【ファタハ】

PLO主流のパレスチナ解放組織。昔はアラファトが組織の委員長だったが、今はアッバス。

今までは絶対的権力を持っていたが、アラファトが死んでからは弱体化中(それに伴いハマスが強くなっている)。

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1959年10月創立(公的には創立したのは1965年1月とされている)。

アラブ諸国は1964年、PLO(パレスチナ開放組織)を創立。しかし、これは傀儡組織だった。アラブ諸国はパレスチナの依存を深めようとするが、六日戦争(1967)の大敗で不可能となる。

これを機に、ファタハをはじめとするテロ組織がPLOをのっとり、ファタハの委員長だったアラファトがPLO議長に選ばれる。アラファトは2004年に死ぬまで、この座にいた。

始めは占領地に組織の中核を作ろうとするが、失敗した為、ヨルダン渓谷に作る。ヨルダン軍とパレスチナ武装組織の衝突(通称「黒い9月事件」)があった後、ファタハをはじめとするPLO幹部らはレバノンへ移る。


ファタハは西ベイルートを中心に活動し、南レバノンを支配していた。この間、イスラエルに対するテロを続行。

イスラエルに対するテロ関与の非難を防ぐ為、テロ組織「ブラック・セプテンバー」を創立。ファタハとブラック・セプテンバーの関係は、ミュンヘンオリンピックでのイスラエル選手殺害後、明らかになった。


レバノン戦争中、ファタハはPLOの主流だった為、PLOがレバノンから追放された時、一番ダメージを追ったのがファタハだった。


その後、第一次インティファーダが発生(1987)。インティファーダはファタハの力を弱めた。これは、ハマスや他の政治的組織が生まれた為。この頃から、テロへの関与を否定する組織のトップと、テロを続ける現場のギャップが生まれてくる。


パレスチナ自治政府が発足すると、ファタハは政権を取り、幹部は政府内の職に就く。自治政府発足からエルアクサ・インティファーダ勃発までの間、ファタハの権力は強まり、占領地でも絶対的な権力を持つ。


エルアクサ・インティファーダ勃発以降は、ファタハもテロを再開(多くの場合は、エルアクサ順教団などの、ファタハ内部の小さな組織を使って)。

これを機に、ファタハの衰退化が決定的になり、アラファトの死後は、重大局面に面している。新しい自治政府議長もファタハ幹部(アッバス)だが、組織の弱体化は進む一方。それがファタハの今の状況。


2005年選挙では、ハマスに敗北。政権を譲る。



参考:
http://he.wikipedia.org/wiki/%D7%A4%D7%AA%D7%97
2006年05月03日(水) 21:54:02 Modified by ka1003




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