2016年(平成28年)7月15日(金)

死は愛を待たない。

夜、明日開かれる「日中詩人文化交流」の打ち合わせをする。






2016年(平成28年)7月14日(木)

夜に途中から、ファミリーストーリー「森三中 大島美幸」を観る。この番組は庶民の現代史である。シーツと掛け布団を洗った。寝床が気持ち良い。





2016年(平成28年)7月13日(水)

午前7時頃に起床する。考えが足りないことが問題となる。極力、よく考えて行動する。それでも問題は起きてしまう。考える習慣を身につけること。物欲、性欲、金銭欲に囚われて行動することは周りの人を不幸にする。考えることは咀嚼に似ている。よく噛んで食べること、よく考えて行動すること。
夕食後、ためしてガッテン!「毛細血管ケアで若返り」を観る。人間の血管の内99%が毛細血管である。毛細血管のゴースト状態とは血流が途絶えている状態をいう。壁細胞が剥がれてしまう。浮腫みがサインの一つになる。






2016年(平成28年)7月12日(火)

3時前に目が覚める。一人一人が凌ぎを削っている。早朝4時半ごろにシャワーを浴びる。移民抜きでEUは初めて人口の自然減少となった。人口減少の1位はブルガリアで、増加したのはアイルランドだった。EU全体では移民受け入れのために増加している。
時間は直線的に進むのではなく、螺旋階段を上がるように進むのではないだろうか。自分の意識は行きつ戻りつしている。僕は過去に生きる人間だ。懐かしさは未来よりも今よりも、過去にある。魂こそ表現しなければならない。懐かしさの源は魂にあると思うからだ。魂は分析して分かるものではない。強い人間になりたいのであれば、愛することである。愛によって確信を得ることが出来る。






2016年(平成28年)7月11日(月)

わけのわからない世界に入って、自分を見失ってはならない。裏切られた人も、真実の愛を夢見ている人も、幸せの絶頂にある人も、孤独は深い。これから先、どうやって生きていくというのだろう。何ということだろう知らぬまに、未来は僕の足元まで来ていた。振り返っても、もう帰るところはない。今と未来が接近している。眠れぬ夜を過ごす。Enyaの曲を聴く。
夜に、プロフェッショナル 仕事の流儀「デジタルクリエイター・猪子寿之(39歳)」を視聴する。幼少期より、変わった子と見られていた。社員400を抱える組織の長である。





2016年(平成28年)7月10日(日)

選挙の日の朝、7時頃に目覚める。投票は期日前投票をしている。ダーウインが来た!で「オオムラサキ」と「ハンミョウ」の生態を観る。午後3時頃に日曜美術館「熱烈!傑作ダンギ ルノワール」を観る。BSで大河ドラマ「真田丸」を観る。何としても乗り越えねば、と言う台詞。選挙結果が気になりだす。選挙速報が始まった。憲法の行く末が関わってくる選挙なので、注視する。もう体制が判明している。あっけない。憲法護持が難しくなってきた。大変な選挙結果になってしまった。憲法が危ない。平和憲法が伐採されようとしている。言葉がない。池上彰の舌ぽう鋭い質問に幾らか救われる感じがする。
BS朝日で、「ニッポンの深海 大冒険〜東北沖 流れたガレキは今」を観る。深海でガレキが漁礁となっていた。JAMSTECの活躍を知る。
自分の嫌なところは、直ぐ謝るところだ。謝る前に直ぐにやってしまえば良かったのに。グズグズして遅くなってしまうこと。遅くなったことを謝るのだ。その繰り返し。自分に惚れるところなし。謝ることの慣れは、自分の人生の言い訳に繋がるようで嫌なことだ。






2016年(平成28年)7月9日(土)

7時頃に目覚める。身体が重い、疲れが出たようだ。身体を休めようと思う。ダラスで市街戦のような発泡事件が起きたが、アメリカの銃社会はもう限界がきているように思う。不幸はアメリカからやってくるのだろうか。僕のアメリカン ドリームは銃社会からの解放である。
総合診療医 ドクターG「まさか腰の骨が・・・」を観る。患者は二度の圧迫骨折を経験。原因となる病名は?が今日のテーマである。骨粗鬆症、多発性骨髄腫、クッシング病は脳下垂体の異常で、cortisolが多く出る。昼間眠くなったり、骨粗鬆症を発症させる。閉経後に骨粗鬆症は起きる。エストロゲンが減少するために、骨が溶ける。エストロゲンは骨を溶かさないようにする働きを持つ。甲状腺機能亢進症と副甲状腺機能亢進症の症状が説明される。食欲はある。体重が3〜5kg増える。野牛肩(バッファローハンプ)、グッスリ眠れない。クッシング病とクッシング症候群の違い。ACTH(副腎皮質刺激ホルモン)、血液検査、脳下垂体→ACTH→副腎、デキサメタゾン→デキサメタゾン抑制試験の結果だけでは脳下垂体が悪いのか、副腎が悪いのかはまだわからない。ACTHの検査もしなければならない。最終の病名は副腎性クッシング症候群だった。患者は左の副腎を切除した。結果、症状は改善された。
日々の勉強が欠かせない。自分が死を迎えるまで続く。そして死を迎えることも勉強と考える。自分がどのような死に方をするか分からない。肉体は崩壊するだろうが、精神は一体どのようになるのかが知りたい。死を思うことは今の自分の在り方をあぶり出す。雑になっている思いと行いを鎮めてくれる。重しのように。







2016年(平成28年)7月8日(金)

3時半頃に目覚める。静けさが寄り添っている。病気を抱えることは必然的に自分と向き合わざるを得ない。簡単な病気でない場合は不安な日々が続くことになる。精神的にも、経済的にも追い込まれてゆく。社会的な繋がりも心許ない。社会的な支援がなければ生きていけない人もいるだろう。社会福祉の発展を国家の中心に置くべきだと考えます。経済活動は何のためにやっているのか、今一度考えるべきです。社会福祉が経済活動のお荷物だと考えるべきではありません。大きく言えば人類の福祉のために経済活動はあるのです。貧困が戦争の下地です。一部の人間だけに富が集中する経済システムになりつつある今、新たな国家像を描く必要があります。政治家が何々ミクスと名付けて経済政策を推し進めても、市場経済はもっと強力です。市場経済を無視した経済政策は失敗するでしょう。市場経済、市場原理の方向性を見定めながら、柔軟な対応出来る経済政策出なければなりません。市場経済は日本の都合で動いているのではありません。貧富の差は東京一極集中と連動しています。子どもの貧困問題は深刻度が増している。僕が思い描く社会福祉は政治、宗教、性、年齢を超えていくものです。世界各国でコミュニケーションの基本ともなり得るものです。未熟ですが、これらのことを考えながら発展させていきたいと思います。






2016年(平成28年)7月7日(木)

約束の場所に行ったのだが、その人は終に現れなかった。そこに時間も忘れて立ち尽くしだが、心は乱れることなく不思議と穏やかだった。そして奇妙なことに幸せな気持ちさえ味わっていた。無駄となった時間かもしれないが、自分は約束を果たしたという満足感、そして約束した場所に行くという行為が自分にとっては珍しいことだったからかもしれない。人は約束の場所に赴く日が必ずやってくる。人は病いに苦しんでいる。詩人とは言葉の花束を持って、約束の場所に赴く人のことである。深夜に目が覚め、眠れない夜を過ごした。そして今、朝を迎えた。まだ眠たいが少しでも眠れて良かった。今日も真実であるように願う、ただそれだけである。朝も嘘ではなく、真実であるために来たのだから。自分もそのようにありたい。
外に出ると既に目玉焼きが出来るように暑い。家の中に居た方が無難ではあるが、そうも行かない。目的地に向けて出発する。この暑さと体力勝負である。どうなることやら、熱中症で救急搬送だけは御免こうむりたい。今日一日歩いた距離は5kmほどになっていた。暑いのによく歩いた。明日、疲れが出なければいいのだが、少し心配である。夜、池袋へ出て、淑徳大学池袋サテライトセンターで文芸講座を受講する。講師はFBFの神山睦美氏だった。ハンナ・アーレント著『人間の条件』。





2016年(平成28年)7月6日(水)

6時頃に目覚める。陽気だけでもだめ、陰気だけでもだめである。長生きは難しい。陰気と陽気が合わさることで均衡が保たれる。生とは太極の中にある。太極は陰と陽を併せ持ったものだ。陽が男で陰が女である。月が陰で太陽が陽である。陰と陽を併せ持つとは虎と鶴を併せ持つことを意味する。中国思想の勉強も継続してやる必要がある。特に老子の思想を中心にこれからもやっていくつもりだ。鍼灸の世界だと必然的に孔子よりも老子となる。老子を手がかりに中国思想に接近する。「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。」(『老子』第四十二章)
NASAの惑星探査機ジュノーが木星の軌道に乗ったそうだ。木星のことが今よりもっと明らかになるだろう。
午後に散歩に出る。距離は4.12km、歩数は7652歩だった。昨日から細やかなことなのだが、今までになかったことが自分に起きている。それは散歩の途中などで立ち寄ったセブンイレブンで、買い物したらクジを引いて下さいと言われ、箱の中からクジを一枚引いたのだが、当たりクジで飲み物が一本貰えたのだった。それが昨日二回、今日一回合わせて三回連続して当たりクジだった。人それぞれの生き方には厳しさがある。近寄り難いと感じる時は、そのようなことを知る時である。
夜、8時を過ぎてから書斎で読書を始める。キリスト教に限らないのだが、終末思想というものには距離をもって接するようにしている。僕は終末思想に警戒している。終末思想、終末観は魅力的で人の心を揺さぶるところがある。だから批判精神を持って臨むことが大切なのである。人には愛する人が必要である。愛する人がいなければ、物の見方考え方が違ってくる。星空の下に暗い静寂が、二人の温もりを確かめる。静寂は朝露とともに蒸発してゆくだろう。出会うために人は生まれる。明日は七夕。






2016年(平成28年)7月5日(火)

午前2時半頃に目覚めてしまう。しばらく寝床で右や左とからだの向きを変えていたが、いつの間にか眠りについていた。7時頃に目覚める。ウィキペディアでカラヴァッジョの項目を読む。朝食をとりながら、「ノスタルジック ハイウェイ〜アメリカ ルート66をゆく」を視聴する。今日は肌寒い。気温は20°C程で長袖でもいいくらいだ。





2016年(平成28年)7月4日(月)

2時過ぎに床に就く。朝、7時半頃に目覚める。一日の活動を始める。
古代ユダヤ教徒にとって一番大事なことは、契約(ベリト)であった。契約を守るのかそれとも破るのか、それによって生活は大きく違ってくる。契約する相手はYHWH(アドナイ)である。今もユダヤ教徒においては変わらないことだろう。ユダヤ人のidentityはYHWHとの契約に求められる。契約を結ぶためにユダヤの民は多大な犠牲を払い、流浪し、辛酸を舐める。一日が百年のように、百年が一日のように四千年の時が巡った。そのようにしてユダヤ民族のidentityが形成されていった。契約に基づいた生活と偶像を崇拝する生活とでは明らかに違う。これら一連のことを書き記したのが旧約聖書である。旧約聖書に預言者が登場するが決して占い師ではない。預言者とはYHWHとの契約を思い出させてくれる人のことである。偶像を崇拝するところでは占い師はもてはやされるが、預言者は追放されてしまうこともある。なぜなら民にとっては耳の痛いことを、威厳をもって言うからだ。僕がイスラエルの民に関心を寄せるのは、彼らが詩歌を表現の軸としたことである。
今日知ったことはハワイ、オアフ島ノースシュアで起きるbigwaveは北海道近海にある大型低気圧の大波が6000キロも超えて到達したものだったことである。季節は冬となる。
午後3時半から雨が降りだした。政治と宗教の話をする時は要注意である。この二つはどういうわけか、理性よりも感情センターに刺激を与える。スポーツもそうかもしれない。
夜、ワイルドライフ「ミツツボアリ 巨大帝国を築く」を観る。場所はアメリカ、アリゾナ州の砂漠地帯。





2016年(平成28年)7月3日(日)

朝、5時50分頃に目覚める。身支度して散歩に出る。途中セブンイレブンで朝刊を買い、ドトールコーヒー店でコーヒーを飲みながら読む。8時10分頃に帰宅する。歩いた距離は1.52km、歩数は2656歩だった。悲しいニュースが伝えられた。バングラデシュのダッカで安否不明であった邦人7人全員の死亡が確認された。名前、身元は政府の指示により伏せられている。ご冥福を祈る。入浴して体を清潔にしてから、御ミサに与るために教会へ向かう。9時40分頃に着く。聖歌隊近くの席に座る。声を出さずに聖母へ天使祝詞を捧げる。気持ちを新たにして聖堂を出る。11時45分頃に帰宅する。12時からお昼のニュースを見る。亡くなられた邦人の名前と顔写真、肉親へのインタビューが伝えられた。死は突然にやって来る。死は単純である。残されたものの苦悩は深い。イスラム教徒でなかったために殺されたとしたら、日本社会でもじわじわ日本に住むイスラム教徒に対するある種の感情が日本人に湧いてくるだろう。排外とまではいかないが拒否感が出てくるだろう。各国で起きているテロについては多くの日本人が怒りを覚えているだろう。日本にISのメンバー及びシンパがいることを想定しておかなければならないだろう。僕はイスラム教のことはほとんど知らない。知らないが故に誤解と偏見が生まれる。日本のエネルギーを中東の原油、LPガスに依存していることは物事を複雑化している。イスラエルはどこから原油を輸入しているのだろうか。ふと疑問に思った。今回のterrorismによる邦人の死は日本のイスラム各国に対する援助の一貫の中で起きた。それは中東の原油抜きには考えられない。バングラデシュは原油が産出さないが、イスラムという繋がりで考えなくてはならないだろう。夜7時からニュース、半からダーウィンが来た!「里山フル活用!ニホンイシガメ」を視聴する。ニホンイシガメは外国産のカメに抑えられて、絶滅の危機に瀕している。イシガメの食生活はトマト、桑の実、昆虫など雑食である。産卵場所は農業用ビニールハウスの中だったりする。研究者がイシガメにつけた発信器で生態がわかってきた。イシガメが絶滅の危機にあるのは、里山の荒廃、天敵となったアライグマの出現、8000万匹にもなったミドリガメの進出が主な理由である。





2016年(平成28年)7月2日(土)

これからの僕の生は絶対の探求へ向かうだろう。覚悟しなければならない。時間を、未来を考え始めたからだ。今ではなく永遠の今である。絶対こそ僕の生を貫き通す。孤独な探求の旅が始まる。最初にすることは、赦しを請うことだ。赦しとは悔い改めると言い替えてもいい。赦しは簡単なものではない。なぜなら内面のことだからだ。お風呂の水が溢れていれば直ぐ止めるだろう。しかし内面のこととなれば、そうは簡単にいかない。この旅は赦しを請う旅でもある。朝の散歩に出る。体調は普通、意識は清明。学ばなければならない、物の言い方と動作を。人に伝えるとき、お願いをするときに必要である。散歩の距離は3.04km、歩数は5611歩だった。
夜、7時からニュースを見る。バングラデシュの首都ダッカで起きたイスラム過激派による人質立てこもり事件に、日本人が巻き込まれた。外国人がよく利用する高級住宅地域にあるレストランが現場である。日本人のグループ8人がレストランで食事をしていた。武装した過激派6人が「神は偉大なり」と叫びながら、レストランに侵入してきた。レストランを支配し人質にした人々にコーランを言えるかどうかを試みて、イスラム教徒と非イスラム教徒を区別した。イスラム教徒で解放された人もいた。日本人グループはJICAに関連する人たちで、そのうち女性が二人含まれている。建築関係のコンサルタント会社3社で東京に本社を置く。バングラデシュ陸軍の精鋭部隊が立て籠もっているレストランに突入した。過激派の一味と銃撃戦になる。約15分で鎮圧されたが、お店には20人の遺体があった。日本人男性一人が頭部を負傷して病院へ搬送された。残りの7人とは連絡が取れず、安否不明である。最悪の結果が頭をよぎる。生きていてほしいと心から願う。我が同胞よ!全員元気に日本に戻ってきてほしい。




2016年(平成28年)7月1日(金)

自分の生活を複雑化しない、させない。生活を透明度の高いものにすることによって、意識にも良い影響を与えたい。僕はティッシュ一枚取るにも意識して取る、という課題を自己に与えている。外から入って来るものを内面化し、内面化したものを外に出すという行為は意識化されなければ、出来ないと考えるからだ。行為には細胞におけるイオンチャンネルのようなものがなければならない。外から内へ、内から外へ。濃度は一定でなければならない。細胞の中では濃度が常に一定であるように働いているが、意識と行為も安定したものであることが望ましい。何もしないで出来ることではない。六時頃に目覚める。そして一日が始まった。散歩に出る。距離は2.38km、歩数は4037歩だった。考えをまとめるには歩くことが有効だ。歩きながら思い至ったことは、年を重ねたからといって、決して楽になるという保証はない、逆に時間という万力に肉体と精神が締め上げられるということだ。
ドイツでは15年ぶりに出生率が上がった。しかしドイツ国内でも地域差がある。出生率が高い地域はポーランドと国境を接する旧東ドイツの地域である。日本の出生率はどうなるのだろう。
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