【ナハリア】

イスラエル北部の町。面積は10.5平方キロメートル。人口は49,300人(2005年現在)。全体の97.3%がユダヤ人。1961年、市に認定される。

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ドイツでナチスが政権を握ると、多くのユダヤ人がドイツを脱出し、パレスチナにも大規模な移民が始まる(第5アリヤー)。1934年、「ドイツ系ユダヤ人対策本部」により、アッコ北部の土地が購入される。スペイン南部の町モンテ・アルガイダを参考に、農業地帯となる。

1935年に入植が始まる。当初希望は大きかったものの、農業は始め失敗に終わる。原因は、周りのアラブ系農村の野菜果物が安かったことと、鶏の病気がはやったことによる。しかし、イチゴ、アスパラガス、ピーマン(胡椒?)などは成功する。

40年代になると、農業よりもホテル業が重視されるようになる。ヨーロッパ風の風景が見られるとして人気となり、1938年当初100人だった客も、1947年には20,000人に上る。

また食料産業も盛んになり、アイスクリームとチーズのシュトラウスや精肉会社「ナクニック・ナハリア」などもこの頃誕生する。

またユダヤ難民の移民が制限された40年代にも、不法入国者を乗せた多くの船を入港させる。パレスチナ分割案によると、当初ナハリアはアラブ側に明け渡される予定だったが、独立戦争と共にイスラエル領となる。
2006年07月23日(日) 16:51:22 Modified by moshejp




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