バサッ・・・バサッ・・・
冷たい風の吹く高空を力一杯羽ばたきながら、私はなおも変わらずに背後から迫ってくる3つの大きな黒い影の気配に微かに辟易の混じった息を吐いていた。
あの連中は、里の掟とやらがそれ程までに大事なのだろうか?
私のしたことは、族長争いの儀によって共に暮らす若い娘に少しばかり竜の秘儀を漏らしたことだけ・・・
3年間もの長い期間お互いの命を共有する相手なのだから、私はその人間の同意を得て彼女の命数を計ったのだ。
結果としてその娘は長生きすることが分かって喜んでくれたし私も安心して命の契約を結ぶことが出来たのだが、その過程で人間に竜の秘儀を伝えたことがどうやら里の連中の逆鱗に触れてしまったらしい。

だが幾ら私が里の掟を破ったとは言っても、あんな血気に逸った刺客を3匹も送って来るなどどうかしている。
執拗に私の後を追い掛けてくるあの雄竜達は何れも私より一回り体が大きく性格も残忍な連中で、平和な里の中にあってはどちらかというとならず者に分類されるような者達だ。
そんな凶暴な雄竜達に命を狙われているというこの状況は元来楽天的な性格の私にも十分過ぎる程の脅威ではあったものの、だからといって素直に彼らに嬲り殺しにされてやる程軟弱に育った覚えは無い。
仕方無い・・・このまま永遠に彼らから逃げ続けるわけにもいかないだろうし、何処かで覚悟を決めてあの連中と爪牙を交える必要があるのだろう。
私はしばらく続いた果て無き逃避行の末にそんな覚悟を胸の内に固めると、小さな人間達の村を麓に抱える前方の山へと向かって少しずつ高度を落としていったのだった。

「う・・・ゲホッ・・・ゲホゲホ・・・ゴホ・・・」
静かな農村の片隅に建つ、こじんまりとした診療所・・・
その奥にある洗面所で、僕は鏡に映る痩せこけた自分の顔を目にするなり激しく咳き込んでしまっていた。
そして反射的に口元を覆った手にベットリと付着していた真っ赤な血を水で洗い流すと、何事も無かったかのように平静を装って待合室で待っている大勢の患者さん達に姿を見せる。
「せ、先生・・・大丈夫ですか?」
この村の住人はその半数以上が高齢のお年寄りなのだが、それでも日を追う毎に生気を失っていく僕の様子に気を遣ってくれているのか彼らは自分達の体の不調を必要以上に訴えることが無い。
もちろんそれは医者である僕の立場からすると必ずしも良いこととは言えなかったものの、同時に不治の病に侵されている1人の人間としては非常にありがたいことでもあった。

「ええ、大丈夫です・・・さ、診察の続きを・・・」
これはある意味直感でしかないのだが、多分僕の命もそう長くはないのだろう。
医者の不養生と言われてしまえばそれまでとは言え、次々と転移してあっと言う間に全身を侵したこの厄介な病を完治させる術はきっと今から数百年先の未来でさえ確立はされていないのに違いない。
それに・・・まだ医者になり立てだと言うのにこの無医村に腰を落ち着けることを決意してからの5年間は、それなりに人々の役に立つことが出来ているという実感に満ちた人生だった。
今更自分の死期が迫ったことを自覚し始めたところで、これまでの生き方を変えるつもりは毛頭無い。
僕を必要としてくれている村の人々には正直申し訳無いものの、僕はこの診療所で最期を迎えることが出来るのなら決して長いとは言えなかった自分の生涯に一片の不満も持つ理由が見出せなかったのだ。

バサッ・・・バサバサッ・・・
それから数分後、私は背後から聞こえる複数の羽音に耳を傾けながら森の中にある小さな泉の畔へと着地していた。
何時まで続くとも知れない不毛な追跡劇の終焉に、遅れてやって来た追っ手の雄竜達の顔に微かな安堵と里の掟を破った不届き者に制裁を加えられるという嗜虐的な喜悦の色が滲んでいる。
静かな水辺で4匹の大きな黒竜達が睨み合う様は周囲の獣達にも不穏な気配を撒き散らしたのか、ついさっきまで聞こえていた鳥の鳴き声や木々の葉の擦れる音さえもが圧倒的な静寂の波に呑まれて消えていた。
「フン・・・ようやく覚悟を決めたようだな、若造め」
「大婆様は貴様を生かして連れ帰れと仰ったが、その前にたっぷりと痛め付けてくれるわ」
私を生かして連れ帰れだって?
こんな慈悲の欠片も無い野蛮な連中に私の追跡を任せた以上、それが本心かどうかさえ疑わしいものだ。
「私とて、今更自分のしたことを弁明する気は無い。だがこれ以上私を付け狙うというのなら、受けて立つまでだ」
そしてそんな私の言葉に好戦的な表情を色濃くした3匹の黒竜達が身構えると、私は何処か暗澹とした気分になりながらも彼らに応戦するべく静かに身を低めたのだった。

大勢の同胞達が身を寄せ合って暮らす、深い山奥にひっそりと佇む竜の里・・・
その平和に満ちた里の中にあって、黒竜の一族だけは数年置きに5歳を過ぎた若い竜達が挑む族長争いの儀によって里に暮らす全ての同胞達を束ねる長を選出するという仕来りがあった。
もちろんそれは身分や産まれの違いによる上下関係などという低俗な理由ではなく、我ら黒竜が里に人間の文化を持ち込む為の橋渡しのような役割を担っているが故の訓練の一種だった。
長命の竜族とは違い百年にも満たぬ短い生涯を送る人間達はその高度な知恵や精巧な技術において他の一切の生物の追随を寄せ付けぬ程に進歩しており、彼らの複雑な社会性もまた里に生きる同胞達の間に深く根付いている。

しかしそんな里の纏め役を買って出ている立場の割に、私を含めた黒竜達は竜族としての戦闘力が極めて低かった。
数百年という永い年月を生きた者でも体高は人間より少々高くなる程度でお世辞にも巨躯とは言い難いし、そうかと言って灼熱の炎を吐けるわけでも生まれ付き特殊な力を持っているわけでもない。
背に生えた大きな翼と申し訳程度には鋭い爪牙のお陰でそこらの獣を仕留めることくらいは問題無いものの、他の同胞と戦って勝てるかと問われればそれを自信満々に肯定するのは甚だ難しかった。
だがそれでも自身より一回り大きな同胞達に襲われようとしている私にとってせめてもの幸運があるとしたら、それは今私の前に立ち塞がっている3匹の雄竜達もまた私と同じ黒竜の一族であるということだろう。
確かに3対1というこの状況は私にとって大いに不利には違いないものの、他の同胞達から見ればこれは子供の喧嘩にも等しい平和な争いに過ぎないのだから。

「グオオァ!」
やがて唐突に周囲に響き渡った開戦の狼煙とともに、正面にいた雄竜が一気にこちらへ飛び掛かって来た。
生け捕りにしろという大婆様の命令がもし本当ならば彼らも本気で私を殺すつもりは無いのかも知れないが、それでも連中に捕まればどんな目に遭わせられるか分かったものではない以上私の方は本気にならざるを得ない。
そして素早くその場を飛び退いて勢い良く振り下ろされた爪の一撃をかわすと、私は地面に着地した雄竜にすぐさま牙を剥いて襲い掛かっていた。
「ガウォッ!」
ガブッ!
相手を1匹だと思って油断していたのか攻撃を避けられた時のことまでは考えていなかったらしく、標的を見失って踏鞴を踏んだ雄竜の無防備な首筋に私の牙が深々とめり込んでいく。
「ウガッ・・・ガ・・・グガガッ・・・」
喉を噛み締められる痛みと息苦しさに雄竜が派手に身悶えたものの、私は何とか両手足で地面を踏み締めると更に勢い良く咥え込んだ雄竜の首を力一杯振り回していた。

「おのれ若造め!」
そんな仲間の窮地を目にして一瞬動きを止めていた他の2匹もようやく我を取り戻したのか、怒号のような唸り声を上げて次々と私に飛び掛かって来る。
ガッ!バグッ!
そしてそのまま私の両腕にそれぞれの大きな顎が無数の牙を突き立てて食い付くと、私達は4匹が縺れ合うようにして森の広場の上で激しくのた打ち回ったのだった。

それから十分後・・・
メキ・・・ミシミシ・・・
「グ・・・ゥ・・・ガッ・・・」
私は全身に数え切れぬ程多くの切り傷や噛み傷を拵えながらも、ようやく最後の雄竜の首筋に噛み付いてその息の根を止めようとしていた。
他の2匹の雄竜達は既に腹や眼を抉られた血塗れの惨い姿で周囲の地面の上にその骸を晒していて、今また1つ、私の顎の中で同胞の命が潰えようとしている。
「アゥ・・・」
ドサッ・・・
やがて顎に咥え込んでいた雄竜が完全に動かなくなると、私は満身創痍の体をドサリと地面の上に横たえていた。

「フゥ・・・フゥ・・・」
激しい疲労と苦痛が、傷付いた全身をまるで鉛のように重く蝕んでいる。
大勢で1匹を生け捕りにしようとした彼らと死してなお連中に一矢報いようと足掻いた私との覚悟の差がこの奇跡的な勝利に繋がったのは疑いようが無いのだが、私の負ったこの無数の傷も十分に致命傷ではないのだろうか?
そしてそんな微かな不安に胸を締め付けられながらも冷たい泉の水をゴクゴクと飲み下すと、私はまるで自分のものではないかのように重く気怠い体を引き摺って薄暗い森の中へと這っていったのだった。

翌日、僕は何時ものように朝早く目を覚ますと、ここ最近の日課となっている散歩に出掛けることにした。
死病に侵されたこの体も今はまだ時折喀血する以外には日常の生活にそれ程大きな影響が出ていないのだが、遅くとも後数ヶ月もすればこうして自力で歩くことも困難な程に病状が悪化してしまうのだろう。
医師であるだけにそんな危機的な自身の状況がこれ以上無いくらいにはっきりと分かってしまうのは確かに恐ろしいことだったものの、そのお陰で残された命を有意義に過ごそうという気力もまた湧いてくるのだ。
やがて家の扉を開けてまだ誰の姿も見えない閑散とした通りに出てみると、新鮮な森の空気でも吸いに行こうかと村の傍に聳え立つ山の方へ自然に足が向いてしまう。

「ん・・・あれ、何だろう・・・?」
だが疎らに生えた木々の間を通る細い小道を歩いている内に、僕は前方の太い木の根元で蹲る大きな黒い生物の存在に気付いてその足を止めていた。
ずんぐりとしたその体は蹲った状態だというのに僕の腰の高さ程もあり、全体が黒光りする鱗のようなもので覆われているらしい。
更に背中と思われる場所からは乳白色の薄い膜を張った翼のようなものが生えていて、長く伸びた首の先に備わった流線形の頭部が力無く地面の上に垂らされている。
あれは・・・ドラゴン・・・だろうか?
まだこの目で実物を見たことは無かったものの、その名前だけは人の噂や書物を通して知っている伝説の存在。
しかしそんな珍しいドラゴンの姿を初めて目の当たりにしたことよりも、僕はその全身が酷く傷だらけで恐らくは血塗れに近い状態なのであろうことに驚きの表情を浮かべていた。

翼膜を除けばその全身がほとんど黒一色に染まっているお陰でかなり分かり難いものの、20メートルは離れているここからでも腕や脚はもちろん翼や尻尾にまで深い裂傷や噛み痕のような痛々しい怪我が見て取れる。
しかもきつく閉じられているらしいドラゴンの眼には明らかな苦痛の色が浮かんでいて、僕は一目でその雄竜が深手のせいで動けなくなっているのだろうことを悟っていた。
どうしよう・・・引き返そうか・・・
初めて目にするドラゴンという異質の存在に、一瞬そんな思考が脳裏を過ぎる。
だが最後まで医者としての人生を全うしようと心に決めていたこともあり、僕は酷い怪我を負って苦しんでいる目の前の存在を見捨ててその場を離れることがどうしても出来なかったのだ。
それに・・・どうせ僕は黙っていても先の長くない命だ。
仮にここであのドラゴンに襲われて命を落としたとしても、特に未練があるわけでもない。
そしてそんな諦観にも似た覚悟を胸の内に固めると、僕はそっと足音を殺しながらも依然としてピクリとも動く気配の無いドラゴンに向かってゆっくりと近付いていった。

「だ、大丈夫かい・・・?」
確か、ドラゴンの多くには人間の言葉が通じるはずだ。
だが明らかに聞こえたであろうそんな僕の声にも、ドラゴンが反応する様子は無い。
やはり、怪我の苦痛か或いは酷い出血のせいで気を失ってしまっているらしかった。
まずい兆候だ・・・ドラゴンの体の構造が分からない以上はっきりとしたことは言えないものの、地面に広がった血溜まりの様子から見ても体の大きさに比して出血量が危険な水準に達しているのは恐らく間違い無い。
そしてもしこのドラゴンが出血性のショックで気絶しているのだとすれば、適切な処置をしない限りこのまま2度と目を覚ますことは無いだろう。
とにかく、出来るだけ早い止血と消毒と傷の縫合・・・それに十分な栄養補給が必要だ。
仕方無い・・・道具を取りに一旦診療所へ戻るとしよう。
「なあ、辛いだろうけど、もうちょっとだけ待っててくれよ・・・」
僕は恐らく聞こえてはいないだろうドラゴンの耳元にそう呟くと、素早く身を翻して来た道を引き返していた。

それから15分後・・・
僕は診療所から一通り怪我の処置に必要がありそうな道具類を取って再びドラゴンのいた場所まで戻ってくると、さっきと全く同じ姿勢のまま動いていない大きな"患者"の傍に腰を下ろしていた。
「さてと・・・まずはここからだな・・・」
他のドラゴンに噛み付かれでもしたのか、硬い鱗で覆われているはずの首筋に恐らくは牙が突き刺さったのだろう血に濡れた深い傷が幾つも並んでいる。
そこらにいるような普通の獣だったなら、まず間違い無くこの傷だけで致命傷だろう。
流石に鱗には縫合用の細い針が刺さらないので、鱗の内側で傷口を縫い合わせるようにゆっくりと針を通していく。
そして5分程の時間を掛けてようやく噛み傷の1つを塞ぐことに成功すると、僕はフゥーと大きな息を吐いて次の傷に針先を移したのだった。

全身にこれだけの大怪我を負いながらもまだ浅い呼吸と確かな温もりを保っているドラゴンという生物の生命力にはただただ驚かされるばかりなのだが、果たして僕にはこのドラゴンを助けることが出来るのだろうか?
それに仮に怪我を治して回復させることが出来たとしても、その先は・・・?
体の大きさの割にはまだ比較的若そうなこのドラゴンがこの先元気に生きていけるのかどうかについて、残念なことにそれを見届けるだけの時間が僕には残されていないのだ。
だが治療の最中はそんな不安や雑念を頭の中から追い出さなくては、今正に目の前で消え掛けようとしている命に手が届かなくなってしまう。
そして根気の要る細かな作業で額に掻いた汗を何度も袖で拭いながら、僕は何時まで経っても全く数が減った気のしないドラゴンの傷口をひたすら縫合し続けていた。

それから3時間程が経った頃・・・
僕は溜まりに溜まった疲労についに音を上げると、大きく息を吐いて糸を切った手を止めていた。
「ふぅ・・・少し休憩しようか・・・」
医者という職業には、当然のことながら人一倍の集中力が必要だ。
だがそこらの一般人に比べれば長続きするだろう医者の集中力というものにも、流石に限界はある。
まあ目に見える部分だけでも7割程度は処置が終わっているし、後は血の止まっている小さな傷の手当てだけだから取り敢えず出血による衰弱は止められたことだろう。
血圧が回復したせいか微かに聞こえるドラゴンの心臓の鼓動はさっきまでより多少強くなったように感じるものの、やはり目を覚ます気配が無いところを見ると相当に弱っているのだろう。
治療用の道具の中に人間用の栄養剤や点滴の類も一応は入っているのだが、果たしてこれがドラゴンにも効果のあるものなのかは流石の僕にも分からなかった。

「取り敢えず・・・1本打ってみるか・・・」
まあドラゴンとは言え脂肪とタンパク質で出来た有機体であることに変わりは無いし、獣を食べて生きているのだからブドウ糖の注射くらいなら恐らく副作用の危険性も低いだろう。
やがてそんな何の根拠も無い推測を元にまだ塞いでいない腕の小さな傷口から試しにブドウ糖を注射してみると、これまで全く動く気配の無かったドラゴンが突然ビクッとその身を震わせていた。
「わっ!」
だがそれ以上動かないところを見ると、意識が戻ったと言うより傷口に針を刺された刺激に反応しただけらしい。
「ふぅ、びっくりした・・・でも、注射は打っても大丈夫そうだな」
そしてそれから更に1時間程掛けて残りの傷口も一応塞いでやると、僕はすっかり疲れ切ってほんのりと温かいドラゴンの脇腹に背を預けて地面へと座り込んでいた。

「グ・・・ゥ・・・?」
まるで長い長い眠りから覚めたような、全身を蝕む重い倦怠感。
だが余りの出血と何処か陶酔感にも似た意識の遠のく感覚に恐らくもう2度と目を覚ますことはないだろうと半ば確信していたというのに、何故私は再び意識を取り戻せたのだろうか?
それに、心なしか気絶する前よりも少しばかり体が軽い気がする。
そしてそんな尽きぬ疑問に閉じていた眼を静かに開けて周囲を見回してみると、私は自分の脇腹に背中を預けて眠っているらしい1人の人間の若者の姿を認めて驚きの表情を浮かべていた。
何故人間がこんなところに・・・?
だがそう思った次の瞬間、何度も追っ手の雄竜達に噛み付かれて無残に鱗が剥げていたはずの腕の傷がどういうわけか綺麗に塞がっている様子が私の目に入っていた。
細い糸のようなもので傷口が鱗の内側で縫い合わせられているような感触があるのだが、もしやこの人間が私の命を救おうと怪我の手当てをしてくれたとでもいうのだろうか・・・?

まあ仮にそうだとしても、随分疲れているらしいこの人間を起こしてそれを訊くのは少しばかり気の毒な気がする。
怪我の手当てをしてくれた上に私に身を預けて眠っているくらいなのだから竜を恐れているわけでもなさそうだし、いきなり逃げ出すような心配が無いのであれば私ももう少し体を休めることにしよう。
私はそう心に決めると、ぐっすりと眠っている人間を起こさぬように気を使いながら地面の上に組んだ腕の上へゆっくりと頭を載せたのだった。

さわさわと頬を撫でる、昼下がりの心地良い風の感触。
そんな清々しい目覚めを誘発する優しい刺激に、僕は静かに意識を覚醒させていた。
背中には深い呼吸に上下する温かいドラゴンの脇腹がまだ触れたままになっていて、それが何とはなしに不安に駆られていた僕の心を落ち着かせてくれる。
まだ、ドラゴンは目を覚まさないのだろうか?
だがそう思ってドラゴンの顔へ目を向けてみると、僕はその姿勢が朝とは少し変わっていることに気が付いていた。
さっきまでは激しい苦痛に歪められた顔が無造作に地面の上へ投げ出されていたというのに、今は十字に組まれた両腕を枕にしたドラゴンの顔に柔和な表情が浮かんでいる。
ということは、きっとこのドラゴンは一旦意識を取り戻したのだろう。
そして自身が助かったことと僕の存在を認めて、もう1度静かな眠りに就いたのに違いない。
如何に覚悟の上とは言え内心ではドラゴンが目を覚ました途端に襲われるのではないかという危惧がどうしても拭えなかったのだが、これで彼が少なくとも僕に対して敵意を持った存在ではないことが証明されたわけだ。

やがてそんな推測に1人で勝手に納得していると、僕が動いた気配に気付いたのかドラゴンも目を覚ましたらしい。
そしてまだ開いたところを見たことの無かった大きな竜眼が開けられたのを目にすると、僕は些か緊張しながらも囁くような声で彼に"容態"を訊ねていた。
「やぁ・・・気分はどうだい・・・?」
だが彼はすぐにはその問いに答えず、ゆっくりと持ち上げた長い首を巡らせて僕の顔をじっくりと眺め回していた。
「お前は何故・・・私を救ってくれたのだ・・・?」
まあ、当のドラゴンからすればそれは当然の疑問だろう。
それでも別段僕のことを警戒しているわけではなさそうな様子に、僕はフゥと小さく息を吐いて気分を落ち着けるとじっと彼の眼を見つめ返しながら正直な答えを返していた。
「それは・・・医者だからさ。目の前で怪我をして苦しんでる患者を見捨てることが、どうしても出来なくてね」
「だが・・・目を覚ました私に襲われるかも知れないというのに何故この場に留まったのだ?」
医者という言葉を特に抵抗無く受け入れたということは、きっとこのドラゴンはある程度人間と交流のある種族なのだろう。
それに、多くの場合人間にとってドラゴンという存在が脅威に映るということも理解しているらしい。

偶然に、しかも初めて出会ったはずの私の怪我を全力で手当てしてくれた上に、まだ意思の疎通さえしていない段階から私のことを信頼してくれた不思議な人間・・・
しかし彼はその私の質問に答えようとして息を吸った次の瞬間、唐突に激しく咽てしまっていた。
「う・・・ゲホッ・・・ゴホッゴホホッ・・・」
そして苦しげに肩で息をしている彼の様子をじっと観察している内に、口元を覆っていた手が真っ赤な鮮血に塗れている様子が目に入ってくる。
「まさか・・・病に・・・?」
「あ、ああ・・・不治の病でね・・・今はまだ平気だけど、多分・・・後1年も生きられない体なんだよ」
何ということだ・・・もう間も無く死を迎えることが運命付けられているからこそ、彼は私に襲われる危険を承知した上でこの場に留まって私の体のことを気遣ってくれたのだろう。

「そうだったのか・・・お前に巡り合えたのは、どうやら私にとっては大きな幸運だったらしい」
「その怪我は、一体何があったんだい?他のドラゴンに襲われたみたいに見えるけど・・・」
僕はそれまで背を預けていたドラゴンから少し体を離すと、彼と相対するように地面に座りながらそう訊ねていた。
「これは・・・里に伝わる秘儀を人間に漏らした罪で、命を狙われたのだ」
「秘儀って?」
その質問に対する彼の返答は、これまで特にドラゴンという存在に対して特別な関心を持っていなかった僕にとっても非常に興味深い内容に溢れたものだった。
彼によると、様々な種のドラゴン達が寄り集まって暮らす竜の里というものが何処かにあるらしい。
その里の中で彼ら黒竜の一族は他の竜達のように特殊な力を持たない代わりに他種族との社会性に秀でていて、進んだ人間社会からその文明の一部を里に持ち込む役目を担っているのだそうだ。
そしてその社会性を伸ばす修行の一環として、人間と数年間生活を共にする試練があるのだという。
だが人間に恐れられることの多いドラゴンが人間と生活を共にするのは当然簡単なことではないらしく、それを助ける為に特殊な力を持たない彼らにも比較的容易に扱える奇跡の力が彼の言う秘儀というものらしかった。

「その秘儀っていうのを・・・どうして人間に漏らしちゃ駄目なんだい?」
「それは・・・特別な儀式を行うことで、他の同胞や人間にもその奇跡の力を使うことが出来るからなのだ」
人間にも、奇跡の力が使える・・・?
「実際、以前にも試練の後に里へ戻ることを拒否して人間に命の契約の儀を漏らした者がいたらしくてな」
命の契約とは、人間と竜の生命を共有することで相互互助を促す奇跡のことらしい。
特に族長争いの試練の為に人間と共に暮らす黒竜達は、その契約を相手の人間と交わすことで否が応にもその人間を助けなくてはならない状況に自身を追い込むのだという。
「それで・・・君もその命の契約っていうのを人間に漏らしたのかい?」
「いや・・・私が漏らしたのは対象の命数・・・つまり、残された寿命を推し量る秘儀なのだ」
「え・・・?」
誰かの寿命を量る秘儀・・・
それはもしかして、死病に侵されて余命残り少ない僕の命も量ることが出来るのだろうか?

「どうかしたのか?呆けたような顔をして・・・」
「その秘儀で・・・僕が後どれくらい生きられるのか量ることは出来るのかい・・・?」
その人間の言葉に、私はハッと声を噤んでいた。
見た目には平然としているだけに私も余り意識していなかったのだが、彼はもう間も無く死を迎えることが運命付けられている身なのだ。
しかもその原因が死病ということは、死の間際には恐らく多大な苦痛に苛まれることになるのだろう。
医師として他者の命を救うことに誇りを持って残り少ない生を全うしようとしているとは言え、まだ歳若い彼が死に対する不安や恐れを全く感じていないなどあるはずが無い。
「それは出来るが・・・本当に知りたいのか・・・?」

正確な自身の死期を知ること・・・
それは数十年先という遠い未来の話であれば特に気にすることではないのかも知れないが、彼の場合は長くて数百日・・・その上普通の生活を送ることの出来る日数は更に限られるのだろう。
「もう、覚悟は決めてるんだよ・・・でもそれが何時なのか、分からないことが僕にとって1番の不安の種なんだ」
そう言うことなら・・・
命を救われた礼にはならないかも知れないが、最早私は人間に秘儀を漏らした罪で命を狙われている身だ。
今更彼の命数を量ったところで、誰に咎められる謂れも無いだろう。

「では・・・お前の髪か爪をくれないか?髪と爪は長き命の時を刻む象徴・・・命数の儀に必要なのだ」
「あ、ああ・・・ちょっと待ってくれ」
普段髪も爪も短く切っているだけに、僕は予想外のそのドラゴンの言葉に少し慌てながら前髪を指で摘むと縫合糸を切る鋏で数本の頭髪を切り取っていた。
「これで良いかい?」
「ああ・・・少し待ってくれ」
そして差し出されたドラゴンの掌の上にその髪を載せると、彼が何かを念じるように目を閉じて意識を集中する。
「うっ・・・」
「ど、どうしたんだい?」
だが明らかに何かに対して衝撃を受けたらしい彼の様子に、僕は思わず素っ頓狂な声を上げていた。

まさか・・・この人間に残された時間がこんなにも少ないとは・・・
想像以上に救いの無い残酷な結果に、人間を見つめ返した私の顔にはきっと暗い表情が貼り付いていたことだろう。
だがそれでも、私は声が震えるのを必死で堪えながら彼に残された寿命を伝えていた。
「後・・・300日程だそうだ・・・」
「300日・・・そんなにあるのかい?」
「な、何・・・?」
10ヶ月にも満たない短い命・・・
二重の意味で私の心を苛んだその死の宣告に、しかし彼はパッと顔を輝かせていた。
「さっきは1年って言ったけど、本当はもっと短いと思ってたんだよ・・・だから、ちょっと嬉しくてね・・・」
「お前は・・・強い人間なのだな・・・」
しかしそう答えながらも、私は胸を引き裂かれるような激しい罪悪感にそっと俯いたのだった。

その日から、私は自身の命を救ってくれたその人間としばらく生活を共にすることにした。
故郷の里を追われ何処にも行く当ての無かった私と余命僅かな人間との間にある種の奇妙な親近感が芽生えたのは、お互いがお互いの辛い境遇に同情の念を抱いたことときっと無関係ではなかったのだろう。
彼の村の人間達も竜の姿を実際に見るのは初めてだったらしいものの、竜という存在に余計な先入観を持っていなかったお陰で難無く私を受け入れてくれたのが何よりも嬉しかった。
それに・・・私にはこの人間の恩義に報いる義務と、その運命を見届けたいという強い思いがあったのだ。
後ほんの何ヶ月かでやって来る確実な死を前にして、彼は一体何を思い、どう残された人生を生きるのか。
悠久にも思える長い寿命を誇る竜族からすればただでさえ人間の生涯など瞬く間に過ぎ去ってしまう程短いのに、そんな普通の人生さえ失ってしまった彼の心中は私には到底推し量ることなど出来そうにない。
けれども当の彼自身は、そんな理不尽な死に対する不安や恐れなどおくびにも出さずに日々彼を頼ってやってくる村人達の世話に全力を傾け続けていたのだった。

「ねえレグノ・・・僕が死んだら、君はその先どうするんだい・・・?」
それから一月程が経ったある日、私は夕暮れの村の中を仕事を終えた人間とともに歩きながら不意に投げ掛けられたその問いにそっと視線を落としていた。
レグノというのは、共に暮らすに当たって私の呼び名に困ったらしい彼に教えた仮の名だ。
竜の言葉で"黒"を意味するそれは当然私の真の名前ではないのだが、この際そのことに大した意味など無いだろう。
「そうだな・・・幸い私はこの村の者達にも受け入れられているようだし、ここに骨を埋めるのも良いかも知れぬ」
「でも・・・もう、故郷へは本当に戻れないのかい?」
「さあな・・・大婆様は私を生け捕りにするよう追っ手に告げたらしいが、今となってはその真偽も分からぬ」

大婆様・・・数年置きに試練を経て入れ替わる里の族長とは別に、常に竜の里の頂点に君臨している神竜に縁があると言われる1匹の白鱗を纏った巨大な雌老竜を、私達はそう呼んでいる。
生来特殊な力を持たない我々黒竜にも扱える奇跡の御業を秘儀という形で簡略化して皆に伝えたのも、全てはその大婆様の存在によるところが大きいのだ。
更に大婆様は里に棲む同胞達を護り、慈しみ、そして時には律するという大切な役目を担っていて、今回の私のように門外不出の秘儀を外部に漏洩した者への制裁なども当然大婆様自らが執行することになる。
まあこれまでそんな禁忌を犯すような愚か者はほとんど出なかっただけに実際に大婆様に制裁を加えられた者はいないそうだが、今回私を生け捕りにしようとしたのも恐らくはその辺りに理由があると見て間違い無いだろう。

「そっか・・・まあ、僕としては人生の最後に友達が出来たようで嬉しいから良いんだけどね」
僕はそう言うと、ようやく辿り着いた家の中にその大きな"晩年の友"を招き入れていた。
朝も昼も夜もほとんど四六時中レグノと一緒にいるお陰で、僕はもう彼の存在自体が生活の一部となっている。
家の中でも特に何をするでもなく一緒に夕食を食べて床を共にするだけの生活だったのだが、僕にとってはそれだけで十分に幸せを感じることが出来る程に毎日が充実していたのだ。
「お前はどうして、迫り来る死を前に毎日そんなに平静を保っていられるのだ?」
「え・・・?」
だが今度はレグノの方から発せられたその言葉に、僕は一瞬だけ動揺を表に出してしまっていた。
正直に言えば、僕だって死ぬのが怖くないわけではない。
それに、出来ることならもっと長生きしたいとも思っている。
けれども人間の力では・・・少なくとも今この時代にあっては、自身の運命を変える術など無いことが分かっているだけに僕としては自身の境遇を受け入れるしかないのが残酷な現実なのだ。

「そりゃあ・・・僕だって本当はもっと長く生きたいよ。でも・・・う・・・ゲホッ・・・ゴホッ・・・」
そして唐突に襲って来た嘔吐感と喉の痛みに咳き込むと、またしても真っ赤な血が手と口元を汚していく。
「だ、大丈夫か?」
ここ最近、明らかに喀血の頻度が増えている。
僕の見立てが正確ならば、恐らくこうして普通の生活を送れるのも精々後数日というところなのだろう。
そこから先は、苦痛に満ちた寝たきりの闘病生活が死ぬまで続くのだ。
「あ、ああ・・・まだ平気・・・だと思う」
だが心配そうなレグノの問い掛けにそう答えながらそちらへ視線を向けてみると、彼は何やら思い詰めたような表情を浮かべて夕闇の迫る空を窓からじっと見上げていたのだった。

それから更に2週間程が経った、ある日の昼頃・・・
何時もと同じように仕事をしていた最中に突然血を吐いてその場に倒れたという人間は、傍にいた村人達の手で診療所のベッドに寝かされたまま数時間後にやっと意識を取り戻していた。
「ようやく目が覚めたか・・・」
「ああ・・・済まないレグノ・・・どうやら、僕ももう先が長くはなさそうだね・・・」
やがて渋い諦観の表情を滲ませて呟かれたその人間の言葉に、思わず私も月並みな励ましの声を掛けてしまう。
「な、何を言う!まだお前と会ったあの日から、50日と経ってはいないのだぞ?今こそ、気を強く持つのだ」
「きっと、張り切り過ぎて寿命が縮んじゃったんじゃないかな・・・もう、体が余り言うことを聞かないんだよ」
だがじっと私の眼を見つめながらそう言った人間の声が微かに震えている様子に、ずっと堪えていたはずの良心の痛みが辛い涙となって私の瞳からじんわりと溢れ出して来る。

この人間は・・・きっと最初から全てを知っていたのだろう。
彼の命数を読んだあの日・・・私に見えた彼の本当の寿命はたったの73日・・・
だが100日にも満たないその残酷な命の残り時間に、私はつい咄嗟に嘘を吐いてしまったのだ。
「済まない・・・私は・・・お前を苦しめたくなくて・・・」
しかしその言葉とは裏腹に、今や最早残り1ヶ月を切った終焉の訪れがその当事者である人間以上にこの私自身をも酷く苦しめていた。

「気にしないでくれ・・・レグノの優しい嘘が本当になれば良かったんだけど・・・ゲホッ・・・ゴフ・・・」
再び血を吐いて純白のベッドのシーツを紅に染めた人間が、大粒の汗を掻いた顔に満面の笑みを浮かべる。
「やっぱり、運命は変わらないみたいだね・・・」
それを聞いた瞬間、私はどうにも居た堪れなくなって彼の寝かされていた部屋を飛び出すともう夕焼けの気配が滲み始めた寂寥感の漂う空を見上げていた。
何故・・・何故あの人間は、最悪な嘘を吐いたこの私を罵らないのだろう・・・
変わるはずの無い運命を知りながら徒に希望を持たせようとしてより絶望の淵を深く掘り下げた私に、どうして彼はあんなにも邪気の無い視線を向けることが出来るのだろうか・・・
恐らく彼はもう、死ぬまでロクにあのベッドから体を起こすことも出来ないのだろう。
無医村であるが故に彼を治療する人間も面倒を見てくれる人間もおらず、後はただゆっくりと衰弱しながら死に向かって無為な数週間を過ごすだけの彼に私は一体何をしてやれるというのか・・・

だがそこまで考えたその時、私は不意に彼の言葉を脳裏に思い出していた。
"でも・・・もう、故郷へは本当に戻れないのかい?"
そうだ・・・大婆様なら・・・神竜の縁者である大婆様なら、あの人間を救うことが出来るのではないだろうか?
禁を破って里を追われた私にあの厳しい大婆様が更なる力を授けてくれるとは到底考えられないが、それでもこの命を賭して大婆様に嘆願することくらいは出来るかも知れない。
あれ以来追っ手が掛かったわけでもない私がこれまで決して里に戻ろうとしなかったのは、単純に自分の命が惜しかったという極めて情けない自己保身の感情故だったのだから。

私はそう思い立って人間の許へ取って返すと、依然として苦しげに咳き込みながら死の床から抜け出せずにいる彼の顔をじっと見つめていた。
「レ、レグノ・・・さっきは、どうかしたのかい?急に飛び出して行ったりして・・・」
「ああ・・・ずっとお前の傍に居てやりたいが、やらねばならぬことが出来たのだ。だが・・・」
もうここには戻って来れないかも知れない・・・
しかしその一言がどうしても喉から出て来れず、詰まった声が空しい吐息を漏らすばかり。
「僕は大丈夫だよ。それに・・・戻って来てくれなくても、僕はレグノを恨んだりしないから・・・」
「ど、どうしてそれを・・・?」
「君は今の僕にとって、1番大切な友達なんだ。分かるよ、何も言わなくても・・・」
そして血を吐く程苦しいだろうに私を安心させようと無理矢理に作ったのであろう笑みをこちらに振り向けると、人間はそのまま糸が切れたかのように再び気を失ってグッタリとベッドに崩れ落ちてしまったのだった。

こんな状態の人間を1人ここへ残して出て行くことには正直強い抵抗が有ったものの、黙っていても彼の命は後ほんの4週間程しか残されていないのだ。
追っ手から長い逃避行を続けたせいでここから里へ戻るまでには少なくとも3日は掛かるだろうし、大婆様の処遇次第ではもうここに戻って来ることも叶わないかも知れない。
そんな時間も希望も僅かにしか残されていないこの私の境遇でさえ、緩慢な死を待つあの人間のそれに比べればまだまだ救いがある方なのだろう。
そして既に夜の帳が降り始めた暗い空に向かって顔を上げると、私はそっと翼を翻して長らく離れていた故郷へと飛び立ったのだった。

バサッ・・・バサッ・・・
食事を摂る時間さえ惜しみながらただひたすらに翼を羽ばたき続けること約60時間・・・
私は溜まりに溜まった疲労で今にも大地へ墜落しそうになりながらも、ようやく視界の端に捉えた里の姿に自身の心を奮い立たせていた。
そして静かな朝日に照らされた深い山奥に佇む里の上空に辿り着くと、無造作に掘られた数多の洞窟の中から大婆様の棲む一際大きな住み処を探し出す。
まだ早朝故か外を出歩く他の竜達の姿はほとんど無かったものの、私は何処か懐かしささえ感じる静寂の里へ向かってゆっくりと降下していったのだった。

やがて首尾良く誰にも見咎められること無く大婆様の住み処へ飛び込むことに成功すると、私は漆黒の闇に包まれた巨洞の奥から感じる圧倒的な存在感と深く大きな呼吸の気配を感じながらゆっくりと歩を進めていった。
だがしばらく曲がりくねった通路を歩いていると、不意にその奥からしわがれた大婆様の声が響いてくる。
「おや・・・お前自ら里へ戻って来るとは、不思議なこともあるものだねぇ・・・」
そしてその大気を震わせるような呟きにも恐怖心を押し殺して更に洞窟の奥に進んでいくと、ややあってゆったりと地面に蹲る大婆様の姿が私の眼に飛び込んで来たのだった。
輝くような純白の鱗に、天を衝くような太い2本の湾曲した角。
その背には微かに乳白色に染まる翼膜を湛えた一対の巨翼が折り畳まれていて、私の首よりも太い竜尾が見上げるようなその巨体の陰で静かに揺れている。
だが何よりも私の心を打ちのめしたのは、小さく開けられた大婆様の紅眼が明らかな怒りに燃えていたことだった。

「大婆・・・様・・・」
その姿を見るのはこれが初めてではないというのに、神の怒りを湛えた巨竜の静かな殺気に胸が締め付けられる。
「里の禁を破った上に同胞を殺めたお前が・・・一体何用でここへ戻って来たんだい・・・?」
今にもその大きな手に生えた死神の大鎌のような爪で引き裂かれるのではないかという思いに、私は金縛りに遭ったように全身を硬直させたまま擦れた声をやっとのことで絞り出していた。
「わ、私は・・・その・・・」
駄目だ・・・恐ろしさの余り、そこから先を言うことがどうしても出来そうにない。
里の禁忌を犯した私に、大婆様が一体どんな罰を下されるのか・・・
様々な形で脳裏に浮かぶ凄惨な神罰の光景に、地面を踏み締めた手足までもが震え始めている。

「フン・・・声も出せない程怯えているところを見ると、あたしの罰を受けることは覚悟しているようだね・・・」
やがて喉の奥で堰きとめられてしまった声の代わりに、私はゆっくりと頭を垂れると大婆様が放ったその恐ろしい言葉を肯定していた。
そしてそんな私の返事に大婆様が少しばかり怒気を緩めながら体を起こすと、紅の竜眼を大きく見開きながら私の顔をじっと覗き込んでくる。
「だけど・・・他にもまだあたしに言いたいことがあるんじゃないのかい・・・?」
罰を受ける為に自力で里へ舞い戻った私の心の奥底を見通したのか、そんな大婆様の言葉にさっきまで封じ込められていた声がようやくその縛めを解かれたかのように私の喉から溢れ出していた。

「実は・・・大婆様に、とある人間の命を救って頂きたいのです・・・」
「人間の命だって・・・?」
「その人間は、瀕死の重傷を負った私を死の淵から救ってくれたのです」
そこまで聞くと、禁を破ったとは言え里の同胞の命を救った人間に興味を持ったのか大婆様が僅かに両眼を細めながら無言で私に話の続きを促していた。
「けれども彼は不治の病に侵されて・・・最早抜け出すことの出来ない死の床に就いているのです」
「その人間を、死した後に生き返らせたいって言うのかい・・・?」
だが大きく頷いた私の姿を目にした大婆様の顔に強い難色の色が浮かぶと、私は心中で膨れ上がる不安にだけは押し潰されまいと必死に弱り切った自らの心を宥め続けていたのだった。

「お前には気の毒だけど、そいつは出来ない相談だねぇ・・・」
「大婆様にも・・・出来ないのですか・・・?」
「死者の命を呼び戻すのは、その為の力を宿した種族か神竜にしか出来ない特別な禁術なのさ」
特別な禁術・・・確かに、命を操作することは自然の摂理を破壊しかねない非常に危険な行為であることくらいはこの私だって重々承知している。
神竜の力を宿している大婆様にならそれも可能なことだと踏んでいたのだが、神だからこそ徒に輪廻の理を乱す行為を行うわけにはいかないというのもまた事実なのだろう。
「現に神竜以外の者が蘇生術を行う時は、引き換えに自分の命を犠牲にしなきゃならないくらいだからねぇ・・・」
「ならば・・・せめて私の命と引き換えにその人間を生かすことは出来ないのですか・・・?」
「高々1人の・・・それも死ぬ運命にある人間を助ける為に、お前の命を捧げるって言うのかい?」

その口調は先程までと全く変わらなかったものの、大婆様の顔には明らかに驚きの色が浮かんでいた。
人間の文化を里に取り入れる役目を担った黒竜の一族は里に暮らす数多の竜族の中でも最も人間と深い関係を結ぶ者達であることは間違い無いのだが、それでも自身の身を犠牲にしてまで人間の命を存えようとした者はいない。
「あの人間は、失われるはずだった私の命を必死に繋ぎ止めてくれた。何としても、彼を助けたいのです・・・」
「成る程ねぇ・・・そこまでの覚悟があるのなら、特別に秘儀を授けてやっても構わないよ・・・」
「え・・・?」
秘儀・・・?
命の蘇生はその力を持った竜族が自身の命と引き換えにして初めて成し得ることだというのに、何も特別な力を持たない私にもそれを行える秘儀があるとでも言うのだろうか?
「流石に命を呼び戻すわけにはいかないけれど・・・その人間を、竜として転生させることは出来るだろうさ」
「竜に・・・転生を・・・」
「ただし、もちろんそれにはお前の命が必要になるからね。その覚悟は、本当にあるんだろうね・・・?」
最早是非も無い・・・
あの心優しい不遇な人間を生かすことが出来るというのなら、一度は消え掛けたこの命を捧げるには十分だろう。

「もちろん・・・そのつもりです」
「フフ・・・そうかい・・・だけどその前に、お前には重い罰を受けてもらわないとねぇ・・・」
だが深い安堵に一瞬弛緩し掛けた私の心に、そんな鋭い大婆様の一言が不意に突き刺さる。
「人間に秘儀を漏らしたことはともかく、お前は里の同胞を3匹も殺めたんだ・・・嫌とは言わせないよ」
「一体・・・私にどんな罰を・・・?」
「同族殺しは極刑さ・・・1匹に付き1週間、ここに監禁させてもらうよ」
こ、ここに・・・?それに1匹の同族殺しに付き1週間ということは・・・

「3週間も・・・その・・・大婆様の住み処に・・・?」
「飲まず食わずの3週間さ・・・それに、夜はあたしの慰み者になってもらうからねぇ・・・」
ジュルリ・・・と大きな赤い舌を舐めずりながら、大婆様が妖艶とも言える不穏な笑みをその顔に浮かべる。
「そ、そんな・・・」
「なぁに・・・ここにはあたしの生気が満ちているから、飢えと渇きに苦しむ心配は無いさ・・・フフフ・・・」
確かにこの洞窟には、神竜が発するという濃厚な生気が充満している。
3日間翼を羽ばたき続けた疲労感もこの洞窟に入ってからはみるみる内に癒されていったものの、それは同時に大婆様との夜伽には疲労による休息が与えられないということでもあった。

やがて大婆様自身の手で洞窟の隅に用意されていた"刑罰用"の太い岩枷を両手足と首と尾に嵌められると、仰向けに地面の上へ縫い付けられた無防備な私を大婆様の紅眼がじっくりと眺め回していく。
「う・・・うぅ・・・」
これが、この里における極刑・・・
如何なる重い罰であっても罪を犯した者の命までは取らないというのが大婆様の流儀であるらしいのだが、神竜の生気が渦巻くこの洞窟で監禁されたところで今のところさしたる苦痛は感じられない。
にもかかわらず、私は胸を締め付ける凶兆に力無い嗚咽を漏らすことしか出来なかったのだった。

その日の夜・・・
私はピクリとも動かせぬ自身の手足を呪いながらも、傍らで転寝に興じている大婆様の寝息に耳を澄ませていた。
人間の村を飛び立ってからかれこれもう70時間以上何も口にしていないのにもかかわらず、洞窟を満たす神竜の生気のお陰か空腹も喉の渇きもほとんど全くと言って良い程に何も感じない。
それどころかまるで全身に活力が湧き上がってくるようで、これが本当に罰なのかと疑いそうになってしまう。
体中の細胞が活性化するかのようなその感覚に眠ることだけはどうしても出来なかったものの、それさえ今の私にはどうでも良いことのように思えていた。

「・・・?」
だが・・・ふとした拍子に、私は何時の間にかそれまで途切れることなく聞こえていた大婆様の大きな寝息がピタリと止んでいることに気が付いた。
やがてそんな不穏な静寂の中でしばらく息を潜めていると、目を覚ましたらしい大婆様がゆっくりとその純白の巨体を持ち上げて私の顔をジロリと睨み付ける。
「あぅ・・・」
そしてその燃えるような紅眼に浮かんでいた嗜虐的な老竜の笑みに、私は思わず本能的にその場から逃げ出そうと動かぬ手足を踏ん張っていた。
「フフフ・・・さてと・・・お楽しみの時間だねぇ・・・」
目の前に横たわる小さな雄竜に見る者を居竦ませる危険な視線を突き刺しながら、大婆様の発したねっとりと絡みつくようなしわがれ声が私の全身をじんわりと侵していく。
そして見上げるようなその巨体で焦らすように私の上に覆い被さってくると、大婆様が恐怖に縮み上がった私の肉棒にそっと自らの口を近付けていった。

パクッ・・・
「あくっ・・・ぅ・・・」
無数の牙が生え揃う大婆様の口内に、萎え切った雄が一瞬にして根元まで咥え込まれてしまう。
それでも微かな抵抗さえ許されぬ私には、ただ悲鳴を堪えながら大婆様の陵辱に耐えることしか出来なかった。
ゾリリッ・・・
「がっ・・・!あが・・・ぁ・・・」
だが直後に肉棒を擦り上げた分厚い肉塊の感触に、全身がビクンと跳ね上がる。
熱い唾液をたっぷりと纏った大婆様の舌の一撃を浴びて、私は敢え無く苦悶の声を漏らしてしまっていた。
「おやおや・・・これしきで悶えてるようじゃ、あたしの中はさぞや地獄だろうねぇ・・・」
たったの一舐めでまるで魂を削り取られるかのような強烈な快感を味わわされ、弱り切った心に追い打ちを掛けるように無慈悲な殺し文句が深々と突き刺さっていく。

シュルルッ
「ひぃ・・・」
そしてあっと言う間に大きく膨らんで天を衝いてしまった肉棒に長い舌をじっくりと巻き付けられると、私は今度はどんな責め苦を味わわされるのかという恐ろしさに両拳をきつく握り締めていた。
ギュ・・・ギュゥ・・・
「ぐ・・・ふぅ・・・」
まるで大蛇がとぐろの中に捕らえた無力な獲物を嬲るかのように、屈強な巨竜の舌が巻き付いた肉棒を万力のようにじんわりと締め上げていく。
メキ・・・メリメリメリ・・・
「あがあぁぁっ!」
今にも雄を跡形も無く握り潰されるのではないかと思う程の凄まじい締め付けに、私はまたしても情け無い悲鳴を喉から迸らせてしまっていた。

チロチロ・・・チロ・・・
「は・・・うあぁ・・・あ・・・」
更には細く尖った舌先が敏感な肉棒の先端を突き回しながら、舌全体が脈動するように波打ってギンギンに張り詰めた雄槍を根元から執拗に扱き上げてくる。
その一切容赦の無い苛烈な責め苦に、私はほとんど半狂乱になりながら泣き叫んでいた。

「うあぁ・・・がああぁぁっ・・・!」
ジュルル・・・
次々と溢れ出す唾液が肉棒を包み込み、耐え難い熱さと快感を否応無しに私の脳髄に叩き込んでくる。
そしてただでさえ限界一杯まで膨れ上がっていた雄を一際強く舌で引き絞られると、私はそれだけで大婆様の口内へ派手に白濁を放ってしまっていた。
グギュッ!
「ぐあああぁーーっ!」
ビュビュビュッ・・・ビュルル・・・
我慢しようなどという意思が芽生える間も無く、盛大に溢れ出した屈服の証を大婆様が満足気に吸い上げていく。
ズズズッという激しい吸引の音が脳裏にまで響き渡り、私は今この時になってこの罰の恐ろしさを痛感していた。

「フフフ・・・お前はどうやら、雌とのまぐわいは初めてのようだねぇ・・・?」
やがて数十秒にも亘る壮絶な口淫にそれだけで息も絶え絶えになる程に消耗してしまうと、ようやく肉棒から口を離した大婆様が意地悪な笑みを浮かべながらそう呟く。
確かに私は悲しいかなこれまで雌竜とまぐわった経験は1度も無いものの、だからと言って仮に経験豊富な雄竜だったとしてもあんな大婆様の責めに耐えられる道理は無いだろう。
だが大婆様は返事も出来ない程に疲れ切っている私の様子に小さく溜息を吐くと、今度は自身の秘所で私を犯そうとその腰を静かに持ち上げていった。
「あ、あぁ・・・」
しかし周囲に充満する神竜の生気のお陰で先程の疲労がすぐさま癒され、パックリと左右に花開いた大婆様の獰猛な竜膣が肉棒に狙いを付けた時には荒らぶっていたはずの呼吸までもが元の平穏を取り戻してしまう。

「それじゃあ・・・そろそろ本番といこうかねぇ・・・」
「あぅ・・・そ、そんな・・・せめても、もう少し・・・だけ・・・」
立て続けに迫り来る恐ろしい"神罰"の気配に恐れを成して少しでも時間を稼ごうと試みたものの、最早何事も無かったかのように疲労も精力も回復してしまっていた私に大婆様は非情を貫いていた。
「甘えるんじゃないよ。こいつは同族を殺めたお前への刑罰なんだからねぇ・・・じっくりと味わいな・・・!」
そしてそう言い放つや否や大婆様の腰が音も無く落とされると、大きく口を開けた真っ赤な秘肉の海が私の肉棒を一気にその根元まで呑み込んでしまったのだった。

ジュブブブブッ・・・!
「ひぃっ・・・!」
元々相当な体格差があったせいか想像していたよりも膣圧は高くなかったものの、愛液に濡れそぼる淫唇が下腹部を撫でる程に奥深くまで突いたというのに最奥まで届いた感触がまるで無いのだ。
だが雄としての無力感を噛み締める間も無く、悠久の時が作り上げたのであろう幾重にも折り重なった無数の肉襞が捉えた雄槍を突然ズルリと舐め上げる。
「く・・・あ・・・」
「ほぉら・・・天にも昇る気分だろう?」
クチャ・・・ズチュ・・・ズリュ・・・
「は・・・ぁ・・・うぁっ・・・」
肉棒全体を優しく包み込むようなその愛撫に、甘い痺れが手足の指先にまで広がっていく。
次々と際限無く与えられる脳が蕩けるような無上の快楽に、しかし私は強烈な危機感を感じずにはいられなかった。

何という心地良さなのだろうか・・・
ぬめった愛液を纏う無数の襞のざわめきに、射精を堪えようという気力そのものが萎んでいくような気がする。
だがこのまま誘惑に負けて精を放ったら・・・
その後大婆様が一体どういう行動に出るのかは、この私にも容易に想像が付くというものだ。
「おや・・・この期に及んでまだあたしの責めに抗おうっていうのかい?全く、お前も身の程知らずだねぇ・・・」
そして胸の内に残る微かな不安が拭い切れずに必死で大婆様の責めに耐え忍んでいると、そんな私の態度が気に障ったのか大婆様がそれまで優しく扱いていた肉棒を途端にきつく締め付けたのだった。

ミシッ・・・ギュグッ・・・
「がっ・・・は・・・うああぁぁっ!」
射精寸前の肉棒に襲い掛かる恐ろしい程の圧迫感に、身動き出来ない体が助けを求めて激しく悶え狂う。
だがじっとりと細めた紅眼で私を見つめる大婆様の視線には慈悲の欠片さえ見当たらず、私は徐々に膨れ上がる苦痛とそれを遥かに上回る破滅的な刺激にただただ叫び声を上げることしか出来なかった。
「フフフ・・・もう限界みたいだねぇ・・・そら、さっさと爆ぜちまいな!」
そしてそんなそっけない大婆様の言葉とともに肉棒を締め付けていた圧迫がほんの少しだけ緩められると、解放された雄槍から大量の精が噴水のように激しく噴き出していった。
ドブッ!ビュクッ・・・ビュルルル・・・!
「あが・・・あがが・・・」
自分では止めることの出来ないその白濁の奔流に、想像を絶する快感で焼き尽くされた脳が沸騰する。
やがて数十秒にも数分にも感じられた長い長い射精がようやく終わりを迎えると、私は肺の中に残った最後の息を喉から吐き出しながらクタッと地面の上に崩れ落ちていた。

「はっ・・・はっ・・・はぁ・・・」
神竜の生気に包まれていなかったなら恐らく今の射精で意識が飛んでいたか、悪くすれば精神が壊れるか或いは命さえ落としていたかも知れない。
雌とのまぐわいは初めてなのにもかかわらず、私はそう確信出来る程に心身を激しく消耗させてしまっていた。
「おや、何だいその絶望に染まった顔は?こんなのはまだ序の口だよ・・・何しろ、先は長いんだからねぇ・・・」
「うぅ・・・」
そんな・・・たった2度の射精でもう命の危険を感じる程に弱り切っているというのに、これでもまだ大婆様にとってはほんの小手調べでしかないというのだろうか・・・?
それにこんな夜がこれから3週間も続くなど、想像しただけで気が遠くなってしまう。
だが洞内を満たす濃密な神竜の生気のお陰で5分と経たずに体力も精力も回復してしまうと、私はポツンと手元に取り残された瀕死の精神を抱きながら暗い先行きにゴクリと息を呑んでいた。

それから、一体何時間が経った頃だろうか・・・
私は最早声を上げる気力さえ失って久しく、ただ意識の器としてそこに存在しているだけの抜け殻と化していた。
大婆様もほとんど何の反応の無くなった私を数分置きにひたすら犯し尽くすばかりで、そこに感情の起伏をほとんど感じ取れなかったのはきっと私が終始朦朧としていたからだけではないのだろう。
そして薄暗かった洞内にようやく白み掛かった朝の陽光が零れてくると、大婆様は少しばかり物足りなそうな表情を浮かべながらも完全に精根尽き果てた雄を自身の火所から解放してくれたのだった。

グボッ・・・
「ひ・・・ぅ・・・」
擦れた意識の中にも恨めしい程鮮明に突き刺さるその快感という名の苦痛に、か細い呻き声が漏れ出してしまう。
「全く・・・1日目からそんな調子じゃあ、最後まで正気を保てるかも怪しいもんだねぇ・・・」
確かに体力は幾らでも回復する上に飢えも渇きも感じないこの状況では巨大な大婆様とのまぐわいと言えど大したことは無いと高を括っていたのだが、心の負担まで癒されるわけではない以上何れ限界はやってくるだろう。

「フン、返事も無しかい。まあ構わないけどね・・・眠れはしないだろうけど、精々夜まで休むがいいさ」
やがてそう言い残した大婆様が洞窟の外へ出て行くのを視界の端で見送ると、ようやく嵐が去ったことに私は心底安堵の息を漏らしていた。
こんな日々が・・・後・・・20日も続くのか・・・
同族殺しに課せられた、竜の里の極刑。
その想像以上の過酷さに、まだ1日目の夜を終えたばかりだというのに早くも心が折れ掛けてしまっている。
だが逃れようにも両手足と首と尾に嵌められた岩枷は自力で外すには余りに堅牢で重々しく、私はしばらく体を起こそうと試みた挙句に全てを諦めて手足を投げ出すとゴツゴツした洞窟の天井をただ見つめ続けていた。

その日も、次の日も、そしてまたその次の日も・・・
私は日没とともに深い眠りから目を覚ます大婆様の慰み者となって、夜通し悲痛な叫び声を上げるだけの生ける屍と化していた。
連日連夜味わわされる地獄の責め苦に、ここ最近の私は何時になったらこの精神が跡形も無く崩壊して楽になれるのだろうかとばかり考えてしまっている。
だが恨めしいことに体の方は幾度と無く経験した疲弊と回復の繰り返しによって些かの耐性を身に付けたのか、1週間が経つ頃には恐らく全力なのであろう大婆様の激しい腰遣いと搾動にも10分は耐えられるようになっていた。

グジュッ!ゴシュッ!ジュブブッ・・・!
「く・・・ぐぅ・・・」
「ふぅん・・・お前も、随分としぶとくなったもんだねぇ・・・」
たった一晩で200回近くも精を搾り取られた以前に比べれば、射精回数が減ったことで負担は大分軽減されている。
手足の自由を封じられたこの状態では巨大な雌老竜による苛烈な圧搾と力強い抽送に長時間耐えることなど当然不可能なことなのだが、それでも後2週間という期限がある以上何時かは解放の時がやって来るのだ。
ゴリュゴリュゴリュッ・・・
「くあっ・・・がっ・・・」
ブシュッ・・・ビュビュッ・・・
十数分振りに味わう、長い長い屈服の感触。
しかし神竜の生気のお陰で、飢えや渇きはもちろん疲労さえ気にする必要は無い。
私がすべきことはただ1つ・・・刑期の残り2週間を、正気を保ったまま乗り切ることだけなのだ。
死に行く運命だった私を救ってくれたあの人間を助ける為に、幸運にも手元に残ったこの命を捧げたい・・・
それが今の私にとって、生きる目的の全てだったのだから。

それから、更に2週間が経っていた。
日に日に狂気という名の鑢に削られて磨り減っていく自身の心を慰めながらも、私は実に20日間にも亘る大婆様の制裁を乗り越えて、ついに最後の夜を迎えたのだ。
「フン・・・どうやら、まだ心は折れちゃいないみたいだねぇ・・・」
激しい不安と恐怖に混じって確かな希望が私の瞳の奥に息衝いていることを見て取って、大婆様が感心したのか呆れているのか判別の付かない大きな溜息を漏らす。
そして相変わらずゆっくりとした動作で私の上に覆い被さってくると、身の程知らずにも自ら大きく膨れ上がってしまった肉棒を大婆様が静かに自身の秘所へと呑み込んでいった。

ジュブ・・・ジュブブブ・・・
「く・・・」
「フフフ・・・初めてあたしの中に入れた時は"ひぃっ"なんて情け無い声を上げていたのに、骨があるじゃないか」
力一杯牙を食い縛りながら挿入の快感に耐えていた私に、そんな大婆様の愉しげな声が降って来る。
「だけど、今夜は一味違うよ。何しろ、最後の夜だからねぇ・・・」
だがそう言いながら大婆様が私にも見えるように自身の白い尾を高々と持ち上げたのを目にすると、私はその太さに比して恐ろしく鋭い槍のような穂先にある種の本能的な恐怖を覚えていた。
「い、一体・・・何を・・・?」
正直自分でもその答えには想像が付いていたのだが、もしかしたら違う答えが返ってくるのではないかという淡い期待がついつい要らぬ質問となって口を突いて出てしまう。

「決まってるじゃないか・・・ここ以外に、あたしの槍の行き場があると思うのかい?」
ツツッ・・・
「ふ・・・うぐ・・・」
や、やっぱり・・・
大きく左右に広げられた両足と、岩枷で地面に縫い付けられた尻尾の付け根・・・
そこにある小さな尻穴を尾の先端で擽られた背筋の粟立つ異様な快感に、私は両拳を握り締めながら何とか悲鳴を上げることだけは堪えたのだった。

成す術も無く貫かれるのを待つしか無い無力な獲物を嬲るように、冷たい白槍が私の股間を妖しく這い回る。
「う・・・ぅ・・・」
大婆様に呑まれた肉棒には相変わらず耐え難い程の締め付けと肉襞による断続的な愛撫が凄まじい快感となって叩き込まれ続けていたものの、私は正直何時その尻尾を突き入れられるのかという不安に意識を乱されていた。
ズプッ・・・
「ぐぅっ・・・」
幾ら力を入れたところで無意味であろうことは自分でも重々承知しているというのに、軽く尾の先端を尻穴に潜り込ませられただけでついその侵入者を反射的に締め付けてしまう。
だがそれと同時に緊張の漲った肉棒をミシッという軋んだ音が聞こえる程に膣壁で握り締められると、私は苦悶の声を上げながら危うく決壊しそうだった忍耐の堤防を必死に塗り固めていた。

「ほらほら・・・この焦らしに、一体何時まで耐えられるかねぇ・・・?」
まだまだ夜は始まったばかり・・・
後1日・・・今夜さえ無事に乗り越えられれば、私はあの人間を救うことが出来るのだ。
それまでは、何としても正気を保たなければ・・・
ズズ・・・
だがそんな私の覚悟を弄ぶかのように、大婆様の尾がまた少しジワリと体内に侵入する。
いっそ勢い良く一突きにでもしてくれればまだ堪えようもあるというものだが、時間を掛けて捻じ込まれる性悪な尾の感触に私は早くも息を荒げながらグネグネとのた打ち回っていた。

グリ・・・グリグリッ・・・
「あがぁっ・・・!」
やがて小さな尻穴を圧迫する程に太い尾が私の奥深くまで突き入れられると、ザラ付く白鱗を纏った尾がゆっくりと、しかし力強く抉り込まれていく。
しかも侵入を止めようと腰に力を入れれば入れる程敏感な粘膜が激しく鱗に摩り下ろされ、反対に少しでも力を抜くと尻尾が更に深々と私を貫いていくのだ。
ズブッ・・・グジュッ・・・ゴシュッ・・・
「ぐ・・・ぐあああぁぁ・・・!」
与えられているのは紛れも無い快楽の刺激であるにもかかわらず、私は3週間に亘る拷問で弱り切った心がその"苦痛"に最早息も絶え絶えになってしまっていることを自覚していた。
これ以上責められたら、確実に壊れてしまう・・・
私はあの人間を・・・助けなくてはならないと・・・いうのに・・・
そんな最悪の結末を予感したのか、悔しさと無念さの滲んだ涙が私の双眸から溢れ出していく。

「おや・・・これしきで折れちまうのかい・・・?お前の覚悟とやらも、大したことなかったようだねぇ・・・」
だが今にも理性の糸が切れてしまうのではないかという極限状態にありながら、私はそんな大婆様の言葉に却って僅かながらの落ち着きを取り戻していた。
そうだ・・・私は元より、門外不出の秘儀を人間に漏らし同族を殺した罪による死をも覚悟してまた再びこの里へ舞い戻ったのではなかったのか?
それに比べれば、五体満足で刑を終えられる上にあの人間を救うことの出来る秘儀を授かれるなど、大罪を犯した破戒の輩に対する処遇としてはこれ以上に無い破格の扱いではないか。
大婆様の発する濃密な生気に包まれている限り余程のことをしなければ命を落とす心配は無いだろうし、たとえ多少精神を病んだところであの人間の魂を救うことさえ出来れば私の目的は達成されるのだ。

ガブッ!
「ぐぅっ・・・!」
そしてそんな固い意志を胸の内に築き上げると、私は今にも弾け飛びそうだった軟弱な自分自身を鼓舞する為に自らの舌を鋭い牙の群れで力一杯噛み締めていた。
ブシュッ・・・ドクッ・・・ドクッ・・・
「な、何をしてるんだい!?」
それと同時に私の口元から派手に噴き出した大量の鮮血に驚いたのか、終始意地の悪い笑みを浮かべていた大婆様が初めて慌てた声を上げる。
自身の舌を噛み砕いた壮絶な痛みに私は一瞬視界が赤く染まったような気がしたものの、すぐに治癒が始まった感覚に安堵を覚えるとはっきりと覚醒した瞳で狼狽気味だった大婆様を睨み返したのだった。

「わ、私は・・・大婆様が如何なるおつもりであろうとも・・・ぐふっ・・・あの人間を救うつもりです・・・」
やがて口内に広がる血の味と焼けるような激痛に顔を顰めながらもそう言うと、まだ動揺を鎮め切れていなかったと見える大婆様がその紅眼を大きく見開いて私の顔を覗き込んでいた。
「馬鹿なことを・・・明日になれば、お前は罪を清算して晴れて自由の身になれるんだよ?それなのに・・・」
本当はずっと隠し通しておきたかったのであろう、大婆様の胸の内・・・
3週間にも亘って性悪な大老を演じてきたこの神竜は、自らを犠牲にしてまで人間如きの命を救おうとする愚かな同胞を止めるべく苛烈なまでの責め苦を私に味わわせ続けたのだろう。
だが許容量を遥かに超える快楽の嵐を痛みによって乗り越えようと自身を傷付けた私の姿に、大婆様はついにそれが無意味な試みであったことを自ら認めてしまったのだ。

「命を救われた恩を感じてることは分かるけど、一体何だってお前はそんなにその人間に入れ込んでいるんだい?」
「そ、それは・・・」
あの人間をどうしても救いたい・・・
その強い思いは依然として変わらなかったものの、私は大婆様にその正確な理由を説明することが出来なかった。
彼を救っても自分自身は死んでしまうという事実に、恐らく私は余計なことを考えないようにしていたのだろう。
「何だい・・・言ってみな・・・?」
「実を言うと、私にも分からないのです・・・強いて言うのなら、私にしか彼を救えないからなのかも知れません」
言った自分でもそんな説明で大婆様が納得するとは到底思えなかったものの、私は正直に複雑な自身の心境をそのまま吐露することしか出来なかったのだ。
ズボッ・・・ズル・・・
「うっ・・・?」
だが大婆様はそれを聞くや否や私の尻穴から尾を引き抜いて秘所に捕らえていた肉棒を解放すると、長い間両手足の自由を奪っていた重い岩枷の縛めを解いてくれたのだった。

「大婆・・・様・・・?」
「全く、呆れたもんだよ・・・」
そして大きな溜息を吐きながら私の眼前で体を丸めると、大婆様が不機嫌そうに細めた眼で私を睨み付ける。
「人間なんかを命懸けで救おうっていうのに、自分でもその理由が分からないっていうんだからねぇ・・・」
「・・・・・・」
「まぁ・・・そんな雄を3週間も費やして落とせなかったあたしも十分不甲斐無いんだけれどさ・・・」
やがてそう言いながら、大婆様が鋭い爪の生えた手の指先に奇妙な光の粒を集め始めていた。
更には瞬く間に眩しい程の輝きを放つようになったその白い光の球を、傍にいた私の胸元へゆっくりと押し当てる。

スゥ・・・
「う・・・これ・・・は・・・?」
音も無く胸の内に吸い込まれていった不思議な光に驚いてそう言うと、何時の間にか元の柔和な表情に戻っていた大婆様が静かに呟いていた。
「転生の儀にはとても大きな力が必要なんだよ。だから確実に成功するよう、少しばかり通力を分けてやったのさ」
「では・・・秘儀を授けて頂けるのですね・・・?」
「もちろんさ・・・そういう約束だったからねぇ・・・」
私はその返答に心の底から安堵の息を漏らすと、夜通しの修行によって大婆様から転生の秘儀を授かったのだった。

翌朝、私は目を覚ました大婆様に厚くお礼を言って久し振りな気のする洞窟の外に飛び出すと、そのまま人間の住む村を目指して全力で翼を羽ばたいていた。
あの時以来、私は食事はもちろん睡眠さえ全く取っていない。
だが長い時間神竜の生気の中で過ごしたお陰で、今も空腹や喉の渇きは全くと言って良い程に感じないのだ。
流石に帰りは途中で何処かに降りて獲物を探す必要があるだろうが、彼の命の期限はもう既に4日後に迫っている。
せめて、彼が生きている間に一目でも逢いたい・・・
転生の儀そのものは人間の死後24時間以内に行えば良いだけなのだが、今を逃せば彼と言葉を交わせる機会はもう永遠に失われてしまうのだ。
そしてそんな微かな焦りが大気を叩く翼に力を込めさせると、私はまだまだ遠い彼方にある人間の村へと光矢の如く急いだのだった。

バサッ・・・バサッ・・・
3日前に故郷の里を飛び立ってから早くも70時間近い時が流れ、私は溜まりに溜まった疲労にもめげずにひたすら重い翼を羽ばたき続けていた。
飢えも疲れも感じずに何日も過ごすことの出来た大婆様の住み処とは違い、今私のいるこの"現実"の世界は何と不便で生き難い場所なのだろうか。
途中空腹を満たすべく広い森に降りた時にも、なかなか見つからぬ獲物の姿に随分と四苦八苦したものだった。
だが、目的地である人間の村はもう目と鼻の先だ。
新たな1日の始まりを告げる朝の陽光が東に向かう私の前途を照らし出しているかのようで、冷たい空気を叩く萎れた翼にも何故だか殊更に力が入ってしまう。
今日は初めてあの人間と出会った日から数えて72日目・・・私は、間に合ったのだ。

やがて大きな山の麓に佇む小さな人間の村が眼下に見えてくると、私は背後から吹いてくる追い風に乗ってゆっくりと滑空していった。
そして村人達が驚くのも構わずに町の真ん中へそっと着地すると、丁度彼の家から出て来たらしい若い娘に思わず声を掛けてしまう。
「待て、待ってくれ」
「きゃっ!?え・・・あ、あの・・・先生のドラゴン・・・さん?」
以前あの人間と生活を共にしていた時期に私の姿を見たことがあったのか、娘は唐突に現れた黒い雄竜の姿に一瞬驚いた表情を浮かべたもののすぐに元の落ち着きを取り戻していた。
「あの人間の具合は・・・どうなのだ?」
「それが数日前から昏睡を繰り返すようになってしまって・・・さっきもやっと意識を取り戻したところなんです」

私はそれを聞くと、気を利かせて娘が開けてくれた家の扉を潜って奥で寝ている人間の許へと急いでいた。
「うっ・・・」
「ん・・・あ・・・レ、レグノ・・・?レグノなのかい・・・?」
そこにいたのは、4週間前とは比べ物にならない程に痩せ細った命の恩人の姿。
最早自分では首をこちらに振り向けることさえ難しいのか、彼は真っ直ぐに天井へ顔を向けたまま視界の端に捉えたのだろう私に向かって嬉しげな声を発していた。
「ああ・・・戻ったぞ・・・間に合って良かった・・・」
「やらなきゃいけないことは・・・済ませてこれたのかい・・・?」
「もちろんだ・・・だが最期にどうしても、お前の声が聞きたくてな・・・これでも急いで戻ったのだぞ」

それを聞いて、人間がほんの少しだけその顔をこちらに傾ける。
「分かってるよ・・・息が上がってるみたいだし、レグノの心臓の鼓動が僕にも聞こえるくらいだからね・・・」
今日明日にも命が尽きようとしているというのに、そんな瀕死の状態でも人間でさえない私の様子を事細かに観察出来るのはやはり彼が優れた医者であることの証左なのだろう。
「私は・・・どうしてもお前を助けたかったのだ。その為の秘儀を、大婆様から授かって来たのだぞ?」
「駄目だよレグノ・・・折角助かった命なんだから、大切にしないと・・・」
「な・・・ど、どうしてそれを・・・?」
まだ私は何も言っていないというのに、彼は転生の儀が私の命と引き換えに行われることを知っているのだろうか?
「特別な力を持たない君達が秘儀を行うには・・・相応の代償が必要なんだろう?」
彼はそう言うと、静かに目を閉じながら辛そうに大きく息を吐き出していた。
「死に行く運命の僕を助ける秘儀だなんて、何を代償にするのかくらい僕にだって想像が付くよ」
「だが私は、お前を苦しめてばかりではないか・・・だからせめて、その恩に報いさせて欲しいのだ」
「それなら・・・レグノが僕の分まで長生きしてくれ・・・約束だ・・・よ・・・」
そして擦れた声でそこまで言い切ると、彼は再び意識を混濁させてしまったのだった。

命の期限まで、残り約10時間・・・
恐らく、彼はもう2度と目を覚ますことは無いのだろう。
明日になれば、彼の命は永遠の冥府の闇に消え去ってしまうのだ。
私は、一体どうすれば良いのだろうか・・・?
どうしてもこの人間を助けたい・・・私はその一心でこの2ヶ月余りを生きてきたというのに、当の彼自身がそれを望んでいないとは何という皮肉なのだろう。
いや・・・彼だって、本音を言えば生き延びたいと思っていることを私は知っている。
だがその代償が私の命であることを知って、彼は眼前に差し出された唯一無二の希望をあっさりと払い除けたのだ。
頼む・・・人間よ・・・もう1度・・・もう1度だけ目を開けてくれ・・・
そして私に一言・・・たった一言だけで良いから・・・"生きたい"と言ってくれ・・・
凛とした死の覚悟を胸に帰らずの闇へと足を踏み出した尊い人間を前にして、私は彼の胸の上に突っ伏したまま何時の間にか静かに泣いていたのだった。

昼下がりの太陽が徐々に徐々に朱に染まった西の空へと降りていき、奇妙な寂寥感を伴った夕闇の訪れが深い悲しみに沈んでいた私の背を摩る。
私のいない間彼の世話をしてくれていたのだろう村人達は私に遠慮してなのかあれから家に入ってくることは無く、今や死を目前に控えた愛しい人間は私以外の誰にも見守られること無くただ静かにその呼吸を浅くしていった。
私は・・・一体どうすれば良いのだろう。
大婆様から転生の秘儀を授かって戻って来た私に、彼は一言も延命を望む言葉を発しなかったのだ。
決して自ら死を望んでいるわけではないというのに、自身が生きることよりも私の命を優先する余り死病に打ち勝つ最後の機会を擲った彼の意志を、私は尊重するべきなのだろうか・・・?

私はこの人間と出会わなければ、追っ手の黒竜達と戦って傷付いたあの時に命を落とすはずだった。
そして彼は私を助けなければ、自身に残された命の期限を知ることも無く無為な希望を持つことも無かっただろう。
運命の神がもしいるとしてこの人間と私を故意に引き合わせたのだとしたら、そこには一体どれ程壮大な、或いは残酷な思惑が隠されているというのだろうか?
無欲で、誠実で、そしてこの上も無く薄幸なこの人間の若者を殊更に苦しめた上で、なおも私が生き延びることにどんな意味があるというのか。
幾ら悩んでも天に向かって問い掛けてみてもその答えを得ることは出来ず、私は何時までも決着の付かぬ心中の葛藤に疲弊して人間の胸元にそっと鼻先を乗せていた。

それから更に数時間後・・・
日付が変わってしばらく経った頃、人間は結局2度と意識を取り戻すことの無いまま静かに息を引き取っていた。
重度の病に侵されて命を散らした者としては、さして苦しまずに逝けただけ彼は幸せだったのかも知れない。
しかし何の事情も知らぬ他の者達にはそう見えたとしても、私には物言わぬ彼の苦悩が痛い程に理解出来る。
彼は最期の瞬間まで、他者の命を救う医者であることを貫こうとしたのだから。
やがて既に抜け殻となってしまった人間の骸を自身の目に焼き付けると、私は両眼から苦悩の涙を流していた。
それでも・・・たとえ彼の意志がどうであったとしても・・・私はこの人間の命を救いたい。
彼を助けられる機会があったのにもかかわらずそれをしなかったという深い後悔の十字架を背負ってこれからの長い生涯を歩むなど、私にはとても出来そうになかったのだ。
竜となって転生した彼は息絶えた私の姿を見て悲しむかも知れないが、彼にも何時の日かきっと私の心情を理解出来る日が来ることだろう。

私はそう心に決めて邪魔が入らぬように家の扉を慣れない手付きで施錠すると、ベッドの上に横たわる彼の上から大量の汗を吸って冷えた布団を剥ぎ取っていた。
「おお・・・」
その瞬間、まるで骨と皮だけになってしまったのではないかと思えるようなか細い手足が私の目に飛び込んで来る。
4週間もの間食事もロクに喉を通らず、ベッドから体を動かすことさえ出来なくなった彼は、一体何を心の拠り所にして日々を生きてきたのだろうか・・・
私にそれを推し量ることは出来ないが、所々血に染まった死の床は彼の絶望的な闘病生活を如実に物語っていた。
やがてまだほんのりと温もりを残している彼の胸に尖った指先の爪を強く食い込ませると、もう一方の手から生えた長い爪をじっと見つめてしまう。
そしてしばしの沈黙を挟んで意を決すると、私は両手の爪先を自身と人間の心臓にそれぞれ突き立てたのだった。

ドスッ!ブシュッ!
「ぐ・・・あ・・・うぅ・・・」
一瞬にして串刺しになった心臓から勢い良く噴出す鮮血が辺り一面を真紅に染め上げ、同時に不思議な力の流れ込んだ人間の亡骸がピクリとした小さな反応を見せる。
更には痩せ細っていたその体が徐々に肥大化していき、黄み掛かっていた皮膚が私と同じ漆黒の鱗に包まれていく。
枯れた細枝のようだった手足にもあっと言う間に活力が漲ると、指先からは鋭い竜爪が生え伸びていった。
良かった・・・転生の秘儀は・・・どうやら成功したらしい。
惜しむらくは彼の目覚めるところをこの目で見ることが出来ないことだが、何故自分を助けたのだと詰られるよりはその方が幾分気が楽というものだろう。
そして数分の時を経て人間の体が黒翼を持つ1匹の竜に変わったことを確かめると、私は唐突に襲って来た強烈な喪失感にグッタリとその場へ倒れ伏してしまったのだった。

ここは・・・一体何処なのだろう・・・?
僕は何だか長い夢から覚めたようなおぼろげな気分で、自身の置かれている状況に思考を費やしていた。
背中に感じる柔らかな感触から察するに僕はどうやら家のベッドに寝ているようなのだが、同時に以前までは感じなかった異物の存在が幾許かの混乱を伴って僕の脳裏を掻き乱していく。
だがこれが紛れも無く現実の世界であることを確信すると、僕は意を決してそっと目を開けていた。
「ん・・・あ、あれ・・・?」
その瞬間妙に左右に広がった視界と長く伸びた鼻先を覆う黒い鱗の存在に、自分の体が人間のそれではなくなっていることに気が付いてしまう。
これはもしかして・・・ドラゴンの・・・体・・・?
やがてそんな突拍子も無い想像に体を起こして自分の体を眺め回してみると、さっきまで異物と感じていた背中の翼や背後に伸びている太い尻尾がその僕の仮説を裏付けていった。

一体どうしてこんなことに・・・そう思った数瞬後、ふとレグノのことを思い出してしまう。
そうだ、レグノは・・・レグノはどうしたのだろうか?
もしこれがレグノの仕業だったとしたら、僕の命を救う秘儀があると言っていたのはこのことなのかも知れない。
しかしそれは同時に、彼が自身の命を引き換えに秘儀を行ってしまったということをも意味していた。
「レグノ!いるのかい?」
だが大声で呼んでみたのにもかかわらず、彼からの返事は無い。
そして不意に心中に湧き上がった不安を抑えながらもそっとベッドの下に視線を移してみると・・・
床一面に広がった真っ赤な血の海に横たわる、力尽きたレグノの姿がそこにあった。

「レ、レグノ!」
そんな・・・僕を助ける為に、自分の命を犠牲にするようなことはしないでくれとあれ程言ったというのに・・・
僕はベッドから身を乗り出すと、震える手付きで重いレグノの頭を持ち上げていた。
満足げな表情を浮かべた彼の顔には生気が無く、そこに命の気配は既に感じられない。
「レグノ・・・頼むよ・・・目を開けてくれ・・・」
だがそんな切なる願いを含んだ悲しみの涙がポタリとレグノの顔に滴った次の瞬間、突然彼の胸元から眩い光を放つ小さな球が飛び出していた。
「え・・・?」
そしてその球がフラフラとしばらく中空を彷徨ったかと思うと、突然音も無くパッと砕け散って消え去ってしまう。

今のは・・・?
次々と目の前で巻き起こる信じられない出来事の連続に、僕はもうほとんど用を成していなかった思考力を総動員して事態の把握だけを一心に目指していた。
しかしそんな未曾有の混乱の最中にあった僕にまるで止めを刺すかの如く、さっきまで明らかに死んでいたはずのレグノが僕の腕の中でゆっくりと目を開ける。
「う・・・む・・・」
「レ、レグ・・・ノ・・・?」
まさか・・・レグノが・・・生き返った・・・?
「私は・・・一体どうなったのだ?お前が生きているということは、転生の儀は成功したはずなのだが・・・」
「レグノの胸元から光の球が出て来て、僕の目の前で弾けたんだよ。そしたら、君が生き返ったんだ」

「光の球・・・」
私はその人間の言葉を聞いた瞬間、反射的に大婆様の姿を思い出していた。
"転生の儀にはとても大きな力が必要なんだよ。だから確実に成功するよう、少しばかり通力を分けてやったのさ"
あの時、大婆様はそう言って私の胸元に光の球を押し込めたのだ。
術者の命を代償とする転生の儀に相応の力が必要なことは容易に想像が付くし、実際大婆様の力を借りなければ私にこの人間を竜として生き返らせることは出来なかったかも知れない。
しかしそれと同時に・・・きっと大婆様は私の中に"もう1つの命"をも封じ込めたのだろう。
転生の儀を行った私に代わって砕け散るように、予め犠牲となる仮初の命を私に与えてくれたのだ。
「何か、思い当たる節でもあるのかい?」
「いや・・・何でもない・・・とにかく、全てが丸く収まったのだ。今夜は久々に、朝まで床を共にするとしよう」
「ああ、そうだね・・・でも朝までだなんて言わずに、これからもずっと一緒だよ、レグノ・・・」

多種多様なドラゴン達が身を寄せ合って暮らす、人里離れた山奥に存在する竜の里。
その里の中央に聳え立つ大きな洞窟の奥底で、純白の鱗に身を包んだ巨大な雌老竜が静かにその身を横たえていた。
「全く・・・無茶な若造もいたもんだよ・・・まあ、これも人間が持つ自己犠牲の精神って奴なのかもねぇ・・・」
そしてそう独りごちながら遥か遠くで自らが与えた命の粒が弾け飛んだ気配を感じ取ると、ようやく肩の荷が降りたとばかりに慈悲深い神竜が深い安堵の溜息を吐く。
「まあ、それでも同胞を見殺しにするわけにはいかないし・・・今回だけは、あたしも一肌脱いでやるさね・・・」
我が身を犠牲にしてでも、死に行く人間の命を救いたい。
若き黒竜のそんな無償の献身が、巨大な神竜の慈悲の心を動かしたのか。
遠い彼方で幸せな生活を築き始めたのであろう2匹の黒竜達の姿を夢にでも見ているのか、その夜、巨洞の奥で眠る老竜の顔には終始微かな笑みが浮かんでいたということだった。

このページへのコメント

ありがとうございます
続きは・・・あるかも知れません

0
Posted by SS便乗者 2016年06月13日(月) 02:00:49 返信

素晴らしかったです!
続きも読みたい……!

0
Posted by グラン 2016年06月12日(日) 11:06:42 返信

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