否定派の主張

日本軍が食料を贈って感謝状をもらっている。虐殺があったのならこのようなものは残らない。(田中正明『南京事件の総括』pp178)

反論

正確に言えば、宝塔橋地区の紅卍会支部長が、砲艦比良の艦長に対して、援助食料に対する「受取証」を渡し、そこに「艦長さんの計らいに感謝します」と書き添えたということである。独立した「感謝状」が出たわけではない。
「ありがとうございます」とか「感謝します」とか書かれた請求書やビジネスレターなら誰でも受け取るだろうが、そのような場合、普通「感謝状を貰った」とは言わないのである。

また、その「感謝状」のエピソードを、20万と見られていた南京難民全体と、日本軍全体との間の出来事のように書くのはちょっと頂けない。
むしろ陸軍部隊は南京城内外で発見した食料を自分たちのために確保してしまったので、安全区委員会からは「われわれが難民のために確保していた分については、輸送ができるように認めてほしい」という要請の文書が発行されている。

比良の艦長が難民の窮状を見て艦の食料を与えたのは事実だし、ものを貰って感謝するのは当然の礼儀であって、これは一つの美談ではある。
しかし戦場には人道行為をした人の記録もあれば、非人道行為が行われた記録もある。
非人道行為があったから、人道的行為がなかったことになる訳ではないのと同様、人道的な行いの記録があることが非人道行為の不存在の証明にはならないのである。

受取証

日本軍占領直後の南京の食糧事情
http://www10.ocn.ne.jp/~war/kome.htm
(リンク先より)日本軍が中国側の食料を押収していた例1

第十六師団佐々木到一少将の日記(12月15日)
我が第十六師団の入城式を挙行す、師団が将来城内の警備に当たるのだとゆふものがある。終つて冷酒乾杯。
[略]
城内に於て百万俵以上の南京米を押収する、この米の有る間は後方から精米は補給しないとゆふ、聊か(いささか)癪だが仕方が無い、因に南京米はぼろぼろで飯盒の中から箸では掬へない。
(偕行社「南京戦史資料集」P-380)
日本軍が中国側の食料を押収していた例2

安全区国際委員会 第14号文書(ラーベより日本大使館へ・・・・1937年12月27日)
福井氏(引用者注:福井淳日本大使館書記官)の配慮を乞う
 12月1日に前南京市長馬氏が、安全区内の住民の保護に関する責任を当国際委員会に委託したさい、氏は米3万担、小麦粉1万袋を、市民の食糧用として当委員会に譲渡しました。
(中略)
中国軍は10万担の米(当方の3万担とは別に)を南京郊外に保管しておりましたが、その大部分は南京占領の際貴軍の手中に落ちました。それで、20万市民を養うために、前記2万担の米を我々が確保することを、許していただけるようお願い致します。
(中略)
 地区内の各家庭の手持ちの米は急速に減少しつつある一方、当方の米の配給に対する需要は急速に増加しています。もし我々が全住民を養わねばならないとすれば、当方の予備食料は一週間ともたないでしょう。たとえ秩序が回復したとしても、何万、何十万という難民を春まで養わねばならないことになります。
(『南京大残虐事件資料集 第2巻』p138)

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