ガガガガガッ!
ビーッ!ビーッ!ビーッ!
突如として船内に鳴り響いた甲高い警告音と断続的な衝撃に、私は強制解除されたコールドスリープのポッドから降りると薄暗い周囲をキョロキョロと見回していた。
何が起こったというのだろうか・・・?
そう思いながら壁に取り付けられていたモニターへと目を向けてみると、黄色と黒で書かれたUCI(未確認生命体侵入)警告の文字がチカチカと明滅している。
そんな馬鹿な・・・ここは広大な外宇宙を地球に向かって進んでいる宇宙船の中だというのに、一体何処から生命体などが侵入出来るというのか。
そして近くにあったPDAを手に取ってみると、そこに船内のマップが表示されていた。

「何だこれは・・・何処も彼処も故障だらけじゃないか。これじゃ船が地球まで持たないぞ」
生命体が侵入したという情報の真偽はさておいて、どうやら船内のあちこちで軽微な故障や不具合が起きているのは確からしい。
ということは先程の激しい衝撃は、デブリか何かが船体に激突したのだと考える方が自然だろう。
私は船内が減圧されている可能性を考慮して念の為傍にあったグリーンの宇宙服を身に着けると、厳重に密閉されていた居室のロックを解除して広い通路へと足を踏み出していた。
ピピピピピピ・・・
その瞬間、持っていたPDAから突然警告音が鳴り響く。
0.8気圧か・・・設定よりは少々低いが、どうやら船体が破損して船内の空気が外に吸い出されたというようなことは無いらしい。
とは言え、何が起こるか分からないだけに宇宙服は安全の為にも脱がない方が賢明だろう。

そして周囲には他に誰も居ないことを確認してから居住スペースを抜けて船内のメイン通路へ出てみると、私は取り敢えず傍にあった不具合の出ている配電盤へと目を向けていた。
船内放送の設備に通じている配線のようだが、点検孔の左右に伸びている幾本かの配線が先程の衝撃で引き千切れてしまったらしく、宙ぶらりんになった配線の束がパチパチと青白い火花を弾けさせている。
この宇宙服は完全な絶縁素材だし、この程度の配線なら道具を使わずとも手で結線してしまって大丈夫だろう。
そして数本の千切れた配線を元通りに直してみると、一部の通電が回復したのかPDAに表示されていた故障個所が消えたのが目に入る。
だがまだ他にも線が切れている場所があるらしく、新たな故障個所がマップ上に追加表示されていた。

「ふぅ・・・これじゃあキリが無いな・・・」
だがまだまだ無数にある故障個所の表示に溜息を吐いたその時、私は倉庫へと通じる通路の方からブルーの宇宙服を身に着けた船員がこちらに歩いて来るのを見つけていた。
「ブルー!あなたも目を覚ましていたんですね」
この船に乗っているのは、ある目的の為に世界各国から極秘裏に集められた選りすぐりのエージェント達ばかり。
その為それぞれの個人情報については性別以外は厳密に秘匿されていて、私達はお互いの事を割り当てられた宇宙服の色で呼び合っていたのだ。
「ああ、グリーンか。丁度良かった。船内に故障個所が多い。今船員を中央のカフェテリアに集めてるところなんだ」
「それなら、先程そこの配線を修理したことで船内放送設備が回復したはずです」
「本当か?それは助かる。早速緊急招集を掛けるとしよう」
私はそのブルーの言葉に頷くと、彼と共に船内の中央に位置している広いカフェテリアへと向かった。
そして会議用の円卓に設置されていた招集ボタンを押すと、ビーッ!という甲高いブザーが船内に響き渡っていく。

それから数分後・・・
ブザーを聞き付けて、全部で10人いる船員達がカフェテリアに集まっていた。
グリーン、ブルー、レッド、イエロー、ライム、ピンク、オレンジ、ブラウン、パープル、シアン。
取り敢えず、今のところは全員無事らしい。
「皆よく集まってくれた。早速だが、約15分程前に複数のデブリが船体に衝突し、各所で故障が起きている」
「故障の箇所はその軽重を問わず70ヶ所余りにもなります。皆で手分けして修理しましょう」
「ええ、それは構わないけど・・・部屋のモニターにUCIの警告が出ているのを見たわ」
そのピンクの言葉に、他の船員達もうんうんと頷く。
遮光性の高いフェイスシールドのお陰でそれぞれの表情は見えないものの、恐らくはその全員が不安な面持ちを浮かべているのに違いない。

「そう言えば、"積み荷"には異常はありませんか?」
「確かに・・・UCIの警告が誤報でないのなら、原因はあれしか考えられないな」
「故障を修理する前に、まずは"積み荷"を確かめに行きましょう」
その私の提案に全員が頷くと、私達はまず下層にある厳重にロックされたカーゴルームへと向かっていた。
そしてカードキーをリーダーに通して中へ入ってみると、この船が派遣された目的・・・
ある生命体を封じ込めていた強固で巨大な檻が、まるで中から力尽くで引き裂かれたかのように無惨に拉げている光景が目に入ってくる。
「なっ!?馬鹿な・・・1t爆弾の爆発でも押さえ込める程のシールドケースが中から破られるなんて・・・」
「待って・・・あの中身が今船内をうろついているって言うの?」
「いや・・・そんなはずは無い。これだけの人数の目を掻い潜って、あの巨体が船内を移動するのは不可能だ」
確かに鼠のような小さな生物ならばともかく、如何に船内が広いとは言っても10人もの人間があちこちに散らばって動いていたのでは体高4メートル近いあの巨大な生物が全く発見もされずに動き回るのはどう考えても無理だろう。

「と、とにかく、奴の姿が見当たらない以上は考えても仕方が無い。周りに注意しつつ、船の修理を進めるとしよう」
「作業の進捗についてはカフェテリアで定期的に報告しましょう。船内監視用のシステムもあることですし」
「そうね。私も自分の修理作業が終わったら警戒に当たるわ」
そして再びカフェテリアに戻って来ると、私達はなるべく個々の作業量が均等になるよう配慮しながらそれぞれに修理箇所のタスクを振り分けていた。
「もし船内で異常を見つけたらすぐに通報してくれ。皆で対応策を練ることにしよう」
「了解!」
「では、解散だ」
私はその号令を受けて各所に散っていった船員達を見送ると、ブルーとともにカフェテリアを後にしていた。
「さてと・・・なかなかの大仕事だな・・・」
「私は先に原子炉の方でマニホールドのロックの解除と起動をしてきます」
「ああ、分かった。私は採取した他の検体サンプルに異常が無いか確かめてくる」
ブルーはそう言うと、通路の途中で分かれて医務室の方へと歩いて行った。
重厚な宇宙服のせいで少々歩き難いが、今すぐにでも船が爆発するというような緊急事態でもない限りはそう慌てなくても余り問題は無いだろう。

唯一問題があるとすれば、例の"積み荷"が一体何処へ行ったのかということなのだが・・・
だがそんなことを考えている間に轟音を響かせるエンジンルームを通って原子炉へ辿り着くと、私は壁に設置されていたパスコード入力装置にマニホールド解除用のコードを入力していた。
「これで良し・・・あとは原子炉の起動だな」
そして巨大な原子炉の前に設置されていたコントロールパネルにランダムコードを打ち込んで起動を成功させると、一旦ブルーの元へ戻ろうと来た道を引き返す。
検体サンプルのチェックには時間が掛かるから、きっと彼はまだ医務室にいることだろう。
だが長い通路を通って医務室の前までやって来ると、私はしんと静まり返ったその医務室の様子に奇妙な胸騒ぎを覚えていた。

「ブルー?まだいますか?」
やがてそう声を掛けながら随分と奥行きのある医務室の中を歩いていたその時・・・
ゴッ・・・
「うっ・・・?」
何だ?視界が狭いせいで良く見えなかったものの、何かに躓いたような気がする。
そして床の状況を確認しようと腰を曲げるようにして視線を下げてみると、そこにブルーの下半身が・・・夥しい量の血の海に沈むようにして転がっていた。
「なっ・・・」
明らかに何か巨大な生物に上半身を食い千切られたと見えるその無惨な姿に、俄かに強烈な恐怖が込み上げてくる。
やはり、あの"積み荷"が・・・人知れずこの船内を闊歩しているのだ。
「と、とにかく・・・緊急通報を・・・」
私は震える手でPDAを取り出すと、カフェテリアで押した招集ボタンを遠隔操作で起動させていた。

ビーッ!
幸い、ここから集合場所であるカフェテリアまではすぐそこだ。
そして周囲に他の船員がいないかを念入りにチェックしながらカフェテリアまで戻ってみると、皆それ程遠くへは行っていなかったのかすぐに残った9人の船員が集合する。
「グリーン、いきなり招集を掛けるなんてどうかしたのか?」
「そう言えば、ブルーは何処?まだ来てないみたいだけど・・・」
「ブ、ブルーが・・・医務室の奥で死んでたんだ・・・」
私がそう言うと、俄かにその場が冷たく凍り付いていた。
「し・・・死んでたって・・・どうして・・・?」
「分からない・・・でも何か・・・大きな生物に喰い殺されたような感じだった」
その私の言葉に、イエローが震えた声を上げる。
「まさか・・・例の"積み荷"かい?」
「ああ・・・多分そうだと思う。でもあんなに大きな生物が、一体何処に潜んでるって言うんだ?」
「いや、それは違うよグリーン。僕はさっきあの"積み荷"のことを調べてみようと思って、通信室へ行ってたんだ」

通信室だって・・・?
「あそこには、今回の任務について地球と遣り取りした記録が残ってたからね」
「そ、それで・・・何が分かったのイエロー?」
「僕達が今回捕らえたあの巨大生物は・・・別の生物に姿を擬態出来るそうなんだ」
その言葉の持つ意味を脳裏で反芻しているのか、全員が無言のままイエローの次の言葉に耳を傾けている。
「僕達は船に異常があってコールドスリープから目覚めてから、全員集まるまでに時間があっただろ?」
確かに、最初にブルーを見つけるまでは私も目を覚ましたのは自分だけだと思っていたくらいだ。
「もしそれまでの間に"積み荷"が船員の誰かを襲って、着ていた宇宙服を奪って本人に成りすましていたとしたら?」
「まさか・・・"奴"は・・・今ここにいる中の誰かだっていうのか・・・?」
私がそう言うと、驚愕した船員達が自然とお互いに距離を取っていた。
「もちろん、これは仮定の話だよ。でも今船内は緩やかに減圧を続けていて、宇宙服を脱いで活動するのは危険だ」
「つまり・・・宇宙服の下に実際には何が潜んでいても分からないってことよね・・・?」
「ああ・・・それに、"奴"は知能も高い。少し時間が経てば、僕達の言語だってある程度は話せるようになるだろう」

だとしたら、今時点で頻繁に会話をしているピンクとイエロー、
それに先程最初に喋ったオレンジ以外は"奴"が成りすましている偽物の可能性があるということだ。
だがふとPDAの画面に目を向けてみると、船内の気圧が0.75にまで下がっている。
備蓄している酸素ボンベの量にだって当然限りがあるし、このまま船内の減圧と酸素の供給遮断が続けば地球へ帰り着く前に全員酸欠死は免れないだろう。
つまり、悠長に全員の正体を確認しているような時間的余裕がそもそも残されていないのだ。
「でも、何故わざわざ正体を隠すように私達に擬態なんてするのかしら?」
「確かに、あの巨体なら擬態などしなくても私達を皆殺しにすることなんて簡単なはずだ」
「それは多分・・・酸素のせいだと思う」
イエローはそう言うと、全員が立っている中で1人だけテーブルの椅子にそっと腰掛けていた。
「僕達が"奴"を捕らえたあの星・・・酸素濃度が異常に高かったのを覚えてるだろう?」
「ああ・・・確か、45%以上の酸素濃度だったな」
「そうだ。つまり"奴"は、酸素濃度20%以下のこの船内では酸素ボンベ無しではそもそも呼吸が満足に出来ないんだ」

成る程・・・一瞬宇宙服を脱いで擬態を解きながら船員に襲い掛かることくらいは出来たとしても、長時間その状態で活動することは出来ないというわけか。
「だが、ボンベの中身だって酸素濃度は22%になってるだろう?結局外気を吸うのと同じことじゃないのか?」
「取り込む空気の量の問題だよ。今この船内の酸素濃度は16%未満、人間でも頭痛や吐き気の症状が出る低濃度だ」
確かにそんな酸素の薄い空気から呼吸と同じだけの酸素を取り込もうとしたら、通常の吸気の実に3倍近い大量の空気が必要だ。
だが酸素濃度22%のボンベの空気なら、約2倍の量で済む計算になる。
「多分"奴"はブルーを殺す為に宇宙服を脱いだことで、一時的に極端な呼吸困難に陥ったはずだ」
「それって・・・どのくらいで回復するんだ?」
「さあ・・・それは分からないけど・・・精々数十秒ってところじゃないかな」
だとすれば、もう今のこの状況では"奴"も呼吸を回復していることだろう。
とは言え、誰かを襲った直後に数十秒は無防備な状態が出来るというのであれば、大勢で取り囲んでエアロックから"奴"を船外へ追放することも出来るかも知れない。
目標を持ち帰れなければ結果的に任務には失敗してしまうことになるが、それでも船員達が全滅するよりは幾分マシな結末だろう。

「そうだイエロー、あの星で"奴"を捕らえる時に使った麻酔銃は使えないのか?」
「僕もそう思って通信室へ行く途中で一通り倉庫を探してみたんだけど、ご丁寧に全部破壊されていたよ」
その言葉を聞くと、オレンジは目に見える程ガックリと肩を落としていた。
「とにかく、僕達にとっては船の修理が最優先タスクだ。船内の酸素濃度の低下の原因を直すことが出来れば・・・」
「酸素濃度さえ通常レベルに安定させられれば、宇宙服を脱いでも問題の無い私達の勝ちってことだな」
「よし・・・それじゃあピンク、俺と一緒に来てくれないか。電気室に故障個所が山とあるんだ」
オレンジはそう言ってピンクを引っ張ると、2人で一緒に倉庫の方へと歩いて行った。
「成る程・・・2人でペアを組むというのは結構良い案かも知れないな」
「まあ、もしその相方が"奴"だったとしたら、十中八九殺されちまうだろうけどね」
「それでも、僕達がペアの組み分けを把握していれば"奴"が誰かはある程度絞ることが出来ると思うんだ」
イエローはそう言うと、彼とその場に残っていた他の5人をそれぞれ3つのペアに組み分けていた。
「じゃあレッドは僕と、パープルはシアンと、ブラウンはライムと動いてくれ。グリーンは単独で構わないかい?」
「ああ・・・問題は無いよ」
「なら、仕事に戻ろう。急がないともっと犠牲が増えちまうかも知れないしな」

確かにイエローの言う通りだ。
それに、出来るだけ近い色同士でペアを組んでくれたお陰で覚えやすいというのも見事としか言いようがない。
そして再び私以外の全員がカフェテリアから出て行ったのを見送ると、私はPDAに目を落として自身に割り振られたタスクを確認していた。
その中に、医務室の身体検査用スキャン装置の稼働確認という項目が入っている。
また・・・あの場所へ戻るのか・・・
私は人気の消えた通路を少し歩くと、微かに薄暗い医務室の奥へと視線を向けていた。
イエローは"奴"が私達の中の誰かに成りすましていると言ったが、もしそうではなかったとしたら・・・?
実際にブルーが無惨な最期を迎えたこの医務室に奴がまだ潜んでいたらと考えると、安全だと訴える理性を押し退けて本能的な恐怖が湧き上がって来てしまう。
だがそれでも意を決して医務室の中へ足を踏み入れると、私はスキャン台の上に立ってスイッチを入れていた。
すぐ傍に転がっているブルーの無惨な亡骸が、否応無しに私の心拍数を跳ね上げていく。

ピピピピピピ・・・ブゥーン・・・
ID:GREP0
身長:172cm
体重:68kg
色:グリーン
血液型:A+

どうやら、スキャン装置に異常は無いらしい。
"奴"が擬態している船員をもしこいつに掛けることが出来れば簡単に正体を見破ることが出来るというのに、そんな暇も無いというのだから何とも歯痒いものだ。
だが滞り無くスキャンが終了したその時、突然何の前触れも無く船内の照明がダウンしていた。
真っ暗だ・・・フェイスシールドを着けているせいもあって、ほんの1メートル先さえ満足に見えない。
電気室で何か異常があったのだろうか?
私は足元に気を付けながら何とか医務室を出ると、そのままカフェテリアを通って倉庫の方へと向かっていた。
電気室には確かオレンジとピンクが行ったはず。
彼らの身に何事も無ければ良いのだが・・・

そして何とか手探りで通路を歩きながらようやく倉庫に隣接している電気室へ辿り着くと、私は入口の正面にある大きな配電盤でピンクらしき人影が懸命にそのスイッチを弄っている光景を目にしていた。
「ピンク?そこにいるのはピンクか?」
「グリーン?あなたなの?この配電盤を何とかして・・・急に照明が落ちて・・・何も見えないの・・・」
突然の不測の事態に彼女も半ばパニックに陥っているのか、息を荒げながら5つ並んでいるスイッチを何度もカチカチと上げ下げしている。
「ピンク、私に任せてくれ。左からUUDDUだ」
そしてそう言いながら彼女の代わりにスイッチを操作すると、ずっと沈黙を保っていた照明がパッと光を灯す。
「ああ、良かった・・・オレンジ、直ったわ・・・よ・・・」
だがそう言いながら電気室の奥を覗き込んだピンクの声が、途端に尻窄みになって消えてしまっていた。
「どうかしたのか?」
明らかに尋常では無いその彼女の様子に私も配電盤の陰から奥を覗き込んでみると・・・
2本の両足が、オレンジ色の宇宙服の断片を纏ったまま床の上に転がっているのが目に入る。
何か作業をしている最中に突然襲われたのか周囲には血が飛び散った様子もほとんど無く、そこにオレンジがいるということを知っていなければ私もそれが人間の足だとは気付かなかったかも知れない。

「そんな・・・オ、オレンジ・・・嫌ああああっ!」
「ピンク!照明が消えた時、近くに他に誰か人影を見なかったか?」
「わ、分からないわ・・・誰かが傍を通ったような気配は感じたけど・・・真っ暗で何も見えなかったから・・・」
確かにこの暗さでは、すぐ傍に誰かが居ても気付かない可能性は十分にあり得るだろう。
それに、照明が落ちたということは誰かが人為的にこの配電盤を弄ったということになる。
もしそれが"奴"の仕業なのだとしたら、やはり"奴"の目的は私達の全滅なのだろう。
1人1人、順番に順番に・・・
人知れず私達を喰い殺していくつもりなのだ。
それにもう1つ分かったことは、人間がほとんど何も見えなくなる程のあの深い暗闇の中でも"奴"はほとんど何の問題も無く行動が可能だということだった。
オレンジのいる電気室の奥へ入る為にはこの配電盤を大きく迂回しなければならないし、もし"奴"が手探りで船員の姿を探しているのだとしたら完全に無防備だったピンクが最初に襲われていなければおかしいことになる。
ピンクとオレンジが電気室にいることはカフェテリアに集まっていた全員が知っていたことだから、"奴"が最初からオレンジを殺すつもりだったのだとしたら全員が容疑者ということになるだろう。
「ピンク・・・とにかく、一旦カフェテリアへ戻ろう。このことを報告しないと・・・」
「え・・・ええ・・・そうね・・・」
そうしてPDAで再び全体招集を掛けると、私はピンクと共にカフェテリアへと戻っていた。

「う・・・うっうっ・・・」
ショックと恐怖の余り泣きじゃくるピンクを宥めながら待っていると、やがて何事だとばかりに他の6人も続々とカフェテリアへ集まって来ていた。
「グリーン・・・どうしたんだ?」
「さっき突然停電が起きただろ?あの時に・・・オレンジが電気室で殺されたんだよ」
「オレンジが?ピンクは一緒じゃなかったのかい?」
そのイエローの言葉に、ピンクがコクコクと頷く。
「私・・・突然明かりが消えたのに驚いて・・・オレンジを奥に残したままずっと配電盤を弄ってたの・・・」
「そっちの方は特に変わり無かったのか?」
「生憎こっちも暗闇でお互い何処にいるか分からなくなってね・・・お陰であの数分間、全員アリバイ無しだ」
だがそんなイエローの言葉に、彼とペアを組んでいたレッドが口を開く。
「でも、俺達がお互いにはぐれたのは停電の後だったろう?配電盤を弄らなきゃ電気は消えないんじゃないのか?」
「いや・・・そうでもない。PDAで招集が掛けられるように、幾つかの設備が遠隔で操作出来るようになってるんだ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ・・・だとしたら"奴"は・・・何時でもさっきみたいな停電を起こせるってことか?」

その私の言葉に、全員がゴクリと息を呑んだのが宇宙服越しにも伝わって来た。
見たところ、変わった反応をしている者は1人も見当たらない。
幾ら擬態という特殊な能力があるとは言え、"奴"にとっては宇宙人である我々に対してここまで違和感無く溶け込めるというのは恐るべき適応力だと言っても良いだろう。
「まあ、そういうことになるね・・・もう酸素濃度も14%を切ってるし、船の修理を急がないと流石に危険だと思う」
「そ、そうだな。この際ペアは解消して、各々仕事に戻るとしよう」
「分かった。ピンク・・・落ち着くまでもう少しここで休んでても良いんだぞ?」
私がそう言うと、ピンクが弱々しく頷いて見せる。
「ええ・・・ありがとう・・・」
正直彼女を独りここに残していくのが不安と言えば不安だったものの、このカフェテリアは船の中でも最も広い空間で視界も利きやすい。
徹底して正体がバレないように身を隠している"奴"の立場からしたら、ここに留まっているピンクを襲うのは余りにも目撃されるリスクが高いはず・・・

私はそう判断してカフェテリアを出ると、通信室の奥にあるシールドルームを目指すことにした。
デブリの衝突で船体にダメージがあったということは、当然それらから船を護るシールドにも何らかの異常があったことを示している。
そして倉庫を通り抜けて通信室の前に差し掛かると、丁度シールドルームの方向からレッドが歩いてきたのが目に入った。
「レッド、今何をしてたんだ?」
「ああ、デブリの衝突の衝撃でずれちまった航路を修正していたんだ。ステアリングも暴れてたしな」
「そうか・・・他に向こうには誰かいるのか?」
私がそう訊くと、レッドが少しばかり沈黙を挟んでから話し始める。
「そうだな・・・確かパープルとシアンと・・・ライムもいたと思うが」
「そうか・・・分かった、ありがとう」
そしてレッドと別れると、私はそのままシールドルームでシールドの再構築を済ませていた。
こちら側に3人もいるのであれば、仮に誰かが"奴"だったとしても軽々には動けないはず。

しかしそう思った次の瞬間、突然船内にけたたましいアラームが鳴り響いていた。
ブアン!ブアン!ブアン!
"原子炉にて異常発生。原子炉にて異常発生。メルトダウンまであと30秒・・・"
「メルトダウンだって!?大変だ、すぐに緊急停止に行かないと・・・!」
これも・・・"奴"による妨害工作なのだろうか・・・?
だが取り敢えず、こんな船の中で原子炉がメルトダウンなど起こしたら間違い無く全員命は無い。
私はそう思って踵を返すと、急いでこちらとは反対方向にある原子炉へと向かっていた。
そして倉庫からオレンジの死んだ電気室の前を通りもう1つのエンジンルームを通り抜けると、ようやく暴走寸前の原子炉が私達の前に姿を現す。
「早く左右の緊急停止ボタンを押すんだ!」
そして既にその場に先に到着していたイエローの指示で、私達は原子炉の2ヶ所の壁に設置されている緊急停止ボタンを手分けして押し込んでいた。

ブアン!ブアン!・・・
「ふぅ・・・何とか間に合ったようだな・・・」
重い宇宙服を着たまま長距離を走って来たせいで全員ハァハァと疲れ切っていたものの、取り敢えず危機は脱したのだからここは良しとしよう。
「大分大勢集まってしまったな・・・ここには誰がいる?」
「ピンク、ライム、パープル、シアンがいないな」
「ピンクは多分まだカフェテリアだろう。ライム達は確か・・・真反対のナビゲーションルームの方にいたはずだ」
ビーッ!
だがその瞬間、シアンが発したらしい緊急招集のブザーが船内に鳴り響いていた。
「今度は一体何だ?」
「とにかく行ってみよう。原子炉が暴走したくらいなんだ。また誰か襲われたのかも知れない」

やがてそんなイエローの言葉に従ってカフェテリアに着いてみると・・・
両手を真っ赤な血に染めたシアンとライムが、完全に怯え切っているらしいピンクの傍で床にへたり込んでいた。
「一体どうしたんだ?」
「パ・・・パープルが・・・酸素生成室で・・・」
「シアンとライムは・・・2人ともずっと一緒に居たのかい?」
だがイエローがそう訊くと、彼らが揃って首を横に振る。
「原子炉が暴走して、ライムがシールドルームの方に走って行ったのは見たけど・・・」
「シアンはずっとナビゲーションルームにいただろ?パープルがいたのはそのすぐ傍だったじゃないか」
「た、確かに居たけど・・・僕が見つけた時には彼はもう・・・」
それを聞くと、レッドが突然シアンに詰め寄っていた。
「お前が・・・お前がパープルを殺したのか・・・!?」
「ち、違う・・・違うよ・・・はぁ・・・ぼ、僕はただ・・・はぁ・・・」
「彼・・・凄く息が上がってるわ・・・」
そのピンクの一言に、ライムがビクッとシアンから体を離す。

「こいつが"奴"だ。今の内にこいつを船外に放り出そう」
「ま、待って・・・はぁっ・・・違うんだよ・・・ほ、本当に・・・うわああっ・・・!」
酷く息苦しそうに胸を押さえながらそう訴えるシアンを、レッドが問答無用でエアロックの方へと引き摺って行く。
元の姿は余りにも巨大な怪物だというのに、酸素の薄いこの船の中では"奴"といえども一瞬の不意打ちを仕掛ける以外には手が無いのだろう。
そしてレッドの成すがままにエアロックの前まで連れて行かれたシアンは、そのまま無情にもレッドに船外へと蹴り出されてしまっていた。
「ああ・・・」
音の無い漆黒の空間を、シアンがバタバタともがきながら吹き飛んで行く。
そんな目の前で繰り広げられた衝撃的な光景に、ピンクが嗚咽を漏らしながらその場に崩れ落ちていた。

これで・・・良かったのだろうか・・・?
本当にレッドの見立て通りシアンが"奴"だったのなら何も問題は無いのだが、もしシアンが無実でパープルの死に動揺していただけだったのだとしたら・・・
とは言え、他にパープルを殺せるような船員がいなかったというのもまた事実。
彼を追放したことで、この恐ろしい殺戮が止めば良いのだが・・・
「よし・・・皆仕事に戻るぞ」
はっきりとした確証の無いまま、状況証拠だけでつい数分前まで仲間だと思っていた船員を永久に宇宙空間へと追放した・・・
傍目には平静を装っているものの、きっとレッドもその心中は穏やかではないのに違いない。
だが早く船を修理しなければ、私達の命も危ういだろう。
船内の酸素濃度は既に12%強にまで低下しているし、気圧も0.6を切った。
一刻も早く船を直して酸素の供給を再開し、再びコールドスリープに入らなければならない。
他の船員達もそこについては異論無かったのか、やがてピンクを含めた全員が各々の仕事をこなすべく船内に散っていったのだった。

ジジッ・・・
「よし・・・配線の修理はこれで完了だ。後は管理室でコールドスリープの為の情報照会か」
私はカフェテリアの壁に取り付けられていた点検孔で最後の配線修理を終えると、そのまま隣接している管理室へと向かっていた。
そして再びコールドスリープのポッドを起動する為、カードリーダーのスリットに身分証を通す。
シュッ・・・ブブッ・・・
「あれ・・・?」
シュッ・・・ブブッ・・・
分厚い宇宙服の手袋では小さなカードの扱いが予想以上に難しく、普段であれば特に問題は無いというのに焦りと疲れのせいも相俟ってなかなかカードが認識してくれないらしい。

「くそっ・・・もう余り時間が無いのに・・・」
シュッ・・・ピポッ!
やっと通った・・・
私はようやく自分の仕事が終わったことに安堵すると、そのまま管理室にある位置認識システムを立ち上げていた。
これは宇宙服に仕込まれているビーコンの情報を元に、何処に何人の船員がいるのかを確認出来るシステムだ。
生命活動の情報とリンクしている為たとえビーコンは無事でも死体は一定時間が経つと表示されなくなってしまうが、これがあれば他の皆が何処で作業しているのかをある程度知ることが出来るという優れものだ。
「ん・・・通信室に1人、電気室に1人、セキュリティルームに2人、もう1人は・・・何処の部屋にもいないな・・・」
まあこいつで信号を拾えるのは何処かの部屋の中にいる時だけで通路にいる間はマップにも情報は映らないから、もう1人は何処かを移動中なのだろう。
そして管理室のすぐ外の通路を映し出している監視カメラのランプが無事に点灯していることを確認すると、それに向けて手を振ってやる。
恐らくはレッド辺りが、船内を監視してくれているのだろう。
ある程度の確信があったとは言え自らの手でシアンを船外に追放したという負い目があったからか、彼は船の修理を進める間にも事ある毎に船内に異常が無いかを気に掛けていた。

「ん・・・そうだ、ブルーがやろうとしていたサンプルの検査がまだ残っていたな・・・」
私はふとそう思い立つと、カフェテリアを通ってブルーの死んだ医務室へと三度足を運んでいた。
やがて床一面を染めている無惨な血の海を目の当たりにして、ふと小さな疑問が脳裏を過ぎる。
いや・・・ただの気のせいだと良いのだが、一応確かめておくに越したことはない。
そう思って医務室の外に出てみると、先程点灯していた監視カメラのランプが消えているのが目に入る。
もう船内の酸素も残り少ないし、レッドも監視を中断して自分の仕事へ戻ったのだろう。
そしてカフェテリアを通り過ぎてウェポンルームの奥にある酸素生成室へ足を運んでみると、そこに上半身を食い千切られたパープルの痛々しい亡骸が放置されていた。
だが、やはり思った通りそれ程大量の血が周囲に流れているわけではないらしい。
パープルの死体を見つけたシアンとライムは、2人ともその両手を真っ赤な血に染めていた。
恐らくはパープルの死体を起こそうとしたか調べようとした時に付着した物なのだろうが、その割に彼らの足にはほとんど血が付いていなかったのだ。
それに電気室で死んだオレンジも、その惨い死に様の割に大して血が流れていたようには見えなかった。

ならば何故、ブルーだけがあれ程大量の血の海に沈められていたのだろうか・・・?
いやそもそも、ブルーは何故最初に殺されたのだろうか?
もちろんただの偶然という可能性も考えられなくはないのだが、もし私の推理が当たっていたとしたら大変なことになる。
そして緊張に胸を締め付けられながら再び医務室を訪れると、私はカメラのランプが再び点いているのを目にして小さく安堵の息を吐き出していた。
きっと、仕事を終えたレッドがまた監視に戻ったのだろう。
だがいよいよブルーの死体のあるところまで近付くと、私は真っ赤な血に染まった彼の死骸をそっと持ち上げていた。
すると彼の下半身の下に隠れるようにして、明らかに女性の物と見える細身の腕が千切れて落ちているのが目に入る。

「ま・・・まさか・・・これは・・・」
シュッ!
と、次の瞬間・・・私は突然医務室の扉が勝手に閉まったことに気付いてそちらに駆け寄っていた。
ドンドンドン!
「くそ・・・電子ロックか・・・」
分厚い鋼鉄で出来た頑丈な扉はちょっとやそっとの衝撃ではビクともせず、自動的にロックが解除されるまでしばらくは時間が掛かってしまうに違いない。
キィッ・・・
だが閉まった扉の前で途方に暮れていると、不意に誰もいないはずの背後から何かが軋むような音が聞こえてきた。
そして恐る恐る後ろを振り向いてみると、床から他の部屋へと繋がっている大きな通気口の蓋が開いてそこからピンクがゆっくりと這い出して来る。

「ピ・・・ピン・・・ク・・・」
「ハァ・・・ハァ・・・フ・・・フフ・・・あ、アなたデ最後ヨ・・・グリいン・・・」
やがてそんなくぐもった声が聞こえると、突然彼女の宇宙服がバリバリと音を立てて破けていた。
そしてその小柄な体が見る見る内に大きく膨らむと、全身に真っ赤な鱗を纏った巨大な竜がその正体を現していく。
「ワ、わたシのショうタイ・・・みヌけなカったデしょう・・・?」
「あ・・・う、うわああああっ・・・!」
明らかに呼吸が苦しそうだというのに、私を見つめる彼女の切れ長の青い竜眼にはずっと大事に最後まで取っておいた獲物をようやく味わえるという激しい歓喜が存分に溢れ出していた。
「は・・・あぁ・・・」
「フふ・・・おいシ・・・そ・・・ゼ、ぜんブ・・・タベてあゲル・・・」
そう言いながら、天井近くにまでその体高を膨らませた巨竜がゆっくりとこちらに迫ってくる。

こいつは・・・どちらにしろ自分がもう助からないことを知っているんだ・・・
だからその前に、私達を全員道連れにするつもりだったのだろう。
そしていよいよ巨大な爪の生えた竜の手がこちらに迫って来たその時、背後で閉まっていた扉が突然シュッという音と共に開いていた。
「ひっ・・・た、助け・・・」
だが唐突に開かれたその退路へ手を伸ばした次の瞬間、竜の大きな手が私の足首をメキッと握り締める。
そしてそのまま恐ろしい力で持ち上げられると、私の眼下に無数の牙が生え揃う凶悪な竜の顎がぽっかりとその赤黒い巨口を開けていた。
「ンふ・・・グりいン・・・さヨなら・・・」
「うあっ・・・い・・・や・・・ひああああああああぁぁっ!」

バグンッ・・・
最早人間は誰もいなくなった広い船内に轟き渡った甲高い断末魔が、くぐもった音と共に永遠の静寂へと消えて行く。
10人もの人間を残らず喰い尽くした竜もやがては酸欠に息を引き取り、無人の棺桶となった宇宙船だけがただ静かに無限の闇の中を行進していくのだろう。
しかしこれは、広大な宇宙の中で起こったほんの小さな悲劇の1つに過ぎないのだ。
次にその惨劇の幕を開ける内なる"侵略者"は、もしかしたらもう既に我々の中にいるのかも知れない・・・

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