【ナザレ】

イスラエル北部の町。新約聖書によると、イエスが育った町。イスラエルで最大のアラブの町。

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古代ナザレが現在のナザレと同じであるかは定かではない。しかし、キリスト教では、マリアが受胎告知され、イエスが青年期まで過ごしたと言われている。

当初、町はユダヤ人のみ住んでいたが、キリスト教がローマの国教となると、多くのキリスト教徒が5世紀にキリスト教会が建てられ始める。イスラム統治時代、キリスト教徒はあまり住んでいなかったが、十字軍遠征と共に、住民の多くがキリスト教徒となる。19世紀になると、また多くの教会が建てられる。

1918年、イギリス統治が始まる。1926年、住民の3分の1がイスラム教徒で他がキリスト教徒。ユダヤ教徒はほとんどいなかった。1926年、北部のユダヤ人中心地としてアフーラが作られると、ナザレへの入植は止まる。

イスラエル建国当初からナザレは最大のアラブの町となる。1957年にはナザレの隣に「ユダヤ人のナザレ」、ナザレ・イリットが誕生する。この際、多くの土地がユダヤ人に明け渡されたため、1958年の「土地の日」は大規模な暴動に発展する。

ナザレの主要人物として詩人でもあるタウフィック・ズィアド議員が知られている。イスラエル共産党のズィアド議員は1975年にナザレ市長に選出。1994年まで、市長を続ける。長い間、共産党とアラブ系市民のリーダーとなる。

1995年には、ミレニアムの準備が開始し、2000年にはローマ法王ヨハナン・パウルス2世がナザレを訪問する。2000年には、受胎教会の近くのモスク建設計画により、キリスト教徒とイスラム教徒の争いとなり、2002年に建設場所が変わるまで続く。

2000年の10月事件では、ナザレ市民2人が死亡する。


現在、ナザレは16.5平方キロメートル。人口は63,800人。住民の多くはアラブ人(66.7%がイスラム教徒、33%がキリスト教徒)。ナザレは周りのアラブ系村の中心地でもある。ナザレの経済は、エルアクサ・インティファーダと10月事件により、外国人観光客とユダヤ人の訪問が大幅に削減されたことから大打撃を受ける。現在、ナザレの経済はゆっくりと回復中。
2006年07月23日(日) 16:58:45 Modified by moshejp




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