プロローグ

バン!
巨大な扉を勢いよく蹴り開ける音で、我は目を覚ました。
暗闇の中に目を凝らすと、腰に長剣を携えた気品の高い人間の若者が、数人の従者を伴って我の寝床にずかずかと踏み入ってくる所だった。
その胸元に、真っ白に輝く細かな装飾の入ったペンダントを身につけている。
「ようやく見つけたぞ!忌まわしきドラゴンめ!」
「・・・人間か・・・我に何の用だ?」
その無謀な若者は、冷たい眼で睨み返す我に向かって白刃を突き付けると大声で名乗りを上げた。
「私の名はアルタス!罪なき人々を襲う邪悪なドラゴンめ、我が父ルミナス王の命により貴様に天誅を下す!」
「愚か者めが・・・後悔することになるぞ・・・」
眠りを邪魔された怒りに我がのそりと首をもたげると、アルタスと名乗ったその若者はけたたましい雄叫びと共に剣を振り上げて飛びかかってきた。
我の頭を目掛けて、鋼鉄の剣戟が思い切り振り下ろされる。
ガギィン!
硬度の高い金属同士がぶつかるような高周波の音と共に、砕けた刀身の先が弾き飛ばされて壁に突き刺さった。
「なっ・・・!?」
「そんなもので我の鱗を貫けるとでも思ったのか?馬鹿めが!」
「くっ・・・」
唯一の武器を失って狼狽した若者がじりじりと後ずさる。
「ひ、ひぃぃぃぃぃ〜!!」
その光景に恐れをなしたのか、若者の後ろでガクガクと震えていた従者達は手にしていた燭台を辺りに放り投げると一目散に逃げ出した。

「・・・お前は逃げぬのか?」
なおもその目に我への憎しみを宿しながら、若者が叫ぶ。
「だ、黙れ!たとえ剣を失おうともこのままおめおめと引き下がれるか!」
若者はそう言いながら胸にかけていた純白のペンダントをブチッと引き千切ると、妖しい輝きを放つその石を我にかざして何かを唱え始めた。
シュウウウ・・・
その途端、まるで全身から力が向けていくような倦怠感が襲ってきた。
つい先程まで真っ白に輝いていた石が、見る見るうちに真っ黒に変色していく。
「う・・・ぬ・・・な、何をしたのだ!?」
まるで黒曜石か何かと見紛うほどに黒く染まった石を我に見せつけながら、若者が顔に薄ら笑いを浮かべる。
「貴様に呪いをかけたのだ。時と共に貴様の体は弱り始め、100年後には完全にその命が尽きることになる」
「何だと・・・おのれ・・・人間如きが小賢しいわ!」
見る見るうちに失われていく体力を振り絞ると、我は鋭く生え伸びた爪を振りかざして逃げようとする若者に飛び掛かった。
ズバッ
「ぐあああっ!」
だが若者は我の一撃に背中に3条の深い傷を負ったものの、真っ赤な血の跡を残しながらその場から走り去ってしまう。
「ぐ・・・う・・・」
そしてたったそれだけのことで一気に体力を使い果たすと、我は力なくその場にくず折れた。


第1章

「これ姫様、あまり急がれると危ないですぞ」
「だって、父が心配なんですもの。なんでも、急に倒れられたのでしょう?」
姫と呼ばれた女性は、馬車を操る御者を何度となく急かしては荒れた山道を故国ルミナスへ向かって急いでいた。
100年ほど前、ルミナスは国こそ大きく豊かであったものの、度々空から漆黒の鱗に覆われた巨大なドラゴンが姿を現しては民を苦しめていたそうだ。
当時のルミナス王には2人の息子がおり、そのうちのアルタスという王子がルミナスから少し離れた所にある森の中でドラゴンの棲む城を発見した。
王子は数人の従者を伴ってドラゴンの討伐に向かったが、従者達はドラゴンの恐ろしさに途中で逃げ出してしまい王子とドラゴンがどうなったかを見ていた者は誰もいなかったという。
だがしばらくして、アルタス王子が背中に深い傷を負って城の外で息絶えていたのを逃げた従者の1人が見つけたのだった。
その後、ドラゴンが町に現れることはなくなりアルタス王子は英雄として称えられたが、恐ろしさのあまりドラゴンがどうなったのか確認したものは誰1人としていなかったという。

「姫様、ここらで少し休憩なさってはいかがですかな?」
「あら、私は平気ですわ」
「で、では私めに休憩の許しをお与えくださいませぬか」
御者はそう言って振り返ると、私の顔を懇願するような目で見つめた。
確かに、私達は3日3晩ほとんど食事以外の休みを取っていない。
私はずっと座り心地のよい馬車の椅子に腰をかけていたためあまり気にはならなかったが、体を固定するための固い椅子に座っていた彼にはかなりの疲労が溜まっているようだった。
「わかりました。あなたは少し体を休めなさい」
「は、はい、ありがとうございます」
御者は恭しく礼を述べると、馬から飛び降りて近くの木陰に座り込んだ。
「私は少しその辺りを散歩してくるわ」
「この辺りは崖も多く危険ですゆえ、あまり遠くには行かれぬほうがよろしいかと存じますが・・・」
「心配ないわ、ちょっと景色を見に行くだけよ」

私は心配そうな顔で見つめる御者を振り切ると、小走りに緑の草に覆われた丘を駆け下りた。
山々の尾根を繋ぐような貿易のために開かれた道が、眼下の森を囲むようにして張り巡らされている。
「わあ、綺麗ね・・・」
深緑の絨毯の周りを青黒い山脈が取り囲み、晴れ渡った空の下に薄っすらと霞みをかけていた。
私はその大自然の美しさに見とれるあまり、いつのまにか砂利に覆われた急な坂道に足を踏み入れていたことに全く気がつかなかった。
ズルッ
「きゃっ!」
突然、私は何者かに足を掬われたかのような錯覚に陥った。
細かい丸石を踏み付けてしまい、あっという間にバランスを崩す。
「きゃああああああああっ!」
固い地面に強烈に尻餅をつくと、私は地滑りを起こした後のような急な坂道を真っ逆さまに転げ落ちていった。

突然、姫様の甲高い悲鳴が体を休めていた私の耳に突き刺さった。
慌てて飛び起きて声のした方へと駆け出したが、小さな丘を1つ越えて見えてきた光景に私は息を呑んだ。
滑りやすい砂利が敷き詰められた急な坂道が、眼下の森まで延々と続いている。
姫様の姿はどこにも見えなかったが、パラパラと転がり落ちる砂利が最悪の事態が起こった事を私に告げていた。

「ぐ・・・ぐうぅ・・・・・・」
暗闇に包まれた部屋の中に、体中を蝕む苦しみに呻く我の声が響く。
「うぁ・・・ああああ・・・・・・」
あの忌まわしき呪いをこの身に受けてから、もうじき100年が経とうとしていた。
日に3度襲ってくる強烈な激痛が、容赦なく我の命を削り取っていく。
床に這いつくばって残り少ない命を逃さぬように歯を食い縛っていると、やがて少しずつ痛みが引いていった。
「ふぅ・・・ふぅ・・・」
我は荒い息をつきながら城の外へ出ると、真昼の太陽に照らされた森を見回した。
少し、外を出歩くのもよいかも知れぬ。100年前、人間の町の上空を自在に飛び回った我の黒翼も、埃に塗れた城の中に長くいたせいか色褪せているように見えた。
固く閉ざされていた門を開け、我は薄暗い森の中へと足を踏み出そうとした。と、その時・・・
「きゃああああああああっ!」
どこからともなく、人間の女の甲高い悲鳴が聞こえてきた。
「・・・何だ?」
ただ事ならぬその様子に、ゆっくりと声のした方へと向かって歩き出す。
しばらく行くと、まるで天から降ってきたかのように森の木を突き抜けたと思われる若い女が地面に倒れていた。
ふと上を見上げると、岩壁の更に上の方に急な坂が見える。どうやら足を滑らせて落ちてきたらしい。
・・・100年振りに見る人間。アルタスと名乗った若者にかけられた呪いを思い出して我は一瞬反射的にその人間を食い殺そうとしたが、寸での所で思い留まった。
もう先の短い命だ。そんなことをしても仕方がない。少し迷った後、我はその人間を背に担ぎ上げた。

「ん・・・んん・・・・・・」
夜になって体が軋む痛みに目を覚ますと、私はキョロキョロと辺りを見回した。
真っ暗でほとんど何も見えなかったが、暖かく柔らかい感触にそこがベッドかソファの上であることがわかる。
御者の彼が助けてくれたのだろうか?しかし、そうだとしてもここは一体どこなのだろう?
父の城にしては明らかに雰囲気が違っているし、少し埃っぽい気もする。
それに、彼らならば私をこんな真っ暗な部屋に1人で置いておくなどということはしないだろう。
キィ・・・
その時、突然誰かが大きな木製の扉を押し開けた。
廊下に燈る燭台の淡い光が扉の隙間から零れてきたが、誰が部屋の中に入ってきたのかは全く見えない。
しかし、光を遮った影からそれがとても大きな・・・
誰かもわからずに私が声をかけようとしたその瞬間、鋭い2つの眼が闇の中で光っているのが目に入った。
幸か不幸か暗さに慣れてきた私の目がその正体を捉え、背筋に冷たいものが走る。
闇の中に溶け込むような巨大な黒いドラゴンが、じっと私の顔を睨みつけていたのだ。
「ひっ・・・あ・・・」
心臓を鷲掴みにされたような恐怖に、悲鳴すらもが飲み込まれる。
私はあまりの衝撃にパニックに陥り、ガサガサとベッドの上を必死に後ずさった。
「目が覚めたか?」
空気を震わすようなドラゴンの声が耳に届いた瞬間、私は張り詰めた緊張の糸がプツリと切れて気を失った。


第2章

チュン・・・チュンチュン・・・・・・
朝日に喜ぶ雀の鳴き声に呼び起こされ、私は薄っすらと目を開けた。
眩いばかりの太陽の光が、小さな窓にかけられたカーテンの間から燦燦と差し込んでいる。
コトッ・・・
ベッドに横になりながら明るい窓の方を向いていた私の背後で、唐突に小さな音が鳴った。
誰かがいる気配がする。そう言えば、昨夜のあれは一体・・・いいえ、きっと悪い夢だったんだわ。
鮮明に記憶に刻みつけられたドラゴンの眼を思い出し、夢だとは思いつつも恐る恐る後ろを振り向く。
果たして、部屋中に拡散する淡い光に照らされた黒いドラゴンが間近で私の顔を覗き込んでいた。
その無表情な眼とまともに視線が合ってしまい、ピタリと時間が止まる。

「あ・・・・・・」
ようやく絞り出した私のか細い声に、ドラゴンが反応する。
「怯えずともよい。何もせぬ」
その言葉を数十回も頭の中で繰り返し反芻してから、私はようやく落ち着きを取り戻した。
まだ心臓がバクバクと激しく暴れている。
「あ、あなたは・・・」
何もせぬとは言われたものの、巨大なドラゴンと相対するには余りにも近すぎる距離に私はうまく声が出てこなかった。
今にもその恐ろしい口で一飲みにされるのではないかという本能的な恐怖が、私の体を縛り付ける。
「・・・そのままでもよいのか?」
「え・・・?」
ドラゴンの発したその言葉に、ハッと自分の体を見回す。よほど心のゆとりがなくなっていたのか、私はその時になって初めて服をほとんど着ていなかった事に気が付いた。
生白い肌のあちこちに、坂を転げ落ちた時に負ったと見られる痛々しい擦り傷がついている。
しかしその割には、体は綺麗に清められていた。
「わ、私の服をどうしたのですか?」
「お前の服はもうない。そこらにある好きなものを着ればよかろう?この城の元の持ち主が使っていたものだ」
そう言いながら、ドラゴンがついっと部屋の隅を顎で指し示す。
厚く埃を被った木製の箪笥から、色とりどりの服の端がのぞいていた。
「そんな・・・ああ、そんな・・・」
ドラゴンの言葉と態度に、私は激しい恥辱に襲われた。
裸の体と失われた服が、気を失っている間にドラゴンが私の体を舐め清めていたことを示している。
そして両手で顔を覆って嘆いている私に向かって、ドラゴンがとどめの一言を放った。
「お前は今日からここで我と共に暮らすのだ。何も嘆くことはなかろうが?」
「なんですって!?」
信じられないその言葉に、かけていた布団で体を隠しながらドラゴンに向かって聞き返す。
ドラゴンはフンと鼻を鳴らすと、背を向けて部屋の入り口に向かいながら言い放った。
「気紛れでお前を助けはしたが、城から出て行くことは許さぬ。長生きしたいのならば我に従うのだな・・・」
返す言葉を失い唖然とする私をその場に置き去りにすると、ドラゴンはバタンと扉を閉めて部屋から出ていった。

「う・・・うう・・・う・・・」
目を伏せて己の不運な境遇を嘆いているうちに、私は旅の目的を思い出していた。
突然倒れたルミナス王の父。体は大丈夫なのだろうか・・・?
一刻も早く、私は父に会いたかった。だが、あのドラゴンは私をここから逃がしてはくれないだろう。
ああ・・・私は一体どうすれば・・・
葛藤と煩悶に嗚咽を漏らしながらも、私はベッドから抜け出して埃塗れの箪笥を開けた。
1世紀以上昔の古臭い服が、どことなく黴臭い臭いを発している。
王女である私がこんなみすぼらしい服を着ることになるなんて・・・しかし、贅沢を言ってはいられなかった。
屈辱を我慢してその服に袖を通すと、そっと扉を開けて廊下へ出る。
絶え間なく煌煌と輝く燭台の光と、天窓から降り注ぐ明るい光が趣のある城の回廊を照らしていた。
カツン、コツンという足音が、静かな城内に響き渡る。
ベッドの横にそのままにされていたこのハイヒールだけが、微かに残った私の王女としてのプライドを支えていた。

「う・・・うぐぁ・・・ぐああああ・・・・・・」
その時、どこからかドラゴンの苦しむような呻き声が聞こえてきた。
「な、何・・・?」
突如辺りに流れ出した不穏な空気に、私は身を縮めながらドラゴンの居場所を探し始めた。
回廊を進むにつれて、ドラゴンの声が大きくなっていく。
「ここだわ・・・」
あの恐ろしいドラゴンが発しているとは到底思えぬほどの苦しげな喘ぎが、1枚の扉の向こうから漏れてきていた。
キィ・・・・・・
私は極力音を立てないようにそっと扉を開けると、中の様子をうかがった。
「ぬあああ・・・ぐ・・・が・・・・・・」
部屋の中では、黒いドラゴンが地面に這いつくばって体中を駆け巡る苦痛に身悶えていた。
あまりの苦しみにドラゴンが暴れたのか、周囲のテーブルやソファには深々と爪跡が刻まれていて、調度品の数々がドラゴンの周りを避けるように辺りに散乱している。
その異様な光景に、私は手で口元を覆いながら驚きの表情を浮かべて後ずさった。
カタッ・・・
その拍子に、思わず扉の横に置かれていた小さなテーブルにぶつかって音を立ててしまう。
苦痛に顔を歪めたドラゴンが、私に気付いてこちらを振り向いた。
「あ、あの・・・ごめんなさい・・・」
見てはいけないところを見てしまったような気がして、私は思わず謝った。
「そんなところで・・・何をしておるのだ・・・?」
ハァハァと全身で大きな息をつきながら、ドラゴンが声を絞り出す。
「その・・・あなたの苦しそうな声が聞こえたから・・・大丈夫・・・?」
「なんでもない・・・すぐに出て行け!」
ドラゴンに恐ろしい声で脅され、慌てて部屋を飛び出す。
急いで元の部屋に逃げ帰ると、私はベッドに潜り込んで恐怖に震えていた。

しばらくして、再び部屋の扉が開けられる小さな音が私の耳に届いた。
キィ・・・
そっとそちらへ視線を向けてみると、憔悴した表情のドラゴンが入り口のところから私の様子をうかがっていた。
なんと声をかけていいのかわからずに私が戸惑っていると、ドラゴンの方が先に口を開く。
「・・・そんな目で我を見つめるな」
「あれは・・・一体なんですの?」
会話の取っ掛かりを見つけ、乾いた喉からようやく言葉が出る。
あのドラゴンの苦しみ方は尋常ではなかった。だが、今は落ち着きを取り戻しているように見える。
「・・・100年前にこの国の王子にかけられた・・・死の呪いだ」
その言葉を発するのも躊躇われるかのように、ドラゴンが静かに呟いた。
100年前・・・100年前といえば、アルタス王子が森に棲んでいたというドラゴンを退治した頃では・・・
ハッとして、私は思わずドラゴンに念を押していた。
「そ、その王子の名前は・・・まさかアルタスというのでは・・・?」
「?・・・なぜお前が知っているのだ?」
アルタスという名前を耳にした途端、私はドラゴンの目に暗い憎しみの炎が宿ったのがわかった。
「で、ではあなたは・・・アルタス王子が退治したとされていたドラゴン・・・なのですね?」
「フン、退治しただと?あの忌まわしき人間は我に100年の苦痛をもたらす呪いをかけて逃げ去ったのだ」
しかし、そこまで言ってドラゴンは自分の話に矛盾があることに気がついたようだった。
もしアルタス王子が無事に逃げ延びていれば、ドラゴンが生きていることを人々が知っていたはずだからだ。
「そうか・・・誰かに真相を告げる前に、あの王子は息を引き取ったのだな?」
「・・・はい。城の前で倒れているのを従者が見つけたときには、すでに息はなかったそうです・・・」

思わぬ歴史の誤謬に気がつき、私は複雑な立場に立たされていた。
もしこのドラゴンが私の素性を・・・私がルミナス王家の人間であることを知ったら・・・
冷たいドラゴンの眼を見つめてしまい、私は知らず知らずのうちにカタカタと足が震え出していた。
「どうした・・・何を震えておるのだ?」
「い、いえ・・・なんでもありませんわ・・・」
私は背筋に伝う冷たい汗の感触をグッと堪えたが、ドラゴンにまじまじと見つめられてしまっては、とてもその動揺を隠しきれるものではなかった。
「そういえば・・・お前の名を聞いていなかったな」
その言葉に、ドキリと心臓が跳ね上がる。私をじっと睨み付けるドラゴンの細められた眼に、私は全てを見透かされているような恐れを感じた。だが仮に素性を隠した所で、いずれ知られてしまうだろう。
私はゴクリと唾を飲み込むと、意を決してドラゴンに自らの素性を明かした。
「私の名はシーラ・・・このルミナス国の王女です」
ドラゴンが相当な衝撃を受けたであろうことは、見開かれたその眼を見ても明らかだった。
「では・・・お前は我に呪いをかけた王家の・・・」
「・・・末裔です」
はっきりと言い切ると、私はギュッと目を瞑った。
「うむむ・・・・・・」
辺りに流れる静寂に、私はドラゴンが怒りを抑えてくれることを一心に願っていた。

今我の目の前にいるこの人間が、ルミナス王家の末裔・・・
これは命の尽きかけた我に悪魔が与えた復讐の好機なのか・・・?
10万回以上も味わった地獄の苦痛を思い起こし、100年越しの怒りに思わず鋭い爪を振り上げそうになる。
だが、恐怖に震えながらも気丈に振舞おうとしている女の様子に、我は辛うじて怒りを鎮めた。

ゴソッ・・・
恐怖に怯える私の耳に、ドラゴンの動く気配が伝わる。
「・・・!」
思わず漏らしそうになった悲鳴を噛み殺し、私は胸の前で合わせた両の拳を強く握り締めた。
・・・・・・・・・だが、いつまで待ってみてもドラゴンの憎しみが私に向かって吐き出されることはなかった。
キィ・・・
扉の開く音が聞こえ、恐る恐る薄目を開ける。
「たとえそうだとしても、お前には関係のないことだ・・・」
それだけ言い残すと、ドラゴンは静かに部屋を出ていった。
「・・・・・・助かった・・・の・・・?」
グゥゥ・・・
はちきれんばかりだった緊張が一気に解け、空腹に腹が唸り声を上げる。
そういえば、昨日の昼から何も食べていなかった。
タイミングがタイミングなだけに今ドラゴンに声をかけるのは非常に心苦しかったが、背に腹はかえられない。
私は急いで部屋を飛び出すと、ドラゴンの後を追った。

高く上った太陽に照らされた回廊を歩きながら、我は本当にこれでよかったのかと自問していた。
だが最初にあの女を見つけたときも、我は殺すのを思い留まったではないか。
それが王家の人間だったからといって、憎しみにまかせて1度助けた命を奪うのは己のプライドが許せなかった。
カツン、カツン、カツン・・・・・・
その時、我は背後から足音が近づいてくるのに気がついた。
相当焦っているのか、妙に早足・・・いや、走っているといってもいいほどに音の間隔が短い。
何事かと背後を振り向いたまま待っていると、人間が息を切らせて我に追いついてきた。
「どうかしたのか?」
「あの・・・何か食事を・・・私、昨日から何も食べていなくて・・・・・・」
「フン、何かと思えば・・・たった今しがた命が助かったばかりだというのに、ふてぶてしいものだな」
痛い所を突かれて、人間が言葉に詰まる。だが、こうなってしまった以上放っておくわけにもいかぬだろう。
「この城にはもう食い物など残ってはおらぬぞ」
予想はしていたのだろうが、改めて突きつけられた現実に人間が落胆する。
「・・・・・・それとも、我と共に狩りにでもでかけるか?」
食べ物が手に入るという期待からか、それとも外に出られる嬉しさからか、人間の顔に明るい笑顔が浮かぶ。
その直後、どこにそんな元気が残っていたのかというほどの大きな声で返事が返ってきた。
「はい!」

第3章

「全ての責任は私にあります。本当に申し訳ございません!」
大きなベッドから体を起こしたワシの傍らで、シーラの乗る馬車を操っていた御者が深く頭を下げていた。
「それで・・・シーラの行方は?」
「はっ・・・今も姫様が転落したと思われる辺りを数十人の兵士が捜索を続けております。ですが・・・」
「ですが・・・なんだ?」
後に付け加えられた御者の不穏に一言に、思わず聞き返してしまう。
「転落されたときに怪我を負ったのか、所々に血痕が残っておりました。それと共に、大きな獣の足跡が・・・」
「なんということだ・・・」
最悪の事態を想像し、ワシは頭を抱えた。
「とにかく・・・何か手がかりを見つけるまで捜索を続けるのだ・・・」
「もちろんそのつもりでございます」
「うむ・・・さがってよいぞ・・・」
重責にうろたえる御者をさがらせると、ワシは自分の愚かさを呪った。
軽い発作を起こして倒れただけだというのに、シーラはワシの身を心配して駆けつけようとしてくれたのだ。
それがまさか、こんな恐ろしいことになるとは・・・
愛しい娘の無事を願いながらも、ワシは絶望と激しい無力感に打ちひしがれていた。

ドラゴンと共に城の外に出た私は、清々しい森の空気を胸一杯に吸い込んだ。
埃っぽい城の中とは違い、それだけで気分がよくなってくる。
「もし逃げようとすればどうなるか、わかっておるだろうな」
「もちろん、わかっておりますわ」
その返事を聞くと、ドラゴンが大きな門を開く。
目の前にぽっかりと口を開けた森に足を踏み入れると、私は目に付いた食べられそうな木の実や果物を手当たり次第に採り始めた。
ドラゴンはというと、獲物となる動物でも探しているのかどんどん森の奥へと入っていく。
私に逃げるなと言った割に、いつのまにかドラゴンの姿はどこにも見えなくなっていた。
だが、どこでドラゴンが目を光らせているかわからない以上このまま逃げるのは危険だろう。
それに、私はとりあえずこの空腹を何とかしたい思いで一杯だった。

「ふう・・・このくらいでいいかしら・・・?」
着ていた服の裾を丸めて大量の果物や木の実を腹に抱えると、私はドラゴンの姿を探した。
あんなに恐ろしい存在だというのに、いざ深い森の中でドラゴンの傍を離れてみると急に心細くなってくる。
ウゥゥゥ・・・
その時、背後から獣の唸り声が聞こえた。
両手で服の裾を摘み上げたままゆっくりと後ろを振り向くと、木の陰から体を出した大きな猪が危険な目で私を睨みつけている。
「ああ・・・ど、どうしよう・・・」
今にも襲いかかってきそうなその猪を極力刺激しないように、私はゆっくりと辺りを見回した。
だが、どこにもドラゴンの姿は見えない。
こうなれば、自力で逃げるより他に手はなかった。猪の目をじっと見つめたまま、ゆっくりと後ずさる。
だが、私が逃げようとしていることを直感したのか、猪は大きく咆えると一気に突進してきた。
「ひっ・・・」
突然の攻撃に虚を衝かれ、悲鳴を上げることもできずにその場に尻餅をつく。
腹に抱えていた木の実や果物が、バラバラと辺りに散乱した。
前方に突き出された鋭い2本の牙が、見る見るうちに迫ってくる。
もうだめ・・・!
恐怖と諦観に目を瞑った次の瞬間、ガッという大きな音と衝撃が私の体に走った。

別に、どこにも痛みは感じなかった。
何が起こったのかわからずにゆっくりと開けられた私の目に、深い爪跡を刻まれて転がった猪が飛び込んでくる。
更に視界の端にドラゴンの大きな黒い手が見え、私は恐る恐る後ろを振り向いた。
「えっ・・・?」
信じられないことに、ドラゴンが背後から覆い被さるようにして私の身を守ってくれていた。
「・・・怪我はないか?」
「え、ええ・・・ありがとう・・・」
お礼を言いながらも一体どういう風の吹き回しなのかとドラゴンの顔を見つめると、ドラゴンはフイッと顔を背けてごまかした。
「早く落ちた実を拾うがいい。城へ戻るぞ」

「後は好きにするがよい」
仕留めた猪と大量の果物を持って城へ帰ると、ドラゴンはそう言い残してすぐに例の部屋へと閉じこもった。
その直後、再び身を切り裂かれるような苦痛に喘ぐドラゴンの声が聞こえてくる。
「ぐぅ・・・ぐがああああ!・・・うああっ・・・・が・・・あ・・・」
100年もの間毎日このような地獄を味わってきたのかと思うと、私は心の底からドラゴンを憐れんだ。
とても居た堪れなくなって自分の部屋へ戻ると、摂ってきた木の実を口に入れる。
城の入口にはあの大きな猪も置かれていたが、料理などしたことのない自分には食べようにも食べられなかった。
なぜ、ドラゴンは何度も私の命を救ってくれたのだろう。
あれほどまでに人間を、それもルミナス王家の人間を憎んでいるというのに、つっけんどんな態度を取りながらも時折見せるドラゴンの不思議な優しさに私は次第に引き込まれていった。
ここであのドラゴンと共に過ごすのは構わない。その運命を受け入れる覚悟はでき始めている。
しかしそれと同時に、私は父のことも気にかけていた。せめて一目だけでも、父の元気な姿が見たい。
だが、その願いのあまりの儚さに私はベッドの上で1人悲嘆に暮れていた。

翌朝、私はまたしても扉の開く音で目が覚めた。
昨日は結局あの後ドラゴンが部屋に姿を見せることはなく、私はいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
部屋の入口に目を向けると、昨日よりも更に憔悴の色を濃くしたドラゴンがこちらの様子をうかがっていた。
「どうした・・・浮かぬ顔をしておるぞ?」
私の顔を覗き込みながら、ドラゴンが心配そうに尋ねる。どうせだめだということはわかっていたが、私は思い切ってドラゴンに悩みを打ち明けた。
「お願いがあります。せめて・・・せめて一目だけでも、父に会わせてほしいのです」
「・・・この城を出て行きたいというのか?」
ドラゴンも、それがどういう意味を持っているのかはよくわかっているようだった。
「きっとまた戻ってくると約束します。だからお願い・・・」
「フン、馬鹿な・・・またここに戻ってくるだと?そんな言葉が信用できるとでも思うのか?」
自分でも、滅茶苦茶な要求をしていることは重々承知している。
だが、たとえ滅茶苦茶でも私にはこうしてドラゴンに頼む以外に方法がないこともまた事実だった。
「・・・・・・・・・よかろう」
しばらく何かを考えているような間があった後、ドラゴンの口から意外な言葉が返ってきた。
「ほ、本当によいのですか?」
「我の気が変わらぬうちに行くがいい」
うな垂れるドラゴンをその場に残して城を出ると、私は半信半疑のまま森の中に駆け出していった。


第4章

「へ、陛下!ひ、姫様が戻られましたぞ!」
いつまで経っても届けられぬ朗報に半ば諦めかけていたその時、御者が大慌てでワシの寝室へと飛び込んできた。
「なんだと!?」
「捜索に当たっていた1人の兵士が、森の中を歩いていた姫様を見つけたそうでございます!」
興奮した様子で御者がまくしたてる。
「そ、それでシーラは今どこに?」
「ここにおりますわ、父上」
ワシの言葉に、娘の澄んだ声が返ってくる。
視線を向けた先にいた娘は所々埃を被った古臭い服を着てはいたものの、忘れもしないその明るい笑顔をワシに見せてくれていた。
「おお・・・よくぞ無事で・・・一体今までどうしておったのだ?」
「ある親切な方が、崖から転落した私を助けてくれたのです。今まで体を休めておりました」
そう答えた娘の手や胸に、小さな擦り傷が見て取れた。
美しい体に傷がついてしまったのは残念だが、この程度の怪我で済んだのは僥倖というものなのだろう。
「そ、そうか。それは丁重にお礼を述べねばなるまいな。その方は一体どのような人物なのだね?」

父の発した人物という言葉に、私はグッと息が詰まった。絶対に本当のことを打ち明けるわけにはいかない。
「それが、その方はどうしても正体を明かしたくないと申しまして・・・」
「ほう・・・王女を救っておいて名乗り出ぬとは、変わった者もいるのだな」
父はそう言うと、胸にかけていた細かな装飾のある真っ黒な石のペンダントを外して私に手渡した。
「これは・・・?」
「我がルミナス王家に代々伝わる、あの英雄アルタスも身につけていたという貴重なペンダントだ」
中央にある大きな黒曜石が、まるで不思議な力を秘めているかのように鈍く黒光りしている。
「ワシからのお礼だ。その方に渡してあげなさい」
「わかりました、父上」

父の寝室を出ると、私はペンダントを身につけて城の書物庫へと向かった。少し、調べたいことがあったのだ。
堆く積み上げられた膨大な古書の中から、ルミナスの歴史について書かれた本を探し出す。
「あった・・・これだわ・・・」
手に取った1冊の本を開けると、私は100年前に起こったことについて書かれた記録を辿っていった。
1274年4月18日・・・町の上空に黒竜が出現。その直後、国中に疫病が蔓延する。
同5月11日・・・隣国サルナークよりルミナスに黒水晶のペンダントが贈与される。
同6月4日・・・再び町の上空に黒竜が出現。翌5日、大風が吹き荒れ多くの家屋が倒壊。
同7月24日・・・ルミナス領内の森の中に無人の城を発見。
同8月10日・・・町の近くで黒竜が目撃される。14人の老若男女が行方不明に。
「これは・・・どれもドラゴンが直接関係しているとは言いがたいわ」
こじつけとも取れる天災とドラゴンとの結び付けに疑問を感じながらも、さらに読み進める。
同8月19日・・・3度町の上空に黒竜が出現。若い男が森の城に向かってドラゴンが帰っていくのを目撃。
同8月20日・・・サルナークより贈られたペンダントが紛失。
同8月21日・・・アルタス第2王子が行方不明に。翌22日朝、城の地下室から出てきた所を発見される。
同8月23日・・・アルタス第2王子が森の城へドラゴンの退治に向かう。
同8月24日・・・森の城の前でアルタス第2王子の亡骸を発見。紛失したはずのペンダントが手に握られていた。
「待って、今日の日付は確か・・・1374年8月22日・・・」
その瞬間、私は手にしていた本をドサリと取り落とすと夕日に照らされたルミナス城を飛び出した。

「陛下!」
今度は少し慌てた様子で、再び御者がワシのもとに駆け込んできた。
「今度はどうしたというのだ?」
「もう日が暮れるというのに、姫様が城を・・・」
「抜け出したのか?」
ワシの目を見ながら、御者が頷く。
「なぜこんな時間に・・・命を救ってくれたというその方のもとに礼に参るなら、明日にしてもよかろうに」
「大分焦っておられるご様子でした。それとこれは関係ないことかも知れませぬが、書物庫に1冊の本が・・・」
「?・・・何の本だ?」
そう問い返すと、御者は用意のいいことに後ろ手に持っていたその本をワシに差し出した。
「これは・・・ルミナスの歴史について綴られたものだな」
「100年前について書かれたページが開かれておりました。陛下が姫様に渡したあのペンダントのことも・・・」
「ふむ・・・代々伝わる物だとは聞いていたが、隣国からの贈り物だったとはな・・・」
だが、御者はまだ何か言いたそうな顔をしている。
「他に何か?」
「陛下、お気づきになりませぬか?姫は森の中に転落して、数日後に再び森で見つかったのでございますよ?」
「よほどの変わり者が住んでいるのでなければ、森の中にあるのはかつての黒竜の城だけだと言いたいのか?」
ようやく核心に触れたかのように、御者が勢いよく頷く。
「その通りでございます」
「わかったわかった。一応、数人の兵士にシーラのあとを尾けさせよ。もし何かあれば報告を」
「かしこまりました」
御者が出ていくと、ワシは溜息をついて考え込んだ。言われてみれば、御者の言うことにも一理ある。
だが、あの黒竜は約100年も前に退治されたはず。
仮に娘が向かったのが森の城だったとして、今更何の心配があるというのだ?
そう思いながら、ワシは再び手にしていた歴史書を開いた。詳細に日付を追っていく内に、あることに気付く。
「これは・・・アルタスがドラゴン退治に向かってから、明日でちょうど100年目ではないか」
いや、それよりも気になるのは、ドラゴン退治にでかける直前にアルタスがあのペンダントを持って城の地下室で何をしていたのかだ。これは少し、調べてみる必要がある。
「誰か、誰かおらぬか?」
ワシの声に反応して、兵士の1人が寝室にはいってきた。
「お呼びでしょうか?」
「うむ、少し頼みたいことがある。実はな・・・」

徐々に薄暗くなっていく森の中を、私はドラゴンの城に向かって急いだ。
100年の苦痛をもたらす死の呪い・・・明日がちょうど、ドラゴンが呪いを受けてから100年目の日なのだ。
よく見えない足元に度々躓きながらも懸命に走り続けると、やがて周囲の高い木に隠れるようにして聳える城が見えてくる。
回廊に蝋燭の明かりが燈っている以外に光のないドラゴンの城は、真っ暗になった周囲にまるで溶け込むかのようにその存在を潜めていた。
出てくるときに開けた巨大な城門をくぐり、城の入口に向かって急ぐ。
あとを尾けてきた兵士達が城門の所からその様子をうかがっていたことなど、私は知る由もなかった。

勢いよく城の中に飛び込むと、私はドラゴンの姿を探した。
回廊を走り回り、片っ端から部屋の扉を開けていく。
だがいくら探してみても、どこにもドラゴンの姿は見当たらなかった。
残っているのは、いつもドラゴンが呪いに苦しむあの部屋の扉だけ・・・
キィ・・・・・・
そっと扉を開けると、私は真っ暗な部屋の中にドラゴンの気配を探した。
微かに、眠っているような息遣いが聞こえる。
私は扉を開け放って部屋の中に駆け込むと、床で蹲っていたドラゴンに寄りすがった。
「ああ・・・よかった・・・無事だったのですね・・・」
「む・・・?なんだ!?」
突然感じた人間の気配に、ドラゴンが驚いて目を覚ます。
暗闇の中でも見えるのか、ドラゴンはじっと私の顔を見つめると声を絞り出した。
「お前は・・・まさか本当に戻ってくるとは・・・」
「だって、そう約束しましたもの」
「だが、なぜそんなに慌てておるのだ?」
城中を走り回って息を切らしていた私の様子に、ドラゴンは怪訝そうに尋ねた。
恐らく、正確な暦の概念がないドラゴンは明日が呪いを受けてからちょうど100年目の日だということを知らない。
ただ日増しに弱っていく体に、己の死期が近いことだけを感じているはずなのだ。
「それは・・・」
言い出してもいいものか迷っていると、ドラゴンはいつにもなく穏やかな口調で私に就寝を促した。
「まあいい・・・とにかく、今日はもう寝るがよい。話は明日聞くとしよう・・・」
明日では遅い。だが、仮に今打ち明けたとしても結局ドラゴンの運命を変えることなどできないのかもしれない。
私は言われるままにいつもの部屋に通されると、ベッドに潜り込んだ。
私の身を心配してか、ベッドの横の床にドラゴンも身を伏せる。
私は何とかしなくてはと焦る気持ちで一杯だったが、あちこち走り回って蓄積された疲労は私を否応なく眠りの世界へと引きずり込んでいった。

「なに?やはりシーラは森の中の城に入っていったと申すのか?」
「はい。かなり慌てた様子で城の中に飛び込んでいったと、姫様を尾けた兵士より報告を受けております」
「そうか・・・とにかく、翌朝ワシも様子を見に行ってみるとしよう」
その言葉を聞いて報告にきた兵士が部屋を出ていくと、入れ替わるようにしてワシが調査を頼んだ別の兵士が部屋に入ってきた。
報告を始めるように目で兵士を促す。
「城の地下室で呪法の研究が行われていた跡が見つかりました」
「呪法だと・・・?」
「はっ・・・水晶を媒介に100年かけて相手の生命力を奪う類のものかと思われます」
その報告に、ワシの頭の中で一連の出来事が1本の線に繋がったような気がした。
「わかった・・・さがってよいぞ」
「はっ」
・・・これは、もしかしたらワシが思っている以上に事態は複雑なのかも知れぬな・・・
娘の身を案じながら、ワシは夜が明けるのを眠れないままジリジリと待つことになった。


第5章

翌朝、ワシは馬車に乗り込むと数人の兵士達と共に森の中の城に向かって出発した。
何かが起こるような予感がする。思い過ごしであってくれればよいのだが・・・
ガラガラと車輪の転がる音を聞き続けること約1時間。ようやく、森の中に件の城が見えてきた。
「おお・・・ルミナス領内に100年以上前からこのような城があったとは・・・」
朝日に照らされたその城は、まるで打ち捨てられた難破船の如くに不吉な雰囲気を放っていた。
娘は無事なのか・・・いざ実際に城の様子を目の当たりにして、ワシは途端に猛烈な不安に襲われていた。

窓から穏やかに差し込む朝日に、私はゆっくりと目を開けた。
床に蹲って眠っているドラゴンの顔に、もはやドラゴンとしての力強さは感じられない。
私が起きた気配に気付き、それと知らずに最後の朝を迎えたドラゴンも目を覚ます。
「・・・よく、眠れたか?」
ドラゴンのその言葉に、私は思わず目から涙が零れた。
私が今までに出会ったどんな人間よりも、優しくて大きな方・・・
それなのに、もうすぐその命は失われてしまうのだ。
「なぜ・・・泣いておるのだ?」
「だって・・・今日なのです。あなたが呪いを受けた日から、今日でちょうど100年・・・」
驚きの表情を浮かべるという私の予想に反して、ドラゴンは寂しげに目を細めた。
「・・・そうか・・・ようやく、この苦しみから解放される時がきたのだな・・・」
すでに死の運命を受け入れているドラゴンに、私はかける言葉が見つからなかった。

数分後、ドラゴンは最後の苦しみを私の部屋の中で迎えた。
「あ・・・がぁ・・・・・・うぬああああぁぁ!」
容赦なく命を削り取る地獄の苦痛に、ドラゴンが床に這いつくばって辺りの物に手当たり次第に爪を突き立てる。
「ああ・・・」
目の前でのた打ち回るドラゴンを正視できずに、私は思わず目を背けた。
「うああああああ・・・ぐ・・・あぅ・・・・・・」
ドラゴンは口の端から唾液を垂れ流しながら床にドサリと崩れ落ちると、ピクピクと痙攣を始めた。
もはや暴れる体力も声を上げる気力すらも失い、ただただ死を待つばかりの憐れなドラゴン・・・
私はその脇により添って、硬い鱗に覆われたドラゴンの体をさすった。
一体どうすれば・・・このドラゴンを苦しみから救えるのだろう・・・?
こんな・・・こんな悲劇しか生まぬ呪いなど、いっそ消えてしまえばいいのに・・・
ポロポロと涙を流しながら強く念じた私の胸元で、あの黒いペンダントがキラリと輝いたのに私は気がつかなかった。

突然ポッと胸元が熱くなったような感覚に、私は胸に手を当てた。
首から下げたペンダントが手に触れ、その異変にようやく気付く。
真っ黒だった石が、少しずつその色を白く染め始めていたのだ。
ドラゴンの体から紫色の靄のようなものが次々と溢れ出ては、ペンダントの中に吸い込まれていく。
私は何が起こったのかわからずに、呆然とその光景を眺めていた。
「こ、これは・・・?」
数分後にその不思議な現象が収まった時、ペンダントはまるで雪のように真っ白な石にその姿を変えていた。
まさか・・・呪いが解けた・・・?
私は慌ててドラゴンの顔を覗き込んだ。ぐったりとしているものの、まだ息がある。
だが呪いが解けたとはいえ、失われた体力までは戻ってこなかった。このままではやはりドラゴンの命はない。
「そんな・・・」
全ては遅すぎたのだ。昨日の夜にこのことに気付いていれば・・・いえ、あとほんの10分早ければ・・・
死にゆくドラゴンのそばで絶望感に打ちのめされ、私はその場に泣き崩れた。

ドタドタドタッ・・・
その時、私の耳に大勢の人間が回廊を走る足音が聞こえてきた。
1人の兵士が部屋の扉を開けて中を覗き込むと、大慌てで誰かを呼びに走って行く。
ややあって、父が部屋の入り口に姿を現した。
「ち、父上・・・」

「これは・・・」
部屋の中を一目見た瞬間、ワシは頭の中が真っ白になるような感覚を味わった。
虫の息で横たわるドラゴンの横で、娘が涙でくしゃくしゃになった顔をこちらに向けている。
「お願いです。この方を助けてあげて!」
娘が放った突然の一言に、ワシは声を詰まらせた。
「し、しかし・・・そのドラゴンは100年前にルミナスを襲った邪悪なドラゴンでは・・・」
「いいえ、この方は何度も私の命を助けてくださいました・・・お願い・・・」
今まで1度も我侭を言ったことのなかった娘が、初めて必死でワシに懇願していた。
その迫力に圧倒され、躊躇いながらも兵士に告げる。
「よ、よし・・・ドラゴンを馬車の荷台に乗せよ。城へ急ぐぞ」
「ありがとう・・・ありがとう・・・」
大勢の兵士達で巨大なドラゴンを荷台に乗せている間、娘はひたすらに礼を言い続けていた。

ルミナス城へ帰り着くと、ドラゴンは城の東側に建てられた大きな塔の中へと入れられた。
城中の人間がドラゴンの看病に当たる日が続く。
十分な栄養と休息を与えること約10日間、私の心配をよそにドラゴンはなんとか一命を取り留めたようだった。
「どうにか落ち着いたようだな・・・だが、あのドラゴンを塔の外へ出すことは許さぬぞ」
「ええ・・・わかっています」
いまだドラゴンを信用し切れていない父の一言に、私は内心傷ついていた。
父のもとを離れ、ドラゴンの幽閉されている塔へと向かう。
厚い鉄製の扉を開けて塔の中を覗くと、床に蹲っていたドラゴンがゆっくりと顔を上げた。

「・・・なぜ、お前は我を助けたのだ・・・?」
人間に命を救われたのが腑に落ちないのか、ドラゴンは不思議そうな顔でそう私に尋ねていた。
「だって・・・あなたは何度も私を助けてくれましたでしょう?その恩返しですわ」
「フン・・・人間に恩を返される覚えなどないわ・・・」
そう言いながら、ドラゴンが私と視線を合わせるのを避けて俯いてしまう。
一体、何と声をかければいいのだろう・・・
もしかしたら、ドラゴンは残り少ない命に刺激を欲して私を助けたのだろうか?
だとしたら、命が助かった今私にはもうなんの興味も持ってくれてはいないのだろうか・・・?
ドラゴンとの間に顔を見せた亀裂を押し留めるように、私はおずおずと聞いてみた。
「度々、あなたに会いにきてもよろしいですか・・・?」
悲しい答えが返ってきそうで、胸が締めつけられるような不安に襲われてしまう。
「・・・・・・好きにするがいい・・・」
ボソリと、ドラゴンの口から声が漏れ聞こえてきた。
了承は得たものの、決して望んではいないというようなドラゴンの口ぶりに落胆し、肩を落としたまま鉄扉を開ける。
だが視線を落としたまま扉を閉めようとしたその刹那、再びドラゴンの声が聞こえてきた。
「いつでも待っておるぞ・・・シーラ」
不意に名前を呼ばれ、ハッと顔を上げる。
ドラゴンは相変わらず顔を背けたまま床に蹲っていたが、黒い鱗に覆われた尻尾が照れ臭さを隠すように小さく揺れていた。
「・・・はい!」

うきうきした顔で東の塔から出てくる娘を、ワシは御者と共に窓から見下ろしていた。
「ワシにも信じられぬことだが・・・あのドラゴンはシーラにとって大切な友になったのであろうな」
「は・・・あのドラゴンがですか?」
まさかという口ぶりで問い返す御者に向かって、庭園を小走りに駆けて行く娘を目で示す。
「シーラのあの嬉しそうな顔を見てみろ。ワシの前ですら、あんな笑顔を見せたことは1度もなかったぞ」
その言葉に、御者がニヤニヤと笑っていた。
「・・・なんだ?」
「なるほど・・・姫様を取られたようで、陛下はあのドラゴンに嫉妬してらっしゃるのですね?」
思わぬ図星を突かれてしまい、ワシは御者の顔をキッと睨み付けていた。
「何を馬鹿なことを・・・」
だが動揺を悟られぬように御者に背を向けた時、ちょうどよいごまかしの言葉が脳裏に閃く。
「行くぞ、そろそろ晩餐の時間だ」
「はい、陛下」

「フン・・・この100年の間に、我も随分とおとなしくなったものだな・・・」
我の呪いを解き、必死で命を救ってくれたシーラ・・・
いまや我にとっても、彼女はなくてはならない存在に変わりつつあった。
きっと明日から、彼女は毎日ここに押しかけてくることだろう。
囚われの身といえどもそれを考えれば、案外ここも悪くはないのかも知れぬ。
「フ・・・フフフ・・・」
そして冷たい塔の床の上で体を丸めると、天窓から差し込む夕日に照らされながら我は100年振りに味わう平和な一時に身をまかせていた。

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