この「ティンパリー陰謀説」にはまったく妥当性がない(スマイスに関しては
こちらを参照)。
まず問題は、南京事件から半世紀以上も過ぎてから書かれた『曾虚白自伝』の信憑性である。
事件発生時は上海にいたティンパリーがなぜか南京で事件を目撃していたことになっているなど、記憶違いによる事実誤認が存在する。本を書かせた前提となる部分から怪しいのである。
最も重要なのは「金を使って本を書かせた」という部分である。事件当時に出版された『戦争とは何か』中国語版の訳者言では、ティンパリーが本を書き始めた後に買い取って翻訳したとされている。同様に当時の秘密書類である「中央宣伝部国際宣伝処二十七年度工作報告」(中国第二歴史トウ案館所蔵)にも、ティンパリーとスマイスの書いた本を買い取り印刷出版したとある。
つまり自伝の「金を使って本を書かせた」という話は誤りで、実際は
「書かれた本を買い取った」という因果関係だったのである。ティンパリーらの本は日本軍の非道さを世界に知らしめるという意味で大きな成功を収めたのだから、それを誇りたいという思惑があったのかもしれない。自伝を史料として利用する場合、特に自己の業績に関する部分には検証が必要なのである。
次に『戦争とは何か』自体についてだが、これは戦争の忌まわしさを訴えることを目的としてティンパリーが編集した、南京における暴虐事件の記録である。
主要部分は南京にいたベイツとフィッチのレポートであるので、ティンパリーがどう依頼されようが書けるものではない。
ティンパリーはベイツと何度も手紙をやり取りし、編集方針について協議しているが、そこに日本軍に対する悪意や、事実の歪曲を疑わせるような文言はない。あくまで事実に基づいて日本軍の悪行を告発するというのがティンパリーの方針だったのである。
余談ではあるが前述の曾虚白も、国際宣伝を実効あるものにするための原則として以下の3つを挙げている。
1.絶対に嘘を言って人を騙したり、誇張してごまかしてはならず、事実に基づいて本当のことを言ってこそ真に人を動かすことができる。
2.敵の残虐さを曝露し、これを広く宣伝して国際的な同情と援助を獲得するようにする。
3.最も重要なことであるが、共同抗敵の連合戦線を作るようにする。
これを額面通りに信用できるかどうかは不明だが、
ティンパリーに金を渡して本を書かせたと主張している人物でさえ、事実に反したことを書かせたとは言っていないのである。
仮に本の出版に国民党が関わっていたとしても、その内容に不審な点が何もない以上、陰謀論を持ち込む余地は皆無である。ティンパリーの『戦争とは何か』が事実に反することを書いているといったことを証明できた人間はいない。ただティンパリーは怪しい、疑わしいと陰湿なイメージ操作をしているだけなのである。
関連リンク
ティンパリー『戦争とは何か』出版経緯
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data8/data8...
『曾虚白自伝』引用の問題点
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924...
Timperley,"What War Means"原資料の著者について
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924...
『ティンパーリーの謎』を嗤う その1
http://www.nextftp.com/tarari/timperley.htm
『ティンパーリーの謎』を嗤う その2
http://www.nextftp.com/tarari/timperley2.htm
参考記事
●H・J・ティンパリー編『戦争とは何か――中国における日本軍の暴虐――』(『南京大残虐事件資料集 第2巻 英文資料編』収録)
●洞富雄『南京大虐殺の証明』p40-48
●「ティンパレーとベイツの『戦争とは何か』の出版をめぐる往復書簡」(『南京事件資料集[1]アメリカ関係資料編』収録)
●井上久士「南京大虐殺と中国国民党国際宣伝処」(『現代歴史学と南京事件』収録)