39-227
そっと扉を開けると、カランカラン、と涼しげな音色が周囲に響いた。
私は少しだけ開いた隙間から、静かに入店する。
私、アインハルト・ストラトスは今、人生で初めて喫茶店というところに来ている。
柄でもなくこういう洒落た雰囲気の場所に居るのには理由があって、
「あ、いたいた。アインハルトさーん!」
テーブル席から身を乗り出してヴィヴィオさんがぶんぶん手を振っている。相変わらずお元気ですね。でもお行儀悪いですよ。
私は店員に待ち合わせしている旨を告げ、彼女の座っている席に向かう。
「すみません。お待たせしてしまいましたか?」
「いいや、ぜーんぜん。わたしも今来たとこですから」
「それなら……良かったです」
心優しい彼女のこと、そういいながらもずいぶんと長い時間待っていた可能性もあるのだけれど……考えても仕方ないか。
「それで、今日はどのような用件で私を?」
「えっとなんというか、その、特別な用があるとかじゃないんですけど――」
「それなら学園の図書室などでも良かったのでは?」
「そうじゃなくて!あの、わたしアインハルトさんとゆっくりお話したことなかったから……たまにはこうやって格闘とか無しでアインハルトさんと過ごしたいなーなんて」
迷惑だったですか?とヴィヴィオさんは頬を紅く染めてうつむいた。
「い、いえいえ!そんなことないです!私もヴィヴィオさんにお聞きしたいことはたくさんありましたし、その、だから、全然迷惑なんかじゃないです!」
私は慌てて彼女の言葉を否定する。
「本当ですか?」
「ええ」
「よかったぁ!」
先ほどの不安そうな表情とは打って変わって満面に笑顔を咲かせるヴィヴィオさん。
その溢れんばかりの好意に思わずクラリとする。
以前から思っていたけど、彼女にはやっぱり笑顔が一番似合う。
2人分のアイスコーヒーを注文すると、ヴィヴィオさんは私にいろんな話を聞かせてくれた。
授業のなかでは、体育や実践魔術の授業が好きで、逆に語学が嫌いだということ。
リオさんとコロナさんが珍しく大喧嘩をして、その仲裁にヴィヴィオさんが翻弄されたということ。
ノーヴェさんたちとは今は仲良くしてるけど、ほんの数年前には6課のみなさんと命をかけた大バトルを繰り広げたということ。
「でね、その時なのはママがね――」
「ええ!?それでどうなったのですか?」
ヴィヴィオさんは本当に楽しそうに私にお話を聞かせてくれる。
人との会話に慣れていない私にとっても、彼女の話は聞きやすく、なおかつ楽しかった。
先ほどから彼女一人がマシンガンのように話し続けているにもかかわらず私がそう感じるのは、彼女の心の根底に私を楽しませたいとする優しい気持ちがあるからに違いない。
それからもう1つ、私が彼女の話を魅力的に感じる理由。
それは単純明快で、
お話してくれているのが、ヴィヴィオさんだからだ。
話の内容もだけれど、それによって百面相する彼女の表情に私はより惹きつけられた。
先ほど述べたとおりやっぱり笑顔が一番魅力的だけれど、怒った顔、悔しそうな顔、泣きそうな顔などの、彼女の心を直接映し出したような表情に、私は愛おしさを感じた。
私は最近まで友達というものをほとんどもったことが無かった。だから当然、「友情」という感情も知らない。
それでも、これだけはわかる。
私が彼女に抱いている感情が、単なる友情ではないということ。
そしてその感情は、覇王インクヴァルトが聖王女オリヴィエに抱いていたそれに、限りなく近いということ。
つまり、私はヴィヴィオさんを――
「……ン……ルトさん、アインハルトさん」
「…………あ、す、すみません!」
「大丈夫ですか?少しぼーっとしてたみたいですけど」
彼女は対面席からにゅっと身を乗り出し、私の顔を心配そうに覗き込む。
ち、近いです!
頬に息が当たってますって!
「だ、大丈夫です!心配しないでください!具合悪いとかそういうのじゃないですから!!」
まさか、あなたのことを考えて思わずぼーっとしてましたとは言うわけにはいくまい。
「それならいいんですけど……あ、そういえばさっきアインハルトさん、私に聞きたいことがあるって言ってませんでした?」
覚えていたんですね……
聞きたいことがあるのは本当だけど、本当に尋ねる気なんてなかった。
少し口にするのがはばかられる内容だし。
「何でも聞いてください」
ニコニコしながら彼女は私を見つめる。
そう言われても……
やはり聞きにくいものは聞きにくいわけで……
でもこの調子だと、話すまで帰してくれそうになさそうだ。
私は勇気を出して、言葉を選びながらその質問を口にする。
「えと、ヴィヴィオさんのお母様方――なのはさんとフェイトさんのことなんですけど」
「ママたちのこと?何ですか?」
「気分を害されたらごめんなさい。あなたはお2人ともを『ママ』とお呼びしていますよね。あなたはお母様を2人お持ちなわけで、ということはお母様方お2人の間柄は、その……」
我ながら要領を得ない質問だと思う。
だけどそれをあまり直接的に尋ねるのも躊躇われる。私の推測が外れていた場合、とんでもなく失礼な発言になってしまうからだ。
「つまり、なのはママとフェイトママは夫婦、つまり好きあっているのかってことですか?」
オブラートに包んだ私の言葉を一瞬で丸裸にしてしまったヴィヴィオさんの表情は読み取れなかったが、少なくとも怒っているわけではなさそうだ。まずは一安心。
「すみません、不躾な質問だとはわかっているのですが……」
「構わないですよ。なんでも答えるって言ったのはわたしですから」
ヴィヴィオさんはコーヒーを1口啜って続けた。
「はい。そうですよ。ママたちはアインハルトさんが想像してるような間柄で間違いないです。2人ともお互いが好きで好きで仕方が無いみたいで」
お母様方への敬意と感謝、その他私には知れない感情を滲ませながら、ヴィヴィオさんは答えた。
「……気持ち悪いですか?女同士で、なんて」
「そ、そんなことあるわけないじゃないですか!!接した回数は少ないですが、そんな私でもなのはさんもフェイトさんがとても素敵な方だということはわかります!そんなお2人が同性の方を好きになったなんて些細なことで否定されていいはずありません!!」
そもそも私自身――――なんだし。
ヴィヴィオさんは頬を赤らめて、
「ありがとうございます。やっぱり世間の風当たりは厳しいですからひどい事を言われることもいっぱいあって。だからアインハルトさんがそう言ってくれて、すごく嬉しい」
「い、いえ、事実――ですから」
「なおさら嬉しいです。たとえママたちがわたしの目の前ででぃーぷなキスを繰り広げても、わたしがまだ寝付いてないのに同じベッドの上でおっぱじめちゃって眠るに眠れないことがあっても、それでもわたしはママたちが大好きですから」
余計なお世話だけど、それは親としてどうなのだろう。同性同士とか関係なく。
まあヴィヴィオさんがよければそれでいい……のか?
わたし小さいころ――今も小さいじゃないかって突っ込みは無しにしてくださいね――フェイトママに聞いたことがあるんです。どうしてなのはママとフェイトママは、女の人同士でキスしたりするのって。どうして男の人より女の人が好きなのって」
「それはまたずいぶん大胆な質問ですねぇ」
ほんとにちっちゃい頃でしたから、とヴィヴィオさんは苦笑した。
「フェイトママはこう答えてくれました。『私はべつに男の人より女の人が好きなわけじゃないよ。ただ、なのはがなのはだから好きなんだ』って。
ほんとに心から好きな人ができると、性別とか関係なくわかっちゃうみたいです。自分はこの人のことが好きなんだってこと。ママは、『きっとヴィヴィオにもそういう人が見つかる。その時、きっと私の言ったことが理解できるよ』って言ってました」
「そう、ですか」
当時幼かったヴィヴィオさんに答えをはぐらかすことがないあたり、流石フェイトさんと言うべきだろう。
でも、私の胸に残ったわだかまり。
それは。
ヴィヴィオさんはもう、見つけてしまったのだろうか。「ほんとに心から好きな人」を。
そうだとすれば、私はそれを心から祝福することは――できない。
自分勝手だってことはわかってる。
出会って数ヶ月も経ってない相手が言っていいことではないとはわかってる。
でも。
でも少なくとも私にとって、ヴィヴィオさんは「ほんとに心から好きな人」なんだ。
「……早く見つかるといいですね、ヴィヴィオさんの好きな人」
これには私の希望も入っている。
今の時点で、好きな人をまだ見つけていないという、希望。
「ううん」
彼女は、私の淡い希望を一言で打ち砕いた。
「もう、見つけました、わたしの好きな人。まだ片思いですけど」
……筋違いだ。
ここで私が悲しむのは、筋違いだ。
私はつい最近ヴィヴィオさんと出会ったばかりで、勝手に惚れてしまっただけなんだから。
だから私はここで笑うべきなんだ。
喜ぶべきなんだ。
ヴィヴィオさんが、幸せな道を見つけたことを。
「ヴィヴィオさんほど魅力的な女性は、私の知る限りどこにもいません。きっとうまくいきます。私が保証します」
私は頬の筋肉を無理やり動かして笑顔を作る。
彼女が折角設けてくれたこの場で、悲しい顔をしてはいけない。彼女の幸せを、悲しんではいけない。
「アインハルトさん……ほんとに、そう思いますか?うまくいくって、思いますか?」
「ええ、必ず」
私は目を閉じた。
いくら表情を取り繕ったところで、隠すことができないものも、ある。
「好きです」
「アインハルトさんのことが、好きです」
頭の中で意味を成さないその言葉は、私の胸にしみこみ、静かに体中に溶けてゆく。
好きです。
好きです。
アインハルトさんのことが、好きです。
ぐるぐるぐるぐる。
ヴィヴィオさんの言葉は、私の中を廻り続けた
そして脳がようやくその言葉を受け付け、理解した時、
私は静かに泣いていた。
「ご、ごめんなさい!突然変なこと言って」
私の涙を見て、ヴィヴィオさんが申し訳なさそうな……そして、悲しそうな表情を浮かべる。
だめだ。だめだだめだ。
とにかく、頭の中ぐちゃぐちゃで何もわからないけど、とりあえず伝えないと。
「違うんです!私も!」
狭い喫茶店に、私の大声が響く。
「私もヴィヴィオさんが、大好きだから!大好きだから、涙が出るんです!」
この涙は当然悲しみの涙ではない。かといって喜びの涙でもない。
ならば、何なのか。
私にだってわからない。ただ、今の私にあるのは彼女が大好きだって事実だけで、
「私の一番は、ヴィヴィオさんです!私は、私は!ヴィヴィオさんを愛してます!出会ってすぐの頃から、あなたの強くて美しい心に気付いた時から、ずっと好きでした!」
一度決壊したダムは、全ての水を吐き出すまで止まらない。
ヴィヴィオさんの言葉で、私の貧弱な心のダムは完全に崩壊していた。
「昔イングヴァルトがオリヴィエを愛していたこととか、私がイングヴァルトの記憶を受け継いでることだとか、あなたがオリヴィエの複製であるとか、そういうのとは無関係に、私自身、アインハルト・ストラトスが、ヴィヴィオさんのことを愛してるんです!」
ぜぇ、ぜぇ。
叫び、体力を使い果たし、私は崩れるように椅子に座った。
「ありがとうございます」
ヴィヴィオさんがうつむいていた顔を上げ、口を開く。
「それなら今から私たち、恋人同士ですね」
そう言って彼女は微笑んだ。
やっぱりヴィヴィオさんには、笑顔が一番だ。
「そういうことに……なるのですか」
想像してみる。
ヴィヴィオさんと恋人同士。
デートしたり、手をつないだり、キスしちゃったりなんかして。
我ながら貧弱なイメージだとは思うけど……駄目だ。頭が沸騰しそう。
「ねぇ、私の恋人のアインハルトさん」
「な、なんでしょうか。私の恋人のヴィヴィオさん」
「そっち側、行ってもいいですか?」
対面に座っていたヴィヴィオさんが指差したのは、私の隣の椅子。断る理由なんてあるはずも無いので、私はどうぞと答える。
「じゃ、失礼して」
よっこいしょ、と呟きながら彼女は靴を脱ぎ、テーブルにひざを着いて上った……って、へ!?
「…………お行儀、悪いですよ」
私のたしなめる声に力がなかったのは、ヴィヴィオさんが何をたくらんでそのような行動に出たのか察したからだろう。
彼女はテーブル上で私の正面を陣取ると、手のひらとひざを着いたまま目を瞑り、顔を静かに私に寄せた。
私も彼女に倣い、目を瞑る。
「大好きです。アインハルトさん」
「私もです。愛してますよ、ヴィヴィオさん」
そっと、私たちは唇を重ねた。
やわらかい感触を唇に覚えながら、私は考える。
私は中等部1年生で、ヴィヴィオさんは小等部4年生。2人とも、まだ年端もいかない子供である。これから先、私たちの想像も及ばないような苦難がきっとあるだろう。
でも、ヴィヴィオさんのお母様方、なのはさんとフェイトさんはそれを乗り越え、現在幸せを手にしている。
私たちもきっと大丈夫。
私はこの数ヶ月で様々な人とふれあい、他人とのかかわりが、どれだけ自分に力になるか知った。
ましてそれが、自分の愛する人だったなら。「ほんとに心から好きな人」と一緒なら。
どんなことでも乗り越えていける。
私はそう確信することができた。
END
おまけ
「で、アインハルトはお客さんがたくさんいる店内で愛を叫びまくり、挙句の果てにヴィヴィオはキスするために飲食店のテーブルの上に上がったと」
「……ごめんなさい」
「……反省してます」
私たちが乗り越えなきゃいけない最初の苦難は、思った以上に近くにあった。
「ヴィヴィオ、なのはママはあなたをそんなお行儀の悪い子に育てた覚えはないよ」
レイジングハートから発射されたピンク色の閃光が私の視界を覆う。
2人でなら、2人でならどんなことでも……いや、早速挫けそうです。
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2011年12月17日(土) 18:54:53 Modified by sforzato0