moedra Wiki - 毛鱗の番い
冬の訪れを告げる木枯らしが吹く深い森の中、1匹の雌のドラゴンが暗い面持ちを湛えて当てもなくさ迷っていた。
全身から伸びたフサフサの赤い短毛に、真っ白な2本の角。
腹の辺りから尻尾の裏側にかけてだけはやや灰色がかった毛に覆われていて、長過ぎず短過ぎない小振りな尻尾がバランスを取っているかのようにフリフリと左右に揺れている。
まだ若い彼女は周りの仲間達に比べれば小柄で気もあまり強い方ではなく、今年も番いを見つける唯一の機会である繁殖期に手頃な雄を1匹も見つけられずに深く落ち込んでいた。

「あーあ・・・今年もだめだったわ・・・早く子供が欲しいなぁ・・・」
もう数年も前からの話なのだが、私は自分の力で小さな子供を育ててみたいという衝動に駆られている。
だが歳が離れているとはいえ周囲の仲間達が楽しそうに子育てしている姿を見るにつけ、番いとなる夫も見つけられずに落ち零れている自分が情けなくなってしまうのだった。
運良く強い夫を見つけられた雌のドラゴン達は、今頃夫とともに住み処の中で大きな卵を愛でていることだろう。
なのに私は・・・また来年までこの暗い気持ちを引き摺っていかなければならないのだろうか・・・?
ドラゴンの子供達は種族によって巣立ちの時期が異なるのだが、この辺りは1年の間に季節が変わりやすいために半年もしない内に子供が育つのだ。
だから雌のドラゴン達は毎年夏から秋にかけて必死に子供を産ませてくれる雄を探して回るものなのだが・・・
子供が産めるようになってからはまだ5年と経ってはいないものの、こうも番いを見つけられない年が続くとだんだんと気分が落ち込んできてしまう。

「あら・・・あれは・・・?」
とその時、私は疎らになった林の向こうに大きな洞窟が口を開けているのを見つけた。
初めて見る洞窟だ。恐らく、最近になって誰かが岩肌に掘ったものに違いない。
どうせこのまま住み処に帰っても、私は失意の内に独り寂しく眠りについてしまうだけだろう。
少し、気分を紛らわせるのもいいかもしれない。
私はふとそう思い立つと、木の間を縫うようにしてその洞窟へと近づいていった。
「凄く大きい洞窟ね・・・」
私が小柄なせいもあるのかも知れないが、間近で見たその洞窟は驚くほど大きなものに感じられた。
多分、天井までの高さは優に7、8メートル位はあるだろう。
曲がりくねっていて闇に包まれている洞窟の中に耳を澄ましてみたものの、誰かがいるような気配は全く感じられない。

どうしよう・・・誰もいないようだけど・・・入ってみようかな・・・?
もしかしたら私は、この時からある種の黒い期待を抱いていたのかも知れない。
誰の気配も感じられない洞窟の中へと恐る恐る足を踏み入れ、徐々に暗さを増していく奥へ向かってゆっくりと進んでいく。
そしてやがて最奥の方にぽっかりとした広場が見えてくると、私は思わずゴクリと息を呑んでいた。
闇の中に微かに光る2つの鈍い輝き・・・
妖しい光沢のある楕円形の球体が、落ち葉や木の枝を集めて作られた温床の上に静かに安置されている。
人間なら両手に余るようなその大きさから察するに、ドラゴンの卵に間違いない。
やはり、ここは最近誰かが卵を産むために掘った新しい洞窟なのだ。
「綺麗・・・」
それが卵であることを知らない者が見れば、恐らくは宝石か何かの原石のようにも見えたことだろう。
美しい2つの卵が放つ母性を惑わせる不思議な誘惑に、私は吸い寄せられるようにして卵を持ち上げていた。
どうしても、子供が欲しい・・・例え他の仲間が産んだ卵だとしても、この子を私の手で育ててみたい・・・
そんな悪魔の囁きが、弱り切った心の内に何の抵抗もなく染み透ってくる。
そして数分後、ついに私は誰が産んだものかもわからないその大きな卵を1つ抱えたまま洞窟を後にしていた。

「ふぅ・・・ふぅ・・・やっと着いた・・・」
大きな卵を持ったまま首尾よく誰にも見咎められずに自らの住み処へと辿り着くと、私は高鳴る鼓動を抑えるように大きく安堵の息をついた。
何しろ、この卵は誰がどう見ても私が産んだものには見えないのだ。
今頃はこの子の本当の母親が洞窟へと戻ってきて、忽然と消えた卵に激しく憤慨しているに違いない。
私は繁殖期の始まる頃に早まって作っておいた小さな寝床に盗んできた卵を静かに降ろすと、改めて洞窟の中へと差し込んでくる薄明かりの下でその様子をじっくりと観察した。
胸の内では微かな罪悪感とそれを上回る期待感が跳ね回り、数日後の孵化が待ち遠しくて仕方がない。

「そうだわ・・・暖めてあげないと・・・」
卵の置かれていた洞窟は曲がりくねっていたお陰で冷たい風はあまり吹き込んでこなかったものだが、ここはそれほど深い洞窟ではないせいかあの洞窟よりもいささか気温が低いような気がする。
私は大きな卵を潰さないようにそっと寝床の上に丸まると、ふっくらしたお腹の中に埋めるようにしてそれを両手で抱き抱えた。
「気持ちいい・・・」
命の収まった殻を抱く感触・・・
自分で産んだ子供ではないはずなのに、何故かこうしているだけで言いようのない幸福感が込み上げてくる。
「きっと無事に育ててあげるからね・・・」
それから数日の間、私は激しい唸りを上げる空腹も我慢して可愛い"我が子"を暖め続けていた。

3日後、ついに待ちに待った孵化の日がやってきた。
初めてここへきた時は石のように静かだった卵は今やドクンドクンという脈動が感じられそうなまでに熱を帯び、中で何か小さなものが動いているのが硬い殻から心地よい振動として伝わってくる。
「そろそろ産まれるのかしら・・・?」
自分に言い聞かせるかのように呟いたその言葉が引き金になったのか、突然ピシッという音とともに卵に小さなヒビが入る。
パキッ・・・ピキキッ・・・
徐々に広がりを見せていく網の目のようなヒビ割れに目を瞠っていると、やがて細かく砕けた卵の穴から仔竜の小さな手が突き出した。
最初に見えたのは産まれたばかりだというのに鋭く尖った短い爪と、手の甲を覆った緑色の細かな鱗・・・
「えっ・・・鱗・・・?」
不意に胸の内を過ぎった嫌な予感をよそに、小気味よいパキャッという音がして卵が左右に割れる。
そしてその中から、全身にエメラルドのような美しい緑色の鱗を纏った仔竜が飛び出してきた。
スラリと細長く伸びた尻尾の先はまるで槍のように尖っていて、あどけないながらも鋭い光を宿した2つの瞳がキラキラと輝いている。

「ああっ・・・そんな!」
「クウゥ?」
不思議そうに首を傾げる子供から顔を背けるようにして、私は両手で頭を抱えていた。
これは異種族の子だ。
私はなんて浅はかだったのだろう・・・
母子でこうも外見が違っていては、誰が見てもこの子が私の子でないことが一目でわかってしまう。
ああ、どうしよう・・・そ、そうだわ・・・今ならまだ、本当の母親の所に連れていけるかもしれない・・・
私は半ばパニックに陥りかけた頭をブンブンと振り払うと、異母のもとに産まれてしまった小さな仔竜をそっと抱き上げていた。

「クゥ〜、ククゥ〜〜」
お腹が空いたのかそれとも嫌がっているのか、柔らかな腹に押しつけるようにして私に抱えられていた仔竜が雄にしてはか細い鳴き声を上げながら頻りに身を捩っている。
「ほら、暴れないで・・・今あなたの本当のお母さんの所に連れていってあげるから・・・ね?」
だがいくら宥めようとしてみても、仔竜の鳴き声はだんだんと大きくなるばかり。
いずれにしてもこのままでは、誰にも気付かれずに例の洞窟までこの子を連れていくのは難しいだろう。
「クゥ〜〜!クゥ〜〜〜!」
「わ、わかったから・・・静かにしてちょうだい・・・」
仕方なく抱き抱えていた仔竜をその場に降ろしてやると、彼はトテトテと跳ねるように寝床の上に取って返してドサリと蹲ってしまった。

ふぅ・・・仕方がない・・・どうやってこの子をあの洞窟まで連れていくかを考えるのは後にして、とりあえずまずは何か食べ物を獲ってくるとしよう。
今の今まで卵を暖めることに夢中で気にもとめていなかったが、考えてみれば私はここ数日間ほとんどロクに食事を摂っていないのだ。
ゴロゴロゴロロロ・・・
私は早く何か寄越せと喚き散らす腹を一撫ですると、寝床の上で蹲ったままこちらを見ている子供に向かって一言声をかけた。
「じゃあ何か食べ物を持ってくるから、そこでおとなしくしててね・・・?」
「クゥ・・・」
そんな短いながらも確かな返事に気をよくすると、私は数日振りに明るい外へと狩りに出掛けていった。

久し振りの狩りであまり思い通りに体が動かないだろうと思っていたものの、やはり空腹を満たそうとする本能故なのか数匹の小動物を捕えるのにさして多くの時間は必要としなかった。
「はぁ〜・・・生き返ったわぁ・・・」
そして取り敢えずは当面の空腹を満たすために2匹ほどの獲物を捕えたその場で腹に収めると、子供の為に野ネズミを1匹捕まえて来た道を引き返し始める。
そう言えば、卵を見つけた洞窟は確かこの近くだったはずだ。
残念ながら肝心の仔竜はここにはいないけれど、少し様子を窺っていくのも悪くない。
私はそう心に決めると、数日前の記憶を頼りに深い茂みを掻き分けていった。

「あった・・・ようやく見つけたわ」
目の前に大きく口を開けた広大な洞窟。
初めてきた時と同じようにその暗闇にそっと耳を澄ましてみると、今度は何やらゴオオッというような空気を震わせる音が聞こえてくる。
どうやら、中に誰かいるようだ。
寝息のように聞こえないこともないが、もしそうだとしたら一体どんなドラゴンが棲んでいるというのだろうか?
私は手にしていた野ネズミの亡骸を静かに地面の上へと置くと、恐る恐る足音を殺して何者かが待つ洞窟の中へと入っていった。

「グオオオオオオ・・・・・・ゴオオオオオオオ・・・・・・」
闇に包まれた空洞に響き渡る、大地の唸るような声。
私は徐々に大きくなるその声に半ば怯えながらも、曲がりくねった洞窟の中を少しずつ奥へと進んでいった。
そしてあの卵が置かれていた大きな広場が見えてきた途端、思わずビクッと身を竦めてしまう。
そこにいたのは、まだ孵化していない卵を大事そうに抱えて眠る、黒鱗を纏った巨大なドラゴンだった。
地面の上に蹲っているというのに高いはずの洞窟の天井が一見して低く見えてしまうほどのその巨躯に、本能的な恐怖で足が凍り付いてしまう。
眼は閉じられているものの、険しい表情を浮かべたその顔には明らかに怒りの感情が見え隠れしていた。
その矛先は言うまでもなく大事な卵を盗んでいった何者か・・・つまり、私に向けられていることだろう。
憎き卵泥棒に天誅を下すためなのか手の先から伸びた爪は刃物のように鋭利に研ぎ澄まされ、固く閉じられた口の端から覗く牙はぬらりとした唾液に濡れ光っている。
「あ・・・あ・・・」
だ、だめだわ・・・こんなのに卵を盗んだなんて知られたら、どんな恐ろしい目に遭わせられるか・・・
私は目の前の巨竜を起こさないようにそろそろと足音を殺して後退さると、洞窟の外に置いてあった野ネズミを持って一目散に自分の住み処へと逃げ帰った。

住み処に帰ると、仔竜が待っていたとばかりに寝床の上で顔を上げる。
「はぁ・・・はぁ・・・ほら、食べ物を獲ってきたわよ・・・」
「クウゥ!」
そして疲労と恐ろしさで息を切らしながらも捕まえてきた餌を放り投げてやると、彼は嬉しそうな声を上げるとともにすかさずそれに齧りついていた。
産まれたばかりにもかかわらず尖った手の爪が野ネズミの肉を器用に引き裂き、ズラリと生え揃った牙が新鮮な肉を力強く食い千切る。
その荒々しい仔竜の食事の光景を見るにつけ、私は図らずも彼の母親の姿を脳裏に思い浮かべた。
あの母親に捕まったら、私もあんな風にして無残に引き裂かれながら食われてしまうのだろうか・・・
そんな恐ろしい想像にブルッと体を震わせると、私はこれからこの子をどうやって育てていこうかと途方に暮れていた。

翌朝、私はまだ寝床で眠りこけている子供を住み処に残したまま狩りへと出掛けていった。
刷り込みの影響なのか、今の彼は私が本当の母親だと思っている。
とにかく、私にできることはできる限り彼を育ててやることだけなのだ。
立ち並ぶ木の奥にチラリと姿を見せた仔鹿に狙いをつけながら、私はそんな複雑な心境を胸の内で反芻していた。
だが小枝や枯れ葉を踏んで音を立ててしまわないようにそっと獲物に近づきはするのだが、どうにも気分が乗ってこないのは何故だろう・・・?
いくら自分の手で子供を育ててみたいとは思っていても、やはり心のどこかでは私の本当の子供ではないということがひっかかっているのかもしれない。

ガサッ
「あっ・・・」
そして心の葛藤に決着を着けられぬまま足を前に出した途端、私は思わず茂みの中へと足を突っ込んでしまった。
その音に驚いて、狙っていた獲物があっという間に逃げていってしまう。
やっぱり・・・あの子は本当の母親の所に返してあげよう・・・
たとえそれであの恐ろしいドラゴンに酷い目に遭わされたとしても、それは私の身から出た錆なのだ。
私はそう覚悟を決めると、狩りを中断して子供の待つ住み処へと身を翻していた。

それにしても・・・あんな化け物のようなドラゴンに、一体どうやってあの子のことを説明すればいいというのだろう・・・
たとえ全てを素直に打ち明けて子供を返してあげたとしても、寝顔にすら滲み出すほどの彼女の怒りがそう簡単に和らいでくれるとは思えない。
そんな悩みを抱えたまま住み処へ戻ってみると、仔竜は何時の間にか私がいなくなって不安だったのか、寝床の上で震えながら辺りをキョロキョロと見回していた。
「クゥゥ・・・」
そしてようやく外から帰ってきた私の姿を認め、ホッと安堵の声を漏らす。
なんという愛らしさだろうか・・・たとえ異種族の子供であろうと、幼子の可愛さには違いなどない。
私は思わずガバッと仔竜を両手で抱き締めると、彼と離れる決心がつくまでじっとその場に座り込んでいた。

「ほら、大丈夫よ・・・いきましょう・・・?」
「クゥ・・・クゥゥ・・・」
半ば不安げな表情を浮かべた仔竜を連れて住み処を出発したのは、夕方近くになってからのことだった。
森の木々が覆い尽くした空には所々に夕焼けの橙が顔を覗かせていて、何だか別世界を歩いているような不思議な錯覚に陥ってしまう。
産まれたばかりでまだ小さいとはいえ、仔竜はもう姿だけならあの洞窟で見た大きなドラゴンと瓜二つだった。
そんなこれから対峙しようとしている恐ろしいドラゴンのミニチュアと並んで森の中を歩いているのだから、心が掻き乱されない方がどうかしているというものだ。
仔竜の方は仔竜の方でまだ外を出歩くのが怖いのか外出は頑なに拒んでいたものの、一旦洞窟の外に出されてしまうと今度は決して私とは離れまいと必死に身を摺り寄せながらついてきている。
そしてそんな"我が子"との散歩を20分程続けていると、やがて来るのは3度目になるあの洞窟が見えてきていた。

「いい?あなたはここで待ってて。後で必ず呼びにくるから・・・ね?」
「ク・・・クゥ・・・」
私がそう言うと、仔竜は渋々ながらも私の言葉に頷いていた。
ただ単に臆病なだけなのかもしれないが、仔竜は自分の周囲に迫る危険に割と敏感なのだ。
彼は森の中で独りぼっちになることももちろん怖かったに違いないが、同時にこれから私が入ろうとしている洞窟の中にいる何者かの存在にも気付いているらしかった。
耳を澄ましてみても昼間のようにあのゴオオオッという大きな寝息は聞こえなかったものの、その暗闇の中からは確かに誰かの強烈な存在感を感じ取ることができる。
あの恐ろしげなドラゴンは・・・ともすれば私が来るのを今か今かと待ち構えているのかも知れない。

「じゃあ・・・行ってくるわね・・・」
何も知らぬ仔竜をその場に残し、巨竜の洞窟へとそっと最初の1歩を踏み入れる。
怖い・・・なまじ昼間にこの洞窟の主を目の当たりにしてしまっただけに、私は今激しい恐怖に襲われていた。
あの刃物のように鋭い鉤爪・・・岩をも噛み砕きそうな屈強な牙・・・
脳裏に浮かぶ誇張ではない凶像がもたらす黒い不安は止まる所を知らず、処刑台へと続く階段を自ら登っているような感覚が心臓の鼓動を徐々に早めていく。
そしていよいよ最奥の広場へと到達すると、地面に蹲っていた巨竜の背筋が凍るほどに冷たく鋭い視線がジロリと私の顔へ注がれていた。

「フン・・・何だ、誰かと思えばまだほんの小娘じゃないか。あたしに何の用だい?」
あくまで静かに、それでいて冷たく漂う空気を揺らす、しわがれた老竜の声。
油断無く私を睨み付けているその眼には悠久の時を生きてきたのであろう威厳が満ち溢れ、心臓を鷲掴みにされたような息苦しさがギュウギュウと胸を締め付けてくる。
「あ、あの・・・私・・・」
怖い・・・怖い怖い怖い・・・!
彼女は今はまだ私のことを自分の住み処に迷い込んできた小娘程度にしか思っていないのかも知れないが、この先を言えばあの恐ろしい金の瞳にどんな光が宿るのかは容易に想像がつく。

「何だい・・・?言いたいことがあるならはっきり言いな」
「ひっ・・・」
別段怒鳴りつけられたわけでもないというのに、彼女の発する逆らい難い重圧に押し潰されそうになってしまう。
「わ、私・・・ひぐ・・・あ、あなたの卵を・・・」
その私の言葉に、組んだ腕の上に顎を乗せていた巨竜の首がピクッと反応した。
「あたしの卵を・・・どうしたんだい・・・?」
大事な卵が消えた原因が私にあることを悟ったのか、彼女が微かな怒りを滲ませながら頭を持ち上げる。
「その・・・ぬ、盗みました・・・」
その瞬間、ガバッという音とともに地面に蹲っていた漆黒の巨竜が起き上がった。
そして滑らかにしなる長い尻尾がヒュッと私の方へ伸びてきたかと思うと、一瞬にしてそれを全身に巻きつけられてしまう。

「ふぅーん・・・あたしゃてっきり不埒な人間どもが盗っていったとばかり思っていたんだけどねぇ・・・」
「ああ・・・うっ・・・ごめんなさい・・・ゆ、許して・・・」
だがそんな謝罪も空しく、私は長く太い尻尾できつく締め上げられたまま彼女の口元まで引き寄せられていた。
「よりによってあたしの子供を盗むなんて・・・たとえお前が同族でも許さないよ・・・覚悟おし・・・」
ギリ・・・ギリリ・・・
「うあっ・・・あっ・・・い、いや・・・助けてぇ・・・」
鱗も持たない柔らかな体に硬い尻尾がグイグイと食い込み、全身の骨が悲鳴を上げる。
だがいくら苦悶に身を捩った所で、全身に巻き付いた竜の尾を引き剥がせる程の力など最初からあるはずがない。
「あぐっ・・・く、苦しい・・・ああ・・・ああああぁ〜〜〜!」
メキメキと音を立てて際限無く胸や腹を締め上げる巨大なドラゴンの尾。
やがて苦痛と息苦しさで気を失いそうになったその時、ようやく苛烈な締め付けがほんの少しだけ緩んだ。

「ハッ・・・ハッ・・・ハァ・・・ハァ・・・」
そして真っ黒なとぐろに凭れ掛かるようにして荒くなった息を整えていると、私でも丸呑みにできそうな巨口が眼前へと近づけられる。
「それで・・・あたしの卵はもちろん無事なんだろうね?何処にあるんだい・・・?」
「それがその・・・あ、あの卵はもう・・・」
ギリリッ
「ああっ!」
「おや、よく聞こえなかったよ・・・もう1度お言い・・・」
何かを勘違いされたのか、私は言葉の途中で唐突に胸を締め上げられた。
こんなことでは、もし下手なことを言ったらその場で締め殺されてしまっても不思議ではない。

「こ、この洞窟の外に・・・」
「何だ、ここまで持ってきたのかい?フフフ・・・呆れた小娘だねぇ・・・それなら、お前にはもう用はないよ」
もう下に降ろしてくれるのかという期待とは裏腹に、再び尻尾による圧迫が強くなってくる。
ミシッ・・・ギシッ・・・
「あっ・・・なん・・・で・・・?た、助けて・・・」
「だめさ・・・いくら盗んだ卵を返しにきたって、あたしは許さないからね・・・」
「そ、そんな・・・あぐっ・・・い、いやよ・・・いやああああああああ!」
残酷な黒竜に容赦無く尾を引き絞られ、私は締め殺される恐怖に洞窟中へ響き渡るような大声で叫んでいた。

タタッ・・・タタッ・・・
薄れ行く意識の中に響く、軽快な足音。
容赦の無い老竜の締め上げに屈してどこかの骨が砕けそうになったその時、聞き覚えのある鳴き声が上がった。
「クゥ〜〜!クゥクゥ〜!」
「・・・え・・・?」
竜尾のとぐろの中で限界まで仰け反っていた首をほんの少し傾けると、あの仔竜が必死に何かを喚き散らしながら暗い洞窟の中を走ってきている。
老竜の方もそれに気付いたのか、盗賊への制裁を一時中断すると本日2匹目の闖入者へと視線を向けていた。

「何だい、この小僧は・・・?」
きっと彼は、私の悲鳴を聞いて駆けつけて来てくれたのだろう。
だが勢いで飛び出してきてしまっただけなのか、自分の何十倍も大きな老竜の姿を認めるや否やあまりの恐ろしさにその場で立ち止まってしまう。
「ク・・・クゥ・・・」
「邪魔するでないよ・・・それとも、お前もこの小娘のようになりたいのかい・・・?」
ギリリリッ・・・
「ああ〜〜っ!」
私は見せしめのために突然全身を締め上げられて、老竜の思惑通りに苦痛の悲鳴を上げてしまっていた。

だが仔竜が次に見せた行動は、老竜はもとより私の予想をも裏切るものだった。
産まれたばかりで右も左もわからぬ子供がこんな光景を見せつけられれば必死で逃げ出しそうなものなのだが、彼はこともあろうに薄ら笑いを浮かべて油断していた老竜の顔に向かって突進していったのだ。
ガッ
「うぐっ!」
まだ幼いとはいえ生まれながらにして備わっていた狩りのための鋭い鉤爪が一閃し、老竜の顔を覆っていた厚く黒い鱗にほんの小さな傷が走る。
そして実の母親の顔を引っ掻いた当の仔竜は再びパッと素早く距離を取ると、恐ろしさにハァハァと息を荒げながらも闘志を剥き出しにして目の前の強大過ぎる敵を睨み付けていた。
「おのれ小僧が・・・あたしに楯突くなんていい度胸じゃないか・・・」
それまでどこか余裕の感じられた老竜の声に冷たい殺気がこもり、細められていた金眼がギョロリと大きく見開かれる。
そしてその手の先から伸びた巨大な鉤爪を振り翳そうとしたのを見て取って、私は擦れた声を絞り出した。

「待っ・・・て・・・その子はあなたの・・・あなたの子よ・・・!」
「・・・なんだって・・・?」
その言葉の意味を探るように、彼女の視線がじっくりと私を睨め回すように移動する。
「あ、あの子は昨日、あなたの産んだ卵から孵ったんです・・・だからお願い・・・見逃してあげて・・・」
私の言葉を聞くと、彼女は温床の上に置いてあったもう1つの卵の方へと視線を向けた。
そちらの卵は依然として暗い沈黙を保っていて、まだまだしばらくは孵化する気配が無い。
多分彼女は、同時に産んだ2つの卵が片方だけ早く孵化したことを疑問に思っているのだろう。
「私・・・どうしても子供が欲しくて・・・早く孵って欲しくて・・・3日3晩、一生懸命に暖めたんです・・・」
卵を盗んでしまった罪悪感からなのか、それとも子供を助けようとして必死だったのか、私はそれだけ告白するとボロボロと大粒の涙を零しながら漆黒の牢獄の中でただひたすらに喘いでいた。

「クゥゥ・・・クゥゥッ!」
巨竜が何か考え事でもしているかのように私を眺め回しているのを見て取ったのか、偽の母親を守ろうとして仔竜が再び甲高い雄叫びを上げながら彼女に飛び掛っていく。
だが流石に今度は予測していたのか、仔竜は振り上げた鉤爪を振るう間もなく巨大な老竜に鷲掴みにされていた。
ギュッ・・・
「ク、クゥ・・・」
掌ほどもない小さな体を潰さぬように、それでいて一切の身動きを封じられるだけの力で握り締められ、母親に捕えられた仔竜がバタバタと必死に手足を暴れされてもがいている。
だがやがてこの私ですら震え上がってしまうほどの鋭い金眼でギラリと睨み付けられると、彼は観念したのか情けない声を上げて体の力を抜いていた。

「ク・・・ゥ・・・」
真っ黒な鱗に覆われた手の中でガクリとうな垂れた仔竜の体が、悔しさとそれ以上の恐怖にブルブルと震えているのが私にもはっきりと見て取れる。
「ふぅん・・・これはまた随分と元気のいい子じゃないか・・・えぇ・・・?」
ゴクリという息を呑む音が聞こえ、仔竜が助けを求めるかのように震えながらも私の方へと視線を向けた。
いくら雄竜らしく強大な敵に対して勇敢に立ち向かっていったとしても、彼はまだこの世に産まれてからたったの1日しか経っていない幼い子供。
そんな子供の力など到底及ばないということを思い知らされると、結局は母親に助けを求めることになるのだ。
だが生憎今の私には、彼のその切ない願いすら叶えてやることができそうにない。

「フフフ・・・お前は相当この子に好かれているようだねぇ・・・」
こんな絶体絶命の状況にも仔竜が悲鳴すら上げずに耐えていられるのは、ひとえに私という存在が傍にいるからなのだろう。
敏感な老竜もその奇妙な関係が意外に強固なものであることを悟ったのか、私の体に巻き付けていた尻尾を少しずつ解いていく。
ドサッ
「あぅぐ・・・」
幾度となくきつく締め上げられて疲弊しきった体では上手く着地することなどできるはずもなく、私はゆっくりと縛めを解かれたというのに地面の上へと派手に倒れ込んでしまっていた。

「ゆ、許してくれるんですか・・・?」
「フン・・・お前の努力は認めてやるよ・・・そんなに子供が欲しいのなら、この子を連れていくがいいさ」
そう言いながら仔竜の身も手の内から解放すると、我が子を手放した母親がフイッとそっぽを向いて呟く。
「で、でも・・・どんなに好かれているとは言っても・・・この子はやっぱりあなたの・・・」
「もちろん、その子は正真正銘あたしの子さ・・・だから、お前の夫としてくれてやると言ってるんだよ」
「え・・・?」
この子を・・・私の夫に・・・?
「ほら、さっさといきな!いつまでもそこでくずくずしてると、両方ともあたしが取って食っちまうよ!」
その言葉の直後に上がった雷鳴のような巨竜の咆哮に追われるようにして、私と仔竜は慌てて暗い洞窟から夕暮れの空の下へと飛び出していた。

「クゥ・・・」
涼しげな風の吹く森の中を住み処に向かって歩いている途中、仔竜はようやく気分が落ち着いたのか小さく声を上げて私の体に擦り寄ってきた。
考えてみればこの子は母親だと思っている私を助けるためとはいえ、あんな恐ろしげな巨竜にも果敢に飛び掛っていったのだ。
今はまだ自分で狩りもできない幼子には違いないが、いずれは強くて立派な雄竜へと成長するに違いない。
それまで当分の間は母親としてこの子を育て、いずれ機を見て彼に真実を打ち明けることになるだろう。
私は擦り寄ってきた仔竜の鱗に覆われた頭をフサフサの手でそっと撫でてやると、夫と子供を同時に手に入れられたという不思議な喜びを静かに噛み締めていた。


「ねぇお母さん、ここ最近ずっと気になってたんだけど・・・どうして僕はお母さんに似てないの?」
「え・・・?」
今年も例年以上に暑かった夏が過ぎて息子ももうすぐ4歳になろうとしていたある日、私は狩りから帰ってきた矢先に彼からそんな質問を投げかけられた。
もちろん、彼も今まではそんなことなど特に気にも止めていなかったに違いない。
だが他の仲間達と共に外へ遊びに出かける機会が増えてきたことで、彼はようやく全身を体毛に覆われた私とは容姿が似ても似つかないという事実に気がついたのだ。
「だっておかしいじゃない。友達は皆自分のお母さんとそっくりなのに、僕達だけ似てないんだよ?」
いつか来ると覚悟していたこの時・・・
彼に過去の経緯を伝える機会があるとするならば、今が正にそうなのだろう。

私は急に乾き始めた喉を潤すためにゴクリと唾を飲み込むと、努めて真剣な眼差しで目の前の"雄竜"を見つめた。
「実はね・・・あなたは、私の本当の子供じゃないの・・・あなたのお母さんは、こことは別の場所にいるのよ」
「ど、どうして・・・?」
唐突に子供の顔に浮かんだ、酷く不安げな表情。
だが彼のためにも・・・そして私のためにも、彼には本当のことを伝えなければならないだろう。
「私、ずっと子供が欲しかったの。だから毎年繁殖期が来る度に、私は必死で夫になる雄を探していたわ・・・」
あの巨竜の卵を盗むことになったきっかけ、卵から孵ったのが異種族の子供だったことの驚き、年老いた巨竜とのやり取り、そして・・・彼に対して私がこれまで一心に注いできた、嘘偽りのない愛情・・・

それら全てを彼に話して聞かせるのに、たっぷり2時間はかかったような気がする。
彼はそれほどまでに奇妙で、そして特異な生涯を歩んできた子供なのだ。
「じゃあ僕・・・本当はお母さんとは何の関係もない子供なの・・・?」
そんなことはない・・・!
だが私は彼の言葉を心の内でこそ強く否定したものの、実際にそれを彼に納得させるだけの言葉はどうしても見つけられなかった。
何しろ私は自分のエゴのためだけに1匹の仔竜を実の母親のもとから引き離し、その上4年間も彼を騙し続けていたのだから。

答えに窮して流れてしまった数秒間の沈黙・・・
彼は私からの返事が無いことに少なからずも衝撃を受けてしまったのか、おもむろにクルリとこちらへ背を向けるとどことなく涙声にも聞こえる上ずった声で呟いた。
「ずっと・・・僕を騙してたんだね・・・」
そしてそう言い終わるか終わらないかの内に、彼が突然洞窟の外に向かって駆け出していく。
「あ、待って!」
私は走り去る彼に向かって慌てて大声で叫んだものの、洞窟内に反響した自分の声が聞こえなくなった時には既に彼の姿は見えなくなってしまっていた。
だが、彼があんな反応をするのも無理は無い。
多分彼は、今も森の奥の巨洞に棲んでいる本当の母親のもとへと向かったのだろう。
静かになった洞窟に独りポツンと残されると、私は暗い絶望を抱えながら寝床の上に蹲って寂しさに泣いていた。

タタッ・・・タタッ・・・
突如として住み処の中に響いた、懐かしい足音。
あたしは暗い洞窟の中で長らく横たえていた頭を静かに持ち上げると、もうすぐ姿を現すであろう4年振りに会う息子の到着をじっと待っていた。
その数秒後、過ぎ去った月日に一段と大きく成長した雄竜が勢いよくあたしの目の前に飛び込んでくる。
「おやおや・・・お前みたいな小僧が、あたしに何か用かい?」
あたしは全身を綺麗な緑色の鱗で覆われたその雄竜が紛れも無く自分の子供であることは察していたものの、敢えてそのことはおくびにも出さずに息子の反応を窺ってみることにした。
この時期に彼がここへやってくるということは、あの小娘から本当の話を聞かされたのだろう。
だとすれば、彼の目的はあたしが本当に自分の母親なのかどうかを確かめることに違いない。

「お・・・お母さん・・・」
曲がりくねった洞窟の奥に佇んでいた、予想以上に巨大な黒竜・・・
その圧倒的な存在感に怯えながらも、僕は躊躇いがちにそう呼びかけていた。
それを聞いて、全身に纏う僕の掌よりも大きな鱗を薄明かりに煌かせながら巨竜が愉しげな声を上げる。
「はっははは・・・面白いことを言う小僧だねぇ・・・あたしは、お前の母親なんかじゃないよ」
「う、嘘だ!全部聞いたんだぞ!あなたが・・・僕の本当のお母さんなんだろ?」
「ふぅん・・・聞いたって、一体誰にそんなことを聞いたんだい?」
半ば意地悪な笑みを浮かべながら老竜にそう切り返されて、僕は思わず返事に詰まってしまっていた。
「そ、それは・・・」
そうだ・・・この目の前のドラゴンが僕の母親なら、僕をこれまで育ててきてくれたあの赤いドラゴンは一体何だったというのだろう・・・?

彼女は僕が産まれてから今までずっと、毎日毎日僕の為に新鮮な獲物を獲りにいってくれた。
彼女は僕が産まれてから今までずっと、毎日毎日あの暖かい毛皮で僕を暖めてくれた。
彼女は僕が産まれてから今までずっと、毎日毎日狩りの仕方を優しく教えてくれた。
彼女は僕が産まれてから今までずっと・・・
次々と泉のように止めど無く溢れ出す記憶の奔流が、いつしか涙の雫となって僕の目から零れ落ちていた。
今日という日まで僕の母親だと偽っていたあのドラゴンは、今目の前にいる僕の本当の母親よりもずっと僕のために尽くしてくれたんじゃないか。
それなのに僕は今日、ただ単に外見が違うというだけで彼女に酷い言葉を投げつけてしまった。
本当はどこの誰よりも、この本当の母親よりもずっとずっと僕のことを可愛がってくれていたというのに・・・
「ほら、早く行っておやり・・・」
最後の最後で黒竜がポツリと呟いた、母性を感じる優しげな声。
やはり、このドラゴンが僕の実の母親なのには違いない。
だが彼女は、心の底から息子の幸せを願って僕をあの異母のもとへと送り出してくれたのだろう。
「うん、そうだね・・・僕、何言ってるんだろ・・・早くお母さんの所に帰らなきゃ・・・もう行くよ」
僕は涙を拭いながらそう言うと、4年前もそうしたように橙色に輝く空の下へと勢いよく走り出していった。

西の山の稜線に足をついた夕日が森の中へと注ぐ眩くも懐かしい光に、トボトボと道を歩く僕の影が長い長い尾を引いていた。
一体、どうやってお母さんに謝ったらいいのだろう・・・
きっとお母さんは今頃、住み処の洞窟の中で深い孤独と悲しみに暮れているのに違いない。
やがて心の中で幾度も葛藤しながら斜陽の差し込む洞窟の前まで戻ってくると、僕はそっと足音を殺して闇に包まれた住み処の中を覗き込んだ。
その奥の広い寝床の上で、いつもより一段と小さく見えるお母さんが自らの尾を抱え込むようにして蹲っている。
泣いている内に眠ってしまったのか、母は僕の気配には全く気付く様子もなく丸めた背をこちらに向けていた。
「お母さん・・・」
僕は眠っている母を起こさぬようにゆっくりとそばまで近づくと、その隣に静かに蹲って彼女の暖かい背中に自らの硬い鱗で覆われた背中をそっと擦り付けた。
冷たい鱗が背に触れた途端に母が一瞬ビクッと身を震わせたが、その緊張もすぐにどこかへと吹き飛んでいく。
「ごめんね、お母さん・・・」
鱗越しに伝わってくる母の優しい温もりに安心すると、僕は母と背中合わせになったまま眠りへと落ちていった。

眠っていた僕の顔へと断続的に吹きつけられる、生暖かい風。
外はまだ夜なのか薄っすらと目を開けた視界の中は漆黒の闇で埋め尽くされてはいたものの、僕はその風が僕の顔を覗き込んでいた母の吐息であると気付くのにそう長い時間は必要としなかった。
「おかあ・・・さん・・・?」
「まだ・・・私のことをそう呼んでくれるの・・・?」
一条の星明かりさえ入ってこない真っ暗な洞窟の中に、母の声だけが静かに響き渡る。
母の顔に一体どんな表情が浮かんでいるのかは全く見えなかったが、僕はその声に今までとは違う、何か不思議な艶が含まれているのを感じていた。
「うん・・・昼間は酷いこと言ってごめんね・・・・・・どうしたの・・・?」
「私、ずっと待っていたのよ・・・いつかあなたに本当のことを話して、私の夫として迎えられる日が来るのを」
え・・・夫・・・?
「なのに・・・またあなたにお母さんなんて呼ばれたら、私・・・」

その母の声が、不意に溢れ出した感情に震えていた。
そうか・・・母は、ただ子育てがしたいがために僕を本当の母親のもとから引き離したわけじゃなかったんだ。
母・・・いや、彼女は、成長した僕といずれは番いになるために、自分が腹を痛めて産んだわけでもない僕にこれまで一心に尽くしてくれていたのだろう。
「ご、ごめん、おかあ・・・」
思わずまたお母さんと呼びかけてしまいそうになって、僕は途中まで出かかった言葉をグッと飲み込んでいた。
だが、それも仕方のないことだ・・・僕にとって彼女は、今も昔も母親であることに変わりはない。
「僕・・・どうしたらいいの・・・?」
「・・・私を抱いて・・・」
僕の問に、彼女の口から今にも消え入りそうなか細い声が漏れていた。
そのいかにも弱々しげな仕草にずっと眠っていた雄としての本能が刺激され、僕の中で大事な何かが弾け飛ぶ。
そして次の瞬間、僕はガバッと寝床から起き上がると目の前の赤毛を纏った雌竜をその場に押し倒していた。

まだ若いとはいえ少なくとも僕より2回りは大きいはずの彼女が、まるで抵抗する様子もないままにあっさりと洞窟の地面の上へ仰向けに転がる。
そしてその手触りのよい両手に全体重をかけて彼女を腹下に組み敷いてから、僕はハッと息を呑んでいた。
僕は・・・一体何をしてるんだ?
お母さんにこんな・・・いや、違う・・・彼女は・・・僕のお母さんなんかじゃない!
彼女は・・・彼女は・・・
この世に産まれてからずっと母親として慕ってきた雌竜と体を重ねているという背徳感が、ぞわぞわと漣のように僕の背筋を這い上がってくる。
だがそれは決して不快な感触などではなく、むしろ激しい興奮を呼び覚ますかのような熱い刺激だった。

グリッ・・・
「ああっ・・・!」
力一杯地面に押しつけた彼女の手が石畳に擦れ、熱のこもった喘ぎにも似た彼女の声が闇の中に響き渡る。
僕はその初めて味わう支配的な愉悦に焚き付けられて、股間から顔を出した肉棒が見る見るうちに大きく膨らんでいくのを感じていた。
そして鱗に覆われた尻尾の先で彼女の下腹部をスリスリと弄り、体毛の中に巧妙に隠されていた一筋の割れ目を探り当てる。
ズ・・・ズブ・・・
「あっ・・・や、やぁ・・・」
更には硬く尖った尻尾の先が熱く蕩けた秘部の中へ少しずつ侵入を始めると彼女がジタバタと身を捩ったものの、ザラついた尻尾の鱗で秘肉をこそぎ上げられる快感の前に完全に力が抜けてしまっているようだった。

ジュボッ
「ひゃんっ!」
突如として膣から引き抜かれた尻尾の感触に彼女の体がビクンと大きく跳ね上がり、今まで聞いたことのないような甲高い嬌声が上がる。
暗闇のせいで彼女の様子が何1つ見えないことが、逆に眼前の雌竜の痴態を生々しく脳裏に描き出していくのだ。
「そ、そろそろ・・・い、入れるよ・・・?」
「あふっ・・・あふぅ・・・」
尻尾の先に残った熱く柔らかな膣の感触。
トロリと垂れ落ちる愛液の雫がジワジワと鱗の中に染み入ってくるようで、この上もなく切ないジンとした疼きが全身に広がってくる。

僕はあくまで躊躇いがちに、だがそれでいて眼は爛々と輝かせながら彼女に迫っていた。
そして肯定の返事を待つまでもなく、ギンギンに張り詰めた怒張を濡れそぼった割れ目の中へとゆっくり押し入れていく。
そんな彼女の膣は先の尻尾の挿入で多少は拡張されたのか、ほとんど何の抵抗もなく僕の肉棒を根元まで呑み込んでいった。
ジュ・・・ジュブブ・・・
「う、うあっ・・・!」
「あ・・・あはっ・・・」
肉棒の先がねっとりと滴る愛液に浸された途端に、全身をまるで電流にも似た凄まじい快感が走り抜ける。
「き・・・気持ちいい・・・」
やがて雌雄の交わりに潜んでいた無上の甘美な刺激に神経が焼き尽され、体を支えていた両腕からも力が抜けてしまった僕は彼女のフカフカの腹の上にドサッと倒れこんでしまっていた。

「はぁ・・・はぁ・・・」
興奮に張り詰めた肉棒が卑猥な水音とともに熱い肉襞に埋もれただけで、手足の先までがビリビリと痺れていく。
僕と同様荒くなった彼女の呼吸がその蜜壷にやんわりとした脈動となって伝わり、根元まで咥え込まれた雄が優しくも荒々しい荒波に揉まれて愛撫されていた。
「うっあっ・・・お、お母・・・さん・・・」
産まれて初めて味わう強烈な性の快楽には自力で抗うことなど到底できるはずもなく、僕はフカフカと上下に揺れる彼女の暖かい腹の上に力なく倒れ伏したまま助けを求めるばかり・・・

クチュッ・・・グッチュ・・・
「はぁ・・・あ・・・ぼ、僕、もう・・・」
あ、頭がどうにかなってしまいそうだ・・・
膣から肉棒を引き抜こうにも手足の力は完全に抜け切ってしまい、今やほんの少し首を持ち上げることすらままならない。
だが彼女の膣はなおもいやらしく愛液の弾ける音を響かせながら僕の肉棒を挟みつけ、上下に扱き上げては長年待ち望んでいた雄の白濁を搾り取ろうと蠕動を繰り返している。
「うふ・・・ふ・・・い、いいわぁ・・・早く・・・私の中に出してぇ・・・」
ギュゥゥ・・・
そして傍目には全くの無抵抗に見える彼女の肉襞が、雌雄の結合部で主の願いを叶えるべく身を躍らせた。

ギュッチュ、グシュゥ、グリュゥッ・・・
「あ・・・ああぁ・・・だ、だめえぇ・・・」
ほんのわずかな抽送すらしていないというのに、肉棒へと襲いかかる桃色の粘液を伴った無数の淫唇のロンドに意識がだんだんとぼやけていく。
僕は唯一自由の利く尻尾を地面に突っ張って何とか彼女から体を離そうと試みたものの、それすらもが彼女の尻尾でクルンと巻き取られると、いよいよこの快楽の底無し沼から脱出する手段を完全に失ってしまっていた。
ジュル・・・ジュルジュルル・・・
「ほら、早く出して・・・早くぅ・・・」
「ああん・・・が、我慢できないぃ〜・・・!」
ビュルッビュビュビュ〜〜〜〜ッ!!
「うあああああああぁっ・・・!」
互い違いに蠢く肉壁に限界寸前の雄を磨り潰され、僕は首だけを精一杯仰け反らせると屈服の嬌声を上げていた。
頭の中が真っ白になってしまうかのような凄まじい刺激が全身を駆け巡り、肉棒だけがただただ僕の意思とは無関係に熱い命の雫を彼女の中へと注ぎ込んでいく。
交尾の相手がこれまでずっと母親として慕ってきた雌竜であるという事実が、そしてその無抵抗な彼女に成す術もなく精を搾られてしまったという雄として耐え難い屈辱が、却って僕の興奮を数十倍にまで増幅していった。

キュッ・・・ギュグッ・・・
「あ・・・ふぁ・・・っ・・・」
やがて渾身の締め上げに精の最後の一滴が搾り取られると、僕は再び彼女の腹の上に崩れ落ちていた。
いくら静めようと思っても一旦荒くなった呼吸はなかなか収まる気配を見せず、快楽の余韻が新たな疼きとなって全身に広がっていく。
「ど、どうだった・・・?」
どうもこうもあるものか。
僕はただ勢いだけで彼女を地面の上へと押し倒し、そして自らは彼女をこれっぽっちも満足させることなく成すがまま無様に精を放ってしまったのだ。
普通なら尻尾の先で頬を叩かれた挙句、きつく侮辱されて詰られることだろう。
だが、夜明けを間近に迎えた快晴の空から洞窟の中へと降り注いだ薄明かりは、僕の予想とは異なる表情を彼女の顔へと浮かび上がらせていた。

「ふ・・・うふふ・・・とってもよかったわぁ・・・」
心の底から満足げな表情を浮かべながら、彼女が熱い吐息を漏らしていた。
10年近くもずっと待ち焦がれていた番いとの交尾が、そしてあのふくよかな腹の内に宿ったであろう新たな命が、紅色に顔を火照らせた彼女に母親としての美しさと強さを授けていったように見える。
そしてようやく若い雄竜と結ばれた妻は僕を抱えたまま仰向けになっていた体をゴロンと転がすと、すっかり熱を帯びて暖かくなった地面の上に横になった。
「ありがとう・・・私・・・夢が叶ったわ」
背中に回された彼女の腕に力がこもり、柔らかい彼女の腹に僕の腹がギュッと押しつけられる。
「ほら・・・何か感じない・・・?」
彼女にそう言われて、僕はぴったりと密着した腹から何か脈動のようなものが伝わってくるのを感じていた。
初めは彼女の心臓の鼓動かとも思ったが、周期の異なる2つの波が皮膜に覆われた腹を通して流れ込んでくる。

「う、うん・・・感じるよ・・・」
それは紛れもなく、まだ卵にもなっていない新しい命が芽を吹いた瞬間だった。
後もう数日もすれば、彼女は待望の我が子を、僕達の子供を産み落とすことだろう。
「よかったね、お母さん・・・」
「だめよ、もう私をお母さんなんて呼ばないで・・・だってあなたは・・・今はわたしの夫なんだから・・・」
「そ、そうだね・・・でも・・・なんか照れ臭くて・・・」
そう正直に自分の胸の内を吐露すると、彼女の顔に優しげな笑みが浮かんだ。
「その内に慣れるわ。それに・・・私はもうあなたを子供扱いなんかしないからね」
「ど、どういう意味?」
「つまりね・・・私と子供のために、獲物を獲ってきて欲しいってことよ」
獲物を獲ってくること・・・確かにそれは子供ではなく母親の役目だが、同時に妻ではなく夫の役目でもある。
僕はわかったとばかりに大きく頷くと、自分からも妻の体を力強く抱き締めていた。


それから1週間後、僕と妻は揃って寝床の上に置かれたたった1つの小さな卵を食い入るように見つめていた。
もうすぐ僕にとっては初めての、妻にとっては本当の子供が、あの殻を破って生まれてくるのだ。
「どんな子が出てくるんだろうね?」
「私とあなたの子供ですもの・・・きっと可愛い子よ」
まあ・・・それはそうかもしれない。
何しろ彼女は、子供の父親となる僕の方にも産まれた時から一方ならぬ愛情を注ぎ続けてきてくれたのだ。
そんな10年越しの夢の結晶である僕達の子供が、可愛くないはずがない。

ピキッ・・・
やがて息を呑む静寂の中に卵の割れる音が響き渡り、その中から小さくて可愛らしい仔竜の手が覗く。
そしてパキャッという音と共に砕けた卵の中から薄い桃色の体毛を纏った子供が無事に姿を現すと、僕と妻はホッと大きく安堵の息をついていた。
小柄な妻の産んだ卵から孵ったせいか仔竜は僕にも片手で持ち上げられそうなほど小さかったけれども、多少は僕にも似たのか後頭部からは立派な2本の角を生やし、手足の先からは尖った爪が生えている。
そして外見の違う両親の姿を目に焼き付けたのか、仔竜が可愛らしくも甲高い鳴き声を上げた。
「キュウゥ・・・」
「僕達、やったね・・・」
「ええ・・・とっても可愛い子だわ・・・」
胸の内に湧き上がる静かだが激しい歓喜・・・
その感情に押し流されたのか僕と妻はお互いにガシッときつく抱き合うと、やがて腹を空かせた仔竜にせっつかれるまでそんな甘い幸福に浸り続けていた。