まず市部調査であるが、サンプリング調査による被害者数は死者2400人、拉致された者4200人という結果となっている。
一方、3月に行なわれた復興委員会による調査では、救済を求めてきた13530家族のうち拉致された男子は16〜50歳の男子の20%に達するという結果が出ており、全市では10860人になると計算されている。それがスマイス報告で参考データとして示されているのである。
もしスマイスに市部調査の被害を水増しする意志があったのなら、復興委員会の数字を流用するか、それより大きくするはずである。拉致だけでも10860人になると推測されているのに、死者と拉致を含めて6600人というのはあまりに「控えめ」すぎるだろう。したがって市部調査の数字が水増しされているという憶測に妥当性はない。
なお念のためだが、スマイスは死者2400人を過少と考えていた。
一方、3月に行なわれた復興委員会による調査では、救済を求めてきた13530家族のうち拉致された男子は16〜50歳の男子の20%に達するという結果が出ており、全市では10860人になると計算されている。それがスマイス報告で参考データとして示されているのである。
もしスマイスに市部調査の被害を水増しする意志があったのなら、復興委員会の数字を流用するか、それより大きくするはずである。拉致だけでも10860人になると推測されているのに、死者と拉致を含めて6600人というのはあまりに「控えめ」すぎるだろう。したがって市部調査の数字が水増しされているという憶測に妥当性はない。
なお念のためだが、スマイスは死者2400人を過少と考えていた。
これらの死者のうち2400人(74パーセント)は軍事行動とは別に〔日本軍〕兵士の暴行によって殺されたものである。占領軍の報復を恐れて日本軍による死傷の報告が実際より少ないと考えられる理由がある。実際に、報告された数が少ないことは、暴行による幼児の死亡の例が少なからずあったことが知られているのに、それが一例も記録されていないことによっても強調される。
(『南京大残虐事件資料集 第2巻』p223より。漢数字はアラビア数字に変換)
次に農業調査であるが、農村部の人的被害の調査方法は以下のとおりである。
(1)各県(調査範囲は4.5県)で調査員が遭遇した村のうち3つに1つを選び、その村の10家族に1家族を選んで調査する。
(2)そうして得られた家族の被害を県別に合計し、その合計値を調査した家族数で割ることで、各県の1家族あたりの被害、つまり被害の平均値を算出する。
(3)2の平均被害に各県の農家の総世帯数(平時のデータを使用)を乗じ、その県の農家全体が受けた被害を算出する。
(4)3で得られた各県の総被害を合計し、4.5県における総被害を算出する。
この計算自体は適正であり、「トリック」が入り込む余地などどこにもない。
たとえば江寧県の場合は205の農家が調査対象となった。その調査から得られた被害総計を205で割ることで、江寧県の農家1世帯あたりの平均被害が求められる。その平均被害に江寧県の農家の総数81600を乗じることで、江寧県の農家全体が受けた被害の総計となる。非常に簡単な計算である。
以下、否定論者が言い出しそうな難癖について反論しておく。
たとえば「被害の大きかった地域、あるいは被害を受けた農家を中心にして調査した。そのためサンプルが偏っている」と想像を働かせる者がいるかもしれない。
これは下種の勘繰りである。農業調査の調査範囲は日本軍部隊の侵攻ルートをなぞるようなことはしていない。偏りの少ないデータを得るため、調査対象はあくまで無作為に選ばれている。報告を読む限り、調査員たちが多くの制約の下、客観的なデータを得るため最大限の努力を払っていたことは明らかである。
これは調査範囲が4.5県という半端な数になっていることからも裏づけられる。0.5県と扱われている六合県では南半分の地域でしか調査ができなかった。もし「犠牲者数」を増やす目的があったのなら、スマイスは南部における平均被害を六合県全域に当てはめて計算してもよかったのである。しかし南部と北部では被害状況に差があるかもしれないと、誠実にも農家の総数の半分だけを乗算している。
そういった配慮を無視して「被害を増やすようサンプルを選り好みした」と主張するのは、あまりに浅慮だろう。
あるいは「各県に残っていた農家の総数は平時よりもずっと少なかった。スマイスの計算では避難して無事だった農家の分まで乗算されるから被害が膨れ上がる」とする意見もあるかもしれない。
確かにスマイスらは家を離れたままの農家人口を正確に把握することはできなかった。しかし家族ぐるみで脱出していた例が大量にあったというわけでもない。
これは特に移住者の多かった江寧県の場合であるが、おそらくは他県でも同様だっただろう。家族ごと移住したケースが多数あったわけではないかぎり、「家族数」を平時のものを用いて計算しても被害が大幅に膨れ上がるということはない。
また、移住していた農家が必ずしも無事だったとも限らないのである。少なくともスマイスらは、未帰還の農家も帰村している農家と同程度には被害を受けているものと認識していた。
このように、農業調査に対する疑惑はほぼ報告書の中に回答があるのである。
(1)各県(調査範囲は4.5県)で調査員が遭遇した村のうち3つに1つを選び、その村の10家族に1家族を選んで調査する。
(2)そうして得られた家族の被害を県別に合計し、その合計値を調査した家族数で割ることで、各県の1家族あたりの被害、つまり被害の平均値を算出する。
(3)2の平均被害に各県の農家の総世帯数(平時のデータを使用)を乗じ、その県の農家全体が受けた被害を算出する。
(4)3で得られた各県の総被害を合計し、4.5県における総被害を算出する。
この計算自体は適正であり、「トリック」が入り込む余地などどこにもない。
たとえば江寧県の場合は205の農家が調査対象となった。その調査から得られた被害総計を205で割ることで、江寧県の農家1世帯あたりの平均被害が求められる。その平均被害に江寧県の農家の総数81600を乗じることで、江寧県の農家全体が受けた被害の総計となる。非常に簡単な計算である。
以下、否定論者が言い出しそうな難癖について反論しておく。
たとえば「被害の大きかった地域、あるいは被害を受けた農家を中心にして調査した。そのためサンプルが偏っている」と想像を働かせる者がいるかもしれない。
これは下種の勘繰りである。農業調査の調査範囲は日本軍部隊の侵攻ルートをなぞるようなことはしていない。偏りの少ないデータを得るため、調査対象はあくまで無作為に選ばれている。報告を読む限り、調査員たちが多くの制約の下、客観的なデータを得るため最大限の努力を払っていたことは明らかである。
これは調査範囲が4.5県という半端な数になっていることからも裏づけられる。0.5県と扱われている六合県では南半分の地域でしか調査ができなかった。もし「犠牲者数」を増やす目的があったのなら、スマイスは南部における平均被害を六合県全域に当てはめて計算してもよかったのである。しかし南部と北部では被害状況に差があるかもしれないと、誠実にも農家の総数の半分だけを乗算している。
そういった配慮を無視して「被害を増やすようサンプルを選り好みした」と主張するのは、あまりに浅慮だろう。
あるいは「各県に残っていた農家の総数は平時よりもずっと少なかった。スマイスの計算では避難して無事だった農家の分まで乗算されるから被害が膨れ上がる」とする意見もあるかもしれない。
確かにスマイスらは家を離れたままの農家人口を正確に把握することはできなかった。しかし家族ぐるみで脱出していた例が大量にあったというわけでもない。
この県内、あるいはこの県グループ内の移住者は、抽出調査が満足すべきものであるかぎり、この調査をおこなった地域内に家族を残している。もっとも、丘陵に逃げこんだ者も若干はいるだろうが。
(『南京大残虐事件資料集 第2巻』p238より)
これは特に移住者の多かった江寧県の場合であるが、おそらくは他県でも同様だっただろう。家族ごと移住したケースが多数あったわけではないかぎり、「家族数」を平時のものを用いて計算しても被害が大幅に膨れ上がるということはない。
また、移住していた農家が必ずしも無事だったとも限らないのである。少なくともスマイスらは、未帰還の農家も帰村している農家と同程度には被害を受けているものと認識していた。
第17表 寧属地区五県の人口および耕地面積
※「調査地区の農家数」に対する注釈
この調査の時期においては,家族ぐるみ不在となって,農家の調査にまったくあらわれてこないものがあるために,この数字から30パーセントをさし引いてもよいであろう。〔中略〕そうしたさし引きをしたところで決定的に重要なものではあるまい。不在と推定される家族も,おそらく居住している家族と少なくとも同じほど大きな損害を蒙っているからである。
(『南京大残虐事件資料集 第2巻』p263より)
このように、農業調査に対する疑惑はほぼ報告書の中に回答があるのである。