日本の周辺国が装備する兵器のデータベース




中国は1970年代半ばにエジプトからMiG-23MC、MiG-23BN、MiG-23Uをそれぞれ2機ずつを密かに手に入れ、これらの機体とベトナムから得たF-111の情報を元に南昌航空機工業が開発を計画したのがQ-6攻撃機である。

1970年代に西沙諸島で南ベトナム軍と交戦した中国海軍は海軍航空隊から十分な支援を受けることができず、海軍は制空権が無い状態で苦戦を強いられた。海軍航空隊の所有するJ-6戦闘機(MiG-19)やJ-7戦闘機(MiG-21)は支援攻撃能力が著しく低く、またQ-5攻撃機では航続距離が足らずに海軍航空隊の限界が露呈してしまったのである。この戦訓を受けて中国空軍と海軍航空隊は1976年、対艦ミサイルの運用が可能で自衛用AAMを搭載し、Q-5攻撃機の2.5倍の作戦行動半径と3倍近い爆弾搭載量が可能な戦闘攻撃機の開発を要求した。これに応じてJ-8IIの攻撃機化案やJH-7攻撃機の原案、そしてQ-6開発案が提出された。

Q-6は「中国攻撃機の父」と呼ばれた陸孝彭が開発主任を担当した。陸のQ-6案はMiG-23やF-111から得た技術情報を元に可変翼戦闘攻撃機を開発するというもので、Q-6の設計案は1979年2月に提出された。Q-6の外観はMiG-23の胴体にF-16の機首とインテークを移植したような単発可変翼機である。可変翼の構造はMiG-23を参考に開発を進めたが難航し8年が費やされた。また搭載予定とされた渦扇6(WS-6)ターボファン・エンジンは推力71KN/AB:122KNで米製F100や露製AF-31に匹敵する強力なものだったが、このようなエンジンを中国独自に開発する事は難しく可変翼機構同様開発は難航した。Q-6は南昌で開発されたフライ・バイ・ワイヤ制御装置を採用し、MiG-23BNから得た技術をもとに開発された多モード・レーダーやレーザー照準器、レーダー警報装置など各種の高度なアビオニクスを装備して、対空・対地攻撃任務をこなせるよう開発された。これにより対地ロケットの命中率はQ-5攻撃機の3倍になり、空対地ミサイルの運用も可能になった。

Q-6の開発は1980年代に入っても続けられその性能はMiG-23を上回るものが予想されたが、エンジンや可変翼機構の完成に手間取り結局1980年代末に開発は中止された。当時対立していたソ連の強力な防空態勢を突破するためには双発複座の大型攻撃機が必要とされ、攻撃機はJH-7が採用される事に決定したのである。最大兵装ペイロード4.5トン、作戦行動半径900kmと優秀な性能をもつQ-6だったが、このような機体を中国独自に開発する事は当時の技術水準では難しく、これ以降の中国の航空機開発は海外からの技術導入を重点に置いて行われる事になった。

中国空軍

amazon

▼特集:自衛隊機vs中国機▼


▼特集:中国の海軍力▼


▼特集:中国海軍▼


▼中国巡航ミサイル▼


























































メンバーのみ編集できます