最終更新: kai6341gyo 2008年09月15日(月) 18:54:32履歴
東京裁判で大虐殺を証言したマギーは、弁護人に問い詰められて虐殺を1人しか目撃していないと白状した。その1人の目撃も偽証である。
松井石根被告の弁護人ブルックス氏は、大虐殺神話のもととなった同国人のマギー牧師を反対訊問で問いつめ、実際に日本兵により殺害されたシナ訊はたった一人しか実際に見たことがないと白状させたのである。元来が国際政治裁判だった東京裁判で、松井被告は死刑になったけれども、ブルックス弁護人の反対訊問のおかげでわれわれは大虐殺神話の実体をうかがうことが今日でもできるのだ。
渡部昇一『諸君!』1984年3月号「角栄裁判・元最高裁長官への公開質問七ヶ条」
マギー牧師が殺人の現場に居合わせたのは1件だけだ、という意味では、これは本当。しかし「白状した」というのは明らかな事実誤認、あるいは印象操作である。マギーはどれだけの殺人を直接に見たか、という質問に対し正直に答えたに過ぎない(ただし、マギー日記によれば発砲の瞬間はマギーの場所からは見えなかったようだ)。
事件が起こったことを事実として知っている人間が、その事件の瞬間に現場にいたとは限らない。
南京における大量殺害は主に城外に連行して行われたのであるから、城内から出られない外国人たちには殺害の瞬間を目撃する機会は少なかったというだけのことだ。
また、それぞれに難民保護、治療、日本当局との交渉など多忙を極めており、街路をパトロールしていたわけでもない。
今日東京には42,000人の警察官がおり、住民300人あたりに1人の配置となっているが、事件が起きる瞬間を警察官が目撃していることはまれである。日々けが人の治療に当たる外科医が交通事故の瞬間を目撃することは、さらにまれである。
安全区委員の数は15人であり、住民数の1/10,000以下であるので、単発の事件が多発したとしても、実際にその場に居合わせる可能性は低い。そのうえ日本兵は外国人の前での犯罪を極力避けていたのである。
直接その瞬間を見たことが少ないから、その人が知っている事実がウソだということにはならない。マギーはほかの事件で何度も現場を訪れて死体を目撃したり、集団殺害の現場から逃げ帰った負傷者の証言を聞いたりしている。それらをすべて無視し、直接見た殺人は1件だけだと言い募ってもまったく無意味である。
マギーが証言したこと
http://www.geocities.jp/yu77799/magee.html
「マギー証言」への評価 ―続・マギーが証言したこと
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/magee2.html
事件が起こったことを事実として知っている人間が、その事件の瞬間に現場にいたとは限らない。
南京における大量殺害は主に城外に連行して行われたのであるから、城内から出られない外国人たちには殺害の瞬間を目撃する機会は少なかったというだけのことだ。
また、それぞれに難民保護、治療、日本当局との交渉など多忙を極めており、街路をパトロールしていたわけでもない。
今日東京には42,000人の警察官がおり、住民300人あたりに1人の配置となっているが、事件が起きる瞬間を警察官が目撃していることはまれである。日々けが人の治療に当たる外科医が交通事故の瞬間を目撃することは、さらにまれである。
安全区委員の数は15人であり、住民数の1/10,000以下であるので、単発の事件が多発したとしても、実際にその場に居合わせる可能性は低い。そのうえ日本兵は外国人の前での犯罪を極力避けていたのである。
直接その瞬間を見たことが少ないから、その人が知っている事実がウソだということにはならない。マギーはほかの事件で何度も現場を訪れて死体を目撃したり、集団殺害の現場から逃げ帰った負傷者の証言を聞いたりしている。それらをすべて無視し、直接見た殺人は1件だけだと言い募ってもまったく無意味である。
マギーが証言したこと
http://www.geocities.jp/yu77799/magee.html
「マギー証言」への評価 ―続・マギーが証言したこと
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/magee2.html
資料:マギーの殺人目撃証言
其の次の日の出来事でありますが、私は他の三人の外国人、其の外国人の二人は「ロシヤ」人、一人は私の同僚の「フォスター(Ernest H. Forster)」さんでありましたが、私共是れだけの外国人の家の「バルコニー」から外を見まして、実際中国人が一人殺されるのを目撃したのであります。
それは中国人が通りを歩いて居つたのでありますが、それは何れも絹の着物を着て居りました。それを日本の軍人が後ろから誰何したのであります。さうしますると此の中国人は非常に驚きまして、歩行を早めて逃げ去らうとして、丁度其の先の所にありました角の所を曲らうと致しました所が、其処には丁度竹垣がありまして行詰りになつた為に、逃げることが出来なかつたのであります。それを日本の兵隊が追掛けまして、さうして顔に向けて発砲して殺したのであります。
(『南京大残虐事件資料集 第1巻』p89より。読みやすいよう片仮名は平仮名に修正し、モニターによる訂正も文中に組み込んでいる)
資料:大量の連行と殺害に関する証言
其の晩でありましたか、其の翌日の晩でありましたか、私は能く記憶して居りませぬが、私の見ました所に依りますと、中国人の二列縦隊が連れて行かれるのを見たのでありますが、其の数は千若くは二千に上つたであらうと思ひます。さうして手は総て縛られて居つたのであります。
私は其の団体の中に、中国の兵隊が居るのを一人も見なかつたのでありまして、全部便衣を着て居つたのであります。其の中の負傷した者が逃げて帰つて来たのでありますが、それは全部私の監督して居りまする教会の病院に入れられたのであります。どう云ふ風にして帰つて来たかと云ふと、全部銃剣で突かれたのでありますけれども、死んだやうな真似をして居た為に、逃げて来たと云ふことであります。
(『南京大残虐事件資料集 第1巻』p88より。上の引用と同じ)