日本の周辺国が装備する兵器のデータベース




▼牽引状態の83式



性能緒元
口径152mm
砲身長8,600mm(53口径)
牽引時全長9,600mm
牽引時全幅2,630mm
牽引時全高2,200mm
戦闘重量9,700kg
牽引時重量10,500kg
初速955m/秒
最大射程30,000m(通常弾/間接射撃)、38,000m(ベースブリード弾/間接射撃)、1,170m(直射)
発射速度3〜4発/分
俯仰角度-2〜+50度
方向射界左24度、右26度
要員9〜11名
牽引速度60km(路上)、15km(野外)

83/86式152mmカノン砲は中国が開発した最後のカノン砲である。名称についても83式、86式と二種類が存在しているが、前者は輸出向け名称であり、後者は中国軍での制式名とされる[4]。本稿では83/86式の名称を用いる。83/86式は59-I式130mmカノン砲を上回る射程・威力を目指して開発された長距離野砲であり、1986年に制式採用された。83/86式はその長射程・大威力を生かした直接/間接の支援、具体的には敵砲兵の制圧射撃、敵後方の通信、補給網の攻撃、機甲部隊への反撃、重野戦陣地への攻撃、沿岸砲などの任務に使用される。

【開発経緯】
83/86式の開発は1958年にまで遡る[3]。当時の中国では国内では大躍進政策が追及されており、台湾との間では金門島を舞台とした大規模砲撃戦の最中であった。米軍が台湾に供与する各種火砲に対抗するため大口径・長射程砲の需要が高まっており、この需要にこたえる形で1958年10月には第127廠が中心となり、総参謀砲兵と軍械部と第五機部などの関係部門が協力する形で130mmと152mmの二種類の自走カノン砲の研究に着手。大躍進政策の特徴である拙速ともいえる開発要求を受けて1958年末には130mmカノン砲の部品製造が開始された。これは翌年10月に試射にこぎつけ最大射程36kmを達成したが、130mmという口径と36kmという射程がマッチせず([3]の記述による。意図としては射程と威力のバランスの問題か?)開発は打ち切りとなった。最終的に開発は牽引式の152mmカノン砲に集約されることになり、1959年11月には全システムの試験が完了し、翌年にはD-23の型式名が付与された。1960年5月から射撃試験が実施されたが、射程こそ33kmを達成したものの、砲口衝撃波の過大、火砲の操作困難、牽引状態での全長が牽引に不向きなほど長い、砲弾長過大など問題が多発して短気に解決するめどが立たないとされ、D-23は採用が見送られ研究継続扱いとなった[3]。

当時の中国軍では軍の機械化の緒に就いたばかりであり、10tを超える牽引砲を輸送可能なのはわずかに配備された履帯式牽引車に限定されており、新型カノン砲についても軽量化が求められたのは止むを得ないところがあった[4]。1961年11月、砲兵司令部は会議を開き、新型カノン砲の要求値を改めて策定。最大射程30km以上、全備重量12t未満、発射速度毎分4〜6発、砲口圧力は一立方mmで0.7kgを下回ることとした。そしてD-23(改良型としてD23-1の型式名が与えられていた)については当時の技術的制約から開発継続は困難として、開発打ち切りを決定[3]。1965年には再度152mmカノン砲に関する会議が開催され、より具体的な要求項目がまとめられ、最大射程30km、最小射程10km、砲弾重量43kg、炸薬威力、命中精度は59式130mmカノン砲の砲弾を上回ること、薬莢式から薬包式に変更、発射速度は毎分3〜4発、全備重量9t以下にすることとされた[3]。

試作砲の完成は1966年12月20日であった。原型とは10か所以上の変更が加えられ、砲架を鋳造式から溶接式に変更、筒型揺架を採用、砲車の結合を簡素化、全長は13mだが、砲身を前後逆にして牽引状態にした際には全長9mにまで短縮、駐退復座機の設計変更、打ち込み式駐鍬の採用、薬包式への変更、照準器は砲の左右に装備、マズルブレーキの追加などが成された。開発要求では、軽量化と操作の軽快さ、高い命中精度、長射程などが求められ、1966年12月から試験が開始された。400発の射撃試験を経て弾道性能は要求を満たしたと評されたが、様々な解決すべき不具合も明らかになり、改修が重ねられた結果、総重量は200kg以上増加してしまった。この結果を受けて、1969年6月にはさらなる軽量化が求められたが、当時の技術水準では要求性能を維持しながら軽量化を両立することは困難であったので、開発は二度目の棚上げを余儀なくされた[3]。

83/86式の開発は、1960年代の中国の激動の政治情勢を背景に、二転三転する軍の要求に開発陣が振り回されて開発期間が長引いてしまう状態が続いていた。1969年には新たに全備重量を8tを切る要求が提示された[3][4]。これは当時の中国の軍事ドクトリンであった「人民戦争理論」に基づく要求であり、152mmカノン砲も分解して人畜による搬送を可能にすべしという内容であった[3]。しかし、この要求は開発作業を完全に白紙に戻すものであり、開発陣では設計を全面的に見直して軽合金の使用や構造の修正を行ったものの、さらに1970年には重量制限が7.5tに引き下げされてしまった。技術的実現性を無視した要求に基づいた試作砲は300発の発射テストを実施したものの、とても実用に耐えうるものではなく、採用は見送られることとなった[3]。1972年8月、1966年の要求案に回帰した要求性能がまとめられ、それに基づいた試作砲が1976年に完成し、ようやく要求性能を満たす成績を得ることが出来た[3]。この際、1970年代の西側の新技術を参照して、装薬や弾薬、薬莢の改良作業が実施された。83/86式の閉鎖機は伝統的な隔螺式閉鎖機ではなくスライド式の鎖栓式閉鎖機を採用していたが、密閉性に問題を抱えており一度は隔螺式閉鎖機に戻している[3]。この問題は、1980年代に西側の155mm榴弾砲の技術が導入された事により解決し、83式には鎖栓式閉鎖機が採用されるに至った[3]。

これらの紆余曲折を経て、1983年6月2日から5日にかけて、兵器工業部は第127廠において技術検討会議を開催。これ以降、同砲の各種システムの検査と改良が重ねられ、最終的に1986年に制式化にこぎつけ、200門の86式を輸出することにも成功した[3]。86式は開発着手から実用化までに26年を経た、中国で最長となる開発期間の大口径砲として知られている[3]。

【性能】
86式の152mm砲は、射程延長のため53口径という長砲身と砲口初速955m/秒という高い初速をが与えられている。これによって通常榴弾による最大射程30km、ベースブリード弾だと最大射程38kmという中国カノン砲で最長の射程を実現した。砲弾の発射速度は3-4発/分。砲身は低ニッケル合金鋼が採用され、砲身強度を増すための自緊処理が施された。閉鎖機は鎖栓式で、砲弾装填以後の工程は自動化されており次弾装填時には鎖栓は自動開放される。また砲を大仰角にした際に装填している砲弾が後ろに下がらない様にするための装置も装備している。牽引時には砲身を射撃時とは反対側に回して、開脚式砲架のトラベリング・ロックで固定することで全長を短縮し移動時の便の向上を図っている。砲を旋回させるための底盤は分離式で、牽引時には砲尾部に固定される。軽量化に努めたものの、86式の全備重量は10トンを超える大重量となった。牽引は重牽引トラック、もしくは装軌式牽引車両によって行われる。

集団軍直属の独立砲兵旅団や軍の砲兵旅団に配備される。砲兵旅団は三個大隊から編成され、一個大隊の砲の定数は12門であり、旅団全体では36-48門の86式を保有することになっていた。86式は長射程、高い命中精度、大威力を実現したカノン砲であり、運用においても各種配慮が施されているため配備された部隊では高い評価を得ることに成功したとされる。1980年代には中越の国境紛争にも投入され、その射程と命中精度でヴェトナム軍砲兵に打撃を与えたことが伝えられている[5]。ただしその配備数は少数に留まって59-I式130mmカノン砲を代替するには至らなかった。これは86式自体の技術的な問題、大重量による運用困難、そして西側技術を導入して86式と同等の性能を有する新式のPLL-01 155mm榴弾砲(WA-021)の登場、自走榴弾砲の登場などが影響したものとされる[4]。1980年代以降は、改革開放による経済開発優先の政策により特に陸軍装備の近代化は割を食った形となり、これも83/86式には暗い影を落としたものと推測される。1984年には、将来の中国軍砲兵部隊の装備として、152/155mm榴弾砲と122mm榴弾砲の二本柱にするとの方針が採用され、85mm/122mm/130mm/152mm口径のカノン砲については段階的に現役から予備役装備に切り替えていく方針が採用された[5]。生産数が多く長射程を誇る59-I式130mmカノン砲はその後も運用が続いているが、それ以外のカノン砲は前線部隊の装備品からは引き上げられる結果となっていく。

83/86式は、1980年代のイラクに200門と砲弾20万発が輸出されており、一部は現在でも新生イラク軍において保管されている[3][4]。一時期、北朝鮮で86式を搭載したと推測される2種類の152mm自走カノン砲が存在するとの話があったが、いずれも別種の砲であることが判明しており、北朝鮮での83/86式の供給は確認されていない。

【参考資料】
[1]Chinese Defence Today
[2]中華網「武器装備庫」
[3]林儒生、曹励云「他为中国大口径火炮而生 – 追忆原127厂厂长总工程师周燕生研究员」『现代兵器(总第522期)』2022年10月号 (中国兵器工业集团有限公司)71〜78ページ
[4]手机新浪网「伊拉克军火库发现中国大威力加农炮 欲修复吊打IS」https://mil.sina.cn/sd/2016-10-24/detail-ifxwztru6...
[5]网易「无上的火力追求(二)86式53倍径152毫米口径加农炮」(2022年2月22日/来源: 赤剑军事)https://www.163.com/dy/article/H0QSOBQD05358CVS.ht...

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