【ビンヤミン・ネタニヤフ】


第9代イスラエル首相(1996~1999在任)。2005年8月、辞任するまで、財務大臣もやっていた。愛称は「ビービー」。

政治的には右より。経済的にはアメリカ式資本主義。

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1949年10月、テルアビブで生まれる。歴代首相の中で建国後のイスラエルで生まれたのは彼一人である。1963年、家族と共にアメリカに移住。六日戦争勃発(1963年)を受け、イスラエルに戻り、軍隊任務に就く。

MIT建築学部と経営学部卒業。

1991年、リクード党党員として国会入り。副外相に任命される。職務中、スポークスマンとしての才能とテレビの移りのよさが注目を呼ぶ。

1992年の党内選挙では、ダビッド・レヴィ外相(当時)、ベニー・ベギン(ベギン元首相の息子)、カツァブ(現大統領)などに勝ち、党首となる。リクード党党首として、ラビン政権とオスロ合意を「テロを増やす」として批判。右派の集会にも参加。ラビン首相暗殺後は、暗殺を扇動したとして非難を浴びる。



1996年の選挙では、有力候補の現役シモン・ペレス首相を破り当選する。勝因は、当選前に相次いだテロ、テレビ討論での勝利や、レバノンでの失敗からパレスチナ系イスラエル人がペレスに投票しなかったことなどがある(他にも色々)。

ネタニヤフ政権の主な特徴は、オスロ合意後の、パレスチナ自治政府との交渉。この時代、和平交渉は進まなかった。ラビン政権の時ほどの全身は無いにしても、バラク政権のときほどの後退も無かった。

1999年の総選挙ではエフード・バラクに敗北。政界を一時的に去る。リクード党党首にはアリエル・シャロンが就任。

2000年のバラク政権崩壊を受け、政界に復帰。しかし、2001年の選挙には出ず、ネタニヤフよりも人気が低く、「当選不可能」といわれたアリエル・シャロンが出馬。シャロンは首相に就任する。ネタニヤフは、第一次シャロン政権(2001~2003)では外務大臣を勤める。

2003年の総選挙後、第2次シャロン政権が発足。ネタニヤフは外務大臣の座を要求したものの、シャロンはネタニヤフを財務大臣に任命。


ネタニヤフの経済的思想はアメリカ滞在に大きく影響されている。保守的な資本主義者。財務大臣就任後は、サッチャー式の方針、つまり、国の出費の削減、福祉削減、国営機関の民営化、労働組合の弱体化などを目指す。

政治面では、始めはガザ撤退を支持するが、アラファト議長の死後は、撤退の条件が変えられなければ辞任すると通告。2005年7月、内閣会議で突然辞任。理由は「ガザがテロの温床になる恐れがあるから」とされた。

ネタニヤフ在任中、イスラエル経済は西側諸国で最も大きい背長を遂げ、インフレは最も少なかった。しかし、貧困率は急激に上がった。


2005年12月、リクード党首選で勝利。2006年総選挙では、13議席しか獲得できず、カディーマに大敗。第3政党に転落する。



参考:
http://he.wikipedia.org/wiki/%D7%91%D7%A0%D7%99%D7...
2006年05月03日(水) 07:54:52 Modified by moshejp




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