スケブ・看板使い無口っ娘(仮題)
『私を拾って下さい』
そういう看板と共に、道端に何やら捨て……娘がいる。
何かの冗談――でなければ世も末だな。
「今日びこんなネタは流行らないよ」
それだけ言って立ち去るつもりだった。
が、少女は何やらスケッチブックを取り出し、太ペンで何やら書き始めた。
『私は至ってまじめ』
あーそうきたか。
そのまま放っておいても見知らぬ人に何されるか分かったものではない。
首を突っ込んでしまったが運の尽き、とりあえず看板を下ろしてもらって後は話し合い。
「で、親は何処?」
そう尋ねると、少女はまた何やら書き始めた。
『いない』
やる気満々かよ。
そもそも何で筆談なんだ? 難聴だとかそういう訳じゃないみたいだし。
「じゃ、行くべき先はお役所しかないな」
ややこしくなりそうなので、手っ取り早く決断を下す。
嘘なら嘘で良いし、本当であってもそれはそれで仕方がない。
『どっか行け』
うわ嫌われた。お互い結論出すの早い。
「ごめんごめん。じゃあ何? 本気で誰かに連れて帰ってもらいたいってこと?」
今度は少女、首を縦に振って答える。
とりあえず公園まで来た。ここなら少し話もし易いだろう。
二人でベンチに座る。さて、どうしたものかな……と、とんとんと少女が肩を叩く。
「ん?」
『ここに住めってこと?』
いや、一々気が早いなこの子は。
「誰もそんなことは言ってない。これからどうするか考えるよ」
ホッとしているよ参ったな。このまま逃げるのも可哀想だし、どうも俺の性格からしてドツボにはまった気がする。
「本当に親いないの?」
こく。
「世話してくれてる人とかは?」
『いない』
先ほどの奴、使い回しとは大したエコだ。
「じゃあ、今までどうやって生きてきたの?」
考え込む少女。が、意外とすぐにペンが動き出す。
『なんとなく』
おいおい。
時間をかけて真面目に訊いたところ、どうやらこの少女の世話をしてくれていた人が自殺したらしく、住んでいた所を追い出されたとのこと。
素性は本人も分からん部分が多いようだし、それ以上は話したくない様子でもある。まぁまだ子どもだし当然だよな。よくここまで話してくれた方――。
――しかしここまで話してくれた以上、こちらも後には引けなくなった。つくづく俺は良い人だ。こんな赤の他人にそんなこと話す方も話す方なら、訊く方も訊く方だよね。
「良い考えが浮かぶまで、預かってやる」
それを聞いて少女は少し驚いた。が、すぐに表情を明るくした。
控えめだが、初めての笑顔。
ええダメ人間です俺は。
少女の名前を訊いていなかった。
『五色草』
ごしきくさ――と読むらしい。変わった名だ。
『俺の名は浅葉英。あさばすぐる』
試しにスケッチブックに書いて返事をしてやったら、結構喜んでくれた。
しかし何故筆談なのか、それも訊いてみたかったのだが……。
『もう少ししたら話す』
といって表情を曇らせた辺り、浅からぬ事情がありそうなので今は追求しないでおく。
俺がこうもコロッと行ってしまうには、ちゃんと訳もある。
可愛いんだなこの子は。本能を擽られるというか――まさか俺は根っからのロリコンなのか?
特に顔立ちが整っていて今は今なりの良さがあるし、成長したら美人になるかも? とも思わせる。
髪型はセミロングで、やややつれた感じなのは事情が事情か。
服装は胸元にプリントの入ったTシャツに、デニムのショートパンツ、肩掛けのサスペンダーを腰元にぶら下げている。
結構ラフで、まだまだ感覚が幼い。
『何?』
ぼーっと見ていたらそんなことを書かれた。
しかし、事が事だ。ひょっとすると……。
「おなか空いてないか?」
暫く考えて、草はやや恥ずかしそうに頷いた。
そうだろうな。そうじゃないかと思った。
「よし。じゃあ好きな物を食べさせてやるよ。何が良い?」
しかしこれ――まるで兄か、でなけりゃ誘拐犯だわ。
彼女はまた暫く考えて、答を出した。
『なんでもいい』
健気な奴。
俺は草を連れて喫茶店へ行くことに決めた。一応、オムライスなんて発想が出来る人間ではある。
「よし、じゃあ行こう」
ベンチからぴょん、と飛び降りる姿を見て、心が和まない俺はいない。
さて、二人でいるのに何が一番自然で良いかと考える。通報でもされたらたまったもんじゃない。
一番無難なのは……とりあえず、絶えず会話をしながら歩くことか。
「あーそうだ。俺、お前のことは何て呼べば良い? 俺のことは英で良いよ」
『草でいい』
「分かった。じゃあ草、これからよろしく」
俺たちは会話の流れで、そのまま握手を交わした。
公園の時よりも、草は何となくリラックスしているようだった。
「草の好きな物って何だ? 俺は猫かなぁ」
訊くたびに、彼女は歩きながらスケッチブックに文字を書く。
『ふとん』
「布団? そうか、寝るのが好きなんだな」
『温かいからすき』
割と無愛想で人見知りが強そうに見えるが、書く内容は正直なんだよな。
そんなやり取りを繰り返しながら、俺たちは歩いた。
「いらっしゃいませ」
喫茶店には割と常連で、マスターともそれなりに仲は良い。
「やぁ、マスター」
「――これはお久しぶりです。今日はまた、素敵な女性をお連れで……こちらへどうぞ」
そしてこのマスターという人種は、決まって空気を読むのが上手い。一種の必須技能なのだろうか。
テーブル席に座ると、俺はオムライスとコーヒーを注文した。
向かいに座った草は、これまでとは一転、何やら表情が硬い。
――ひょっとして、ここは好きじゃなかったのか?
「どうした?」
『こんな所初めてきた』
ああ、緊張していたのか。
「お待たせ致しました、オムライスでございます」
デミグラスソースの香りがテーブルを包み込む。
? という顔つきでそれを見つめる草。まさか、食べたことがないのか。
『いいにおいがする』
律儀に感想を書かれ、思わず苦笑してしまった。
「そんなことは良いから食べてみなって。美味いから」
草は暫く俺を見つめていたが、やがてスプーンを手に取る。
そして恐る恐るその山の一角を崩すと、それを口へと持っていく。
ぱくっ。
「……」
いかん、俺まで一緒に口を動かそうとしていた。危ない危ない。
自分に対する照れ隠しで、先に来ていたコーヒーを一口。
しかし、何かまた感想を言ってくるかとも思ったが――。
ぱくぱく。
――意外に食べ始めたな。やっぱり相当おなかが空いていたのだろうか。
俺がそれを見守っていても、草はまるで気にしない。黙々とオムライスを食べ続けている。
半分ほど食べたところで、スプーンが置かれる。
そしてまたスケッチブックとペン。
『残りは英の分』
そうきたか。予想外だった。
どうやら俺がコーヒーだけ飲んでいるのを見て、気を使ってくれたんだな。
「それは草に注文したんだから、みんな食べて良いよ」
すると納得したのか、またスプーンを取って食べ始める。
何かもう、相当懐かれてない?
『ごちそうさまでした。とてもおいしかったです』
そう書いてから、水をこくこくと飲む草。
仕草が一々俺の父性本能なのか何なのか、よく分からない部分を刺激する。
これって萌えなの? 何なの?
「そろそろ行こうか」
そう言って席を立つと、草は慌ててコップを置いて付いて来る。
「急がなくて良いって。水、まだ飲む?」
首を横に振る。
「じゃあ会計済ますから、外で待っていて」
草は頷いて、先に店を出た。
外に出た時に、草の姿はなかった。
おかしいと思って周囲を見渡しても、やっぱりいない。
俺は急に不安になった。
「草?」
返事はない。
……
……
……
暫く探したが、その姿は見つからなかった。
俺は何がしたかったんだろう。
単に性質の悪い悪戯だったかもしれないじゃないか。
それにあんな子をこの先預かっていけるとでも、思っていたのか。
本気で思っていたなら、この短時間に相当逆上せたも良いところだ。
全て嘘で、家に帰ったんだったらそれが一番良い。
それで良いはずなのに……何だこの気持ち。
公園に来た。ベンチに座った。
変に未練は持ちたくないのに、何故かここに。
暫くぼーっとしたまま、俺はそこにいた。
「……」
とんとん、誰かが肩を叩いた。
振り返ると、草がいた。
『ごめんなさい』
スケッチブックに書かれた文字が、やけに懐かしい。
「……」
『おじさんに似た人がいたから、追いかけた』
自殺した人か。
『生きているんだと思ったけど、人違いだった』
「……」
『どうしたらいいのか分からない』
俺もだよ。何か無性に腹が立って仕方ない。理不尽だけどさ。
だけど、草の顔を見ると怒れない。
「何でそんな顔するんだよ」
怒るつもりじゃなかったのに、加減が出来ず思わず強い語調になってしまった。
ビクッと反応した草の表情は、益々悲しげに沈む。
「……悪い」
もう何か滅茶苦茶だ。高ぶった気持ちだけがまだ燻る。
草はじっと俺を見ている。俺はどんな顔で草を見ているのだろうか。非難の目か?
振り返る草。それは明らかに、交わった線が離れようとする光景。
「行くな、草!」
とにかく何を繕うでもない、思ったことを考えずに口に出した。
このまま無言なら、草は去って行ってしまう。それが良いのか悪いのか――俺にとっては良くない。
草は後を向いて、その場に静止したままだ。
「……突然、いなくなって心配した……バカだな俺は。本音とか建前とか、いろんなことがごちゃ混ぜになってさ――草を、俺が、どうしたいのかが分からなくなってた」
自分が何を言っているのか、もう完全に分からない。
「――どこにも行かないでくれ」
「!」
出会って半日立たずのプロポーズかよ俺は。何という……。
俺たちは暫く無言のままだった。落ち着くまではその方が良かったかもしれない。
俺はその間、草は何故そういう行動に出たのか、考えた。
恐らくおじさん――とやらが死んだことにまだ納得が出来ていない、というか気持ちのどこかで受け入れられていないのだろう。
帰れる家が、もしかしたらまだ残っているのかもしれないと……よく考えればこんな年の子には辛い話だ。
一方で大人びているというか、気を使える子だ。だから俺を恐らく探しに来てくれたんだろうし、何も言わずに姿を消したことを謝った。
しかしどうしたら良いか、分からないのだ。俺を頼って良いものか、頼るべきなのか……。
――つまり、俺が可能な限り、分かってやるしかない。時間をかけてでも。
「草」
隣に座り、じっと地面を見つめていた草に、俺は声をかけた。
恐らく、ショックだったのだろう。顔もペンも動かない。
「俺は草のことを、今日話で聞いた限りのことしか知らない。だからおじさんが生きているのか、死んでいるのかも分からない」
「……」
「でも今日一緒に過ごして、草の力になってやりたくなった。だから、少しずつで良い――遠慮なく俺を頼ってくれ」
草はやっとペンを持ち、弱々しくスケッチブックへと言葉を書いた。
『英にはあんなに酷いことしたのに、赤の他人なのに、なんで?』
「草が好きだからだ」
「……!」
そう、まずはこれで良い。
そして俺は、初めて草の声を聞いた。
心の柵を解放されたのか、止め処ない嗚咽。
受け止めるかのように抱き締めたその身体は細く、今にも壊れそうだった。
公園から家へ――草は俺の手をずっと握ったままだ。
つくづく懐かれたというか、行ける所まで行ってしまった状態だな。
『責任とれ』
泣き止んだかと思うとこれだもの。やっぱりどこか大人びている。
しかし、気持ちは晴れた。支えが取れた、って言うのかな。
あまり先のことは考えていなかったが、これから大変になるのかもしれない。
いろいろと考えている間に、自宅へと到着した。
はっきり言って狭い家だ。一人身の俺にはちょうど良いが、草を入れるとそれが顕著になる。
だが草は喜んだ。たいして片付いてもいない部屋で、無邪気にはしゃぐ。
あれは何? これは何? と一々訊いてくるものだから、その都度答えたり使わせたりしていたら、すっかり日が暮れた。
「お風呂を沸かすよ」
そう言って俺は居間に草を残し、風呂場に来た。
そして、変なことを考えてしまうのである。
「……うわわ、何考えているんだ俺は!」
正直、最もやってはいけないことだ。考えてもいけないこと
だが、この感情が本当の意味での”好き”だとしたら――その辺俺はまだはっきりと自信が持てなかったが――ごく自然な気持ちとなる。
――つまり、草と繋がりたい、と。
しかし、最低限に自制心は働かせないと、例え勘違いでもとんでもないことになる。
風呂に水を入れ、台所で夕飯の支度をし、水を止めて火を付ける。
考えないようにする。恐らく、俺が手を出さなきゃ何も起こりはしない。
草は今、楽しそうにテレビを見ている。たまにごろごろと転がったり、ぺたんと座ってみたり――その一挙一動が可愛くて仕方ない。
「夕飯出来たぞ」
今まで言うことなどなかった台詞。
『はい』
そう書いてスケッチブックを掲げる。やっぱり普段は筆談。
普段喋ろうとしない理由――もう少ししたら話す、と言っていたが俺からはもう訊かない。
自分から言い出す時を待つ。時間はたっぷりとあるんだから。
『ごちそうさまでした。とてもおいしかったです』
と、ここでまたエコですか? と思ったら何やら書き加えてあった。
『英と同じなのがうれしい』
やめろ、悶絶してしまう。
解説すると、オムライスの時はやっぱり引け目があった訳だ。俺も何か注文するべきだったんだな。
「ありがとう。じゃあ、風呂に入るか?」
『はい』
あ、そういえば今日に関しては着替えがないな。明日以降買いに行くとして、さてどうしたものか。
――俺の服でも着せておくしかないよなぁ。でもそれってあれな意味でよくあるシチュエーション……。
風呂上りの草は、俺の寝巻きを上だけスッポリ被っている。まぁブカブカだし下穿くのは身長的に無理なのは分かっていたが、何この目の保養。
俺も風呂に入り、そして今日は寝ることにする。何かこう、短くまとめるなら「疲れた」。
何かぼうっとしたまま風呂に入り、それから出てきたら、草はテレビの前で身体を丸くして寝息を立てていた。
まるで小動物のようだ。何度も言うが、可愛い。
しかしこのままでは良くないので、そっとその軽い身体をだき抱え、隅のベッドの上へと預ける。
そして俺はテレビの前のスペースに腰を下ろし、ゆっくりと横になる。
「おやすみ、草」
さぁ、寝よう。
――と思ったら、がさっと音がしてベッドの上の姫が目覚める。
つかつかとこっちに歩いて来たかと思うと、スケッチブックとペンを拾い上げ、何やら大きく文字を書く。
『一緒にねて』
頭が痛い。応じるべきなのかそうではないのか――そもそも草が何をどこまで望んでいるのか。
俺は困った顔をしていたのだろう、草は不満げな表情を露にする。
あそこまで言ったんだし、仕方ないな――と俺は変なテンションでそれに応じることにした。
ここまで来て、この夜――平穏には終わらないかもしれない。
小さなベッドの上に、俺と草が二人。
俺は仰向けに、草はそれに抱きつくようにして今の体勢を作っている。
今、何か話し掛けても恐らく答えはくれない。スケッチブックとペンはベッドの下にある。
――いらんこと考えないで、早く寝よう。
しかし草はしがみ付くようにして、俺の肩に胸を密着させる。控えめな二つの膨らみが、心を休ませてくれない。
胸がバクバクしつつも、何とか目を閉じて眠りに落ちるのを待っていたが、残念なことに草は相応のことを考えていたようだ。
一旦肩から離れたかと思うと、その華奢な身体は俺の上に四つん這いになってきた――どうなるかは皆目見当が付く。
彼女からの、長いキス。やり方をよく知らないのか、唇と唇を触れ合わせただけの、簡単なもの。
理性が飛びそうになったが、その唇が若干、震えていることに気付く。
ふと草の身体に触れると、ビクッ――と大袈裟にすらある反応が返ってくる。
「……草」
ゆっくりとその顔を離し、俺は声を出した。
暗い部屋だが、彼女の表情は何となく見えた。動揺しながらも、決意を滲ませた顔。でも……。
「俺は草のことが好きだ。そう言ったからな。だからどうにかなっても良い。だが、本当にお前はそれで良いのか?」
大人びているから、どこかでこういう発想になってしまうのかもしれない。
草は困惑したような表情で、俺を見つめている。
「お前が本当に俺のことが好きだと――思えた時でも遅くはないんじゃないか?」
「……」
俺はそのまま、草を抱き締めた。包み込むように、じゃないが壊れやすい物を、壊さないように。
草はただそれを、じっと受け入れていた。瞳に薄っすらと光るものを見せて。
長い一日は終わり、朝が来た。
草は俺の隣で気持ち良さそうに寝ている。我ながらよく理性を抑えきれたものだ、と感心する。
と、同時に本当に好きだからこその自制心……とか格好付けたことを思うが、実際どうなのかまだはっきりしない。
いずれは身体を重ねる日も来るのだろうが、草が無理をしていると感じた今、その必要はない。
俺の独断だが、今の草を見る限りそれで良かったのだろう。
本当に、気が付いたらこんな所まで来てしまっていた。だが、後悔はしない。
大事なものが何なのか、自分でもそれなりに分かっているつもり。
それに最初は良い考えが浮かぶまで、俺が預かるとのことだった。が、もう良い考えはとっくにある。
……このまま一緒に暮らしていく、ということ。
『おしまい』
そういう看板と共に、道端に何やら捨て……娘がいる。
何かの冗談――でなければ世も末だな。
「今日びこんなネタは流行らないよ」
それだけ言って立ち去るつもりだった。
が、少女は何やらスケッチブックを取り出し、太ペンで何やら書き始めた。
『私は至ってまじめ』
あーそうきたか。
そのまま放っておいても見知らぬ人に何されるか分かったものではない。
首を突っ込んでしまったが運の尽き、とりあえず看板を下ろしてもらって後は話し合い。
「で、親は何処?」
そう尋ねると、少女はまた何やら書き始めた。
『いない』
やる気満々かよ。
そもそも何で筆談なんだ? 難聴だとかそういう訳じゃないみたいだし。
「じゃ、行くべき先はお役所しかないな」
ややこしくなりそうなので、手っ取り早く決断を下す。
嘘なら嘘で良いし、本当であってもそれはそれで仕方がない。
『どっか行け』
うわ嫌われた。お互い結論出すの早い。
「ごめんごめん。じゃあ何? 本気で誰かに連れて帰ってもらいたいってこと?」
今度は少女、首を縦に振って答える。
とりあえず公園まで来た。ここなら少し話もし易いだろう。
二人でベンチに座る。さて、どうしたものかな……と、とんとんと少女が肩を叩く。
「ん?」
『ここに住めってこと?』
いや、一々気が早いなこの子は。
「誰もそんなことは言ってない。これからどうするか考えるよ」
ホッとしているよ参ったな。このまま逃げるのも可哀想だし、どうも俺の性格からしてドツボにはまった気がする。
「本当に親いないの?」
こく。
「世話してくれてる人とかは?」
『いない』
先ほどの奴、使い回しとは大したエコだ。
「じゃあ、今までどうやって生きてきたの?」
考え込む少女。が、意外とすぐにペンが動き出す。
『なんとなく』
おいおい。
時間をかけて真面目に訊いたところ、どうやらこの少女の世話をしてくれていた人が自殺したらしく、住んでいた所を追い出されたとのこと。
素性は本人も分からん部分が多いようだし、それ以上は話したくない様子でもある。まぁまだ子どもだし当然だよな。よくここまで話してくれた方――。
――しかしここまで話してくれた以上、こちらも後には引けなくなった。つくづく俺は良い人だ。こんな赤の他人にそんなこと話す方も話す方なら、訊く方も訊く方だよね。
「良い考えが浮かぶまで、預かってやる」
それを聞いて少女は少し驚いた。が、すぐに表情を明るくした。
控えめだが、初めての笑顔。
ええダメ人間です俺は。
少女の名前を訊いていなかった。
『五色草』
ごしきくさ――と読むらしい。変わった名だ。
『俺の名は浅葉英。あさばすぐる』
試しにスケッチブックに書いて返事をしてやったら、結構喜んでくれた。
しかし何故筆談なのか、それも訊いてみたかったのだが……。
『もう少ししたら話す』
といって表情を曇らせた辺り、浅からぬ事情がありそうなので今は追求しないでおく。
俺がこうもコロッと行ってしまうには、ちゃんと訳もある。
可愛いんだなこの子は。本能を擽られるというか――まさか俺は根っからのロリコンなのか?
特に顔立ちが整っていて今は今なりの良さがあるし、成長したら美人になるかも? とも思わせる。
髪型はセミロングで、やややつれた感じなのは事情が事情か。
服装は胸元にプリントの入ったTシャツに、デニムのショートパンツ、肩掛けのサスペンダーを腰元にぶら下げている。
結構ラフで、まだまだ感覚が幼い。
『何?』
ぼーっと見ていたらそんなことを書かれた。
しかし、事が事だ。ひょっとすると……。
「おなか空いてないか?」
暫く考えて、草はやや恥ずかしそうに頷いた。
そうだろうな。そうじゃないかと思った。
「よし。じゃあ好きな物を食べさせてやるよ。何が良い?」
しかしこれ――まるで兄か、でなけりゃ誘拐犯だわ。
彼女はまた暫く考えて、答を出した。
『なんでもいい』
健気な奴。
俺は草を連れて喫茶店へ行くことに決めた。一応、オムライスなんて発想が出来る人間ではある。
「よし、じゃあ行こう」
ベンチからぴょん、と飛び降りる姿を見て、心が和まない俺はいない。
さて、二人でいるのに何が一番自然で良いかと考える。通報でもされたらたまったもんじゃない。
一番無難なのは……とりあえず、絶えず会話をしながら歩くことか。
「あーそうだ。俺、お前のことは何て呼べば良い? 俺のことは英で良いよ」
『草でいい』
「分かった。じゃあ草、これからよろしく」
俺たちは会話の流れで、そのまま握手を交わした。
公園の時よりも、草は何となくリラックスしているようだった。
「草の好きな物って何だ? 俺は猫かなぁ」
訊くたびに、彼女は歩きながらスケッチブックに文字を書く。
『ふとん』
「布団? そうか、寝るのが好きなんだな」
『温かいからすき』
割と無愛想で人見知りが強そうに見えるが、書く内容は正直なんだよな。
そんなやり取りを繰り返しながら、俺たちは歩いた。
「いらっしゃいませ」
喫茶店には割と常連で、マスターともそれなりに仲は良い。
「やぁ、マスター」
「――これはお久しぶりです。今日はまた、素敵な女性をお連れで……こちらへどうぞ」
そしてこのマスターという人種は、決まって空気を読むのが上手い。一種の必須技能なのだろうか。
テーブル席に座ると、俺はオムライスとコーヒーを注文した。
向かいに座った草は、これまでとは一転、何やら表情が硬い。
――ひょっとして、ここは好きじゃなかったのか?
「どうした?」
『こんな所初めてきた』
ああ、緊張していたのか。
「お待たせ致しました、オムライスでございます」
デミグラスソースの香りがテーブルを包み込む。
? という顔つきでそれを見つめる草。まさか、食べたことがないのか。
『いいにおいがする』
律儀に感想を書かれ、思わず苦笑してしまった。
「そんなことは良いから食べてみなって。美味いから」
草は暫く俺を見つめていたが、やがてスプーンを手に取る。
そして恐る恐るその山の一角を崩すと、それを口へと持っていく。
ぱくっ。
「……」
いかん、俺まで一緒に口を動かそうとしていた。危ない危ない。
自分に対する照れ隠しで、先に来ていたコーヒーを一口。
しかし、何かまた感想を言ってくるかとも思ったが――。
ぱくぱく。
――意外に食べ始めたな。やっぱり相当おなかが空いていたのだろうか。
俺がそれを見守っていても、草はまるで気にしない。黙々とオムライスを食べ続けている。
半分ほど食べたところで、スプーンが置かれる。
そしてまたスケッチブックとペン。
『残りは英の分』
そうきたか。予想外だった。
どうやら俺がコーヒーだけ飲んでいるのを見て、気を使ってくれたんだな。
「それは草に注文したんだから、みんな食べて良いよ」
すると納得したのか、またスプーンを取って食べ始める。
何かもう、相当懐かれてない?
『ごちそうさまでした。とてもおいしかったです』
そう書いてから、水をこくこくと飲む草。
仕草が一々俺の父性本能なのか何なのか、よく分からない部分を刺激する。
これって萌えなの? 何なの?
「そろそろ行こうか」
そう言って席を立つと、草は慌ててコップを置いて付いて来る。
「急がなくて良いって。水、まだ飲む?」
首を横に振る。
「じゃあ会計済ますから、外で待っていて」
草は頷いて、先に店を出た。
外に出た時に、草の姿はなかった。
おかしいと思って周囲を見渡しても、やっぱりいない。
俺は急に不安になった。
「草?」
返事はない。
……
……
……
暫く探したが、その姿は見つからなかった。
俺は何がしたかったんだろう。
単に性質の悪い悪戯だったかもしれないじゃないか。
それにあんな子をこの先預かっていけるとでも、思っていたのか。
本気で思っていたなら、この短時間に相当逆上せたも良いところだ。
全て嘘で、家に帰ったんだったらそれが一番良い。
それで良いはずなのに……何だこの気持ち。
公園に来た。ベンチに座った。
変に未練は持ちたくないのに、何故かここに。
暫くぼーっとしたまま、俺はそこにいた。
「……」
とんとん、誰かが肩を叩いた。
振り返ると、草がいた。
『ごめんなさい』
スケッチブックに書かれた文字が、やけに懐かしい。
「……」
『おじさんに似た人がいたから、追いかけた』
自殺した人か。
『生きているんだと思ったけど、人違いだった』
「……」
『どうしたらいいのか分からない』
俺もだよ。何か無性に腹が立って仕方ない。理不尽だけどさ。
だけど、草の顔を見ると怒れない。
「何でそんな顔するんだよ」
怒るつもりじゃなかったのに、加減が出来ず思わず強い語調になってしまった。
ビクッと反応した草の表情は、益々悲しげに沈む。
「……悪い」
もう何か滅茶苦茶だ。高ぶった気持ちだけがまだ燻る。
草はじっと俺を見ている。俺はどんな顔で草を見ているのだろうか。非難の目か?
振り返る草。それは明らかに、交わった線が離れようとする光景。
「行くな、草!」
とにかく何を繕うでもない、思ったことを考えずに口に出した。
このまま無言なら、草は去って行ってしまう。それが良いのか悪いのか――俺にとっては良くない。
草は後を向いて、その場に静止したままだ。
「……突然、いなくなって心配した……バカだな俺は。本音とか建前とか、いろんなことがごちゃ混ぜになってさ――草を、俺が、どうしたいのかが分からなくなってた」
自分が何を言っているのか、もう完全に分からない。
「――どこにも行かないでくれ」
「!」
出会って半日立たずのプロポーズかよ俺は。何という……。
俺たちは暫く無言のままだった。落ち着くまではその方が良かったかもしれない。
俺はその間、草は何故そういう行動に出たのか、考えた。
恐らくおじさん――とやらが死んだことにまだ納得が出来ていない、というか気持ちのどこかで受け入れられていないのだろう。
帰れる家が、もしかしたらまだ残っているのかもしれないと……よく考えればこんな年の子には辛い話だ。
一方で大人びているというか、気を使える子だ。だから俺を恐らく探しに来てくれたんだろうし、何も言わずに姿を消したことを謝った。
しかしどうしたら良いか、分からないのだ。俺を頼って良いものか、頼るべきなのか……。
――つまり、俺が可能な限り、分かってやるしかない。時間をかけてでも。
「草」
隣に座り、じっと地面を見つめていた草に、俺は声をかけた。
恐らく、ショックだったのだろう。顔もペンも動かない。
「俺は草のことを、今日話で聞いた限りのことしか知らない。だからおじさんが生きているのか、死んでいるのかも分からない」
「……」
「でも今日一緒に過ごして、草の力になってやりたくなった。だから、少しずつで良い――遠慮なく俺を頼ってくれ」
草はやっとペンを持ち、弱々しくスケッチブックへと言葉を書いた。
『英にはあんなに酷いことしたのに、赤の他人なのに、なんで?』
「草が好きだからだ」
「……!」
そう、まずはこれで良い。
そして俺は、初めて草の声を聞いた。
心の柵を解放されたのか、止め処ない嗚咽。
受け止めるかのように抱き締めたその身体は細く、今にも壊れそうだった。
公園から家へ――草は俺の手をずっと握ったままだ。
つくづく懐かれたというか、行ける所まで行ってしまった状態だな。
『責任とれ』
泣き止んだかと思うとこれだもの。やっぱりどこか大人びている。
しかし、気持ちは晴れた。支えが取れた、って言うのかな。
あまり先のことは考えていなかったが、これから大変になるのかもしれない。
いろいろと考えている間に、自宅へと到着した。
はっきり言って狭い家だ。一人身の俺にはちょうど良いが、草を入れるとそれが顕著になる。
だが草は喜んだ。たいして片付いてもいない部屋で、無邪気にはしゃぐ。
あれは何? これは何? と一々訊いてくるものだから、その都度答えたり使わせたりしていたら、すっかり日が暮れた。
「お風呂を沸かすよ」
そう言って俺は居間に草を残し、風呂場に来た。
そして、変なことを考えてしまうのである。
「……うわわ、何考えているんだ俺は!」
正直、最もやってはいけないことだ。考えてもいけないこと
だが、この感情が本当の意味での”好き”だとしたら――その辺俺はまだはっきりと自信が持てなかったが――ごく自然な気持ちとなる。
――つまり、草と繋がりたい、と。
しかし、最低限に自制心は働かせないと、例え勘違いでもとんでもないことになる。
風呂に水を入れ、台所で夕飯の支度をし、水を止めて火を付ける。
考えないようにする。恐らく、俺が手を出さなきゃ何も起こりはしない。
草は今、楽しそうにテレビを見ている。たまにごろごろと転がったり、ぺたんと座ってみたり――その一挙一動が可愛くて仕方ない。
「夕飯出来たぞ」
今まで言うことなどなかった台詞。
『はい』
そう書いてスケッチブックを掲げる。やっぱり普段は筆談。
普段喋ろうとしない理由――もう少ししたら話す、と言っていたが俺からはもう訊かない。
自分から言い出す時を待つ。時間はたっぷりとあるんだから。
『ごちそうさまでした。とてもおいしかったです』
と、ここでまたエコですか? と思ったら何やら書き加えてあった。
『英と同じなのがうれしい』
やめろ、悶絶してしまう。
解説すると、オムライスの時はやっぱり引け目があった訳だ。俺も何か注文するべきだったんだな。
「ありがとう。じゃあ、風呂に入るか?」
『はい』
あ、そういえば今日に関しては着替えがないな。明日以降買いに行くとして、さてどうしたものか。
――俺の服でも着せておくしかないよなぁ。でもそれってあれな意味でよくあるシチュエーション……。
風呂上りの草は、俺の寝巻きを上だけスッポリ被っている。まぁブカブカだし下穿くのは身長的に無理なのは分かっていたが、何この目の保養。
俺も風呂に入り、そして今日は寝ることにする。何かこう、短くまとめるなら「疲れた」。
何かぼうっとしたまま風呂に入り、それから出てきたら、草はテレビの前で身体を丸くして寝息を立てていた。
まるで小動物のようだ。何度も言うが、可愛い。
しかしこのままでは良くないので、そっとその軽い身体をだき抱え、隅のベッドの上へと預ける。
そして俺はテレビの前のスペースに腰を下ろし、ゆっくりと横になる。
「おやすみ、草」
さぁ、寝よう。
――と思ったら、がさっと音がしてベッドの上の姫が目覚める。
つかつかとこっちに歩いて来たかと思うと、スケッチブックとペンを拾い上げ、何やら大きく文字を書く。
『一緒にねて』
頭が痛い。応じるべきなのかそうではないのか――そもそも草が何をどこまで望んでいるのか。
俺は困った顔をしていたのだろう、草は不満げな表情を露にする。
あそこまで言ったんだし、仕方ないな――と俺は変なテンションでそれに応じることにした。
ここまで来て、この夜――平穏には終わらないかもしれない。
小さなベッドの上に、俺と草が二人。
俺は仰向けに、草はそれに抱きつくようにして今の体勢を作っている。
今、何か話し掛けても恐らく答えはくれない。スケッチブックとペンはベッドの下にある。
――いらんこと考えないで、早く寝よう。
しかし草はしがみ付くようにして、俺の肩に胸を密着させる。控えめな二つの膨らみが、心を休ませてくれない。
胸がバクバクしつつも、何とか目を閉じて眠りに落ちるのを待っていたが、残念なことに草は相応のことを考えていたようだ。
一旦肩から離れたかと思うと、その華奢な身体は俺の上に四つん這いになってきた――どうなるかは皆目見当が付く。
彼女からの、長いキス。やり方をよく知らないのか、唇と唇を触れ合わせただけの、簡単なもの。
理性が飛びそうになったが、その唇が若干、震えていることに気付く。
ふと草の身体に触れると、ビクッ――と大袈裟にすらある反応が返ってくる。
「……草」
ゆっくりとその顔を離し、俺は声を出した。
暗い部屋だが、彼女の表情は何となく見えた。動揺しながらも、決意を滲ませた顔。でも……。
「俺は草のことが好きだ。そう言ったからな。だからどうにかなっても良い。だが、本当にお前はそれで良いのか?」
大人びているから、どこかでこういう発想になってしまうのかもしれない。
草は困惑したような表情で、俺を見つめている。
「お前が本当に俺のことが好きだと――思えた時でも遅くはないんじゃないか?」
「……」
俺はそのまま、草を抱き締めた。包み込むように、じゃないが壊れやすい物を、壊さないように。
草はただそれを、じっと受け入れていた。瞳に薄っすらと光るものを見せて。
長い一日は終わり、朝が来た。
草は俺の隣で気持ち良さそうに寝ている。我ながらよく理性を抑えきれたものだ、と感心する。
と、同時に本当に好きだからこその自制心……とか格好付けたことを思うが、実際どうなのかまだはっきりしない。
いずれは身体を重ねる日も来るのだろうが、草が無理をしていると感じた今、その必要はない。
俺の独断だが、今の草を見る限りそれで良かったのだろう。
本当に、気が付いたらこんな所まで来てしまっていた。だが、後悔はしない。
大事なものが何なのか、自分でもそれなりに分かっているつもり。
それに最初は良い考えが浮かぶまで、俺が預かるとのことだった。が、もう良い考えはとっくにある。
……このまま一緒に暮らしていく、ということ。
『おしまい』
2011年05月08日(日) 22:31:44 Modified by ID:b+GVV9iJpQ