否定派の主張

日本の大虐殺派の学者は南京市だけでは犠牲者が30万人になりそうにないので大幅に範囲を広げたが、中国側に「勝手に範囲を広げるな」と怒られた。

反論

結論からいえば、そのような事実はない。
この「伝説」が世間に広まる原因となったのは、秦郁彦氏がいくつかの本に書いた文章だと思われる。

南京大虐殺「ラーベ効果」を測定する

笠原十九司氏が中国代表団に配慮してか、「ラーベは五〜六万と言っているが、彼の目が届かない郊外や彼が南京を去ったあとの犠牲者を足すと三〇万ぐらいになるはず」と述べたところ、中国側代表格の孫宅巍氏が異議を申し立てたのである。「三〇万は南京城内だけの数字である。地域や時期を勝手に広げてもらっては困る」というのだ。

『現代史の争点』(文春文庫、2001年)p34より(1998年発売の単行本でも同じ文章)
南京事件――論点と研究課題 秦郁彦
※日本「南京」学会設立記念大会での講演(2000年10月18日)

笠原氏はいつもの持論である「十数万または二十万以上」と述べ、付け加えて、ラーベが南京を去った後の数字、さらに彼が知っているのはおおむね南京市内だったから「ラーベが見ていない郊外地帯を含めると三十万になるのではないでしょうか」と答えたら、中国代表が手を上げて発言を求め、「笠原説は中国として受け容れることはできません。勝手に期間や場所を広げられるのは困る」と反論したのです。

東中野修道編著『南京「虐殺」研究の最前線 平成十四年版』(展転社、2002年)p27より

基本的な骨格が一致しているので、これらが「伝説」のソースと見て間違いないだろう。
しかし「異議を申し立てた」「反論した」という表現がいつの間にか「(日本の学者が)怒られた」になって広まるのだから、この話を伝える人々がいかに歪んだ期待と偏見を抱いているか窺い知れる。

では、秦氏の文章はどれほど正確に事実を伝えているのだろうか。秦氏が触れているのは、1997年12月に東京で開かれたシンポジウムでの出来事である(『南京「虐殺」研究の最前線 平成十四年版』では1998年とされているが間違いと思われる)。
幸いにもそのシンポジウムの模様は藤原彰編『南京事件をどうみるか』(青木書店)で読むことができる。
全体討論

藤原 もうひとつ問題を提起したい。笠原先生は近郊農村を含めた範囲についての報告だったが、孫先生の「南京大虐殺の規模について」という報告のなかで、範囲はどのようにとっておられるのか伺いたい。これがはっきりすると日本側との間で整合性ができると思うので。

 私は南京のまわりの県を含めるという笠原先生の意見に賛同する。しかし犠牲者数については問題がある。私たちが言っている三〇万というのは周りの六県その他地域を入れていない。これはあらたな課題として考えていきたい。

『南京事件をどうみるか』p146より

少なくとも本に載っている限りでは、秦氏の文章に対応しそうな箇所はここしかない。
孫宅巍氏の回答は読んだとおり「私は事件の範囲を南京特別市とするのには賛成。しかし中国のいう30万虐殺の範囲は南京市」というものである。事件の地理的範囲については同意しているのだから、「勝手に広げてもらっては困る」と主張したというのはまったく辻褄が合わない。
南京市で30万というのは単に中国側の見解を述べただけなのである。「南京特別市ではなく南京市で30万人が殺されたとしなければならない」「日本の研究はけしからん」などとは一言も言っていない。

もし秦氏の書くシーンが『南京事件をどうみるか』の「全体討論」と同一であるなら、秦氏の文章にはかなりの脚色(あるいは記憶違い)が入っているというべきだろう。孫氏は藤原氏の質問に答えたのであって、笠原氏の発言に対して自発的に異議を呈したのではない。記憶だけで書いたと思われる文章よりも、確実にテープから起こされたはずの『南京事件をどうみるか』の文章のほうが信頼性が高いのは明らかである。
事実関係の誤りが意図的なものではないとしても、秦氏の抱く「偏見」が記憶を歪んだ方向に修正した疑いが強い。

もちろん秦氏の書いているシーンが「全体討論」と別である可能性も完全否定はできない。活字にならなかった部分で秦氏の書いたようなやり取りがあったかもしれないからだ。しかし秦氏の書く笠原氏や孫氏の発言に明らかにおかしな点があるので、本当にそのようなやり取りがあったとは考えにくい。
たとえば「南京特別市」の範囲で10数万人から20万人が殺害されたという推定を著書で述べ、30万説に対しては否定的な態度をとっている笠原氏が「郊外まで含めれば30万が殺されたのでは」と言うはずがないのである(参考ページ)。
また孫氏が「30万は城内だけの数字」と言ったという『現代史の争点』の記述も問題である。中国の30万虐殺説の地理的範囲は「城内」ではなく、ほぼ「南京市」にあたる。これでは孫氏が自国の研究さえ理解していなかったことになってしまう。なぜか『南京「虐殺」研究の最前線 平成十四年版』では別の表現になっているが、いい加減な記憶で適当に書き飛ばしている疑いが出てくる。

いずれにせよ、「大虐殺派が中国に怒られた」という話に信頼できる根拠は一切ないというのが結論である。そうあってほしい、そうであれば嬉しい、という一部の人々の願望が生み出した「伝説」だと考えるのが最も妥当だろう。

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