否定派主張


軍隊が大規模な虐殺を実行したなら、必ずその命令書が残っているはずである。しかしその虐殺命令書は一枚たりとも見つかっていない。したがって虐殺などあったはずがないのである。

反論

大虐殺があれば、必ず「虐殺命令書」があるかと言えばそうではない。カンボジア、ルアンダ、アルメニア、スーダンのダルフールの虐殺を考えてみよう。カンボジアでは反革命のもの、知識人を抹殺せよ、という指令はあったと思われる。しかし、そういう指令書が見つかったとは聞いたことがない。ルアンダはツチ族、フツ族の間の長年の民族紛争により住民の自然発生的虐殺参加であり、「虐殺指令書」などはなかった。アルメニアの虐殺は強制移住に伴うものであり、反抗したものは殺されたが統一的な虐殺指令があったという話は聞いたことがない。スーダンの虐殺もルアンダのそれに似ている。

逆に、包括的な抹殺指令があったのはナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺であるが、これとて一通の「虐殺指令書」があったわけではない。政権掌握前のヒトラーの著書『わが闘争』で意図が示され、ナチス政府による各種のユダヤ人圧迫、隔離、収容指令といくつかの「最終解決案」からなる政策体系として存在するのみである。ナチスも敗戦前にはそれらの指令書などの証拠隠滅を図った。したがって、「虐殺命令書」に類するものがあったとしても、そのような資料が現存することは決して保証されない。

虐殺があれば一枚の紙切れの「虐殺指令書」があったはず、見つかったはずという思いこみ、主張は相当程度が低い、と言わなければならない。

南京の大虐殺は南京攻略戦という日中戦争の一局面で起こった事件であった。本来の戦闘とその後の占領が行われたが、同時に軍事目的を逸脱した、国際法違反の残虐行為を伴っていた。したがって、支那派遣軍司令部、第十軍司令部が出したのは通常の作戦命令だけである。司令部の幕僚中にも虐殺を容認するものは長中佐を例外としていなかった。

しかし、師団長クラス以下、大隊長、中隊長の中には民間人、捕虜の殺害を公然とそそのかしたり、正規のものではない虐殺命令を自分で勝手に文書または口頭で出したものがいた。

また、あえて上官の命令にはよらなくとも下部兵士は中国人に対する蔑視と憎悪から自発的に虐殺などの残虐行為を行うまで頽廃を極めていた。また、略奪、強姦、放火、虐殺などの軍規違反の行動を取り締まる姿勢がほとんど見られなかったため、下部兵士が個人的、恣意的な虐殺を行うに至ることを許していた。


虐殺指令の記録・証言

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