【エフード・バラク】

第10代イスラエル首相(在任1999~2001)。この人が首相だった時、レバノン撤退が行われ、エルアクサ・インティファーダが勃発した。

一時は政界を離れていたが、戻るときはかなりイメージチェンジして帰ってきた。

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1942年2月、建国前のイスラエルのキブツで生まれる。

1991年参謀長官に任命される。

1994年、ヨルダンとの平和条約に関わり、シリアとの交渉に派遣される。

1995年7月には内務大臣に、ラビン首相暗殺後のペレス内閣では外務大臣に任命される。1996年の総選挙では労働党から国会入りし、1997年には党内選挙の結果、労働党党首に就任する。

1999年の総選挙では、ビンヤミン・ネタニヤフを破り、首相に就任する。


2000年のシリアとの和平交渉は失敗に終わる。バラクがグリーン・ラインまでの撤退を提案したのに対し、シリアは67年の国境までの撤退を要求。(違いは、シリアとの国境がガリレア湖に接するかどうかという事)

2000年5月、レバノン撤退を指示。この間、経済はITバブルとミレニアムの祝典などでイスラエルの経済は、1996年からの景気の後退に一時期ストップがかかった。

パレスチナとの和平交渉が失敗した後、2000年9月にエルアクサ・インティファーダが勃発。これと同時期に、10月事件が起きる。これを機にアラブ人の信用を失う。

2001年の総選挙ではアリエル・シャロンに敗北。政界を後にする。首相を辞めてからは、ハイテクの会社などでコンサルタントをしたり、世界中で公演をしたりしていた。

この間、10月事件を調査したオール調査委員会は、バラクを有罪にするが、後任だった為、特別な処置はなされなかった。

2004年5月、政界に復帰。一時は労働党の党内選挙への出馬を表明するも、当選する可能性が低いと分かると、ペレスを支持。2005年9月11日、正式に出馬取り消しを発表した。




参考:
http://he.wikipedia.org/wiki/%D7%90%D7%94%D7%95%D7...
2006年07月26日(水) 04:07:14 Modified by moshejp




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