何処までも何処までも永遠に続くかに思える、僅かな弧を描く水平線。
私は静かな水面を湛えた大洋を進む大きな船の舳先に立ったまま、到着までまだ優に10日は掛かるであろう遠い異国の地へと思いを馳せていた。
だが晴れ渡った空を見上げていた私の耳に、不意に随分慌てていると見える荒々しい足音が届いてくる。
「ああ、クローナ殿!ここにいらっしゃったのですか?随分探したのですよ」
「どうかしたの?」
やがて私の前に姿を見せた2人の男達が、そんな私の質問に焦燥を募らせた声を上げていた。
「船員の1人が、急に意識を失ってバッタリ倒れちまったんです。それに体中異常に熱くて・・・」
「何か悪い病気に罹ってるんじゃないかと思って、急いであなたを探しに・・・」
私はそれを聞くと、すぐさま彼らの後について船室の中で寝かされていた船員のところへと向かった。

船室に着いてベッドに寝かされていた男を一目見て、私はすぐに何が起こったのかを悟っていた。
全身にぐっしょりと掻いた汗や少しばかり赤み掛かった皮膚、それに高熱。
「ああ・・・どうやら熱中症ね・・・大丈夫、感染するような病気じゃないわ」
「ほ、本当に?」
長い間船乗りをやっている男達は洋上で孤立した船の上で伝染病が蔓延することの恐ろしさを知っているだけに、そんな私の言葉に心の底から安堵の息を吐いていた。
もちろん、医者である私にもそれは良く分かっている。
「すぐ彼に水を飲ませてあげて。それに体も冷やさないと。窓を庇で覆って日の光が入らないようにするのよ」
恐らく、炎天下の船上で水分もロクに取らないまま働き続けていたのだろう。
幸い意識はすぐに戻り反応も正常なことから、このまま安静にしていれば命に関わるようなことは無いはずだ。

「本当に助かりました、クローナ殿。あいつがぶっ倒れた時は、その場にいた全員が冷や汗ものでしたからね」
「全く、誰が船室に運ぶかで大分揉めましたよ。万が一おかしな病気だったら命取りですし・・・」
「分かるわ。私も長く船旅をしてると、病気が一番怖くなるもの。病院と違って、治療も十分にできないしね」
だが私がそう言うと、船員の1人がふと真面目な表情で尋ねてくる。
「そう言えば、クローナ殿はどうしてこの船に?地元では開業もなさっているんでしょう?」
「開業って言っても、近場の人達がたまに訪ねてくる程度よ。それに、医者として他の国も見て回りたいの」
「成る程・・・とにかく、向こうの陸地に着くのはまだまだ先ですので、また何かあった時はお願いしますよ」
私はそんな彼らの言葉に頷くと、もうすっかり夕焼けに染まった空の下へと再び足を運んでいた。

翌日、私は荒々しい船の揺れを感じて目を覚ましていた。
ふと耳を澄ませば、船室の外からは大勢の船員達の怒号にも似た掛け声が幾重にも飛び交っている。
その他にも風の音らしきゴオオオッという轟音が周囲に響いていて、浮遊感を感じる程の激しい縦揺れが事態の異常さを否応無く私の五感へと叩き込んでいた。
「どうかしたの!?」
やがて壁に掴まって歩きながら船室の扉を開けてみると、昨日の快晴がまるで幻か何かだったかのように凄まじい暴風雨が吹き荒れている。

「あ、クローナ殿!危険ですので部屋でじっとしていてください。こんな酷い嵐は初めてだ」
「怪我人は?皆無事なの?」
「ええ、今のところは何とか・・・わっ!」
だが彼がそう言った次の瞬間、猛烈な高波が真横から船に直撃する。
その衝撃で視界にある全ての物が斜めに傾ぎ、私は自分の両足が床から離れた感触を味わっていた。
「きゃっ・・・」
ドドオンという大きな音とともに、甲板で固定されていなかった荷物や目の前にいた男も含めた作業中の船員達が横殴りに襲ってきた大量の海水とともに海へと放り出される。
かく言う私も一旦は再び地に足を着けることができたものの、バランスを失ったところへ間髪入れずに叩き付けられた水の壁に押し流されるようにして濁流の渦巻く大時化の海の上へと投げ出されたのだった。

「ん・・・うっ・・・」
暗闇の中で突然走った鋭い腕の痛みに、私は小さな呻き声を上げながら目を開けていた。
周囲を見回してみると、どうやら私は12畳程の広くて清潔そうな部屋の片隅で窓際に備え付けられた真っ白なベッドの上へと寝かされていたらしい。
手足には所々に擦り傷や酷い打ち身などがあるらしかったものの、丁寧に包帯を巻かれて適切な処置がされているところを見ると私を手当てしてくれた医者は相当な医療技術と知識を持っているのだろう。
だがそれはともかくとして、ここは一体何処なのだろうか?
私は確か猛烈な嵐に遭って船から大荒れの海に投げ出されて・・・どういうわけかそこから先の記憶が無い。
窓の外には賑やかそうな何処かの町並みと小高い山の上に聳える古めかしい城が見えることから察するに、恐らく私は海に落ちた拍子に気を失って、何処かに流れ着いたのだろう。

ガチャ・・・
とそこまで考えたその時、不意に部屋の扉が開いて白衣を着た初老の男が静かに中へと入って来た。
「おっと、ようやく目が覚めたようだね。丸3日も目を覚まさないから、随分と心配したよ」
「あなたは・・・あなたが私を助けてくれたの?」
「ああ、まあそんなところだよ。浜へ打ち上げられた君をここへ運んで来たのは、町の子供達なんだがね」
そう言いながら、彼が小さなトレイに乗せた水のグラスをそっと私に差し出してくれる。
私はお礼とともにそれを受け取って一息に飲み干すと、ふぅと小さな息を吐いて再び彼へと視線を戻していた。
「それで・・・ここは何処なの?」
「ここはタオリバー島という大きな島だよ。それなりに面積は大きいんだが、町はここ1つしかない」
「タオリバー・・・?私もよく船で旅に出るけれど、そんな名前の島は聞いたことが無いわ」
そんな困惑の滲んだ私の返事に、彼が僅かに笑みを浮かべる。

「それはそうだろう・・・この島が載っている地図や海図は、世界中探してもほとんど無いからね」
「どうして?」
「特殊な海流や気候の渦に覆われた海域に位置しているからさ。つまり、船で近付くことが出来ないんだよ」
船で近付くことが出来ない・・・つまり測量ができないということだから、公式の世界地図には載せることが出来ない幻の島ということになる。
「極稀に君のように嵐で荒れた波に乗って人や物が流れ着くことはあるんだけど、まあ奇跡的な確率だよ」
「でも、この島から外界に出て行くことは出来るんでしょ?」
「丈夫な船なら多分ね。でもこの島は生活も豊かだから、余り出て行きたがる人はいないんだよ」
成る程・・・確かに、外界から孤立した島とは言っても町の様子を見る限り大陸にも劣らない程の文明的な発展を遂げているのは間違い無いようだ。
それに・・・私がこの島の浜に流れ着いたことが奇跡的な確率だと言うのなら、恐らく同じ船に乗っていた他の船員達は誰も見つからなかったのだろう。

だがそんな絶望的な思考の裏側で、私は不謹慎にも全く別のことに興味を掻き立てられていた。
「そう・・・ところで、私の怪我の処置のことなんだけど・・・この島は随分医療が発展しているのね?」
「この島では良質な薬がたくさん採れるからね。住人の50人に1人は、医療関係者だと思っても良いくらいさ」
「良質な薬って・・・例えば何があるの?」
その質問に彼も私が医者だということを直感したのか、少しばかり砕けた調子で先を続ける。
「そりゃあ色々あるけど・・・一番影響があるのはやっぱり"ティルパラリン"が手に入ることかな」
「え・・・?」
まさかという思いに、私は少しばかり声を震わせながら彼に訊き返していた。

「今、"ティルパラリン"って言ったの?」
「ん?ああ、そうだよ。強力な麻酔薬だけど、副作用が一切無いっていう夢のような薬さ」
医学に詳しくない人々には意外に知られていない事実なのだが、鎮痛剤や麻酔薬は効果の高い物になる程に強い依存性や悪性の副作用が出やすく、その取扱いには特別な資格や厳重な管理や注意が必要となる場合が多い。
ところがこの麻酔薬は、そう言った薬を使用する上でのリスクが全くと言って良い程に無いらしい。
私には医学書で学んだ知識でしかないのだが、医者どころか素人でも簡単に扱える薬ということで過去には医療の他にも兵士の苦痛の緩和や娯楽目的などで広く一般に広まった時代があったのだという。
しかし後先考えない乱獲が相次いだお陰で"原料"となるある生物が絶滅し、数十年前に市場からは姿を消してしまった伝説の薬がその"ティルパラリン"なのだった。

「ねえ、その・・・ティルパラリンが手に入るってことはつまり・・・"尾孔竜"がまだいるってことなの?」
「その通り。王様が国策として、彼らを保護管理しているんだ。多分、元々は貿易の為だったんだろうけどね」
「でも特殊な海域のせいで他国との交流がしにくいから、結局自国で医療が発展してしまったってわけね」
ティルパラリンは、尾孔竜というある特殊なドラゴンがその原料となっている。
彼らは生まれながらに様々な種類の毒に対して抗体や抵抗を持っており、仔竜の間に毒のある花や草、それに木の実や動物などを好んで食べるのだそうだ。
そしてそれらの毒素を長い年月を掛けて体内濃縮することで、その体液に様々な毒性を持たせるのだという。
だがその毒性は言わば彼らが狩りで獲物を仕留めたりする為の武器の1つとして用いられるからであり、それ故に獲物の体を根本から汚染してしまうような余計な毒素は濃縮の過程で体外に排出されることになる。
そうして作られた彼らの体液を更に人工的に精製することで、唾液から強壮薬を、血液から抗生物質を、愛液や精液からは媚薬などを作り出すことができるようになるのだ。
しかし彼らの最大の特徴は、尾の先に備えられたもう1つの口・・・つまり尾孔という器官にある。
自分の体よりも大きな獲物を丸呑みする為に存在するその尾孔から分泌される体液には強い麻酔成分が多分に含まれていて、これが他でもないティルパラリンの原料なのだ。

「まあそんなところさ。興味があるなら町を少し見て回るといいよ。幸い、君に大きな怪我は無かったからね」
「ありがとう。治療代は後で何とか払うわ」
「別にいいさ。君も職業は医者なんだろう?同業は助け合うっていうのが、この島の人々の社会通念なんだ」
だが彼はそう言って笑みを浮かべた後、ほんの少し真顔に戻って声の調子を落としていた。
「ただ、町へ行くなら役人には目を付けられないようにね。君は余所者と看做されるだろうから」
「そうね。そうするわ」
やがて部屋を出て行った彼の後姿を見送ると、私はしばらくの間ベッドで休んでからそっと体を起こしていた。
そして彼に一言断ってから海に程近い道沿いに佇んでいた診療所を出ると、昼下がりの明るい陽光を全身に浴びるように大きく背を伸ばす。
長らく寝ていたせいか全身がギシギシと軽く軋んだものの、私はその微かな痛みを伴う心地良さにふぅと大きな息を吐くと賑やかな町の方へと足を向けていた。

「確かに、医療が発展しているのは良く分かるわね・・・」
大勢の人々が行き交う町並みを眺めながら、ふとそんな感想が口を突いて漏れ出してしまう。
活気溢れる町の通りにはもちろん服屋や本屋や食堂などといった極普通の店も数多く並んでいるのだが、それでもやたらと病院や薬屋が目に付いてしまうのは流石の私も職業病の域を越えているような気がした。
試しに近くにあった小さな薬屋に入ってみると、普段から見慣れている市販薬の群れに混じって"ティルパラリン"と書かれた小さなビンが安価な値札とともに当たり前のように棚に並んでいる。
医学書を読む度にこんな素晴らしい薬にはもう出会えないのだろうかなどと考えていた私にとって、唐突に目の前に現れた幻の薬はどうやら驚きも感動もその名の通りすっかりと麻痺させてしまったらしかった。

「おい!誰かその小僧を捕まえてくれ!」
「きゃっ!」
「わっ!」
とその時、私は何やら外が騒がしいことに気付いてそっと薬屋を後にしていた。
見れば、両手に何か小さな物を持った7、8歳くらいの少年がこちらに向かって走って来ている。
行く手を阻む大勢の人々を器用にかわしながら必死に息を切らせている様子から察するに、恐らくはその少し向こうから走って来ている2人の役人達に追われているのだろう。
だが疲労の為か人を避けた拍子に足が縺れてしまい、彼が私のすぐ目の前で盛大に転んでしまっていた。

ガッ!ドザザッ・・・
「うわぁっ!」
勢いが付いていたせいか本能的に両手で頭を護ったらしく特に大きな怪我は無かったようだが、彼が手に持っていたらしき物がコロコロと私の足元へと転がってくる。
どうやら、薬のビンのようだ。
「ブロデトキニーネ・・・?」
確か・・・ティルパラリンのように尾孔竜の血液から作られるという強力な抗生物質の名前だ。
これも副作用のリスクが極端に低い薬の為か、さっきの薬屋でも見かけた記憶がある。
それで役人に追われているということは恐らく、これは彼が何処かで盗んだ物なのだろう。
「返して!」
だが思わずそれを拾い上げたのも束の間、少年は何とか痛みを堪えて起き上がると素早く私の手からビンを奪って再び逃げ出したのだった。

やがてそんな訳ありそうな少年の後姿から目を離した直後、今度は彼が転んだお陰で随分と距離を縮めていた追っ手の役人達が突然50センチ程の長さの警棒らしき物を取り出したのが目に入る。
明らかに、あの少年を捕らえて痛め付けようとしているのだ。
私は"役人には目を付けられるな"というあの医者の言葉を一瞬だけ脳裏に思い出したものの、屈強そうな2人の男達が幼い子供を凶器で叩きのめそうとしている状況を黙って見過ごせる程利口ではなかった。
「待って!」
そしてすぐ近くまで迫っていた2人の役人達の前に両手を広げて躍り出ると、何とか彼らが踏み止まってくれることを心の中で必死に念じる。
「何だお前は!?」
「邪魔をするな!」
だが流石に女の私をいきなり殴り付けるという選択肢は無かったのか、役人達は遠くへ逃げていく少年の後姿を歯痒そうに眺めながらも一応は私の制止を聞き入れてくれていた。

「あの子が何をしたか知らないけれど、あなた達は一体彼をどうするつもりだったの?」
「奴は尾孔竜由来薬品の窃盗を犯したんだ。それが国法で厳罰に定められていることは知ってるだろう!?」
「いや待て。こいつ、見たことの無い顔だぞ。もしや外からこの島にやって来たんじゃないだろうな?」
やはり、島にたった1つしかない町ではそのほとんどの住人がお互いに顔見知りなのだろう。
ましてや犯罪を取り締まる役人達にとっては、私のような島外の人間など一目で見抜けてしまうのに違いない。
「そ、そうだけど・・・それは今は関係無いでしょ?」
「そうはいかん。この町では外界からやって来た連中は、必ず国王様に謁見する義務があるんだからな」
国王に謁見する義務・・・?
いや・・・この島そのものが1つの国なのだから外界からこの島を訪れた者が国王に顔を合わせておくという仕来りはまあ理解できるが、彼らには厳罰と定められた重罪を犯した少年よりも私の方が重要なのだろうか?
「とにかく、我々と一緒に城まで来てもらうぞ」
「わ、分かったわよ・・・でも、さっきの子供のことは見逃してあげて。きっと身内の誰かが病気なのよ」
「ふん・・・まあ良いだろう。お前に免じて、特別に今回だけはあの小僧のことは目を瞑ってやる」
私はその役人の返事を聞くと、ほんの少しだけ安堵の息を漏らしたのだった。

国王がいるという城は、どうやら私が診療所の窓から見たあの山の上の古城らしかった。
とは言え麓の町との往来はそれなりに活発らしく、城へと続く曲がりくねった坂道はしっかり整備されている。
そして役人達とともに乗った馬車の車輪が転がる音をしばらく聞き続けると、私は堅牢そうな石造りの巨城の前でようやく客車から降りることが出来た。
「ほら、着いたぞ」
「私は・・・王様に会うだけなのよね?」
「多分な」
だが肯定の返事を期待していたところへ予想外の反応が返ってきて、思わず心中の不安を顔に出してしまう。
「多分って、どういうこと?」
「玉座の間で何をするのかまでは、俺達も知らないってことだよ」
「それに元々、外界から人がやって来ること自体がかなり珍しいことだからな」

玉座の間で何をやっているのか知らないということは、結局のところ彼らも決まり切った仕事として私をここに連れてきただけなのだろう。
薬のビンを盗んだあの少年を彼らがあっさりと見逃したのは、単に楽な方の仕事を選んだというわけだ。
それなら、私としても変に気負う必要は無いのかも知れない。
「そう・・・良いわ。それじゃあ早く案内して」
やがて役人に言ったはずのその声に応えるかのように城の衛兵が城門を開けると、私はそっと城の中へと足を踏み入れていた。
だがさぞかし豪奢なエントランスホールが広がっているのだろうという私の予想とは裏腹に、入口の向こうに広がっていたのは一辺8メートル四方の巨大な鉄製の檻の群れだった。
恐らくは元々大きな広間だったのであろう城の玄関部分を後から改装し、2階へと続くホールの通路部分だけを残して周囲に特別製の檻を幾つも敷き詰めたのだろう。
そしてふとした予感に近くの檻の中を覗き込んでみると、1.8メートル近い体高がある不思議な生物が地面にそっと蹲っている姿が私の目に飛び込んできたのだった。

これが・・・尾孔竜・・・?
光沢と弾力のある美しい桃色の皮膜に、切れ長の鋭い竜眼を湛えたすらりと細長い流線形の顔立ち。
頭部には角の代わりに小さな尖った耳が後方へと伸びていて、口の端から覗く牙や手足の指先から生えた爪は獣のそれと比べても特に凶悪さを感じるような物ではなく、寧ろその小ささ故か何処か頼りなく見えてしまう。
ドラゴンという存在に対して漠然と抱いていた堅牢な鱗や厳しい表情とは余りに懸け離れた尾孔竜のその姿に、私は思わずゴクリと息を呑みながらも更にその巨大な檻へと近付いていた。
だがその時、突然奥の扉が大きく左右へと開いていく。
そしてその向こうに2人の役人らしき男達と手錠を嵌めたまま彼らに連れられている12歳くらいの少年がいるのを目にすると、私は一体何が始まるのかと思ってピタリとその動きを止めたのだった。

随分とやつれているように見えるその少年の様子から察するに、恐らくあの子はここ数日間ロクに食べ物を与えられていないのだろう。
一応誰かに痛め付けられたような形跡は今のところ何処にも見当たらないのだが、絶望的な表情を浮かべたまま俯いている幼い子供の姿がまたしても私の心を大きく揺さ振っていた。
しかし他に大勢の人々がいる町の中ならいざ知らず、ここは言ってみれば彼ら役人達の縄張りだ。
ただでさえ重罪を犯した子供を庇ってしまったことで立場が余り良くないというのに、ここでまた騒ぎを起こせば国王への謁見どころかそのまま地下牢行きにされてしまってもおかしくないだろう。
そんな理性的な思考に辛うじて従うことに成功すると、私は何となく嫌な予感を感じながらも役人達に引き立てられてこちらにやってくる少年の姿を黙って見守っていた。

やがて私の前にあった尾孔竜の檻の傍まで少年を連れ立ってやって来ると、彼らがまるで私の姿など最初から見えていないかのように粛々と尾孔竜の檻へ向けて大きな梯子を取り付ける。
その梯子の先にふと目を向けてみると、どうやら檻の壁の高さ3メートルくらいのところに、人間が1人出入り出来る程度の小さな入口が別に据え付けられているらしい。
そして手錠を外した少年を2人掛かりで無理矢理追い立てるように梯子の上へ押し上げると、あろうことか突然役人の1人が少年を尾孔竜の檻の中へと突き落としていた。
ドン!ドサッ!
「うあっ!」
憔悴し切っているところにいきなり3メートル近い高さから放り出され、ロクに受身を取ることも出来ないまま地面に落下した少年が体中に走る激痛にか細い呻き声を上げる。
だが檻の中に投げ込まれた少年の姿を認めてそれまで地面に蹲ったまま動かなかった尾孔竜がのそりと体を起こしたのを目にした瞬間、私は目の前にいた役人達に思わず食って掛かっていた。

「ちょっと、一体何てことするのよあなた達!早くあの子を檻から出してあげて!」
「あの子供は重罪人だ。それはできない。それに、これはこの国にとっても必要なことなんだ」
もう慣れてしまったのか、或いは元々そんな感情など持ち合わせていないのか、淡々とした口調でそう答えた役人の顔に罪悪感のようなものは全く見受けられない。
「ふざけないで!子供をドラゴンに食い殺させるのが国に必要なことだなんて、私は絶対に認めないわよ!」
だがそうは言っても、一旦檻の中に入れられてしまった少年を助ける術など今の私にあるはずもなかった。
役人達もそのことは十分承知しているのか、静かに梯子を片付けてしまうと帰り際に1度だけ私の方を振り返る。
「早く国王様とお会いになれ。お前も下手な騒ぎを起こすようなら、その子供と同じ運命を辿ることになるぞ」
そうして冷たい一言を残して彼らが扉の奥に消えてしまうと、私は尾孔竜とともに取り残されてしまった少年の様子を窺おうと再び檻に近付いたのだった。

「う・・・い・・・痛っ・・・」
身長の2倍以上も高いところから乱暴に固い地面の上に落とされて、僕はしばらく全身に跳ね回る痛みに苦悶の声を上げていた。
だが突然ズッという何かの足音のようなものが聞こえたことに気付いて顔を上げてみると、そのぼやけた視界の先で綺麗な桃色をした大きなドラゴンが不気味な笑みを浮かべながら僕を見下ろしている。
「わっ・・・うわあぁっ!」
それまで激しい空腹と疲労感にほとんど周囲の様子が理解できていなかった僕にも、ドラゴンの前に取り残されている今の状況が余りにも危機的なものだということがほとんど本能的に感じ取れてしまう。
しかし何処にも逃げ場が無いこともまた同時に理解させられてしまい、僕はゆっくりと躙り寄って来る恐ろしい捕食者の姿を恐怖に崩れた表情で見上げていることしか出来なかったのだった。

「ふふふふ・・・美味しそうな坊やね・・・」
透き通った、それでいて妖しい艶のあるドラゴンの声が、僕の全身を奇妙な呪縛で絡め取って行く。
逃げようにも周囲は太い鉄柵で囲まれていて、向こうに見える出口には頑丈な鍵が幾つも掛けられていた。
その上唯一外へと通じている餌の投入口は、僕なんかにはどう頑張っても届かない遥か頭上だ。
そんな絶望的な状況に追い込まれた僕に向かって、桃色のドラゴンがなおもジリジリと近付いてくる。
まるで、怯える僕の様子を愉しんでいるかのようだ。
「た、助けて・・・」
尻餅を着いたまま地面を這うようにドラゴンから離れながら、僕は絶対に聞き入れては貰えないであろうそんな命乞いの言葉を漏らした。
だがしばらくしてその背に鉄柵の冷たい感触が触れると、死の恐怖が凄まじい震えとなって全身を冒していく。
「あ、ああ・・・」
一歩、また一歩と距離を縮めてくる性悪なドラゴンの肉薄に、僕は両膝を抱え込むと現実から逃避しようと必死に身を縮込めていた。

やがてきつく目を閉じた闇の中に湿った足音が幾つか聞こえてくると、いよいよドラゴンのツルツルとした皮膚の感触が僕の足首を捕らえる。
そしてそのままドラゴンの足元へ力尽くで引き摺り込まれると、僕は恐ろしさの余り甲高い悲鳴を上げていた。
「わあっ!」
仰向けに寝かされた僕を睨み付けるドラゴンの顔に、獲物を捕らえた捕食者の愉悦の笑みが広がっていく。
「ほぉら・・・捕まえたわよ・・・」
だがその大きな手で両肩を地面の上に押さえ付けられた瞬間、僕は必死に両足を暴れさせた。
「い、嫌だ・・・食べないでぇ・・・!」
柔らかいドラゴンの腹を何度も蹴り上げては、全く動かせない上半身を捩るように何度も何度も首を振る。
ドラゴンはそんな僕の様子をしばらくの間はうっとり優越感に浸った表情で眺めていたものの、ややあってゆっくりと自身の尻尾を僕に見えるように大きく持ち上げていた。
「あらあら・・・随分と元気が良いのね・・・でも、もう少しおとなしくなさい・・・」
人間の胴体程の太さがあるドラゴンの尾が、ぷっくりと瘤のように膨らんだその先端部分を僕に向けてくる。
そして尖った尾の穂先に十字の割れ目が走ったかと思った次の瞬間、いきなりドラゴンの尻尾の先がまるで花弁を広げるように4枚の肉襞を大きく花開いていた。

ぐぱ・・・
「わ・・・うわああああっ!」
毒々しい紫色の肉壁と、その中央部から伸びた細長い紺色の尾舌。
それは正に、尾の先に備わったもう1つの巨大な口のようだ。
少年の恐怖に彩られた悲鳴を聞きながら、私は鉄柵の隙間から見える尾孔竜の異形の尾に目を奪われていた。
そしてそのおぞましい巨口から、大量の透明な液体が地面に組み敷かれた少年の体へと吐き掛けられる。
ドバッ・・・
「あっ・・・つ・・・」
地面に零れて出来た水溜りから白い湯気を上げている様子から察するに、随分と熱い分泌物らしい。
しかしそれよりも私が気になったのは、液体を掛けられた彼の抵抗が突然ピタリと止んでしまったことだった。

「う・・・ぁ・・・」
な、何だこれ・・・体が・・・痺れる・・・?
ドラゴンの尻尾から吐き出された熱い液体を被った瞬間、僕はあっという間に全身から力が抜けていく絶望的な感触を味わっていた。
あんなに激しくドラゴンの腹を蹴り上げていたはずの足はピクリとも動かなくなり、手足の指先にも全くと言っていい程に力が入らない。
「うふふふ・・・大分おとなしくなったようね・・・」
そして完全に身動きの出来なくなった僕の様子を満足げに眺め回すと、ドラゴンが尖った爪の生えた手をゆっくりと僕の眼前に翳していた。
あの爪で・・・僕は引き裂かれるのだろうか・・・?
体中の感覚が無くなり掛けているお陰かそんな想像にも余り恐怖心は感じなかったものの、僕はもう間も無く自分に向かって振り下ろされるのであろう凶器から目を離すことがどうしても出来なかった。

人間とは違う4本の指先から生え伸びた、刃物のように鋭い竜爪。
全身が麻痺しているせいでその白刃がそっと首筋に当てられた感触を感じ取ることは出来なかったものの、僕はもうすぐ訪れるであろう死という現実を前にして涙を流していた。
獲物に対する怒りや憎しみとはまるで違う、まるで終始微笑を浮かべているかのようなドラゴンの黒い瞳が、このまま成す術も無く八つ裂きにされるしかない惨めな僕の姿をくっきりと映し出している。
今の僕にできることは、痺れた喉から辛うじて擦れた声を上げることだけなのだ。
だがそれが何の意味も成さないことを知っているだけに、断末魔の悲鳴さえもが絶望の闇に埋もれていく。
そしてドラゴンがゆっくりとその爪を引き下ろした気配に、僕はもうすぐ視界を埋め尽くすであろう深紅の飛沫を想像しながら恐らくは最後になるであろう深い息を吐き出していた。

一体、あの尾孔竜は何をしているのだろうか?
鉄柵の間の細い隙間からではどうにも詳しい状況が掴み切れず、もどかしい思いが胸の内に湧き上がって来る。
ティルパラリンの原料となるのであろうあの麻痺毒に浸されてピクリとも動けなくなった少年に尾孔竜が爪を振るっていることは分かるのだが、服の切れ端が飛び散っている割に血を流しているようには見えない。
それとももしや・・・あれは少年の服を切り裂いているだけなのだろうか?
確かに獲物を丸呑みする器官があるのだから、既に抵抗のできなくなった食料をこれ以上傷付ける理由は無い。
恐らくは邪魔な服を引き裂いてから、ゆっくりと彼をあの不気味な尾孔で呑み込むつもりなのだろう。
だがいよいよ少年の服がすっかり剥ぎ取られると、尾孔竜は何故か尻尾ではなく自身の口を彼に近付けていた。

パクッ・・・
「ふ・・・あっ・・・?」
じんわりとした痺れの中に突如として感じた、鋭い快感。
早くも死を覚悟して静かに目を閉じていた僕は一体自分の身に何が起こったのか判らず、微かに目を開けると眼球だけを動かして恐る恐る周囲の状況を窺っていた。
その視界の端で、ドラゴンがあろうことか僕の股間へと食い付いている。
だが僕が何よりも恐ろしかったのは、体は相変わらず何も感じられない程すっかり麻痺しているにもかかわらず股間を這い回るドラゴンの舌の感触だけははっきりと感じ取ることができたことだった。

そ、そんな・・・
少なくとも痛みさえ感じなければ食い殺されるにしてもそれ程苦しい思いはしなくて済むと思っていたのに、ドラゴンの口に含まれた僕の小さな肉棒には確かに感覚が戻っている。
「あぁ・・・い・・・やだぁ・・・」
ペロ・・・チュパ・・・
このまま・・・あの牙で肉棒を噛み千切られたら・・・
未熟な雄を舐め回される淫らな水音と例えようも無い快感を伴った冷たい恐怖に、僕は頭がどうにかなってしまうのではないかという黒い不安を抱いていた。
萎びた肉芽が生暖かい唾液にたっぷりと塗され、分厚い舌先で執拗に捏ね繰り回される。
何時牙を突き立てられるのかという恐ろしさと麻痺とは別の意味で痺れるような気持ち良さが思考を掻き乱し、一旦は落ち着いたはずの呼吸がまた荒れ狂う嵐のような荒々しさを取り戻していった。

レロ・・・ジョリッ・・・
「ひぃっ・・・」
ザラ付いたドラゴンの舌が肉棒を這い上がる度、言い知れぬ疼きが体の内側から膨れ上がっていく。
だが必死に快感に耐え続けていたその時、僕はふとその感触が徐々に変化してきていることに気が付いていた。
初めの内は小さな肉棒を舌先で転がされるようなこそばゆい感覚だったのに、さっきのは広い舌の腹で大きな肉棒を思い切り擦り上げられたかのような快感だ。
そしてまさかという思いとともに勇気を振り絞って自身の股間に目をやってみると、そこに今まで見たことも無いような大きな肉の塔が聳え立っていた。
「え・・・えっ・・・?」
あれが・・・僕の・・・?
どう見ても僕の腕より太いビキビキに充血した男根が天を衝いているその信じられない光景に、パニックになった頭がそれまで辛うじて纏まっていた思考を迷走させる。
しかし余りにも立派になり過ぎた雄槍を見つめるドラゴンの顔を見た次の瞬間これから何をされるのかを図らずも悟ってしまい、僕は底無しの諦観とともに目を閉じていた。

まさかこんなことが・・・
幼い少年のペニスがその小さな体に比して凄まじい肥大化を見せた光景を実際に目にしながらも、私は眼前で起こっていることを依然として受け入れることができずに愕然としていた。
医学書によれば確か尾孔竜の唾液からは良質の強壮薬が作れるそうだが、それはあくまでも身体的な興奮の補助・・・言わばその気にさせる為のきっかけのようなものに過ぎない。
だが尾孔竜の口内に含まれた少年の一物はとても人間のそれとは思えぬ程の大きさと緊張を保っていて、全身が麻痺しているはずの少年の顔に激しい困惑と怯懦の表情を浮かび上がらせていた。

「あらぁ・・・坊やのも、随分と立派なのねぇ・・・」
凄艶な雌の笑みを浮かべたドラゴンの大きな顔が、はち切れんばかりに膨れ上がった肉棒の向こうで揺れる。
自分の意思では指先さえ動かすことができないというのに、雄々しい肉棒から送られてくる興奮の疼きがもう間も無く訪れるであろうその瞬間を僕の脳裏にまざまざと映し出していた。
そしてそんな恐ろしい想像と寸分違わずに、ドラゴンがゆっくりとその腰を上げる。
「あぁ・・・や・・・め・・・」
やがてそんな弱々しい拒絶の言葉が最後まで吐き出されぬ内に、ドラゴンの下腹部に咲いたもう1つの真っ赤な花がその獰猛な花弁をゆっくりと押し開いていた。

くぱぁ・・・
ねっとりとした桃色の愛液が幾重にも糸を引き、何層にも折り重なった分厚い肉襞がその深い肉洞の奥でやわやわといやらしい蠕動を繰り返している。
グチュッグチュッという淫靡な水音が周囲に弾け、僕はどうすることもできずにきつく目を閉じていた。
ズ・・・グブブブ・・・
「うあっ・・・あが・・・」
熱く蕩けた肉の群れが、敏感な性感帯をじっくりと押し包む。
だが柔肉が蠢くその甘美な感触などよりも、僕は竜膣の内部から溢れ出して来た熱湯のような愛液の感触に動かぬ体に代わってその意識を悶え転げさせていた。

「ああっ・・・うああああぁっ!」
さっきまで蚊の鳴くようなか細い声を漏らしていた少年が突然大声で叫び始め、私はますます檻の鉄柵にその顔を寄せては尾孔竜と彼の淫行の様子を食い入るように見つめていた。
尾孔竜の精液や愛液から精製されるという媚薬は、他の尾孔竜由来薬品とは異なり強い依存性があるらしい。
しかもこれまで私は、尾孔竜の体液を精製するという言葉の意味を"濃縮"の方向で捉えていた。
彼らの体液から人体に害を与える不純物を取り除きその薬効の濃度を高めることによって、ティルパラリンやブロデトキニーネ等の有用な薬品を作ることが可能になると思っていたのだ。
だが実際は、"希釈"こそが精製という言葉の真に意味するところなのだろう。
それ程までに、尾孔竜の体液が持つ毒性の威力は余りにも私の想像を絶していた。
体内注射や経口摂取ならともかく、皮膚に接触しただけで運動神経を麻痺させる毒など聞いたことも無い。
しかもそれでいて、呼吸を始めとする生命活動や発声の自由はほとんど阻害していないのだ。
唾液に含まれるという強壮成分も、未だ精通すらしているかどうか怪しい少年の性器をあれ程までに肥大化させるなど最早毒という概念を超えているとしか言いようが無い。
そしてそれは同時に、尾孔竜の愛液もまた恐ろしい未知の効能を孕んでいる可能性を示していた。

ゴギュ・・・グシュッ・・・
「ぐ・・・ふ・・・」
頭がおかしくなってしまうのではないかと思える程の異常な快感が、僕の全てを塗り潰していく。
ドラゴンが大きな腰を揺する度、肉厚の膣襞を翻す度、そして強烈な吸引を味わわされる度に、僕はまるで魂が少しずつ千切り取られていくかのような喪失感を胸の内に感じていた。
熱い・・・何かの脈動が、何も感じない体内で踊り狂っているような気配がある。
そしてドラゴンが嗜虐的な笑みとともに根元まで呑み込んだ肉棒をグシャッと勢い良く圧搾すると、僕は声にならない擦れた悲鳴とともに激し過ぎる生まれて初めての絶頂を迎えたのだった。

ドバッ・・・!
「ひああああぁぁぁ・・・!」
異常なまでの快感を伴ったその白濁の噴出が、ほんの僅かな身動ぎさえできない僕の精神を容赦無く蹂躙する。
駄目・・・何・・・これ・・・壊れ・・・
ドクンドクンという脈動とともに肉棒から勢い良く吐き出された精は愉しげな笑みを浮かべた獰猛なドラゴンの膣に次々と吸い上げられ、僕はもっと寄越せと言わんばかりの乱暴な締め上げに泣きながら悶え狂わされた。
ドブ・・・ドク・・・ドク・・・
「うふふふ・・・美味しいわぁ・・・子供もたくさん作れそうね・・・」
そして永遠に続くかと思われた数十秒の快楽地獄がようやく終焉を迎えると、おもむろにドラゴンが僕の肉棒をその恐ろしい竜膣から解放してくれる。
「あ・・・あぅ・・・」
だが動かぬ体に叩き込まれた無慈悲な責め苦に、僕は既に精も根も尽き果てていた。

「さてと・・・新鮮な子種もたっぷり貰ったことだし、そろそろ楽にしてあげるわね・・・」
やがてほとんど感情の起伏が感じられないその冷たい声が耳に届くと同時に、ドラゴンの尻尾の先に備わった不気味な尾孔が再び僕の眼前でゆっくりと口を開けていく。
ゴボッ!
「うわあっ!」
そしてまたしても大量の透明な粘液を吐き掛けられると、僕はさっきまで股間に感じていた疼きがすっかりと麻痺してしまったことに気付いていた。
まだ僅かに感覚の残っている顔の一部には茹だった粘液の熱が微かに感じられるものの、まるで首から下が存在していないのではとさえ思えるような奇妙な虚無感が僕の全身を支配している。
「お、お願いだから・・・もう・・・止めてよぉ・・・」
「あら・・・坊やはこれから、この尻尾で生きたまま丸呑みにされるのよ・・・苦しいのは嫌でしょう?」
「そ、そん・・・な・・・」

最早用済みになった獲物に悲惨な末路を告げるそのドラゴンの優しげな声が、体の感覚とともに一旦は麻痺したはずの深い絶望を心の底から揺り起こす。
「大丈夫、あなたは何も感じないで済むわ・・・だから、じっくりと時間を掛けて溶かしてあ、げ、る」
やがてそんな止めの一言とともに、尾孔から伸びて来た紺色の尾舌が僕の口内へと突き入れられていた。
そして口の中にもたっぷりと麻痺性の毒液を流し込まれると、それを無理矢理に飲ませられてしまう。
ゴクッ・・・
「・・・・・・!」
たった一口・・・その得体の知れない液体を飲み込んだだけで、僕は全身に通う一切の知覚を失っていた。
ただふわふわと空中に浮いているかのような感覚と音も無く迫ってくる紫色の巨大な食人花が、これから飲み込まれるのであろう闇の気配を辛うじて僕の意識に刷り込んでくる。

グチュッ!ゴキュッ!ズリュッ!
尾孔竜は最早人形のように物言わぬ肉塊と化した少年へ粘液塗れの尾孔を無造作に押し付けると、その4枚の花弁の如き肉鰭で彼の体を掴み上げていた。
そしてそのまま尻尾の先が天を仰ぐと、湿った水音とともに憐れな少年の体が尾孔の中へと吸い込まれていく。
ぼんやりと虚ろな瞳で虚空を見上げている幼子の顔もやがてズプッという小さな余韻を残して太い尾の中へ呑まれてしまうと、私は満足げに元いた地面の上に蹲った尾孔竜の姿にその場へ崩れ落ちていた。
こんなにも・・・こんなにも惨い捕食の光景が、果たして他にあるのだろうか?
犠牲となったのが幼い少年だからではない。
逃走の術も抵抗の気力も失い猛毒に力尽きた余りにも弱々しい獲物を、あの残虐な雌竜は微塵の慈悲さえ与えずに徹底的に嬲り尽くしたのだ。
確かに全身の麻痺と朦朧とした意識の中で苦痛の類は一切感じなかったのかも知れないが、あんな食われ方をするくらいならまだ鋭利な竜爪でズタズタに引き裂かれた方がマシに思えてしまう。
だが獲物を呑み込んでこんもりと膨れた自身の尾を愛でるように撫で摩っていた尾孔竜の姿をこれ以上見ていることができず、私は何とかその場から立ち上がると城の奥へとよろめく足を踏み出していた。

あんな凄惨なことを国策として行っている国王とは、一体どんな人物なのだろうか?
そんな怒りとやるせなさを胸にホールの奥にあった扉を開けると、私はそこで待っていた衛兵に案内されて大きな両開きの部屋の前へとやってきていた。
「ここが玉座の間です。国王様が、中であなたを待っておられます」
兜のお陰で判りにくいものの、比較的若く見えるそんな衛兵の明るい声に心中の不安が幾許か和らいでいく。
そして意を決して眼前の大きな扉を押し開けてみると、広い部屋の中央に設えられた玉座に60歳くらいの老齢の国王が静かに座っていた。

バタン!カチャ・・・
「え・・・?」
だが部屋の中に入った私の耳に扉の閉まる音と鍵が閉められるかのような微かな金属音が聞こえると、私は思わず驚きとともに背後を振り向いていた。
「我が国にようこそ、旅のお方」
そんな私の狼狽振りを知ってか知らずか、少しばかりしわがれた穏やかな声が届いてくる。
それに気付いて再び国王の方を振り返ると、私は取り敢えず大きく息を吸って気分を落ち着けることにした。
「初めまして、私はクローナと申します」
「ほう、クローナか・・・嵐で船が沈んで島の海岸へ流れ着いたようだと聞いたが、それは本当のことかね?」
「はい・・・残念ながら、一緒に乗っていた他の船員達の姿はありませんでしたが・・・」
国王はそれを聞くと、年老いたその顔に憐れみの感情を浮かべていた。

「それは気の毒にな・・・せめてそなたのようにこの島へ辿り着ければ、命は助かったかも知れぬというのに」
「私もそう思います。この島の医療水準は、大陸のそれにも劣らない立派なもののようですから・・・」
「ふむ・・・そなたも医者なのかね?」
私はその質問にゆっくりと頷きながら、ほんの数歩だけ玉座に座る国王へと歩み寄っていた。
「ならば、この島に来て何か気付いたこともあるのではないかね?」
「はい。ティルパラリンを初めとする良質な薬品を精製する為に、尾孔竜を保護しているのだとか・・・」
「その通りだ。あの者達の存在が、この島の全てを支えていると言っても間違いではない」
そう相槌を打ちながら、国王がなおも先を続ける。
「だが、そなたは城の入口で尾孔竜の食事の光景を見ていたそうだな?何か、言いたいこともあるのだろう?」
「言っても構わないのですか?」
「もちろんだ。その為に、ワシは必ずこの国を訪れた旅の者に会うようにしているのだからな」

成る程・・・尾孔竜の保護というこの国の構造を知らぬ外部の者が見れば到底看過できぬであろう闇の側面を敢えて最初から明かすことで、余計な混乱を招かぬようにというのがこの謁見の目的なのだろう。
「ならば率直に言いますが・・・あんな幼い少年を尾孔竜に食い殺させる必要が、本当にあるのですか?」
「その問いに答える前に、そなたはあの者達のことを一体どのくらい知っておるのだ?」
それは、私にとっては痛い質問だった。
実際この島に来るまで私は尾孔竜の姿を見たことが無かったし、その生態についても医学書に書いてある以上の情報は持ち合わせていないのだ。
「正直に言えば、余り詳しいとは言えません。仔竜の時に好んで毒物を口にするということくらいしか・・・」
「それは間違っておらぬ・・・だが、成竜になった後は?何を食料としているか知っておるか?」
私は一瞬だけその質問の意味を考えてから、思わずゴクリと息を呑んでいた。

「まさか・・・人間を・・・?」
「そう・・・人間しか口にしないのだ。だからこそ、人の体に最も良く効くような毒を体内に作るのだろう」
確かに・・・考えてもみなかった。
食料となる獲物を仕留める為に毒を作るのだとすれば、その成分は獲物に対して出来るだけ大きな効果を齎せるようにするのが普通だろう。
一般的に強い毒を持つとされている虫や小動物も、アナフィラキシーショックなどの特殊な例を除けば1回の攻撃で人間を絶命させ得る程の猛毒を持っているものは極限られると言っていい。
それは、本来の毒の用途として人間を殺すことを想定していないからだ。
だが尾孔竜は人間の自由を奪って強制的な交尾へと持ち込むばかりか、行為が終わった後はその獲物を生きたまま丸呑みにしてしまう。
それらに必要な毒として、興奮剤や媚薬、麻酔薬などが各体液の成分として作られているのだ。
そして当然尾孔竜としてはそれらの毒に耐えなければならないわけだから、血中にはあらゆる猛毒を中和できるような万能ワクチンを持っているということになる。
つまり幻の薬として医学会で崇められている尾孔竜由来薬品の正体は、彼らが人間を捕食する過程で必要だからとの理由で作り出されたものだったのだ。

「それでは・・・尾孔竜由来薬品の窃盗に厳罰が科せられるというのも・・・」
「そう・・・人間の命を糧に作られたものだからこそ、不正な流出を決して許してはならぬのだ」
確かに、そういうことなら罪人を処刑として尾孔竜の餌食とするのは一応の筋が通っている。
しかしそれでも、あんな幼い少年まで犠牲にするのはやはり納得できるものではない。
「ですが、何も子供まで殺すことはないのでは・・・」
「もちろん、ワシとて心苦しいのだ。しかし、そうでもしなければこの国は纏まらぬのでな・・・」
子供でも容赦無く死刑にする・・・そんな恐怖政治を敷かなければならない理由とは、一体何なのだろうか?
町の様子を見る限りでも、人々の多くは裕福で充実した暮らしを満喫しているように見えるというのに。
「私には、この国がそれ程深刻な問題を抱えているようには見えませんでしたが・・・」
「問題を抱えているのは町の者達ではない。この・・・ワシの方なのだ」

私はそう言って玉座から立ち上がった国王の顔に、極度の緊張が走っていることに気付いていた。
まるでこれから何か重大な秘密を打ち明けようとしているかのような、重々しい雰囲気が周囲に漂っている。
「一体、どんな問題を・・・きゃっ!?」
次の瞬間、突然眩い閃光が部屋の中を真っ白に照らし出す。
それに驚いて思わずきつく閉じてしまった目を恐る恐る開けてみると、さっきまで国王のいた場所に巨大な漆黒のドラゴンが蹲っていた。
「な・・・」
頭部から突き出た太い乳白色の双角に、背中から広げられた一対の大きな翼。
尾孔竜とは異なり全身を堅牢な鱗と甲殻に覆われたその姿は、正に私がドラゴンという生き物に対して抱いていたイメージそのままだった。
そして真の姿を現した国王が、その金色の瞳を静かに開く。
私は一瞬恐怖に駆られてその場から逃げ出そうとしてしまったものの、扉に鍵が掛けられていることを思い出して何とか踏み止まっていた。

「あ・・・ぁ・・・」
「そう怯えんでくれ・・・ワシは、そなたに危害を加えるつもりは無い」
しかしそうは言っても、長い尻尾を揺らしながらゆっくりと迫ってくる巨竜の迫力に私は恐ろしさの余り腰を抜かしそうになっていた。
尾孔竜に嬲り殺されたあの少年の最期が、ドラゴンという存在に対しての潜在的な恐怖となっていたのだろう。
「あ、あなたが・・・ドラゴンであることを、町の人々は知っているのですか・・・?」
それでも何とか震える声を絞り出すと、国王が私からほんの数メートルのところまで来て立ち止まる。
「無論、ほとんど全ての者が知っておる。だからこそ、こんな国の体制が成り立っておるのだ」
成る程・・・罪を犯した者は子供でも極刑に処されるという厳しい法律に対して人々が何も言わないのも、残虐な尾孔竜達がおとなしく飼われているのも、国王自身が恐ろしいドラゴンだったからということか。

「それに、他国との交流が難しいはずのこの島がこれ程栄えていることにそなたは疑問を抱かなかったのか?」
そう言われると、確かに医療は別にしても船で外界と行き来することが困難なこの島は本来ならもっと原始的な生活をしていたとしても不思議ではない。
文明の発達度というものは本来交流の多い国や地域同士で似通う傾向があり、一国の中の経済だけで国民に裕福な暮らしをさせるのには限界があることくらい医者の私にだって想像が付く。
しかし船で他国との交易を図れないとなると、残る手段はこのドラゴンが持っている翼くらいしか・・・

「まさか、あなたがその・・・他国との交流役を・・・?」
「そう・・・人の姿を借りて他国で尾孔竜由来の薬品を売り、この島の人間達を潤すのがワシの役目なのだ」
「ドラゴンのあなたが、何故そこまでして・・・」
正直、私は頭が混乱していた。
このドラゴン・・・いや国王は、自らが率先して他国との交流を図り、町で暮らす人々の為に尽力している。
しかしその一方で罪を犯した人間はたとえ幼い子供でも極刑として尾孔竜達の餌にされ、ある種の恐怖政治を敷いているという奇妙な社会情勢が出来上がっていたのだ。

「もう随分と昔の話になるが・・・ワシは、かつてノーランドという名の国に程近い森で暮らしていた」
ノーランド・・・学生の頃大陸の歴史を勉強していた際に、そう言えばそんな王国の名を目にした記憶がある。
今から数百年前、周囲を深い森に囲まれたノーランド王国は人間に姿を変えることの出来る凶暴なドラゴン達の脅威に晒されていたという。
しかし当時の国王がその屈強な兵士達を率いてドラゴン狩りを敢行したことで、1年も経つ頃には森でドラゴンの姿を見掛けることはほとんど無くなったそうだ。
とは言ってももちろん全てのドラゴンが退治されたということはなく、人間に化けられるという能力を使って人間達の町の生活に溶け込んだり他の地域へと移り住んで行ったというのが真相らしい。
ということは、このドラゴンもその頃の生き残りということなのだろう。

「では・・・人を襲う危険なドラゴンとして故郷を追われたのですね?」
「全ての同胞が人間の敵だったわけではない。友好的とまでは言わずとも、人間に無関心な者は大勢いたのだ」
「あなたもそうだったと?」
その私の問いに静かに頷くと、ドラゴンが大きく長い息を吐き出しながら先を続ける。
「森を追われても、ワシは特に人間を敵視しなかった。棲み難くなった住み処は、離れれば良いだけだからな」
ドラゴンのその言葉に、私はほんの少しばかり胸を痛めていた。
人間など歯牙にも掛けないようなドラゴン達も、時には肩身の狭い思いを強いられることがあるのだろう。
「ただ住み処を転々とする内に、ワシは同じように人間に排斥されている同胞達を護ろうと思い付いたのだ」
「それで、この島にいる尾孔竜達を・・・」
「そう・・・ワシが初めてこの島に辿り着いた時、人間達の町はまだとても小さくてみすぼらしいものだった」
目の前でゆったりとその巨体を丸めながら、ドラゴンが昔を思い出すように部屋の天井へと視線を向ける。
「しかし島にいた尾孔竜達もまた人間達に狩り出され、その数ももう数える程度になってしまっていてな」
それからこのドラゴンが尾孔竜達を保護する為に何をどうしたのかについては、私にも予想が付いていた。

「ワシはまず、竜の姿を明かして町の人々を脅かした。もちろん、誰の命も奪うことはしなかったが・・・」
それはそうだ。
これから町を統治しようという者が突然そこに住む人を殺したのでは、行き着く先は蜂起や暴動だけだろう。
「そして雌の尾孔竜だけをこの城に移し、法に従う限り人々の生活はワシが保証すると彼らに告げたのだ」
「でも・・・雄は一体何処へ?」
「雄は全て、人間達に引き渡したよ。尾孔竜は、人間との交尾でも仔を産むことができる種だからな」
成る程・・・雌雄の尾孔竜を4組飼えば1度に4匹の仔竜を産めるが、食事の度に8人の人間が犠牲になる。
しかし雌竜を4匹だけ飼えば人間の男との間に同じく4匹の仔竜を産めて、犠牲者は半分で済む。
このドラゴンも、尾孔竜の種は残しつつも人間達の犠牲は最小限に抑えられるよう色々と考えているのだろう。
「産まれた仔は成竜になるまで厳重に隔離された森へと放し、その後に人間達の手で薬品に加工されるのだ」
「そしてあなたがそれを他国で売り、この町を潤しているということね」

これは保護というよりも寧ろ、尾孔竜達の養殖と言った方が良いだろう。
一部の尾孔竜達は多くの仔竜を犠牲にして人々を助け、罪を犯した一部の人間が彼らの糧となる。
互いに互いを必要以上に侵さず対等な立場で共存していることを考えれば、多少過激に見えても人々に対して公平で厳正な処分を下すことは秩序の維持に一役買っているというわけだ。
そのシステムをたった1匹で何十、何百年と維持しているこのドラゴンの働きを考えれば、私としてもこれ以上感情に任せた倫理観を振り翳すことはできそうになかった。

「それで・・・私はこの後どうすれば?」
「残念ながらこの島に流れ着いてしまった以上、船で出て行くことは難しいだろうな」
「では・・・このまま島で暮らせと言うのですか?」
何処か申し訳無さそうな表情で頷いたドラゴンの様子に、私は小さな溜息を吐いていた。
まあそれでも、それは私にとってはさして悪い話でもないだろう。
元々私が大陸に向かっていたのは旅をして医者としての見識を広める為だったが、この島は外界では滅多に見ることの出来ない幻の薬が当たり前のように存在しているのだ。
そんな夢のような場所で医者として仕事が出来るのなら、正直に言って何も文句は無い。
もう家に帰ることは出来ないかも知れないが、取り敢えず当面はこの島で地盤を固めてみるのも良いだろう。
私はそう心に決めると、人間の姿に戻ったドラゴンの案内で玉座の間を後にしたのだった。

その日の夜から、私は国王の勧めで数日間町の宿に泊まることになった。
何でも、私が医者として開業する為の準備をしてくれるのだという。
中身がドラゴンなせいで今一つ実感が湧かないと言うか奇妙な感じがしてしまうのだが、やはり長い間人間の町を治めているだけあって彼はこの町のことは何でも知っているのだろう。
そしてしばらく宿を拠点に町の様子を見て回る日々が続くと、ようやく遣いの役人達が私の宿を訪れていた。

「クローナ殿、国王様より診療所の準備が整ったとの知らせです」
「ありがとう、今行きます」
城で国王に謁見してからまだ5日・・・もう診療所の準備が整ったのだろうか?
そう思って彼らとともに馬車に乗って15分程町の中を移動すると、やがて海岸に程近い道沿いに建てられた小さな2階建ての建物が見えてきた。
私が最初にこの島へ流れ着いた時に治療を受けた診療所から、歩いて数分程の場所だ。

「ここが、クローナ殿の診療所です」
建物は新築ではないようだが、中は綺麗に清掃されている上に医療機材や薬品などが既に取り揃えられている。
恐らく、元々誰かがここで診療所を営んでいたのだろう。
「ここには、元々誰かいたのですか?」
「ええ。夫婦で医者をやっていた者達が町中に移転を希望していたので、それを支援してここを空けたのです」
成る程、つまり居抜き物件というわけか。
しかし同時に移転を望んでいた元の所有者も希望が叶ったわけだから、役人の仲介の仕方としてはこれ以上無い最良の方法と言っても良いだろう。

この国はそこそこ人口が多いだけに納税額もかなりの高額になるのだろうが、役人の給金に充てられる以外ではそのほとんどがこうして住人達への福利として還元されているらしかった。
閉鎖された島国の中だからこそ可能になる特異な福祉制度なのかもしれないが、この社会を確立したのが人間ではなく1匹のドラゴンであるということが私には今もまだ信じられないでいる。
とは言え、今は新たな生活の場を与えられたことを素直に喜ぶべきなのだろう。
そして医者として開業するのに必要な物が一通り揃っていることを確かめると、私は役人達に礼を言って微かに消毒液の匂いが混じった新天地の空気を吸い込んでいた。

元々町の大きさや人口に対して病院や診療所の数が多いだけに、私は開業した当初それ程多くの患者が来るとは思っていなかった。
それでも開業の記念に格安での診療を開始してみると、1日に30人以上もの人が私の診療所へと足を運んで来る。
そのほとんどは身形からしてあまり裕福とは言えない層の人々らしく、優秀な薬や医者が多い町の中でもロクに医療が受けられないと嘆く声が幾度も私の耳に入って来た。
もちろん、どんなに明るくて近代的な町や国にもそう言った人々は存在する。
いわゆる貧民層と呼ばれる彼らは稼ぎ頭の夫や子供を失った未亡人や老人が多く、中には危険を冒して薬屋から薬を盗んで病気の家族の看病をしたりしているケースも少なくないらしい。
彼らが一歩間違えれば重罪になるそんな告白を私に対してしてくれたのは私が外界から来た人間だからというのもあるのだが、一番の理由は薬品の窃盗が適用されるのは現行犯に限るという制約があるからだった。

つまり盗んだところを見つからなければ、或いは役人から逃げ果せられれば、罪には問われないというのだ。
一見すると窃盗犯罪を助長しているような奇妙な制度だが、少し考えればその理由は明確と言える。
現行犯なら証拠集めや裁判などといった面倒な手続きを踏まずに、即座に罪が確定する。
恐らくはその日の内にでも、捕まった人間は尾孔竜の腹の中・・・いや、尾の中なのに違いない。
尾孔竜の餌として罪人を確保したい役人達の思惑からすれば、こうした貧民層が生活や病気に苦しんで薬品の窃盗を犯すように仕向けるのが狙いなのだろう。
しかしそれでも、彼らは死刑のリスクを承知の上で生きる為に罪を犯さなければならない立場に置かれている。
そんな彼らにとって、有償とは言え他よりも格安でかつ合法的に病気の治療を受けられる私の診療所は正に渡りに舟と言える存在らしかった。

そんな大勢の患者達を相手に忙しい日々を過ごしていて私が何よりも痛感したことは、尾孔竜由来の抗生物質であるブロデトキニーネの効能の素晴らしさだった。
尾孔竜の血液から作られるというこの薬品は、炎症の抑制、殺菌、感染症の予防、血圧の正常化、食中毒の中和、蜂やムカデなどの毒虫による傷の消毒とその用途が恐ろしく広いのだ。
その上比較的多量に投与しても副作用による健康被害の報告は私が知る限りただの1度も無く、ほとんどの一般家庭に常備されていると言われる程の優秀な薬なのだという。
医者という立場から言えばその存在を想像するのは難しいのだが、それでももし"万能薬"などという物を思い浮かべるとしたら正にこの薬こそがその名を冠するに相応しい効能を持っているのではないだろうか。
しかしそれだけに診療所に常備された無数の薬の中でもブロデトキニーネの消費量は群を抜いていて、私は3日に1度は町の薬屋へと薬品の補充に走る生活を送っていた。

そして診療所を開業してから2週間程が経ったある日・・・
私は何時ものように、薬品の補充の為に町の薬屋を訪れていた。
だがやはりブロデトキニーネは何処の家庭や病院でも引く手数多の商品なせいか、今日は3軒回ってようやく売れ残っていた小ビンを1本手に入れられただけだった。
普段ならもう少し簡単に手に入っても良いはずなのだが、たまにはこういう日もある。
しかし気を取り直して道の斜向かいにある4軒目の薬屋へと目を向けたその時、私はふと小さな少年が1人で店の中へ入って行ったことに気付いていた。

あの子は・・・確かに見覚えがある。
前に私が初めてこの町を訪れた時に、ブロデトキニーネのビンを盗んで役人達に追われていたあの少年だ。
以前と全く同じみすぼらしい格好をしているところを見ると、きっと彼も貧困層の子供なのだろう。
ということは、また薬を盗もうとしているのだろうか?
もし薬を盗んで役人に捕まればそのままあの恐ろしい尾孔竜の餌食にされてしまうというのに、それでも命懸けで盗みを働かなければならない彼の境遇に私は一抹の同情を感じていた。
だが更に少年の入っていった薬屋に近付いていくと、店の入口から少し離れたところに2人の男が立っている。
着ているのは普通の私服のようだが、2人ともコソコソと物陰に隠れるようにしながら薬屋に入っていった少年の様子をじっと窺っている。

まずい・・・あれは役人だ。
きっと薬の窃盗罪を立件する為に、あの少年が薬を盗む瞬間を待ち構えているのに違いない。
このままでは彼は役人達に捕らえられて・・・今日中には尾孔竜に食い殺されてしまうことだろう。
私はそんな想像に覚悟を決めると、恐らくは店を出た少年が逃げてくるであろう方向へと進路を変えていた。
そして人目に付き難い建物の陰にそっと身を潜めると、その瞬間に備えてゆっくりと深呼吸する。
だが次の瞬間、右手に小さな薬のビンを握り締めた少年が勢い良く店から走り出して来た。
それを見た役人達が、素早く物陰から飛び出して彼の後を追跡し始める。
流石に待ち伏せされていただけあって、少年と役人達の距離は20メートル程度しかない。
どうみても子供の足で逃げ切れる距離には見えず、私は予想通りこちらに向かって来た少年の前に飛び出して彼の体を捕まえるとその右手からブロデトキニーネのビンを奪い取っていた。
「わっ!」
そして役人達の死角で、小さな買い物袋に入れてあった自分の薬のビンを少年のポケットに捻じ込んでやる。
「ここは私に任せて早く逃げなさい」
小声で囁いたそんな私の言葉を聞いて何とか状況を把握したらしい少年がその場から走り去ると、私は後を追って来た役人達の前に少年から奪い取った薬のビンを翳していた。

「何だお前は?」
「この薬は私があの子に盗ませたの。捕まえるなら私を捕まえて」
「本気で言っているのか貴様?尾孔竜由来薬品の窃盗は重罪、つまり死刑になるのだぞ?」
もちろん、そんなことは分かっている。
しかし毎日貧困層の人々を相手にしている内に、私は彼らの苦しい生活の様子を肌で感じていたのだ。
あの少年はきっと、他に比べれば3割程度しか料金を取っていないこの私の診療所にさえ通えない程に生活が苦しいのだろう。
しかも、あの少年はどう見ても家族の誰かを助ける為に薬を盗んでいる。
薬品の窃盗が罪であることやその理由は重々承知しているが、それでも私は彼を役人達に捕まえさせるわけにはいかなかったのだ。
「覚悟の上だな!?」
「・・・ええ」
そしてそんな静かな返事を聞き届けると、彼らは両腕に手錠を嵌めた私を予め薬屋の傍に停めてあった馬車へと引き立てていったのだった。

山の上の城へと向かう馬車の車中、私はずっと無言のまま下を向いていた。
結局のところ役人達が罪人を捕まえるのは尾孔竜への餌としてなのであって、相手はあの少年でも私でも或いは他の誰かでも構わないのだろう。
そういう意味では半ば常習的に薬を盗んでいるあの少年など役人達にとっては何時でも捕まえられる存在なわけだから、彼の罪を被った私を代わりに捕らえられたのは彼らにも好都合だったのに違いない。
そしていよいよ大きな古城の前に到着すると、私は城のホールに設置された尾孔竜達の檻の間を通って地下にある小さな独房のようなところへと入れられていた。
細い通路沿いに設置された幾つもの部屋には私の他にも大勢の罪人達が繋がれていたのだが、やはりそのほとんどは薬を買う金も無いような貧困層の若者達らしい。
尾孔竜達の檻の間を通って来たことで、彼らは自分達が一体どういう末路を辿るのか理解しているのだろう。
檻の間から手錠を掛けられた私を見つめる尾孔竜達の目には、明らかに美味そうな獲物を前にした期待感が溢れていたからだ。

そして少し寒い独房の中で1時間程絶望的な思いを味わっていると、唐突に地下へと降りて来た2人の役人達が通路から罪人達を選別し始めていた。
一体何事かと思って鉄格子の間から様子を窺っていると、18歳くらいの若い男とまだ9歳くらいに見える少女が役人達に引き立てられて階上へと連れられていく。
その余りに突然な出来事に、周囲の他の罪人達から恐怖の入り混じったどよめきが生まれていた。
彼らはきっと・・・尾孔竜達の檻へと連れて行かれたのだろう。
城のホールに8匹程飼われている尾孔竜達はそれぞれ食事の時間が違うのだろうからその都度こうして地下牢から罪人達を引っ張って行くのは理解できるのだが、それなら何故役人達は人を選んだのだろうか?
どうせここにいる人々は皆一様に尾孔竜の餌になる運命なのだから、恐らくは体も弱っているであろう先に捕まった連中から連れて行く方が理に適っているはずだ。
しかしそれから更に2時間もすると、またしても地下に降りて来た役人達が私の牢の前で立ち止まっていた。

「クローナ、出ろ。お前の番だ」
「え・・・?」
ほんの3時間程前にここに連れて来られたばかりの私が・・・一体何故・・・?
だが脳裏に浮かんだそんな疑問に明確な答えも見出せぬまま、私は半ば強制的に牢の外へと連れ出されていた。
「ま、待って・・・何で私なの?私はついさっきここに来たばかりなのよ!?」
「お前くらいの若い娘が好物の奴がいてな。生憎と、お前の他に丁度良い奴がいなかったのさ」
好物・・・?
それじゃあ役人達が連れて行く罪人達を選んでいたのは、餌をやる尾孔竜の好みに合わせていたということか。
恐らくはホールで飼われている尾孔竜達も、そうした餌の好みが各々異なるのに違いない。
老若男女の罪人達を効率良く餌にできるように、敢えてそうしているのだろうことは容易に想像が付く。
しかし子種を搾り取ることもできない女の私を敢えて餌に選ぶような尾孔竜とは、一体どんな奴なのだろうか?

私は少しばかり諦観の滲んだそんな好奇心を胸に秘めたまま、いよいよ巨大な檻の並んだ城のホールへと連れて来られていた。
そして通路からは少し離れたところに設置されていた檻の前までやってくると、役人達がおもむろに私を檻へと投げ込む為の梯子を用意し始める。
その瞬間檻の高さ3メートル程のところに取り付けられた小さな穴が、私には何だか全てを呑み込む恐ろしい奈落のように見えていた。
細い檻の隙間から中を覗いて見ると、まるで老婆のような険しい表情を浮かべた桃色の巨竜が不気味な笑みを浮かべながらこれから差し入れられるであろう餌を待ち構えている様子が目に入ってくる。

これから私は・・・あの尾孔竜に食い殺されるのだ。
尾孔から溢れる麻痺性の体液で体の自由を、容赦の無い陵辱で人間としての尊厳を、あの嗜虐的な微笑で生に縋る希望までもを奪い取られ、成す術も無くあの醜悪な尾に呑み込まれる最期・・・
一切の肉体的な苦痛を伴わぬ処刑方法だとは言え、私は今更になって湧き上がって来た余りの恐怖に思わず両手で顔を覆ったままその場に崩れ落ちてしまったのだった。

泣き叫ぶ 黙って従う

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