【ヒズボラ】

シーア派のテロ・ゲリラ組織。また、レバノンの政治的組織でもある。レバノン・シーア派、イランとシリアから支持を得ている。名前の意味は「神の党」。

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ヒズボラは、80年代、イスラエルのレバノン侵攻(→レバノン戦争)を受け、誕生した。同時期、イスラエル撤退とイスラム国家樹立のために、多くの革命防衛隊員がイランから送られる。1985年、ヒズボラは正式に自らの存在を明らかにし、イスラエル軍と南レバノン軍の最大の敵になる。同じ時期、ヒズボラは、イスラエル北部へのミサイル攻撃を開始する。

1992年、ヒズボラ指導者がイスラエル空軍により暗殺され、ナスラーラが議長となる。ナスラーラ就任後、ヒズボラは宗教的にも政治的にも過激化する。同年、政治的活動を開始し、国会入りを果たす。

2000年の南レバノンからの撤退の際、イスラエルはドブ山(アラビア語ではシェバア農場)がシリアから占領された土地であり、撤退する必要は無いとした。国連はイスラエルの主張を受諾。しかし、ヒズボラはドブ山がレバノン領であるとして反対。そのため、兵士拉致殺害やイスラエル軍基地への攻撃など比較的小規模な作戦を取ってきたが、直接対決の代償を知っているヒズボラは、2006年まで大きな戦闘を避けてきた。イスラエルも同じ理由から、直接対決を避けてきた。

また同時期、ヒズボラは武器密輸などで、パレスチナ武装祖引きへの援助は拡大する。特にエルアクサ殉教旅団へ援助をしている。



2006年7月、ヒズボラがイスラエル兵2人を拉致する事件が発生。イスラエルはこれに対し、ヒズボラ司令部などを攻撃。ヒズボラは報復として、ハイファ、ナザレ、アフーラなどのイスラエル北部の町へカチューシャ攻撃を開始する。ヒズボラが使用している武器は主に、シリアやイランから入ってきているといわれている。

ヒズボラの戦法
小規模部隊 軍にとって、小規模な部隊は戦いにくい相手であるため、この戦法をとる場合が多い。また、時限爆弾など使用することもある。

民衆との同化 ヒズボラは学校や病院なども建設している。その代わり、非戦闘地から攻撃し、非戦闘地へ逃げる戦法をとっている。また2006年のレバノン危機では、南レバノンの住民の避難を防ぎ、被害を大幅に拡大したといわれている。

心理作戦 ヒズボラが最も多く利用する戦法。特にヒズボラ系のテレビ局アル・マナールを利用し、自らを「イスラエルからレバノンを守るヒーロー」としている。同テレビ局の放送で、ヒズボラのリーダー、ナスラーラはイスラエルやアメリカを軽視し、ヒズボラのイメージ改善することが多い。

ヒズボラは、アメリカ、イギリスやEUからも、テロ組織として認識されている(EUは宣言のみ)。


また、麻薬、車盗、偽札偽造などの犯罪にも関わっている。
2006年08月04日(金) 23:19:38 Modified by moshejp




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