日本周辺国の軍事兵器 - 91式155mm自走榴弾砲(PLZ-91)

91式155mm自走榴弾砲(PLZ-91)は、中国北方工業公司(NORINCO)が1980年代から1990年代初めにかけて開発を行っていた155mm自走榴弾砲である。

PLZ-91は、西側技術を導入して開発されていたPLL-01 155mm榴弾砲(WA-021)に続いて、1986年から正式に開発が開始された。PLZ-91の開発ではPLL-01と同じく、西側技術の導入により立ち遅れた中国の砲兵戦力を一挙に近代化させることが目指されていた。

PLZ-91は、PLL-01と同系列の45口径155mm砲を採用している。この砲はFRFB-BB(Range Full Bore-Base Bleed)弾を使用した場合、最大射程39kmという当時としては画期的な長射程を実現できた。当初は自動装填システムの採用を目指したが、当時の中国の技術力では全自動装填装置の開発は困難であり、最終的には装弾補助装置つきの人力装填方式に改められた。発射速度は、最大で8〜10発/分、持続5発/分。

PLZ-91の開発では、1980年代の中国のおかれた国際状況を反映して、多くの西側技術が取り入れられていた。PLZ-91の砲兵連隊では、アメリカ製対砲レーダーやフランス製光学/赤外線観測機器など当時の先進的機器が広く採用されることになっていた。PLZ-91の射撃指揮システムは高度に自動化されており、これは中国としては初の試みであり技術的意義の高いものであった。

PLZ-91は、当初の計画では1990年代前半の実用化を目標としていた。PLZ-91という名称もこの計画を前提としたものであった。1980年代末には、3両の試作車が完成し、各種性能試験が開始された。しかし、この試験では、45口径155mm砲の弾道性能に根本的な欠陥があることが発覚した。これは、PLL-01の試験においても問題となった点であった。また、長期的な見通しとして、1990年代以降の自走砲には52口径155mm砲が採用される可能性が高いと判断され、45口径155mm砲を搭載するPLZ-91では早晩旧式化するのでは無いかとの提議もなされた。

弾道性能を早期に改善する見通しが立たないことや将来的な発展性の問題、第二次天安門事件による西側技術流入の断絶、さらに冷戦が終結しソ連の脅威が減少したため砲兵戦力を速やかに近代化する必要性も無くなったこともあり、PLZ-91の開発は打ち切られることになった。

開発が打ち切られたPLZ-91だが、NORINCOでは同車の開発で得られた技術を基盤として輸出向けの新型自走榴弾砲を開発することを決定した。この車両はPLZ-45 155mm自走榴弾砲として実用化されることになる。

【参考資料】
「1982-2007 中国155毫米圧制火炮更新」(所載)『中国尖端武器』2007-12B(吉林科学出版社)

中国陸軍