否定派の主張

国際安全区委員会の報告は目撃情報ではなく、姓名の記載もなく、報告者の記入もない。これでは信憑性がない。

反論

日本兵の暴行を直接目撃した報告も少数ではあるが、存在した。人口25万人(1938年1月における数字)、面積35平方キロの城内においてわずか15名の委員が直接に暴行場面を目撃した例があるということは暴行がいかに多かったかを示している。委員会に寄せられた情報は直接の被害者から寄せられたもの、目撃者が報告したものが多い。彼らからの聞き取りにおいて信憑性があると考えたからこそ、記録したのである。

報告は暴行の犯人を捕まえたり、直接処罰したり、賠償を請求するためのものではなかった。したがって、裁判におけると同様の正確な姓名の記載は必須ではなかった。貧しい中国人にあっては、今日のような戸籍制度にあるような完備した姓名を持っていなかったし、外国人である委員にとって同音異字の多い姓名だけでは完全な同定の用をなすこともなかった。目撃者の姓名の必要性もまた同様である。

国際安全区委員会が作成した日本軍の暴行記録は、日本大使館へ、アメリカ大使館復帰後はアメリカ大使館にも報告し、日本軍の難民に対する暴行を止めさせるためのものであった。単に暴行が存在することを認識してもらうに足る記録内容でよかったのである。

そして実際には、日本大使館を通じて外務省に報告され、衝撃をもって受け止められた。つまり、今日の否定派がいうような完璧な報告でなくても事実として認められる内容であったのである。ただし、日本外務省は陸軍に対して注意を促し、方針変換をさせるだけの力を当時持っていなかった。アメリカ大使館にアメリカ人資産、大使館への侵害を含めて伝えられ、アメリカ政府が動くことによって始めてある程度日本陸軍を動かすことができた。

否定論者が完璧な記録性が欠けているから信頼できないとするのは代表的な資料否定の論理であるが、非常に詳細な記録がなければ事実ではないというのは誤りである。記録したときの状況に応じて、資料に求められる詳細の度合いは異なる。そのとき日本外務省やアメリカ大使館を通じてアメリカ政府を動かすことができたということはそれだけの説得力を持っていたということである。

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