【シャウル・モファズ】

イスラエルの交通大臣(2006〜)。元国防相(2202〜2006)。元参謀総長(1998〜2002)。

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1948年、イランで生まれる。1957年、家族と共にイスラエルに移住。

1998年、参謀総長に任命される。2000年には、バラク首相(当時)にレバノン撤退の準備を任される。レバノンからの一方的撤退には反対していたものの、参謀総長としてレバノン撤退を指揮する。

2000年10月、エルアクサ・インティファーダが勃発。イスラエル軍とパレスチナ武装組織の衝突は、イスラエル国内でのテロ攻撃へと発展する。

第一次シャロン政権(2001~2003)では、シャロン首相(当時)、ベンエリエゼル国防長官(当時)と共に、「パレスチナ側には和平交渉のパートナーがいない」為、まずイスラエルは「テロに屈さない」事を「軍事的に見せ付ける」という方針をとる。

その為、ジェニン、ラマーラ、ベツレヘムなどのパレスチナの都市への侵攻などが行われた。

2002年7月、退役(後任はモシェ・ヤアロン)。


2002年、国防長官に任命され、リクード党に入党する。しかし、最高裁判所が参謀総長は退役後、しばらく国会入りできないことを決めた為、議員にはなれなかった。


新内閣は前内閣と同じく、「和平交渉のパートナーが出るまで、軍事的にテロを防止する」という方針をとる。これにより、方針に反対する軍人の軍令拒否が問題となった。

国防長官就任当初、分離壁建設とガザ撤退には反対していた。反対理由は交渉無しに撤退は行わないとした。しかし、シャロンの決心が固かった為、撤退賛成派となる。

2003年のイラク戦争では、国民にガスマスク携帯を義務付ける(結局ガスマスクは使用されなかった)。また2004年には、エルハナン・タネンバウム氏と2000年に誘拐され殺害された3人の兵隊の遺体をイスラエルに戻す為、イスラエル刑務所に逮捕されていたヒズボラの幹部の釈放を指示した。

エルハナン・タネンバウムは、結局、何故レバノンに行ったのかなど、色々不信なところもあり、この交換はかなり非難を浴びた。その他には、軍隊内の改革を約束。改革の内容は予備軍にかかる負担を減少する事。


2005年リクード党首選に出馬するが、カディーマに移籍。2006年総選挙では、カディーマ党員として国会入り。交通相に任命される。



参考:
http://he.wikipedia.org/wiki/%D7%A9%D7%90%D7%95%D7...
2006年05月03日(水) 01:08:24 Modified by moshejp




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