ティンパリーが上海の電信はすでにその時点で日本軍が不法に検閲しており、上海のフランス租界や英米人の支配する共同租界から電報を打っても同じことであった。
ティンパリーが"What War Means"を書いた理由は「上海から英国の『マンチェスター・ガーディアン』に打った「揚子江デルタ地帯(上海、松江、嘉興の一帯)30万人虐殺」という電報が日本軍に差し止められたからではない。序文の中にこう述べている。
「昨年の十二月南京を占拠した日本軍が中国市民に対して行った暴行を報ずる電報が、上海国際電報局の日本側電報検閲官に差さしおさえられるという事実がなったならば、おそらくこの本が書かれることはなかったであろう。
こうして削除され、あるいは不完全なものになった電文の中には、著者が『マンチェスター・ガーディアン』に打電しようとした電報もいくつかはいっていた。
私の伝聞のニュース・ソースの確実性については十分満足すべきものであるにもかかわらず、日本当局は、誇張しすぎているなどと言いたてた。そこで私は文書による証拠を探し始めていたのだが、何の困難もなく非の打ちどころのない筋から確証を得ることができた。こうして明らかにされた事件の実状は、あまりにも恐ろしいものだったので、私は直ちにこれを出版しようと思いついたのである」
『南京戦争資料 9』より
揚子江デルタの30万虐殺が差し止められたからではなく、南京市民に対する暴行を報ずる電報が差し止められたからである、とはっきり書いている。南京における暴行を記述したこの著作の序文に「揚子江デルタの30万虐殺」がないということは不思議でも何でもない。
ちなみに、日本軍の上海占領までは、共同租界の電報検閲は中国人の租界当局が行なっていた。欧米の電信会社はそれを受け入れていたが、日本人電報局は拒否していた。占領によってこれまで拒否していた日本が、検閲を強行してきたのだから、英米政府は抗議した。こうした問題が表面化したのは、1938年の年が明けてからであった。