否定派の主張

日本軍が石油で死体を焼いたり、あるいは生きている人間を焼き殺したりしたというが、石油に不自由していた日本軍がそんなことに使うはずがない。

反論

日本軍が大量虐殺した中国兵・民間人の死体にしばしば石油・ガソリンを撒いて火を放ち、動くものがあると銃剣でとどめを差した。これは被害者である中国人、加害者である日本兵、観察していた日本人、第三者である外国人の証言・記録から証明されており、確かな事実である。また、最初から殺害を目的として生きた中国兵に石油・ガソリンをかけて火を放った例もある。火をかけたのは火葬のように骨だけにすることを目的としたものではなく、死体は半焼けが精々であった。

日中戦争が開始された後、日中両国はこの戦いを戦争ではなく、「事変」であると主張した。「戦争」と呼称すると第三国から石油を含む戦略物資の輸入に支障をきたすためであった。日本は昭和16年の7月までアメリカから石油を自由に輸入できた。昭和12年初頭から政府は民間の石油消費を監視、抑制する政策をとったが、それは軍への供給を確保するためであって、軍隊として絶対的不足には至っていない。

南京戦直前まで中国の首都であった南京は道路や建物が大きく、「京都より広い、大きい」と兵士たちを驚かせた。その道路には元は政府関連の自動車だけでも600台を数える自動車が走っており、ガソリンスタンドが営業され、城外には徳士古(Texas)石油などの石油貯蔵庫があった。中国の防衛軍は総数10万−20万と言われたが、首都の3ヶ月を死守を呼号したが、最後の段階ではあわただしく撤退が決まったため大量の武器・戦略物資が残された。南京の日本軍はこれらの石油、ガソリンをろ獲して使うことができた。


参考1:日本軍が人や死体を焼いた資料
参考2:ガソリンを鹵獲した資料

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