左右を森に挟まれた道を俺は歩いていた。舗装なんてされてない砂利道だ。
道の両脇は俺の腰の高さくらいの草が生い茂っている。そこのむこうがわには森が広がっていた。
高い木々が左右にあるというのは、何とも言えない圧迫感があり落ち着かない。
「近道だからって、こっちに来るべきじゃなかったか……」
 一言小さく呟いて、俺は背中のリュックを背負い直す。街に買い出しに行った帰りだった。
俺の家は結構街から離れているので、買い物に行くのも一苦労。往復に時間が掛かるので、いつもこうやって買い溜めをしているのだ。

 風が吹く。周囲の木々を揺らして音を立てる。
それが不穏な響きに聞こえ、俺は思わずビクッと肩をすくめていた。
慣れない道に対する不安から、木々の動き一つでも過敏に反応してしまう。
雨が降りそうだから早く帰りたい。だからこの道を選んでみたのだが。
空はどんよりと曇っていて重苦しい。昼間だというのに、この場所は夕方を思わせるような薄暗さがあったのだ。
「……こんなおっかない場所だったなんて……まいったな」
 だが、もうそれなりの距離を進んでしまっている。戻るにしてもしばらくはここを通らなくてはならない。それならば早いところ抜けてしまった方がいい。いわば乗りかかった船なのだ。もう後には退けなかった。

 ふいに、草むらでガサガサと何かが動くような音が聞こえた。
風の音ではない。サワサワという優しい感じはなく、荒々しい音だ。
明らかに何かの動物が動いたことにより、生じた音に思えた。
「……な、何だ?」
 俺は立ち止まって耳を澄ませる。きょろきょろと辺りを見回してみるが、何も分からない。
おそらく草むらの中にいるのだろうが、わざわざ草の根を掻き分けてまで音の正体を突き止める勇気は俺にはなかった。
再び、音が聞こえた。さっきよりも近い。音はどうやら両側の草むらから、俺を挟むようにして迫ってきているようだった。
ただならぬ気配を感じ、俺が足を速めようとしたその時だった。

 黒い影が二つ、俺の行く手を阻むように草むらから躍り出たのだ。
「……!」
 狼だった。灰色の毛並みは、この薄暗い草むらの中では絶好の保護色だ。動かなければ気づかれないだろう。
もしかすると、徐々に距離を縮めながら俺を追いかけてしたのかもしれない。
 二匹の狼は低いうなり声を上げながら、俺に迫ってくる。じりじりと、ゆっくりではあるが確実に。
「……お、おい。ま、待て」
 言葉が通じるとは思えない。飼い慣らされた犬ではなく、野生の狼なのだ。
しかし、無駄だと分かっていても何かを言わずにはいられなかった。もちろん何の効果もなく、狼は今にも飛びかからんと姿勢を低くした。

――だめだ。――逃げられない。

 そう思ったときだった。
突然、森の木々が蠢いたと思うと、巨大な影が右側の森から飛び出してきた。
一体何が起こったのか分からない。だが、一瞬垣間見えたそれは、狼よりも遙かに大きな姿をしていた。

 巨大な影が現れた瞬間、狼の悲鳴が聞こえた。
さっきの恐ろしいうなり声が嘘のように思える、か細くて弱々しい声だ。
突然の出来事でいったい何がどうなったのか分からず、俺はその場に呆然と立ちつくしていた。
「……な……あ……?」
 やがて、目の前の光景がはっきりと理解できたとき、俺は思わず大きく後ずさりした。
背中に重い荷物を背負っていることも忘れていたので当然尻餅をついてしまう。
 森から飛び出してきたのはドラゴンだったのだ。
背中には鎧のように頑丈そうな鱗、体の大きさの割には小さめの翼がある。
四肢には鋭く尖ったかぎ爪、口元には牙をたたえていた。
そして、その牙には無惨な姿になった狼が突き刺さっている。
喉元を目掛けて噛みついたのだろう。赤い血が毛皮を伝ってポタポタと地面を濡らしていた。
残されたもう一匹の狼は身動きできずにいた。圧倒的な力の差を見せつけられ、ぶるぶると震え竦み上がっている。
やはりこのままでは殺されると思ったのだろう。咄嗟に踵をかえして逃亡を図る。
しかし、ドラゴンの素早い爪の一撃は狼を的確に捉えていた。
一瞬の断末魔と共に、狼はどさりと地面に倒れ込む。
顔の半分が抉れてしまっている。もう息はないだろう。

 やがて、ドラゴンがゆっくりとこちらを振り向いた。
「……ひっ!」
 口元を血で真っ赤に染めた姿は、俺に恐怖を与えるのに十分すぎるほどだった。
ドラゴンの爪や牙に比べれば、狼のものなんて本当に可愛いものだ。
俺もあの狼のように殺されてしまうのだろうか。
見る限り、本当に一瞬だったから痛みも感じないかもしれない。
だが、やっぱり死ぬのは嫌だ。
 狼の時のように何かを言おうとしたのだが、声にならない。
ただ、口をパクパクさせているだけだ。
逃げるにしても、さっきの狼のようになるのがオチだろうし、何より俺は今尻餅をついているのだ。
荷物が重いので、素早く立ち上がって逃げるなんて不可能だった。
「…………」
 少しの間、ドラゴンは黙ったまま俺を見ていたが、やがてその頭を動かした。
殺される。俺はぎゅっと目を瞑った。鋭い爪や牙を目の当たりにして死ぬのは嫌だ。
どうせなら何が何だか分からないまま……。
しかし、いつまで経っても痛みは襲ってこない。本当に何も感じないまま死んでしまったのだろうか。
試しに手を動かしてみる。感覚があった。あれ、もしかしたら俺は生きているのか。
「……?」
 俺はおそるおそる目を開く。目の前にはさっきのドラゴンが見えた。
しかし、もう俺の方を見ておらず、しとめた二匹の狼を口でくわえると器用に背中に拾い上げた。
ちらりと俺を横目で見たが、特に何かをしてくるわけでもない。
てっきり殺されると思っていた俺は拍子抜けだった。
いやもちろん殺されたかったわけじゃないが……。
 俺があれこれ考えているうちに、ドラゴンは森の中へと足を踏み出した
。大きな足で大地を捉えるように歩いていく。
「……ま、待ってくれ」
 慌てて立ち上がり、荷物の重みでよろけながらも俺はドラゴンに近づく。
俺の声は届いたのだろう。ぴたりと立ち止まり、緩慢な動作で俺の方を振り向いた。
あらためて見る血の生々しさに、俺は一瞬ぎくりとしたがもう後ずさりはしなかった。

「ど、どうして……俺を助けてくれたんだ?」
 俺はドラゴンに問う。大きな体からは無言の圧力のようなものを感じた。
「助けただと? 私が、お前を……?」
 初めて聞くドラゴンの声。独特の響きがあり、威圧感を伴っている。
その響きの中に、少しだけ俺を訝しむような含みがあった。
「狼に襲われそうになってたところに、あんたが来てくれたから。
もし、あんたが来なかったら、今頃狼に殺されてたよ。だから……」
「……なれなれしい奴だな」
 よどみなく話す俺に、ドラゴンは少しだけ眉をひそめる。
そういえば、初対面の相手によくそう言われるような気がする。
俺自身は自覚がなかったのだが、そういう性分なんだろう。
ドラゴン相手でもそれは変わりがなかったようだ。
「私はお前を助けた覚えなどない。食料調達に来たところ、そこに偶然お前が居合わせただけのことだ」
「食料……?」
 俺はドラゴンの背中でぐったりしている狼を見やる。
狼と言えば森の小動物に恐れられている存在だが、ドラゴンの前となってはその立場も逆転してしまっていた。
何となくやるせないものを感じ、俺は心の中で苦笑する。
「だけど、俺が助かったのは紛れもない事実なんだ。だから何か礼をさせて欲しい」
 一方的ではあるが、俺はドラゴンに借りを作ったことになる。
借りっぱなしなのは嫌だった。何かで返せるのなら、俺は返したい。
「……話にならん」
 ドラゴンは一言そう言うと、再び歩き出した。森の奥へと進んでいく。
冷たい反応をされたが、これで諦める俺ではない。慌ててドラゴンの後を追いかけた。


「ま、待ってくれって」
 這いうねる木々の根に何度も躓きそうになりながら、俺は必死で着いていく。
ドラゴンが歩いた後を歩いているので、多少は楽なはずなのだが。何しろこんな森の中を歩くのは初めてなのだ。
生い茂った草や木の根が足に絡みついて、歩きにくいことこの上ない。
 ドラゴンにはまるでそんな気配は見えず、行く手を阻む木々を上手に避けながらすいすいと進んでいく。
もしかしたら、木を傷つけないように歩いているのかもしれない。
「はあ、ま、待って」
 呼びかけるが、ドラゴンからは何の返事もない。
さっきの冷たい態度から、聞こえてはいても待ってはくれないとは思うが……。
俺はめげずに、何とかドラゴンを見失わないようにしながら後を追う。
転んだら荷物に押しつぶされそうなので、ある程度は慎重に。

 入り組んだ道なき道をどれくらい進んだのだろうか。森の木々が少し少ない、開けた場所に出た。
そびえ立つ木々の間から、うっすらと光が差し込んでいる。どこか幻想的な雰囲気があった。
「はあ、や、やっと追いついた」
 俺はどかりと地面に腰を下ろす。もう息が限界だ。
普段運動をしていない人間には、森歩きは過酷すぎる。
ドラゴンは一瞬俺の方を向いたが、まるでつまらないものでも見るかのように即座に視線をもとに戻した。
やはり何の言葉もない。
 そして、背中の狼を地面に下ろすとさらに奥へと向かっていく。
見ると、奥には小さな川が流れていた。
ドラゴンはその川に身を浸すと、流れる水でバシャバシャと顔をすすぐ。
狼の血を落としているのだろうか。案外、きれい好きなのかもしれない。
外見は恐ろしいドラゴンだったが、水浴びをする一つ一つの仕草を見ていると何となくだが可愛く思えてきたから不思議なものだ。

 水浴びを終えたドラゴンは、ブルッと身を震わせるとまたこちらに戻ってくる。
血は綺麗に流れ落ちていた。もうドラゴンの顔を見ても、先ほどよりは怖いとは思わなかった。
「……まだいたのか」
 小さなため息混じりにドラゴンが言う。面倒な奴に関わってしまったという心境なのかもしれない。
「言っただろう、俺はあんたに礼がしたいんだよ。何か俺にできることはないか?」
「ない」
 一分の間も置かずに返事が返ってくる。これでもかと言うくらい素っ気ない。
正直、ここまで反応が乏しいと、声をかけるのも気が咎めてくる。
それでも俺は諦めずに、再びドラゴンに訊ねた。
「そんなこと言わずにさ、何かないか?」
「しつこい奴だな、お前にできることなど……」
 言いかけて、ドラゴンは何かを思いついたらしい。俺を見つめ、にやりと笑みを浮かべた。
その笑みの示すものが何なのか計りかね、俺はドラゴンの言葉を待った。
「お前は言ったな、自分にできることはないか、と」
「ああ」
「ならば、私の腹を満たすという要求にも応えられるのだろうな?」
「えっ……」
 突拍子もない切り出しに、俺は頭の中が真っ白になる。それはつまり俺に餌になれという要求だ。
確かに助けられた恩返しはしたい。だが、いくら何でもドラゴンに食われるのは嫌だ。
さっき狼を捕らえたとき俺を殺そうとはしなかったから、
てっきり俺を食うつもりなんてないだろうとたかをくくっていたのだが。
「え、そ、それは……」
「どうした、自分で言っておきながら出来ないとでも言うのか?」
 ねっとりと絡みつくような声でドラゴンは言う。
つり上がった口元から、鋭い牙が覗いていた。
それは俺をいつでも殺せるということを無言のうちに示しているのだろうか。
気持ちの悪い汗が背中を流れていく。
 ドラゴンの言うとおり、自分で言ったことなのだ。責任は俺にあるのは確かなんだろうが……。
何か、ドラゴンを納得させる方法はないだろうか。俺は必死で頭を巡らせた。

 そんな俺を見て、ドラゴンは声を殺すようにして笑っている。
俺の反応を見て楽しんでいるのだろうか。
笑っているドラゴンの瞳は、とても獲物を前にしたような殺気立ったものではない。
どちらかと言えば穏やかな感じだった。
そんなドラゴンを見ているうちに、俺はある結論にたどり着く。
「あんたは……俺を食うつもりなんてないだろう?」
「ほう、何故そう言い切れる?」
「俺が通っていた道で、ドラゴンに襲われたって話は聞いたことがない。
被害者がでたなら、噂は広がるはずだ。そもそもあんたは人間を食うつもりがないんじゃないか?」
 俺はあの道を通る前に、どんな道なのかを街で聞いていた。
道は悪く、薄暗くて不気味ではあるが、通れないことはない。短時間での移動はできる。
そういったたぐいのことを言っていたのを覚えている。ドラゴンに襲われる、だなんて全く耳にしていない。

 ドラゴンはふん、と鼻を鳴らすと小さく息をつく。もう笑ってはいなかった。
「私がああ言えばお前は逃げ出すだろうと思ったのだが。意外に頭が回るようだな。
お前の言うとおり、私は人間は食わん。襲うのは森の動物だけだ」
 俺はその答えに内心胸をなで下ろす。推測であって、確信ではなかった。
もしもドラゴンが本気だったのなら、本当に打つ手がなかったかもしれない。
「恩を返すまでは、引き下がれないよ」
 俺がそう言うと、ドラゴンはやれやれと言った感じで地面に腰を下ろした。
俺が諦めるつもりがないと言うことを分かってくれたのだろうか。
ドラゴンからすればありがた迷惑というか、ただの迷惑でしかないかもしれない。
それでも俺は助けられた恩を返したかったのだ。

「お前の熱意は認める。しかし、実際の所お前に何が出来る? 私のために何か出来ることはあるのか?」
「えっと……それは……」
「狼相手に逃げ腰になっているようでは、獲物を捕ってこいというのも無理な話だろうしな」
 どうやら見られていたらしい。
何となく気恥ずかしくて、俺は誤魔化すように苦笑する。
狩りなんてしたことがなかったし、生きた動物相手は苦手だった。
何か動物を捕ってきてドラゴンに捧げるというのは正直俺には出来そうにない。
「……?」
 俺はふと、ドラゴンの側に横たわる狼を見た。
頭や首は原型を留めていなかったが、後の部分は比較的綺麗だった。
近くまで駆け寄って、触れてみる。ついさっき捕れたばかりの獲物だ。
まだ体温が残っていてほんのりと暖かい。新鮮な肉の塊だった。

「狼がどうかしたのか?」
「生きた狼は苦手だけど、死んだ狼なら……」
 俺は背負っていたリュックを下ろすと、中から荷物をとりだした。
見慣れない人間の道具に、ドラゴンは目を丸くしている。
「人間は元の材料に手を加えて、それをさらにおいしくすることが出来る。
料理っていうんだけど、俺は今からこの狼を料理する。これなら、あんたの舌を満足させられるかもしれない」
「……その、料理とやらで、本当においしくなるのか?」
 いきなりペラペラと話し始めた俺に、ドラゴンはちょっと戸惑ったようだった。
料理という聞き慣れない言葉を聞き返す。
「人間の味覚しか俺は知らないから、あんたにとってもおいしくなるかどうかは分からない。
だけど、俺があんたのために出来ることってこれぐらいしかないんだよ。だからさ、俺の料理、食べてみてくれないか?」
 意気込んで話す俺を、ドラゴンは訝しげな視線で見る。
人間の文化を知らないから、俺の説明だけではピンと来ないのかも知れない。

「まあ……いいだろう。お前がそれだけ自信を持って言っているんだ。その料理、作って見せろ」
「ああ。手塩にかけて作るから、ちょっと待っててくれ」
 俺は荷物の中から包丁を取り出すと、狼の後ろ足目掛けて勢いよく振り下ろす。
ざくりと音がして、足は綺麗に切断された。さすが新品の包丁だ。切れ味がいい。
「……お前はそんなでかい刃物をいつも持ち歩いているのか?」
「今回はたまたまだよ。ちょうど街に買い物に行った帰りだったからな。
リュックの中にいろいろ道具もそろってる。あ、俺はこれでも料理人なんだ」
 牛や豚なら解体して料理したことがあるが、狼は初めてだった。
それらに比べると若干肉の部分は少ないが、食べる分には問題なさそうだ。
俺は切断した足の切り口に手をかけると、毛皮を剥いでいく。熱が通りにくくなるのを防ぐためだ。
「骨はついたままでいいか?」
 火をつけようとして手を止め、俺はドラゴンに一応訊ねておく。
せっかくの料理なのだ。出来る限り相手の望むものを出してあげたかった。
「構わん。骨など気にしないさ」
 ドラゴンの鋭い牙なら、動物の骨などいともたやすく砕けるのだろう。
俺としても、骨がついたままで料理出来る方がの方が手間が掛からなくていい。
このペースで行けば、案外早く肉料理が完成しそうだ。

 今度はフライパンを取り出す。
料理道具一式を買い換えたところだったので、道具には困らない。
 油を敷き、皮を剥いだ肉を乗せる。
そして、着火材にライターで火をつけた。
パチパチという音と共に、瞬時に炎が上がる。
「うおっ!」
「ど、どうした?」
 炎が燃え上がった瞬間、ドラゴンが声を上げた。
近くにいたうえ、それなりに大きな声だったので俺まで驚いてしまう。
「い、いや……そんな小さな道具がいきなり火を吹いたのでな。少し驚いただけだ」
 大きな体をしているのに、こんな小さなライターの火に驚いているドラゴンが、何となく滑稽に思えてきた。
俺が道具を取り出したときも、まじまじと見つめていたし、結構好奇心が強いのかも知れない。
「……なかなか上手に火を起こすのだな」
「肉に火を通して食べたことなんてないだろ? 人間はいつもこうやって、火を通してから食べるんだ」
 俺はフライパンを火の上に持っていき、肉を炙る。
ジュワッと香ばしい音が広がり、肉の香りが辺りに漂う。ちょうど良い火加減のようだ。
ドラゴンがゴクリと喉を鳴らすのが聞こえた。
普段生で食べている肉よりは、おいしそうに見えているらしい。
「まだ食べるには早い。火が全体に通るまでもう少しだ」
「わ、分かっている。だからこうして待っているだろう?」
 俺に考えを読まれたとでも思ったのか、ドラゴンが慌てて弁解する。
本人はそのつもりでないのかもしれないが、俺には早く食べたそうにしているのが丸分かりだった。

 ジュワジュワと熱が伝わり、肉の色がいい具合に変わってくる。
俺はフライパンを持ち上げると、手首の反動を利用して肉を裏返した。
裏側はこんがりと良い色に焼けている。俺の目からしても、狼の肉はなかなかおいしそうに思えた。
「……味の方は……っと」
 俺は小型のナイフと取り出すと、表面の肉を少しだけ切り取って口の中に放り込む。
できたての肉だったが、なかなかしっかりとした歯ごたえだ。
筋肉を使うことが多い分、牛や豚よりも堅めの肉なのだろう。だが、味は悪くない。
「味見だよ。ちゃんと中まで火が通ってるか確かめたんだ」
「……う、うむ……そうか」
 俺が肉を食べたのを見たドラゴンの視線が、どこか恨めしげに見えたので俺は説明する。
言葉には出していないが、顔つきで何となく考えていることが分かる。
表情に出ているとでも言うのだろうか、分かりやすいドラゴンだ。
「さてと……そろそろいいかな」
 着火材の炎も、もう消えかかっていた。そろそろ全体に火が通った頃だろう。
リュックの中から皿を取りだして、フライパンから肉を移す。
さっき食べた具合だと少し薄味だったので、仕上げに塩こしょうを振った。
「狼の焼き肉、塩こしょう和えだ」
 肉を載せた皿を、ドラゴンの前に置いた。まだ熱を帯びた肉から、ほんのりと湯気が上がる。
「……いい香りだな。生の肉とは違う」
「生臭さはないだろ? さ、食べてみてくれよ」
 俺が促さなくても、ドラゴンはすぐにでも食べ出しそうな感じだった。
期待してくれているんだろう。肉の味がドラゴンの舌に合っていてくれればいいんだが……。

 ドラゴンは皿に顔を近づけると、肉にかじりつきそのまま口の中へと持っていく。
時折聞こえてくるゴリゴリという音は牙が骨を砕いている音なのだろう。
動物の骨がいともたやすく砕けている。本人の言うとおり、相当な堅さの牙だ。
 何度かもぐもぐと口を動かしていたドラゴンだったが、やがてその肉を飲み込んだ。
口の中に残った余韻を味わっているのだろうか。少しの間、沈黙が流れる。
気に入ってくれたかどうか。俺はじっとドラゴンの反応を待つ。
「う……」
「ど、どうした?」
「何だ……これは。口の中がピリピリするぞ?」
 美味いか不味いかの言葉を待っていた俺は、ドラゴンの言葉にちょっと拍子抜けさせられる。
ピリッとくる味はこしょうに含まれている香辛料のせいだ。
料理など食べたことのないドラゴンには初めての感覚なのだろう。
俺はその味が好きだったので、知らず知らずのうちに多めに降りかけていたのかもしれない。
「大丈夫だ、体に害はない。俺たちは食べるときに、風味を出すために調味料を加えるんだ。
そのピリピリは調味料に含まれてる風味なんだよ」
 俺の好みも入っていたから、口に合わなかっただろうか。そこの所でちょっと俺は不安になる。
味を気に入ってもらえなければ、恩を返したことにはならないからだ。
「こんな味は初めてだ……。だが……なかなか美味かったぞ」
「え、本当か?」
「ああ。生の肉とは違った独特の風味が効いている。料理をするだけで、こんなにも美味しくなるものなのだな」
 ドラゴンが美味いと言ってくれた。それだけで俺には十分過ぎる答えだ。
きっとその時の俺は、満面の笑みを浮かべていたに違いない。
「俺に出来ることなんて料理ぐらいしかなかったから、気に入ってもらえてよかったよ」
「これでお前との貸し借りは無しだな」
 そういってドラゴンはふうと息をついた。
厄介払いができて、ほっとしているのかも知れない。
まあ、厄介だと思われながらもドラゴンに料理をごちそうできたわけだし、俺は満足だったが。

「そうだな……。俺にしてみれば、命を助けてもらった恩に比べればまだまだ釣り合わない気もするんだけどな」
 料理を食べてもらっただけでは何となく割に合わない恩返しのように思えた。
だけど、俺に他のことが出来るとも思えないし、そこはどうしようもなかった。
「ならば……またいつかもう一度、私に料理を作ってくれないか? 
お前の料理は美味かったし、また食べてやっても構わないぞ」
 少し暗くなりかけていた俺の表情が、またぱあっと明るくなる。
一瞬、ドラゴンの言葉を聞き間違えたのかと思ったほどだ。
「もう一度、俺の料理を食べてくれるのか?」
「お前の都合のいい時でいい。もう一度私のために料理を作る。それで貸し借りなしでどうだ?」
 どうやら聞き違いではなかったらしい。
断る理由なんてどこにもない。俺は大きく頷いた。
「わかった。それなら、今度はどんな料理がいい? 先に注文を聞いておくよ」
「ふむ、そうだな。肉料理以外のものも食べてみたい。肉以外の料理ならばなんでもいいぞ」
 ドラゴンは肉ばかり食べているものだと思っていたが、植物質もいけるらしい。
アバウトな注文だったが、俺はその言葉をしっかりと刻み込んだ。
「じゃあ……そのうちまた来るから。場所はここでいいか?」
「ああ。もし私がいなくとも、待っていればそのうち戻ってくる」
「分かった。今度は今回よりさらに丹精込めてつくるから、楽しみにしててくれよ!」
 料理人としても、自分の料理を食べてもらえるのは嬉しい。
次の時までに、何を作るかしっかりと考えておかなくては。
「今度来るときは、せいぜい狼に気をつけるんだな」
「……だな。次は何とか太刀打ち出来るように準備してくるよ。恩返しに来たのにまた助けられてちゃ世話ないしな」
 丸腰だと手強い狼でも、何か武器があれば対抗は出来そうだ。
今回も一応包丁はリュックに入っていたのだが、取り出す余裕がなかった。
狼が出ると分かっているのならば、ある程度の対策は出来るだろう。
「さてと」
 俺は料理に使ったフライパンや皿やらを手早く片づけると、リュックを背負った。
帰り道はまだ通ってきた後が残っているから、迷うことはない。
「それじゃあな」
「ああ、楽しみにしているぞ」
 ドラゴンの言葉を笑顔で受け止めると、俺は森を後にした。

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