【カディーマ】

2005年、アリエル・シャロンによって設立されたイスラエルの政党。2006年3月の選挙で勝利。

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第2次シャロン政権において、分離計画をめぐり、シャロンの政策に反対する「反乱者」なるグループがリクード党内で誕生。計画に反対する大臣の解雇や党内選挙の無視などにより、党内のシャロン反対派を増加。ガザ撤退数日前、ネタニヤフ財務相(当時)が辞任。これにより、ネタニヤフは「反乱者」のリーダーとなる。

2005年9月、シャロンが党首選で勝利したものの、「反乱者」との確執は続き、シャロンは大臣の任命が却下される。イスラエルで最も強い政治組織、リクード中央委員会に「反乱者」の中枢があったことから、シャロンは今後の政策執行は不可能と判断。あわせて、11月にはアミール・ペレツが労働党党首線で勝利。連立政権は終わりを告げる。

これにより、リクード中央委員会や「反乱者」に気を使わない政治政策を実行する為、リクードとの決別を決定。これにより、カディーマ党結成が本格的となった。



2005年11月、アリエル・シャロンはカディーマ党結成を発表。その後、内閣に不信任案が提出され、シャロン内閣は崩壊。新党にはリクードのシャロン派、ペレツの党首就任に不満を持つ元労働党党員などが参加した。

参加を決定した中には、労働党党首選でペレツに敗れたシモン・ペレス元首相、シヌイ建設者の1人ウリエル・ライヒマン、リクード臨時党首のツァヒー・ハネグビー、リクード党首選に出馬していたモファズ国防相(当時)などがいる。


2005年12月、シャロンが脳卒中で入院。シャロンは復帰したものの、カディーマを「シャロンの党」としてきた党指導者らは、「シャロンが選んだメンバー」と方向転換。この方向は、シャロンの2度目の入院で決定的となる。



シャロン復帰が不可能となると、エフード・オルメルト首相代理が党首を引き継ぐ。2006年3月の選挙で、オルメルト率いるカディーマ党は29席を獲得し第1党となる。

カディーマの政策:
  • 「ユダヤ的で民主的国家」としてのイスラエルの維持
  • ロードマップに基づく最終的国境の画定
  • テロとの戦い
  • 大きい入植地を維持しながら、分離壁建設終了
  • 首都エルサレムの維持
  • 平和と平等の推進
  • 年金増加と厚生省認可薬品の適応範囲の拡大
など





参考:
http://he.wikipedia.org/wiki/%D7%A7%D7%93%D7%99%D7...
2007年01月24日(水) 00:26:16 Modified by moshejp




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