・・・取り分けドラゴンの絵を描こうと思ったのは、この絵があったからなんだ」
そう言った僕の顔を、彼女が意外そうな面持ちを浮かべて覗き込んでくる。
「もちろん、普通のドラゴンが相手だったらとてもこんな絵なんか描けるはずがないと思う」
実際、彼女だって最初は本当にエルストラを殺そうとしたのだ。
だが現実にはそうはならなかった以上、この絵を見た者の反応は2つに1つしかない。
ある者は、長年描かれ続けてきた1匹のドラゴンがやはり想像の産物に過ぎなかったのかと落胆することだろう。
だがある者は、これを描いた画家とドラゴンとの間に真の信頼関係が結ばれていることを確信するはずなのだ。
「僕だってもしこの絵が描かれた順番通り初期の頃に発表されていたら、他の人達と同じ結論を出したと思う」
僕の話にじっと黙って聞き入っているドラゴンの様子から、彼女は本当にエルストラと心の深い部分で繋がっていたのに違いない。
そんなドラゴンの意外な一面に、僕の言葉もよりその滑らかさを増していった。

「でもエルストラの数々の作品を観てあなたの存在を信じることが出来たからこそ、僕はこの絵に感動したんだ」
「そうなの・・・ふふ・・・まるで彼の弟子のようね・・・彼のことをそんなに理解してくれているなんて」
「弟子だなんて・・・でも大勢の人々に伝わらなかった僕のこの感動は、もっと世間に広めるべきだと思う」
ついさっきまで私の姿を見て怯えていた若者とは思えないその堂々とした態度に、私は何時しか若かりし頃のあの人間の姿を重ねて見ていたのだろう。
そしてかつてエルストラと出逢う度にしていたように目の前の人間の体をそっと長い尾で包み込むと、思った通り今度は心底安心し切った様子で彼がされるがままにその身を預けてきてくれる。
「でも・・・簡単な話じゃないんでしょう?」
「それはそうだよ。だけど、亡くなった後に初めてその価値が認められた画家は大勢いるんだ。彼だって・・・」
「そういうことなら、私も協力するわ・・・」

やがてそんな彼女の穏やかな返事を聞くと、僕は何時の間にか体に巻かれていた艶やかな光沢に輝く巨竜の太い尻尾を恐る恐る指先で撫でてみた。
鋼の刃すら弾き返せそうな程に硬い鱗で一面を隙間無くびっしり覆われているというのに、1枚1枚の鱗が緻密に折り重なったその構造のお陰で細く尖った尻尾の先端までもが驚く程しなやかに揺れている。
だが見方を変えるなら・・・今の僕が見ている光景もある意味で"命尽きる時"の1つなのだろう。
それに気が付いただけでも、かつてエルストラが持ち合わせていた画家としての侵し難い崇高な矜持のようなものが、僕の胸の内にも知らぬ間に備わり始めていたのかも知れない。
「そ、それじゃあさ・・・描いてもいいかな?」
「もちろんよ。でももし手を抜いたりしたら、容赦はしないわよ?」
「う、うん・・・頑張るよ」
やがてもし手を抜いた絵を描いたら彼女に一体何をされるのかという不安を感じながらも、僕は手に取ったスケッチブックを繰り上げると新たなドラゴンの産まれる白色の世界をその目の前に据えていた。

シュシュッ・・・シュルルッ・・・
乾いたペンの滑る音とともに少しずつ確かな形となってそこに描き出されていくのは、不運にも屈強なドラゴンの尾に捕らえられてしまった無力な獲物の深い深い絶望感。
今から紙の上に再現しようとしているそんな僕の正直な感情を読み取ったかのように、やがて僕を巻き上げた彼女の太い尻尾がゆっくりと引き絞られていく。
一切の抵抗を封じられた上に勝ち誇った笑みとともに近付けられるドラゴンの長い爪が、或いは鋭い牙が、純粋な恐怖という名の快感となって画用紙の中の獲物の力を確実に奪っていった。
決して希望の無い助けを求めるように力無く宙を掻き毟る若い人間の手。
もうすぐ堪能できる獲物の味を想像したのかその大きな口の端から顔を覗かせるドラゴンの真っ赤な舌。
そして、静かに彼女の顔に表れ始める捕食者としての優越感と背中合わせになった獲物に対する確かな敬意。
そんな極めて一方的な命のやり取りに付き纏う感情の機微をほんの欠片程も漏らすまいと、僕は徐々に胸をも締め付け始めた青きとぐろの中で懸命にペンを走らせ続けていた。

ギ・・・ギリ・・・
「う・・・も、もう少し・・・優しくして・・・」
ゆっくりとだが際限無く僕の胸元を締め上げていく彼女の尻尾が、やがてそんな僕の降参の声とともにスルリと緩んでいく。
だがそのお陰で、今にも締め殺されそうな獲物の苦悶と恐怖は十二分に絵の中へと込められたことだろう。
そして完成した絵を裏返して彼女に見せてみると、満足な出来だったのかその大きな顔が微かに綻んでいた。
「なかなか良い出来栄えね。でも、今日はもうそのくらいにしたら?あまり無理をすると後が続かないわよ」
「そ、そうだね・・・そうするよ」

確かに、絵を描くのに毎回こんなに体力を使っていたら幾らなんでも体がもちそうにない。
彼女をただ描くだけなら大して問題はないのだが、僕の役目は彼女の・・・
人間と分かり合えるドラゴンの存在を、絵画を通して多くの人々に伝えることなのだ。
それは同時に、正当な評価を受けることなくこの世を去っていったエルストラの名誉を回復することでもある。
そのために僕がすべきなのは、彼女と共に過ごす時間の1つ1つを切り取って絵にしていくということ。
初めは鼻で笑われてもいい。所詮は想像の産物だと思われても構わない。
だけど何時かきっと、彼女の存在を世間の人々に認めさせてやる。
そしてエルストラがその生涯を懸けて描いてきたドラゴンの作り出す美しい光景が、現実に1人の人間の眼前に展開された確かな瞬間であることを理解してもらいたいんだ。

「それじゃあ・・・今夜は私と一緒に過ごしましょう?」
「あ、う、うん・・・でも・・・ここで?」
「ここはただの私の休息場所よ。風雨を凌げる住み処が、少し離れた場所にあるの。ほら、行くわよ」
そう言うと、彼女は依然として僕の胸に巻き付けられていた尻尾でヒョイッと僕をその背に乗せていた。
「わっ・・・」
あまりに突然のことに思わずそんな驚きの声が漏れてしまったものの、滑らかな鱗に覆われた広いドラゴンの背の感触が元の落ち着きを僕のもとへと運んできてくれる。
そして僕が恐る恐るがっしりとした翼の根元を掴んだのを確認すると、彼女がゆっくりと森の方へ向かって歩き始めていた。

「そう言えば・・・さっきの絵は何ていう題にするつもりなの?」
僕には完全な真っ暗闇に見える静かな森の中を歩きながら、不意に彼女からそんな質問が聞こえてくる。
「"命尽きる時"・・・そう言いたいところだけど、僕は自分の見たものをもっと正直に世の人達へ伝えたいんだ」
「つまり?」
「そうだな・・・例えば・・・"初めての出会い"、なんていうのはどうかな?」
人間とドラゴンが初めて出会った時に何が起きるのか・・・それを想像するのは簡単だ。
野生の世界に置き換えるならばそれはライオンが鹿を、蛇が蛙を、梟が鼠を見つけた時のようなものだろう。
自然界で捕食者が被食者の姿を目にした後に起こる光景は、正に命を懸けた闘争と逃走の狭間で揺れる獲物の葛藤そのものだと言っていい。
だがあまりにも力の差があり過ぎる敵に出くわしてしまった獲物は、大抵の場合弱肉強食という絶対の掟に成す術もなくその身を散らす運命にある。
そしてこの絵は、そんな人とドラゴンの邂逅の後に当然起こり得るであろう光景を描いたものなのだ。
「"初めての出会い"・・・うふふ・・・前向きで良い名前ね」
かつてエルストラから聞かされたのであろう絵の題名を幾つもその脳裏に思い返しているのか、彼女が少しばかり苦笑しながら僕の乗った背を微かに左右へ揺する。
エルストラの唯一の失敗は、数多く描いたはずの絵の1枚1枚を個別の作品として扱ってしまったことだろう。
それ故に彼の描いた絵の題名は誰が見ても理解できる簡潔なものではあったものの、同時に同じドラゴンを描いているはずの他の絵との繋がりを極端に希薄にしてしまっていた。

「それはそうと、住み処はまだ遠いの?」
「もうすぐ目の前よ。人間のあなたにはちょっと暗過ぎるかも知れないけど・・・彼はここでも絵を描いたのよ」
それを聞いて、僕は前方の深い闇にじっと目を凝らしてみた。
するとその一面漆黒に塗り潰された殺風景な視界の中に、微かに洞窟らしき蒲鉾形のシルエットを描く巨大な岩塊が見えてくる。
これが・・・ドラゴンの棲んでいる洞窟か・・・
これまで想像したことはあっても実際に目にしたことは無かったそんな深い洞穴の様子に、僕は不安とも期待ともつかない不思議な興奮に暴れる胸を押さえながら静かに見入っていた。

暗い・・・真っ暗だ・・・
確かに彼女の言う通り、僕の目の前に広がっていたのは完全なる闇の世界だった。
そこにあるのが辛うじて洞窟だと認識できたのは、彼女に言われてその存在を想像したからに過ぎないだろう。
一条の光すら届かぬその暗闇の中で感じるのは、外とは違う洞内の空気の流れと反響するドラゴンの足音だけ。
そして何度か左右に曲がったような感触を味わいながら彼女の背に掴まっていると、やがて奥の方に微かな明かりが見えてきていた。
洞窟内に・・・明かりが・・・?
だがよくよく見てみるとどうやらその奥まった広場のようなスペースの天井には雨水の浸食でできたような小さな穴が無数に空いていて、そこから仄かな月の光が漏れてきているらしい。
しかも・・・その幻想的な光景に、僕は見覚えがあった。

デコボコした道中の地面とは違って、月明かりに照らされている場所の周辺が奇妙な程平坦に均されている。
それは正に、この洞窟がドラゴンの住み処である何よりの証だろう。
何年もの間硬い鱗に覆われたこの巨体で蹲ったと見えるその寝床の部分は、まるで鑢か何かで丹念に磨き上げられたかのように煌く光沢さえ放っていた。
やがてその寝床の上へ、ドラゴンがそっと僕を下ろしてくれる。
「どう・・・?意外と悪くない住み処でしょう?」
「う、うん・・・でも、本当にこんな場所があるなんて・・・」
エルストラの作品の中にも、この洞窟で眠るドラゴンを描いた作品が幾つかあったのだ。
そしてその中でも、"闇に伏す者"と題された作品にエルストラはこんな詩を添えていた。

夜空を煌々と照らし出していた金色の満月が、彼女の上に淡い光の粒を撒き散らしている。
ゆったりと眼を閉じて眠る巨竜の安らいだ顔に、かつての剣呑な雰囲気は微塵も感じられない。
彼女は、もうどれくらいの年月をこの洞窟で過ごしてきたのだろう。
さぞや遠大であろう彼女の生涯を綴る1日が、こうして今日も静かに終わりを迎えるのだ。

「エルストラも、この洞窟であなたと夜を明かしたことがあるんだね」
「もちろんよ。それも、ほとんど毎日のようにね・・・私も3日に1度は、彼とここで体を重ねたものよ」
「え・・・?か、体を重ねたって・・・どういうこと?」
それを聞いた瞬間思わず声を詰まらせてしまったのは、彼女の言葉の意味が判らなかったからというよりも寧ろ、最初に想像した意味があまりにも信じ難かったせいだろう。
だが途端に慌てふためいた僕の様子を面白そうに見つめながら、彼女が更に追い打ちを掛けてくる。
「あら、あなたが今思った通りの意味よ?それとも・・・こっちの方はまだ経験がないのかしら・・・?」
そう言った彼女の透き通る程に涼やかだった声が、何時しか妖しげな艶の掛かったものへと変わっていた。

「で、でもさ・・・ほ、本当に・・・?」
あのエルストラが彼女と・・・こんな巨大なドラゴンと、その・・・まぐわっていたとでも・・・?
でもそう言えば、エルストラはその生涯を1度も結婚することなく独身で通したことでも知られている。
晩年はともかく壮年期には画家としてもそれなりの成功を収めて生活にも不自由なことなど無かっただろうに、どうして彼が妻を娶ることをしなかったのかはその道の人々の間では依然として小さな謎になっていた。
だけど・・・そういうことなら合点が行く。
ドラゴンとはいえ20歳を迎える前からこんなにも素敵な女房役を見つけていたのでは、僕だって一生浮気をしようなどとは考えないことだろう。

「ふふふ・・・戸惑ってる振りをしても駄目よ・・・本当は、あなたも興味があるんでしょう?」
もちろん、僕だってドラゴンとのまぐわいに興味がないと言えば嘘になる。
それにあのエルストラが送ったであろう奇妙な人生を追い掛けてこの道へ足を踏み入れた今、僕にとって彼女との夜伽は既に避けては通れない道になっているのだろう。
「そ、それは・・・そうだけど・・・いや、その・・・は、初めて・・・だからさ・・・」
「いいのよ・・・彼にだって、最初は私が教えてあげたんだから・・・楽しい夜の、過ごし方をね・・・」
やがてどうしてよいのか判らず広大なドラゴンの寝床の上で固まっていた僕を、彼女が何時の間にか雌特有の凄艶な笑みを浮かべてじっとりと見下ろしていた。

どうしてだろう・・・彼女には一片の殺気や敵意も感じないというのに、何故か心の底から湧き上がってくるような震えが僕の全身を蝕んでいく。
だがそれは、あの湖で初めて彼女に見つかった時の恐怖とはまた違ったある種の絶望的な喜びの震えだ。
有り体に言うならば、経験豊富な雌を前にした初心な雄の心境というのが正しい表現だろう。
だが彼女のその大きな黒い瞳に、何処か有無を言わせぬ輝きが宿っていたこともまた事実。
エルストラが思う存分彼女の絵を描かせてもらう代わりに何かしらの代償を払ったのだとしたら、それはきっと彼女の夜の相手を務めなければならなくなったことなのに違いない。
今の今まで彼女を信用し切っていた僕がふとそんなことを思ったのは、清廉ささえ漂わせていた彼女の青い体がほんのりと桃色に上気していたからだった。

「ほら・・・早く服を脱ぎなさい・・・」
低い声でそう言いながら、彼女がまるで美味しそうな食事を前にしたかのようにペロリと舌を舐めずっていく。
だが今更逆らうわけにもいかず、僕は恐る恐る着ていたものを寝床の脇へと脱ぎ捨てていった。
やがて全ての纏いが取り去られると、露わになった僕の雄がすっかりと委縮して小さく萎んでいる。
それもそのはず・・・幾ら頭で身の危険は無いとわかっていたとしても、僕は巨大なドラゴンの前にあまりにも無防備な裸の体を晒しているのだ。
これから一体何をされるのか・・・徐々に原始的な本能の色を濃くしていく彼女の眼を見つめながら、僕はただただひらすら仔犬のように怯えていることしかできなかった。

「うふふふ・・・」
やがて妖しげな含み笑いとともに、そんな僕の前へ彼女がゆっくりと顔を近付けてくる。
上下に開いた顎にびっしりと立ち並ぶ牙が、とろりとした唾液を滴らせて迫ってきたのだ。
「う・・・うぅ・・・」
実際にはそれ程の巨口ではないのだが、思わず一呑みにされてしまうのではないかという不安が背筋を這い回る。
だが次の瞬間、おもむろに口内から伸びてきた長い舌が僕の胸板を思い切り舐め上げていた。
熱い唾液を纏うザラザラした真っ赤な肉塊が、ジョリジョリという音を立てて敏感な乳首を擦り上げていく。
「はわぁ・・・」
その全く予想だにしていなかった快感に、僕はゴロンと背後に倒れ込んでしまっていた。
だがそこは平らなドラゴンの寝床・・・正に僕という獲物を料理するための俎板の上だ。
それを見て完全に僕から力が抜けてしまったことを確認したのか、彼女が僕の体を更に無造作に舐め回していく。

レロッ・・・ペロペロッ・・・ジョリリッ・・・
「あぁっ・・・や、やめ・・・ひぃん・・・」
あまりにも無遠慮過ぎる彼女の強靭な舌先で右に左に舐め転がされる内に、あれだけ縮み上がっていた僕のペニスは何時の間にかギンギンに漲って屹立してしまっていた。
自分ではそんなつもりなどなかったというのに、これでは誰が見ても準備完了といった風情だろう。
そして全身唾液塗れにされながらも力強くそそり立っている僕の雄槍を見て、彼女が愉しげに顔を綻ばせる。
「さて、と・・・あなたの方も、もう準備はよさそうね・・・」
「ま、待ってよ・・・いきなりこんなの・・・」
「あら、そんなに立派にしちゃってるのに、今更言い逃れなんてしても駄目よ・・・?」
そ、そんな・・・僕はまだ心の準備だって出来てないのに・・・
だが彼女はそんな僕の葛藤を知ってか知らずか、依然として安心のできない笑みを浮かべながらゆっくりとその巨体で僕の上に覆い被さってきていた。

グッ・・・
「はうっ・・・」
胸の上で交差された彼女の太い腕が、僕の抵抗を事も無げに押さえ付けていく。
まだ両腕の自由は一応利くものの、こうなったらもう覚悟を決めるより他にないだろう。
「そんなに心配そうな顔をしなくたって大丈夫・・・怖くなんてないわ・・・ふふふふ・・・」
そう言いながら、彼女がゆったりとその腰を持ち上げていた。
やがて何処からともなくクチャッ・・・という粘着質な水音が聞こえ、彼女が僕のモノに狙いを付けている様子がその巨体から直に伝わってくる。
そして半ば諦めにも似た覚悟にゴクリと息を呑んだ瞬間、彼女が腹下の雄をその秘所へ深々と咥え込んでいた。

ズブブブッという鈍い粘液の唸りとともに、僕の意思とは無関係にそそり立ってしまっていた肉棒がドラゴンの股間に花咲いた秘裂の中へとほとんど何の抵抗もなく呑み込まれていく。
「うくっ・・・はぁっ・・・」
更にはその根元までもがすっぽりと彼女の柔肉に押し包まれた次の瞬間、無数の襞がうねるように僕のペニスを締め上げていた。
膣の奥底から止め処なく溢れ出してくるねっとりとした愛液が、強烈な吸引とともに僕のモノを更に奥の方まで引きずり込んでいく。
「ほら・・・どんな気分かしら・・・?」
「き、気持ち・・・いいぃ・・・」
だがあまりの快感に耐え切れず背筋を仰け反らせようとした途端に、僕はずっしりと遠慮なく預けられた彼女の巨体が誇る凄まじい重量に押し潰されていた。

ズシッ・・・
「うああっ・・・かふっ・・・かはっ・・・」
硬い鱗ではなく白い皮膜に覆われた柔らかい彼女の腹が心地良い温もりを伴いながら、僕の手足を硬い岩の地面の上へグリグリと擦り付けていく。
しかも胸の上で組まれていた彼女の腕にも更に体重が上乗せされ、僕は軽い息苦しさとともに今度こそ体の自由を完全に奪われてしまっていた。
それでも依然彼女に対して恐怖という感情までは覚えなかったものの、巨竜の玩具にされてしまっているという現実が僕の中にますます奇妙な興奮を呼び覚ましていく。
グブッ・・・ギュブッ・・・
「うはああぁぁ・・・」
「うふふふ・・・昔を思い出すわ・・・彼も、最初はあなたみたいにすっかり蕩けちゃったのよぉ・・・」
そしてそう呟くと、いよいよ彼女がその分厚い柔肉の手で僕のペニスをギュッと握り締めていた。

「いいわよぉ・・・その初々しい感じ・・・久し振りに、私も燃えてきちゃったわ・・・」
「ま、待ってよ・・・は、初めてなんだから・・・もう少し・・・手加減してぇ・・・」
彼女の中は、あまりにも気持ち良すぎる・・・
ペニスを包む肉襞の圧迫がもう少し強くなっただけで、耐え切れずに精を漏らしてしまいそうだ。
だが何よりも恐ろしいのは、ほんの少しでも気を抜くとそんな桁外れの威力を持っている彼女の中をついついもっと味わいたくなってしまいそうになることだった。
獰猛な愛液という唾液滴る彼女の第2の口でペニスを存分にしゃぶられ、咀嚼され、舐め回されて、人としての理性も消し飛ぶ程めちゃめちゃにされてしまいたいという破滅的な欲求。
あのエルストラも、きっと彼女との初めての夜にはそんな葛藤に悩まされたのだろう。

「あら・・・本当に止めてもいいのかしら・・・?後悔するかも知れないわよ・・・うふふふ・・・」
「う・・・ぐぅ・・・」
ど、どうしよう・・・僕が望めば彼女は止めてくれるんだろうけど、ここまで高められて寸止めされるというのもそれはそれで随分と惨い話だ。
だがしばらくあれこれと迷った末に、ようやく決断の言葉が僕の口から吐き出されていく。
「や、止めてとは言わないけど・・・お願いだからその・・・や、優しく・・・ね・・・?」
何だかんだで断り切れなかったのが雄としては情けない限りなのだが、彼女はそんな僕の返事を聞くと膣に咥え込んだ瀕死の肉棒を嬉々としてきつく締め上げていた。

グギュウゥッ
「ふあっ・・・ああぁぁぁ〜〜〜!!」
その瞬間、一瞬にして限界を迎えた雄槍が彼女の中へ盛大に白濁の滾りを噴き上げる。
まるで高圧電流のように全身を跳ね回る無上の快感に僕は全力で悶え転げた・・・いや、転げようとしたものの、そんな儚い抵抗は彼女の豊満過ぎる大きな腹の前にあっさりと捻じ伏せられてしまっていた。
ビュクッ・・・ビュククッ・・・
「あ・・・ああぁ・・・はぁ・・・」
ビクンビクンと痙攣しているかのように小刻みな脈を打つペニスが、蠕動にも似た断続的な肉襞の愛撫になすがまま精の残滓を吐き出させられていく。
そして僕がついにその鈴口から1滴の精も出なくなってしまうと、ようやく彼女がすっかりと搾り尽くされた無残な雄の上からその巨体を退けてくれていた。

「どうだった・・・?」
やがて自らも初物の雄をしゃぶり尽くした快楽の余韻を十分に堪能したのか、彼女が正に息も絶え絶えといった様子で仰向けに転がっていた僕にそんな声を掛けてくる。
だが、生憎と僕の方はまだ小さな擦れ声さえロクに出すことができなかった。
煌々と燃え上がった雌竜の肉欲に思う存分蹂躙されて、拘束が解かれた今もまだ手足が軽い痙攣を起こしている。
僕はつい今しがた童貞を捨てたばかりだというのに、もう人間の女の子じゃ到底満足できそうにないと直観的に思ってしまえる程・・・それ程までに、彼女とのまぐわいは衝撃的なものだったのだ。
「ねえ・・・どうだったの?」
そしてなおも執拗に返答を迫る彼女の声に、僕は今にも消え入りそうなか細い返事をようやく漏らしていた。

「さ、最高・・・だったよ・・・」
「うふふふ・・・よかったわ・・・」
正直、意識が飛ばなかったのが自分でも不思議なくらいだ。
エルストラは本当に彼女のこんな殺人的な責めを3日に1度、30年近くもの間味わわされ続けたのだろうか?
もしそうだとしたら、彼はドラゴンの絵を描くのに本当にその命を懸けていたといっても過言ではなさそうだ。
「で、でも・・・今夜はもう、休ませてくれるんだよね?」
「ええ、もちろんよ・・・もし岩床の上で寝難いのなら、私の懐にいらっしゃい・・・」
やがて疲れ切った僕に向かってそう言った彼女の声に、さっきまでの奇妙な迫力はもう感じられなかった。
取り敢えず、今度は安心してこの身を預けても大丈夫だろう。
そして地面に寝そべった彼女のふくよかな胸元へ誘われるがままに身を寄せると、もっちりとした柔らかい感触が心地良い温かさを僕の背中に伝えてくる。
ああ・・・何て気持ちが良いのだろう・・・
ほんのちょっと彼女の胸元に寄り掛かっただけだというのに、僕はあれ程激しかった一方的なまぐわいの疲労さえもが遠い彼方へと消えていくような気がした。

「ねえ・・・僕・・・これからもここに来ていいかな・・・?」
「いいわよ・・・それに、またこれが欲しくなったら、何も遠慮することなんて無いのよ」
「あ・・・う・・・うん・・・」
そう言いながら視界の端で真っ赤に熟れた淫らな膣を惜しげもなく広げながら笑う彼女に、どうやら僕は絵を描くこととは別の意味で身も心も虜にされてしまったらしい。
きっとあのエルストラも、僕と同じようにやがては自らの欲望に勝てなくなっていったのだろう。
だけど、こんなにも幸せな気分を味わえるのならそれはそれで構わない。
「それじゃあ・・・お休み・・・」
そして俄かに襲い掛かってきた睡魔の大軍勢に戦わずして白旗を掲げると、僕は彼女の温もりに包まれたまま夢の世界へと旅立っていた。

次の日の朝、僕は昨夜と同じく心地良い柔肉の感触を楽しみながらゆっくりと目を開けていた。
外は随分と天気が良いのか、天井に空いた小さな明かり取りの穴はもとより曲がりくねっていて見えないはずの洞窟の入口の方からも白々とした光の気配が漂ってくる。
だが不意に何か視線のようなものを感じて背後を振り向くと、既に目を覚ましていたらしい彼女がじっと僕の顔を覗き込んでいた。
「ど、どうしたの?」
「何でもないわ・・・ただちょっと考え事をしていたら、なかなか寝付けなくて・・・」
「考え事って?」
ドラゴンにも、人間のように何かを思い悩んで眠れぬ夜を過ごすことがあるのか・・・
だがよくよく考えれば、知恵のある動物ほど深い悩みを持つものだ。
人間と同等かそれ以上の知恵を持つとされるドラゴンこそ、もしかしたらその緩慢な生涯を悩みに悩み抜いて生きているものなのかも知れない。
「あなた、昨日私に彼の絵を見せてくれたでしょう?あの最後の絵のことなんだけど・・・」
最後の絵・・・"命尽きる時"のことだろう。
エルストラが初めて描いた作品だけに、あの絵は彼女にとっても特別なものなのだろうか?
だが彼女が続けた先の言葉は、僕の想像していたものとはあまりにも大きく懸け離れたものだった。

「あの時、私は突然絵を描き出した彼に確かに戸惑ったけれど、それでも彼を殺すつもりだったのは確かなのよ」
それはもちろん、エルストラも心の何処かでは死を覚悟していたからこそあの絵にあんな題名を掲げたのだろう。
「だけど昨日の絵の私は、とてもこれから獲物にとどめを刺すような非情な眼なんてしていなかったわ」
確かに、その点は僕も少しだけ疑問に思ったことがある。
あの絵に描かれていたドラゴンの透き通るように黒い瞳は、これから死に行く獲物に対する憐れみ・・・
いや、もっと正確に言うならば、寧ろ慈愛とさえ呼べるような優しげで何処か物悲しげな雰囲気に満ちていた。
だが彼女の話からすれば、どう考えたってエルストラが彼女に捕まった時にはその顔に牙を剥き出しにした恐ろしい怒りの表情が浮かんでいたはずなのだ。
美しい湖の景観を損なうことも厭わずに自らの隠れていた木の幹さえ描き出す程の徹底した写実主義を貫いてきたエルストラの絵としては、些か不自然さが目立つような気もする。
だがそこまで考えた時、僕の脳裏にある1つの仮定に基づいた結論が浮かんでいた。

「それで思い出したよ。あの絵は今から16年前、エルストラが亡くなる直前に発表されたものなんだ」
「どういうこと?」
「エルストラが病に侵されてここへこれなくなった後、つまり闘病中に描いた作品なんだよ」
ロクに外出も出来ない程に体が弱ってしまったエルストラにとって出来ることは、30年間を掛けて描き溜めてきた彼女のスケッチをただひたすらキャンバスに描くことだけだったのだろう。
だがその中で彼は、日に日に衰弱していく己の体にたった1つの後悔を宿していたのに違いない。
それは、もうあの湖畔へ愛するドラゴンに逢いに行けなくなってしまったということ。
たとえ死は恐れなくとも、彼は寂しい最期を迎えることだけはどうしても我慢できなかったのだ。

「多分あの絵は・・・30年前のスケッチを基に描いたエルストラの唯一の想像上の作品なんだと思う」
「でも、それに一体どんな意味があるっていうの?」
「彼は、自分の最期をあなたに看取って欲しかったんだ。"命尽きる時"という題は、正に彼の本心だったんだよ」
"命尽きる時"は1度世間に発表された後も、彼が亡くなるまでの間は博物館にも展示はされなかったという。
最後の1年はほとんど寝たきりで手足も自由には動かせなくなってしまったというエルストラは、きっと病床の傍らに置いたあの絵をじっと眺めながらやがて訪れるであろう"その瞬間"を待っていたのだろう。
絵の中にしかいない架空のドラゴンと、彼は死の床で一体どれ程の魂の会話を交わしたのだろうか?
「凄いのね・・・人間って・・・」
だがやがて耳に届いた彼女のそんな呟きが、想像の世界に入り込んでいた僕の意識を現実に引き戻す。
そして彼女の顔に視線を戻してみると、彼女は何時の間にかその黒い瞳から大粒の涙を流していた。

20年前突然目の前から姿を消した彼に、私は密かに怒りの念を覚えたものだった。
それどころか私の生きてきた永い永い生涯の中でも特に輝いていた30年間の思い出が、一瞬にして全て台無しにされてしまったかのようなどうしようもない虚無感に襲われたこともあった。
けれども彼は、本当にその死の間際まで私のことを想ってくれていたのだ。
あの時病魔に冒されたという彼の苦しみをもし知ることができていたとしたら、私はきっと人目に付くことも厭わずに彼の許へと飛んでいったことだろう。
「でも結局願いが叶わなくて、エルストラは無念だったろうね・・・」
「そうね・・・でも彼は、代わりにあなたを私の許へと導いてくれたわ」
彼の私に対する深い慕情を知った今、もう心残りなのは彼が描いてくれた私の絵が人間達の間で所詮想像の産物だという不名誉な誹りを受けているということだけ。
だがその私にとっては耐え難い恥辱も・・・彼の跡を継ぐこの若者がきっと雪いでくれることだろう。

「それじゃあ、僕はそろそろ家に帰るよ。また今夜、あの湖で逢おう」
「ええ・・・でももし本当に人生を懸けて彼の後を追うと決めているのなら、私の言いたいこと、わかるわね?」
「もし手を抜いたりしたら、容赦はしないんだったね・・・もちろん、わかってるよ」
そうさ・・・これからの僕の人生は、偉大な先人の後にただ追い縋るだけでは駄目なんだ。
僕の人生の目的は、あのエルストラの絵を超える彼女の作品を生み出して彼の歩んだ波瀾万丈な人生が決して間違いではなかったことを証明すること。
それを成し遂げてこそ、きっと彼女も本当の意味で僕を認めてくれることだろう。
憧れの先輩として、越えるべき目標として、そして手強い恋敵として、今は亡きエルストラに導かれた僕の数奇な人生が、今ようやくその幕を開けたのだった。

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