当時、南京大虐殺は国際連盟で取り上げられず、非難決議もされなかった。実際に大虐殺が起こったのならそんなことはありえない。虐殺事件などなかったのである。
第11の論拠 国際連盟も議題にせず
若し伝えられるごとき南京アトロシティーズがあったとするなら、〔中略〕当然この会議にかけられ、日本非難の決議となったに違いない。しかるに支那代表顧維均によるその提訴すらなかったのである。
(田中正明『南京事件の総括』p214より)
国際連盟で中国代表が南京での残虐行為非難の演説を行なっており、この抜粋が日本の外務省文書にも転載されている。
では、なぜ提訴、非難決議に至らなかったのか。
南京の虐殺はそれだけが孤立して行われたのではない。それは日本の中国侵略の一こまに過ぎず、南京事件の発生以前の段階で日本の中国侵略戦争は国際的に圧倒的な非難を浴びていたのである。
1937年9月中国政府は日本の中国侵略を連盟に提訴した。連盟総会は9月28日にまず、「都市爆撃に対する国際連盟の対日非難決議」を全会一致で可決し、日本軍による上海、南京、広東爆撃を非難した。さらに10月6日には日本の軍事行動が九カ国条約と不戦条約に違反していると判定し、連盟は中国を道義的に支援することを採択した。そして同年11月3日から24日までブリュッセルで開催された九カ国条約会議では、日本の中国侵略を国際法違反であるとして非難、警告する宣言を採択した。
中国とすれば南京事件を含む侵略行動全体を問題として国際社会に訴え、日本の侵略自体を止めさせることこそが国益に適うことであった。ことさら南京事件だけを取り上げるという考えは持っていなかった。また、国際社会における受け止め方にしても南京事件だけを取り出して、日本軍の凶暴性の象徴と見なす論調はなかったといえる。
否定派は南京事件は国際社会が突き動かされような衝撃的事件であったはずだ、と考えているようだが、それは当時の国際情勢がわかっていないのである。ヨーロッパにおいては1938年イタリアが日独防共協定に参加、翌月には連盟を脱退した。1938年1月にはフランス人民戦線政府が危機を迎え、3月にはナチスドイツがオーストリア併合をした。世界大戦の前触れとなる枢軸国側の横暴の前には南京事件だけを取り立てて問題視するような情勢ではなかったのである。
歴史に残る大虐殺がすべて発生直後に国際連盟や国際連合で非難決議されているわけではない。発生時期に国際機関の公然の非難決議がないから虐殺が実在しないというなら、ホロコーストもポルポトの残虐行為もチベットでの残虐行為もなかったことになる。国際社会の非難決議があるかどうかは、残虐行為そのものの規模よりは国際社会がその残虐行為にただちに向き合う余裕と意欲があるかどうかにかかっているのである。
中国は知らなかったか?
http://www.geocities.jp/yu77799/chuugoku.html
では、なぜ提訴、非難決議に至らなかったのか。
南京の虐殺はそれだけが孤立して行われたのではない。それは日本の中国侵略の一こまに過ぎず、南京事件の発生以前の段階で日本の中国侵略戦争は国際的に圧倒的な非難を浴びていたのである。
1937年9月中国政府は日本の中国侵略を連盟に提訴した。連盟総会は9月28日にまず、「都市爆撃に対する国際連盟の対日非難決議」を全会一致で可決し、日本軍による上海、南京、広東爆撃を非難した。さらに10月6日には日本の軍事行動が九カ国条約と不戦条約に違反していると判定し、連盟は中国を道義的に支援することを採択した。そして同年11月3日から24日までブリュッセルで開催された九カ国条約会議では、日本の中国侵略を国際法違反であるとして非難、警告する宣言を採択した。
中国とすれば南京事件を含む侵略行動全体を問題として国際社会に訴え、日本の侵略自体を止めさせることこそが国益に適うことであった。ことさら南京事件だけを取り上げるという考えは持っていなかった。また、国際社会における受け止め方にしても南京事件だけを取り出して、日本軍の凶暴性の象徴と見なす論調はなかったといえる。
否定派は南京事件は国際社会が突き動かされような衝撃的事件であったはずだ、と考えているようだが、それは当時の国際情勢がわかっていないのである。ヨーロッパにおいては1938年イタリアが日独防共協定に参加、翌月には連盟を脱退した。1938年1月にはフランス人民戦線政府が危機を迎え、3月にはナチスドイツがオーストリア併合をした。世界大戦の前触れとなる枢軸国側の横暴の前には南京事件だけを取り立てて問題視するような情勢ではなかったのである。
歴史に残る大虐殺がすべて発生直後に国際連盟や国際連合で非難決議されているわけではない。発生時期に国際機関の公然の非難決議がないから虐殺が実在しないというなら、ホロコーストもポルポトの残虐行為もチベットでの残虐行為もなかったことになる。国際社会の非難決議があるかどうかは、残虐行為そのものの規模よりは国際社会がその残虐行為にただちに向き合う余裕と意欲があるかどうかにかかっているのである。
国際連盟理事会での中華民国代表・顧維鈞の演説
さらに、高い軍紀を誇りにしてきた日本兵が占領地で繰り広げる残虐で野蛮な行為は、戦火に打ちひしがれた民衆の艱難辛苦をさらにいっそう増大させ、礼節と人道に衝撃を与えています。あまりにも多くの事件が中立国の目撃者によって報告され、外国の新聞で報道されているので、ここでいちいち証拠をあげるには及ばないでしょう。ただ、その一端を物語るものとして、日本軍の南京占領に続いて起こった恐怖の光景にかんする『ニューヨーク・タイムズ』紙特派員の記事を紹介すれば十分でしょう。このリポートは12月20日付の『ロンドン・タイムズ』紙に掲載されたものであります。特派員は簡潔な言葉で綴っています。「大がかりな略奪、強姦される女性、市民の殺害、住居から追い立てられる中国人、戦争捕虜の大量処刑、連行される壮健な男たち」。
日本兵が南京と漢口でおこなった残虐行為についての信頼できるもうひとつの記録は、米国人の教授と外交使節団による報告と手紙にもとづくもので、1938年1月28日の『デイリー・テレグラフ』紙と『モーニング・ポスト』紙に掲載されています。南京で日本兵によって虐殺された中国人市民の数は2万人と見積もられ、その一方で、若い少女を含む何千人もの女性が辱めを受けました。
(『ドイツ外交官の見た南京事件』p138-139より。漢数字はアラビア数字に置換)
昭和13年の外務省報告書
第百回理事会ニ於ケル日支問題討議ノ経緯
(中略)
四、決議ノ採択
理事会ハ前記非公開会議ニ引続キ一時ヨリノ公開会議ニ於テ顧維鈞ノ演説後波蘭、祕露ノ棄権ヲ除ク全会一致ヲ以テ支那問題ニ関スル決議ヲ採択シタリ。
(一)劈頭顧維鈞ハ日本ノ侵略ノ事実日本軍ノ暴行、第三国ノ権益侵害等ヲ述ベ連盟ノ行動ヲ要求スル趣旨ノ演説ヲ為セリ。(註)
(註)顧維鈞ノ演説ノ要旨左ノ如シ。
「昨年十月ノ連盟総会決議以後モ日本ノ侵略ハ続行強化サレ北ハ済南、中央ハ上海、南京、杭州等何レモ占領サレ已ムナク首都ハ重慶ヘ移サルルニ至リ又日本海軍ハ南支ノ小島嶼ヲ占領シ空軍ハ無防備都市ノ空爆ヲ続行シツツアリ。嘗テ厳格ナル訓練ヲ誇リタリシ日本兵士ノ其ノ占領地帯ニ於ケル暴虐野蛮ナル行動ハ言語ニ絶シ其ノ幾多ノ事例ハ中立国ノ目撃者ヨリ報告サレ外国新聞ニ報道セラレタル通ナリ。
ト述べ、日本兵ノ掠奪、暴行及姦淫ニ関スル昨年十二月二十日ノ「タイムス」及一月二十八日ノ「デイリー・テレグラフ」
ヲ引用シ
日本ノ軍閥ハ其ノ占領地ニ於テ領土的野心ナシト唱ヘツツ予テノ計画ニ従ヒ傀儡タル地方政権ヲ組織シ遂ニ所謂支那共和国仮政府ヲ作リ上グルニ至レル(後略)
http://higeta.blog2.fc2.com/blog-entry-46.html
中国は知らなかったか?
http://www.geocities.jp/yu77799/chuugoku.html