Beware the Jabberwock, my son!
The jaws that bite, the claws that catch!
Beware the Jubjub bird, and shun
The frumious Bandersnatch!

我が息子よ、ジャバウォックに用心あれ!
喰らいつく顎、引き掴む鈎爪!
ジャブジャブ鳥にも心配るべし、そして努
燻り狂えるバンダースナッチの傍に寄るべからず!

――ジャバウォックの詩 ルイス・キャロル

1968年、12月10日。
東京都内某所を走行中の現金輸送車が、警官らしき人物に停車を促がされ、運転手がそれに従ったところ、車から出るよう指示された。
輸送車の運転手が車から離れ、警官が輸送車に近寄ったところ、突如、輸送車の下から白煙が上がった。
警官は急いで、キーの刺さったままの輸送車に乗り込むと、怯える運転手を路上に残したまま走り去った。
日本史上最大の、未曾有の大金窃盗事件である。
大量の遺留品と警察の懸命な捜査にもかかわらず、 犯人は検挙されず、20年の後、事件は迷宮入りのまま時効を迎えた。

2012年冬、 アメリカ・フィラデルフィア州。
イリア・ラクスマンはモニタから目を上げ、鼻頭を摘まんだ。
傍に置いたコーヒーから立ち上る湯気は部屋の空気に吸い込まれて久しい。
温くなった苦味を口に含み、瞼をこじ開けると、もう一度モニタに没頭する。
これは、彼の趣味の時間だ。
コンピュータを学校で学ぶ傍、趣味で始めた副業が軌道に乗り始め、今ではその筋ではそれなりに名前が通っている、と、自負している。
イリアの副業は、情報屋だ。
世の中には組織的に国家レベルの機密を愉快犯のように撒き散らす連中も居れば、個人の情報を売買して生計を立てるような輩もいる。
イリアはフリーで、企業や国家団体の黒い情報を入手し、対象にそれを匂わせるメッセージを送信し、「忠告」を行う。
相手がそれに従えば、何らかの金銭を得て、その情報を開示しない事を誓約し、そうでない場合、他の機関に情報を販売する。
そして、今回の『商品』は、ある事件についての極秘捜査資料である。
いかほどの値をつけようかと皮算用をしながら、イリアは満足気に伸びをした。
今日は久々の休みだ。
これから近所のコンビニに軽食を買いに行き、それが済んだら寝てしまおう。
イリアはPCを休止状態にすると、席を立った。
と、玄関のドアをノックする音。
イリアは一瞬硬直し、PCのモニタが消えていることを確認した後、玄関に向かった。
足が付くような真似はしていない。
問題ない・・・、はず。
扉を細く開ける。
そこに立っていたのは、見たこともないほど背の高い女だった。
正確には、性別はイリアには分からない。
ドアを開けると同時に、その人物はFBIのバッジを提示し、こう言った。
「FBIのミラ・ショート。イリア・ラクスマンね?」
血の気が引いたのが分かった。
おそらく、目の前の人物――ミラも、それに気づいたのだろう。
彼女は強引にドアを開けると、茫然とするイリアを尻目に部屋の中へと入っていった。
彼女が上着を脱ぐ音が聞こえたと同時に、イリアは振り返った。
「ちょ、ちょっと、なにを・・・。」
必死に釈明を考えながらフル回転していた脳味噌は、自分の部屋の光景を視界に捉え、遠心力で飛び散った。
そこにいたのは、トカゲのような鱗を持ち、先ほどまで自分が座っていた椅子に座って無遠慮にタバコを吹かす見たこともない生物だった。
驚然とするイリアの表情に気付き、少し驚いたような様子で(少なくともイリアにはそう見えた)、イリアに椅子ごと近づき、彼女は言った。
「どうしたの?もう、読んだんでしょ?」
先ほど入手したばかりの資料のことだと勘付くのに数秒。
読んでいないことを釈明しようとして更に数秒。
結局、口から出たのは、
「ま・・・、まだ、読んでません・・・。」
ミラはしまったと言った表情を見せた。
一瞬だが。
すぐに席を立ち、言った。
「じゃあ、今すぐ読みなさい。」
イリアは椅子に座り、PCを再度起動すると、後ろに立っているわけの分からない生物の視線を気にしながら、翻訳ソフト片手に、日本語で書かれた資料の消化にかかった。

1時間後。
イリアは自宅のアパートの廊下に出、鍵を閉めた。
「恐竜、ね。」
頭の中で、先ほどまで繰り広げられていたおよそ現実味のない会話が反芻された。
――
入手した資料は日本で数十年前に発生した未解決窃盗事件についてだ。
現在の貨幣価値に換算して、およそ1300万ドルもの大金を強奪した、日本最大の窃盗事件。
いわゆる3億円事件の犯人が、実は逮捕されていたらしい。
ここまでは資料の事前情報。
問題はここからだ。
資料には犯人についての詳細と、表向き未解決とした理由がごく簡単に記されていた。
――実行犯及び共犯者、日系非人類(恐竜)の為、公にせず。
関係筋から合計3千万円の献金あり。保釈。
逮捕及び核心的な操作に関わった人物の抹消。――
恐竜、である。
公的な極秘文書に、そんな文字が記載されているのを見たのは初めてだ。
しかも日系、と来た。
さも当然のように、その資料は恐竜の存在を前提として記されているのである。
「えっと、何これ?」
恐竜とは、1841年、C・ダーウィンによって定義された、絶滅したとされる巨大生物のことである。
近年の研究では、鳥類に進化したとか、海に戻ったとか、諸説が粉塵しているが、まさか。
「恐竜よ。」
ミラは言った。
「大絶滅を生き延び、進化し、直立二足歩行を手に入れた生物の末裔。」
「・・・そんなこと・・・、」
「因みに私はミクロラプトルの氏族。他にも大勢いるわ。人類の歴史上でも、表舞台から出たり入ったりして、活動してるのよ。」
「・・・・・・。」
「ロシアの王朝やルネサンス時代の学者なんかも、恐竜だったと言われてる。文化の発展の影でね。」
ミラは喋りながら、勝手に冷蔵庫を漁り始めた。
男の1人暮らしだ、そうそうストックがあってたまるか、とは言わなかった。
「私の所属は、実はFBIではないの。」
ミラは冷蔵庫にあったオレンジジュースを勝手にパックごと流し込んだ。
「正式な名称はCDI、Chateau d'If(シャトー・ディフ)、イフの城、ね。あなたを拘束したり逮捕することはないから安心して。」
空になったパックをキッチンカウンターに放り投げ、続ける。
「ただ、あなたの入手したそれ、国家機関によって恐竜の存在が肯定されているわけ。これまで隠してきたのはそれなりに理由があってのこと。だから、その公表によって相当の混乱が予測されるのよ。」
ミラは椅子に座ったままのイリアの前に立ち、腰をかがめて顔を近づける。
人間のそれよりもやや広い視界を確保する眼球に、イリアの顔が写り込んだ。
「下手したら国の存亡が関わるくらいね。・・・だから、それを阻止しようとするものが現れる。」
「・・・どうやってですか?」
聞きたくないことを聞いた。
「アンタを殺すのよ。」
ミラはイリアの首筋に、鱗から突き出た鉤爪を当てた。
「で、私たちはそれを防ぎに来たってわけ。」
ミラは立ち上がり、腰に左手を当ててみせた。
少し、可愛かった。
――
イリアは近くのコンビニから、通りを挟んで自分のマンションを眺めた。
カゴには2人分の食材。
あの中であんな非現実が展開しているとは誰にも想像できないであろう、いつもどおりの光景。
自分の部屋はこの通りには面していないため、ここからは見えない。
イリアはため息をつきながら会計を済ませ、マンションに向かった。
それを物陰から観察する物の存在には、気づかないまま。

同日、夜。
イリアはたまの休みに1日缶詰を強いられ、非常に機嫌が悪かった。
むすりとした表情のイリアをよそに、ミラはといえば黒いカクテルドレス姿で風呂上りのビールを傾けている。
完全に泊まりこむつもりで現れたのだ、こいつは。
ドレスから伸びた尾が、機嫌良さげに揺れている。
イリアの視線に気づいたのか、ミラはイリアを見つめた。
「楽しいでしょ?」
「・・・はい?」
少しおどけたような言い方だった。
「たまには、自分以外のやつが家にいるってのも、楽しいんじゃない?」
「そうでもないです。」
イリアには、友人がほとんど居ない。
昔からそうだ。
母親を早くに亡くし、父親は仕事人間。
唯一の友達はコンピュータ。
学校に行けば、「オタク」だの「気持ち悪い」だの。
家に帰れば、「お前なんか生まれてこなければよかった」。
「・・・人とは、距離置くようにしてるから。」
「ふーん。」
思い出したくないことに触れられた気分を消そうとする。
ミラは、そんなイリアを観察しているようだった。
無言。
ミラはビールを飲みきり、カウンター脇のゴミ箱に缶を投げ込んだ。
ミラが煙草に火をつける。
吐いた煙が渦を巻き、換気扇に吸い込まれ、消えた。
時計の音が、静かな室内に響き、外の喧騒が夜風に乗って部屋に流れ込む。
「・・・少し考えたんだけれど。」
ミラが前置きを口にした。
「あの資料の内容を信じるんだとすると、少し気になることがあるのよ。」
イリアは先程までの記憶を抜きさってしまおうと、話に耳を傾けた。
我ながら環境適応能力の高いことだ。
「3億奪った犯人が捕まって、それが恐竜だった、だから世間には公表せず、献金と言う名の保釈金によって、犯人は釈放。」
煙草の灰を落とし、ミラはソファーに座った。
「お金自体は保険金で戻ってるし、被害者側は全く痛くないわよね?」
「それを言うなら、二重に保険に入ってましたから、日本としては取られたお金は全て回収できたことになりますよ。」
イリアも口を挟む。
喋ることで、意識をこちらに向けたかった。
「そう。で、保釈金によって恐竜の逮捕そのものも無かったことになってるわよね、表向き。」
ミラは足を組み替え、煙草に口をつけた。
「だから、犯人も痛くない。国や警察としても、恐竜の存在は秘匿したいから、その存在を知るものから献金があったとなれば、条件飲んで、お金受け取るのが最も穏便。」
「つまり、犯人の1人勝ちってことですよね。」
イリアは少し考えた後、冷蔵庫に向かい、新しいオレンジジュースを取り出してコップに入れた。
「なんかきな臭いわね。」
ミラは燃え尽きそうになっている煙草を灰皿に押し付けた。
「出来レースみたいですね、まるで。」
オレンジジュースを傾けるイリア。
無言。
無言のまま、イリアはミラの隣に座った。
少しだけ、香水の匂いがした。
コップをテーブルに置く。
「ひょっとして、これって保険金詐欺なんじゃないですか?」
イリアが言うと、ミラは頷いた。
「奪われたお金の通し番号は一部しか記録されてないみたいですし、献金の額だって、盗難額に比べたら微々たるものです。その後の捜査だって、証拠だけが増えて、結局検挙に至らないっていうデモンストレーションみたいです。」
「極めつけは、例の極秘資料でも言及されている、関係者の死亡ね。」
実際、事件の捜査中、過労を原因に少なくとも2人の捜査員が死亡している。
被害者側の自作自演だとしたら、緻密に計算されている上大成功だ。
2人は顔を見合わせた。
こん、こん。
ノックの音にイリアは跳び上がりかけた。
時間は午後7時。
こんな時間に訪ねてくる人間の心当たりは無い。
ミラを見ると、玄関から資格になる市に隠れて銃を握っていた。
出なさい、と目で合図される。
イリアは唾を飲み込み、玄関に向かうと、扉を開けた。
この時ほど、玄関のチェーンが無いことを恨んだことはない。
扉を開けると、男が4人立っていた。
うち1人はやたらと背が高く、襟巻きと帽子で完全に顔を隠している。
残りの3人は間違いなく人間。
全員が面白みのない髪型で、揃いのスーツに揃いのネクタイ、揃いの襟章に揃いのタイピン。
背の高い男が懐から手帳を取り出した。
「インターポールのスズキです。イリア・ラクスマンさん?」
その瞬間、銃を構えたミラがスズキに銃口を向け、飛び出した。
残りの3人も銃を抜く。
「イリア、下がりなさい。」
言われたとおりに下がるイリア。
銃口を向けたまま、お互いに硬直する。
スズキと名乗った大男は、日本語で何か耳打ちすると、ドアの前から立ち去ろうとした。
「待ちなさい。」
イリアの言葉に耳を貸さず、スズキは部屋を一瞥するとそのまま立ち去った。
立ち去り際、人間の男の1人に何やら指示を出したように見えた。
それを聞いた男は部屋の中に入り、後ろ手で鍵をかける。
イリアは部屋の隅に下がり、ミラに合図されるままに床に伏せた。
そのまま数秒が経過する。
ミラはイリアに銃口が向けられていないことを確認すると、予備動作を最小限に横に跳んだ。
男3人が発砲する。
反射的にミラを追うため、イリアからは意識が外れた。
ミラは玄関前から、ワンルームの狭いキッチンカウンターに向かって跳躍すると、男の1人を射殺した。
脳天に銃弾が突き刺さり、ドアに脳漿が飛び散る。
キッチンのカウンターの上に横になった状態で着地したミラは、スタンドからナイフを抜いてカウンターの後ろへ。
死角に入った彼女を追って、残りの2人がカウンターを回りこみ、挟み撃ちにしようとする。
2人がカウンターを回りこむのを待ち構えていたミラは、ナイフで片方の男の喉を一瞬で割く。
同時に、体の回転を利用して尾でもう1人の銃を弾き飛ばし、鉤爪のついた足でその腕を掴む。
勢いを保ったままで、足を使って男を投げ飛ばし、カウンターの上に放った。
首を割かれた男が床に鮮血を撒きながら倒れるのと同時に、ミラはカウンターの上の男の胸の上に立っていた。
男の顔が歪み、ミラの足を掴もうとする。
それを許さず、ミラは足の鉤爪で男の心臓を貫いた。
男が脱力し、ミラはカウンターから飛び降りると、布巾で自分の鉤爪を拭いた。
足元では喉を切られた男が痙攣しながらもがいている。
ミラはそれを無視し、イリアを見た。
「例のデータ、バックアップは?」
奥歯を鳴らしながら首を振るイリア。
「なら早くして!逃げるよ!!」
イリアは腰が抜けたまま椅子に這い上がり、PCを操作、自宅の鍵にくっつけてあるフラッシュメモリにデータのバックアップを取る。
その後、ホットスワップにしてあるHDDをPCから抜き取ると、タオルに包んでバッグの中に入れた。
ミラはその間に自分のバッグからケースに入ったフィルムを取り出し、最初に射殺した一番小柄な人間の口に入れ、歯形を取る。
と、廊下からけたたましいベルの音が鳴り響いた。
「火災報知機!?」
「昔からの手よ。外で待ちぶせてるんでしょ。」
このマンションには裏口がない。
つまり、外に出るにはエントランスか、同じ面にある非常階段を使用するしか無い。
焙り出しには都合の良い構造だ。
イリアたちにとって幸いしたのは、イリアの部屋がエントランスとは反対側にあったことだろう。
事実、この時、エントランスを狙い、近隣の廃ビルから複数の狙撃犯がスコープを覗いていた。
「イリア、服を脱いで!」
「は?」
「良いから、脱いで!」
イリアは言うとおりに服を脱ぎ、ミラは慣れた手つきで射殺した男の服をはぎ取り、イリアが脱いだ側から彼の服を着せた。
部屋の外は徐々に静かになり、炎が直ぐ側に迫っていることを知らせる。
遠くで消防車のサイレンの音が聞こえ始めた。
イリアがクローゼットから別の服を取り出して着替えると、ミラはドアを少しだけ開けて廊下の様子を探り、持っていたスマートフォンでどこかに連絡を取り始めた。
数秒で電話を切ると、イリアの近くに駆け寄る。
「歯形と服装の偽装が出来るから、ここが焼けた後で見つかったあの死体は頭を撃ち抜かれたアンタに見えるわ。」
ミラはイリアを立ち上がらせると、玄関を開け、そのまま向かいの部屋にずかずかと入り込む。
こういったことをやってるから、あれだけ無遠慮に人の部屋に上がり込めるんだ、とイリアは思った。
ミラはといえば、向かいの部屋でガスの元栓を開け始めた。
ついでその両隣の部屋でも同じ事を始める。
それを見ているイリアも、何となく意図の想像はついた。
ミラは時計を気にしながら向かいの部屋に戻り、その部屋にあったファンヒーターのタイマー設定をいじり始める。
「まだ電気は生きてるわね。」
独り言を呟きながら、ヒーターの電源が2分後に入るようにセットし、イリアの部屋に戻る。
時計を一瞬見やると、ミラはイリアに向き合った。
「今から2分後、窓の下にトラックが来るから、そこに飛び降りるわよ。」
イリアは少のタイムラグのあと、激しく首を左右に振った。
「聞きなさい!!」
この年で涙目になると思わなかった、しかも死ぬとも、と、妙に冷静な思考がイリアの頭をかすめる。
そんなイリアの顔を、ミラは両手でつかんだ。
ミラのマズルが、イリアの鼻頭に触れかける。
「大丈夫だから、信じて。」
ミラの目は、透き通るような緑色で、イリアはその目を見つめながら、小さく頷いた。
ミラはそれを確認し、イリアを抱きしめた。
イリアは一瞬戸惑い、そしてミラの両肩を抱いた。
「愛してるわ、意外と。」
「はい?」
「・・・ほら、行くよ!」
ミラはイリアの肩を抱き、数歩下がった。
時計を見て、スマートフォンのGPSで、先ほど連絡したトラックの場所を確認する。
「来た、行ける!」
ミラは言うと同時に走りだした。
カーペットに足の爪が食い込み、フローリングの安っぽい塗装が剥がれ、2人の後ろに舞う。
跳ぶ。
窓ガラスを突き破ると同時に、轟音が響いた。
ファンヒーターから引火した炎が、ガス管を爆発させ、アパートを吹き飛ばす。
破片が雪のように舞い上がる。
イリアの視界の端に、ミラが呼んだと思われるトラックが入ったかと思うと、一気に距離が近づく。
トラックの荷台のエアバッグが衝撃を吸収し、抱き合った2人を包み込んだ。
トラックが急発進し、ガス爆発の『事故現場』から離れる。
「・・・生きてる?」
ミラの問いに、イリアは片手を上げて答えた。
「生きてるじゃない!やっぱりアンタ大好きだわ!」
ミラはイリアの身体を抱き寄せると、キスをした。
トラックの荷台の幌が閉じ、2人を覆い隠す。
数分かけて落ち着いたイリアは、死人として初めて口を開いた。
「・・・ファーストキスなんだけど・・・。」



1981年、6月。
イタリア、トスカーナ地方、フィレンツェにて、男女の他殺体が発見される。
男は射殺、女は全身に数十箇所の刺し傷。
2人は結婚を控えていた。
同年、10月。
カンツァーノにて、放置車の中から男女の惨殺死体が発見される。
翌年、9月。
モンテスペルトリにて、男女の射殺体。
更に翌年、9月。
ドイツ国籍の男性二人の射殺体。
この2人はゲイであった。
更に翌年、7月。
デート中の男女が撃たれ、女性は即死、男性は数時間後に死亡。
更に翌年、9月。
フランス人カップルが殺害され、遺体の一部を持ち去られる。
後日、持ち去られた遺体の一部が、捜査担当者に郵送された。
確実なもので7組14名の被害者を出し、フィレンツェの怪物――Il Mostro di Firenze――事件は幕を閉じた。
――表舞台では。

2013年、6月。
CDI本部、下層部、バー。
「イル・モストロの再来?」
ミラはロックウィスキーのグラスを傾けながら、イリアを挟んで更に隣にいるステゴサウルスに言った。
「はい。」
ステゴサウルスの連絡員であるベンソンが答え、自身のビールジョッキを傾ける。
バーテンがシェイカーを振り始めた。
「人間のカップルの惨殺です。相変わらず女はメッタ刺し、男は射殺後、性器を持ち去られてます。」
抑揚を持たずに淡々と説明するベンソンの脇で、イリアが「げえ、」と言った。
因みに、イリアの前にあるグラスに入っているのはただの水である。
「また、フィレンツェですね。」
「で、何でうちに?」
イリアは口を挟み、水を飲んだ。
こいつらの肝臓はどうなってるんだ、と目で訴えるが、気付く者は居ない。
「目撃者の証言です。」
用意されたセリフを読み上げるかのように、ベンソンが答える。
「なんでも、人間離れした動きで現場から逃走したとか。」
ふーん、と、ミラ。
イリアはカウンターに置かれた資料を覗き込んだ。
資料によれば、事件が発生したのは去年の6月。
過去の事件と同じ、月の無い深夜の犯行である。
被害者は英国人カップルで(これが本部まで伝令が来た1番の要因だと思われる)、ジョン・アンダーソンとキャロル・ピーターセン。
犯人は殺害後、遺体を切開し、両方の性器を持ち去っている。
目撃者の証言は、事件発生後すぐに得られたが、当時酒に酔っており、『人間離れした動き』についてはにわかに信じがたい物であるため、ペンディングされた。
イリアがふと横を見ると、彼の肩に手をかけ、ミラも一緒に資料を眺めていた。
「なるほどね。」
と、ミラが言い、グラスを傾ける。
「で、いつから?」
「明日の未明に、ジェット機をチャーターしてます。」
ベンソンはジョッキを開けた。
「え?行くの?」
「当たり前でしょ。」
イリアの問に、ミラは呆れたような表情を見せる。
「現地で連絡員と合流してください。特にイリアさん。」
「あ、はい。」
「イタリア語、無理ですよね?」
「・・・脳味噌の数が違いますよ、あなたとは。」
「私も同じよ。」
ミラが言った。
グラスの中身は殆ど無くなっている。
「銃だけじゃなくて、そういうこともちょっとは勉強しなさい。」
「・・・はいはい。」
カウンターに置いたロックグラスの中で、氷が揺れた。

翌日。
フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅、イタリア。
ミラとイリアは、高速鉄道を降り、改札口すぐの広告の前に立っていた。
イタリアの夏は過ごしやすいとは言え、半袖が目立つ駅構内でのミラの厚着は妙に目立つ。
イタリア支部の気の効かなさに、ミラは少し機嫌が悪かった。
ぶつくさ文句を言っているミラの後ろで、ミラと同じような服装の人物が構内に入ってくる。
イリアがそれに気付き、ミラが振り返った。
「おはよう。ようこそイタリアへ。」
流暢な英語。
ミラと同じくらいの背丈のその人物の声は、どうやら女のようだった。
「ここでは何だから、車に乗りましょうか。」
「・・・最初から空港まで迎えに来ていただけるものだと思ってたわ。」
ミラの棘のある言葉を軽く受け流し、イタリアの連絡員はさっさと歩き出していた。

高級車のサスペンションが、歴史地区の石畳の街道の凹凸を吸収し、驚くほど静かなノイズを上げる。
革張りの豪勢な車内で、2人のロングコートが後部座席に並んでいた。
イリアは助手席でそれを眺めながら、イタリア支部は気は効かないが金はあるみたいだな、と変なことを考えていた。
「改めてようこそ。私はCDIイタリア支部の連絡員で、フランチェスカ・ダ・ヴィンチよ。」
「ダ・ヴィンチ!?」
イリアが驚くと、フランチェスカは身に着けていた物をはぎ取り、バリオニクスの素顔を明らかにした。
「残念ながら無関係よ。・・・えっと、あなたがイリアね、話は聞いてるわ。・・・情報屋のくせに、銃の扱いが上手いとか。」
差し出された手を握り返すイリア。
「えっと、情報屋だから、かな?」
ふふ、と笑みを浮かべるフランチェスカ。
「イタリアの礼儀が分かってるわね。」
そう言って笑うフランチェスカと、「ばーか」と言うミラ。
「で、あなたがミラね。外からは見えないし、素顔出しても平気よ。これから向かうホテルは、人に見られないわ。」
ミラは窓の外を確認し、少し躊躇った後、変装を解いた。
釣られてイリアも、窓の外を眺める。
「ようこそ、ルネッサンス(人類復興)の街へ。」
フランチェスカの言葉通り、まるで中世に迷い込んだような特有の街並みが、どこまでも広がっていた。
夏のフィレンツェ歴史地区の石畳を、黒塗りのベントレーが走り抜ける。
まるで覆いかぶさってくるように、サンタ・マリア・デル・フィオーレのドーム型の屋根が見えた。

歴史地区内、某ホテル。
最上階、スイートルーム。
「くつろいでいって。CDI名義でフロア貸し切ってるから、廊下までは出ても問題ないわ。」
フランチェスカは場馴れしたように言った。
因みに、ミラは隣の部屋に勝手に入っていったようだ。
「フランチェスカさんもここに?」
イリアは荷物を置きながら、フランチェスカに尋ねる。
「暫くはね。家も近いし。」
「どこなんです?」
「地下。」
「地下?」
フランチェスカは椅子に座り、2人分の紅茶を入れ始めた。
「この街にはね、中世に十字軍が建造した、大規模な地下要塞や空洞があるのよ。」
部屋に備え付けられたケトルから、カップにお湯を入れながら、フランチェスカは言う。
「世界中に、その縁の違いこそあれ、似たような施設があるわ。ロンドン、ニューヨーク、名古屋、上海・・・。」
温まったカップに入れたお湯を捨て、紅茶を注ぐ。
「現在ではそこに、大概恐竜が住み着いて、人目を避けたコミュニティを形成してるのよ。」
はい、とフランチェスカが続け、紅茶がテーブルに置かれた。
「このホテルは、最上階のこのスイートからしか使用できないエレベーターが、地下に直結してるわ。だから、ミラもそれほど苦にせずに、調査ができるはずよ。」
「なら、情報集めは基本的に地下でってことになりますか?」
「そうなるわね。イリアは私と一緒に地上に出ることもあるでしょうけど、ミラは基本的に地下。」
「良いんですか?それで。」
「大丈夫よ。」
ミラの声に振り返ると、いつの間に入ったのか、ミラがイリアの部屋のドアに立っていた。
「人員も足りないし、私はイタリア語喋れるから、1人で問題ないわ。」
勧められた紅茶を断りながら、ミラは綺麗にメイクされたベッドに腰掛け、足を組んだ。
「現場検証や人間相手の聴きこみはあなた達、地下の情報は私の担当ってことで、問題ないわね。」
「・・・なんか、地味ですね。」
イリスは正直な感想を述べた。
「自分たちを何だと思ってるの。」
ミラの機嫌は、すこぶる悪かった。

同日、夕方。
イリアとフランチェスカは、ヴェッキオ宮殿にほど近い、サン・フィレンツェ広場に居た。
「遺体が見つかったのは、この近くなんですね。」
イリアは当たりを見渡す。
フランチェスカはポケットに手を突っ込んで、襟巻きを巻きつけた姿で頷いた。
「死亡推定時刻は夜11時から翌日1時、酔っぱらいの証言を信じるなら、犯人を目撃したのは11時半頃らしいわ。」
フランチェスカは広場から出て、近くの路地に向かって歩き始める。
イリアはすぐ側の露天で、パニーニを買って齧りながら後を追った。
「その証言によると、犯人は壁伝いに屋根に上り、大聖堂の方に逃げた。」
フランチェスカは路地の中ほどで立ち止まり、上を見上げた。
イリアも後ろから追いつき、壁を眺める。
確かに、建造物は石造りが主体で、装飾にうまく爪を引っ掛ければ、登れないことはないように思える。
表通りの喧騒が嘘のように、路地は静かだった。
「ここから大聖堂までは?」
「数ブロック程度ね。大した距離じゃない。あの屋根は遠くからでも目視しやすいし、逃走の目印としては最適ね。」
歴史地区では景観保護の観点から、一定以上の高さの建物の建設ができない。
つまり、この付近に居ればどこにいても、あの特徴的な半球の屋根は確認できることになる。
しかも、徒歩でも十分移動可能な距離。
「夜の聖堂は人が居ないから、あまりアテにならないかもしれないけれど、とりあえず、行ってみましょうか。」
フランチェスカはそう言うと踵を返し、路地から出た。

同日、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。
平日の夕方遅くともなればいかに有名な観光地と言えど人は少ない。
様々な装飾品に囲まれながら、がらんとした大理石の建物の中心で、イリアは上を見上げた。
「最後の審判・・・、か。」
フランチェスカはこうしている間に管理人の聴取を終えたらしく、イリアの側に戻ってきた。
「無駄足だったかも・・・。ちょっと分からないみたいね。まあ、1年も前のことだし・・・、仕方ないけど。」
イリアは「やっぱりね」と溜息を付き、そのまま大聖堂の出口に向かった。
扉をくぐる寸前、振り返ったイリアの目に、聖堂の一番奥にある作品、ロレンツォ・ギベルティ作、「聖サノビウスの棺と墓碑」が映った。

同日、夕刻。
イリア達がホテルに戻ると、ミラは既にラフな格好に着替え、ホテルでくつろいでいた。
「まただらしない格好で人の部屋で何やってんですか・・・。」
「ちょっと調べ物があってね。あなたのパソコン借りたわよ。」
ミラは言い、机に置いてあるイリアのパソコンをしゃくった。
「で、あんたたちの成果は?何かあった?」
イリアはフランチェスカを振り返り、フランチェスカは軽く両手を広げた。
「収穫なしよ。ミラは?」
「1つだけ。」
ミラは指を立てながら言った。
「地下で調べて分かったんだけど、ここ数日、行方がわからなくなってるスピノサウルスが居るわ。」
そう言うと彼女はイリアのノートPCをテーブルに運んだ。
イリアとフランチェスカはそれを2人で覗き込む。
「名前はミケーレ・アッカルド。一般には公開してないけど、CDIのブラックリストに載ってるわ。」
「何故?」
イリアの問いに答えたのは、フランチェスカだった。
「イル・モストロの重要参考人だわ・・・。」
彼女は下顎を摘んだ。
「被害者1人の傷口の1つが、彼の氏族のそれと酷似してたのよ。ほら、スピノサウルスって、もともと魚を主食にしてたから、水中にいる魚を掬い上げるために、非常に長い爪を持ってるのよ。」
フランチェスカは言い、テーブルの上のコーヒーを飲んだ。
「ほぼ確定じゃないですか、それ・・・。」
イリアは椅子に座ったままで腕を組んだ。
数秒の沈黙の後、ミラが口を開いた。
「とにかく、何か知ってる可能性が高いわ。現在のところは手がかりはこれだけだし、とりあえずは彼を見つけることが最優先ね。」
ミラも足を組み、思案顔だ。
「それと、イリア。少し、顔貸して。2人で話したいことがあるの。」
「今?」
「今よ。そんなわけだから、ちょっと席外すわね。」
ミラはフランチェスカに言うと、イリアの腕を掴んで強引に部屋から出る。
部屋のドアが閉まり、ミラの部屋で、イリアとミラが2人になった。
ミラはイリアの顔を見つめ、声を低くしてゆっくりと口を開いた。
「少し、頼みがあるんだけど――、」

夜。
イリアはミラの頼み事を片付けようと、PCに向かっていた。
ドアをノックする音に顔を上げ、PCの電源を落とし、それを確認してから扉を開ける。
果たして、そこに立っていたのは、フランチェスカだった。
「良い?入っても。」
彼女はジーンズにTシャツという格好で、尻尾を揺らしながら尋ねた。
「・・・酔ってるんですか?」
「少しだけよ。」
フランチェスカはイリアの肩に手を回した。
「ねえ、昼間の話、覚えてる?」
「・・・?」
「『銃』の扱い方の話よ。」
「あ、ちょ・・・、」
フランチェスカはイリアの肩を掴み、ベッドに押し倒した。
仰向けになったイリアの上に馬乗りになるフランチェスカ。
イリアが喋ろうとすると、彼女はイリアの口にそっと手を当て、顔を近づけた。
「大丈夫よ、・・・初めてじゃないんでしょ?」
フランチェスカの口が、イリアのそれを塞いだ。

「・・・イリア、あなた、ミラの事どれくらい知ってるの?」
冷蔵庫にあった上等なワインをグラスに注ぎながら、フランチェスカは言った。
彼女は下着しか身に付けておらず、恐竜には哺乳類とは違い、乳房がない。
つまり、彼女の身体を隠しているのは、小さな布切れ1つだけだった。
「・・・言ってる意味がわかりません。」
イリアは答え、ベッドから起き上がると、部屋に備え付けのガウンを羽織った。
「彼女、ミクロラプトルでしょ?」
フランチェスカは言い、ワインをイリアに手渡す。
「彼女の血筋はね、中国において『龍』と呼ばれ、常に皇帝の後ろで手を組み、裏の歴史を支配してきたの。」
フランチェスカはソファーに座ったイリアの前に立つ。
「100年ほど前、その中国でとある予言があった。」
彼女はワインに口をつけた。
「『造反有理』って分かる?・・・平たく言うと、反逆するものにも理由があるってこと。その予言はそれを体現したようなものだった。」
「・・・はあ・・・。」
「予言の内容は、その頃中国で生まれた赤ん坊が、将来民衆を率いて国家に反逆する、と言う物。彼女の氏族はその予言を防ぐため、赤ん坊を殺そうとしたの。」
「それってまさか・・・、」
「そう、その赤ん坊の名は毛沢東。彼の起こした革命により、数千万人が犠牲となったわ。」
「・・・でも、それを防ぐためだったんですよね?なら――」
「問題はそこじゃないの。」
フランチェスカはワインを一気に飲み干し、床に脱ぎ捨ててあった服を拾った。
「それ以前から、彼女の祖先はそういった暗殺課業に手を染めてきた。その中で生まれたのが、先祖返りさせた自分達の子供よ。」
ジーンズのベルトを締めながら、フランチェスカはつぶやくように言った。
「卵の段階で子供の脳に針を刺し、卵の中で成長を止めた、殺人のための操り人形。それを使って、彼女の祖先は暗殺を続けていたの。」
イリアはほとんど口をつけていないワインをテーブルに置いた。
フランチェスカはそれを見て、続ける。
「まあ、彼女がそういう事をしたわけじゃないし、彼女を否定する気は毛頭ないけど、彼女、あんまり恵まれた育ち方はしてないのよ。」
「・・・。」
「自分の子供を操り人形にしてまで、地位とプライドを守ろうとした外道の子孫だ、ってね。」
フランチェスカはバッグを持ち、ドアに向かっていた。
「彼女がそれを背負うも背負わないも勝手だけど、あなたが負う必要は無い罪よ。・・・それだけ言いたかったの。」
じゃあ、おやすみ、と言い残し、フランチェスカは扉を閉めた。
イリアは1人部屋に残され、テーブルに置かれたグラスを眺めていた。
顔を上げると、ミラに頼まれた仕事が放置されたままのPCが目に入った。

「アンタ、昨日はお楽しみだったみたいね。」
翌朝、イリアがミラと顔を合わせると、彼女は開口一番そう言った。
「・・・。」
「アンタ、何のためにここまで来たか分かってんの?」
ミラは静かに言ったが、言葉の端々に怒りが見え隠れしていた。
「ま、あの時間に何してようと勝手だけど、真面目にやる気がないなら帰ることね。いつでも『生き返らせて』あげるわ。」
「・・・『造反有理』。」
「・・・え、」
「何で黙ってたの?」
ミラは昨夜、イリアが何を聞いたのかを理解し、一瞬で顔を曇らせた。
「言い難いのはわかるけど、・・・でも、俺、その話はミラから聞きたかったよ。」
「・・・。」
ミラはイリアから顔を背け、彼に背を向けた。
「・・・行ってくるわ。・・・何かあったら、連絡して。・・・あのイタリア女と楽しんでなさい。」
「・・・。」
イリアは黙ったまま、ミラが扉を乱暴に閉めて出かけるのをただ、眺めていた。

同日、夕刻。
結局何の手がかりもないまま、イリアは自室に戻ると、疲れた足を揉みながらベッドに腰掛けた。
扉をノックする音に携帯から顔を上げ、ドアを開ける。
フランチェスカが微笑みながら、部屋に入ってきた。
「まだ、彼女戻ってないのね。」
「まだ掛かると思いますよ。」
イリアは携帯をサイドテーブルに置くと、ベッドに腰掛けた。
「今は、地下のほうが手がかりが多いでしょうから、仕方ないですよ。」
そう言ってイリアはベッドに上半身を投げ出す。
フランチェスカもその隣に腰掛け、2人は手を握り合った。
そのまま、言葉を発することなく、時間がすぎる。
「・・・紅茶でも淹れましょうか。」
フランチェスカが立ち上がり、窓際に置いてあるケトルに向かう。
イリアはそれを眺めながら、携帯を手に取り、時間を確かめた。
フランチェスカが部屋を訪れてから、既に30分程経過していた。
「居た!!!!」
フランチェスカが大声を出し、イリアはベッドから飛び上がった。
「何!?」
「屋根の上よ!聖堂に向かってる!!」
イリアは窓を覗く。
「駄目だ、俺だと見えない。」
「追いかけるわ!イリアも下の道から聖堂に向かって!もし、行き先が変わりそうなら携帯に連絡するから!!」
フランチェスカはそう言うと、窓を開けて壁伝いに屋根まで飛び降りた。
「あ、ちょっと!」
イリアはフランチェスカを目で追い、一瞬呆けた後急いで部屋から出る。
エレベーターをもどかしく待ち、歴史地区の石畳を駆け抜けた。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
イリアが大聖堂に到着するのを待ち、フランチェスカは聖堂の扉を閉めた。
これで、一般人が中に入り込むことも、敵がここから逃げることもなくなる。
ライトアップされて観光客がまばらに見える外部とは対照的に、内部は暗く、静かだった。
「中に入るのは確認したわ。まだ中に居る筈。」
フランチェスカとイリアは、柱や彫刻の影を警戒しながら聖堂の天蓋に向かってゆっくりと歩き始めた。
「ねえ、イリア。」
後ろからフランチェスカが話しかけ、イリアは振り返る。
「昨日の話、覚えてる?」
「・・・ミラのことですか?」
「違う、銃の扱いの話しよ。」
フランチェスカは気の抜けたようなイリアを見つめながら言った。
「・・・はい?」
イリアは言い、フランチェスカの表情の変化を一瞬見逃した。
「あなたの『銃』、持って帰ろうかと思ってね・・・。」
イリアがそれに気づいた頃、フランチェスカの笑みは残忍な狂人のそれと化していた。
身の危険を察知したイリアが踵を返すと同時に、フランチェスカはイリアに飛びかかり、うつぶせに押し倒すとその上に馬乗りになった。
イリアの肩に鋭い痛みが走る。
フランチェスカがイリアの背中に、左手の鉤爪を突立てていた。
「お前ら人間が、私の聖なる決闘を失墜させたんだ、分かってるのか。」
フランチェスカは憎悪と狂喜が入り混じった低い声で言った。
「喜びなさい、あの汚らしいミクロラプトルと一緒に殺してやる。」
フランチェスカは大きく息を吸い込む。
「怪物の再来よ!!!」
叫びながら、フランチェスカはイリアの方を鉤爪で貫いた!
イリアの叫び声は、大理石の床と彫刻たちに反響し、消えた。
フランチェスカは馬乗りになったまま、イリアの顎を持ち上げ、首に爪を立てる。
「苦しいのは一瞬だから平気よ。男は楽に殺す主義なの。」
「・・・う・・・。」
「・・・さようなら、坊や。(Addio, ragazzo.)」
「はいそこまで。」
不意に響いた第三者の声に、フランチェスカがイリアの喉笛を離し、顔を上げる。
大聖堂の一番奥に置かれた彫刻、聖サノビウスの棺の蓋が開き、・・・そこにいたのは、ミラだった。
イリアは安心するよりも早く混乱する。
フランチェスカは苦虫を噛み潰したような顔で、自分に銃口を向けるミラを睨みつけていた。
「驚いたわ・・・、あなたの『生前』の記録見つけたときは・・・。・・・そうでしょう?・・・フランチェスカ・デ・パッツィ。」
「・・・知っていたの・・・。」
フランチェスカは言い、両手を上げる。
ミラはそれを確認して、口を開く。
「イリアにあなたの住居を調べるように頼んでおいて良かったわ。入ってみたらあらびっくり、あなた、まだ切り取った性器、保存してたのね。」
「・・・ええ、何のために持ち帰ったのか分からないでしょ?」
「それともう1つ、真新しい死体もあったわよね、・・・スピノサウルスの。」
「ミケーレ・アッカルドよ。間違い無いわ。」
フランチェスカは意外なほどあっさりと認める。
「しかもこんな隠し通路まで。・・・ホント、お手柄よ、イリア。」
「・・・・・・私に銃口を向けるな。」
フランチェスカは一転、憎々しげに言う。
ミラは動かない。
「外道の分際でこの私に銃を向けるなと言ったんだ、没落貴族が。」
「そりゃお互い様よ。」
ミラは涼しい顔で言い放つ。
「貴族の分際で初代司教様の墓に穴空けるなんて、お上品な行いには思えないけどね。」
ミラのセリフを最後まで聞かず、フランチェスカは跳躍した。
瞬時にミラも発砲するが、フランチェスカは信じられない反応速度でその銃弾を躱す。
そのままフランチェスカはミラに向かって再度跳び、彼女の手の中の銃を分解した。
ミラの手にグリップだけが残り、スライドが大理石に落下し、バウンドする。
フランチェスカはそれを確認し、僅かな凹凸に手をかけて壁を登り始めた。
ミラもそれを追い、天蓋の頂上まで登る。
フランチェスカはミラの存在を捉えると、両手で天井にぶら下がったままでミラに蹴りを入れた。
ミラはそれをかわすと、両足の爪を使って天井を掴み、フランチェスカの腹部を切り裂こうと腕を振るう。
フランチェスカが体を揺らしてそれを避けると、ミラは腕の力を利用してそのまま回転し、尻尾をフランチェスカに叩き込んだ。
フランチェスカはミラの尾を片手で抱えると、ミラを引きずり降ろそうと腕に力を込める。
ミラは足を天井から離し、フランチェスカの身体の反対側に両腕で捕まる。
背中を見せる格好になったミラの隙を見逃さず、フランチェスカはミラの首を左手で掴み、力いっぱい絞め上げた。
ぐえ、とミラが声を上げ、必死に天井に捕まる。
ミラの尾が痙攣するように波打つ。
ミラの意識が飛ぶ寸前、銃声が響き、ミラの首を絞めていた手から一気に力が抜けた。
フランチェスカは暫く天井に引っかかって揺れたかと思うと、空中に静止し、数秒かけて大理石の床に激突した。
荒い息をしながら下を見たミラの目に、床に血痕を残しながら立ち上がり、天井にミラの銃を向ける、イリアの姿が映った。
床に落下してピクリとも動かないフランチェスカの亡骸の脇に銃を放り出すと、イリアはその場にへたり込んだ。

数時間後。
CDIプライベートジェット機内。
包帯を巻いた手を窓枠に掛けながら、イリアは地平線から昇る太陽を眺めていた。
機内には、イリアたち以外に乗客は居ない。
2人とも言葉を発することなく、飛行機のエンジン音が微かに唸り声を上げる。
「ごめんね。」
機内の何もない空間を見つめているミラに、イリアは言った。
「俺・・・、ちょっとどうかしてた。」
イリアは罰が悪そうに言う。
その顔を見て、ミラはわずかに笑みを浮かべた。
「仕方ないわよ、血筋の因果なんて。」
ミラはため息を付くように口を少し閉じ、イリアを見た。
「それに、私も悪かったしね。」
窓の外で、地平線から太陽が昇り始めた。
飛行機の進行方向の関係上、その速度はとても遅く、ゆっくりと機内を照らしていく。
「ま、いつかは日も登るわよ、私にも、恐竜にも。・・・それまでは、背負ってくわ。」
「・・・あの・・・、」
「・・・?」
不意に口を開いたイリアの顔を、緑色の瞳が映し出す。
「俺も、ちょっとだけ付き合ってもいいですか?」
少しだけ機内を静寂が包み、そして、ミラは優しく笑った。



2013年、7月。
名古屋市内、某所。
瀬川京子は仕事を終え、家路を急いでいた。
終電寸前の時間まで職場に拘束された後、最寄駅前のコンビニで買い込んだ夕食を片手に、郊外の住宅地を歩く。
と、前方に、一定周期で点滅しているライトが目に入った。
帰路の向くままに近付いてみると、それは路上に停車されたSUVのハザードであることが確認できた。
その後部、ハッチが開き、人影がハザードランプに照らし出され、闇の中から出入りしていた。
どうやら、SUVの車内に大きなカウチを積み込もうとしているらしい。
妙に時間が掛かっていることを気にしながら更に近付くと、その人物は骨折しているのか、片手をギプスで固め、首から吊っていることに気付いた。
なるほどその状態では、かなり難儀であろう。
どうやら男だと思われるその人物に、瀬川はごく自然に声をかけた。
「手伝いましょうか?」
「ああ、すいません。」
男はそう言って、頭を下げた。
声を聞く限り、ひょろりとした優男を想像させるが、マスクと帽子を着用している為、顔は見えない。
瀬川は一瞬、声をかけたことを後悔したが、片手を骨折している相手が危害を加える事はないと判断し、それほど重くないカウチを持ち上げた。
それをハッチの中に積み込み、勤めて愛想よく振り向こうとした瞬間、瀬川は頭部に衝撃を感じた。
後頭部を殴打されたのだと気付く間もなく、意識が遠のく。
闇に沈み行く風景の中、瀬川はそのマスクの下の、病的なまでに白い肌を見た。

2013年、8月。
CDI本部。
「日本!?」
イリアが素っ頓狂な声を上げると、テーブルについていた他の3人が怪訝な顔をする。
部屋の中にはイリア、ミラ、ベンソンと、男が1人。
高級なスーツに上品な顔立ち。
人を食ったような顔で、顎を指でさすっている。
CDIの最高責任者であり、最高額出資者、モンテ・クリスト伯7世である。
「イタリアでの一件は賞賛に値するよ。その実績を見込んでの依頼だ。」
クリスト伯は腕を組みながら言う。
「先代で資金難に陥った事を思えば、最近のCDIの功績には目を見張る物がある。これも一重に、君らのお陰だ。」
彼は人の良い笑みを浮かべた。
「で、何でこの件がうちに?」
ミラが定型通りの質問を口にする。
「恐竜の被害者が出てます。」
それに答えたのは、ベンソンだった。
「今回の一件は、日本でここ数ヶ月、世間を騒がせている連続殺人犯です。」
イリアはテーブルに肩肘をつき、ベンソンの話に耳を傾ける。
「人間の男女の死体が、この4ヶ月で6体。加えて、恐竜の死体が3体。被害者の関連性は、今のところ不明です。」
「何故、同一犯だと?」
ミラが口を挟んだ。
「双方の被害者共に、腹部、若しくは臀部の肉が削ぎ落とされ、頭部を切開された上、脳が取り出されてます。」
ベンソンの口調は変化しない。
「人間の被害者はそれに加え、皮膚が剥ぎ取られてます。・・・死因はいずれも刺殺ですが、凶器は不明。被害者の胃の内容物に共通点が見られます。」
「『内容物』?」
イリアが肘をついたまま言った。
それにはミラが答える。
「・・・餌ね。・・・犯人は被害者を一定期間『飼育』して、その後殺害してるって事。」
「はい。現時点での情報は、こんなところです。」
ベンソンがさらりと締めくくった。
「で、昨日の事だが、新たな死体が上がった。・・・まだオフレコだがね。」
クリスト伯は言いながら椅子から立ち上がり、背もたれにかけてあった上着を取る。
「日本の支部から連絡があり、君らに解剖に付き合って欲しいそうだ。」
「僕らに?」
「・・・フィレンツェの実績だよ。」
クリスト伯は上着を羽織り、言った。
「さあ、出発だ。健闘を祈る。」

12時間後。
飛行機を降りたイリアとミラの前に立っていたのは、無精髭を生やし、くたびれたワイシャツからネクタイを垂らした、人間の男だった。
「どうも、日本支部の前田邦彦(くにひこ)です。」
イリアとミラも名前を名乗り、握手を交わすと、空港内に設けられているプライベート滑走路から直接、車に乗り込んだ。
「遺体の状況は?」
後部座席のシートに腰を下ろすとすぐに、ミラが変装を解きながら言った。
「まだ、解剖前なので何とも・・・。」
前田と名乗った男が助手席から答える。
「とにかく、恐竜か、その存在を知る人間が関わっていることは事実ですが。」
前田は本部に送られてきた物と同じ資料を手に取ると、それに目を落とした。
後部座席からイリアもそれを覗き込む。
「最近では珍しいほど、定型通りのシリアルキラーですね。」
前田は言うと、後ろの座席に資料を手渡した。
既に内容は知っている為、適当に目を通す2人。
前田は助手席で、携帯電話を取り出してなにやら話し込んでいる。
と、フロントガラス越しに、巨大なオフィスビルが姿を現した。
「こちらです。・・・恐らく、名古屋の支部はアジアでも最大規模ですよ。・・・お楽しみいただけるかと思います。」
前田が笑った。
車はそのまま地下にもぐり、駐車場に停車した。
助手席から降りた前田と、運転席から降りた運転手がそれぞれ、後部座席のドアを開ける。
「話は通してあります、どうぞ。」
前田に促され、2人は駐車場内の扉から建物内に入った。
駐車場からビルの内部に入るとすぐ、遺体安置所と解剖室だ。
外部から運び込まれた遺体を建物内で持ち歩かなくても済むようにとの配慮だろう。
両開きの扉を抜け、空調の良く効いた安置所に入る。
前田はそのまま安置所を抜け、解剖室の扉の前で立ち止まった。
「ああ、忘れるところでした。・・・これ、お使いください。」
ポケットから小瓶を取り出す。
ふたを開けると、ミントのきつい臭いが立ち上る。
「どうすんの?これ。」
「鼻の下に塗るのよ。」
イリアとミラがそんな会話をしながらクリームを塗るのを、前田はなんとなく、といった体で眺めていた。
ありがとう、とクリームを返すミラに軽く会釈をした後、前田は言った。
「念のため申し上げますが、覚悟してください。」
前田はくるりとかかとで回り、リノリウムの床に靴底が擦れる音を響かせた後、扉を開けた。
「・・・うわ・・・。」
被害者には敬意を、と意識していたにもかかわらず、イリアの口から最初に出た言葉はそれだった。
解剖台の上に横たわっていたのは、およそ人間だとは思えない、茶色く変色した筋肉の隙間から腐りかけた脂肪が流れる、肉塊。
胸部と思しき場所の膨らみにより、辛うじてそれがかつて女性であったと判別できる。
視覚からの吐き気に耐えるように顔をしかめたイリアと対照的に、ミラは平然としていた。
「被害者は 瀬川京子、22歳。看護師。損傷が激しく、あてになりませんが、死亡推定時刻は概ね、昨日から一昨日にかけてです。」
前田がラテックスのグローブをつけながら言った。
「つまり、殺害直後に遺棄、発見されたって事ね。」
すぐさま、ミラが補足する。
前田は遺体の脇に置かれたファイルを開き、目を通しながら言った。
「発見場所は名古屋市内、庄内川の河川敷です。被害者は先週はじめから10日程行方不明となっており、職場から捜索願が出されてます。」
「・・・家族は?」
ミラが言うと、前田は事務的に答えた。
「おりません。」
前田はページをめくり、続ける。
「ご覧になれば分かるとおり、皮膚が剥ぎ取られていますが、それ以外にも臀部と、乳房の一部、脳に欠損があります。傷口から判断する限り、野犬などの仕業ではありません。」
前田はファイルを置いた。
「ご意見は?」
ミラが少し考えた後、口を開いた。
「こういったケースでは、被害者の一部を持ち去るって行為がどう解釈されるかってのが重要よね。」
ええ、と答えた前田を見て、ミラは続ける。
「戦利品なら性器が一番でしょうし、欠損そのものが目的ならわざわざ頭部を切開して脳を抜くなんて事、しないわ。」
「つまり、欠損は別の目的だ、と。」
前田が無精髭を触りながら答える。
「他の遺体の状況を確認する限り、答えは明白ね。」
ミラはため息をつき、腕を組む。
「食べることよ。」
げえ、とイリア。
「じゃあ、被害者は拉致、監禁された後、殺害され、・・・捌かれたってこと?」
「そうなるわね。」
前田はファイルの書類になにやら書きとめると、ファイルを置いた。
同時に、執刀衣を着た男が解剖室に入って来る。
ご苦労様です、と声をかけた前田と2人に軽く頭を下げると、男は慣れた手つきで、被害者の胸部から腹部にかけて、メスを入れた。
干支(かんし)で剥がれた皮下脂肪を留めると、小さな電動鋸の電源を入れる。
金属的な駆動音と共に、被害者の肋骨が鋸で切断されていく。
思わず目を背けるイリアをよそに、被害者の内臓組織があらわになった。
夏の屋外に1昼夜放置された内蔵はガスを含み、クリームのメンソールの匂いの隙間から強烈な臭気が現れる。
被害者の横隔膜を切り分け、執刀医は胃袋を探し出すと、ためらいなく切開した。
前田も脇からそれを覗き込みながら、内容物をへらで掻き出す。
胃袋の内部からは――、
「やはり、今回もか。」
「何です?」
内容物をビンに詰める前田に、ミラが尋ねる。
答えたのは、執刀医だった。
「被害者の胃袋から、ゴキブリの体が出ました。おそらく、監禁時に強制的に、あるいは自発的に被害者が食べたものかと。」
それを聞くと同時に、耐え切れなくなったイリアは部屋を足早に後にした。
前田はそれを追いかけようとするミラの方に笑みを浮かべる。
「トイレなら、出てすぐ右ですよ。」
ミラは、イリアを追って解剖室を飛び出した。

他の施設と同じく、ビル内のトイレは掃除が行き届いており、間接照明と生け花が飾られた豪勢な作りになっていた。
その一番奥の個室で、イリアは今日の朝食と2度目の対面を果たす。
閉まりきらない扉から漏れ聞こえる声を聞きながら、ミラはそっと個室の扉を開け、イリアの背中をさすった。
「やっぱり、慣れませんね。」
1段落着いたイリアは、自嘲する様に言った。
「・・・慣れるのも考え物よ。あなたの反応の方が、私なんかよりもよっぽど人間らしいわ。」
「・・・『人間らしい』、ね・・・。」
イリアは言い、再び便器に顔をうずめた。

同日、夜。
CDI日本支部内、来客用食堂。
カウンター内から鰻の香りが漂い、人間と恐竜が入り混じって忙しく動き回る。
その片隅のテーブル席で、およそ食事中にはふさわしくないファイルと写真を睨み付けながら、ほぼ空になった食器に囲まれている一団。
ミラはそのテーブルから蕎麦の器を取り、汁を啜った。
隣にはイリア、そしてテーブルを挟んだ向かい側には前田が座り、ミラとイリアを交互に眺めていた。
イリアはテーブルのファイルを見るともなしに眺め、ミラは日本酒をお猪口に注ぐ。
「お似合いですよね、お2人。」
不意に、前田が言い、ミラが日本酒を吹き出した。
咳き込んでいるミラを見ながら、前田はこれまでにないほどの笑顔を浮かべた。
イリアはファイルから目を上げ、前田を見る。
「そりゃあ、今まで何度か助けられたり、助けたりしてますが、ただのパートナーですよ、僕らは。」
イリアの台詞に、はは、と笑うミラ。
「日本人のようなことを言いますね。」
前田がイリアに言った。
「仕事に対してはそれが1番ですが、それ以上のことも意識することで、より円滑に事が運ぶこともありますよ。」
前田は含んだような笑いを見せた。
ミラはお猪口を開け、追加の日本酒を注文した。
酒のせいか、顔が赤くなっているように見えた。
新しい徳利が運ばれ、ミラはすぐにそれに口をつける。
ミラがすぐにお猪口を空にすると同時に、前田の携帯が鳴った。
日本語の会話を流すように聞きながら、イリアがミラを見ると、ミラは何もないテーブルの一点を見つめながら手に持ったお猪口を揺らしていた。
と、前田が電話を切り、真剣な顔に戻る。
「ゴ・・・、・・・『内容物』の鑑定結果が出たようです。・・・一部ですが。」
「一部?」
揺らす手を止め、ミラが言った。
食事中にやめてくれ、とイリアが内心毒づくが、それは誰にも届かなかった。
「ええ、比較的欠損の少ない部位で。」
前田の答えを聞きながら、ミラは徳利の中身を全部一気に飲み干した。
「じゃ、行きましょ。確認したいわ。」

CDI日本支部、資料室。
所狭しと並べられたファイルの詰まった書庫の間を縫うように進むと、デスクとPC端末が詰め込まれた一角にたどり着く。
ニッポノサウルスの女がデスクから顔を上げ、振り返りながら立ち上がった。
「こちら、分析官の永嶋清美(きよみ)さんです。永嶋さん、こちら、CDI本部から出向いていただいたイリア・ラクスマンさんとミラ・ショートさん。」
よろしく、と、永嶋と呼ばれたニッポノサウルスが頭を下げた。
握手をしようと手を出したイリアは手を引っ込め、頭を下げ返す。
「それでは、早速ですが分析結果を簡単に申し上げます。」
永嶋はPCを操作し、被害者の体内から検出されたゴキブリの甲殻をモニタに映し出した。
「これまでは被害者の体内で消化が進行しており、正確な種類の特定が出来ませんでした。」
永嶋が手を動かすと、端末内に遺伝情報のグラフが表示される。
「今回初めて、種類の特定に成功し、これがその遺伝情報です。」
永嶋はイリアたちを振り返った。
残りの3人は腰をかがめ、モニタを覗き込む。
「この結果は確定的なものではありませんが、種類は恐らくマダガスカルオオゴキブリ。ペット用、観賞魚などの餌用として流通しています。」
モニタに、ダンゴムシかフナムシのようにも見える、甲殻を持ったゴキブリの画像が大写しになり、覗き込んでいたイリアは少し、身を引いた。
「正確な鑑定はまだ完了していませんが、それが済めば、おおよその入荷時期や産地から、販売店や輸入元が絞り込めるかと思います。・・・以上です。」
「えっと、」
永嶋の説明が終わると同時に、イリアが口を開いた。
「これ、ちょっと使っていいですか?ネット繋がってますよね?」
資料室の隅に陳列された端末を指差すイリア。
永嶋が頷くと、イリアはそのうち1台を起動し、検索をかける。
他の面子が後ろから眺めている間に、名古屋市内で該当のゴキブリを販売している店舗のリストを作成した。
「・・・手が速いわね、相変わらず。」
ミラが感心したように言う。
前田と永嶋も、少し驚いたような顔でそれを肯定した。
「まあ、今リストが出来ても、店舗の営業時間もありますからね。聞き込みするにしても、明日になるでしょう。」
イリアは言うと、席を立った。
「あ、ちょっと待ってください。」
永嶋が口を挟む。
「確か、地下にも1件、リスト外の店舗があります。・・・恐竜向けの。」
「よく知ってるわね。」
ミラが永嶋に言った。
「熱帯魚飼ってるので・・・。ゴキブリは買った事ありませんけど、確か売ってたと思います。」
「なら、私達はそっちに。他の店舗は――、」
ミラは前田の方を向く。
「あなた達でお願いできますか?」
ええ、と前田。
「問題ないでしょう、それほどの数でもありませんし。」
イリアが永嶋のPCのモニタに目を移すと、そこには大きく拡大されたゴキブリの画像が映し出されていた。
吸い込まれるような複眼がイリアの瞳に映り、寒気と同時にある種の憧憬のようなものを、イリアにもたらした。

翌日。
CDI日本支部付近、旧電電公社、洞道(とうどう)跡。
「何ここ?」
急な階段を下りながら、イリアはミラに言った。
「昔、この国の通信会社が国営だった頃に使われてた電話回線用のトンネルね。」
さび付いた金属の足場と、放置されたままのたくっている導線。
ミラが言うには、デジタル通信網の発達と同時に破棄された古い世代のトンネルでは、かつて国で雇われた恐竜達達が、その維持管理業務を行っていたのだという。
が、光ファイバー通信網の整備や施設そのものの老朽化により、大都市の地下には使用されなくなったトンネルが網の目のように存在し、それを拡張、補強した空間に、恐竜達がコミュニティを作って生活しているのだ。
イタリアでイリアが耳にしたように、これに近い設備は世界各地に点在しており、その多くは、ここのように遺棄された施設や下水道を利用している。
「ここね。」
ミラが立ち止まり、イリアがその肩越しに、古めかしい金属の扉を覗き込む。
旧大日本帝国軍所有地、と書かれたその扉は、経年による劣化が進み、今にも崩れ落ちそうな印象を持たせた。
ミラは懐から取り出した鍵で扉を開けると、そこには更に下へと続く階段が表れた。
階段は今までの道中に比べると非常に新しく、それほど積もっていない埃が、比較的人の往来があることを示している。
「もう少しよ。」
ミラの言葉通り、終着点の扉が闇の中から浮かび上がった。
しばらく聞いていなかった町の喧騒が、その扉の向こうから聞こえてくる。
ミラが先にたって扉を開ける。
そこにあったのは、町だった。
一昔前の時代を感じさせるような、ノスタルジックな作りではあるが、堅牢に組まれたアーチ状のトンネルの壁を埋めるように、様々な店舗や建造物が所狭しと詰め込まれている。
店先には食品や電化製品、部品や工具など、雑多な物が陳列されていた。
天井からは大きな照明がぶら下がり、埃っぽいが活気のあるメインストリートを往来する恐竜や人間達を照らし出す。
「すごいな・・・。」
イリアは素直に言った。
ミラは慣れた様子で、露天のような店舗が立ち並ぶメインストリートから少し奥まった場所へと歩を進める。
路地裏のような建物の隙間を潜り抜け、喧騒から逃れるように、目的の店はあった。
「大河(おおかわ)熱帯魚店。・・・ここね。」
ミラは手元のメモを見て、年季の入った様子の看板を見上げた。
イリアはミラにくっ付いて、店内に入る。
店の中は、表の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
所狭しと並ぶ水槽、濾過器のモータ駆動音、流水音が支配する店内は薄暗く、水槽に設置された照明が、店内と水槽内部の生物を浮かび上がらせる。
店内に客は2人。
カウンターには店主と思しき、ドロマエオサウルスの男が1人。
「すみません、店長さん?」
ミラがたずねる。
「ええ、店長の大河です。」
カウンター内のドロマエオサウルスが答えた。
「大河さん、ね。・・・私達、警察の者なんだけど、ちょっとお話良いかしら。」
ミラが自己紹介を済ませる間に、イリアは手帳を取り出して定型通りの質問の準備をする。
「ここで取り扱っている商品の中に、ゴキブリってあります?」
イリアは大河に聞き、ミラは店内を歩き回る。
「ああ、ありますよ。こちらです。」
大河はイリアを店の片隅に案内した。
「誰が買ったとか、分かりますかね?」
水槽を覗き込みながら、少し身じろぎしたい気持を抑えながら、イリアは言った。
「あー・・・、それはちょっと・・・。カメラも付けてないですし、お得意さんは顔で分かりますからねぇ・・・。」
言うと大河は、イリアのほうを向いたままで、視線を水槽に投げる。
イリアは手帳にペンを走らせながら、
「マダガスカルオオゴキブリなんですが、どのくらい売れてます?」
「ペットとしても、餌用としてもよく出ますよ。・・・ところで、どうかされましたか?」
不意に言った大河の言葉にイリアが目を上げると、大河の左目が真後ろを向き、カウンターを覗き込もうとしていたミラを捕らえていた。
「凄い、左右別々に動かせるんですね。」
努めて冷静に言ったイリアに、大河が笑顔を向ける。
視線はミラとイリアを捕らえたままなので、酷く不恰好な笑みになった。
「我々の氏族は皆そうですよ。」
大河はミラを振り返った。
「捕食者や外敵から身を守るためにね。」
「・・・。」
ミラは大河を見つめて思案しているように見える。
その視線を受け止めた大河は、おもむろに水槽に手を突っ込むと、その中からゴキブリを1匹つまみ出した。
それは、昨夜イリアたちが資料室で見たものと同じ種類だ。
「慣れて来ると、これが中々可愛らしいんですよ。」
笑った店主の顔は、柔らかく、優しげだった。

「はずれ?」
店から出たイリアは、後ろを歩いていたミラに言った。
「分からない。」
ミラは相変わらずの表情で、下顎に手を当てている。
とりあえず店主には、この先件のゴキブリを購入した客に人相と身元を分かる限りすぐに連絡してもらうように依頼しておいたが、それ以上の収穫はない。
2人は黙ったまま、メインストリート沿いのカフェに入った。
空いている喫煙席に座り、ミラは煙草に火をつける。
無言のまま、ミラが吐き出した煙を眺めているイリアの前に、コーヒーが置かれ、2人の間の空気が動き始めた。
「外敵・・・、か。」
ミラはコーヒーを手に取り、独り言のように言った。

同日、名古屋市内某所。
薄暗い地下室の中で、照明に照らされた水槽が、インバータライトの深いうなり声を上げる。
ケース内では装甲を纏った昆虫達が、きいきいと鳴き声を上げながら身を寄せ合っていた。
と、闇の中から全裸のシルエットが浮かび上がる。
彼は手に持ったタッパーを開け、中から『餌』をつまみ出した。
それは紛れもなく、脳の一部である。
冷蔵庫内で適切に補完された脳漿を、彼はケースに入れる。
ゴキブリは餌に群がり、我先にと脳漿を食い始める。
鳴き声が上がり、彼の男根が大きくなった。
起立した一物を、ゴキブリの食事風景を眺めながら、彼はゆっくりと扱き始めた。

翌朝、CDI日本支部、宿泊施設。
イリアはベッドの中でゆっくりと目を開けた。
昨日は結局、手がかりもないまま、件のゴキブリの販売店のリストを手渡されたのみだ。
被害者の体内から見つかった甲殻の分析は、永嶋たちが夜を徹して行うと聞いた。
テーブルに放置されたままの購入客のリストに目をやり、時差ぼけと疲労で音を立てる体を起こし、時計を

確認する。
10時。
眠ってから4時間ほどだ。
イリアは背伸びをして、部屋のカーテンを開けた。
部屋の前の廊下に置かれていた朝食を摂りながら、イリアは昨日の作業を再開した。
資料の名前と住所などの情報から、ノートPCを利用して顧客の素性や過去の犯罪歴を洗う。
アメリカと違って犯罪歴の少ない日本社会にため息をつきながら、モニターの情報をスクロールする。
朝食が半分ほど無くなった頃、ベッド脇に置いてあった携帯電話が鳴った。
「はいはい。」
前田からの着信であることを確認し、電話に出る。
「あ、イリアさん、前田です。ミラさん、今朝出掛けたみたいですけど、聞いてます?」
「いえ、今起きたところで・・・。」
「ああ、お疲れ様です、申し訳ない・・・。・・・なんでも昨日、あなた方が聴取したお店から連絡があったとかで、2時間ほど前に出発しましたよ。」
「その情報については?」
「詳しくは伺ってません。ご連絡したのは、別件についてです。」
前田は一呼吸置き、本題を切り出した。
「例のゴキブリについて、新たな手がかりが見つかりました。電話ではなんなので、こちらに出てきてもらえますか?」
「すぐに。」
イリアは電話を切り、残りの朝食を掻き込むと、部屋を飛び出した。

同日、90分前。
徹夜明けで眠い目を擦りながら、ミラは単身、大河熱帯魚店の前に居た。
開店前の時間に来て欲しいという大河の要望に応え、寝ないでそのまま出てきた為、服装は昨日から変わっていない。
店に近づくと、店頭で品出し作業をしている大河の姿を認めた。
大河もミラに気付いたらしく、どうも、と声をかけ、顔を上げる。
ミラは頭を下げながら彼に近付き、彼が片腕に包帯を巻いていることに気付いた。
「腕、どうされたんです?」
大河は恥ずかしそうに目を細めた。
「割れた水槽で切ってしまいまして・・・。」
ドロマエオサウルスの細い瞳孔が更に小さくなる。
大河の足元には、90センチはあると思われる大きな水槽があった。
その奥には陳列棚があり、同じ大きさの水槽が上の段に並べられている。
「よろしければ、手伝いましょうか?」
ミラが言うと、大河は開いている方の手で首の後ろを掻いた。
「お願いします・・・。」
彼ははにかんだような笑みを浮かべ、頭を下げた。

CDI日本支部、研究室。
イリアが寝癖のついたままの格好で研究室に入ると、モニタの前で昨日と同じ格好の前田と永嶋が振り返った。
「おはようございます。」
前田の返事に軽く会釈をすると、イリアは手がかりについてたずねた。
永嶋が被害者の胃から発見された甲殻の画像をモニタに映す。
「甲殻の遺伝子に、かなり特殊な奇形が見つかりました。現在、産地や輸入業者の特定を行っていますが、膨大な為、捗っていません。」
永嶋の説明を聞き、イリアはモニタを見た。
「通常、この種類のゴキブリの体長は大きくても7センチ程度ですが、この個体は10センチ弱まで成長したようです。ここまでの奇形は、珍しいですね。」
前田が補足した。
そこまで聞いて、イリアは腕を組み、頭を回す。
比較的ポピュラーな種類であり、世界中に取り扱い業者は存在する。
この周辺に限定したとしても、その全てを洗い出すのは骨が折れるだろう。
ましてや、卸売業者が判明しても、そこから小売店にたどり着き、購入者を特定するのは相当な大仕事になることは想像に難くない。
しかし――、
「マダガスカルオオゴキブリは、餌用だけでなく、観賞用にも需要のある種類・・・。」
イリアは呟く様に、思考を吐き出す。
大型の奇形はそれだけで観賞価値、希少価値が高い。
「この数ヶ月、輸入、小売された物の中で価格が極端に高かったり、何か特殊な梱包を行っている物があるはずです・・・。」
本来の流通価格よりも価格設定が高ければ、卸売業者の記録にそれが残っている可能性が高い。
上手くすれば、流通経路も判明するだろう。
「すぐに調べます!」
永嶋は叫ぶように言い、立ち上がると、研究室を飛び出していった。
「被害者が殺される直前から溯って下さい!店頭に並んでから売れるまで、それほど時間が掛かっているとは思えません!」
イリアは永嶋の背中に向かって叫び、モニタを見た。
「店舗が特定できたら、すぐにそこに向かいます。・・・ミラが出掛けてしまってるので、俺一人で。」
数分と立たず、永嶋が戻ってきた。
「あれ、ずいぶん早いですね。」
前田が言い、ネクタイを少し緩めた。
イリアは上着を引っつかみ、彼女に詰め寄るように言った。
「いつです!?」
「3日前、瀬川京子の死亡推定時刻の直前です。」
「何だって・・・。」
ゴキブリが入荷された翌日には、瀬川の遺体が発見されている。
その間にゴキブリを購入し、彼女に食わせ、殺害し、皮をはぎ、肉を削いで脳味噌を取り出した・・・?
あり得ない。
それならば何故、彼女の胃袋にこの個体が入っていたのか。
答えは明白である。
卸売りされてから、それが小売される前に彼女に食わせたのだ。
つまり――、
「大変だ・・・!」
イリアは顔を青くした。

ミラが目を覚ましたとき、一番に目に映ったのは薄汚れた天井からぶら下がった裸電球と、コンクリートがむき出しになった地下室のような空間だった。
手足に痛みを感じ、体を動かそうとして、天井から手を、床から足を引っ張られるように戒められていることに気付く。
部屋の暗がりから姿を現したのは、自分が意識を失う前、最後の会話を交わしたドロマエオサウルス。
大河だった。
その手の上を、爪を縫うようにしてゴキブリが這っている。
そして、もう片方の手には、幼児の頭ほどもあろうかという大きなナイフが握られていた。
「本当に、素敵な生き物ですよ。」
大河は芝居がかった様子で言う。
「我々が繁栄する遥か太古から地上を跋扈した真の支配者・・・。」
大河は無防備なミラの体を隠す衣服にナイフを引っ掛け、切り裂いた。
ミラの素肌と下着が露になる。
「そして人間!」
大河の目は、左右で全く違う方向を向き、視線が定まらない様子だった。
「彼等もまた素晴らしい・・・。」
恍惚の表情を浮かべ、起立した股間のそれが服の上からでも確認できた。
大河は手を這わせていたゴキブリをミラの首筋に近づける。
ミラは必死に身動ぎするが叶わず、ゴキブリが自分の首筋の鱗を掴む感触を味わった。
「彼らの皮を着て地上に上がったときの感覚と言ったら、筆舌に難い!!」
大河はゴキブリを放置し、部屋の照明を点けた。
薄暗くて見えなかった壁が照らし出され、ミラは首筋の感覚以外に、新しく寒気を感じた。
そこにあったのは、男女の区別なく、綺麗に鞣(なめ)され陳列された人間の皮。
まるでつなぎの様に、ハンガーに掛かってぶら下がっている。
性器の部分まで丁寧に剥ぎ取られ、体毛は全て処理されていた。
「あの皮膚を着て人間を殺し、何度射精した事か!」
大河は高らかに吼えた。
この部屋の作りといい、大河の言動といい、ここが店よりも更に地下にあり、外に声が漏れない作りになっている事は明白だった。
「狂ってるわ・・・、アンタ。」
ミラは嫌悪感を隠そうともせず、言った。
相変わらずゴキブリが彼女の体を這い回る。
大河はそのゴキブリを摘み上げ、ミラに見えるように顔を近づけ、目の前で自分の口に入れ、咀嚼した。
「人間の皮膚を身に纏い、恐竜の脳を食ったゴキブリを食し、人間にそれを食わせ、その肉を私が食う!!!」
大河の中にあるのは、紛れもない狂気だった。
平凡に見える男の中で抑圧され、歪んだ感情が一気に爆発する。
「なんと素晴らしい!!私は神だ!!貴様ら恐竜も、人間も、昆虫も、全てを超越した神だ!!!」
激しく動き回っていた眼球が不意に動きを止めたと思うと、大河はミラの太ももの内側を狙い、手に持っていたナイフを突き刺した。
ミラは思わず叫び声を上げそうになり、それが大河のサディスティックな感情を満足させるだけだと思い直し、口を噛み締める。
代わりに、殆ど何も身につけていない彼女の肢体が痙攣し、大河の欲望を満たす。
大河はナイフから手を離し、室内のケースからまた、数匹のゴキブリを手に掴むと、ミラの前に戻った。
「さあ、食事の時間ですよ。・・・私の意図は、伝わってますよね?」
大河はミラの目の前で、手に握ったゴキブリを揺らした。
ミラは筋肉を刺し貫かれた痛みで抵抗できず、それを受け入れる。
力が入らなくなった顎を大河に無理やりこじ開けられ、大河の手に握られて半死半生になったゴキブリが彼女の舌に触れた。
蠢くゴキブリをミラの口内に突っ込むと、大河は無理やり、ミラの顎を閉じた。
「飲み込んでくださいね、味わって・・・。」
ミラは目に涙を溜めながら、ゴキブリを嚥下した。
大河は満足げに、ミラの口を開放する。
彼女は同時に強烈な嫌悪感に襲われ、嘔吐した。
大河はそれには無関心といった様子で、ミラの背後に回ると、彼女の下着をナイフで切断し、全裸にした。
羞恥と嘔吐感、こんな場所に単身乗り込んだ後悔に震える彼女の喉にナイフを当てる。
ミラは鼻孔から吐瀉物を垂らしながら小さく息を飲んだ。
「本来はもう少し遊ぶんですが、残念ながら私には時間がない。」
大河は言った。
「あなたのお友達も、じきにここに来るでしょうからね・・・。」
彼は両方の目で、彼女をしかと見据えた。
ミラは口を噛み締め、自らの運命を呪い、受け入れようとした。
どん、と小さな銃声が響き、大河が脱力した。
38口径の短銃から発射された弾丸は大河のこめかみに突き刺さり、頭蓋骨を貫通して部屋に置いてあった水槽を割った。
「・・・イリア・・・?」
ミラは銃を撃った人物を見上げた。
イリアの手には、日本の警察官に支給される短銃が握りしめられていた。
「やっぱり、こいつだったね・・・。」
イリアは銃を下ろし、地下室の天井を経由してミラを吊っている鎖を緩めた。
「よく、分かったわね。」
「説明すると長くなる。」
イリアは大河の死体を確認した。
頭部に開いた穴には、割れた水槽からこぼれ落ちたゴキブリたちが群がり、その脳漿を食らっていた。
イリアはそれを見て、大きなため息を付いた。
ミラは鎖から放たれ、ナイフが刺さって力が入らない足を震わせながらイリアにしがみつく。
イリアは彼女を抱き、彼女はイリアの胸の中で声を震わせ始めた。
ミラの背中を優しく叩きながら、イリアはもう一度、ため息を付いた。
イリアが開け放した扉から、店頭の水槽の水温とモーター音に混じって、微かに応援の足音が聞こえた。



2013年、10月。
ルイス・クーパーは友人とのハロウィンパーティーの約束の為、自宅を出発した。
ルイスは肌寒い秋の中、自宅から数ブロックの友人宅に向かって歩を進める。
ハイスクールではご法度の煙草を取り出してふかしながら、彼はよく利用する近道の路地へと足を踏み入れた。
人通りの少ない建物の間の小道は汚く、秋風に吹かれて空き缶が転がる。
ルイスが背後の存在に気づいたのは、彼の口元にクロロフィルの染みこんだ布が当てられ、それを吸い込んで意識を失う寸前だった。

次にルイスが目を覚ましたのは、何処かの暗い小部屋だった。
金属製の首輪がはめられ、何処かで稼動している空調の唸り声が聞こえる。
ルイスは立ち上がろうとして、自分が全裸で、首輪には鎖が繋がり、壁に固定されていることに気付いた。
部屋の扉の鍵が開けられ、部屋に何者かが入ってくる。
朦朧とする視界でも、それが人間の形をしていないことは容易に想像がついた。
ルイスは薬か何かの幻覚だと考え、頭を振った。
鮮明さを増していく視界の中で、人物が言った。
「おはよう、ルイス。」
女の声だった。
ゆっくりと近づいてくる女が、ルイスの意識を覚醒させる。
ハロウィンだからといって、こんなに完成度の高い仮装は有り得ない。
少なくとも今のルイスがそう思えるほど、その人物は人間とかけ離れていた。
長く伸びている口と、そこに並んだ牙。
頭の上には鶏冠(とさか)のようなものが生えており、全身が鱗に覆われていた。
彼女は――少なくとも仮装でないとすれば――一糸まとわぬ姿で、ルイスの前にしゃがみこんだ。
「あなたはこれから私の奴隷です。」
金色にも見える眼球がルイスを貫き、あまりに現実味のない台詞を平坦に読み上げる。
彼女はルイスを押し倒し、ルイスは仰向けで彼女を見上げた。
薬が聞いていなくても抗えないだろう、細身だが筋骨逞しい体が、ルイスの上にあった。
彼女は抵抗しようとするルイスの両腕を苦もなく押さえ込み、その舌で彼の首筋に触れた。
ルイスは少なからず性的な感情を覚える。
眼の前に居る奇妙な生物は会話をすることが出来、そして、自分を犯そうとしているのだと感じた。
彼女は抵抗できないルイスを抱きしめる。
生物的な本能が、それに抗うことを諦めさせる。
ルイスはされるがまま、彼女の行為を受け入れる。
ルイスが力を抜いた瞬間、彼女の両腕の爪が、ルイスの背中の皮膚を抉った。
冷え切った身体に走る痛み。
叫び声を上げるルイス。
必死になって暴れるが、彼女に抱きしめられており、叶わない。
ルイスは涙を流しながら、なおも体を動かして彼女から逃れようとする。
彼女はルイスを抑えつけたまま、彼の涙を舐め取った。
「痛いの?」
彼女は優しい声で言う。
「可哀想に・・・。」
彼女はルイスの頭を撫でながら言った。
喉笛を甘噛みし、口の中でそこを舐める。
唾液が首筋を伝い、床を濡らした。
「イイことしてあげるから、泣かないで?」
彼女はルイスの耳元で囁いた。
ルイスは奇妙な感覚に襲われながら、頷いた。

2週間後。
CDIアメリカ支部、応接室。
ミラとイリアの2人は、妙に柔らかい来客用の椅子に座り、女のマイアサウラの現地エージェントと向かい合っていた。
女の手にはサンドイッチが抓まれており、机の上には3つのコーヒーカップが湯気を上げている。
そして、その下には、全裸で両腕を縛られ、傷だらけの背中を露わにした死体の写真。
「発見された遺体はジョン・ホワイト、16歳。遺体に残された傷跡から、コエロフィシスやディロフォサウルス等の氏族と考えられるわ。」
マイアサウラは言い、イリアとミラに視線を上げつつ、サンドイッチを齧った。
ミラは机上の資料に目を落とし、イリアは『エリザベス・'リズ'・レスラー』と名乗ったマイアサウラを観察した。
リズはコーヒーを口に運び、イリアたちに向かって口を開いた。
「被害者が遺棄されていたのは、ウィスコンシンのとある鉱山の駐車場脇の茂み。」
リズはコーヒーを机に戻し、続ける。
「昨日、出勤してきた鉱山職員が遺体を発見したわ。」
「この傷跡は?」
ミラが写真を指さして言った。
「生前に付けられた物で、致命傷ではないわ。専門家によるものではないけど、ある程度治療されたような痕跡があるわね。」
リズが言い、今度はミラがコーヒーを飲んだ。
「続けるわね。・・・死亡推定時刻は発見前日、殺害から遺棄までは数時間から半日程度ね。」
「被害者の関係者は?」
イリアが口を挟む。
「それが、彼、いわゆる『オタク』でね、・・・、ゲームやコミックを愛好してたみたいだけど、これと言って反社会的な人間関係は無いみたい。」
リズが足を組み、スカートの裾から筋肉質な太ももが覗く。
「ここ数ヶ月、全米で同じようなタイプの少年、青年の失踪は相次いでいるわ。これについては関連性を調査中。」
ミラは腕を組み何やら思案している様子だ。
「着衣は?見たところ、全裸のようだけれど。」
少しの沈黙の後、イリアが言った。
「発見時は全裸で、着衣のたぐいは発見されていないわ。直接の死因は絞殺で、遺体は洗浄されている。・・・ただ、肛門の裂傷などは無いわね。」
リズは手に持っていた資料を机に投げると、椅子の肘掛けに頬杖をついた。
「ご意見は?」
「少なくとも私達が呼ばれたってことは、恐竜が関係しているのは間違いないと踏んでるわけね。」
ミラはリズに言った。
頷くリズ。
「それと、初めての殺人じゃない。」
イリアが後に続く。
「遺体の洗浄や、殺害から行きまでの手際の良さが証拠ですね。」
「これまでに起こってる失踪事件もね。」
ミラの補足にイリアが頷く。
「全てかどうかは分からないけど、恐らく多少は関わってるわね。」
ミラは煙草に火をつけると、口から煙を吐いた。
イリアはコーヒーに口をつけ、溜息をつく。
「ところで、何故僕らを呼んだんです?ここにも優秀な方は多いでしょう、あなたを筆頭に。」
「上からの指示よ。」
リズは腕を組み、背もたれに凭れかかった。
「詳しくは知らないけど、スポンサーからのたっての依頼だって話。」
「ふーん」とイリア。
ミラはその話には興味が無いようで、相変わらず死体写真を漁っている。
時計の音と部屋の外の足音。
何処かで内線電話が鳴り、呼び出し音が聞こえた後、すぐに止む。
「それで、」
ミラがリズに向かって言う。
「犯罪心理分析官としてのあなたの意見は?」
「そうね・・・。」
リズは腕を組んだまま、天井を見上げた。
「肛門成功の跡が無いことから、犯人にはネクロフィリアの気はないわね。遺体に傷もないから、退行的死姦の線もなし。」
退行的死姦とは、ナイフなどの刃物を性器の代替として肢体に『挿入』することで、性的興奮を覚える行為の総称である。
「詳しくは言えないけど、女性的なものを感じるわね。男性なら性転換手術を受けたりしているかも・・・、断られてそうだけど。」
リズはそのままの格好で続ける。
「更に、被害者の選別方法から行って、正常な恋愛、性交渉が営めないような内気な性格で、幼児期に虐待などを受けていた可能性があるわね。」
「虐待の痕跡もあるようだし、表立って出てくることはあまり無いにしろ、支配欲が強くて、被害者を我が物にしたいと言う願望が強いわね。」
リズの言葉を待たずにミラが言う。
「そして、傷跡の治癒具合、それ以前の比較的古い傷跡や、失踪から発見までの間隔から、犯人は被害者を長期間監禁していた可能性が高い・・・。」
イリアもそれに倣った。
「上出来。」
リズが言い、視線をもとに戻す。
「肢体は今何処に?」
「地元警察に引き渡したわ。主要な解剖はもう済ませたし、所在不明の死体があると困る人達も多いからね。」
イリアの問いにリズが答え、立ち上がった。
「それじゃあ、発見現場にでも行きましょうか。」
イリアとミラも後を追い、立ち上がった。

同日。
ウィスコンシン州、ウェイランド鉱山。
辺りはすっかり日が落ち、10月末の冷たい空気が吹きぬける。
つい先日までは違和感の大きかったミラやリズの格好も、それほど不自然には見えない。
車の扉を閉め、刺すような空気の中に降り立つと、その寒さが一層身に染みた。
イリアはコートのボタンを閉め、肩をすくめる。
「発見現場はこちらです。」
運転席から降りてきた警官の制服を着た人間のエージェントと共に、3人は駐車場脇の茂みへ向かう。
イリアが周りを見渡すが、一直線に伸びる道路と、砂埃にかすむはるか遠くの明かり以外は何も目に入らない。
「本当に、誰も居ませんね。」
イリアは率直な感想を述べた。
「この辺りは、昼間こそ鉱山職員の往来がありますが、この鉱山以外は何も無いので、夜は殆ど人通りが無いんです。」
運転手が答える。
イリア達が走ってきた方角から、朧気にヘッドライトの明かりが見えたかと思うと、瞬く間にピックアップトラックが通り過ぎ、テールランプが尾を引きながら、彼方へと消えていく。
「この先は?」
トラックを目で追っていたミラが口を開くと、白くなった息が風に流され、消えた。
「ここを通り過ぎてまっすぐ行くとミシガン湖。」
リズが答える。
「その先は湖沿いにシカゴまで行けるけど、結構距離があるわね。」
ふーん、と答えたミラは、ポケットに手を突っ込んだまま、遺体のあった茂みへと歩を進める。
ミラに続いてイリアが発見現場を覗き込むと、アスファルトで舗装されていない植え込みの土が露出しており、その土の上に、被害者の遺体のマーカーが見えた。
周囲の茂みはとても目隠しにはなりそうに無い。
「これじゃ、職員が来たらすぐに見つかるわけですね。」
と、イリア。
「そもそも、隠すつもりが無かったのかもね。」
ミラも概ね、イリアに賛同した様子で付け加えた。
会話を聞いていたリズも頷く。
「タイヤ痕も無し、目撃者も無し。恐竜の仕業だとして、この辺りは昔から、放棄された農場で人目につきにくい場所を恐竜に貸与して生計を立てさせたりしてるから、該当は結構な数になるわね。」
「その線は洗ってるの?」
リズの解説に、ミラが口を突っ込む。
「ええ、・・・でも、恐竜の存在を知る人間が、恐竜に罪を被せようとしているのかも。」
月明かりが鉱山の巨大な鉄塔を照らし出し、吹き抜ける風に押された鉄塔が、金属的なうめき声を上げる。
「・・・ま、とりあえず戻りましょうか。現場の雰囲気も分かったでしょう。」
リズが白い吐息と共に言った。
「何か、温かい物が食べたいわ。」
「あ、私も。」
リズの言葉にすかさず食いつくように、ミラが言った。
「え、この辺、CDIの施設とかあるの?そうじゃなきゃ外、出られないでしょ。」
イリアは車のドアを開けながら振り返り、メスの恐竜2人を見た。
「馬鹿ね、あるわけ無いでしょ。・・・アンタが買ってくるのよ、私達は車で待ってるから。」
イリアは冷たい空気に鼻を膨らませながらため息をついた。
「・・・だろうと思ったよ・・・。」

同時刻。
ルイスは恐怖していた。
いつものように犬の餌のように盛り付けられた夕食――恐らく、冷凍のオートミール――を命じられたとおりに犬食いし、今日こそ自分の番だと震え上がる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
確かに、コンピューターで多少悪さをしたかもしれない。
ハッカーとしてある程度名が通っていたのは知っている。
が、殺される理由としてそれが適当なのかどうか、ルイスには分からない。
2日前、隣の小部屋――ルイスにはそこがそんな部屋なのか知る由も無いが、恐らく同じような作りの部屋だろう――で、鎖が激しく揺さぶられる音がした。
そして、彼女がルイスの部屋に入ってきたのだ。
扉の向こうには、自分と同じように全裸にされた少年の死体が見えた。
彼女が彼を殺したのだと理解するのに、そう時間はかからなかった。
ここでは、彼女が絶対的な支配者なのだ。
彼女はかなり苛ついている様で、ルイスを何度か殴った後、お前も死にたくなかったら逆らうなと言い残して部屋を出て行った。
扉の下にある給餌用の穴からは、その日、何も出てこなかった。
もう、何日ここにいるのか分からない。
彼女が部屋に入ってくるときは、ルイスを殴ったり、引っかいて傷を負わせたりするか、機嫌が良ければ、彼の傷を手当し、優しい言葉をかけたりもした。
かと思えば、自慰行為を強制されたり、半ば強引に性行為をさせられることもあった。
ルイスの恥辱や逃走意欲は、とうの昔に欠乏し切っていた。
強引にさせられる自慰行為や性行為でも、一定以上の快感を得ることが出来たし、殴られても傷つけられても、彼女は必ず彼を手当てし、看病してくれた。
彼女の存在は、文字通りルイスにとっても、絶対的なものだった。
彼女の言うとおりにして、彼女の機嫌を損ねなければ、必ずそれに対する幸福感や快感を得ることが出来る。
ルイスはここでの生活に順応し、与えられる感情を享受していた。
一昨日までは。
なんとなく確立しつつあった安心感は、あの一件以来もろくも崩れ去り、後に残ったのは漠然とした恐怖だけだった。
扉が開く音に、ルイスは飛び上がった。
奥歯がかたかたと音を立て、扉の前に立っている彼女に視線を向けることすら出来ない。
彼女はルイスに近付く。
震えるルイスを、彼女は、抱きしめた。
「あなたは本当に良い子だわ・・・。」
彼女は言った。
「私のことを主人だと認めて、私の元に、逆らわず、ずっと居てくれるなら、私の家で暮らしてもいいのよ。」
彼女は良い、ルイスの頭を撫でた。
「さあ、私はあなたの何かしら?」
ルイスは、鈍りきった頭で思考し、この場に最も相応しいと考えた言葉を口に出した。
「ご主人・・・、様・・・。」
それはルイスにとって、愛の告白であった。

3日後。
アメリカ、イリノイ州、シカゴ。
CDIが借り上げたウィークリーマンションの一室で、ミラとイリアはこの1日を、ほぼ室内に篭ったままで過ごした。
イリアが上半身裸で、髪の毛をタオルで拭きながらシャワーから戻ると、ミラはソファーに深く身をうずめて、CDIから持ち出した現場写真を眺めていた。
ミラの服装は、ワイシャツに下着一枚のみである。
「またそんなだらしない格好で・・・。」
ブランデー片手に死体を眺めるミラに、イリアが言った。
ミラの太ももには、日本で負った傷の跡がうっすらと見える。
「別に珍しくも無いでしょう。」
ミラは意に関せずと言った調子で、イリアの言葉を軽くいなした。
イリアはミラの隣に腰を下ろし、彼女の肩に頭を預けるように、彼女が覗き込んでいる写真を見る。
「それにしても、綺麗だよね、死体。」
イリアが言うと、ミラは頷いた。
ここ数日は、何の手がかりも無い。
たまには休めといわれて与えられた休日も、殆ど事件のことが頭から離れなかった。
「彼女・・・、リズもそれが気になるみたいね。」
ミラは写真をテーブルに放り投げ、投げ出していた片足を抱える。
「ま、彼女も1人で考える時間が欲しかったんでしょ。引っかかることが多すぎるし。」
ふーん、とイリア。
「そういえば、リズのこと、知ってるの?」
「アカデミーの同期よ。同じ講義受けたわ。」
「あ、そうなんだ。・・・言ってくれれば良かったのに・・・。」
「下手に知ってる相手だとすると、仕事に支障が出るでしょ。私らは良いけど、あなたは初対面なんだし、お互い距離感は掴まないとね。」
「・・・別に、ミラの知り合いだからって、ミラみたいには扱わないよ・・・。女性だし・・・。」
「・・・どういうことよ、それ。」
ミラがイリアを睨む。
「あれ、嫉妬してるの?ひょっとして。」
「そんなわけ無いでしょ、馬っ鹿じゃないの。」
ミラはロックグラスに入ったストレートのブランデーを一気にあおると、煙草に火をつけた。
イリアはソファーから立ち上がると、真後ろのベッドに飛び込んだ。
寝転がった状態で、天井のシーリングファンを見つめる。
ファンは一定速度で回転し、不規則な影を作って天上と床に幾何学的な模様を浮かび上がらせる。
ミラはむすりとした表情で、壁の一点を見詰めていた。
「・・・ねえ、さっき何て言った?」
不意に、イリアが言い、ミラは不機嫌な顔のままで振り返った。
「だから、嫉妬なんてしてないわよ。」
「その前だよ。」
イリアは起き上がり、ベッドの上であぐらを掻いた。
「知ってる相手だと・・・、」
「仕事に支障が出る?」
ミラはソファーの背もたれに肘をついた。
「今回の被害者以前にも、行方不明者は多いんだよね。」
イリアの言葉は、半分独り言のようになっていた。
ミラはその思考に横槍を入れないよう、黙る。
「今回が初犯じゃないのは明白だけど、ということはそれ以前の被害者も殺されてる可能性が高い。・・・見つかってないだけでね。」
「そうね。」
イリアがこちら側の世界に留まれる程度の相槌を打ちながら、ミラは頷いた。
「って事は、これ以前の被害者は、しっかりと処理をしたうえで念入りに死体を隠したはず。ここ数ヶ月間で30人以上が行方不明って事は、全員生かしてるとは考えにくいしね。」
「つまり?」
「今回の被害者は、遺棄してから発見までの時間が短い。それは、遺棄場所が夜間と昼間の人通りの差が激しい場所で、朝にはすぐに発見されたから。」
イリアはベッドから降り、ソファー前のテーブルに置かれた現場写真を手に取った。
「つまり、犯人は被害者を早く発見して欲しかったんだ。腐乱したり、遺体が傷む前に。・・・処理をしたり、遺体を傷つけたりしなかったのも同じ理由・・・。」
「・・・犯人が被害者をいたわったって事?」
「そう。そうする理由は、被害者に特別な思い入れがあったってこと。監禁してたけど、被害者に対して一定以上の感情を持っていた。」
「つまり、これは衝動的な殺人である可能性が高いって事ね。」
「被害者を殺すつもりは無かったんだ。監禁されてた被害者が犯人の何らかの逆鱗に触れて、被害者は殺された。犯人は遺体を処理することなく、発見されやすい場所に隠した。」
「じゃあ、犯人はあの場所が発見されやすいことを予め知っている者・・・。」
「更に、被害者を情が移るほど長期間監禁するにはそれなりの設備が必要だ。大きな小屋とか、牛舎、炭鉱や工場・・・。」
「複数人を監禁するなら、内部はある程度仕切る必要もあるわよ。」
「だから、犯人はあの周辺に住んでいて、大きな農場や工場などを所有し、事件が始まる前に何らかの形で建築資材を購入したり、設備の大規模な改修を行っている可能性が高い・・・。」
ミラはグラスを置き、立ち上がっていた。
「すぐにリズに連絡するわ。」

リサ・ニールセンは、地下への階段を降りると、元々物置として使用していた部屋の鍵を開けた。
部屋の中には、まだ両親が健在だった頃に頃に使用されていた古めかしい家具が申し訳程度に置かれ、天井からぶら下がった電球が黄色い光りを放っている。
内側からは開かないようになっている扉の向こうに、自分が飼育している人間が座り込み、全裸で食事をぱくついていた。
「ルイス・・・。」
リサが人間の名前を呼ぶと、彼は甘えるようにリサに擦り寄ってくる。
リサは殆ど纏っていなかった着衣を脱ぎ、人間はリサの胸に舌を這わせる。
彼のペニスは完全に勃起しており、透明な液体がリサの太ももに付着し、糸を引いた。
リサはルイスの頭を撫でると、彼の口を自分の身体から引き離し、キスをした。
リサの舌がルイスの口内を犯し、唾液が流れ落ちる。
2人はふらふらとベッドに向かう。
ルイスはまるで誘惑するようにベッドに入り、リサはそれに応え、彼に覆いかぶさる。
リサがイリスの乳首をなめると、ルイスは甘い声を出す。
起立した一物は、既に準備が整っているリサの性器に吸い込まれた。

翌日。
シカゴ市内、CDI特殊部隊車車内。
表向きにはSWATのそれと同じように見えるバンが列を成し、朝の荒野を走る。
車内で銃や装備の点検をする隊員達。
「タレこみなんて、早い上に私らには似つかわしくないわね。」
ミラは言いながら、ベレッタのスライドを動かしながら弾の確認をする。
「匿名でね。建築資材と生石灰の運び込みを見たって話だけど。」
「生石灰?」
リズにイリアが聞く。
「多分、死体の処理に使ったのよ。」
とミラ。
サスペンションが軋み、道路の凹凸を吸収し、僅かな揺れを起こす。
「生石灰は濡れると熱を帯び、死体の腐敗を早めるわ。」
「よし、聞け。」
特殊部隊の隊長の声が無線から流れ、3人はそれに向かい、耳をすませる。
「被疑者の名前はリサ・ニールセン。両親の代から農場を営んでいるが、現在は休耕地土壌保全補助金で生活している。経歴もプロファイリングとほぼ一致。武器の携帯、人質の有無は不明だが、その可能性が高い。」
周囲のラジオの電波によるノイズ交じりに、明瞭な発音の隊長の声が続く。
「まずはエージェント3名が突入するが、ドアが開き次第突入する。各員、無線に留意しろ。」
イリアはその台詞を緊張した様子で聞く。
ミラとリズは慣れた様子で、イリアの肩をたたく。
「心配ないわよ。バックアップがこれだけ居るんですもの。」
リズは言い、笑った。
砂煙の向こうから、目的の農場がぼんやりと浮かび上がった。

リサは目を開け、隣で眠っているルイスの頭を撫でると、部屋を出た。
今は亡き家族以外に知る物の居ない地下室を出て、服を着る。
と、玄関の呼び鈴の音。
せわしなく扉をノックする来訪者に内心舌打ちをしながら、リサは扉を開ける。
そこに立っていたのは、・・・リサが良く知る人間の男だった。
「CDIが嗅ぎ付けた。」
男は言った。
「最近ご無沙汰だったじゃない。で、どうするの?」
「リストの人間は全員死んだか?」
「殺したわ。あなたの言うとおり。」
「死体は?」
「それもあなたの言った通り、石灰に埋めて床下に。」
リサは言い、視線を床に向ける。
「助かったわよ、お陰で。・・・彼・・・、ジョンは残念だったけど。」
「そうか。」
男は言った。
「ここに来る前に牛舎を見た。まだ、何人か生かしているようだな。」
「あなたに言われた人間は全員死んだわ。」
リサは答える。
「せっかくのハーレムの住人よ。出来るだけ殺さないようにする。」
「そうだな。」
男は言い、懐に手を入れた。
「もう、殺す必要は無い。」
男は口角を上げた。

イリアとミラ、リズの3人は、リサ・ニールセンの住居の前に居た。
ミラがドアをノックし、イリアとリズはポケットに入れた銃を握り締める。
もう冬が近くなったウィスコンシンの農場は肌寒く、無線機を隠す必要が無くてもコートが手放せない。
「リサ・ニールセンさん?FBIの者だけど、ちょっといいかしら?」
ミラが叫ぶ。
返事は、無い。
ミラはドアの取っ手に手を掛る。
ドアは何の苦も無く開いた。
少しだけ開いた隙間から、ミラが建物の内部を伺う。
「・・・電気も点いてないわ・・・。・・・まだ、寝てるのかも。」
「なんか変な臭いしない?」
イリアが言い、リズが頷いた。
「・・・入りましょう。・・・礼状ならあるから、問題ないわ。」
リズの言葉をきっかけに、3人は扉を一気に開け、銃を構えて家に入った。
「――なん・・・、」
玄関を入るとすぐ、あまり手入れされているとは思えないキッチンが目に入る。
先程まで使用されていたかのような痕跡のあるフライパンと、淀んだ水の溜まった食器が、乱雑にシンクに放り込まれている。
砂埃の蓄積した窓から、濁った光が室内に差し込んでいた。
そして、その床には、リサ・ニールセンの顔写真と同じ顔のディロフォサウルス。
胸に大穴を開け、傷口から大量の出血。
玄関に足を向け、仰向けに倒れている彼女が息をしていないのは、誰の目に見ても明らかだった。
血液はまだ乾く様子はなく、薄汚れたカーペットをどす黒く染めている。
3人は別れて家の中に入ると、片端から部屋をクリアリングした。
「・・・誰もいない・・・。」
イリアは無線に聞こえるように言った。
数分で申し合わせたように、死体の傍に集まる。
すぐにイリアが口を開いた。
「敷地内の牛舎は!?」
「もう、彼らが突入してるわ。」
イリアはミラの言葉を受けて無線機のボリュームを上げた。
牛舎の中で、監禁されていた人質が発見されているようだ。
犯人を見つけた様子は、ない。
「・・・自殺?」
「銃がないわ。」
イリアの言葉にリズが答える。
イリアは家の奥に向かい、ミラとリズもそれに続く。
無線機からは、人質が次々に救出される様子が中継されている。
イリアは死体の脇を横切り、ダイニングの奥にある扉にゆっくりと向かった。
警戒しながらその扉を開く。
内部には、申し訳程度の衣服と、段ボール箱に詰められたガラクタだけ。
イリアは手袋をはめると、中身を取り出してダイニングのテーブルの上に広げる。
「・・・なんだこれ・・・。」
段ボール箱をよけると、その下には、地下へと続く納戸のような扉が現れた。
イリアの言葉にミラが近づき、扉に手をかける。
「・・・鍵、かかってるみたいね。」
「待ってて。」
リズが言い、リサの死体を漁った。
「あった、これね。」
リズは鍵の束を取り出し、その内の1つが、物置の隠し扉を開けた。
急な階段を降り、中に入る。
壁のスイッチで明かりをつけると、裸電球が周囲を黄色く浮かび上がらせた。
イリアはその光景を見て、一種独特の感覚に襲われた。
壁一面に、リサが全裸の被害者たちと性行為を行なっているポラロイド写真が、大量に貼り付けられている。
ごく最近撮られたようなものから、年月を経て色褪せ、ほとんど画像の判別が不可能なものまで、まるで無作為に床に投げ捨てたかのように、壁を埋め尽くしていた。
壁沿いに視線を移す。
細い廊下の奥、重厚な作りの扉が目に入った。
イリアは木製の扉まで足音を立てないように移動すると、扉に耳を付けた。
後ろからついてきていたミラに目で合図を送る。
「・・・誰か、居る。」
ミラが鍵穴を探し、イリアはその後ろで銃を構える。
小さな金属音と共に、鍵が開いた。
慎重に扉を開けるミラの後ろから、イリアも部屋を覗き込む。
部屋の中にいたのは、イリアたちが見知った顔の人間だった。
ごく最近、行方不明になった、シカゴの高校生。
彼は全裸でベッドに横たわり、呆けたような顔でイリアたちを見ていた。
「FBIです。両手を頭の上に。」
イリアは武器の所持の有無や、彼の精神状態が把握できない以上、念のため提携通りの言葉を口にする。
聞いているのかいないのか、分からない間があった後で、彼はゆっくりと上体を起こし、手を上げた。
「・・・ルイス・クーパーね?」
ミラは人間に言い、彼は頷いた。
「武器は持ってる?」
否定。
ミラは、彼の下半身を隠していたシーツをはぎ取る。
人間・・・、ルイスはそれに抵抗するわけでもなく、全身を晒した。
「・・・リサは・・・?」
焦点が合わない、掠れた声で、ルイスは言った。
「死んだわ・・・。・・・私達が到着する寸前に。」
ルイスの顔から血の気が引くのが、薄暗い照明の下でもはっきりと分かった。
「・・・そうですか・・・。」
ルイスは糸が切れたように、肩を落としてベッドに崩れ落ちた。
遅れて突入したバックアップが屋内に入り、上がにわかに騒がしくなった。

同日、午後。
CDIアメリカ支部。
肩の荷が下りたような、新たな荷物を背負わされたような面持ちで、イリアは紙コップのコーヒーを眺めていた。
会議室の扉が開き、リズとミラが部屋に入ってくる。
イリアはそれを見上げ、また顔を落とした。
「リサの自宅の床下から、数十体に上る人間の遺体が発見されたわ。」
リズは現場組から上がってきた報告書を読み上げる。
「生石灰に埋められて、腐臭の攪拌を防ぐと同時に腐敗を早めていたようね。ま、あんまり意味なかったけど。」
イリアはコーヒーを口に運び、ため息を付いた。
それに構わず、リズは続ける。
「ルイス・クーパー含め、監禁されていた被害者には拷問の跡があったわ・・・。同時に、それを治療したような跡も。」
「・・・鉱山の遺体と同じね。」
ミラが口を挟む。
「と、ここまでが現場組からの報告。」
リズはそう言うと、持っていた書類の束を会議卓に置いた。
「後は、私の心理分析官としての所見ね。」
イリアの目の前の椅子が引かれ、リズとミラがそれぞれ、椅子に腰掛ける。
「リサ。ニールセンは幼い頃に両親を亡くし、親戚に引き取られたらしいわ。でも、そこで継続的に虐待を受けていたようね。」
リズは会議卓に肘をつき、額に手を当てる。
「その影響を多分に受けて成長した彼女は、絶対的に優位で無抵抗な相手に対してしか性的興奮を覚えられなくなっていた。」
リズはそのままの体制で続ける。
「それと、彼女にはもうひとつ、精神的な疾患があった。・・・あなたも聞いたことあるんじゃない?」
「?」
「代理ミュンヒハウゼン症候群。」
ミラが初めて口を開く。
「他者を意図的に傷付け、その治療を献身的に行うことにより、自身の英雄願望を満たすの。」
ミラは言いながら、煙草に火を点けた。
ミラが煙を吐き出し、リズが続ける。
「更に、彼女の天性のカリスマ性みたいなものもあったんでしょうね。・・・実質的に被害者たちを支配し、まるで奴隷のように扱いながらも、被害者が彼女に対して畏怖と尊敬を抱くようにマインドコントロールしてたって訳。」
「・・・。」
ミラの吐き出した煙が渦となり、換気扇に吸い込まれる。
「彼女にとって幸運だったのは、その行動が自己完結していて、他者に対してその行為を示す必要性がなかったか、その対象の他者が、その行為を黙認していたって事。」
ミラは煙草の火を消すと、新しいタバコを取り出し、火を点けた。
タールとニコチンと燃焼剤の混ざった炎が、白い紙を焦がす。
「狂ってはいるけど、説明されるとあっけないわよね。」
やや間を置いて、ミラが言った。
「こんなの、いくらでも転がってるし、同じ育ち方しても、何もしない者の方が圧倒的に多いのに。」
ミラは天井を見上げ、煙を吐き出す。
イリアはコーヒーを飲み干し、口を開いた。
「リサを・・・、彼女を殺害した犯人については?」
「不明よ。」
リズは簡潔に答える。
「死亡推定時刻は突入の40分前。・・・靴跡の痕跡から、人間だとは思われるけど、目撃者は無しね。」
「・・・そうですか・・・。」
イリアは言い、唇を噛み締める。
「ま、被害者・・・、ルイスが落ち着いたら何かしら見えてくるでしょ。・・・彼、かなり気丈みたいよ・・・。」
リスの言葉に、ミラが頷いた。
「ほら、元気出しなさい!」
ミラがイリアの肩を叩いた。
「負けることもあるわよ、・・・分かるでしょ?」
会議室の空調が作動し、外気温の冷え込みを伝えた。



2013年、11月3日。
CDIアメリカ支部、取調室。
ルイスは殺風景な部屋の中に置かれた机に向かって、同じく飾り気の無いパイプ椅子に腰掛けていた。
机の上にはコーヒーが置かれているが、もう湯気は立っていない。
ルイスの目の前の壁には大きなマジックミラーがあり、その前を、自分を助け出した人間――イリアが行き来している。
マジックミラーの反対側には、残りの2人、FBIだかの恐竜が、カメラを回しながら自分達を観察している。
イリアは手に持っていたタブレット端末を机の上に置くと、そのまま机に両手を突いて、話し始めた。
「じゃあ、話を整理するよ。」
イリアはルイスの対面の椅子に座る。
「誘拐される直前、インターポール名義で『仕事』の依頼があった。」
ルイスは無言のまま、頷く。
「内容は、巨大なシステムのセキュリティホールを探す物。・・・これに関しては、何のシステムなのかは不明。」
「はい。・・・一部のコードしか見ていませんから・・・。」
「で、君も、それ以外のハッカーも、ある程度の成果を挙げ、報酬を受け取っている。・・・500ドルとはまた内容の割に、羽振りが良いね。」
イリアが少し笑う。
「別段、これに関して君をどうこうしようとは思わないよ。僕も、同じような事はしてた。」
言葉を聞いたルイスも、少しだけ笑った。
「で、個人的に一番引っかかるのが、」
イリアは緩めた表情を元に戻して、呼吸を入れる。
「依頼主だ。インターポールの『スズキ』。・・・この名前に聞き覚えは?」
ルイスは首を振る。
「そうか・・・。・・・僕にはちょっと縁がある名前だから、一応ね。」
イリアはルイスの顔を観察する。
「話を聞く限り、」
ルイスの顔色は保護直後からするとかなり回復しており、受け答えもしっかりしている。
「今回の件はその『仕事』と何かしら関係があると見て間違いないと。」
ルイスはしっかりと頷いた。
「他のハッカー仲間とは連絡は取れるかい?」
「1人を除いて・・・。」
ルイスは言い、黙り込んだ。
イリアの目から見ても、その1人の身を案じていることは想像に難くない。
「その1人って言うのは?名前とか、分かる?」
「ハンドルネームだけ・・・。・・・Cheryl1996って人です・・・。」
「どこで知り合ったの?」
「オンラインゲームで・・・。彼女、・・・だと思いますが・・・、同い年で、普段からよく連絡を取り合ってたんです。」
「それは、最近も?」
「はい。・・・捕まっている間、連絡してなかったので、昨日、・・・あなた達が用意してくれたセーフハウスから連絡を・・・。」
「調べるよ。・・・彼女も同じ仕事を?」
「はい・・・。・・・やっぱり、彼女も危ないですよね?」
「恐らくは。・・・彼女に接触するとき、協力してもらえるかい?」
「はい。・・・俺も、彼女のこと、心配ですし・・・。」
「・・・有り難う。」
イリアは立ち上がり、部屋を出る。
ルイスは机に肘をついて顔を覆うと、大きなため息をついた。

イリアは部屋を出ると、マジックミラーの前にいるリズとミラに声をかけた。
「収穫は?」
ミラはイリアの考えを催促した。
「スズキ・・・、彼が絡んでるみたいだ。・・・恐らく、組織的に。」
「彼については私達で調べるわ。」
ミラはオフィスに向かって歩き始めた。
イリア、リズもそれに倣う。
「あなたはCheryl1996について調べて。恐らく、次に狙われるのはその子よ。」

90分後。
イリアとミラとリズ、それにルイスは、イリア達が始めて支部を訪れた際に顔を合わせた応接室のソファーに並んだ。
「じゃ、ミーティング始めるわよ。」
リスが言い、ミラは紙コップに口をつけ、言った。
「まずはこっちからね。」
紙コップを机に置き、印刷された資料を机に置く。
資料には大きく、「FOR YOUR EYES ONLY」と書かれていた。
「スズキについてだけど、調べれば調べるほどキナ臭いわね。どうやら、『有翼の蛇』にも籍があるみたい。」
ミラが言い、リズが続ける。
「CDIにも籍があって、主な管轄は米国になってるけど、国籍は日本。氏族は、フタバスズキリュウね。・・・そっちは?」
「Cheryl1996の本名は、ヘザー・モリス。氏族はエオラプトル。」
ルイスが意外そうな顔で、ヘザー・モリスの資料を覗き込む。
ミラがそれを見て、「アンタもつくづく恐竜に縁があるのね」と言った。
「彼女がまだ生きてるのは、シリアルキラーの連続殺人の被害者として、不適当だったからだね。恐竜の、しかも女性。」
イリアが言うと、リズも頷く。
「私達も、ルイスが助かってなかったら、多分、ここの関連には気付かなかったわね。」
「ルイスの供述によると、」
イリアは更に続ける。
「彼は元々殺される予定だったようだね。今回の件の口封じで・・・。・・・リサ・ニールセンによる他の被害者も同じように、仕事を依頼されていた。」
ルイスは目を瞑り、両目の間を摘んでいる。
「で、ヘザー・モリスだけど、、過去の経歴がほぼ白紙。数回の補導歴はあるけれど、意図的に削除されているようにも見えるね・・・。」
「ちょっと、それって・・・」
ミラが口を挟む。
「内部に誰か居るってことじゃない。・・・こうなるとスズキについてはもっと掘り下げないと・・・。」
「・・・ヘザーについては僕ら2人で接触する。ミラとリズは、スズキについて調べてくれない?」
「了解。・・・気をつけてね。」
4人は立ち上がり、スズキの書類はシュレッダーに放り込まれた。

3時間後、NY市。
イリアとルイスは、シカゴから直行の飛行機から降り立ち、JFK国際空港の外に出た。
予め連絡し、待機させておいたバンに近寄ると、スモークガラスの向こうから一見、人間と思われる運転手が声をかける。
「一応、バッジの確認してもいいかな?」
イリアはジャケットの内ポケットからFBIのそれとよく似たデザインの身分証明書を運転手に提示する。
運転手は無言で後部座席を指さし、イリアとルイスは車に乗り込んだ。

イリアは市街地を走る車のスモークガラスの内側で、アタッシュケースから『武器』を取り出した。
右手の手首から肘にかけてを覆う革製の防具に短い仕込み刀。
手を握り、手首を動かすと刃が飛び出す。
「すげえ、アサシンブレードだ・・・。」
ルイスが言い、イリアは刃を仕舞うと微笑んだ。
「また器用なの持ってきたなあ・・・。」
運転手が信号で車を止め、振り返る。
「エディだ。エディ・クワディナロス。苗字は面倒くさいから、ファーストネームで呼んでくれ。」
助手席との間から伸ばされた手を、イリアは握った。
「僕はイリア・ラクスマン。・・・僕はCDIの人間ですが、彼・・・、ルイスは外部の人間なので、そこだけよろしくお願いします。」
イリアが手を離すと、信号が変わり、車が再び動き始める。
「それにしても人間だけで地下へなんて、珍しいな。・・・緊急なのか?」
「ええ、まあ。」
エディの言葉に、イリアは返事を濁した。
任務の詳細については、CDI内部での情報漏洩の可能性がある以上、伏せている。
現場判断で話してしまうこともできたが、イリアはあえて何も言わなかった。
「内容は?」
「保護対象がいるので、彼女に接触します。・・・恐らく、大したことにはなりませんよ。」
「そりゃ良かった。」
エディは笑い、トンネルに入った。
「俺は来月、結婚するんだ。」
工事中を告げる標識を抜け、トンネルから枝分かれした地下道を進む。
しばらく進むと、エディは車を止め、眼前に現れたゲートを開ける。
戻ってきた時には、彼の顔はイグアノドンのそれに変化していた。
マスクを助手席に放り込むと、車はゲートを潜り、埃の向こうに微かな明かりが見え隠れする。
「あれがもう一つのマンハッタンだ。・・・まあ、人間(マン)は殆ど住んでないがな。」
そこにあったのは、日本で見たものとは比べ物にならないほど大きな地下空洞だった。
ビルのようにも見える支柱から明かりが漏れ、形成された摩天楼の間を流れるメインストリートを車が往来している。
ひときわ大きな道路に合流すると、エディはフロントガラスの向こうを指さした。
「あれが目的地、グランドセントラル駅だ。」
「・・・すご・・・。」
ルイスが思わず口にした言葉に、エディが得意げに答えた。
「ここの地下空洞の面積はマンハッタンとほぼ同じ。人工的に作られた地下空洞としては恐らく世界最大の都市だろう。・・・で、ターゲットは?」
「グランドセントラル駅にて補足済みです。」
イリアは身支度を整えながら答える。
腕に取り付けたブレードの上からパーカーを羽織り、荷物の中から銃を取り出す。
「念のため武器の携帯をしていますが、今回はあくまで接触が目的です。・・・念のため、連絡手段の確保も。」
「手筈は?」
「まずはルイスが接触します。その後は――・・・、」
マンハッタンの地下のメインストリートを、黒のバンが走り抜けた。

ルイスは待ち合わせ場所として指定したカフェの入口で、先程イリアが3つセットで購入したプリペイド携帯のうちの1つを耳に当てた。
会話を拾うための無線機が作動していることを確かめながら、イリアに連絡を入れる。
イリアは駅の2階部分から、吹き抜けを利用してルイスを補足している。
「居た。・・・服装はオレンジのタートルネックシャツの上に白のベスト、ダークグリーンのスカート。」
イリアは観光客が写真を撮るように、コンデジの望遠機能を使用して彼女を確認する。
ルイスが店に入り、イリアもゆっくりと同じ店に向かう。
無線機からは、ルイスとヘザーの会話が聞こえてきた。
「Cheryl1996?」
「・・・triangle_eye?」
どうやら、落ち合ったようだ。
イリアは努めてゆっくりと、カフェに向かって歩を進めた。

ルイスが近づくと、ヘザーはテーブルの上の飲み物をかき混ぜながら口を開いた。
「人間だったのね。・・・まあ、何となくわかってたけど。」
キャラメルマキアートが少しずつ、コーヒーの色に染まっていく。
「よく入れたわね。」
「ちょっと、緊急事態でさ。」
ルイスは席に座り、コーヒーを注文した。
「前に僕らがやった仕事、覚えてる?・・・あれ、どうもヤバい仕事だったらしい。」
ヘザーはマグカップを傾け、マズルを掻く。
エオラプトルの線の細い指が規則的に動くのを、ルイスは何となく眺めた。
「誘拐されたってのも、そのせい?」
「多分ね。」
コーヒーが到着し、ルイスは大量の砂糖をカップに入れた。
「それで、このまま行くとヘザーも・・・命を狙われるかも。」
「・・・。」
ヘザーはカップの底に残っているクリームをスプーンで掬って口に運んだ。
「だから、俺と一緒に――」
「あなた、名前は?」
「・・・へ?」
「名前よ。」
「・・・ルイス。・・・ルイス・クーパー。」
「何故私の名前を?」
「あ・・・、いや・・・。」
「私のハンドルネームはCheryl1996、シェリルと呼ぶなら分かるけど、何で本名を知ってるの?」
「・・・。」
ヘザーは立ち上がると、ルイスの太ももに足を載せて押さえつけると、ジャケットを捲った。
その下には、会話を中継するための小型無線機が縛り付けられている。
「・・・何、アンタ、警察?」
ヘザーは少し考えるような素振りを見せると、足を降ろし、踵を返すとカフェから出て行こうとする。
「ちょ、待って・・・、」
「知らない人と話すなってパパに言われてるの。・・・じゃ。」
ルイスはヘザーの後ろ姿を眺めながら、ため息をついてテーブルに肘をついた。
と、入れ違いにイリアが店内へと現れた。
露骨に落胆しているルイスの前に座るイリア。
「・・・なんとか間に合ったよ。」
イリアはそう言うと、手に持っていた携帯を振ってみせた。
「もう1つは、彼女のバッグの中だ。・・・ルイス、車に戻っててくれ。」

イリアはカフェを出ると、すぐにヘザーを発見した。
彼女の後ろ姿を追う。
ヘザーは少し周囲を歩きまわると、駅のホールを横切ってちょうど反対側にある売店に入った。
「アンタの相棒が帰ってきたぞ。」
無線機からエディの声が聞こえる。
「何となくクサイ奴らが駅に入っていった。気をつけろ。」
「もう・・・?感づかれてたか・・・。」
イリアは売店の外からヘザーを観察する。
ヘザーは店の中で店員と何やら話し込んでいるようだ。
イリアは急ぎ足で2階に向かう。
吹き抜けからホールを見下ろすと、数人の人間と恐竜がスーツ姿で建物に入ってくるのが見えた。
時折耳に手を当てており、無線機を使用していることは明らかだ。
「まずいな・・・。」
CDI内部の者が関わっている場合、この無線の暗号化は全く意味が無い。
イリアは無線機に手を当てる。
「何か有ったらルイスの携帯に連絡します。・・・盗聴の可能性が怖いので、無線機はしばらく使いません。」
イリアは無線機のスイッチを切り、携帯電話を取り出した。

「身分証の提示をお願いできますか?」
ヘザーは店員の言葉に内心あせりながら、レジに置いた煙草に目をやり、バッグを漁る振りを始めた。
と、バッグの中に見覚えの無い携帯電話を見つける。
「どうかされました?」
訝しげな店員が、チンタオサウルス特有の中国語訛りで話しかけてくる。
「あー、」
ヘザーはいつもの手で切り抜けることに決め、口を開いた。
「ごめんなさい、今日は持ってきてないみたい。」
「免許証や保険証も?」
「ええ・・・、」
「それでは、・・・」
携帯電話が鳴った。
ヘザーの物では、ない。
少し考えた後、ヘザーは見覚えのない携帯電話を耳に当てた。
「・・・もしもし。」
「ヘザー、これは間違い電話じゃない。君の身の安全のために、聞いて欲しい。」
「・・・アンタ、さっきの奴の仲間?・・・もう、警察のご厄介になるようなことはしてないわ。」
ヘザーは言葉に十分な刺を生やし、電話を切ろうとした。
「待て、僕はFBIの者だ。」
「・・・あのねえ、冗談に付き合ってる暇は無いの。」
「店の外を見ろ。」
ヘザーはむすりとしながらも、レジから店の外を見た。
「スーツの集団が君を探してる。」
なるほど言われた通りの風貌の集団が、ホールの中をうろついている。
「見つかれば君は恐らく殺される。・・・言うとおりにして、ここから脱出するんだ。」
ヘザーは唾を飲み込み、深呼吸しながら、先ほどの会話を思い出す。
『命を狙われる』・・・?
まさか。
ありえない状況だと理屈を並べるが、本能的な恐怖が脳の中で警鐘を鳴らす。
「僕が合図したら、店から出て、右に進むんだ。目的地はスタッフ用の出入り口。駅の裏手だ。」
「・・・分かった。」
「よし・・・、・・・・・・今だ、動け。」
ヘザーは店を出た。
相変わらずの表情の店員が、ヘザーの背中を疑わしげに追う。
「時計の下のベンチ、青のダウンジャケットを着たコンピーの隣に座れ。」
ヘザーがベンチに座ると、直後、植え込みを挟んだすぐ後ろをスーツの恐竜が通り過ぎた。
「よし、立ち上がって壁沿いに進め。」
ヘザーは立ち上がり、壁に沿って駅の奥へ。
券売機前の行列に差し掛かる。
「行列に紛れ込むんだ。合図をしたら靴の紐を結びなおす振りを。」
立ち止まり、行列に並ぶ。
「3、2、1・・・、今だ。」
しゃがみこんで靴紐を解き、結びなおす。
後ろではスーツの人間がサングラス越しに行列を覗き込む。
「よし、次は斜めにホールを横切って向かい側の本屋に入るんだ。」
言われたとおり、本屋へ。
「CDの視聴コーナーへ。」
店の奥のCDコーナーへと向かう。
と、店内にスーツのラプトルが入ってくる。
「気づかれてる・・・!」
ヘザーはCDを眺める振りをしながら電話に向かって小声で絶叫する。
ラプトルはヘザーを探しながら店内をゆっくりと歩き回る。
「追手が地図のコーナーに向かったら、まっすぐ店を出ろ。振り返るな。」
「駄目、絶対に気付いてるわ!」
CDを持った手が震えるのを必死に堪える。
「店の目の前のベンチまで来い。」
ヘザーは泣き出しそうになるのを懸命に抑え、店を出た。
ラプトルも彼女の後を追って店を出る。
「追いかけられてる、どうしよう・・・。」
「ベンチまで来るんだ、僕が始末する。」
ヘザーがベンチまで近寄ると、白いパーカーでフードを目深に被った人間の男が電話を手にして座っていた。
「よし、その位置で良い。振り返って。」
言われたとおりに振り返る。
追手の姿はない。
「もう大丈夫だ。」
ヘザーがもう一度ベンチを見ると、先ほどのラプトルが人間の代わりにベンチに座っていた。
注意してみないとわからないが、ベンチの下に血液が雫となって流れ落ちている。
死んでいるのは明らかだった。
「ヘザー、歩け。すぐそこだ。」
先ほどのパーカーの男を探すと、従業員専用の出入り口の脇で時刻表を覗き込んでいる。
ヘザーは男の脇をすり抜けると、従業員入り口へと入った。
扉を抜けると、すぐにパーカーの人間もその後を追う。
さらに下へ降りる階段に向かいながら、人間は口を開いた。
「イリア・ラクスマン、FBIの者だ。」
「FBI?」
ヘザーは語調を上げる。
「CDIでしょ。知ってる。」
「・・・ああ、なるほど。」
「人間よりも情報は速いのよ。管制も敷かれてないし。・・・危ない!」
イリアと名乗った人間が階段を降り、角を曲がろうとした瞬間、物陰に潜んでいたと思しきパキケファロサウルスが、彼の頭を殴打した。
辛くも急所を庇うことには成功したが、イリアは汚い床に転がり、パキケファロサウルスは自分のネクタイを外すと、彼の首を絞めにかかる。
イリアの目が充血し、呼吸が浅く、速くなる。
がん、と衝撃音。
襲撃者の手が緩み、イリアはヘザーを見やった。
彼女の手には、工具や足場と一緒に廊下に転がされていた鉄パイプが握り締められており、その先端が襲撃者の頭の形に歪んでいた。
「石頭が・・・。」
イリアは悪態を一つ吐くと、怯んだままの襲撃者の下顎に右手をあてがい、手首を反らせる。
右手の仕込み刀が飛び出し、脳幹を貫いて、頭蓋骨の内側に当たり、止まった。
痙攣の後、力が抜けたパキケファロサウルスの体をイリアが放り、ヘザーは鉄パイプを投げ出した。
「どっちが守るんだか。」
ヘザーは言うと、イリアの手を握った。
ヘザーに引っ張り上げられながら立ち上がったイリアは、出口に向かいながらプリペイド携帯を取り出し、

ルイスに連絡する。
「どっかに嗅ぎつけられた。」
開口一番、イリアは言った。
「ヘザーの自宅に向かう。そっちで集合しよう。」
ヘザーはイリアの脇をすり抜けると、外部通用口から駅の裏手に出た。
「車はこっちで何とかするから・・・、ってこら、ヘザー!」
「FBIよ!車から降りて!」
ヘザーの手にはいつの間にかイリアのバッジが握られており、気の毒なタクシーが停車していた。
「さっきのお返しよ。」
ぶつくさ文句を言いながら運転席に乗り込んだイリアの後を追うヘザーを載せると、タクシーは運転手の怒声を受けながら、誰にも追われることなく発車した。

ルイスはため息を吐くと、ポケットから取り出したタバコに火をつけた。
アレでよかったとはいえ、年頃の女の子に一発で玉砕するとなかなか精神的に来る物がある。
「はー・・・。」
煙と一緒にもう一度ため息を吐くと、運転席に乗っていたエディがうんざりしたような口調で言った。
「おいおい、車内禁煙だぜ!?」
ルイスは黙って窓を開けると、灰を路上に落とす。
「つーかお前未成年だろ、どこで買ったんだそれ。」
「関係ないだろ。」
「あるね。お前、タバコの煙ってのは吸ってる本人よりも周りの方が害がデカいんだぞ。俺にゃ近々ガキが出来るんだぜ?」
「これくらい我慢しろよ・・・。」
「嫌だね。てめえがその気なら俺にも考えがある。」
エディは運転席側からパワーウィンドウを閉めると、盛大に放屁した。
「うわ、くっせ!」
ルイスが窓を開けようとすると、エディは運転席側で窓を閉め、結果的に助手席側の窓は数インチの隙間だけを開放した。
ルイスは口を細めてそこから新鮮な空気を吸い込む。
「大体お前タバコなんてどこで覚えた?最近のガキはセックスする前にタバコかよ。」
「うるせー!俺が童貞なのとタバコは関係ないだろ!」
「あ、童貞なのか。」
エディはぷすーと声を漏らす。
「ほー・・・、童貞か・・・。あのやり取りもそれで合点が行くな・・・。」
「ば・・・、黙っててくれ!仕事しろ仕事!」
「お前の保護観察も仕事の内だよ。・・・俺だってお前のチンコが使用済かどうかなんて心底どうでもいいんだぜ?それを少しでも・・・うわくっせ!」
「おせーよ!自分の屁だろ!」
「いや、2発目行ったんだが、音が無い分匂いがやべえ・・・。」
「てめえ本気で殴るぞ!」
「あ、待て、・・・あいつら・・・。」
エディはフロントガラスの向こうの車列を凝視し、ルイスもそれに倣う。
無線のスイッチを入れたエディは無線に向かい
「アンタの相棒が帰ってきたぞ。」
と一言言った。
「何となくクサイ奴らが駅に入っていった。気をつけろ。」
返事を待たずに言うと、無線機から雑音まじりの声が響く。
それを聞いたエディは、すぐに無線機のスイッチを切った。
「くせーのはてめーだろ・・・。」
ルイスはようやく開放された窓からの空気を肺に満たしながら言う。
「で、何だって?」
「対象と接触したようだ。」
エディは言い、ルイスの携帯を指差した。
「今後はこいつで連絡を取ることにする。CDI内部からの妨害の場合、無線の暗号化は意味が無いからな。」
「了解。」
ルイスは言うと、車のドアを開けた。
「おい、どこ行くんだ。」
「タバコ。中で吸うなってんなら、外で。」
「近くに居ろよ。連絡あったらすぐ動くからな。」
「はいはい。」
ルイスは車の外に出ると、新しいタバコに火をつけた。
「・・・はー・・・。」
何を気にしているのだろう。
今回の件だって、完全に仕事だ。
極論、ヘザーに何と思われようと、知った所ではない。
リサに誘拐されるまで、恐竜の存在なんて考えもしなかった。
そして、ヘザーは、それ以前からネット上で付き合いがある。
女のような考えだが、今回の一件は、運命的な物を感じざるを得ない。
となると、極論、は自分の本心ではないのは明らか。
信じられないことだが、ルイスはヘザーの事が、好きなのかもしれない、と思う。
否、もはやそこに疑いの予知は無い。
ルイスはヘザーの事が好きだった。
殆ど口をつけていないタバコが長い灰を落とし、ルイスは吸殻を地面に落とすと靴底で踏みつけた。
彼女を守りたかった。
イリアでも、ミラでも、エディでも、CDIでもなく、自分が。
ルイスはライターをポケットに突っ込むと、車に戻った。
「好きなんだろ?」
「・・・は?」
「今回の保護対象。」
ルイスが車に戻ると、エディは楽しそうに言った。
「・・・別に。」
「ガキだなあ・・・。そこは肯定しとけ。誰も盗らねえよ。」
「・・・・・・。」
「いいか、彼女・・・、ヘザーはまだ脈ありだ。」
「・・・いや、もうダメでしょ。」
「違う。」
エディは指を一本立て、左右に振る。
「ありゃあ、完全に政府機関や公務員を信用してないだけだ。だから、お前とも話さなかった。・・・お前は聞いてないだろうが、イリアが彼女に電話したときも同じような反応だった。」
「で?」
「で、だ。お前は俺たちとは違う。ただの高校生だ。彼女と同じようにな。しかも趣味まで同じで付き合いも長い。」
「・・・はい。」
「それに彼女、待ち合わせには現れただろ?それなりにお前の事が気になってるってことだ。」
「・・・。」
「まあ、頑張れや。せいぜいな。・・・それより、電話鳴ってるぞ。」
ルイスがダッシュボードに置いたままの携帯が、バイブレーションに合わせてゆっくりと踊る。
ルイスは電話を取った。
「どっかに嗅ぎつけられた。」
ろくな会話もしないまま、少し逼迫した様子のイリアの声が電話から聞こえてくる。
「ヘザーの自宅に向かう。そっちで集合しよう。」
「分かった。場所はエディが分かるね。・・・移動手段は?」
「車はこっちで何とかするから・・・、ってこら、ヘザー!」
電話は切れた。
「・・・何か、あっちの方が良い雰囲気なんだけど。」
「隣の芝は青く見える。」
エディは言うと、エンジンをかけた。
「さて、出発しますか。」
と、エディが言い終わらないうちに大きな衝撃音とともに車がクラッチ無しで前進した。
「くっそ!やっぱり目ぇ付けられてた!」
エディは悪態を付き、車を発進させる。
「ヘザーの家は?」
「ここから16ブロック北だ。」
詰まる車列を強引に蹴散らしながら、メインストリートへ出る。
後方では、路上に停車していた車のうちの何台かがタイヤを軋ませながら動き始めた。
エディはバックミラー越しにそれを確認する。
「ガキ!伏せろ!」
ルイスが反応すると同時に、リアガラスが砕け、9mmパラベラムが車内に突入し、高級なシートを弾けさせる。
車を貫通した銃弾がフロントガラスに穴を開け、前方を走るセダンのナンバープレートをひしゃげさせる。
「ガキ、お前後ろ行け!」
交差点を大きく使って左折しながら、エディが言った。
遠心力に放り出されるように、ルイスは後部座席へと移る。
「銃を撃ったことは!?」
「ない!!」
「そりゃ良い経験だ!座席の下にSMGが入ってる!引き金の上の安全装置を解除して、狙って、撃て!」
「了解・・・!」
ルイスは座席下のカーペットを引き剥がすと、米国特殊部隊御用達のサブマシンガンを引っ張り出した。
安全装置を解除し、引き金を引くと、マズルファイアと共に銃弾が直線的な軌道を描きながら飛襲し、薬莢が車内に飛び散った。

「あいつら、大丈夫かな・・・。」
駅前で拝借したタクシーを転がしながら、イリアは呟いた。
ヘザーはサイドミラー越しに後方をしきりと気にしている。
「アンタの仲間?」
ヘザーが言うと同時に信号が変わり、車が流れ始める。
「ああ。」
イリアはウィンカーを出すと、交差点を曲がるために再度停車する。
「さっきヘザーに声かけたガキと、もう1人、運転手が居るんだけど、こっちがこれだけ順調だと、向こうが心配になってくるな・・・。」
「ふーん。」
「・・・。」
車列が途切れ、信号が点滅し始める。
イリアはゆっくりとブレーキを離し、クリープを発生させる。
「あのガキ、いくつ?」
「ヘザーと同い年だよ。名乗った名前も本名。」
「へー・・・。」
「・・・興味あるのか。」
「別に。・・・ちょっと気になっただけよ。」
「何故?」
イリアの問いに、ヘザーは少し口をつぐんだ。
「・・・ヘザーはルイスのことを信用してなかっただけってことか・・・。」
「どういう意味よそれ。」
「別に。他意は無いよ。」
イリアは少し笑みを浮かべると、色の変わる寸前の信号をすり抜けた。

「やばい、前からも来やがった!」
エディの言葉に反射的に上半身を反転させ、ルイスは抵抗なく引き金を引いた。
比較的集弾性の高いサブマシンガンの弾丸が、自分と相手のフロントガラスに穴を穿ち、相手の車内に血液が飛び散る。
「CoDやってて良かった・・・。」
「多分関係無えぞそれ。」
バンが赤信号に突っ込み、車列が急ブレーキを掛け、連鎖的に衝突事故を起こす。
後方の追手はそれを器用にすり抜けると、速度を落とすことなくルイス達のバンに迫る。
「キリがねえな・・・。・・・ガキ、掴まってろ、揺れるぞ。」
エディは言うと、縁石を乗り越えて歩道に入り、信号待ちをしようと減速したトレーラーに車の側面を擦りつけた。
スタビライザーが軋み、トレーラーの積荷を束ねていた鎖が切れ、路面に散らばると、その上に大量の鉄骨が降り積もる。
ルイスはすぐに銃を構え直すと、歩道を走行していた追手の車を走行不能になるまで傷めつけた。
車道と歩道を塞がれた追手は速度を緩めると、バックミラーの中でその姿を徐々に小さくし、消えた。
「愛してるぜクソガキ!」
エディは心底楽しそうな様子で言うと、サイドステップが剥がれかけたバンの速度を上げた。
「もう恐竜とはくっつかねーよ・・・。」
ルイスは言い、マシンガンを座席に放り投げた。

「ふー。」
ミラはCDI、NY支部のオフィスで、ヘザー・モリスの情報を洗っていた。
相変わらず過去の経歴で彼女に関してヒットするものが極端に少ない。
イリアの場合もそうだが、基本的に情報社会で少しでも黒い仕事をしている者に関して、ここまで情報が少ないのは少しばかり異常である。
それがCDI内部の情報を書き換えることができるような腕を持っているハッカーである場合はまた少し話が変わってくるが、ヘザーに関しては――間違いなく――その限りではない。
最近の経歴はおろか、家族構成や学歴などの基本的な情報ですら完全に存在しないのは、はっきり言って異常だ。
直近から少し遡ると、未成年喫煙や飲酒、深夜外出などの補導歴は存在するが、意図的に残されたと考えるのが最も自然なほど、彼女の核心部分についての情報が欠落している。
ミラは管理者用のアカウントを拝借すると、ここ最近のヘザー・モリスの経歴データのアクセスログを確認した。
形式上、『善良な』一般人である彼女の経歴を改変している者は非常に少ない。
ここ最近に関しては随分大人しくしているようで――上手く立ちまわるようになったのかもしれないが――、新たな前科は存在しない。
ただ、4ヶ月前のアクセスログが、ミラの目に止まった。
米国内からの同じアカウントでの複数回のアクセス。
アクセスを行なっているのは、『t_suzuki』。
ミラはアカウント名から、アクセスに使用したPCのIPアドレスを検索し始めた。
多重プロキシなんてものを使用されていた場合、彼のアカウントがどこかにリークしている可能性も無きにしも非ずだが、CDIのアカウント管理の特性上、そんなケースが存在した場合、本人からの流出以外のルートは考えられない。
何故なら、局内のPCの物理的なMACアドレスとIPアドレスはDHCPサーバが動的に連動させ、その記録をデータベース化して記録する仕組みになっているからだ。
つまり、同一の端末を使用して、本人のみに知らされている暗号鍵を使い、特定の日にちにアクセスを行わない限り、複数の日付に跨って同じアカウントでCDIの内部データにアクセスする行為は、そのアカウントの持ち主である本人以外には不可能なのだ。
「これはちょっと、疑わないわけにはいかないわね・・・。」
目標が明確になれば、より深く、些細な情報でも重要度が増してくる。
ミラは先程手を付けて投げっぱなしになっていたスズキの情報を、再度洗い出し始めた。

30分後。
エディがバンを停めると、ルイスは扉を開け、ヘザーの自宅の庭の門を潜った。
「・・・なんだこの豪邸・・・。」
ルイスが家と呼ぶには大きすぎる建造物を見上げると、エディもそれに倣いながら口を開いた。
「まあ、親父さんの職業が職業だからな。」
「え、何それ、聞いてない。」
「ああ、そうなのか。実はな・・・。」
エディがルイスの方を抱こうとした瞬間、玄関の扉が開くと、ヘザーとイリアが顔を出す。
ルイスの肩に回っているエディの手を見ると、イリアが言った。
「・・・なんだ、お前ら。デキてんのか。」
ルイスはエディの手を払いのけると、ヘザーの元へと駆け寄る。
「追手は?大丈夫?」
「大丈夫。」
ルイスの目には、ヘザーは先程よりも元気そうに映った。
「さっきはゴメンね。」
「大丈夫。」
ルイスは努めて冷静に言う。
事実、ここまでは一応、想定内だ。
「じゃあ、エディ、」
イリアの一声で一同が彼に注目する。
「車で待機しててくれ。ルイスとヘザーはとりあえず家の中に。詳しい話が聞きたいだろ?」
ヘザーが頷くと、エディは脱ぎかけた上着を羽織り直し、踵を返した。
「彼、一人で大丈夫?」
ルイスが言うと、イリアは笑った。
「こう見えてもプロだからな。自分の身は自分で守れるさ。」
「いや、そうじゃなくて、つまり・・・、」
ルイスは人間特有の唇と視線、鼻を使ったボディランゲージでヘザーを指す。
「ああ、それなら問題ないよ。俺も話を聞いたら、邪魔しないようにすぐに外出るから。」
「・・・お気遣いどうも。」
ルイスの後ろで高そうな扉が、腹に響く音を立てながら閉じた。

「父さんとは昔からソリが合わなくてね。」
ヘザーは自分の分のコーヒーを手に持って、応接室のソファーに座りながら言った。
「この屋敷も父さんのものだけど、あまり家に帰ってこないわ。・・・だから私は好き放題。」
「・・・お父さん、仕事は?」
ルイスはヘザーを見上げながら聞いた。
「あんまり大きい声じゃ言えないわね。・・・貴方だけなら話してるかもしれないけど。」
「それについては心配しなくていい。」
イリアは先程ヘザーに盗られかけたFBIのバッジをひらつかせた。
「僕らはもう知ってる。」
「あら、そう。・・・情報の早いこと。」
「・・・何そのキャラ。」
「他意は無いわ。」
ヘザーはコーヒーをテーブルに置くと、ルイスの正面に座る。
四角形のテーブルの3面に、3人が腰を下ろした格好となった。
イリアはルイスとヘザーに挟まれ、居心地が悪そうに口を開く。
「えっと、俺から話してもいいかな?」
「私が話すわよ。」
ヘザーは膝に肘をつき、テーブルに体を乗り出した。
「父さんはマフィアよ。・・・まあ、私も詳しいことは知らないけど、かなり大物の。」
「・・・は?」
ルイスは口を半開きにしたままで、声だけを出したような音を出した。
「日系のヤクザともつながりがあるみたいだけど、私も詳しいことはよく知らないの。父さんと話すこと自体、あんまりないから。」
「ちょ・・・、ちょっと待って。」
糸を結び直したルイスが口を挟む。
「じゃあ、今ヘザーが生きてるのって、」
「そう。父親の影響が大きいだろうね。」
イリアはルイスの後に続く。
ルイスは口からキリストの名前を吐き出すと、ソファーの背もたれに体を預け、頭の後ろで手を組んだ。
「じゃ、ルイスにも聞いたが、君の仕事の話が聞きたい。」
イリアはルイスには構わずに話題を並べた。
「君が最近、インターポールから受けた仕事についてだ。」
「仕事はしたわ。」
ヘザーは素直に言う。
「大規模なシステムのセキュリティホール探し。報酬もしっかり入った。・・・ルイス、煙草持ってる?」
「あ、・・・、ああ。」
ルイスから受け取った煙草に火をつけながら、ヘザーは続けた。
「ソース自体は見てるし、今から探せばどこのシステムのものか、おおよその探りは入れられると思う。」
ヘザーは煙を吸い込み、立ち上がった。
「こっちよ。」
ヘザーの後に続いて立ち上がる人間の男2人。
彼女に誘われるままに、廊下を突き進む。
階段の下のスペースに、半地下となったヘザーの自室が現れた。
「ここよ。なかなか気に入ってる。」
イリアは中をのぞき込んだ。
「すごいな。」
階段の下に繰り抜かれたスペースには、所狭しとネットワーク機器が積み上げられ、大規模な企業向けに作られたものとも考えられるサーバが、ラックの中でLEDを明滅させている。
「うちの情報網の中枢。・・・ここからなら、大抵何処にでもアクセス可能よ。これはファイルサーバだから、ちょっと古いけどね。」
「Red Hat Enterprise Linux 5.8か。渋いね。」
「ツール類はほとんど海賊版だけどね。RPMパッケージだけ手動でインストールすれば、イントラでのファイルサーバ運用なら問題なく使えるわ。」
ヘザーは得意気に言うと、煙草の火を消した。
「これなら、」
イリアはLCDモニタを覗き込む。
「何とかなるかもしれない。・・・2人、ちょっと探ってみてもらえるか?」

ルイスは久々の煙草に手を伸ばそうとして、一瞬考えた後、やめた。
「どうしたの?」
ヘザーが怪訝な顔をする。
「俺、煙草やめるよ。」
「へ?」
「身体に悪いし、監禁されてた間は吸わなくても平気だったから。」
「・・・そう。」
ヘザーは口にくわえていた煙草を摘むと、灰皿に押し付けて火を消した。
「なら、私もやめる。」
煙草から立ち上る煙が消え、部屋の中は冷却ファンの音に満たされた。
「あのさ。」
ルイスはモニタから目を離さずに言った。
「さっきは、ごめん。もっとちゃんと説明するべきだった。」
「いいわよ、別に。」
ヘザーも目を離さず、言う。
背中合わせの2人は、その後言葉を交わさずに、しばらくの時間が流れた。
椅子がきしむ音で、ルイスは手を止める。
振り返ろうと身体を起こした瞬間、ルイスの肩にヘザーの顔が載った。
ルイスは何か言おうとして息を吸い込み、しかしそれは言葉にならずに空気の流れとなって彼の喉を通り抜けた。
ルイスは何も言わず、ヘザーの頭に手を載せた。
エオラプトルの鱗に覆われた皮膚は冷たく、ルイスの体温が彼女に流れ込んだ。
しばらくそのままで、ルイスはPCを操作し、ヘザーはその画面を覗き込む。
ルイスは自身の中で、ヘザーに対する感情が連鎖的に破裂するのを感じた。
それはまるでコンピュータのネットワークを流れるパケットのように、ルイスの脳内を駆け巡り、ある一点に収束した。
ヘザーだ。
彼女を護りたい、と、ルイスは心から思った。
LCDに表示されているソースコードはもう頭に入らない。
体温が上がり、哺乳類特有の反応――発汗である――を示す。
ルイスは口を開こうとする。
乾燥した唇は、異様に重い。
かすれそうになる声で、彼女の名前を呼ぶ。
「・・・へ、ヘザー・・・、」
「待って。」
一方ヘザーは、この短時間のルイスの1月分にも上る葛藤を、一言で灰燼に戻した。
「これだわ・・・。」
ヘザーは自らのサボタージュに気付かないまま、ルイスにモニタを見るように促す。
ルイスはため息をつくと、モニターを見、息を飲んだ。
「・・・大変だ・・・!」
「おい。」
瞬間、背後から聞こえた声に、ルイスは飛び上がった。
振り返ると、ロングコートにサングラスを掛け、えらくガタイの良いエオラプトルが、葉巻を咥えて部屋の入り口に立っていた。
全身からすさまじい威圧感を放つその恐竜は、ルイスをその場に凍りつかせるには十分すぎる存在であった。
「もう、父さん!入るときはノックくらいしてよ!」
ヘザーはルイスの肩に手を突いて立ち上がると、そのままの体勢で言った。
「そいつは何だ。」
ヘザーの父親と思しきエオラプトルは、ルイスをしゃくって言った。
右手がポケットに突っ込まれたままになっているのを見て、ルイスは一瞬、射殺されるところまで覚悟をした。
「その人間は何だと聞いてる。」
ヘザーはため息をついて言った。
「彼氏よ。文句ある?」
ルイスは座ったままヘザーを見上げ、そして、ヘザーの父親を見た。
ヘザーはそのまま続ける。
「分かったら私の彼氏に銃を向けないで。」
ヘザーの父親のコートの中で金属音がなり、コートから右手が顔を出した。
ルイスは額に掻いた汗を拭うと、立ち上がった。
「ルイス、こちら私の父のハリー。父さん、彼氏のルイス。そして、私達はこれから連絡しないといけない所があるから、父さんはちょっと外してて。」

「凄いな・・・。」
イリアは真っ暗な車内で、ラップトップPCを膝の上に広げて画面を覗き込んでいた。
「何だ?」
エディは運転席でプリトーを齧っている。
「ヘザーの父親だよ。」
ルイスはPCをエディに見せる。
「ハリー・メイスン。表向きは地主だが、裏では大量の土地や金を握る国内有数のマフィアだ。」
エディはプリトーを全部口に放り込むと、PCを操作して画面をスクロールさせる。
「その縄張りは広く、国内でも東海岸から西海岸まで、幅広く土地を持ってるみたいだ。殆どはアパートや飲食店だね。・・・人間用のアパートも所有してる。」
「まてまて。」
エディは口の中の物をあらかた飲み込むと口を挟んだ。
「ハリー・『メイスン』?モリスじゃなくて?」
「ヘザーは養子だ。苗字は違う。」
「おいおい、そうすると『あの』ハリー・メイスンかよ・・・。」
「知ってる?」
「知ってるも何も、この業界じゃ物凄い有名人だぜ?アメリカ国内だけじゃない、アジアやヨーロッパ、中東にまで手を伸ばしてる本物の大物だ。」
「待て、そうするとそれが原因で、今日までヘザーに手が出せなかったのか?」
「ありうる話だな。俺らの動きで相手も焦ってる。こりゃ、まだ何かあるんじゃないか?・・・おい、PC消せ。」
イリアが反射的にPCを閉じると、屋敷の敷地内に黒塗りのベントレーが進入してきた。
「隠れろ!見つかると面倒かもしれんぞ!」
エディの一声で、2人はシートの下に潜り込んだ。
ベントレーは屋敷内に停車すると、ドアを開け、中から背の高いエオラプトルの男が顔を出した。
「間違いない、ハリー・メイスンだ。」
イリアは外を注意深く覗き込みながら言った。
「自分で運転してくるのか。」
イリアは携帯電話がマナーモードになっている事を確認した。
幸い、男はイリアたちに注意を向けることなく家の中へと消える。
2人はしばらく息を潜めた後、注意深く席に戻り、同時に深いため息をついた。
「とにかく、」
エディはイリアに言う。
「一度、ミラに連絡した方が良さそうだ。」
「もう、したよ。」
イリアはPCを指差した。
「あっちでもそれなりに情報が集まってきてるらしい。とにかく、ジェット機にはもう乗ってるみたいだ。後はルイスたちからの連絡を――」
イリアが言い終わらないうちに携帯電話のバイブレータが鳴り響く。
イリアはダッシュボードの携帯電話を手に取り、耳に当てる。
「よお。父上に挨拶は済ませたか?」
「それどころじゃない。」
電話越しのルイスの声は震えていた。
「例の仕事、ただのシステムじゃなかった。」
「・・・どうした。」
「防衛省だよ!日本の!」
イリアは、自分の顔から血の気が引くのが分かった。

ミラはCDIがチャーターしたジェット機内で、コーヒーを傾けながらラップトップPCに向かっていた。
人間や恐竜達に減価償却ぎりぎりまで使い込まれたPCのキーボードの刻印は剥げ落ち、殆ど判別不能となっている。
傍らではリズが、やはりコーヒーを片手に、プリントアウトされたスズキの資料に顔を埋めていた。
テーブルに置いた携帯電話が鳴り、リズがその電話に出た。
ミラは作業の手を止め、聞き耳を立てる。
しかしリズは二言三言会話した後、ミラに電話を渡した。
「彼氏から。」
ミラはひったくるように電話を受け取る。
「今どこ?」
「まだ、ヘザーの自宅。」
電話口からイリアの声が聞こえ、ミラはとりあえず安堵した。
「少しだけど、進展があったよ。」
イリアの口調は明るくない。
ミラはその空気に、少し声を落とした。
「分かった。状況は?」
「まず、例の仕事の件。あのシステムは、日本の防衛省の物だ。」
「日本?何でまたアメリカで。」
「そこは良く分からない。ただ、防衛省のシステムには、潜在的な脆弱性がある。」
イリアは電話越しに息を吸い込んだ。
「それはDMZ上のサーバのもので、SSLの方式に起因する物だ。ここからバックドアを仕込んで、攻撃者がC&Cサーバを介してシステムを掌握すれば、日本は外部からの攻撃に対して完全に無防備になる。」
「よく分からないわね。それはシステム的な話?」
「物理的にだよ。」
イリアは言った。
「基本的に国の基幹システムはある程度スタンドアローンだけど、物理的な接続は担保されてる。」
「つまり?」
「この脆弱性により、国のシステムを完全に乗っ取ることが出来る。しかも、その攻撃は非常に顕在化しにくい。」
「まずいのね。」
「まずいなんてもんじゃない。下手したら国が転覆するよ。」
「・・・ちょっと待って。日本のシステムで間違いないのね。」
「コーディングの規約、命名規則、構造から言ってまず間違いないよ。僕も確認した。」
「ヘザーの記録、白紙にしたのはどうもスズキらしいわ。やっぱりアイツ、一枚は噛んでるみたい。」
「スズキ・・・、日本・・・。」
イリアは呟きながら頭を回す。
「・・・3億円事件・・・。」
「そうね。」
「事件以降のスズキの入出国記録、出せる?」
「もう出てるわ。事件以降、頻繁ね。」
「日本の公訴時効は、被疑者が海外逃亡中の場合、その期間だけ延長される。・・・ひょっとして、」
「その通りだわ・・・。」
ミラは画面に表示された記録を睨み付けた。
「あと1日、日本で過ごせば完全に時効成立・・・。これは間違いないわね。」
「混乱に乗じて入国する為だけに国を傾ける?仰々しすぎないか?」
「そうね。でも、」
ジェット機は高度を下げ、JFK国際空港へと近付きつつある。
「もしそうだとしたら、これだけじゃ終わらないわよ。」
「とにかく、合流しよう。ここの設備は結構使え・・・、ヘザー・・・、」
「イリア?」
携帯電話のスピーカーから聞こえる音にノイズが乗り始めたかと思うと、瞬く間にイリアの声が聞こえなくなり、電子音と共に電話が切れた。
「・・・合流ね。」
ジェット機が車輪を出し、NYに接地した。

ルイスは目の前に座ったエオラプトルの威圧感に耐えながら、ヘザーに助けを求めた。
「それで、」
エオラプトル――ハリー――が口を開き、ルイスは飛び上がりそうになった。
「娘とはどういった経緯で?」
ルイスは口を開こうとしたが、ヘザーがそれよりも早く口を挟んだ。
「仕事よ。趣味が同じだから知り合ったの。ずいぶん古い付き合いよ。」
「ヘザー、今私はルイスと話してる。」
「ああ、そうね、OK。」
ヘザーは大げさに肩をすくめて見せると、ソファーに座った。
「そうか。」
ハリーは再度ルイスに向き直る。
「仕事、か。それならルイス、君もコンピュータで悪さを?」
「いや、あの。」
ルイスは懸命に舌を動かす。
「そういう事じゃないです。・・・企業に依頼されて、そのシステムのセキュリティホールを探したり、情報を集めたりといったことがメインで・・・。」
「なるほどな。」
ハリーは腕を組み、値踏みするようにルイスを眺める。
「何故、突然会う事になったんだ?今まではインターネット上の付き合いだったんだろう。」
「実は・・・、」
ルイスはヘザーを見る。
ヘザーは少し考えて、頷いた。
「実は最近、とあるシステムのセキュリティホールを探す仕事をしたんです。ヘザー・・・、娘さんと一緒に。」
ルイスは早口になるのも構わず続けた。
「その仕事がどうも、『マズイ』仕事だったみたいで、それに関わった人が次々と殺されてます。・・・僕も、殺されかかりました。」
ハリーの顔が険しくなる。
「それで彼女にも危険が迫っていると考え、FBIと一緒にここまで。・・・今、FBIでは仕事の依頼主を探してます。」
ハリーは眉間にしわを寄せたまま何か考え込み、ヘザーのほうを見た。
「事実よ。今日は私も殺されかけたし。」
「で、」
間髪居れずにルイスが口を開く。
「そのシステムが日本の防衛省のものであることを突き止めました。このまま行くと日本が大混乱に陥ります。」
ハリーはまたヘザーを見る。
「事実よ。」
ハリーは頭を抱え、ため息をついた。
「事実だとすると、日本の知人に知らせる必要があるな。で、それが起こるとしたらいつだ?」
「分かりません。」
ルイスは答えた。
「早ければ、今日かも。」
ドアチャイムが鳴り、ルイスはまた飛び上がりそうになった。
「私、出てくる。」
ヘザーが立ち上がる。
「待て。」
ハリーがそれを諌(いさ)めた。
「私が行く。お前達は非難部屋(パニックルーム)へ入ってろ。」
ハリーは書斎の机から特注品の.44を取り出すと、ルイス達が奥へ向かったのを確認し、玄関へと歩き始めた。
その間もドアチャイムは鳴り続け、来訪者の焦りを伝えた。
ハリーは用心しながら扉に手をかけると、開く。
「FBIです。」
隙間から差し込まれた手には、紛れも無い本物のFBIのバッジが握られていた。
「娘さんの身が危険です。ご協力お願いします。」
「イリア!」
ハリーが後ろを振り返る。
イリアは顔に安堵の笑みを浮かべながら、ハリーの後ろを覗き込んでいた。
「何なんだ今日は・・・。」
ハリーは扉のチェーンを外し、イリアを中に招き入れる。
「FBIの下部組織、CDIのイリア・ラクスマンです。」
差し出された手を、ハリーは握り返す。
「娘さんの安全の為と、国家の混乱を避けるため、ご協力お願いします。」
イリアは言い、ヘザーが頷いた。

同時刻、CDI所有プライベートジェット。
照明が殆ど落とされ、暗い機内にモニタとコンピュータの灯りが明滅する。
その最深部で、スズキは小さくなるアメリカ合衆国を見下ろした。
「しばらく、アメリカの土は踏めないな。」
スズキは独り言のように言う。
「フェーズ2、準備完了です。」
機内から連絡が入り、スズキはその特徴的な口をインカムに向ける。
「障害の排除開始次第、フェーズ2に移行する。」
スズキはそれだけ言うと、インカムを置き、電話機の受話器を持ち上げる。
数秒のコールの後、相手の声が受話器から聞こえた。
スズキは笑みを浮かべながら、椅子の深く腰掛ける。
「こちらこそ感謝します。困ったときはお互い様だ。資金についてもし何かあれば、どうぞ遠慮なく。」
スズキは表情を崩さずに続けた。
「ええ、優秀なエージェントは全員海外に出払っているようですね。・・・感謝しますよ・・・、モンテ・クリスト伯6世・・・。」
「スズキ様!」
インカムから部下の声が響く。
スズキは一瞬、不機嫌そうな表情を見せ、インカムに向かう。
「何だ。」
「標的の居場所が割れました。現在、部隊を派遣しています。」
報告を聞いたスズキは一転、満足を隠さず表す。
「よろしい、フェーズ2の準備にかかれ。」

がぽん、とどこか遠くで音がした。
その音はその場に居る全員の耳に均等に響いたが、その音が意味を持ったのはイリアの耳のみであった。
彼の脳内を電気信号となって駆け巡ったその音は、あるひとつの可能性に集約した。
ドイツ製のポンプアクション式グレネードランチャーである。
「伏せろ!」
イリアがその言葉にたどり着くまでに要した時間は0.5秒程で、ルイスを除く全員がその言葉に反射的に身体を伏せた。
ヘザーはルイスの足を思い切り引っ張って転倒させ、壁際の物陰に引っ張り込む。
1秒の時間を置いて窓ガラスがわれ、ライオットの閃光が部屋を満たした。
耳鳴りが収まらないうちに、ハリーとイリアが立ち上がると、ハリーはソファーのクッションの下から古いSMGを、イリアは懐からベレッタのハンドガンを取り出すと、玄関へと向かう。
ヘザーはルイスを引っ張って立ち上がらせると、先ほどイリアをカメラ越しに見つけたパニックルームへと向かう。
「イリア!父さん!早く!」
ヘザーが叫ぶとハリーが叫び返す。
「待ってろ!すぐ行く!」
ハリーは叫ぶと、庭に複数人の襲撃者を認め、SMGの引き金を引いた。
タイプライターの名を冠するマシンガンはその名前通りの音と共に銃弾を吐き出し、庭に血の花を咲かせる。
イリアはリロードをしながら少しずつ後退し、パニックルームの入り口付近に陣取った。
「イリア!」
ヘザーの声に振り返る。
ヘザーはパニックルーム内に補完してあるショットガンをイリアに投げ渡した。
玄関の扉が開く。
イリアはショットガンのスライドを引き、待つ。
扉が開くと同時に、イリアはショットガンのトリガーを引いた。
破裂音にも近い銃声が鳴り響く。
同時に、襲撃者の手に握られたグレネードランチャーが火を噴いた。
ショットガンから発射されたバックショットは放射状に広がりながら、空中でライオットと衝突すると、その場で巨大な火の玉を作り出す。
イリアの目は眩むが、ハリーのシカゴ・タイプライターが閃光を抜け、玄関先に襲撃者を転がす。
イリアはそのまま後退し、裏口の鍵を開けてからハリーと共にパニックルームへ入り、扉を閉めた。
「内通者が居る!間違いない!」
イリアは扉を閉めた勢いもそのままに言い放った。
居場所が知れているとしたら先ほどのミラへの通話以外にあり得ない。
駅で購入したプリペイド携帯以外は、CDIの秘匿回線を用いた通信をしている為、内部からの盗聴、発見以外に、襲撃者がこの場所にたどり着くことはあり得なかった。
イリアはエディに持たせているもう一つの携帯に、先ほどの秘匿回線を利用した通話を行っていないヘザーに持たせていた携帯を使って連絡を投げた。
「よお、どうした。こっちからの応援はあと2分くらいで到着だぜ?」
「その前に襲撃された!多分、CDIの特殊部隊だ!間違いなく内通者が居る!」
「まじかよ・・・。」
エディの声の向こうからタイヤのきしむ音が聞こえた。
「とにかく、裏口が開いてるからそこから入ってきてくれ!こっちは内部のパニックルームに入ってる!」
「了解!!」
イリアは電話を切ると、パニックルーム内を見渡した。
ここにも数台の端末が配置され、HDDのアクセスランプが瞬いている。
イリアはそのうちの1台の前の椅子に腰掛けた。
「裏口(バックドア)とはまた、『らしい』ね。」
ルイスが笑いながら言い、イリアも少し微笑んだ。
つかの間の安息に胸をなでおろす一同を尻目に、イリアの表情は難しいまま崩れない。
「バックドア・・・。」
イリアの中で、何かがはじけた。
「バックドアだよ!」
イリアの精神状態は、ここ数日で一番高揚していた。
ぽかんとする他の面子を前に、早口でまくし立てる。
「SSLの脆弱性をついてバックドアを仕込んでるなら、443番ポートを行き来する信号には必ずC&Cサーバに宛てられた物か、送られてきた物が含まれるはずだ。」
「あー!」
ヘザーが声をあげ、ルイスも瞬時に納得する。
唯一、ハリーだけが腑に落ちない顔をしていた。
見かねたルイスが口を挟む。
「つまり、上手くすれば相手のコンピュータに逆ハックを仕掛けて、相手の動向や目的が探れるって事ですよ。」
ハリーはこの適当な説明で納得したのか、「ほお、」と一言言った。
「早速やろう。・・・ヘザー、ここのシステムって、」
「勿論、可能よ。」
ヘザーは今日一番の顔を見せた。
「最初からセキュリティホールが分かってる相手に接続するなんて、楽勝だわ。」
部屋の外ではサイレンが鳴り響き、屋敷にCDI NY支部の局員が集まりつつあった。

ミラが目的地に到着したとき、一瞬、嫌な予感が頭をよぎった。
機内からはあの後一度もイリアに連絡がつかず、その不安を抱えた状態で、ヘザーの自宅にたどり着いてみれば、大量の車に銃撃戦の跡だ。
玄関を抜け、家の中心部にある重厚な扉の先に居るイリアを見つけたとき、初めてその予感が杞憂であったことを知り、ミラは心から胸をなでおろした。
「ミラ!」
イリアがミラに気づき、扉の奥から駆け出す。
気づくと2人は抱き合っていた。
思えばこの数カ月間で、一番距離が離れていた期間だったかもしれない。
2人の再会の向こうから、エディが申し訳なさそうに顔を出した。
「えっと、お2人さん、悪いが、緊急事態、だろ・・・?」
「ああ、そうだ。」
イリアは思い出したようにミラに向かう。
「見てほしいものがある。」
イリアはパニックルームの中にミラを引っ張り込み、ディスプレイの前に座らせた。
「これ、『有翼の蛇』のネットワークに侵入して見つけたんだけど。」
「・・・何よ、これ・・・。」
「今回の計画の全容、だね。・・・このサイバー攻撃で混乱に陥った日本で、国内に潜伏させていた構成員により、テロ攻撃を働く。その混乱に乗じて、スズキは日本に入国。1日過ごして3億円事件の時効を成立させる。」
イリアは画面をスクロールさせる。
「突拍子もないのはその後だ。有翼の蛇は日本の一部を制圧し、そこから新たな国家の独立を宣言、恐竜による支配の始まり、だ。」
「これって・・・。」
「第二次恐竜復興(ザ・セカンド・オブ・ルネッサンス)・・・。」
それまで横で見ていたヘザーが割り込む。
「あほらしいけど、筋は通ってるわね。」
ヘザーの言葉に、全員が頷く。
「とりあえず、」
イリアは更に続ける。
「スズキが裏で動いてるのは間違いない。フィラデルフィアでアパートにわざわざ出向いたのも、リサを嗾けて関係者の口を封じたのも、全部。」
「彼は今何処に?」
ミラの声を待たず、ルイスは端末を操作し、FBIのサーバから航空局のデータベースにアクセスした。
「ああ、くそ、・・・もう日本に向けて出発してる・・・。ついさっき、CDIのプライベートジェットで・・・。」
「畜生!!」
有翼の蛇の影響が何処まであるのか把握できない以上、CDI内での信頼の置ける人物以外に連絡をすることはできない。
悪くすれば、こちらの動きが全部筒抜けだ。
「1人なら、信頼出来る相手がいるけど、テロに対して何かできるような面子はとても集まらない・・・。」
「それなら、」
声を上げたのは、意外な人物だった。
「少し、協力できるかもしれん。」
ハリーは言うと、携帯電話を取り出した。

同時刻、日本。
前田邦彦は、帰宅すると同時に鳴り響いた個人宅の電話を取った。
「ああ、はいはい。」
仕事終わりの靄がかかった脳みそで、前田は声を出す。
「どなた?」
「あ、前田さん、僕です。本部のイリア・ラクスマン。」
「ああ、イリア君か、どうしたの?」
イリアは早口に言った。
「今、世界各地のプロキシを通じて、盗聴されないように連絡してます。すぐに切らないといけないので、手短に。」
イリアは息を吸い込む。
「今、CDIで手配する予定の重要参考人が、日本に向かってます。その入国に合わせて、大規模なテロ行為が発生する可能性があるんです。」
「ほう・・・。」
前田はネクタイを緩めながら顎を掻いた。
「そこで、ものは相談なんですが・・・、」

3時間後、CDI所有、プライベートジェット。
スズキは順調に実行されたフェーズ2の結果を眺め満足気にグラスを揺らした。
首都、東京のほぼすべてのインフラが、予備も含めて不通となり、防衛省はおろかその他の各省庁、警察機関の回線もダウン。
外部との交信も一切取ることが出来ず、日本は一瞬で文字通り、絶海の孤島と化した。
混乱の極みの中、2001年以降、最大規模の同時多発テロ行為が開始されていた。
スズキは窓の外を眺めながら、恐竜時代の再来を聞いた。
人間から自らの存在を隠し、人間を護ろうとする敵対勢力との交戦を、無線が伝える。
何もかも、想定通りだ。
CDIの構成員はそれほど多くない。
混乱の中着陸し、しばし身を隠していさえすれば、すぐに通りを大手を振って歩けるようになる。
巨万の富を手にし、恐竜が東京を、日本を、世界を征服する。
個々の繋がりを担保するインフラを絶たれた人類は弱い。
すぐにあの国は、我々の手に落ちるだろう。
飛行機は悠々と、都内の国際空港に着陸した。
扉が開き、スズキは飛行機を後にする。
「はい、残念。」
「!?」
スズキは自分の目を疑った。
そこにあったのは、恐竜たちの未来でも、栄えある帝国でもない。
全員が国外に駆り出されるか、国内のテロ行為の収拾にあたっていたはずの、CDIの面々であった。
彼らがスズキに向かって銃を向けその中心で、フィラデルフィアのアパートで処理しそこねた人間と、その脱出を手助けしたミクロラプトルが、勝ち誇った顔で立っていた。
「残念だったわね。」
ミラは笑みを浮かべたまま、言う。
イリアもそれに続く。
「日本であんたらの構成員と戦ってるのは、全国から選りすぐった暴力団、ヤクザさんだよ。」
「アンタが殺しそこねたハッカーの父親のコネで、この大捕物ってわけ。・・・ま、恐竜の存在の秘匿についてはもう対応不可能だったから諦めたわ。・・・この選択は予想外でしょ?」
「お陰でこっちに割くリソースが確保できたよ。それと、CDIアメリカ支部は、非公式だけど、ボーイングにも出資してる。コンコルドの後継機をねだったら、気前よく貸してくれたよ。」
イリアは言い、ポケットに手を突っ込んだ。
「時速4000キロ出るやつ。NYから東京まで、2時間半だった。」
「そんなわけで、」
ミラはスズキに向かって、ここ数ヶ月貯めこんできた全てをぶつけるように言った。
「スズキ・テツオ。3億円事件、及び今回の一件で、ご同行願うわ。よろしく。」
スズキは滑走路に両膝を突き、崩れ落ちた。

2週間後。
日系の恐竜による国家転覆予備事件は、人間、恐竜の別なくメディアで大々的に報じられた。
同時に解決となった3億円強奪事件についても同様である。
日本で強奪された3億円は、様々な方法でのロンダリングを経て、CDIの先代最高責任者である、モンテ・クリスト伯6世の懐に収まっていた。
そのためスズキは、インターポールとFBI、それにCDIと、様々な肩書きを持つに至り、自由な行動が可能となった。
FBIの下部組織であり、非公式な存在で合ったCDIの内部告発事件もまた、センセーショナルに報じられ、日本で発生した大規模な同時多発テロ事件と並び、CDI、並びに恐竜の存在を日向に引っ張りだすこととなった。
社会の反応は、まだ賛成半分、否定半分と言ったところだが、この文明社会、ことに先進国では、半月という短い期間であっても、徐々に恐竜の存在は公然のものとなりつつあった。
問題があったとすれば、恐竜の社会の戸籍と人間界の戸籍など、様々な公的機関の仕事量が激増したことであろうか。
TVでは連日のように恐竜についてのニュースが報じられていた。
ルイスは『有翼の蛇』の構成員の国際手配のニュースが始まると同時に、TVから離れた。
ウィスコンシンの自宅アパートに戻ってからしばらく経つが、まだ慣れない気がする。
ルイスは来週から復帰する予定の高校の準備が完了しているデスクを見やり、ダイニングへ移動した。
テーブルの上には2人分のコーヒー。
1つは大量のクリームが入り、氷でよく冷やされている。
「ヘザー、コーヒー冷えてるよ。」
ルイスは同居人の名前を呼ぶ。
ヘザーは寝室から顔を出し、恐竜であることを全く隠すことなく窓を開けると、ルイスの隣りに座った。
TVから、今回の内部告発の発端となった2人のエージェントと、CDIの最高責任者の声が聞こえた。

このページへのコメント

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Posted by stunning seo guys 2014年01月20日(月) 04:36:32 返信

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Posted by seo thing 2013年12月20日(金) 19:36:17 返信

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