日本の周辺国が装備する兵器のデータベース


▼殲撃13設計案(1)、サイドインテーク案


▼殲撃13設計案(2)、機体下部インテーク案


性能諸元
重量11,660kg
全長17.48m
全幅10.4m
全高
エンジン渦噴15ターボファンエンジン(WP-15/カチャツロフR-29-300)ドライ8,290kg、A/B12,500kg ×1
推力重量比1.07
最大速度M2.0〜2.4
航続距離2,340km
作戦行動半径600km
上昇限度 
武装詳細不明。機関砲、中/短距離AAM等
乗員1名

殲撃13は、1971年に第112航空廠(現在の瀋陽飛機工業集団有限公司)所属の中国航空研究院601所(現在の瀋陽飛機設計研究所)が国防部第六科技情報研究院の指示により開始した次世代戦闘機のスタディがその由来となった。601所は、当時の中国空軍の主力戦闘機である殲撃6(MiG-19)の旧式化を踏まえ、殲撃6を代替するための戦闘機を開発し、1980年代の中国空軍の主力戦闘機とすることを計画した。1972年と1974年に空軍と海軍の12部会で調査研究を実行し、新戦闘機の構想について空軍と海軍の指導機関の賛同を得た。1974年初、空軍は殲撃6の後継機に関する戦術、技術的要求を提示した。1975年の冬には、空軍は関係分門や設計局との間で何度も意見集約を行い、正式に殲撃6の後継機に関する戦術、技術的要求を決定した。1976年に要求性能案が上程され、同年4月24日、常規装備発展領導小組は正式にこの案を承認した。

新戦闘機開発における最大の問題はエンジンに関する問題であった。空軍の求める新型戦闘機の性能を発揮するには、当時の中国空軍の現用エンジンでは、十分な性能を達成できないことは明らかであった。そのため、開発陣ではイギリスから輸入したロールスロイス社製スペイMK202ターボファンエンジン(推力、A/B 9,300kg)を搭載することを検討したが、スペイの推力では要求された性能の発揮は困難であることが判明した。1976年6月、中華人民共和国第三機械工業部(通称三機部)は「殲6後継機動力装置選択論証会」を開催しこの問題への対応を検討した。年末には、常規装備発展領導小組によって新型戦闘機用のエンジンには、当時開発中のターボファンエンジン渦扇6(WS-6)を採用することが決定された。

1976年9月、三機部は瀋陽市において「殲6後継機武器火控系統座談会」を開催し、殲撃6後継機の兵装と火器管制システムに関する検討を行った。この会で、殲撃6後継機の兵装と火器管制システムに関する基本的な要求が纏められた。

まだ殲撃6後継機に関する要求性能案が纏められている最中の1973年から、開発を担当する601所では新型戦闘機にふさわしい空力的デザインを探求するため各種の機体デザインの模型を作成しそれらを使用した風洞実験を行った。この実験回数は3,000回以上に達した。その結果、1974年には約20種類のデザインに絞って、その強度や空力的弾力性の計算が行われた。1975年には設計師と製作技師との間で意見集約が行われ、設計案の調整と修正が続けられ、1976年以降は、航空機の素材研究を行う航空航天部621所(北京航空材料研究院)や航空機の製造部門の研究を行う625所(北京航空製造工程研究所)や冶金部工廠との間で機体製作に必要な素材の確定や製作技術に関する検討が重ねられた。

1977年6月1日から11日までの間、三機部は北京において「殲13論証会」を開催した。この会議には、国家発展計画委員会(通称:国家計委)、国防化学技術工業弁行室(通称:国防工弁)、総参謀部装備部、空軍、海軍、航空産品定型委員会(通称:航定委)、一・四・五機部、冶金・石油・軽工業部、建材総局など71部門から256人が参加した。会議には中国共産党中央軍事委員会常務委員の王震も参加していた。この会議において、新戦闘機の設計案が分析検討された結果、「航空機の総合設計案は先進的で実行可能なものであり、努めて実現すべきものである」と認められた。

1978年8月、エジプトより兵器輸出の見返りとしてMiG-23MC(MiG-23MSフロッガーE)が中国に提供された。第112航空廠と601所はこのMiG-23MCの機体技術に関する分析を行い、中国科学院金属研究所410廠はMiG-23MCのツマンスキー(カチャツロフ)R-29-300ターボジェットエンジンの分析を担当した。1979年3月10日三機部は、殲撃13に渦噴15(WP-15)ターボジェットエンジン(R-29をリバースエンジニアリングによって国産化)を搭載することが可能であるかを研究することを601所に命じた。601所では検討の結果、殲撃13のエンジンを当初予定していた渦扇6(WS-6)からWP-15に変更することを決定した。WP-15に換装することで、殲撃13の性能はさらに向上し、エンジンの実用化の面でもWS-6よりも確実であると推測された。1979年10月9日、瀋陽において「殲13装渦噴15発動機方案論証会」が開催され、1980年5月には総参謀部と国防化学技術工業弁行室は正式に殲撃13のエンジンをWP-15に変更することを批准した。

殲撃13の設計では、第一に空中戦での絶対的優位を得ることが求められた。そのため、殲撃13は可能な限りの速度と上昇性能を備えて迅速に敵機を迎撃すると共に、亜音速から超音速域まで、どの速度においても敵機を圧倒しうる高い機動性を発揮することが求められた。速度と機動性という矛盾する要求の両立を求められた開発陣では、主翼前縁付け根延長部を採用することを決定した。主翼前縁付け根延長部は、アメリカのF-16やF/A-18、ソ連のSu-27やMiG-29等も採用している主翼形状であり、失速や舵の利きの低下を防止し迎え角での運動性能を向上させる効果がある。殲撃13の設計に影響を与えたのは、当時NATO諸国などで広く採用されていた米国GD社製(当時)のF-16戦闘機であった。殲撃13の主翼形状はF-16に範を取ったものとされた。殲撃13の主翼は取り付け位置の高い上翼を採用していた。この形状は飛行時の安定性は高いが、機動性においては不利になる。そのため、殲撃13では主翼に下反角をつけて安定性が低くすることで機動性を向上させることでこの問題を解決した。機体の安定性を意図的に低下させることで機動性を向上させる静安定緩和技術はF-16などの期待でも採用されている技術であるが、操縦系統の電気式バックアップ装置(SCAS)による自動制御技術を有さない中国が静安定緩和技術を取り入れるのはかなりの技術的冒険であったといえる。

インテークの設計では、J-9戦闘機(殲撃9)に類似した二次元式サイドインテークとF-16に類似した機体下部インテークの2種類の案が存在したが、どちらの方式を採用するかは1980年の開発終了まで確定するにはいたらなかった。武装や電子装備についても充実した装備が求められたが、この分野に関する情報については十分な資料が得られなかった。

殲撃13は、1980年代の実用化を目指して開発が進められていたが、1980年に行われた軍の装備計画の見直しと新規研究事業の縮小を受けて1981年3月以降、殲撃13の研究は中断された。開発中断までに使われた研究費は1,221万元に達した。

殲撃13が開発中断にいたった最大の要因は、十分な信頼性を有する大推力のエンジンを得られなかった点であるとされる。WP-15は数値の上では十分な性能を有していたが、その信頼性に関しては尚一層の研究が必要であったと見られる。そして、殲撃13に盛り込まれた各種新技術は、当時の中国の技術力では実用化に大きなリスクがあった事、同時期に601所によって開発が開始された殲撃8の改良型である殲撃8の方が実用化に要する経費や開発リスクの面において殲撃13よりも優れていると判断された事、601所の開発リソースを殲撃8兇暴弧鵑垢訶の要因が殲撃13の開発中断を空軍に決断させたものと思われる。

【参考資料】
戦闘機年鑑2007-2008 2007年(青木謙知/イカロス出版)
5461網 「殲撃13型飛機」
西陸社区 「中国人民解放軍殲13戦機」

中国空軍

amazon

▼特集:自衛隊機vs中国機▼


▼特集:中国の海軍力▼


▼特集:中国海軍▼


▼中国巡航ミサイル▼


























































メンバーのみ編集できます